2014年08月21日

「将棋伝来再考」等(15)

興福寺旧境内から酔象駒が発掘され、将棋史が根本的に見直される可能性が高まったが、この発掘もほんの一年近く前のことに過ぎない。とても資料が出尽くしたといえる状況にはないし、今後も、発掘によって、劇的に将棋史が変わる可能性が高いと思われる。

しかし、「10世紀以前の資料が必ず発掘される」という信念の下、発掘作業に従事するのと、「10世紀以前の資料は発掘されない」という消極的・否定的な姿勢で発掘作業に従事するのとでは、自ずと成果が異なってくるに違いない。なぜなら、この世に存在しないと思っているならば、仮に目の前にあったとしても、そのまま、見過ごしてしまうことになるからである。

いみじくも、2002年版で、清水氏はいう。

 「盤上遊戯具に用いることができるほど小型の遺物は見当たらない。ただし立像駒の場合、抽象的な駒を想定し、現在のチェスのような精美なものではなく簡易な駒を考えれば、存在した可能性を考慮する必要がある。発掘調査においても、もしこれら簡易な形の抽象的な駒が出土しても単体や少数では将棋の駒と認識できるとは思えない」

 「考古学では、従来存在が確認されていなかったにもかかわらず、一例の発見でその後連続して発見が続き、存在することが当たり前となることがある。(中略)現代の考古学においてすら盲点となるような資料が存在することを示している。したがって、奈良時代の文字入り駒は可能性がないが、簡易な形態を取る将棋駒の場合は、一例の発見で新たな発見が連続して起こりうる可能性を完全には否定できないのである」

「将棋史の本質」を貫くならば、日本に伝来した原将棋はまさに清水氏がいう「簡易な形の抽象的な駒」になると考えている。ぜひ、清水氏には、「10世紀後半〜11世紀前半の伝来」という自縄自縛にとらわれることなく、新たな可能性に挑戦してもらいたいと思う。
(つづく)



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