2016年12月18日

2016年12月18日

下北沢X物語(3180)〜終戦後の下北沢のカラー画像を歩く〜

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(一)戦後の下北沢の街角を撮ったカラー画像がある。当時の空気感までもが漂っている写真だ。これからは音やにおいまでもが漂ってくる。下駄の音、電車のタイホン、「やすいよ、やすいよ」という八百屋の親父さんの呼び声、ときとしてなぜかコケコッコーという鶏の鳴き声が聞こえてくる。何か不思議な旅だった。時空を超えて旅をしているようだった。時を経ての変化が足で実感できた旅だ。驚きの発見も幾つかあった。うち捨てられていた七十年ほど前の空気を嗅いでいく、新鮮な街歩きだった。

 昨日、我らの会の恒例の街歩きだ。第123回となる。「下北沢の終戦直後のカラー写真を歩く」がテーマだ。キュレーターは、きむらたかしさんだ。街を写した写真は十六枚ある。それらははっとするほどに鮮明だ。容易に分かった場所もあったが、どうしても分からないところがある。仲間が聞き込みをしてくれた。それらの情報収集を踏まえてその場所、場所でキュレーターからの説明があった。

 この写真を撮ったのは、Dr.Austin である。撮ったときから七十年近く経って、彼の写真を検証するツアーを行った。そんな企画がなされるなど夢にも思わなかったろう。が、彼は間違いなく終戦直後の下北沢の街の姿を記録していた。

 これら写真を見て一番感心したのは技術力である。たかしさんの説明では、撮ったフィルムは空輸してアメリカに送られて現像されたものだと。
「日本が戦争に負けるわけだ!」
 金子善高さんがそんなことを言っていた。終戦後において技術力は比べものにならないほどアメリカの方が高かった。

 昭和二十年五月二十四、二十五日の夜、敵爆撃機がこの一帯の空を覆っていた。巨大なジュラルミンは地表の火災を写して腹は赤かった。それがつぎつぎに湧くように飛んでくる。圧倒的な技術力の差だ。B29に積まれているノルデン爆撃照準器の正確さだけでなく現像技術もはるかに日本を凌ぐものだった。

 11月1日、東京上空に敵機がやってきました。日本軍は地上から高射砲で応戦したのですが、そのとき不発だった砲弾の破片で負傷者が出ました。聖路加国際病院にその患者さん4名が入院しました。
『戦争といのちと-聖路加国際病院ものがたり』 日野原重明著 小学館 2015年刊


 高高度一万メートル上空にB29が東京上空に姿を現した。首都防衛に就いている高射砲隊はたまらず砲を放った。が、全く届かない。皮肉だ、撃った弾の破片が地上にいる仲間を傷つけた。

 最初にお目見えしたB29は写真偵察のためだ。彼らは空撮した映像にもとづき、空襲の計画を立てた。いまも驚くほど鮮明な写真が残っている。

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rail777 at 20:00|PermalinkComments(0)││学術&芸術 | 都市文化