2015年11月で止まっていた個人的なラジオ歴を振り返る自問自答インタビューの続きをまとめてみました。まず最初に過去の2回を読んでみてください。

(1)ラジオとの出会い編~東京RADIO CLUBで知ったラジオの醍醐味~
(2)中学時代編~深夜ラジオは一期一会だった~

■夏の日の1993はラジオ漬け
――深夜ラジオというと、受験勉強のお供というイメージがありますが、村上さんの場合はどうだったんですか?

村上 中3になって部活を引退した後の夏休みはまさにそんな感じでしたね。もう完全に生活が夜型になって。毎日22時から29時までラジオを聴きっぱなしで、イコールその時間が勉強時間でした。毎朝、オールナイトニッポン(ANN)の2部が終わったらコンビニに行くという生活でした。1993年の夏ですね。

※オールナイトニッポンから生まれたこの曲はこの年の5月発売。まだ探せば家にあるはず。

――ちなみにその時に聴いていたラインナップは?

村上 基本的に平日の22~24時は『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(TBSラジオ)、24~25時は『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)ですね。で、25時からは・・・・・・

<月>
25時:『バカルディ(現・さまぁ~ず)&ちはるのパックインミュージック21』(TBSラジオ)
27時:『石川よしひろのANN』(ニッポン放送)

<火>
25時:『立川俊之(大事マンブラザーズバンド)のパックインミュージック21』(TBSラジオ)
27時:『清水宏のANN』(ニッポン放送)

<水>
25時:『辻仁成のパックインミュージック21』(TBSラジオ)or『裕木奈江のANN』(ニッポン放送)
27時:『松村邦洋のANN』(ニッポン放送)

<木>
25時:『福山雅治のANN』(ニッポン放送)
27時:『久保こーじのANN』(ニッポン放送)

<金>
25時:『ウッチャンナンチャンのANN』(ニッポン放送)
27時:『橘いずみのANN』(ニッポン放送)

<土>
23時半:『浅草キッドの奇跡を呼ぶラジオ』(ニッポン放送)
25時:『松任谷由実のANN』(ニッポン放送)
27時:『2・3’sのANN』(ニッポン放送)

<日>
24時半:『全日本プロレス中継』(日本テレビ)

村上 朝5時からは『早起き一番!山本元気がんばりま~す!!』(ニッポン放送)をちょっと聴きながらラジオを消す、みたいな感じですね。

――あの・・・・・・。この『全日本プロレス中継』というのは?(失笑)

村上 テレビのプロレス中継をラジオで聴いてたんです。音声だけで。自分の部屋にテレビなんてなかったので。

――音声だけで聴いて面白いものなんですか?

村上 実況があるので、何とかなるものなんです。受け身を取る音や歓声を聞きながら、内容を想像して、翌日、ビデオに録画したものを改めて見てましたね。なんでこんなことをやっていたかというと、そもそも日曜日の深夜に聴く番組がなかったんです。実際、何かしらのラジオを聴いてたかどうか覚えてないんですが、「日曜日の深夜は寂しい」という漠然としたイメージが今でも残ってますね。まあ、そのぶん、日曜日だけちゃんと受験勉強できていたのかもしれませんけど。

――それにしても、ラジオ好きの受験生らしい夏休みを過ごしてたんですね。

村上 登校日や学校のプール授業とかもあったと思うんですけど、塾には行ってないし、友達と遊ぶことも少なかったので、本当にこの夏はラジオ漬けで終わりました。ある意味、僕のラジオ好きの原点みたいな感覚です。当時の部屋って2畳ぐらいの狭いスペースで、冷房もなかったですから、朝5時過ぎに寝て、昼に汗だくで起きるっていう生活でした。

■別れはいつも突然に
――夏休み後もずっとラジオは聴いてたんですか?

村上 さすがにANN2部を毎日聴くというのは難しかったですけど、夜に仮眠を取って、頑張ってチェックしてましたね。この夏で、僕はすっかり橘いずみさんのファンになりまして、ドップリと浸かって、その曲たちが高校生活を含めて学生時代を彩ることになっていくんですが、ANNが10月で終わったことに気づかなくて愕然とした記憶があるんです。ということは、1ヵ月ぐらい聴かなかったんじゃないかと。

――ツイッターもHPもなく、ラジオ友達もいなかったら、別れは突然に来るんでしょうねぇ。

村上 代わって始まった柿島伸次さんのANNは初期から聴いていたんで、「聴けたら聴く」ぐらいだったんじゃないでしょうかね。同時に始まった篠原美也子さんのANNにはムチャクチャ影響を受けましたし。今思うと、ちゃんとチェックして、録音しておけばよかったって思うんですけど、当時はあんまりそういう感覚はなかったんですよね。前にも言ったように「ラジオは流れ去るもの」みたいな気持ちだったんだと思います。

※柿島さんの1stアルバム。3rdアルバムには実際にラジオが歌詞に絡んでいて、ANNの最終回に歌った『君がいるから』という曲があります。今は超!A&G+の『ライブドック!』系に出演中。ガゼラブミラビって知ってる!?

――その後、受験勉強が本格的になっていったと思うんですが、そこでもラジオを聴いてて?

村上 ドンドン傾倒していきました。前もお話しした通り、学校のでのキャラが相当きつくなってたんです。3年間ずっと学級委員だったんですけど、「学校での自分」と「本当の自分」の乖離、みたいなことをよく考えてました。そもそも僕は好きな子にモテたいから頑張ってたんですけど、別の子を好きになってたし、その子ともクラス替え以降は疎遠になってて、「行事や学校生活を頑張る必要なんてなくね?」なんて思ってて。でも、先生やクラスメイトはそんなこと知りませんから、今まで通りのことを求められるし・・・・・・。この頃、太宰治の『人間失格』を読んで、「これは俺のことだ!」と感じたのを覚えてますよ。

――中2病というか、ラジオリスナーにありがちな感覚というか・・・・・・。かなり痛いですけどね(笑)。

村上 自意識過剰だったんでしょう(苦笑)。そういう時にラジオの存在って大きくて、この頃はまったく誰ともラジオの話はしてないんですよ。完全に僕の世界だったので、凄く居心地がよかったんですよね。ちょうどアーティストのパーソナリティが多かったので、僕の好きな音楽って全部ここで形成されましたもん。あと、辻仁成さんは小説家として活動し始めた頃なので、その作品にも影響を受けました。当時の深夜ラジオの雰囲気っていうのもありますけど、面白いお笑い的な要素だけじゃなくて、真面目な部分もラジオにはあったし、その両方を深夜ラジオに求めてました。だから、何とか受験を乗り越えられたんだと思います。ずっと「高校に入ったら、好きなことしかやらねえぞ」って思ってました。

※これが辻さんの処女作。初期の辻さんの著書はラジオリスナーにオススメです。中期からは違う楽しみ方になってしまいますが・・・・・・。インタビューした時はちょっと嬉しかったです。

■主流にもオタクにもなれなかったあの日
――ちなみに、当時の村上さんは将来の夢とかあったんですか?

村上 リアリティある夢を持つほど真っ直ぐな人間ではなかったですけど、中学校時代の卒業文集を引っ張り出してみると・・・・・・「ラジオ番組を作る」「全日本プロレスに就職する(レスラーにはならない)」「本屋を開く」なんて書いてましたね。

――今の村上さんはプロレス記者兼ラジオムック本の編集長ですから、ある意味、夢が叶ってるじゃないですか!

村上 そんなリアルに考えてなかったと思います。文集の最後に橘いずみさんの『サルの歌』の歌詞を書いてましたから、結構病んでたんだろうなあとしみじみしますね。


※『サルの歌』が収録されているこのCDは、人生で一番聴いたアルバムなんじゃないかと思います。曲のイメージとは裏腹にラジオはハイテンションで、シモネタもOKでした。鈴木おさむさんが構成をやってたんですよねぇ。

――じゃあ、結構複雑な気持ちで中学卒業を迎えたんですか。

村上 そうですね。運動部やクラスで中心だった人間にはついていけなくなりました。ちょうど色気づいて、不良っぽくなる頃じゃないですか。ラジオ好きなら、そういうのを嫌悪する気持ちはわかってもらえるんじゃないかと思います。かと言って、オタクにも戻れなくて。小学生の頃まではアニメ好きで、アニメージュやニュータイプを読むぐらいのオタクでしたし、中学時代にテーブルトークRPGをやったりもしてたんですよ。そういう系統の友人と卒業後にちょっと遊んでみたんですけど、まったくついていけなかったですね。みんな『ああっ女神さまっ』の「三女神で誰がいいか?」なんて熱心に話してて、ドン引きしましたから(苦笑)。

――そんな村上さんが今や『声優Premium』なんて本を作って、井上喜久子さんと久川綾さんを取材しているなんて、不思議な話ですね(笑)。

村上 だからもう、友達なんていなくてもいいから、好き勝手にやってやろうと思ってました。当時好きだったものは「プロレス」と「ラジオ」でしたから、それを中心にしていこうと考えてたんです。

※高校編に続く