2007年03月04日

下北沢X物語(809)〜ペダル巡行的生活回顧録(下)〜

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 自転車乗りというのも板に付いてきたようだ。一昨日、深沢の呑川遊歩道を通りかかったとき、お婆さんと目があった。彼女は「こんにちは」と言う。「こんにちは」と返した。春が気持ちいいペダルからの挨拶だ。

 南行したときに向こうから同じ風体の自転車野郎が現れた。彼はしばらくこちらの様子を窺っていた。が、同類と見たのだろうか、右手を大きく挙げた。こちらも手を挙げた。こんにちは、さようならだ。これも20キロぐらいのスピードで別れるのがかっこいい。もたもたしていると絵にはならない。

 巡行では絵を求めている。視覚的な美しさだ。一番は森である。が、それも次第になくなりつつある。広い邸宅が潰され、そこに次々にマンションが建つ。荏原の緑が消えつつある。それだけに小暗い森があると行ってみる。するとその木々の下の神社に池があることがある。大概はかつてのハケである。そういうところにお宮が祀ってある。弁財天である。この水の神様は谷間の至るところにひっそりと祀られている。水への報恩感謝の念というのは根強く生きている。武蔵野での農耕はその水に頼っていた。水不足はたちどころに作物に影響する。雨が降らないときは弁天様に祈る。それでも降らないときは、雨降山へ代参人を送り込む。大山詣である。

 飢渇した状況は神が救う。生活の中にそういう考えが根づいていた。多くの講があった。大山講、富士講、三峯講、御岳講、御嶽講である。雨ごいと結びついた大山講は分かりやすい。霊峰富士は武蔵野からは神々しく見える。これもなるほどと頷ける。が、余り見えない山の場合への信仰はどうして生まれたのかと思う。

 円乗院裏手にある祠は三峯神社である。代田八幡宮の年末の飾りの中に三峯神社のことが記されていた。火伏せの神というようなことが記されていた。火災は一挙に財産を失う。それで災厄から身を守るということで三峯信仰は流行ったのだろうか。



 関東地方における多くの代参講のうち、代表的事例は、江戸と周辺農村に成立した富士講と木曾御嶽講であることは多くの人が認めるところである。山岳信仰としての富士と木曾御嶽を調べるとかなりの差異があるのに気づく。両者共に山容は秀麗であるが、富士は平野に聳立した山容の遠望が広範囲に及ぶのに対し、木曾御嶽の方は、木曾谷の狭い空間の限られた場所からのみ瞥見できるだけである。
 「江戸の小さな神々」 宮田登 青土社 1989刊

 富士講は、登頂記念の碑や富士塚があちこちに残っていて、それが盛んだったことが分かる。が、木曾御嶽山信仰の厚さはよく分からなかった。けれども自転車巡行の途中、御嶽山神社に出会った。境内に林立する石柱の碑の多さには驚かされる。その信仰の厚さを思わせるものだった。そういう信仰の源流がどこにあるのか興味深い。宮田登は、江戸の材木商から御嶽信仰が広まったとも伝えている。木曾檜と木曾御嶽信仰の結びつきである。

 庚申塔信仰も興味深い。先日、北沢3丁目17番の村田履物店の奥さんと話をした。だいぶ前に話を聞いたことがあった。今も変わらずに、店の脇にある三基の庚申塔を大切にしている。生花は表に出しておくと日に当たって枯れる。昼間は代用の造花を置いているそうだ。

  自転車での通勤時代、この庚申塔の角を曲がって職場へと通っていた。奥さんがいつも庚申塔に水をやったり、花を生けたりしていた。清新な印象があった。

「わたしがしないと誰もする人がいないでしょう。だからね、わたしがするの。やっぱり粗末にしてはいけないと思うのですよ。この一番右側の庚申様は十年ぐらい前に、朝起きたら車にぶつけられて上が大きく欠けちゃったんですね。当て逃げですよ。バチあたりますよね。」
「わたしはここに嫁に来て、それで主人が熱心に庚申様を祀っていたものですからね。それでわたしもするようになったのですよ。この庚申様の土地を2坪あるのですけどね、地主さんが買わないかと言ってこられたのですよ。300万とか仰っていました。こういうものはその土地を持っている人が大事にするものだと思うのですよ。ところが、こういうものでも固定資産税がかかるようなのですね。地主さんは世田谷区にそれで寄付したそうですよ」
 なるほどと思った。庚申塔や稲荷の跡地は他のものには使えない。祟りが恐いからである。税務署に物納しようとしても受け取ってはもらえないと聞いた。が、区に土地が寄贈されたのなら庚申塔は安泰だ。
「まさか、世田谷区が撤去しはしないでしょう。そんなことをしたら区民に祟りがありますからね」
 そんな冗談を言って奥さんとは別れた。

 武蔵野は都市近代によって開発された。が、土俗的なものはそこここに半ばうち捨てられたように残っている。谷と水と祈り、武蔵野一帯で暮らしてきた人々の知恵がそこにある。谷の秘密、水の謂われ、人の祈り、それを探す楽しみがペダルの旅にはある。
(写真は村田履物店脇の庚申塔、当て逃げされて頭を欠いている)



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