2011年10月13日

将棋の歴史1 はじめに(補足)

「将棋の歴史」は、「将棋の改良の歴史」である。
 その時、改良者が何故、どのように、「将棋」を改良しようとしたかを考察することである。
 無数の改良者の心意気に想いを馳せることによって、具体的な改良過程を考察すること。それが、「断片的な史実」という点と点を結んで線、一連の流れ、すなわち「将棋の歴史」に昇格させる合理的な方法であると考えている。

 もちろん、史実の積み重ねによって「将棋の歴史」が構築されるのが理想ではあるが、容易ではない。なぜなら、将棋は庶民の文化の一つであり、日本書紀や古事記などといった公文書はおろか、なかなか文献等に表されるものでないからである。又、盤・駒等の材質は基本的に木材であり、朽ち果てやすいものだからである。

 

閑話休題。祖先は、きわめて合理的に将棋を改良してきた。 

その前提によって、このブログは成り立っている。

 なぜなら、長年に渡って多数の改良者により試行錯誤がなされた結果、淘汰されたものだけが今日まで脈々と受け継がれているからであり、「将棋の歴史」の解明に携わる者にも、合理的な考察が求められる。

 合理的な考察とは何か?一例をあげる。

 将棋の歴史について、古代インドで生まれたチャトランガがルーツとする説が有力であるが、「サイコロを使用する4人制チャトランガ」が先か(祖先か)、「サイコロを使用しない2人制チャトランガ」が先かという議論がある。

 私は、前者の説が妥当と解する。

 なぜなら、単純なものから複雑なものへ、原始的なものから進化したものへ、不確実なもの(サイコロ使用)から確実なものへ、と改良されるのが、「合理的」だからである。

 逆に、「サイコロを使用しない2人制チャトランガ」が先だというのであれば、なぜ、先祖は、そのような不合理な改良、改悪(複雑単純、進化形原始的、確実性不確実性)をしたのかについて説明責任がある、と考える。

 「将棋の歴史」の解明において問われるのは合理性であり、それに携わる者の力量である。

(つづく)

  

Posted by r_onuma at 07:00Comments(0)TrackBack(0)

2006年01月22日

将棋の歴史1(2) はじめに(2)

シャンチー将棋史を解明するうえで不可欠な事柄は、かつて中国に二種類の二人制チャトランガが存在したということである。

中国に存在した二種類の二人制チャトランガ。共にルーツは同じインドである。違いが生じたのは、インド・中国間を結ぶ二つの主要な交易路、つまり「オアシスの道」と「海の道」とを、時間差をもって伝来したことによる。

 最初、七、八世紀ごろまでに「オアシスの道」を経由して中国に伝来した二人制チャトランガは、中国唐代の怪奇小説「玄怪録」(牛僧孺著(唐の宰相))に記されたいわゆる「宝応象戯」であり、日本に伝来したものと同一種である。

 盤はチェスと同様に八×八マス盤で立像型駒を用いた。中心に「王」を置き、「虎(寅)」の駒を配置した。当初インドにおいて「象」であった駒が、「オアシスの道」を経由する間に「虎(寅)」に変化したのである。これが日本に伝来して、五角形駒の原将棋として定着し、その後「虎」は「銀将」に改良された。

 次に、九、十世紀ごろ「海の道」を経由して中国に伝来した二人制チャトランガは、王・将・虎(寅)の代わりに、将・士・象の名称を用いた。中国に伝来した際にどのように中国語に訳されたかによって差異が生じたのである。

 一時期、二種類の二人制チャトランガは中国において併存したが、結局、碁を模したゲームに改良された後輩が先輩の「宝応象戯」を中国から駆逐した。

 さらに、後輩の二人制チャトランガ、つまりシャンチーはその後の日本の将棋の成り立ちに多大な影響を及ぼすとともに、東アジアから東南アジアに至るまで席巻した。

 日本の将棋における重要な改良、つまり九×九マス盤の採用、歩一歩前進、漢字一文字から漢字二文字への改名等々がシャンチーの影響によるものであることを一連の改良を考察する中で明らかにする。

 なお、中国のシャンチーはその成り立ちにおいて一方的に日本の将棋や朝鮮のチャンギに多大な影響を与え、これらから何の影響も受けていない。しかし、影響が多大であったために日本や朝鮮双方の「将棋」史が逆にシャンチー史を映し出す鏡となっている。

チャンギ また、日本と中国を結ぶ朝鮮のチャンギ史も将棋史との整合性が求められるのはいうまでもない。このように、シャンチー、チャンギ、共に将棋の成り立ちと不可分の関係にあることを踏まえて両者も考察の対象とした。

 将棋・シャンチー・チャンギ。いずれも各国において伝統文化の中心的地位を占めることは疑いないが、皮肉にも、そのことが各々の史実考証の足かせになったと思われる。

 三史は成り立ちにおいて相互に密接に関連し、各国の限られた視野のみで捉えるべき事柄ではない。国境を超えて相互の関わりを理解することによってこそ、各々の真の姿が浮ぶ。

 批判は覚悟のうえであるが、本書をきっかけに日本・中国・韓国(朝鮮)による将棋史・シャンチー史・チャンギ史解明に関する交流が促進されることを期待したい。

(つづく)

  
Posted by r_onuma at 20:35Comments(6)TrackBack(0)

2006年01月18日

将棋の歴史1(1) はじめに(1)

将棋 本書の主題は「将棋の成り立ちの解明」にあるが、これ自体は特段に目新しいものではないかもしれない。

 古来、将棋は日本人にとって身近なゲームであり、すでに多くの研究者や愛好者たちが解明を試みてきたが、十分な成果を収めたとは言いがたい。

 将棋史に限らないが、出土品や文献などの史実は断片的である。歴史家や研究者に求められるのは、個々の点を有機的に捉えて線として結び、さらに立体的に捉える作業であろう。更なる発掘や発見に努めることによって歴史の空白を埋める一方で、全体像を浮き彫りにすることによって、更なる発掘や発見を加速させる必要がある。

 将棋は、前三世紀ごろ古代インドのガンジス川中流域で作られたチャトランガの末裔である

 ということは、チャトランガから今日の将棋に至るまで、一筋の道で結ばれるということに他ならない。だが、今まで将棋改良の全過程を明らかにした説はない。できなかった理由はある程度、想像できる。それは将棋の独自性や特異性に起因する。

 チャトランガは「賽つき四人制」と「賽なし二人制」に分けられ、後者は、ほぼ全世界に伝播し、百種類以上に分化した。欧米のチェス、中国のシャンチー、朝鮮のチャンギ、タイのマックルック等々。

 ところが、将棋は他の子孫たちと大きく異なる。その最たるものは持駒制度であるが、他にも漢字二文字使用、駒の形状、数、駒の配置、マス目の数等々、他との違いをあげたら枚挙にいとまがない。そこに、将棋は日本の伝統的文化の中心的地位を占めるという思いが加わる。

 しかし、当初、中国を避けるようにして日本に伝えられたとか、ほとんど中国の影響を受けることなく独自の発展を遂げたと考えるのは早計であろう。元々輸入されたゲームである将棋は、少なくとも東アジア文化圏全体を見据えて捉えるべき事柄なのである。

 将棋の祖先が日本に伝えられたのは、八世紀、奈良時代ごろと推定する。さらに国内で改良されたのは、平安時代から鎌倉時代に及ぶ。

 前者は、貪欲に中国の政治・経済・文化を吸収して近代化に努めた時代であり、後者は「元寇の役」など、中国の脅威にさらされた時代である。将棋の成り立ちにおいて常に中国文化の影響を受けたのはごく自然なことなのである。

(つづく)

  
Posted by r_onuma at 22:17Comments(2)TrackBack(0)