「ハリネズミドロップス」

5章「堕ちる"時"」

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あれから何度かデートを重ね、11月になっていた。
そして、コーヒー事件が起こった。
待ち合わせ場所はいつもの東横田駅の正面、みずほ銀行
その日も安定の遅刻。もうこの頃になると、なにもツッコまない。
「お待たせ~、寒くなってきたわね。」
「ほんと寒いね。」
「・・・"ほんと寒いね"じゃないよ。ふつうこういう時は"コーヒー"とか渡すもんでしょ!気が利かないわね!」
「あっ、ごめん。」
彼女の勢いに思わず、謝ってしまった。

~次のデートの日~
("コーヒー"も持ったし、もう大丈夫。同じ失敗をするもんか!)
「お待たせ~」(安定の遅刻)
「はい!」
ぼくはコーヒーを差し出した。
「いらない。」
「えっ?」
「だから、いらない。だってコーヒー嫌いだもん。」
(はぁ?ふざけんな!"コーヒー"って言ったのおめぇだろうよ。)
と思ったが、留飲を下げた。
「コーヒーって言ってなかったっけ?」
「言ったっけ?覚えてないもん。忘れたー」
(ぜんっぜんかわいくねぇわ!)

そんなことがあって、
"もうやっていけないんじゃないか?"と思い始めた。

そんな陰鬱な思いを抱えながら、いつもの居酒屋に向かった。
テーブルの上の梅酒とビールが二人のすれ違いを表していた。
この女の親の顔を見てみたいと思い、冗談半分、意地悪半分で聞いてみた。
「そういえば、両親ってどんな人なの?」
「・・・父親は私が小学校の時に若い女と蒸発したの。だから、母親が私と弟を女手一つで育ててくれてね。すごく感謝してる…普段は照れくさくて言えないんだけどね。」
「そっかぁ。苦労してるんだね。お母さんは今どこに住んでるの?」
「同居してるよ。」
「同居?てっきり、一人暮らしかと思ったよ。」
「母は一人でいいって言ったんだけどね。やれ、携帯がぁとか確定申告がぁとかうるさいから、仕方なく一緒に住むことにしたの。けど、そのせいでプロポーズしてくれた元カレもフッたんだよね。ほんとバカな女よねぇ・・・」
「・・・そうなんだ。やさしい人なんですね。」
「べ、別に、優しくないわよ!私がそうしたいからしただけ!」
「そういうことにしときますよ。ところで、そんなに一生懸命働いて夢でもあるんですか?」
「うーん・・・あるよ。」
「なんです?」
「それはね・・・横浜に転勤すること!」
「えっ、別にここでいいじゃないですか?」
「もともと実家は横浜なのよ。母がずっと"横浜帰りたい"ってうるさいから、一応、人事にも言ってるんだけど、なかなか通らないのよ。」
心にすきま風が通った。意地悪半分で聞いた10分前の自分を𠮟りつけた。
彼女は"ハリネズミ"なんだ。歩くたび、動くたびに人を傷つけ、意気揚々と我が道を行く。"私の前に道はない、私の後ろに道ができる"
けど、ほんとは違った。一番傷ついていたのは彼女自身だったんだ。人を遠ざけるのは自分の針で人を傷つけないため、誰よりもやさしく、強かったのだ。そんな"不器用ハリネズミ"を守りたくなった。
たとえ、全身に針が刺さり、傷ついても、彼女をギュッと抱きしめたい。そして、一言だけ「もうがんばらなくていいよ」と言いたい。20歳すぎの若造は"心を埋める歯車になる"そう心に誓った。

酔いも回り、親子ほども年の離れた男女は夜の喧騒に向かう。
真っ暗の中で、不自然なほどに光るネオンの看板に引き寄せられる2羽の蛾と蝶
ぼくは彼女の、彼女はぼくの手を握り、言葉なく建物に入った・・・

6章へ続く…