2016年02月23日

下北沢X物語(2981)〜辺境新境「仙川の町」の文化を巡る供

P1050841(一)文化は土地固有が醸すものだ、仙川には地形的な的な点で特徴がある。当地西端の南北に国分寺崖線が走っている。街の中心はこの崖線上に守られたフラットな地形だ。地盤的に安定している。

 この街を歩き回って景観的にいいなと思った点が三つある。国分寺崖線の背尾根からの西の山の眺望がよい。大山や富士である。戦争時代は大型爆撃機の進入口である。ゆえに下仙川高射砲陣地はここに設けられたものだ。

 当地における富士眺望、気高いゆえにこれを最大限に活用した。古い学校としては府立第十五女学校、今の都立神代高校である。往時この高女の校歌は、「神代高女校歌の詞」(葛原茂作)だ。

 朝な夕なに とこしへに 正しく 床しく 聳え立ち 神山富士の 気高きは 皇御国の とはなる姿 明け暮れ 仰ぎて 忠誠の鏡を磨かん をとめ子われ
 
 台地背尾根から日々気高い富士の高嶺を臨み見て明日への決意を新たにしていた。富士が見える場で乙女の純潔な勉学心を高める。眺望の校歌である。

 我等はキユポートから滝坂を下った。滝坂旧道、馬宿「川口屋」の石碑を見て行く。下ってつつじヶ丘、さらに
今度は引き返して国分寺崖線を上る。そこには旧陸軍高射砲陣地跡がある。
P1050837
唯一弾薬庫が残っている。
 そこに行くために急峻な赤地のような狭い道を上る。
「そこは私有地だから勝手にはいってくるな」
 地主らしい人が怒る。
「でもね、市民が入ってもいい道路なんですよ。」
 仙川地図研究所の案内役の女性。
 怒られながらも弾薬庫跡の建物はじっくりと眺めた。痕跡はこれしか残っていない。
 当時、一帯は住んで居る人が少なかった。ゆえに記憶を宿している人が少ない。土地の文化を訪ねる人によって辛うじてこの記録は残されている。



(二)
 景観として素晴らしいと思ったのは実篤記念館だ。「仙川の家」とここは呼ばれていたようだ。一番感心したのは国分寺崖線の自然がそのまま保存されていたことだ。街歩きの途中、滝坂を少し下ったところでこの国分寺崖線の一角が造成されていた。斜面の樹木を薙ぎ倒し、ブルトーザーが崖を均していた。造成してマンションを建てるようだ。かつて国分寺崖線は僂硫麩だった。が、建設機械を使えば容易に造成できる。ここに建てれば眺望はよい、高く売れるということで崖線が各地で潰されている。わずかに残された僂いまやどんどん削られている。

 実篤記念館は、そっくりそのまま僉谷、池、これらを全て景観として保存している。昔通りの地形はめったに見られなくなった今日この頃で言えば貴重だ。

 今回の案内者は和田文雄さんだった。常々我等は次から次へと歩いていくことを主眼としていた。この街歩きではこの公園で自由時間をとった。30分ほど自由に園内を見てまわるというものだ。全体のコースを楽に回れたのはこの休憩があったからではないかと思った。

 文学者で言えば、安部公房もこのすぐ側に住んでいたという。実篤公園が若葉町23番地、となりの24番地に家があったが取り壊されたという。『砂の女』はここで書かれたという。崖線文学の陰影がこの作品に生きているかもしれない。

(三)
 僂了弔覲垣を上り寺町を通っていく、六つ連なっている。ここも関東大震災で逃れてきた寺だという。寺町を通って駅に向かい、そして、「安東忠雄ストーリート」へといく。彼の手になる建物が七棟建っている。
 その通りを眺める、建築家の固有性が端的に出ている。すっきりしている、そしてシンプルだ。
「ね、ね、この通りは電線がないんですよ」
 参加者の横田さんが教えてくれる。街並みがすっきりしているのはこのせいだった。我々の認識する街には電柱があって網のように張りめぐらされた電線がある。それが固着的な風景だ。電線のない風景というのは日ごろでは考えられない。
 
 景観をどう作るのか、大事なことだがこれへの哲学を持っていない。街の景観づくりの一つの試験がここでは行われている。仙川は人が寄ってくるはずだ。辺境新境である。

(四)
 歩き終わった後に、お茶をした。その喫茶店がお洒落だった。仙川文化を体現しているのかもしれない。若者向けだった。雑談しているときについ口を滑らせてしまった。
「ここには滝坂道に関わる団体が三団体います。今日の話にもしばしば滝坂道がでてきました。地域地域で呼び方が違っているんですよね。青山道といったり祖師谷道と言ったり、滝坂道サミットをしてみたらどうですか?」
 この話が人を刺激してしまった。
「先生だめですよ。戦争経験とか、研究会があるんですから。」
 米澤邦頼さんがたしなめる。そうだ手を広げすぎていた。
「じゃあ、わたしがやらないで藤井さんにお任せしましょう…」
 そんな具合になった。

仙川地図研究所とのコラボは今回初めてだ、また今後折を見て共催的な行事を考えたい。
(上、安藤忠雄ストリート。下、唯一高射砲の遺構としてのこっている弾薬庫跡)

〇お知らせ
 当、Web東京荏原都市物語資料館に写真許諾願いが送られてきた。フジテレビの番組を制作している会社からだ。「『そんなバカなマン』はバナナマンとバカリズムが出演している番組なのですが、今日これから2月23日もしくは3月1日放送の回で下北沢の写真を使用したく思っております。」との連絡、許可をしました。早速に今日の23日の番組で使われるかもしれません。当ブログに掲載している六枚の写真です。



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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