吉宗介護日記「僕はここにいる」-0
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介護日記として書き残しますが、あくまでもかぁちゃんと殿と間のことです。
これが正解ではありませんし、お勧めするわけでもありません。
一つのやり方としてどこかの誰かの役に立てればと思い書きました。
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【予告】
とうとうこの記事を書く時がやってきました。どんな生活を送っていても分け隔てなく老いはやってきます。もちろん私にもそういった日がやってきますし、すでに目に老化があらわれています。
書き始めるにあたり決めていたことがありました。それは
「終わりを迎えてからにしよう」
と。
だって介護日記の卒業が意味することは・・・。
ね・・・。
だから殿が元気でいる間は書きたくなかったのです。
写真をアップするかどうかとも思います。それ以前に実はあまり多く撮影していないのです。
殿が嫌そうな顔をしていたのです。時々撮りましたがあまり好きではなかったのかもしれません。
かわいい殿を覚えていてほしいので、あまり老いた姿は載せるのもな〜。
ま、深く考えずあくまでも記録として残せることを残していこうと思います。
12
6月27日は殿の12歳の誕生日。
寝たきりとはいえ、元気にお誕生日プレートを平らげる予定だったのにな〜。
もちろんお供えしましたよ。毎年恒例のニンジンの切り抜き数字でね。
直前の24日は四十九日でした。
きちんと3カ月にまたぐことなく四十九日を迎えるあたりも殿らしい。
殿の介護日記というか忘備録というか寝たきりになった時にことを残すために記事を書き始めました。
あの日から今までの間、
「私はどうなるんだろうか?」
と思っていました。しかし意外と冷静だけど辛くて悲しくて淋しくて苦しいです。
お嬢様ではない、あのモフモフを猛烈に抱きしめたい衝動にかられます。
毎日あの日のことを思い返しますが、フワフワのままゆっくりと静かに眠りについた殿しか浮かばない。
「殿が最後まで全く苦しむことなく旅立ったこと」
きっとこれがすべてなんだと思えるようになりました。
確かにこの一年間の介護は試行錯誤で殿にとっては
「ちゃう!そうじゃない!」
ということもあったと思います。
いろいろ私のやることを寛大に受け入れてくれた殿には本当に感謝です。
ありがとうね。
そしてお誕生日おめでとう。
この日に生まれたからかぁちゃんは殿に出会えたんだよ。