今回は「とあるアーティストが『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)を担当したのをキッカケに、20年の時を経て、スポーツエッセイ本を発売した」というお話です。そして、「その番組をキッカケにライターになった僕」のお話でもあります。結構長文ですが、あしからず。

 11月25日に花伝社から『スポーツに恋して 感傷的ウォッチャーの雑食観戦記』という本が発売されました。著者は篠原美也子さん。1993年10月~95年10月まで『オールナイトニッポン』の水曜日2部を担当していたアーティストです(ちなみに当時の1部は松村邦洋さん)。僕はこの番組のヘビーリスナーでした。


篠原美也子とは?

 篠原さんは1966年生まれ。93年4月にシングル『ひとり』でデビューしました。当初は「平成の中島みゆき」なんて言われていて、FMなどのラジオ番組でもたびたび曲を聴いた記憶があります。代表曲は2ndシングルの『誰のようでもなく』。メジャーレーベルでアルバム6枚、シングル9枚、マキシシングル1枚を発表。2000年にインディーズに舞台を移し、現在までにアルバム14枚を発表しています。

(参照:オフィシャルサイト

 正直な話、オリコンチャートのトップ10にバンバン入るようなアーティストではありません。タイアップがついたのも数えるほどで、「知る人ぞ知るアーティスト」というタイプ。番組が始まった時点で27歳とやや遅咲きだったため、受験勉強にいそしむ深夜ラジオリスナーからは「姉御」と呼ばれていました。

 声優・アニメ好きの読者に説明するならば、構成作家・脚本家としても知られる三重野瞳さんに楽曲を提供したり、アニソン系アーティストの奥井亜紀さんとユニットを組んだりしたことがあります。

 オールナイトニッポン以外ではNACK5で『WEEK END/W NO NAME』という番組を担当していました。この番組は僕が唯一投稿したことのある番組であり、同時に僕の投稿が唯一読まれた番組でもあります。その他、bayfmの『Dr.Pepper STREET BREEZE』や東北放送の『篠原美也子のありえない日々』(2003年~2009年)などのパーソナリティを務めており、ラジオの好きの中には彼女の番組を聴いたことがある人が一定数いるんじゃないかと思います。

『篠原美也子のオールナイトニッポン』とは?

 そんな『篠原美也子のオールナイトニッポン』に僕が出会ったのは中3の時でした。番組を最初からチェックしていたわけではなく、開始1ヵ月を過ぎた後にその存在に気づき、それからほぼ毎週聴くようになりました。高校入試に向けた受験勉強終盤のお供となり、さらに先の進路を決める高校2年の秋まで共に過ごした思い入れの強い番組です。

 番組自体はいわゆる女性アーティストの番組なんですが、構成作家が椎名基樹さん(『電気グルーヴのANN』や『西川貴教のANN』を担当。『バカはサイレンで泣く』の共著者であることも有名)で、ネタ色もしっかりある番組でした。「モテない・金ない・受からない」が標語のようになっていましたが、『篠原美也子文庫』というパーソナリティとリスナーが原稿用紙1枚ずつ文章を書いて全5週で短編小説を作るコーナー(今のハガキ職人だったらどんなリアクションをするんだろうなあ)や、篠原さんが好きな曲や読んだ本を紹介するゾーンがあって、理想的なバランスの番組だったなと思います。

 この番組と僕との縁は『お笑いラジオの時間』と『続 お笑いラジオの時間』に寄稿したコラム内で触れています。ぜひそちらを読んでいただきたいんですが、簡単に説明すると、「4歳年上の兄に勧めたら、知らぬ間に番組のハガキ職人になっていた」、「当時、好きだった高校の先輩も聴いていた」なんて関連がありました。ある意味、僕の学生時代の思い出とリンクした存在です。


ニッポン放送に積まれていたスポーツ新聞

 随分と長く説明してしまいました、ここからが本題。なぜ今回発売となった『スポーツに恋して』が「ANNがキッカケ」なのか。それは前書きで触れられています。

 現在の『ANN0』と同じく放送開始は深夜3時。23時頃にニッポン放送(有楽町にあった旧社屋)に入り、ハガキを選んだり、打ち合わせしたりする流れは現在の番組とほとんど同じですが、そこで篠原さんの“スポーツ雑食”ぶりが始まったそうなんです。

「古いビルの5階だったか6階だったか、隣り合ったふたつのスタジオと局スタッフのデスクが並んだフロアは(中略)放送局らしい混沌でいつもとっちらかっていて、番組が始まるまで時間が余ると、私はそこでよく、キャビネットの上とかに無造作に積まれていたスポーツ新聞を読んで過ごした。(中略)一面トップから任意引退や登録抹消のベタ記事まで、眉唾ものの感動物語やら怪しげな暴露記事もろとも、とにかく隅から隅まで読むのが好きだった」
(『スポーツに恋して』まえがきより)


 もともと篠原さんはスポーツを見るのが好きだったとはいえ、ANNの存在が20年という時間を経て、スポーツエッセイ本に繋がるというのは、深夜ラジオリスナーとしては嬉しいお話です。

 で、なぜ僕がこんなに熱くなっているのかというと、この番組こそ僕自身がライターを志したキッカケだからなんです。


沢木耕太郎の『敗れざる者たち』を読んだ瞬間に……

 上記したように、番組内でよく篠原さんは好きな音楽や本の話をされていました。僕がSIONの曲を聴くようになったのは、篠原さんが番組でよく曲をかけていた影響ですし(&福山雅治さんの影響)、吉田拓郎の『外は白い雪の夜』をカラオケでたまに歌いたくなるのもこの番組で聴いたからです。本も番組がキッカケで読んでみて、大好きになった作品がいくつもあります。その中のひとつに沢木耕太郎の『敗れざる者たち』という作品があります。

敗れざる者たち (文春文庫)
敗れざる者たち (文春文庫) [文庫]
 「野球、ボクシング、マラソン、競馬を扱ったスポーツノンフィクションの中編集」と説明するのは簡単なんですが、この作品を読んだ時にまさに心が震えました。スポーツ物ってどうしても栄光への軌跡や脇役の裏人生、なんてテーマが多いんですけど、この『敗れざる者たち』は違うんです。単純な「敗者の美学」とも違う。シビアな現実の前でもがく生々しい姿が切り取られていて、本当に学生だった自分の心に響きました。

 沢木さんの作品に共通する点なんですが、「何かを得るということは何か失うことでもある」、「人間として大事な何かを持っているからこそこの人は勝てなかった」、「人生が次のステップに進んだ時には立場が逆転する可能性がある」という相対的な視点が感じられるんですよね。これって実は、僕の基本的なものの考え方・見方に繋がっているんです。

 しかも、沢木さんがそれぞれの登場人物たちに共感し、まるで併走しているような文章(私的ノンフィクションなんて言われています)はとてもエネルギッシュで、読んだ後に眠れなくなるほどインパクトがありました。すぐに他の作品も一気読み。猿岩石のヒッチハイク旅行の元になったことでも知られる『深夜特急』や、ボクシング物の傑作『一瞬の夏』などを夢中で読んだのを覚えています。

 この『敗れざる者たち』に出会った頃、僕は自分の進路に悩んでいました。通っていた高校は公立の進学校で、大学や専門学校に進む人が95%以上。でも、やりたいことなんてないし、キャンパスライフは想像するだけで気持ち悪かったし、どうしていいかわからなくなっていました。そう、深夜ラジオリスナーにありがちな尖った自意識過剰の高校生だったんです。

 当時の僕の立場は放送委員会委員長&文芸部部長。「ラジオ好き」で「本好き」だからこその立ち位置なんですが、それを仕事にするという発想はまったくありませんでした。

 放送委員会では学校行事の音響全般を取り仕切っていて、軽音楽同好会のライブではミキサーなんかもいじっていたんですが、そのまま音響系に進むという選択肢にリアリティはありませんでした。ラジオのパーソナリティ、スタッフ、構成作家になれるなんて思っていなかったし、小説家を夢見るほど真っ直ぐな気持ちもなく、宙ぶらりんでした。

 周りと同じようにとにかく大学に進むしかないか……。そんなことを考えていた時、好きだった先輩(『続 お笑いラジオの時間』参照)が夢だった音楽系の道に進むことを知り、僕は「じゃあ、自分が本当にやりたいことって何なんだろう?」と考え込んでいたんです。

 まさに、その時に『敗れざる者たち』と出会い、「ああ、こういう本が書きたい!」と心から思いました。それが僕のライター・編集者になりたいと思ったスタート地点なんです。


大学生活をドロップアウト 運良くプロレス記者に

 その後、僕は通信制の大学に籍を置いたものの、ほとんど勉強はせずに(後に退学)、後楽園ホールのアルバイトをすることになります。『敗れざる者たち』の舞台のひとつでもある格闘技の聖地で、浴びるようにプロレスやボクシング、キックボクシング、総合格闘技の試合を見続けました。関わった興行は年間で300興行以上。ボクシングでは試合で使うグローブの管理や、リング作りのチーフまでやっていました。実はこの時期、『Number ノンフィクション大賞』に1度だけ送ったこともあります。

 6年間続けたこのバイトで生まれた繋がりから、プロレス団体のオフィシャル携帯サイトの記者となり、プロレス専門誌の記者を経て、『ラジオの時間』関連の本を作るようになります。言わば『篠原美也子のANN』があったから僕はライター・編集者となり、『声優ラジオの時間』や『お笑いラジオの時間』が生まれたんです。そもそも僕がラジオに関連する本を作りたいと思った一歩目は「90年代のANN2部の人を取材したいなあ」と考えたところなんですよ。

 現実はそう甘くなく、『敗れざる者たち』のような本を書きたいという当初の目標はまったく達成できてないですし、スポーツノンフィクションにまとめるようなアイディアもまったくないんですが、それでもプロレス・格闘技の興行にこの10年間で平均1年100大会以上も取材し、記事を書くようになれました。形は違えど、スポーツライターと胸をちょっとだけ張って言える立場になれたと自分では思っています。

 そんな時に、篠原さんが『スポーツに恋して』を出版したので余計に感慨深くなったんですよね。篠原さんはインディーズに場を移してアーティスト活動を続けながらも、結婚し、母親となり、様々な経験を経て、今回本を出すことになりました。パーソナリティだった篠原さんと、ただのリスナーだった僕が、20年という長い時間を経て、どちらも“スポーツライター”になったわけなんです。

 自分でもちょっと嬉しかったのは、この『スポーツに恋して』を読んだ時に、長年応援してきたファンという立場で楽しむだけじゃなく、「ここをこう変える手もあるな」とか、「この価格でこの判型なら部数は○○ぐらいだろうなあ」とか、「宣伝展開をどうするか、そこが問題だ」とか、ちゃんと編集者目線で冷静に本を見ることができたことなんです。そういう成長を噛みしめる瞬間なんて滅多にないことなんで、「一応プロらしくなってきているじゃん」と恥ずかしながら思ってしまいました。

今の10代のリスナーにも同じような経験を……

 でも、本の中身をレビューすることはしません。思い入れが邪魔して客観的に内容を評価することはできないですから。ただ、もしこの文章を読んでいる人の中に、篠原さんのラジオ番組を聴いていた方がいるなら、ぜひ今の篠原さんの思いに触れてもらいたいなと思います。

 ご本人とはSNS上でやりとりをしたり、本を献本したことはありますが、直接お話したことはありません。ライブ終演後に近くにいても、そこは深夜ラジオリスナーですから、気づかぬフリをしてサッと去っていくようにしています(笑)。

 でも、今後も『ラジオの時間』シリーズを作り続けていけば、いつかは『アーティストラジオの時間』や『90年代深夜ラジオの時間』を手掛けるタイミングがくるでしょう。その時は改めて取材のオファーをしたいと思います。他のインタビューとの兼ね合いとか、本全体のバランスなんかでスタッフに突っ込まれても、編集長権限で押し通すのみ! なんなら謝礼も上乗せするぐらいの勢いで!(笑)。

 ここまで長々と書いたことは、実は結構こじつけみたいなところもあって、あくまでも僕の個人的な、他愛もないお話です。時系列をちゃんと調べ直したわけじゃないので、自分の脳内で都合よく物語が作られてしまっている可能性もあります。

 でも、ほとんどの人たちが眠っている夜中の3時に、たまたまラジオを付けたことで生まれた縁が、ここまでずっと繋がっているのはとても嬉しいです。ラジオを聴いててよかったなって改めて思いました。今の10代のリスナーにもこんな経験をしてほしい……なんて言葉で締めようとするのは、かなりオッサン臭いですけどね(笑)。