ニュースの流行り物感と、暇つぶし対象感がエグいと思う。

その時消費されるだけの流行り物的な扱いが凄く嫌だ。

良いニュースはそれでいいのかも知れないけど、悪いニュースも総じてそう扱われているのが気持ち悪い。

新しいニュースが出てきたら、それまで日本中の人が躍起になって叩いていた人は一瞬で忘れられ、新しい対象の登場を「待ってました!」とばかりにメディアも報道しまくる。

ニュースはただただ消費されるだけで、当時、「一生許さない!!」くらいのテンションで叩く側に回っていた人が、「人間だからしょうがない!!これから頑張れば良い!!そんなことより今話題のあの人は…」なんて半年、一年後には平気で言っていたりする。


「情報量が多いからしょうがない」「いちいち全部覚えていられない」とか思うのかも知れないけど、だったら必要以上にワーワー騒ぐなと思うし、騒いでいる人に最後までどうなったか気にならないのか?騒ぐくらいなら何かしら少しでも良いことができないか?とか考えないのか?と思う。


これは悲しい系のニュースなんかには特に思うことで、ニュースの当事者や関係者、ご家族のことを考えると、腹が立つ。


きっと、その方々が今でも必死に向き合ってることに対して、当時ワーワー言ってたやつらの大半は、ニ週間後には「あー、そんなこともあったね!可哀想だったよね!あれ、そもそもそんなことあったっけ?こんな感じじゃなかった?」「いや、それは〇〇の時の事件でしょ〜〜!!笑」「あーそうだった!!笑笑」ってな感じだろう。


もうすぐ今年も終わるが、特に「令和初の!!」とか、「平成最後の!!」とか騒いでたやつに限って、今年起こったニュース五個も覚えて無いような気がする。

毎日が令和最後であると同時に人生初の日だ。

ニュースだって、そもそもその全てがニュースになるくらい大きな出来事だ。

その時消費して暇つぶしに使うか、自分や自分以外の人の為に向き合えるかはその人次第だと思うし、後者でありたい。

「死ぬまで遊びたい」のレコーディングには思い出がたくさんあって、まず一つ目に話したいのは「岡山健二」との出会いです。

健二はつよしさんと同郷で、つよしさんの後輩にあたるドラマーでした。

当時健二はつよしさんを頼って、東京に出てきたばかりの頃で、毎日つよしさんが働いていたスタジオで練習していました。


その日も健二はそのスタジオで練習していて、つよしさんは僕達に同い年のドラマーという形で健二を紹介してくれました。


健二は当時金髪のパンクスで、あまり社交的な方ではなかったんだと思います。

僕も初めての人は苦手な方だったので、
『同い年の金髪のドラマーかー。』と思ったくらいで、特にこれと言って話をしたりはしませんでした。


りょうくんとヒデはすぐに健二はと仲良くなり、その後遊んだりしていましたが、僕にとっては金髪の同い年のドラマーでした。(同じポジションだから少し意識していたところがあったのかもしれません)



つづく

HIGHWAI61のベンさんに、プロデュースという形でレコーディングのいろはを教えてもらうことになりました。

ベンさんは僕たちのお願いを快諾してくれて、レコーディングの話はとてもスムーズに進みました。

レコーディングは高円寺のスタジオで行うことになり、レコーディングエンジニアもベンさんが手配してくれました。

この時レコーディングエンジニアとして来てくれたのが、僕の大好きなつよしさんでした。

つよしさんは最高のバンドマンでありながらレコーディングも出来ちゃうというハイパーな男です。


つよしさんとベンさんという心強い先輩の下で、「死ぬまで遊びたい」のレコーディングは始まりました。


つづく




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