2015年12月23日

下北沢X物語(2940)〜路地道、裏道、朔太郎掘

P1050772(一)私たちは北沢の路地を歩いた。そこここの角に詩人の陰影が漂っている、日本中探したってないだろう、あっちには俳人の中村草田男、ここには詩人の福田正夫、すぐに歌人の清水乙女、そして今度は歌人の渡辺順三、この彼がよく利用していた北沢局のポストは萩原朔太郎も利用していた。朔太郎が描いた小説『猫町』は、瞑想に耽って路地町を歩き回った揚げ句、とんでもなく美しい町に出くわす。ところが、それは夢だった。「気がついて見れば、それは私のよく知つてる、近所の詰まらない、ありふれた郊外の町なのである。」どう考えてもこれは下北沢一番街である。彼が覚醒する前に目に入ったのは美しい「四つ辻の赤いポスト」であり、「明るく可憐な」「煙草屋の店に居る娘」であった。そのポストこそは北沢局のものであり、煙草屋の娘こそは鈴蘭堂の奧さんである。幻影の街『猫町』を散歩で行くとき、ポストと煙草屋は手掛かりだった。

 ところが北沢局のポストは撤去され、また今度四つ辻にあった煙草屋鈴蘭堂は更地になっていた。家を出た朔太郎は、まずこの煙草屋に行く、そして次に、北沢局のポストに手紙類を投函した。家を出ても帰りはしない。彼は書斎派ではない。『秋と漫歩』(萩原朔太郎全集九巻 筑摩書房)ではこう述べる。

 私は書き物をする時の外、殆ど半日も家の中にいたことがない。どうするかといえば、野良犬みたいに終日戸外をほッつき廻っているのである。そしてこれが、私の唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのである。

日々彼はほっつき歩いていた。故に彼の散歩の道順は容易に想定できた。詩人はほ新屋敷の家の表玄関から出たのではない。ひっそりと裏木戸を開けて、そのまま一番街大通りまで裏道を直進する。そして通りの角にくるとこそっと左右を覗く、ついでに不安になって後ろから人が追ってきていないかと振り返る。左右よし、後ろよしでようやっと本通りにでる。そして東に向かう、鈴蘭堂で、まず『敷島』を買い、つぎに白秋宛てに認めた葉書をポストに投函し、そのまま行って八幡湯の角を左に曲がって御殿山小路へと行く。彼の好むところの漫歩である。


(二)
 詩集『氷島』は昭和九年六月第一書房から刊行された。格調高いこの詩の「自序」は昭和九年二月に書かれている。世田谷代田居住時代だ。彼は二階の書斎で、ジィジィジィリと頭上の高圧線電線が鳴く音を聴きながらこれを書いた。末尾にはこう書いている。

 著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、激しく詩情を叙べるのである。


 頭上の空中線、駒沢線鉄塔は風に吠え、高圧線も唸る、その電線を通して彼の心も伝染される。この鉄塔線こそ利根上流に間違いなく繋がっているものである。彼は頭上に響く音を通して故郷を身近に感じていた。

 『氷島』の冒頭は、「漂泊者の歌」だ。さるき歩き人の叫びがここには描かれる。この末尾だ。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき斷崖を漂泊さまよひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!


 『氷島』は、最終的には世田谷代田で編まれた。漫歩の成果が投影されているとみることもできる。ひたすらに路地を、裏道を歩いていって掴んだ感覚はここに述べられていないか。例えば、「漂泊者の歌」の冒頭一連ではでは起伏が端的に描かれる。

日は斷崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
續ける鐵路の棚の背後うしろに
一つの寂しき影は漂ふ。


 崖があり、鉄道の切り通しがある。フラットな地だととっかかりがないが起伏には陰影がある。裏道、路地道を行った揚げ句の感触なのではないだろうか。

(三)
 これまでの『猫町』散歩の場合、御殿山小路を行ったときに左へ左へというコースをとった。が、この路の途中の今井兼次邸の側の東へ向かう路地も行ったのではないか。劇作家岸田国士は兼次邸を訪れた後、垳利一邸へ向かったと、この路地を行ったのだ。野屋敷の人はここを東北沢に行くときによく使っている。

 朔太郎も漫歩途中にふと足を踏み入れたのではないか。ここを行けば、例のスリ横町にある女給が七人も八人もいるキャフェに行ける。『氷島』で描かれる「珈琲店 酔月」はここのイメージではないか。詩の一節にこうある。

我まさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂泊の悔を知らむ。


 あてのない流離いだ。路地道、裏道を彼はひたすらに歩いていた。
(写真は四つ辻、更地になったところにすずらん堂はあった。撮影米澤邦頼)

rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔