2015年02月27日

下北沢X物語(2744)〜下北沢新屋敷の地霊と次元の穴3〜 

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(一)
 文士町の土地の固有性はある。路地が迷路のように入り組んでいる。どこでもが表通りで、歩いていて誰かに出会って、「やあやああ」という交渉は少ない。こっそりとか、ひっそりとかことを為していた。それが村ではなく、町であるゆえんである。人々は没交渉的だった。なるべく人に分からないようにして密かに住む。その象徴が「下北沢新屋敷1008番地」の家にあった裏口である。

 詩人、萩原朔太郎がなぜ東北沢に来て、下北沢に移り、そして世田谷代田に新居を建てて終の棲家としたのか?、下北沢文士町の広域的な謎を解き明かす面白い問題だ。

 このことを考えるきっかけとなったことがある。下北沢萩原朔太郎旧居に住んでおられた方が家の見取り図を描いて送ってくださった。宮田茂さんである。興味を持ったのが裏口だ。

 旧居の裏口は興味、関心を刺激した。詩人は書斎派ではなく、漫歩派である。家に閉じ籠もっていないで、気ままに外にでかけ歩き歩きしては、ふと思いついたことをノートに記した。彼のアフォリズムここから生まれた。間取りなど分からなかったときは、表玄関を出てつぎに煙草屋へ行ったのだろうと思っていた。が、どうもそうではないらしい。ポイントは裏口だ。

 もう二度ほどその現場を見に行った。敷地裏手は、下北沢特有の路地である。そこを行ったり来たり、裏口をのぞいたりするわけだからもう完全に不審者である。

 ここの裏手の路地は不思議だ。人がやっとすれ違える路地があって、そこを行くと鍵形に道が曲がっている。ちょうどそのその角に、旧居の裏門があった。昔も同じ位置にあったことは間違いない。詩人はこの裏口から密かに出ては用を足していた。

 この裏口については、私ばかりではなく他にも興味を持っていた人がいた。きむらたかしさん、こんなコメントを記している。

[「敷島」と裏木戸]

 見取図を見ていて、スモーカーである当方としては、以下のような朔太郎の姿を「まるで見てきたように」想像できました。

 夜中に、思索に耽っていたいたのか、詩作に没頭していたのかはともかくとして…
  タバコ「敷島」が切れてしまった。
 当初は、灰皿から、吸殻(いわゆる「シケモク」)を、拾っては喫み、拾っては喫みするものの…
  当然、そのうちそれも無くなる。
 今と違って、自販機も24時間営業のコンビニにもないので…
  とにかく翌朝、今の一番街のタバコ屋が開くのを待つほかない
 眠れぬ夜を過ごすにせよ、拗ねて寝てしまうにせよ…
  夜が明けてからタバコ屋の開店時間が近づくのをひたすら待つ
 開店時間が近づくと、男物だろうが女物だろうが、かまわず手近ない着物を寝巻の上に羽織ってでかけようとするが…
  南側の玄関から出ると遠回りになるので…
  裏路地に通じる勝手口から出ようとするが…
  この家で男は朔太郎一人しかいないので…
  当然、そこには、男物の履物はない。
 はやる心で、母親のだろうが、妹のだろうが、女中のだろうが委細かまわず女物の下駄を履き…
 裏木戸を出てタバコ屋に急ぐ。

 「敷島」を買って…
  その場で一服すると…
  「ほっ」と気が落ち着き…
  着物や履物のことなど、もともと全く念頭にないので…
  「敷島」を懐に入れて…
  そのまま、近所の徘徊というか散歩モードに入る。

                   どんどはれ


(二)
 その現場である。裏口から路地は微傾斜を真っ直ぐに下っている。煙草好きが小躍りするようにたったったとよろめくように煙草屋へ向かう。が、角について彼はそっと立ち止まり、左右に目を遣る。いつもの警戒である。
「右よし、左よし」
 こうは言わないが、チェックは怠らない。「よしだいじょうぶ」ということで右に曲がる。

 現場をこちらも何度か歩いて、確信したことは彼「漂泊者」は、ここを行き来したのだなあと実感した。「ああ汝 漂泊者!/過去より来たりて未来を過ぎ/久遠の郷愁を追い行くもの。」(『漂泊者の歌』)、こっそりと静かにここを通っていったのだと思った。

 そしてこの調べから帰った夜に、さっそくに宮田さんに質問のメールを出した。

今の敷地の裏手の路地に出入り口がありました。多分当時も路地へ出られる裏口はあったのですよね。恐らくは朔太郎はこれを使っていたのではないかと推理したのですが、違っていましょうか?。

(三)
 さっそくこれへの返答はあった。

家の裏口を出ると真正面に幅半間ほどの裏口があり、そこからすぐ裏の路地に出られるようになっていましたので、朔太郎さんがその木戸を利用なさっていた可能性はあります。一番街へ降りるには裏口の方が便利でした。ちょうど一番街に降りたところに昔豆腐屋さんがあって、そこへ豆腐を買いに行くときなどは裏口を利用していました。

 あの裏の路地は不思議な路地で、由来がさっぱりわからないのです。誰の土地なのかも分からないし、私どもが住んでいた時代は区のものでも都のものでも個人所有という記録もなく、いつからあった路地なのかもわかりません。その不思議さが朔太郎さんの猫町にぴったりな路地かもしれません。ただ、朔太郎さんがお住まいの頃にあの路地が存在していたかどうかは不明です。

(写真は路地である。つきあたりに裏口がある。ここの右手が細い路地となっている)
 

rail777 at 20:00│Comments(2)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

2. Posted by きむらたかし@三田用水   2015年02月28日 07:02
[隣家への裏木戸]

京都の町家についての論文がありました
r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/2702/1/dmuch5_10.pdf
1. Posted by きむらたかし@三田用水   2015年02月27日 21:55
[裏木戸]

先ほど、旧々朔太郎邸、後の宮田邸を、古い住宅地図で確認しました。

この地型ですと、北の路地沿いに裏木戸を作らない道理がないという場所ですね。

女中さんや、ご用聞きさんや、タバコを買いに走る朔太郎の便宜もさることながら、もっぱら「火事への備え」。

南側の道路の向かいの家が火事で燃え上がると、もともと、それほど広い道じゃないので、避難路が無くなってしまいますので、そのような事態に備えて、裏に路地がある以上は、そこに裏口を作らない手はないわけです。

それができない場合には、いわば「横方向」に逃げられるよう、生垣や垣根なら不要ですが、木や石、後のブロックなどでできた「固くて高い塀」がある場合には、その奥の方に、お互いが隣家に逃げ込めるように木戸を設けるのが、いわば常識でした。

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