芸術は、飾りではない。
         敵に立ち向かうための武器なのだ。

             パブロ・ピカソ

泣き叫ぶ女
死んだ子供
いななく馬
振り向く牝牛
力尽きて倒れる兵士

それは禍々しい力に満ちた絶望の画面



                         ゲルニカ



1936年 スペイン内戦勃発
1937年 4月26日
スペイン北部に位置する古都ゲルニカが空爆を受け
全てが焼き尽くされた


2001年9月11日  ニューヨーク
その日八神遥子は 夫「イーサン」と普段と変わらない朝食を済ませ
仕事先ニューヨーク近代美術館へと向かう
いや 決して「いつもと変わらない」ではない
その日の朝食は
イーサンが選んだ「トルティージャサンド」を食べた
いつだったか
「死ぬ前に食べるとしたら何が食べたい?」なんて会話をしたことがある

「急に食べたくなってね。最後の晩餐ならぬ最後の朝食だな」
これがその朝 イーサンが口にした言葉だった

遥子はMOMA(ニューヨーク近代美術館)でキュレーターとして働き
夫イーサンは世界中に顧客を持つアートコンサルタント

そしてイーサンは
世界中を震撼とさせたあのテロによるニューヨークツインタワーの爆破事件に巻き込まれてしまった…



1937年 パリ

写真家ドラ・マールは 
世界的「想像主」画家 パウロ・ピカソの愛人としてピカソの数々の作品のモデルになっていた
ピカソは
その年開かれるパリ万博の
スペイン館に展示する絵画の作成をフランス政府より申し込まれていた
テーマを決めようとしていたまさに
そんな時だった

「ゲルニカ空爆される」の特大見出しの文字が…
スペイン内戦始まって以来
もっとも悲惨な爆撃


2003年
アメリカはイラクに対して軍事行為に踏み切る方向に話は進んでいた

42年という永きにMOMA美術館で預かっていた「ゲルニカ」

ようやくスペインに変換されたあのゲルニカを 
遥子は再びMOMAに展示し「ピカソの戦争展」を企画する

反戦のシンボル
世界中の人々に戦争の愚かさを伝えるために…


1937年
ピカソはこの年の5月
アトリエの壁を覆い尽くした巨大なカンヴァスに
あの「ゲルニカ」を描き上げた

その製作場面を写真の映像として残したのがドラ・マールだった

その後 ドイツ・フランス・イギリスの戦争が始まり
「ゲルニカ」にも危険が迫ると察したピカソは 
申し出でのあったニューヨーク近代美術館への貸し出しの了承と同時に
「スペインに民主主義を取り戻すその日まで」 そのままMOMAに留めて欲しいと申し出る

2003年
一度返還された「ゲルニカ」は
その貸し出しを頑として受け付けなかった
遥子は必死に働き掛けを続ける

遥子の友人でもある「ルース・ロックフェラー」による
貸し出しの鍵を握る「パルド・イグナシオ」への直談判により
ゲルニカがニューヨークへMOMAへと
動き出される事になった

そしてようやく運び出す準備が整ったその時 遥子は
ゲルニカを奪いこの世界から消し去ろうと企むテロ集団「ETA」により拉致される

そこに「マイチ」と名乗る
テロのリーダー「ウル」の妻に一枚の
古い写真を見せられる
そこに写っているのは
アトリエに立てかけられた一枚の鳩が描かれたピカソの絵画の写真だった

これはマイチが亡き母親から託された写真なのだと…


1944年8月
長く続いた戦争が終結
ナチスドイツ ヒットラーにより占領されていたパリが解放された
ピカソはドラを残し
ピカソの娘を生んだマリーテレーズの元へ


1945年
一人残されたドラはピカソのアトリエに
居た
そこに立ちかけられていた一枚の「鳩」の絵
それこそピカソからドラへの最後の贈り物

「自由になりたいの」

そしてドラはその鳩の絵を
一枚のカラー写真に収めた

ドラのお腹にはピカソの子が宿っていた



2003年6月
遥子はマイチの機転でその命を救われ
マイチは突入した特殊部隊により
その命を終わらせた
遥子にピカソの「鳩」の絵画の写真を託して…


無事にニューヨークに運ばれた「ゲルニカ」は暗幕に覆われて
ある場所の壁に…

平和への願いを



これは
実在のドラ・マールと
時代を遡ったこの時代の八神遥子の
2人の女性によるピカソの絵画「ゲルニカ」を守り抜く姿を描いた壮大な話である
そして感動のラスト

時代を交差させての話の進行と
登場者の横文字の名前に
かなり混乱させられて読み進んだ

ピカソのゲルニカ
それがどれ程の深い意味を持った作品か

凝視する私



う〜ん
ピカソか…

それでも

わからん