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リスナーインタビュー企画【41】Oさん(男性/20代前半/構成作家)の場合

「中学2年の時、『ゆずのオールナイトニッポンGOLD』に
送ったネタでゆずのお二人がメチャクチャ笑ってくれて……。
それまでも読まれた経験はあったんですけど、
その数百倍の嬉しさ、喜びを感じたんです。その時に
『僕もラジオを作る側になりたい』と心から思ったんですよ」

東京都在住
リスナー歴8年

■私のラジオ歴
野球中継の続きを知りたくてラジオに触れる

 小学生の頃からずっと野球をやってまして、テレビで中継をよく見てたんですけど、生まれ育った北海道ではだいたい21時で終わってしまうんです。その続きを知るために、中継を聴き始めたのがラジオに触れた最初のキッカケですね。いろんなラジオ局があって、いろんな番組があることを知りました。小学校6年生ぐらいのことです。

 野球中継が終わったら、ラジオを消して寝る……という流れだったんですけど、中学に入ったら夜更かしするようになり、23時、24時と寝る時間が遅くなるにつれ、自然と他のラジオを聴いていたというか。野球中継が終わってもラジオを付けっぱなしにしていたら、たまたまそのあとにやっていた番組が『ゆずのオールナイトニッポンGOLD』で。もともと僕はゆずが好きだったので、そこからハマっていった感じですね。

 それまではゆずの歌にしか触れてこなかったんですけど、23時を回るとちょっとエッチなコーナーが始まって。まだ中学生だったので、それを聴いて悶々としてました(笑)。「ゆずがこんなコーナーをやるのか!」という驚きもあって。それがハマった理由の1つだと思います。

 そこから聴く番組も広がりました。当時、ゆずの他に『ANNG』を担当されていたのは大竹しのぶさん、広瀬香美さん、坂崎幸之助さんと吉田拓郎さんで、そのあたりも聴いてましたし、北海道でやっている『アタックヤング』(STVラジオ)も好きになりましたね。

 ラジオを聴き始めてから早い段階で投稿もするようになりました。プロ野球の情報番組があったので、その日の試合の感想を送ってみたんです。それですぐに読まれて。そこから徐々にネタ番組にも投稿するようになりましたね。スイッチを入れて送るようになったのは中学1~2年の時。『ゆずのANNG』や『アタックヤング』、あとは札幌吉本に所属しているしろっぷというコンビがやっていた『しろっぷのいい加減にしろっぷ!』(STVラジオ、現在の番組名)の3番組に毎週20~30通ずつぐらい送ってました。段々と読まれるようになると、「じゃあ、今週も読まれたい。じゃあ、来週も読まれたい」と投稿を継続していきたい気持ちが強くなって、いつしか送るのが自然になってました。

中学2年生で構成作家を志す

 中学では野球部でキャプテンをやっていたので、教室の隅っこにいるという感じではなかったです。クラスを盛り上げるようなムードメーカーかと言われたらそんなことないんですが、自分で言うのもなんですけど、それなりに友達はいたほうだと思いますし、特に根暗ではありませんでした。学校生活も充実してましたし。

 えっ、このリスナーインタビューでは陰キャラの方が多いんですか? 確かに最初の頃はラジオをどんな人が聴いているのか意識したことがなかったんですけど、何年か聴いているうちに「自分とは違うタイプの人が多いんだな」と気づいて、振り返った時に「僕は珍しいのかな?」とは感じました。

 構成作家を志したのは中学2年の時です。『ゆずのANNG』に中学1年ぐらいからネタを送るようになって、そこで読まれたり、読まれなかったりを繰り返してたんですけど、中学2年の時に送った1つのネタでゆずのお二人がメチャメチャ笑ってくれて……。それまでも何通か読まれた経験はあったんですけど、その数百倍の嬉しさというか、喜びを感じたんです。その時に「僕もラジオを作る側になりたい」と心から思ったんですよ。不思議なんですけど、パーソナリティになりたいとは考えなかったです。最初から構成作家や裏方になりたいと思いました。

ヒジの怪我で野球部を退部 ラジオ漬けの生活に

 高校でも野球部に入ったんですが、ヒジを怪我してしまったんです。あと、先輩との関係がうまくいかなかったのもあり、「しんどい環境に身を置き続けるとこの先、高校生活が楽しめないなあ」と思うようになって。無理してしんどい思いをしなくてもいいやと考えるようになって、入学して3~4ヵ月ぐらいで辞めちゃったんですね。

 そこからはラジオ中心の生活になりました。22時の『ANNG』から始まり、24時から『アタックヤング』、25時から『ANN』を聴くような生活をしてましたね。曜日によっては『JUNK』を聴いたり、『レコメン!』を聴いたり、満遍なく幅広く聴いてました。芸人さんの番組がやっぱり多かったですけど。

 高校時代に日高晤郎さんの日高塾(※注 日高氏が後進を育てるために開いた私塾)にも行ったことがあるんです。「投稿するだけじゃなく、もっとラジオのことを知りたい!」という欲が出てきて、その時にたまたま『日高晤郎ショー』(STVラジオ)のHPを見たら、ラジオのことについて晤郎さんが教えてくれるという文言を見つけたんです。それで、母親に「行っていい?」と相談して応募しました。

 その数日後にプロデューサーの方から連絡があって、面接をすることになり、合格して通うことになりました。途中で部活が忙しくなって参加できなくなってしまったんですが、どんな内容だったかと言うと……1つの物語を晤郎さんが用意してくれて、それを何回かに分けてみんなで読んでいくんです。表情を作ったり、発声や声の強弱を考えたり。そういうことを晤郎さんに教えていただきました。日高塾も一期、二期……と続いていて、その時によって晤郎さんが教えることは変わっていたみたいなんですけど、僕が行っていた時はそんな感じでしたね。参加しているのはパーソナリティ志望の30代の方や学校の教頭先生、僕と同い年の女の子もいて幅広かったです。

高校時代に2つのローカル番組にリスナーとして出演

 ラジオに直接関わる機会をいただいたのも高校生の頃です。しろっぷさんの番組にずっと投稿してたんですけど、ある時、番組に出演することになったんです。年末に「リスナーの夢を叶える」という企画があって、僕は「一緒に漫才をしたい」というメールを送ったんです。そうしたら、その願いが叶って、番組に出演して漫才をすることになったんですよ。「こんなチャンスがあるのに、踏み出さなくていいのか」って感じたんで、引っ込み思案になるような部分はまったくなく、思い切って出演しました。その時、ディレクターさんやプロデューサーさんと話す機会があったんですけど、「投稿を送りすぎだよ。ネタを絞って送ったほうがいいよ」ってアドバイスを受けました。毎週50通ぐらい送っていたので(笑)。

 高校時代にもう1回、ラジオに出演させてもらったことがあります。構成作家の白川安彦さん(元ノンキーズ)は北海道出身の方で、『白川安彦のハッピー・GO・ラッキー』(STVラジオ)を担当されているんですけど、ずっと好きで聴いてたんです。そこで、「僕も作家になりたいので勉強させてください。お金は一切いらないので、働かせてください」という手紙を送ってみました。コーナーの企画案と一緒に。そうしたら、「何もすることがないから雇うことはできないけど、番組に遊びに来なよ」と連絡をいただいて。

 僕は番組を見学するだけだと思って当日に行ったら、スタジオに通されて……。さすがにビビりましたね。そのまま番組が始まり、30分間まるまるゲストが誰だかわからない高校生の僕で番組が進むっていう(笑)。その時のブースが偶然にも普段、松山千春さんが使っている場所で、「そこは松山さんが座っている席なんだよ」と教えてもらったんです。松山さんは北海道のスターなんで、背筋が伸びるというか、凄く緊張したのを覚えています。

 電話でラジオ出演したこともありました。『(オールナイトニッポンサタデースペシャル)大倉くんと高橋くん』の初回でのことなんですけど、番組では「やっちまったこと」をリスナーから募集しているじゃないですか。放送の1週間ぐらい前に、買ったばかりのギターを倒して、真っ二つに折ってしまったんです(苦笑)。「これはやっちまったことだな」と思ったんで、それを送ったら、スタッフさんから連絡があって、生放送に電話を繋いでもらったんですよ。こういう機会が何度もあるのか、自分でもなぜかよくわからないですけど、運だけはいいなあと思ってます。

同級生とWEBラジオを立ち上げ、台本執筆に挑戦

 中学時代にT君とR君という同級生がいて、毎日のように遊んでいたんです。R君はニュージーランドと日本のハーフでした。僕がラジオを勧めていたら、2人も聴いてくれるようになって、ラジオの面白さをわかってくれたんですよ。それで、高校生になった頃に「自分たちでラジオをやりたいよね」って話になり、WEBラジオをやろうってことになったんですね。ただ、いざ始めようとなった時、R君がニュージーランドに引っ越してしまうんですよ。「このタイミングで引っ越すか!?」って思ったんですけど、せっかくなら日本とニュージーランド間でラジオをやってしまおうって話になりまして。日本とニュージーランドの距離はおよそ1万キロ離れているので、『1万kmラジオ』という番組を立ち上げました。

 トークをするのはT君とR君の2人で、僕は構成作家としてコーナーを考えたり、台本を書いたりしました。この時もやっぱり裏方でしたね。喋りたいという欲もあんまりなかったです。台本を書くと言っても参考になるものは何もなかったので、なんなら最初はiPhoneのメモに台詞を書いていて。それから徐々に「こうしたら読みやすいかな?」「こうしたほうがいいかな?」って自分の中で工夫していきました。業界に入ってからちゃんと台本の書き方は学びましたが、当時の経験は今も活きていると思います。

 ラジオの台本だけじゃなく、コントも書いていました。ニュージーランドに引っ越した例のR君がお笑い好きで、中学時代からお笑いの話もよくしてたんです。でも、引っ越してしまったと。U君という面白いヤツが友達にいたので、「2人でコントをやって、その動画をニュージーランドのRに送ろう」ってことになったんですよ。それでコントを書くようになって、動画をYouTubeに載せたり、ハイスクールマンザイに出たりしてました。

 コントは自分が演じる演じないとは別に、以前から個人的にノートに書いていたんです。サンドイッチマンさんが北海道のローカル番組(『熱烈!ホットサンド!』)を担当されてて、視聴者からのコントの募集をしていたんですけど、それに投稿したら採用していただいて、「いいね」って言っていただき、自分の励みになりました。凄く思い出に残っています。

 高校生の時点で、ハガキ職人として全国区とは言えなかったですが、北海道のローカル番組では名の知れた存在になっていたと思います。『ANN』などでもたまに読まれたりしてました。当時好きだった番組は、自分が作家を志すキッカケになった『ゆずのANNG』。毎週聴いてましたし、最終回の時は泣きましたよ。もう1つはザ・ビエル座がやっていた月曜日の『アタックヤング』。本当にふざけた番組だったんです(笑)。最初から最後までネタコーナーみたいなノリで、北海道のハガキ職人が集まっているような雰囲気でした。

高校卒業後、吉本の養成所へ

 高校3年で進路を考えた時、大学、専門学校、構成作家という選択肢が自分の中にはあって。もちろん親や祖父母には「大学に行ったほうがいいんじゃない?」って言われたんですけど、中学生の頃から作家……特にラジオの作家になりたいという志をずっと持っていたので、「すぐ業界に入りたい」という気持ちが強かったんです。大学4年間すら無駄に思えてしまって……。自分の道は見えているのに、4年間で他のことを学ぶ必要はないんじゃないかと考えまして、上京して吉本の養成所の作家コースに入りました。工業高校にいたのもあって、担任の先生に伝えた時は頭の上に「?」があるような状態で、「なに言ってんだ?」って感じでしたね。先生もよくわからぬままOKを出したんじゃないかと思います(笑)。

 卒業が迫った1月頃、他の同級生はまだ受験勉強をしていたんですけど、僕は進路も決めてましたし、学校も休みに入ってて暇だったんですよ。それで何となく高校時代の思い出を振り返っていたら、「あれをやり残したなあ、これをやっておけばよかったなあ」ってことがたくさん浮かんできたんです。

 その時は18歳で、20歳まであと2年しかない。これから2年の間にもやり残した出来事は出てきて、20歳になった頃にも後悔が残るんだろうなと考えたんです。それで、「20歳までにやっておくべきことはなんだろう?」という疑問が浮かんできて。いろんな大人にその質問を聞いて、調査してみようと思ったんですね。

 近所にいる顔見知りの大人に聞いたり、銭湯に行ってサウナの中でオジサンに話しかけたり。そうやって話を聞いていく過程で、尊敬していて「こんな大人になりたい」と憧れている方に聞いてみようと、小山薫堂さんの『FUTURESCAPE』(FMヨコハマ)に「20歳までにやっておきたかったことはなんですか?」というメールを送ったんです。

 そうしたら、「この調査面白いから、番組で協力するよ」と言ってくださって。後日、ディレクターさんから電話があり、「ラジオ局に来れますか?」と。まだ3月で北海道にいたので、「来月、上京するので、1ヵ月待っていただけますか?」とお伝えして、翌月に放送に出演させていただいたんです。それで、アンケート結果を薫堂さんに報告させてもらいました。

 目の前に憧れの方がいる状況だったので、本当に頭が真っ白になりました。当時はまだ上京したばかりなので、東京に友達はいないし、1人で寂しく過ごしてたんですけど、出演が終わったあとに、番組で槇原敬之さんの『遠く遠く』を流していたんですよね。それを聴いた時、1ヵ月間の不安や寂しさが一気にこみ上げてきて、ブースの外で泣いてしまいました。

 養成所では同期の芸人さんを使ってイベントを作ったり、先輩芸人さんと一緒にネタを作ったり、吉本所属のアーティストの方のミュージックビデオを作ったり、結構いろいろなことをやりましたね。番組の企画を考えるような授業もありました。ただ、あくまでもラジオの構成作家になりたかったので、入学して半年ほど経った時には授業を選ぶようになってました。

 東京に出てきた直後に、Twitterで1度バズッたことがあるんですよ。確か7万リツートぐらいいって、そのツイートを見た人が2000万人ぐらいいまして、自分でもビックリしたんですけど。DMでのやりとりを紹介したんですが(突然知らない人から送られてきたDMに反応してブロックされるまでの顛末)、自分の中では「こういうのがウケるだろうな。バズるだろうな」というゲーム感覚で返答していて、それをつぶやいたら、本当にバズッたという(笑)。

田村淳さんとの出会いから構成作家に

 ちょうどそんなタイミングで、『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送)のスタジオに行くことになったんです。番組では“NewsCLUB会員“という制度があって、リスナーをスタジオに招き、番組自体にも参加するシステムなんです。もともと僕はこの番組のリスナーだったんですよね。ニュースをわかりやすく淳さんが専門家から聞いてくれるという内容がとてもよくて。堅苦しい雰囲気じゃないですし、好きな番組だったんです。で、そのNewsCLUB会員として、一般人としてスタジオにお邪魔した時に、淳さんに「将来、なにになりたいの?」と聞かれて、「作家になりたいです」とお伝えしたら、「じゃあ、うちの番組で働きなよ」と言っていただいて……。

 最初はあくまでも番組内のリップサービスだと思ったので、「いやあ、またまたそんなこと言って」なんて感じたんですけど、放送終了後にプロデューサーさんや作家さんとお話しする時間があったので、僕から改めて「お金は一切いらないので、勉強させてください」とお願いしたんです。そうしたら、「来週からおいで」と言ってもらえて、翌週から関わらせていただきました。そんな経緯で、吉本の養成所にいる身で、いきなり淳さんとお仕事をすることになりました。淳さんは変わったヤツがいると面白がってくれて、直感で声をかけてくれたみたいです。本当に運が良かったなと思いますね。

 この時点で、ラジオの構成作家がどんなことをしているのか、具体的にはほとんどわかっていませんでした。番組に関わるようになって勉強して、やっとわかるようになってきた感じですね。「ラジオ業界は凄い厳しいんだろうなあ」ってイメージがあったんですけど、プロデューサーさんや先輩の作家さんがとても優しく指導してくださったので、雑用も苦じゃないですし、楽しい世界なんだなと入ってから思いました。

 「ハガキ職人と構成作家では使う筋肉が違う」という意見があるんですか? 確かに僕も違うと思います。まだサブ作家の身分なので、「作家とは?」みたいなことは言えないですけど、今の段階ではネタ投稿の筋肉はまったく使ってないですね。「今、この作業をしておけば、上の作家は楽になるだろうな」とか、「これをしておけば、番組は円滑に進んでいくだろうな」とか、そういう発想で動いています。特に今は流れの台本を書くこともないので、どれだけ上の人の仕事を減らして、どれだけ番組がスムーズに進んでいくのかを意識しながら過ごしています。

 今はいろんな番組に携わらせてもらうことになり、何とか作家一本で食べていけるようになりました。順調過ぎて、この先が怖いぐらいです。自分が大竹まことさんの隣に座って、会議でプレゼンするなんて思ってもいませんでしたから。そんな経験ができたので、他のことでは滅多に緊張しなくなりました(笑)。ただ、作家として才能があるとは自分でまったく思えなくて。どうして今は作家をできているかと言ったら、運の良さと人との出会いに尽きると思っています。だから、ある意味、ここからが勝負で、ここからが頑張り時だなと。やっとスタート地点に立てた気がしています。

 「なぜこんな早くステップアップしてきたのか」ですか? 確かに大学4年間は遊んで過ごそうと考えてもおかしくないですもんね。僕の場合、高校生の段階で「自分にできるのは作家しかない」と決めてしまっていたんだと思います。あと、強いて言うなら、高校生ぐらいから大人に囲まれていた影響があるのかもしれませんね。日高塾もそうですし、番組に出演した時もそうですし、自分より二回り、三回り年上の方と接する機会が多かったので、そこで大人の方と話して、価値観や意見を聞き、その中でこうなっていったんじゃないかと今になって思います。そういう経験があったからこそ、今でも年上の方の中にいるのも苦じゃないですし。人と話すのも、人から話を聞き出すのも好きです。そうなったのもラジオを聴いて、作家になることを意識するようになってからですね。


■自分が思うラジオの魅力
生活や人生をより楽しくしてくれるスパイス

 自分の生活や人生をより楽しく面白くしてくれるスパイスというか。ラジオがなくても一応生活はできるけど、あったらもっと楽しくなるんじゃないかと。結果的にラジオが“主”になってくるんですけどね。リスナーとして言うと、その日、なにも楽しいことがなかったとしても、ラジオは面白いから、「いい1日だった」と思って終われる部分。1日、楽しいことがあってもなくても、「これを聴いて寝たら、今日は楽しく終われる」ってずっと思っています。

 構成作家としては……『三四郎のANN』が好きでずっと聴いているんですけど、実際に作家になってから「自分だったら、このメールを芸人さんに渡さないなあ」って内容の投稿を作家の福田卓也さんは中に入れているんだなって感じたんです。結果、それで番組が面白くなっていて、「こういう構成のやり方があるんだ」っていう発見がありました。それは自分の考えになかったので。仕事を始めてから気づいたことです。構成作家ってこんなやり方もあるんだって。そんなふうに今は「作家としてのラジオの面白さ」を発見している気がします。

 もう1つ、深夜ラジオってサブ作家が最初にメールを選んで、それをメインの作家に渡すので、実は結構番組の鍵を握っているというか。仮に面白いメールが届いたとしても、サブ作家が弾いたら読まれないんですよね。メールも何十通、何百通も来るので、数秒でそのメールを選別しないといけないんです。その責任感もあるんですけど、同時に楽しさもあって。自分が選んだメールをパーソナリティが読んでくれて、それが跳ねたりすると嬉しいんです。そういうところで番組の力になれているんだなって実感できるというか。そういう点もラジオの魅力と言えるかもしれません。


■一番好きな(好きだった)番組
『ゆずのオールナイトニッポンGOLD』と『洋二と明石の無口な二人』

 1つ外せないのが『ゆずのANNG』。構成作家を志すキッカケになった番組なので。今、聴いている番組だと『洋二と明石の無口な二人』(STVラジオ)。木村洋二さんと明石英一郎さんがパーソナリティで、平日お昼に放送している15分間の番組です。北海道では有名なアナウンサーであるお二人の声を聴くと、北海道に帰った気持ちになるというか、凄く安心するんですよね。声自体もそうですし、北海道弁もそうですし。この番組を聴くことで「明日からも頑張ろう」という気持ちになります。それもあるから、聴き続けていますね。

 作家になってからもラジオは結構聴いています。毎週欠かさず聴いているのは、『アルコ&ピース D.C.GARAGE』(TBSラジオ)、『三四郎のANN』、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系列)ですね。不思議と福田さんが構成作家の番組が多い気がします。それと、くるりの『FLAG RADIO』(エフエム京都)。この4番組は毎週必ず聴いています。他はその時の気分で聴きたくなったら聴くという感じですね。

※注 ラジオのスタッフさんをこの企画で取材するのは初めてですが、「理由がない限り、ご自分の携わった番組は除く」という形にしました。


■ラジオで人生が変わった(心が震えた)瞬間
田村淳さんに「来週から来なよ」と言われた時

 やっぱり田村淳さんにお会いした瞬間ですね。それは間違いないです。淳さんの一言がなければ、僕は今、作家もしてなければ、こうやって村上さんとお話しすることもなかったと思うので。淳さんには本当に頭が上がりません。突然、事故にあったら、走馬灯で必ず淳さんの「来週から来なよ」っていう言葉が蘇ってくると思います(笑)。


■今後のラジオ界に向けて一言
作家になるには運が良くなる行動を心がけるのが大切
 よく「作家になりたいんですけど、どうしたらいいですか?」って質問されるんです。同世代だから聞きやすいのかなと思うんですけど、僕は行動しかないと思っているんで、そういう方には「とにかく頭と体を動かしたほうがいいと思います」とお伝えしているんです。あとは運が9割8分ぐらいで、ほぼ運次第じゃないかなと。だから正直、作家になりたい方へのアドバイスはそんなにないんです。僕もまだ駆け出しですし……。

 ただ、運が良くなる行動を心がけるのが大切だと考えてて。例えば、バスを降りる時、コンビニの店員さんからおつりをもらう時に「ありがとうございます」とお礼を言ったりとか、そういう小さなところから運を良くしていければ……。そういう小さなことを心がけていけば、いいことが起こるんじゃないかなって。僕はそんな積み重ねでここまで来たんじゃないかなとちょっと思っているんです。それが人の繋がりを生んでくれることもありますしね。

 あとはバッターボックスに立つ準備をしておくこと。まだ僕自身、そんなに機会が回ってきてないですけど、上の作家さんがスタジオの中でどういう動きをしているのか? どういうことを求めているのか? そういうことを常に考えるようにしています。

 憧れてきた世界なんで、苦しいとはあんまり感じません。きついことがあっても、「でも、中学生の頃の夢を叶えている俺、凄いじゃん」って気持ちになって(笑)。その頃の自分に「ここまで来たぞ」って言いたくなります。だからこそ「ここで辞めていいのか」って自分に言い聞かせるというか、自問自答するというか。

 睡眠時間が少なくなって、体がしんどい時もありますけど、ネタ探しや文章を書くことに苦しいって思ったことはないですね。これから来るのかもしれないですけど、今はいろんな経験をさせていただいて、毎日刺激を受けています。毎日が勉強って感じですね。

(取材/構成:村上謙三久)

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