2014年01月10日

下北沢X新聞(2479)〜花袋の玉川電車に乗る〜

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(一)
 近代はすべてを均質化する。街も物も、味わいが薄れていく一方だ。日々の荏原逍遙で僅かに心なぐさめてくれるのは歩道橋に登ったときに見える富士の嶺だ。高層ビルも見えるがこれは目の保養にはならない。

 人間に残されている救い、それは想像力だ。古い紀行文を繙いてこれを旅するのも面白い。『一日二日の旅 東京の近郊』、田山花袋の紀行文だ。この電子情報を送ってくれたのはきむらたかし氏である。まず、時代だ、「はしがき」に大正五年四月に『東京の近郊』と題されて発行されたものだ。甲陽堂から大正九年五月に再版されるに当たって「一日二日」とつけたという。都会人の心なぐさめの書として出されたことが分かる。

目次を開く、これだけでもどきどきしてしまう。「郊外の古驛」などはその最たるものだ。

 

大都会から郊外へ出て行く接触点は興味深いものだと私は思ふ。国木田独歩が『武蔵野』の中で、さういう点に注意して渋谷の町外れを書いているが、あれなどは、殊にその見方のすぐれてゐるのに敬服してゐる。



  
 こう記す。武蔵野郊外の魅力は町外れにある、これは独歩固有の発見だった。花袋もその点固くその考えに同意している。

 花袋は、「郊外の古驛」の具体的な街、四宿、すなわち、板橋、新宿、品川、千住に言及する。ここにこそ見出される情趣を「東京の真中では味わうことが出来ない、ある古い衰へた複雑した匂ひを嗅ぐことが出来る」と述べる。

 これら古驛は、水杯をする場でもあったという。
「鮫洲の川崎屋などは、さういふ別離の為に出来た料理屋であることを考えると、何とも言はれない気がする。」
 花袋はいう、人を見送るときの哀しさがあると同時に、人を迎える楽しさがある。「さう思ふと新宿や千住を唯、場末の街として看過して了うことが出来ないような懐かしさを覚える」。

 こら四宿には大正時代においてはまだ草鞋の匂いがしていたことだ。ところが、近代のの機械化はこれを煤煙の換えた。



(二)
 「郊外の古驛」は、花袋の都市郊外論である。彼は、こう言う。

 都に向かふ心と野に向かう心とが、丁度都会と野と接触したところの空気に似てゐるなどと私は思った。やはり郊外に住んでゐる人の心だなと思った。

 まず都会人が田園に憧れる気持ちがある。勤めを終えて帰る。「一停留場毎に、野と空とが広く前にひらけて見渡されて来る。踏切の棒が上がったり下がったりする。やがて林が来る。空の果てには、富士の晴色が一目に見渡される。」、人工都会空間から自然空間への帰着は心を解放してくれるようだ。

 しかし、だ。都会は夜にこそ生命が輝く。「町は一杯に灯で彩られる。カフェには美しい若い女がゐる。川に臨んだ室から三味線の音が聞こえて来る。歓楽はこれから始まるといふんですね。それなのに、私達は野にある家に帰って行かなければならない」、田園に帰るには後ろ髪を引かれる思いがある。それが都に向かう心だ。

 都の引力、そして田園の引力とが拮抗する場、それこそは新しい磁場だ、そこに中途半端な気持ちでいる者たちを惹き付ける。それが鉄道交点かもしれない。下北沢や自由が丘。

(三)
 つい懐かしさの余り、「郊外の古驛」に道草を食ってしまった。ようやくこれから玉川電車の旅になる。

 この場合のタイトルは「丘の西郊」だ。武蔵丘陵の西、世田谷近辺の玉川電車による旅である。
 冒頭は、「私は先ず私の手近な西郊から始める。」とある。踏み出す足は、代々木山谷だ。彼は、代々木へは行かず、そのまま歩いて南下し、渋谷まで行ってここから玉川電車に乗るようだ。

〇イラストレーター鈴木博美さんの詩集『Mr.cried』(写真)
 昨年2013年暮れに上梓された。彼は我等の古い仲間である。水路系の人だ。
詩集タイトルも後書きに、「武蔵野台地伝承の地『水食らい』に着想を得た」と。

 言葉は表象だ。現実の約束事巧みに借りながらうんとこしょっとこと自分の世界に引き込む、軽妙な面白さがある。鈴木さんの詩を読んで、私はそんなことを感じた。発行所、如月出版 価本体二、〇〇〇円+税


rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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