2009年10月23日
下北沢Ｘ物語（1431）〜武蔵野踏切物語３〜
東海道は、道にしても鉄道にしても第一級の路線である。この沿線の至るところに逸話が眠っている。とくに社寺には有名無名の人の生きた痕跡が文字や像に刻まれている。
東海道と別れた碑文谷道を行くと、投げ込み寺の海蔵寺があった。遊女、罪人、流浪者、轢死者、津波犠牲者、震災犠牲者、あらゆる横死者が塵芥のように埋められている。名もない人々は社会の低層に生き抜いてきた人である。その無縁仏の前に立った、彼らから話を聞くことができれば生成期の日本近代の生々しい歴史が分かるのではないかと思った。
海蔵寺のはす向かいは天龍寺だ。わたしが求めていたものがここにある。行くと寺の山門が工事中であった。境内に入れないのかと思ったら脇を抜ける通路があった。地蔵尊はどこにあるだろう。探していると裏手の墓地へ行く入り口の脇にあった。数十の溶岩を土台にして、高さ五、六十センチほどの三体の地蔵尊が祀ってあった。長い年月風に曝されたものだろう。左右の地蔵尊の顔の表面は落剥していて表情が分からない。真ん中と左手はどうやら耳に手をかざしているようである。（写真）
この三体の地蔵尊の脇には「碑文谷踏切責任地蔵尊」と御影の石柱に文字が彫られている。脇字には「建立二十周年記念法要」と記されている。鉄道関係者が集まって法要を営んだのだろう。この地蔵尊は東海道線碑文谷踏切で起こった悲しいできごとを記憶するものだ。
天龍寺のわきを碑文谷道が通っている。これを西に向かって三百メートルほど行くと東海道線にぶつかる。線路は築堤になっていて道はその下を向こうに抜けている。幅員も２，３となっていて、車が通るのもやっとだ。このガード下の壁に、「東海道線（２４）碑文谷ガード」と記されていた。かつての碑文谷踏切の跡である。
この事件は自宅近くの八雲中央図書館でのパソコン検索で知った。「碑文谷踏切」と出てきたとき、目黒区内の私鉄の踏切ではないかと思った。が、それが東海道線の踏切だと知ってより深い興味を持った。郷土史も目黒ゆかりの地名に惹かれてこの事件を記録していた。「郷土目黒」（第十五輯）には「読売新聞」の記事を採録している。大正七年五月に起こった事件である。
●通行人を轢死せしめて
踏切番の抱合自殺
□昨晩一時南品川の悲惨事
□職責を感じ自分たちも轢死
十九日午前一時五分府下南品川三ツ木九百四十七新井由三郎氏令弟三井銀行新井慶蔵（三四）氏が、芝区君?町二林たか方車夫横山浅次郎（四三）の俥に乗り、府下南品川五八０番地先の踏切を通り抜けとせし際、同午前一時。
△品川駅発 の甲号貨物列車に触れ、車夫は無事なるを得たれども慶蔵は左肺、左足、右足に重傷し、車夫の急報により品川署員出張戸塚病院にて応急手当を加へしも、午前十時三十分に至り
△遂に絶命 せり。然るに当時の踏切番人は神奈川県川崎新宿須山由五郎（四三）、同橘樹郡六郷村元八幡塚一０六一竹内芳松（四五）の両人なりしが、右椿事の起りし時、踏切の開閉の開かれ居りしより両人はその責任を痛感し、踏切を去る南四分の一哩の地点に於て
△相抱いて 同二時八分品川発六百一号列車の進路に飛び込み決意の轢死を遂げたり、芳松は明治二十九年線路工夫に、大正五年十二月踏切番となり、現在日給六十六銭を受け居れり。
△精勤家に て、危険を知りながら開閉柵を上げありしは、居眠りなどの過失によるものには非らざるべしとは鉄道院側の観察なり、即ち事故のありし三十分前までは、十五分おきに電車が運転し居り、開閉柵の上り居りしは何故なりしか、これは疑問なるも
往時の新聞は事の顛末を詳しく記している。今の新聞記事だとこんなに細かには書かない。個別のプライバシーに関わるからでもある。そこを引き写すことにためらいがある。が、当時の社会を映しているもので記録としては貴重であると思って引用した。
記事から往時の下積みの鉄道労働者の様子が浮かんで見えてくる。まずは線路工夫として雇われる。ツルハシでの線路突き固め作業はきついものだ。その仕事を何年か経験して、踏切警手に昇格する。が、彼らは月給取りではない。日給だった。そこにつましい生活が見える。実直で無骨な踏切警手だった。彼らは碑文谷踏切を守っていたが残念無念、守りきれなかった。武蔵野の谷に作られた踏切ゆえに、彼らは土地の地勢因縁に引き摺られた。目黒川左岸淀橋台、右岸目黒台、その中間にあった踏切である。地勢がもたらした悲劇だとも言える。
○雑記、昨日、来月八日に行われる、文学散歩「シモキタザワ 猫町散歩」の打ち合わせに世田谷文学館に行った。係担当の庭山さんは群馬の出身だった。萩原朔太郎に深い興味を持っていて話がはずんだ。代田の原風景、鉄塔と緑の谷のある様を話していたら、彼は思いがけないことを言った。 「ああ、それって群馬の風景ですよ」と……。文学館で「萩原朔太郎」の特別展は行っていないとのこと。ぜひ実施してほしいものだ。
踏切番の抱合自殺
□昨晩一時南品川の悲惨事
□職責を感じ自分たちも轢死
十九日午前一時五分府下南品川三ツ木九百四十七新井由三郎氏令弟三井銀行新井慶蔵（三四）氏が、芝区君?町二林たか方車夫横山浅次郎（四三）の俥に乗り、府下南品川五八０番地先の踏切を通り抜けとせし際、同午前一時。
△品川駅発 の甲号貨物列車に触れ、車夫は無事なるを得たれども慶蔵は左肺、左足、右足に重傷し、車夫の急報により品川署員出張戸塚病院にて応急手当を加へしも、午前十時三十分に至り
△遂に絶命 せり。然るに当時の踏切番人は神奈川県川崎新宿須山由五郎（四三）、同橘樹郡六郷村元八幡塚一０六一竹内芳松（四五）の両人なりしが、右椿事の起りし時、踏切の開閉の開かれ居りしより両人はその責任を痛感し、踏切を去る南四分の一哩の地点に於て
△相抱いて 同二時八分品川発六百一号列車の進路に飛び込み決意の轢死を遂げたり、芳松は明治二十九年線路工夫に、大正五年十二月踏切番となり、現在日給六十六銭を受け居れり。
△精勤家に て、危険を知りながら開閉柵を上げありしは、居眠りなどの過失によるものには非らざるべしとは鉄道院側の観察なり、即ち事故のありし三十分前までは、十五分おきに電車が運転し居り、開閉柵の上り居りしは何故なりしか、これは疑問なるも
往時の新聞は事の顛末を詳しく記している。今の新聞記事だとこんなに細かには書かない。個別のプライバシーに関わるからでもある。そこを引き写すことにためらいがある。が、当時の社会を映しているもので記録としては貴重であると思って引用した。
記事から往時の下積みの鉄道労働者の様子が浮かんで見えてくる。まずは線路工夫として雇われる。ツルハシでの線路突き固め作業はきついものだ。その仕事を何年か経験して、踏切警手に昇格する。が、彼らは月給取りではない。日給だった。そこにつましい生活が見える。実直で無骨な踏切警手だった。彼らは碑文谷踏切を守っていたが残念無念、守りきれなかった。武蔵野の谷に作られた踏切ゆえに、彼らは土地の地勢因縁に引き摺られた。目黒川左岸淀橋台、右岸目黒台、その中間にあった踏切である。地勢がもたらした悲劇だとも言える。
○雑記、昨日、来月八日に行われる、文学散歩「シモキタザワ 猫町散歩」の打ち合わせに世田谷文学館に行った。係担当の庭山さんは群馬の出身だった。萩原朔太郎に深い興味を持っていて話がはずんだ。代田の原風景、鉄塔と緑の谷のある様を話していたら、彼は思いがけないことを言った。 「ああ、それって群馬の風景ですよ」と……。文学館で「萩原朔太郎」の特別展は行っていないとのこと。ぜひ実施してほしいものだ。
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この記事へのコメント
4. Posted by きむらけん 2009年10月27日 20:48
［碑文谷踏切責任地蔵尊逸話］
映画は「碑文谷美談」だったのですね。検索してみましたがフィルムライブラリーにもなさそうです。
踏切で亡くなられた方の係累がコメントされているのは検索で知っていました。この証言によると現在木製の慰霊碑のあるところが「蛇窪道踏切」となるのでしょうか。そうすると『蛇窪の踏切』江見水蔭著 明治40年（1907）6月発表に繋がってくるように思います。明治大正文学全集１５巻にあるのは分かっているのですが、読んでいなのです。この蛇窪が繋がってくると、恐ろしい繋がりとなります。品鶴線はまだ開通していないので東海道線の踏切のように思えます。
映画は「碑文谷美談」だったのですね。検索してみましたがフィルムライブラリーにもなさそうです。
踏切で亡くなられた方の係累がコメントされているのは検索で知っていました。この証言によると現在木製の慰霊碑のあるところが「蛇窪道踏切」となるのでしょうか。そうすると『蛇窪の踏切』江見水蔭著 明治40年（1907）6月発表に繋がってくるように思います。明治大正文学全集１５巻にあるのは分かっているのですが、読んでいなのです。この蛇窪が繋がってくると、恐ろしい繋がりとなります。品鶴線はまだ開通していないので東海道線の踏切のように思えます。
3. Posted by きむらたかし＠三田用水 2009年10月27日 20:01
［碑文谷美談］
やはり、探していた映画は、これ
http://www.jmdb.ne.jp/1922/ax001120.htm
のようです。
傍証の１は、ここ
http://www.uwasa2ch.net/geinou_tv/1131370630.html
の＃751
傍証の２というには、やや遠いですけど、中身がすごいのがここ
http://homepage1.nifty.com/kadooka/matsumoto/63.html
の３番目の項目「○天龍寺の「碑文谷踏切責任地蔵尊」品川区南品川４丁目」
です。
やはり、探していた映画は、これ
http://www.jmdb.ne.jp/1922/ax001120.htm
のようです。
傍証の１は、ここ
http://www.uwasa2ch.net/geinou_tv/1131370630.html
の＃751
傍証の２というには、やや遠いですけど、中身がすごいのがここ
http://homepage1.nifty.com/kadooka/matsumoto/63.html
の３番目の項目「○天龍寺の「碑文谷踏切責任地蔵尊」品川区南品川４丁目」
です。
2. Posted by きむらたかし＠三田用水 2009年10月25日 22:02
［「碑文谷踏切責任地蔵尊」と脇侍］追伸
>この碑文谷踏切責任地蔵尊の建立を発願した人は、
>儀軌にかなった脇侍のいる、いわば「最高ランク
>のお地蔵様」にしたかったことがわかります。
の部分ですが、仔細に観察すると…
同時に建立されたとすると、３体のサイズ、様式などがあまりの違いすぎることがわかりました。
まず、本尊と右側の脇侍ですが、光背という、いわゆる「後光」を表現する板状の部分の様式がまるで違ううえ、衣の表現も、本尊は単なる線彫りのようなのに対し、脇侍の方はやや立体感を付けているように見える。
左右の脇侍も、本来ペアなので、サイズは同じにするはずですし、服装も可能な限り同じ様式にするはずなのに、どちらも違っている。
写真では断定できませんが、本尊と左側の脇時とでは、脇役であるはずの脇侍の方が大きく見える。
というわけで、この３体、別々の時期に彫られた可能性が高そうに思えます。
>この碑文谷踏切責任地蔵尊の建立を発願した人は、
>儀軌にかなった脇侍のいる、いわば「最高ランク
>のお地蔵様」にしたかったことがわかります。
の部分ですが、仔細に観察すると…
同時に建立されたとすると、３体のサイズ、様式などがあまりの違いすぎることがわかりました。
まず、本尊と右側の脇侍ですが、光背という、いわゆる「後光」を表現する板状の部分の様式がまるで違ううえ、衣の表現も、本尊は単なる線彫りのようなのに対し、脇侍の方はやや立体感を付けているように見える。
左右の脇侍も、本来ペアなので、サイズは同じにするはずですし、服装も可能な限り同じ様式にするはずなのに、どちらも違っている。
写真では断定できませんが、本尊と左側の脇時とでは、脇役であるはずの脇侍の方が大きく見える。
というわけで、この３体、別々の時期に彫られた可能性が高そうに思えます。
1. Posted by きむらたかし＠三田用水 2009年10月25日 18:46
［「碑文谷踏切責任地蔵尊」と脇侍］
近隣のお地蔵さんをかき集めたというのならともかく、ここのように、明確な目的で建立された地蔵菩薩の左右には、それ相応の脇侍という仏様が、それも、脇侍というのは本尊の部下というかサポーターですので、本尊（この場合は菩薩）よりワンランク下の、○天とか、さらの格下の○○童子が立つのが通例です。
室町以来、地蔵菩薩の脇侍としては掌善童子、掌悪童子が通例とのことです。
仏像には、持物（じぶつ）や印形などの形態について、儀軌と呼ばれるいわばマニュアルがありますので（地蔵菩薩なら、僧形、持物は宝珠と錫杖）、両童子の他の実例を探したらわかるかと思ったのですが…、ありました。
http://www.rakuten.co.jp/kuritaboueki/622434/622670/938718/#966276
右手の童子が蓮の枝を持ち、左手の童子が手をかざして人の善行だか悪行だかを観察しているとことからみて、このお地蔵さんの脇侍は、この両童子に間違いなさそうです。
周知のとおり、地蔵菩薩に脇侍が立つことはあまりないことで、この碑文谷踏切責任地蔵尊の建立を発願した人は、儀軌にかなった脇侍のいる、いわば「最高ランクのお地蔵様」にしたかったことがわかります。
近隣のお地蔵さんをかき集めたというのならともかく、ここのように、明確な目的で建立された地蔵菩薩の左右には、それ相応の脇侍という仏様が、それも、脇侍というのは本尊の部下というかサポーターですので、本尊（この場合は菩薩）よりワンランク下の、○天とか、さらの格下の○○童子が立つのが通例です。
室町以来、地蔵菩薩の脇侍としては掌善童子、掌悪童子が通例とのことです。
仏像には、持物（じぶつ）や印形などの形態について、儀軌と呼ばれるいわばマニュアルがありますので（地蔵菩薩なら、僧形、持物は宝珠と錫杖）、両童子の他の実例を探したらわかるかと思ったのですが…、ありました。
http://www.rakuten.co.jp/kuritaboueki/622434/622670/938718/#966276
右手の童子が蓮の枝を持ち、左手の童子が手をかざして人の善行だか悪行だかを観察しているとことからみて、このお地蔵さんの脇侍は、この両童子に間違いなさそうです。
周知のとおり、地蔵菩薩に脇侍が立つことはあまりないことで、この碑文谷踏切責任地蔵尊の建立を発願した人は、儀軌にかなった脇侍のいる、いわば「最高ランクのお地蔵様」にしたかったことがわかります。
