2016年12月19日

下北沢X物語(3181)〜終戦後の下北沢のカラー画像を歩く供

DSCN0081(一)「戦ひの火に遇はざりしこの区画冬靄やさしき高きにみれば」と詠んだのは下北沢在住の歌人堀内通孝だ。「し」は、過去の助動詞、「き」の終止形だ、ここに深い詠嘆がこめられている。東京の他の街は焼き尽くされた。が、この街は焼け残ったんだなあ。一方、Dr.Austinはこの街に古い東京郊外の情緒を見出して絵を撮った。街角に漂っている時代の空気を見事なまでに写している。興味深いのは北口と南口では空気感が異なる。南口の方には新開地的な雰囲気が漂っている。
 
 十六枚の一枚は、現在の駅南口のところが撮られている。右手はパン屋である。二階前面に色ペンキの広告が描かれている。真っ白のコック服を着た男が左手に食パンを掲げている絵である。白に生えている褐色、黒人のようでもある。店の名は「国際ベーカリー」である。
 一階の店には白いのれんが掛かっていて、そこには上に「国際ベーカリー」と描いてあって、縦に、左から「和菓子」、「喫茶」、「パン、ケーキ」とある。よく見ると「皆様の茶寮」とも書いてある。

 その隣にはのれんがあって、看板が掲げられている。メニューとしては、「うどん 鍋焼きうどん 花家」とある。駅前ゆえに食べ物屋が商売になる。

 全体に文化の混在が面白い。駅前の喫茶店である。そこではパンも和菓子も供された。また隣の食堂ではうどんも食べられた。このように和洋が入り交じっているところにDr.Austin惹き付けられたのかもしれない。

 今、茶沢通りに抜ける道はふさがっていてバラックのような家が建っている。「衣類買い入れ専門店」とある。「絶対にご希望にそいます」のようなウリが書かれている。時代を端的に表す店である。戦争によって工場は軍用品の生産に追われた。人の着る衣服まで手に回らない。戦後は、この衣類がお金になった。箪笥の奥にしまってある着物などの衣類をリュックにつめこんで電車や汽車にのって田舎に行った。これで農産物を手に入れていた。この店の看板の上には洗濯物が干してある、生活がリアルに見える、男物のしたぎにおんなものの下着だ。主人と奥さんのものだろうか。

 現在のマクドナルドのあるところが八百屋だ。というよりも駅前によくあった果物屋である。「果実の丸万」とある。駅で降りて、ここで果物買い、訪れていく家へのおみやげとした。黄色い蜜柑が山積みになっている。

「しかし、驚きですね、こんなに街は変わってしまうのですか?」
 参加者の一人が言っていた。路地を通っていくのは若い女性、着ているものが華やかだ。



DSCN0082
(二)
 歌人堀内通孝は「風物歌集」では「下北沢」と題して歌を詠んでいる。

この駅を囲み残りし家群よ 二十年わが住みし町よ


 駅近辺は焼け残った。改めて深い感慨を彼は述べている。感嘆でもあり、感慨でもある。焼け残ったゆえに過去が残っている。戦争が終わって価値ががらりと変わった、まちも日々様相を変えつつあった。が、それでも街には戦前の面影が到る処に残っていた。彼には愛着のある街だった。

 写真に写っている商店のほとんどは今はない。が、店の看板に書かれた名前が気づくとビルの名に変わっているところがあった。その店の主人が教えてくれたのだ。

 大きな発見があった。写真に映っている店で今も変わりなく営業している店が二つあった。まず一つ目は北口栄通の文具屋である。「きくや文具店」だ。ネットにはこうある。

 東京世田谷区の下北沢にあるきくや文具店です。
文房具・事務用品をはじめとして、OA・パソコン用品、各種届出用紙・法令用紙まで、数千点を超える豊富な商品を取り揃えております。


 地域一帯には文具店は必ずあった。定番は学校前の文具店である。が、これは今ではほとんど残っていない。文具点の数は少なくなっている。このお店は街で重宝されているのだろう。おそらく学校などの外商でやっていっているのではないか。

(三)
 南口で今も残っていたのは「花屋」である。今の名前は、「ペニーレインしんかえん」である。往事の写真を店に仲間が持っていった。
「長く続いている店です」
 店の主人の言葉は自信にあふれていた。これもドラマだ。ふと浮かんできたのは森茉莉のことだ。

 まず、淡島から出てきて北口駅前市場でイングランド製のチョコを買う。その後に風月堂に行って紅茶を飲んだ。帰りがけインクを切らしていたので「きくや文具点」でこれを買い、踏切を渡って南口に出て、それで「しんかえん」で立ち止まる。「きょうはスターチスはありますか?」と店主に問うた。彼女は、「スターチスという細かな、美しい花があって、私はその花が大好きである。」(ドッキリチャンネル)
(上、下北沢駅南口前で、キュレーターたかしさん、下、今も営業中の花屋さん)

○代沢小安吾文学碑について
 
 代沢小は学校統合で花見堂小学校と合併する。学校の名前としては代沢小は残る。が、校舎改築は行われる。今の代沢小は壊され新しい校舎ができる。来年度は花見堂小で授業は行われる。

 安吾文学碑は代沢小にあるがここは手をつけないそうである。が、工事が始まると文学碑に入れなくなる。今はだいぶ回りに樹が繁っているが早めに剪定をした方がいいのではないかと広島文武さんから連絡があった。当会の金子善高さんに連絡して、「剪定についてはどうか?」と。とくに問題ないとのこと。それでお任せで剪定してもらうことにしたい。 


rail777 at 20:00│Comments(6)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

6. Posted by きむらたかし@三田用水   2016年12月26日 20:16
[白い洗濯物]

今後の話題のご提供をいくつか

・幼いころの記憶ですが「白元」という洗濯物の漂白剤がありました。このころ、もうあったのでしょうか。

・2階左から2枚目の洗濯物は「シミーズ」!
 昔はとくに下町では、これ一枚で、路地はもとより表通りも「おばちゃん」達が闊歩していましたっけ(品川の大井町でも、1本裏道に入ると同様)。
 もちろん、さすがに「パンティ」ではなく「パンツ」か「ズロース」は履いていたのでしょうね。ただ、こちらは「幼児」、相手は「近所のおばちゃん」さらには「友達のお母ちゃん」ですので、しげしげとは観察する動機付けが全くありませんでしたので。

・1階の軒先の左端に、どうみても日の丸が下がっているのですが、これ、何か意味があったのでしょうか。いわゆる「旗日」ならほかのお店の前にも掲揚されているはずなのですが、それもありません。
5. Posted by きむらたかし@三田用水   2016年12月26日 19:44
ご注意:以下は「なぜか書いてみたくなった、柳田圀男風文体のただの感想文」ですので、ご興味のない方には読み飛ばされることをお奨めします。

[熱血教師ドラマ]
 しんみりとwikiなるものなどで調べ尽せば、もう少し計り精確に書けるのであらうが、確か半世紀計り前、屡々「熱血教師」なる者を主人公とするテレビのドラマが放映されて居た。その嚆矢は、夏木陽介氏を主役とするものであったと乏しくなった当時の記憶の中にある。
 何れの主人公も、運動競技に就いて其自体に就いての能力はもとより後進者への指導能力にも長けて居るという設へであった。
 然るに「熱血教師」なるものは、基より運動に関はる其に限定される道理はさらさら無く、却へって、これまでの永ひ人類の活動からみても、天文、地文、人文の域内に居てこそ何の不思議もない、と云ふよりも却へって居ない方がおかしい。
 此処への「コメント」を観れば、少なくとも、人文の域で、かねて「熱血教師」が居たことを知り得るであらう。


4. Posted by きむらけん   2016年12月26日 18:55
[「現在の駅南口のところが撮られている。」へ]

 はい、そうですという返答も、芸がありませんね。白い洗濯物がいやに印象的です。
3. Posted by きむらたかし@三田用水   2016年12月26日 17:51
[「現在の駅南口のところが撮られている。」]

と冒頭近くで言及されている写真は、これ
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/0031018287881a6a69a388b4325bcfd0.jpg
ですよね。

2. Posted by きむらけん   2016年12月19日 20:54
記憶にあります…ええ、今もって文化探訪を青年のときのように熱心にしています。そうそうよく覚えていましたね、「文化とは土のにおいのするもの」、これこそ伝わってほしかったことです。卒業生の一人に受け継がれていることに感銘を受けました。
1. Posted by こんの   2016年12月19日 20:18
5 きむら先生!59回生のこんのです。
きむら先生はわたしのこと覚えてないとおもいますが……
ふときむら先生のブログを見つけ、あまりの懐かしさに涙がでてきました!(そういえば、先生て満州出身だったなあ、とか。)
下北沢のエックスのお話、続いてるんですね……
11年前と同じですね。
わたしたち59回生も、文化といえば→土のにおいのするもの、と
みんなの共通認識です!
寒いので風邪ひかないでくださいね!
きむら先生のブログ今後も楽しみにしてます。

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