2014年08月28日

玄怪録将棋(2)

  はたして、「玄怪録」は有用な史料なのか、否か。

  たしかに、他に同時代の物証等があれば、「玄怪録」の価値は落ち、その物証を補完する文献という補助的な役割に留まる。

しかし、中国において他に同時代の物証等が発見されていないという現状において、「玄怪録」には稀少価値があり、取扱いは慎重にすべきであろう。

清水氏が指摘するように、「玄怪録」の中には当時の世相や生活文化などの風俗が織り込まれている。

したがって、内容が虚構である空想小説だからという理由で、「玄怪録」の価値を全否定するのは、いささか乱暴といわざるを得ない。氷山の一角に過ぎない貴重な史料の価値を正当に評価すべきであろう。

もっとも、「内容が虚構である空想小説に過ぎない」というのも事実であり、この点も考慮すべきである。 


 このブログにおいて、「玄怪録の作者が参考にしたであろう当時実在した将棋とはいかなるものか」という観点から、玄怪録を考察した。なぜなら、「玄怪録」の中に当時の風俗が織り込まれているからである。

しかし、考察は「当時実在したであろう将棋の復元」に留めている。なぜなら、「空想小説」に過ぎないのは事実であり、「玄怪録」の作者がどのような将棋を創作したのかについて、日本の将棋史・中国の象棋史という観点から価値が低いと判断したためである。 

 「空想小説だからという理由で玄怪録の史料価値を全否定する者」は「当時の風俗の反映」という価値を理解しておらず、また、「玄怪録の史料価値を無条件に信頼し、玄怪録の作者が創作した将棋の復元を試みる者」は「怪奇小説としての限界」を考慮していないように思われる。
(つづき)



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