オリジナル曲に取り掛かることになった僕ら。

スタジオでせっせとオリジナル曲に向き合います。

オリジナル曲に取り掛かってから、3曲位は比較的すぐにできたような気がします。

それまでコピー曲にせっせと勤しんでいた僕らには、知らない間におかずの引き出しがいくつかできており、オリジナルを作る時にそれらが自然と湧き出てきました。

躓く感じは一切なく、比較的あっさりとオリジナル曲が数曲完成しました。

「月曜日」「愛する人よ」「Oh!!Yeah!!」この三曲がザ・ラヂオカセッツの超初期の楽曲です。

出来上がった三曲を引っ提げて、意気揚々とライブハウスに向かったことを覚えています。


つづく


スタジオに入ったり、皆で集まって遊んだりして結束を深めていった僕達。

この頃からライブハウスでライブをちょこちょこやりだすようになります。

当時のラヂカセの練習場所は新宿でした。そんな理由からか、駆け出しの頃お世話になっていたライブハウスは「新宿JAM」「新宿Marble」といった、新宿のライブハウスでした。(JAMは移転しましたが、移転後のJAMも新宿Mableにもこれからもお世話になる予定です!!結成当初からずっと応援していただいて嬉しい限りです!!ありがとうございます。)

この頃から僕たちは少しずつ「オリジナル曲」をやるようになったような気がします。

当時のライブセットリストは、コピー曲:オリジナル曲=7:3といった割合くらいだったと思います。

段々コピー曲にも慣れてきた僕たちは、
「そろそろオリジナルもやりたいね~!」
「じゃあ早速やってみようよ!!」
といった感じで、オリジナル曲に取り掛かることになります。


つづく

結構なテンションの怒りをすぐにしずめた亮くんでしたが、僕はその気持ちの入れ替わりの速さに少し不自然さを覚えていました。

しかしその不自然さの原因は意外とすぐに明らかになります。

この頃僕らは時間さえ合えば、よく皆で集まってかっこいい音楽を聴いたり、ライブのDVDを見たりしていたのですが、その日も亮君が「めっちゃいいDVDあるから皆で見ようよ~!!」と誘ってきたので、亮君おススメのDVDを皆で鑑賞することになりました。

そのDVDは「サヨナラの名場面」というタイトルの、当時僕たちが心酔していたバンド「highway61」という先輩バンドのドキュメンタリーDVDでした。


皆で見ていると、そのDVDにはあるシーンが多く登場することに、亮君以外のメンバーは気づきます。

そのDVDではメンバーが喧嘩したり、怒ったりするシーンが赤裸々に、度々収められていたのです。

その類のシーンを見ている亮君を横から見ると、毎度、
「うんうん、こういうのってやっぱり何回見てもバンドっぽくていいよな~」と、何やら満足気です。


もともと亮君はとても心の優しいやつなので、そんな亮君がぶちぎれたのを見た僕達は、
「あの亮君が珍しいな~。」と感じていたのですが、一緒にDVDを見ることで亮君があの時いきなりきれた理由が段々とわかってきました。



そうです!皆さんもお気づきのようにきっと亮君は、「バンドマンの情熱(怒りバージョン)」に大いなる憧れを抱いていたのです!!

もともと素直で影響されやすい亮君は、以前からすぐに好きなバンドマンの格好を真似てみたりと、影響を受けやすい性格でした。

その性格が今回、「怒るのってなんか熱くてかっこいい!!」というところに繋がってしまい、そのような結果になったのだと思います。(亮君ってかわいい…)



そんな亮くんも今では音楽から足を洗い、理想の保育園を作るために歩き出したみたいです。
頑張れ亮君!!(いきなりの方向転換感が否めないですが、やりたいことができたら突っ走るところも亮君の魅力であったりします)


といったように(まとまってませんが…)僕たちはこんな日々を重ねながら、少しずつですがバンドをより思い切りできるようにと頑張っていました。


つづく




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