2006年11月30日

将棋の歴史8:大局将棋

大局将棋 三六×三六=一二九六マス盤、駒の種類二〇九種、総数八〇四枚。日本最大の将棋である。。(左図:泰将棋の先手側のみ示した配置図です。クリックすると拡大図が表示されます)

 江戸時代に家禄が支給された将棋三家の一つ、大橋家の文書「大局将棋駒」に詳細が記されているが、何時、誰の手によって作られたものか、明らかではない。

 しかし、諸象戯図式に記された巨大将棋・和将棋など既存の様々な種類の駒をほぼ取り入れたことから、将棋図鑑を作るついでに、それを巨大将棋に仕立てようと思い立ったのではないかという推測も生じる。

 もっとも、大局将棋独自の駒だけで八十五種類にのぼり、既存の将棋の図鑑にとどまってはいない。作者の大変な意気込みを感じさせる。

 棋譜は現存しておらず、創作当時に盤や駒が作られた証拠もないため、実際に指されたのか不明である。

 ところが、二〇〇四年五月、民放の教養娯楽番組「トリビアの泉」において大局将棋の特集が組まれた際に、日本に二組しかないという復元された大局将棋を用いて、プロ棋士同士(伊藤博文六段と安用寺孝功四段(段位は当時))による対局が行われたのである。

 駒の種類が多いため、互いにルールブックを見ながら対局を進めたが、とても一日で終局する内容ではない。結局、対局は延べ三日間に及び、対局時間三二時間四一分、三八〇五手にて決着した。勝者は「もう二度とやりたくないですね」といい、敗者も「負けて悔しさはないですね」という感想であった。

 おそらく、これが最初にして最後の大局将棋の対局になったと思われる。

 これだけの巨大将棋を考案した者も凄いが、実際に耐久レースのごとく、この巨大将棋を決着がつくまでやり遂げたプロ棋士も凄いとの一言に尽きる。

(つづく) 

  

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2006年11月28日

将棋の歴史8:秦将棋

 巨大将棋の作者には各々野心がある。

泰将棋 しかし、泰将棋とそれ以前の巨大将棋等とを比較すると、明らかに野心の質が違う。泰将棋の作者は最大級の将棋を作るために手段を選ばなかったのである。(左図:泰将棋の先手側のみ示した配置図です。クリックすると拡大図が表示されます)

 まず、一挙にマス目の数を倍近くに増やした。摩訶大大将棋より縦横各々六マスずつ追加して二五×二五=六二五マス盤とした。

 駒数も三五四枚と八割も増やしたが、それだけではない。配置の美しさに対するこだわりを捨て、隙間なく駒を詰めたのである。

 息苦しささえ覚えるほどであるが、「彼」にとっては、それが狙いであったに違いない。巨大将棋を作ろうとする意欲を完膚無きほど叩くという意気込みを感じさせる。

 さすがに、ここまで巨大になると、指そうと気持ちも沸きにくい。とても、エベレストを目指す登山家のような崇高な気持ちにはなれない。

 相手が大自然ならまだしも、作者の野心が見え隠れする人工的な盤面である。棋譜は現存していないが、実際に指されたかどうかも疑わしい。

 泰将棋は対局しようと気持ちを萎えさせるのに成功したと思われるが、必ずしも巨大将棋を作ろうとする野心の根を絶やすことは出来なかった。というのは、これを遙かに上回る巨大将棋が出現するからである。

(つづく)

  
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2006年11月21日

将棋の歴史8:大大将棋・摩訶大大将棋

大大将棋 大大将棋には中将棋・天竺将棋のように王将と酔象が横並びしないし、天竺将棋に見られる動きの激しい駒も踏襲していない。(左図:大大将棋の先手側のみ示した配置図です)

 同じ部下を左右に従えることから、大将棋に縦横二マスずつ追加したものと推定する。

 しかし、大将棋・大大将棋を比較すると、大大将棋に新規に付け加えられた駒は四十二種に及び、独自性を打ち出そうとする作者の意気込みを感じさせる。

摩訶大大将棋 摩訶大大将棋は大大将棋と比べて、縦横二マスずつ拡大したものであるが、駒数は一九二枚と変わらない。(左図:摩訶大大将棋の先手側のみ示した配置図です)

 むしろ総数を変えないまま駒の種類を減らし、成り駒の規則も単純明快にした一方で、配置の美しさに対するこだわりが見られるなど、大大将棋の洗練化に努めた将棋といえよう。

(つづく) 

  
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2006年11月18日

将棋の歴史8:天竺大将棋

天竺大将棋 天竺大将棋は中将棋と同じく縦横偶数のマス目であること、王将と酔象が仲良く並ぶ配置であること、中将棋同様に弱い機能の駒(石将、悪狼、猫刄他)を外していることから、中将棋を基礎にして作られたものと推定される。(左図は、天竺大将棋の先手の配置のみを記載したものです)

 中将棋・天竺大将棋・大将棋三者を比較しよう。

 大将棋のみ    石将、悪狼、嗔猪、猫刄、猛牛、飛龍
 中将棋になし   桂馬・鐵将
 天竺大将棋になし 仲人
 天竺大将棋のみ  車兵、獅鷹、奔鷲、火鬼、水牛、竪兵、横兵、大将、副将、飛将、角将、犬、四天王、雜将

 中将棋・大将棋と比較すると、新たに強い機能を持った駒(車兵、獅鷹、火鬼他)が加えられたが、ほとんど大大将棋に継承されなかったことから、独立した系統の将棋と推定される。チェス顔負けのスピード重視型の将棋となっている。

(つづく)

  
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2006年11月11日

将棋の歴史8:漢字二文字と巨大将棋(2)

 漢字二文字を適当に組み合わせることで複数種類の駒を作るシステムを確立したことが、日本において他を圧倒する巨大将棋を生み出した最大の理由である。

 たとえば、チェス・マックルックなどの立像型駒の場合、名称を考案すること自体が大変である。漢字のように表意文字でないから、備忘のために書き記すことも容易ではない。

 さらに、立像型駒の場合、具体的に立像を考案して作る必要がある。仮に大量の立像型駒を作ることに成功した場合にも大量の立像型駒を保管する手間が生じ、大量の立像駒を並べた場合に視認性も著しく劣る。立像型駒は巨大化に不向きといえよう。

 次に、同じく漢字を記した平面駒を使用するシャンチーの場合、一字で完結する名称を考案した上に、敵味方の駒の名称を峻別する必要がある。将棋ほど容易に新しい駒を作るシステムを構築できないことがわかる。

 しかし、将棋において容易に複数種類の駒を作成できるということは、両刃の剣でもあった。というのは、果てしない巨大化競争に突入することになったからである。

(つづく)

  
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2006年11月09日

将棋の歴史8:漢字二文字と巨大将棋(1)

 香車→奔車→横行。銀将→猛虎。玉将・金将・銀将→銅将・鐵将。飛龍の登場。
 「二中歴の大将棋」に見られるこれら一連の連想に、巨大将棋作成システムの萌芽を見出すことができる。

ー由連想
 将・車という戦争に関連する漢字を基礎として、その上に自由に連想した漢字を並べる。
 玉金銀銅鐵など、それ自体は戦争ゲームと関係がなくても、下に将があることで何となく様になる。香車などもしかりであろう。
 下に具体的な名称があるから、上に適当な漢字を持ってきても何となく様になる。

抽象性・機能性
 奔車→横行のように、性能に着目して、縦→横といった抽象的な連想が許されるのも、漢字二文字の効用である。
 その後の大将棋において、下を行、つまり動きを表す言葉とする抽象的な機能の駒も幾つか作られた。
 角行・竪行・横行・方行・鉤行などである。これが、角・竪・横・方・鉤のみでは意味が通じない。

F以連想
 猛虎は桂馬と共に、動物の名前を連想する手本も示した。
 その後の大将棋において、猛豹、盲虎、獅子、鯨鯢、飛鹿、飛鷲、角鷹、飛牛、奔猪、悪狼、嗔猪、猛牛、獅鷹、奔鷲、水牛、犬他、枚挙にいとまがない。
 もっとも、形容詞一字+動物一字という構成の名称が大半を占める。動物に関する限り「犬」のように漢字一文字で足りると判断された場合もある。

ざ想上の動物連想
 飛龍は、空想上の生物を用いる先駆けになった。その後の大将棋において、龍王・龍馬・鳳凰・麒麟等が見られる。

 このように、漢字二文字を適当に組み合わせることで複数種類の駒を作るシステムを確立したことが、日本において他を圧倒する巨大将棋を生み出した最大の理由である。

(つづく)

  
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2006年10月31日

将棋の歴史8:巨大将棋(2)

巨大将棋一覧諸象戯図式」(一六九四年、元禄七年)には、大将棋から泰象戯に至る一連の巨大将棋について記されている。

大将棋・天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋など、いずれも個性豊かであり、駒の配置・駒の機能・成り方等、駒一つ一つ隅々に至るまで大いなるこだわりがある。急激な巨大化のみを意図していないことがわかる。(←巨大将棋一覧表:左図をクリックすると拡大図が表示されます)

巨大将棋の先駆けとなった二中歴の大将棋は、巨大将棋作成の基本的な仕組みを確立し、銀将の先祖の存在を示すなどの情報をもたらす。

さらに、二中歴に続く大将棋は(一五×一五マス盤、駒数一三〇枚)、美意識に対するこだわりや独創的な駒作りにおいて、その後の将棋や巨大将棋の改良に多大な影響を及ぼした。荘厳な寺院仏閣の軒下を彷彿させる駒の初期配置はもとより、飛車・角行・酔象など将棋史における重要な駒を生み出したのである。

この章においては、なぜ現行の将棋とは別に巨大将棋が作られたのか。巨大将棋は将棋にどのような影響を及ぼしたのか。なぜ滅びざるを得ないほどに巨大化したのか。創作心理という視点から大略について捉えてみたい。

なお、巨大将棋の創作者たちのイメージであるが、総じてマニアックに将棋を楽しむ時間的かつ金銭的余裕があり、知識を競う衒学趣味的な側面などから、教養程度は高い。貴族・僧侶といったところではなかろうか。

(つづく)

  
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2006年10月28日

将棋の歴史8:巨大将棋(1)

日本には巨大将棋が恐竜のごとく出現して滅びた歴史がある。

南北朝時代(一三三六〜一三九二年)の「異制庭訓往来」に次の記述がある。ちなみに往来物はもともと貴族子弟の学習用に編まれた往復書簡(模範文例集)を指すが、やがて初歩教科書の総称となった。

「将棋はすなわち合戦の行なり。小はすなわち三十六禽の列位を象り、多はすなわち三百六旬の甲子にのっとる」

将棋・大将棋の敵味方合わせた駒数を記したものとされる。小さな将棋は飛車・角行を除く駒数三十六枚であり、大将棋は泰将棋(二五×二五マス盤、駒三五四枚)を指すものと推定される。すでに十四世紀ごろまでに泰将棋が作られたことを示す。

さらに泰将棋を上回る巨大将棋がある。大局将棋である。盤のマス目が三六×三六=一二九六マス目もあり、総駒数は八〇四枚ある。

巨大将棋一覧 ともあれ、今日、余程のことでもない限り、巨大将棋を指すことはない。当然、作者たち自身もその末路を覚悟していたのではないだろうか。

しかし、これらは単なる時代のあだ花ではなかった。
(←巨大将棋一覧表:左図をクリックすると拡大図が表示されます)

(つづく)

  
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