りゅうたん・おもちゃプロジェクト

おもちゃプロジェクト共同研究者の様々な発想やアイディアを集めるブログ

大阪市おもちゃ図書館ボランティアグループ連絡会・学習会

9月15日(水)10:00〜12:00まで、学習会のファシリテーターを務めてきました。テーマは「ワイワイ・ガヤガヤ一緒に話そう!おもちゃ図書館のこと」です。

大阪市内で活動する19のおもちゃ図書館ボランティアグループの学習会ということで、毎年1回開催されているとのこと。7月にご依頼を受け、昨年度の学習会の状況等をふまえて、今年度は関係者が集うと話題になる2つの悩みについて、じっくり話してみたいとのことでした。悩みというのは、参加する子どもや親子が少ないことと、運営ボランティアが少ないことの2点でした。

設定された2時間では、解決の具体的検討にまでは至らないと思われたので、第1弾として問題状況の整理を目ざすことを提案しました。

当日参加者は30名弱。大阪市内に加え、和泉市や東大阪市など近隣地域からの参加もありました。今日のねらいを説明し、いくつかのゲームを重ねて参加者の雰囲気を和ませた後、5つのグループに分かれ、テーマについてポストイットを用いた討議と模造紙の成果物作成をしてもらいました。

その間、就学前児童の昼間の居場所を尋ねるクイズをしてイメージをふくらませたり、相互のコミュニケーションを自覚してもらうためのマッサージをしたり、終始和やかに討議が進められるように努めました。

最後に5つのグループから成果物を提示しながらの発表をしていただきましたが、いずれも短時間でよくまとめられていました。また、おもちゃ図書館の存在そのものが十分認知されていないこと、ボランティアとして参加している親子の間にどのように関わってよいのか戸惑いが大きい等、問題状況や課題が具体的に説明される等、今後の学習会で深められそうなテーマも数多く出されたことはもう1つの成果であったと思います。

まとめとして、1つに、今日はおもちゃ図書館の弱みや短所にばかり目を向けた感もあるが、今後は逆にその強みや長所、魅力を語り、認知されるよう発信していく必要があること。もう1つは、今日出された多数の問題や課題について、①今すぐ解決できること、②少し工夫すれば解決できること、③予算措置を含め中長期的に取り組まなければならないこと、以上の3つに整理し、取り組みの時間や可能性を考慮して解決の方向性を模索していくことが欠かせないこと。以上2点を指摘しました。

今日の学びが、参加者の今後の活動に活かされていくことを願うと共に、大阪市民の一人として可能な限り応援していきたいと感じました。また、おもちゃを媒介とした子ども・保護者・ボランティアによる地域密着型の活動として、今後もおもちゃ図書館に注目していきたいと思います。企画・立案にあたられた世話人の方々をはじめ参加者の皆様に感謝です。


 

社会的養護施設の子どものQOLを考える契機としてのおもちゃと遊び

社会的養護施設として、乳児院や児童養護施設、児童自立支援施設などがあります。

そこで暮らす子ども達のおもちゃや遊びの実態はどれほど知られているのかという素朴な疑問を昨夏の実習巡回指導を通して抱いています。その背景にはこのプロジェクトの存在があったからですが…。

昨日、実習指導ⅡのTAをお願いしているSさんと懇談している中で、少しクリアになってきた点を書き記しておきます。偶然、年末にSさんから2002年以降の母子家庭支援政策の問題に関するレビュー論文をお預かりしていて、私なりのフィードバックをしました。

要するに、どうもレビューされた母子家庭支援政策の論者は、生活経済学や家計経済学のアプローチであるためか、母子世帯の所得の多寡に議論が収斂しており、それはそれで説得力もあるものの、そこで暮らす子どもの育ちへの影響が見えてこない不満がある。具体的に言えば、生活苦の中で子ども達はどんなおもちゃで遊んでいるのか、また近所の友達とどんな遊びを共有しているのか否かが見えない。論者の関心の射程外にあるのかもしれませんが、児童福祉や保育の立場からは、母親の生活実態と同時に、子どもの生活実態、倉橋惣三流に言えば、玩具や遊びの内実が問われる必要があるわけです。Sさんにそんなコメントをしながら、冒頭に掲げた施設で暮らす子どもたちの生活の内実をさらに掘り下げていく重要性を再確認したのです。

今朝、子どもの相手をしながら、何気なく今和次郎の『生活学』をパラパラみていましたら、以上の点と関連する記述箇所をいくつか発見しました。

1つは「生活学への空想」(1951年11月)の中にあります。すなわち、「社会政策論的な追求で、労働力の再生産のための生活―栄養と休養を基体とする生活ー労働力の消費とその補給との一から他への至当な循環を合理化すべし、との理論が明確にされてきたといえるのであろうが、しかし休養生活そのものの内容も、娯楽生活そのものの内容も、また次代の労働力育成といわれている子どもたちの育成についても、それらはあまりに人間的な分野に属するので、労働力の再生産という概念で築かれているといえる社会政策論の枠内では手がつかないままに放っておかれているうらみがある。であるから、今日の社会政策論の側からの追求からは、結局、経済学(生産経済学)に従属した生活論にとどまるのだといわざるを得ない」(p.16)。

この指摘は、労働>生活とする社会政策学の知見に異を唱えるかたちで、成人の生活、なかでも休養生活に言及したものですが、社会政策学からの影響を多分に受けてきた社会福祉学の中にも依然として労働>生活という発想が濃厚です。無論、そうした発想は経済格差や格差社会が深刻化する現在を見つめる視点として極めて重要な意味をもつと承知した上で、あえて次のように考えてみます。

成人の場合、労働>生活という発想、言い換えれば、所得や生活の諸条件への関心が濃厚になればなるほど、子どもの生活の内実が問われにくくなるのではないか。成人の生活の従属物としての子どもの生活とその内実というのが確かに実際的なのでしょう。

しかし、その発想に絡めとられている限り、成人とは異なる子ども特有の生活、あるいは人生における子ども時代の生活の固有性は見えてこないように思います。私が社会福祉学を専攻してきたにもかかわらず、倉橋惣三の幼児の生活や遊び、玩具の捉え方に魅せられるのは子どもの目線や立場からの論理にあります。子どもの場合、先の図式とは真逆の、労働<生活<遊び(おもちゃを含めた)という発想に立つ必要があると考えるからです。とすれば、そもそも社会福祉学で強調されてきた「生活者の視点」の中に、以上に述べた成人とは異なる子どもの生活の特性は十分考慮されてきたか、という問いも出てきます。

2つめに今の「生活の文化的段階」(1949年4月)に示された生活の3段階論です。60年も前の論考でありますが、シンプルであることと、人間の全生涯にとってのおもちゃや遊びを考える一助になると思えるのです。すなわち、生活の3段階論とは、①労働と休養(栄養)とだけで循環する生活、②第1のものに尉楽が加わって循環する生活、③第2のものにさらに教養が加わって循環する生活という考え方です(pp.23-24)。この場合、労働から解放されている子どもや高齢者、また就労したくても労働機会から疎外されがちな障がいのある人たち等の生活が、休養(栄養)・慰楽・教養になり、ここに遊びやおもちゃが関与していると考えることができます。

3つめに今の「思い出の品の整理学」(1970年9月)も、おもちゃが「思い出の品」になる可能性を考えさせてくれるものです。印象に残った一文、「人に思い出を促すものというものは、人により家によってさまざまであろう。それでいい、そのほうが個性的でうれしいわけだ。そしてその飾り方も、また、めいめいの好みでいいわけだ。そして、いつも見ていて楽しいものがあるだろうし、ときどき出してみて楽しいものもあるわけだから、収蔵しておきたいものもあることになるのだが」(p.79)。この指摘はおもちゃに特化されたものではありませんが、回想療法でおもちゃや古道具が用いられる意味、NHKの「プロフェッショナル 認知症ケアのエキスパート・大谷るみ子」で語られた「人生のリュックサック」の中身におもちゃが出てくる可能性を示しています。もっと平たく考えれば、誰もが子どもだったし、子ども時代に夢中になった、ワクワクドキドキしたおもちゃや遊びの経験、思い出とともに生きているということに尽きると思います。そう考えると、施設の子どもたちはどんなおもちゃや遊びの経験をしているのだろうか、また施設を巣立ったかつての子どもたちはどんな思い出を抱いているのだろうか等、気になってきたわけです。

思いつきを少し整理してみると、施設の子ども達のQOLを考える際に遊びやおもちゃになぜ着目するか、その理由は以上のようなところにあります。併せて、障害者施設や高齢者施設をカバーすれば、社会福祉学、保育学、幼児教育学などが共同で進められる学際的な研究テーマとして、科学研究費申請も可能ではないかと思ったりします。
 

いよいよ研究開始です!

年も改まりました。昨夜、子どもの添い寝をしていて、つい寝入ってしまい、中途半端な時間に起きたら、眠れず、おもちゃプロジェクト関連でこれまでに収集してきた文献を整理してみました。

1つめのグループは、子どもに特化した玩具論や遊び論で、幼児教育学、社会福祉学、保育学、民俗学、人類学と多岐にわたります。古いものから列挙すると、以下の通りです。

東京市社会教育課編(1925)『玩具の選び方と与へ方』
倉橋惣三(1935)『玩具教育篇』雄山閣
宮本常一(1957→1969)『宮本常一著作集8 日本の子供たち・ほか』未来社
一番ヶ瀬康子ほか(1969)『子どもの生活圏』NHKブックス
松村康平(1970)『保育学講座7 子どものおもちゃと遊びの指導』フレーベル館
森上史朗編(1995)『新 保育と児童文化』学術図書出版社
宮田登(1996)『老人と子供の民俗学』白水社
日本保育学会編(2009)『戦後の子どもの生活と保育』相川書房
亀井伸孝編(2009)『遊びの人類学』昭和堂


2つめのグループは社会学のもので、これらは大人も含めた人間にとっての遊び論ですから、1つめのグループよりも広い視野や視点を提供してくれます。私たちが玩具や遊びを人間の一生涯というスパンで捉えようとする時、学ぶことが多いと考えています。

G.ジンメル=清水幾太郎訳(1917=1979)『社会学の根本問題』岩波文庫
井上俊(1977)『遊びの社会学』世界思想社
藤村正之(1995→2008)「仕事と遊びの社会学」同『<生>の社会学』東京大学出版会


3つめのグループはあえて分類せず、その他としています。

今和次郎(1971)『生活学』ドメス出版
権田保之助(1974-1975)『権田保之助著作集)全4巻)』
仙田満(1984→2009)『こどものあそび環境』鹿島出版会
高橋勝ほか編著(1995)『子どもの<暮らし>の社会史』川島書店
日本子ども社会学会編(1999)『いま、子ども社会に何がおこっているのか』北大路書房
広井良典編著(2000)『「老人と子ども」統合ケア』中央法規出版


以上、手元にあるものをリスト化しましたが、全てに目を通せているわけではありません。ただ、私の興味・関心の広がりや裾野を他のメンバーの皆さんにある程度知っていただければ幸いです。

さしあたり、1つめのグループの文献を読み込むことが第1の作業であると考えています。玩具福祉学会の機関誌をザッと眺めたところ、歴史研究がほとんどないように感じましたので、やはり倉橋惣三の著作から読み込み、整理を始めます。併せて、大正期から昭和初期にかけてのその他の玩具論や遊び論に目配りしながら…と考えています。

他方、 逆に現代的な興味・関心として考えているのは、全国の乳児院や児童養護施設、児童自立支援施設、母子生活支援施設などの入所児童の玩具や遊びの実態調査を行う必要性です。要保護児童の「要保護」にアクセントが置かれ過ぎた結果、ほとんど議論されていないテーマであるように思われます。巡回訪問指導の際に学生たちと話していると、児童養護施設の子どもがニンテンドーDSでかなりの時間遊んでいるとか、時間を一応決めて…など聞き取っています。保育所や幼稚園の場合、玩具や遊びの議論が多々蓄積されていると思うのですが、この辺りは大変気がかりなテーマです。格差社会の影響を最も深刻に受けている入所児童の玩具や遊びは、命の安心・安全性や衣食住の保障に比べると、二の次三の次のテーマとされがちですが、1回限りの子ども時代と考えれば、入所児童にとっても大変重要であることに相違ないと思うのです。
 
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