2007年02月22日

下北沢X物語(801)〜牧水に会いにペダルで50キロ(1)〜

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 日々は転変していく、ペダルも転動していく。時間と距離を行く旅である。短いペダルでの旅である。が、自分にとっては計り知れない大きな旅だ。

 先日、人に「原稿は何時書くのか」と聞かれた。それで朝だと答えた。いつも午前中に原稿を書く。ブログだとか、冊子だとか、自分のライフワークについての原稿だ。ずっと書いていると嫌になる。それで、午後はフィールドワーク、ペダルでの巡行に出かける。そのときどきで行く場所は違う。北に行ったり、南に行ったり、気ままだ。が、行動が広範囲になっていることは確かである。ときに永福町に居たり、また東矢口にいたりする。ペダル巡行による経験が積み重なってもいる。

 武蔵野の丘陵をあちらへこちらへと行っている。すると分かってくることがある。地勢や地形は脳ではなく脚が記憶したり、覚えていたりするものだということだ。丘にかかると脚に負荷がかかる。一度通るとその斜度は脚が記憶している。つぎにかかったとき、脚は力をコントロールして坂を上る。そのことの繰り返しによって、脚は次第に地勢を覚えていく。動物的な本能である。馬も同じではないかと思いもする。

 荏原は駒の生産地だった。丘陵の上り下りは馬を賢くする。京都宇治川の戦いで荏原産の馬が活躍して平家を打ち破った。その秘密は丘陵にあったとの思いを、荏原巡行から強めている。

 昨日は遠出して、日野まで行った。地勢異文化経験に遭遇した。いつもの丘陵攻略方で、日野の地勢を攻めた。ところが手法が通じない。危うくダウンするところだった。そのことによって、攻め上ろうとしたところが武蔵野のヒルトップよりも三倍も高い、「多摩の横山」であることを知った。が、丘陵で培われた勇猛心は果敢に多摩の横山をチャレンジした。転げ落ちてくる坂だ。装着している斜度計はとっくに振り切れている。坂がのしかかる、攻めてくる。が、なにくそとアタックして上りきった。荏原名馬、「磨墨」や「池月」の心意気だ。
「こんな坂を、よく上りますねぇ」
 百草園の散策に来て、その坂を上っていた二人連れの女性がライダーに嬉しい言葉をかけてくれた。



  若山牧水、この詩人の言葉は透明である。山野にある文学碑は朽ちていくものだ。が、彼の歌は、山野にあって、風を浴びたり、夕日を受けたりしても朽ちない、その場所に生きている。あくがれている詩人だ。二子玉川の兵庫島にはつぎの歌碑がある。

多摩川の 砂にたんぽぽ 咲くころは われにもおもふ 人のあれかし

 若山牧水は明治三十七年(1904)八月、脚気療養のこともあって玉川瀬田の内田方に数日滞在する。そのときの歌である。歌人の年齢は二十歳だ。この時の日記、八月二十一日にはつぎのように記されている。

 晴 夕、玉川の岸をさまよふ。千くさの色に染まりゆく雲、見渡す限り野は大いなり、紫凝つて動かぬ富士、竹林桑畑、水痩せて崇いかなわが多摩河辺の秋。

 牧水の文章は澄んでいる。その場の情景がありありと浮かんでくる。言葉を通して歌人の脳裏に浮かんだ絵画が見えてくる。

 牧水は二十歳、若い盛りである。誰かを思い浮かべるとすれば当然異性である。多摩川の岸辺でまだ見ぬ思い人を心に描きもした。

 若山牧水は静岡県沼津市に牧水記念館がある。生地の宮崎県日向市東郷町にも記念館がある。二つも記念館がある歌人というのは稀である。

 先年、沼津の牧水記念館を訪ねたことがある。彼の生涯のドラマは熱い恋愛である。小枝子である。その写真をここで見た。彼の作品を通してその女性の輪郭を想像していた。残念ながら重ならなかった。

 前々から百草園には行きたかった。牧水のゆかりの地であり、また、そこに歌碑もあるからだ。暖かい日射しに誘われて、まずは玉川兵庫島の「多摩川の砂にたんぽぽ咲くころは」に挨拶をして、そして、多摩川サイクリングコースを自転車で北上した。牧水に会いに行く旅だ。(写真は、兵庫島の牧水歌碑である)

○付記、「下北沢映画痕跡の跡を巡る」を臨時的に今日行った。松林宗恵監督自らが先頭に立っての案内であった。歩き終わった後に、参加者で話を伺った。リアルな戦争経験、また映画の世界のエピソードをつぶさに聞くことができた。監督は脳裏にある映像を描写するように話をする。臨場感あふれるものだ。あたかも記憶の35ミリを覗いているようだった。松林宗恵監督は映画世界の語り部である。話を聞く会をまた持ちたい。



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