Rail・Artブログ

サイトRail・Artで扱っていた列車時刻の更新情報のブログです。 サイト閉鎖に伴い更新は終了。全てのリンクは無効となっておりますので御了承下さい。 また、時刻再掲及び時刻のリクエストには応じかねます。 尚、テーマの前に★が表記されている物はGIF形式で、 ☆が表記されている物はテキスト形式で時刻が確認出来ます。 但し2015年1月以前の記事は殆どの時刻の確認は出来ません。

伊豆半島

★ 1985年1月 L特急「踊り子」の時刻

 今日は1985年1月のL特急「踊り子」の時刻です。
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定期が下り6本、上り7本。季節が上下4本ずつ。臨時が下り3本、上り2本設定されています。
編成図を付けましたが1・11・17・2・8・18号は183系での運転。
「サロンエクスプレス踊り子」と「踊り子55号」は客車。
55号は14系8両(南シナ)で自由席3両。対で設定されている列車はなく、上りは回送(回9524レ:伊東16:43→品川19:00)。

★ 2016年8月 特急「踊り子」の時刻

 今日は、ほぼ時刻の掲示だけ。2016年8月の特急「踊り子」の時刻です。
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「スーパービュー踊り子」に「マリンエクスプレス踊り子」、それに我孫子発着の「踊り子」と、今では見られなくなった列車が設定されています。
「踊り子」の使用車両も185系だった時代。

★ 1970年7月 急行「伊豆・おくいず」の時刻

 今日は1970年7月の急行「伊豆・おくいず」の時刻です。
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この時代、「伊豆」は定期・季節で上下共に6号まであります。
全車指定席ですが、普通車は上下共に指定券がないと乗車出来ないのは小田原まで。
季節運転ですが下り5号は東京→国府津で「ごてんば4号」を併結。唯一、国府津に停車する「伊豆」です。
併結相手に合わせて「ごてんば4号」も東京→国府津は全車座席指定・・・かなり敷居の高い「ごてんば」です。

★ 2011年冬臨 特急「河津桜号」の時刻

 今日は形ばかりの更新。2011年冬臨の特急「河津桜号」の時刻です。
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千葉~伊豆急下田を結ぶ臨時特急です。
リゾート21EXが千葉に顔を見せた事で話題になりましたので御記憶の方もいらっしゃるかと思います。
グリーン車・普通車共に全車座席指定での運転。

【 お知らせ 】
2023年1月22日の記事「興浜南線の時刻変遷」ですが、GV73Aさんより多くの資料を頂戴しましたので追加しました。仮乗降場の時刻も載っていますので資料として御活用下さい。




★ 1975年7月 急行「伊豆」「おくいず」の時刻

 何度か書いている事でありますが、私の時刻の変遷調査には大きな偏りがありまして、ある特定の地域の列車に関しては、はっきりとした進捗の遅れ・・・と申しますか、放置がみられます。
伊豆半島もそのひとつで、本日扱う急行「伊豆」「おくいず」のみならず、「踊り子」も惨憺たる有様です。
まともに調べられているのは特急「あまぎ」くらいのものですが、この列車は歴史を通して本数が少ないですので、何の苦もありません。全てがそうであると良いのですが・・・。
今年の1月に、全く調査の進んでいない急行「伊豆」及び特急「踊り子」関連の時刻を最低でも10個程度入れるという目標は設けたのですが、実のところ本日紹介する1975年の急行「伊豆・おくいず」の時刻で2例目・・・まだ今年も12日程残ってはいますが、目標達成は絶望的。あと1回、「踊り子」の時刻を紹介出来るかもしれませんが、せいぜいそれで終わりでしょう。
今年も伊豆半島の列車に関しては、”お寒い状態”のまま終わりそうです。
 さて、1975年の急行「伊豆・おくいず」の時刻ですが、1974年8月と大きな違いはない様です。
目立つ点としては上りに「おくいず50号」の設定がみられる事くらいでしょうか。
時刻は幾らか違う点は見られるものの、同じ時刻の列車の方が多いように感じました。
尚、「伊豆」の普通車は上下共に小田原まで全車指定です。
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★ 2002年8月 快速「伊豆マリン号」の時刻

 今日は2002年8月の時刻表から快速「伊豆マリン号」の時刻です。
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夏臨の常連だった快速「伊豆マリン号」も2002年夏を以て設定が終了となるので、末期の時刻という事になります。
「伊豆マリン号」は長く伊豆急下田に到着して間もなく上り列車として折り返す運転形態でしたが、2001年シーズンからは上り列車は伊豆急下田を夕方に出発する形態に改められました。
普通車のみの一部指定席での設定です。
大宮~伊東の快速「お座敷湘南伊豆号」は全車グリーン車指定席。

★ 1993年1月 快速「伊豆いでゆ号」の時刻

 今日は1993年1月の時刻表から快速「伊豆いでゆ号」の時刻です。
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東京~伊豆急下田を結ぶ臨時快速で全車自由席での設定となっています。
年末年始と2月の日曜日に運転。
90年代前半の夏の時刻表を御覧になった経験のある方は、同じような列車を見た記憶があるかもしれません。
この列車、時刻的には快速「伊豆マリン号」の愛称違いと言える列車で、今井浜海岸に停車しないという位の違いしかありません。

★ 1995年9月 快速「ホリデー快速西さがみ路号」の時刻

 昨日同様、1995年9月の時刻表から本日は快速「ホリデー快速西さがみ路号」の時刻です。
立川~伊東を新宿経由で結ぶ列車で、普通車のみの一部指定席で設定されていました。
95年夏臨には快速「伊豆マリン新宿号」の設定がありましたが、時刻の共通点はありません。
「ホリデー快速西さがみ路号」独自の時刻になります。
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見ての通り、結構な数の通過記号が並びます。
見た感じでは新宿からは臨時の「踊り子」の時刻だと言っても違和感は無いのではないでしょうか。
95年秋臨に「踊り子175号」(新宿13:00発→伊東14:58着)というのがありますが、こちらの所要時間が1時間58分。対して「ホリデー快速西さがみ路号」の新宿→伊東の所要時間は2時間10分・・・その差は12分。料金不要の列車としては十分に健闘していると言えるように思いますが、95年夏臨の快速「伊豆マリン新宿号」は停車駅は多いですが、同区間を2時間丁度で結んでいますから、停車駅数=速達性という訳ではありません。

★ 1991年7月 特急「スーパービュー踊り子」の時刻

 2020年3月14日ダイヤ改正まで一週間。今改正で引退となる「スーパービュー踊り子」に因みまして、今日は1991年7月のL特急「踊り子」・特急「スーパービュー踊り子」の時刻を紹介します。
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「スーパービュー踊り子」のデビューは90年春ですが、92年3月改正までは定期3往復体制。
東京発着1往復に新宿発着1往復、池袋発着1往復となっています。
内、池袋発着の1往復は基本的に水曜は運休。代わりにL特急「踊り子152・153号」が運転されます。
「スーパービュー踊り子」が全車座席指定ですので、代わりの「踊り子152・153号」も全車座席指定なのは納得なのですが、前年の90年7月の時刻表を見てみると、7月4日~9月26日の運転日は全車指定となっているものの、自由席設定の表記になっています。資料不足で確認はとれていませんが、全車座席指定になったのは91年3月16日改正からなのかもしれません。

★ 1978年8月 特急「あまぎ」の時刻

 今日は久し振りに伊豆半島関連。1978年8月の特急「あまぎ」の時刻です。
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「あまぎ」に限った事ではありませんが、特急の歴史は停車駅増加の歴史と言っても差し支えない気がします。
77年6月では定期1本、季節1本は伊豆高原は通過だったのですが、78年8月では全列車が停車になっています。
これから先、各列車の停車駅に関しては80年10月改正まで変化なし。80年10月改正で4往復全てが川崎に停車するようになって「あまぎ」としての歴史は終了となります。

★ 1976年4月 特急「あまぎ」の時刻

 本日も手短に更新・・・1976年4月の特急「あまぎ」の時刻です。
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設定以来、157系で運転されてきた「あまぎ」ですが、76年1月から183系1000番台への置き換えが行われ、3月迄には終了した模様。
4月の時刻表では4往復共、自由席3両を含む10両編成で記載されています。
少々気になるのは2月の「あまぎ」の編成内容。
定期扱いの2・3号は9両(157系)、季節扱いの1号は10両(183系)という事になっているかと思いますが、編成内容はどうなっているのでしょう?
1号には自由席が設定されているのでしょうか?
1976年2月の時刻表をお持ちの方がいらっしゃいましたら御教示頂けますと幸いです。

掲載時刻表をお持ちの方、御協力、宜しくお願い致します。

 【2018年2月10日追記】
”北極急行”さんより以下のフォローを頂戴しました。
1976年2月の「あまぎ」について
6021M,6022M1号:全車指定10両 4,5号車はグリーン車 2/29までの休日運転
3023M,3025M, 3024M,3026M 2,3号:9両全車指定  3,4号車はグリーン車

4号は運休中

参考として1976年1月号での表記は、
1号は7両 3,4号車はグリーン車(1/18までは4号車なし)
2,3号 9両3,4号車はグリーン車(1/20まで 4号車なし)

183系1000番台に変更後は全車座席指定だった訳ですね。

2004年秋臨 特急「あまぎウォーキング号」の時刻

 2004年秋臨の特急「あまぎウォーキング号」の時刻でも紹介しておきたいと思います。 
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 【 JTB時刻表2004年11月号より 】
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下りは「踊り子181号」と時刻・停車駅は殆ど一緒なのですが、特急「あまぎウォーキング号」は来宮・網代には停車しません。熱海までに違いは認められませんが、列車番号が8021Mと9021Mで違うのはそんな所に理由がありそうです。
因みに特急「あまぎウォーキング号」は全車座席指定での運転。使用車両は183系だった様なのですが、1000番台と0番台の混合である上に、グリーン車は189系だった模様。
183系・189系の混合編成は2000年代に入ると珍しくなくなりましたが、当サイトではなかなか対称の列車を扱わないので、丁度良い機会という事でサイトには編成表も入れてあります。

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上りも「フルール踊り子号」とほぼ一緒なのですが、こちらも「あまぎウォーキング号」は網代・来宮に停車しないという違いが見られます。

1953年の準急「伊豆」の始まりに関する追加資料など

 先日やりました設定当初の「伊豆」について、訂正表の写真を送って頂きましたので、その紹介です。

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黄色の枠内は”信三鉄道”さんより頂戴した訂正表の画像。
確かに「はつしま」に修善寺編成が追加されています。一方、下り「あまぎ」に関しては触れられていません。
この修正表通りに修正すると修善寺行きの列車が土曜日は下り4本運転される事になります。
あくまで当サイトで扱っている範囲の話ですが、下り土曜、上り日曜運転といった運転形態の列車でも、伊豆箱根鉄道に乗り入れる列車は基本的に上下の数が揃っています。その対象性が一時的にせよ崩れた時があるのでしょうか?
 先日紹介しました通り6月には準急「伊豆」という毎日運転の臨時列車の記載があり、伊豆箱根鉄道乗り入れも上下3本で揃っています。
3月15日改正で準急「伊豆」の愛称が付与されたかどうかは不明ですが、上り「あまぎ」(3838T)の時刻も修正事項に含まれている事が分ります。そして修正された結果は準急「伊豆」そのもの・・・あとは下り「あまぎ」を伊東行きのみとし、「はつしま」にしてしまえば万事丸く収まりそうですが・・・・。
個人的には3821Tの修善寺編成は本来削除とすべき事だったのではないかと思えてなりません。
絶対に無いとは言い切れませんが、やはり修善寺行きは3本だったのではないでしょうか。

 ともかく、「伊豆」として走るスジは53年3月の時刻表に出ていた事は判明しました。
残る問題は、いつから毎日走るようになったのか、「伊豆」と名乗るようになったのはいつからかという事です。
因みに1953年3月15日は日曜日。修正表には3819Tは土曜運転と書いてありますが、改正日から毎日運転だったのか、それとも途中から毎日運転になったのか・・・これはどちらのケースも有りそうな感じです。
まぁ、初日からだったのなら修正表の内容も相当に修正が必要だと言えそうですが、実際はどうだったのでしょう?

★ 準急「伊豆」の誕生時期について

 本日は”北極急行”さん提供の1953年6月の伊豆方面への準急の時刻です。
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毎回、この時代の伊豆方面への準急を採り上げる毎に、謎だらけだと書いていますが、こうして少しずつ時刻が埋まってきますと、少なくとも時刻に関しては次第に事情が分かるようになってきています。
本日の53年6月の時刻ですが、ポイントは準急「伊豆」の記述がある事です。
先月24日のブログでも書きましたが、準急「伊豆」の誕生はいつなのか、はっきりした事が分かりません。
53年3月改正という話もあれば、同年10月改正という話もあります。
前のブログでは記述内容としては53年10月説に書かれている方に説得力があると書きましたが、53年6月に記述がある以上、当然ながら誕生は10月という事は有り得ません。
「伊豆」の誕生は10月ではないと判った事は一歩前進です。
しかし、では3月からなのかと言うと、これにはちょっとした問題があります。
 【 交通公社時刻表1953年3月号より 】
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この時刻表、3月15日改正後の時刻を扱っている筈ですので、伊豆方面もそうなのだろうという前提で話をしますが、時刻表で見る限り「伊豆」の記述がないのは勿論、「あまぎ」に修善寺編成が記載されています。
これは前に書きましたが、時刻で見れば下り準急「伊豆」の東京→熱海は元来「はつしま」が使っていた時間帯です。列車の行き先が修善寺・伊東に分かれるところなどは「あまぎ」の性格を汲んでいますが、時刻の一致はありません。
実際、今回頂戴した53年6月の時刻でも「伊豆」は東京12:55発。東京13:30発は「はつしま」・・・東京→熱海は列車が入れ替わっているのですね。
「はつしま」にはない熱海→修善寺のスジは新規に引かれた事になりますが、これがいつ引かれたのかが問題。
”北極急行”さんもおっしゃっていますが、伊豆方面の不定期準急の時刻は何らかの都合で3月号の時刻表編集の期日に間に合わなかった為、改められる事なく古い記述が出てしまった・・・というのは有りそうな気もします。準急「伊豆」は毎日運転ですが、列車番号は不定期列車のそれです・・・生粋の定期程、立場が強くないと申しますか、後回しにされるという事はあったかもしれません。
しかし、古い時刻だとすると「はつしま」の東京12:55発というのは、1952年5月の後、変わっているという事になります。52年5月は東京12:50発。横浜にも停車していません。
考えられそうなのは52年9月辺りですが、52年9月以降に「はつしま」が12:55発、横浜停車で運転されているのかどうかは、時刻表が無いので不明です。
52年秋や53年冬の「はつしま」「あまぎ」の時刻が判れば、もう少しはっきりするかもしれませんが、現在のところはお手上げといったところ。
さて、交通公社時刻表52年3月号に記載されている時刻は、果たして3月15日改正を反映したものなのでしょうか?

 私は残念ながら持っていないのですが、この52年3月号、多くの訂正箇所があるらしく、復刻版には、かなりの量が記載された訂正表が添付されている様です。
当サイト53年3月の時刻ファイル、本来は”信三鉄道”さん提供のファイルを載せていました。
訂正表をお持ちですので修正点を加えられているものと推察しますが、「はつしま」に修善寺編成がある事になっています。
更に上に載せた写真では通過になっている新橋も停車扱い。
この時刻は「伊豆」の内容と一致します。3819Tに修善寺編成が出来た事で、おそらく修善寺行きはなくなっている筈の3821Tに修善寺編成があるのが気になりますが、愛称の変更と3821Tに併結されている修善寺編成を除けば、53年3月改正から「伊豆」が存在したという話も、だいぶ筋が通ってくるような気がします。
現在、3821Tの修善寺編成の問題で、サイトの時刻は訂正なしの時刻表の表記に準拠した時刻を仮に入れてあるのですが、意外と「伊豆」の問題をややこしくした背景は、時刻表の表記にあったのではないかという気がしてきた今日この頃であります・・・53年4月号の記述が判れば、大体はっきりしそうなのですが・・・
尚、修正版の53年3月分は説明文を入れて再度掲載予定です。今しばらくお待ち下さい。

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★ 1936年3月 伊豆方面への準急の時刻 他

 本日は”北極急行”さん提供の1936年3月の伊豆方面への準急の時刻です。
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改めて説明は必要ないかと思いますが、戦前の準急は別途料金不要の列車で、戦後の有料列車とは異なります。
快速みたいなものだと考えておけば良いのですが、列車によっては食堂車が付いていたり、2等寝台が連結されていたりと、かなり設備の整った列車も設定されています。
本日紹介する列車の中に該当する列車はありませんが、土曜日運転の新宿発の1225レ・・・この列車は3等のみの編成だった様ですが、座席は指定制だった模様。
戦後の伊豆方面の有料準急、設定当初から暫くは全ての列車が座席指定制を採用していますが、戦前にも座席指定制の週末運転の列車があった事が分かる興味深い情報です。
戦後の新宿発は品鶴線経由で運転されますが、この時代は品川経由ですので、品川で機関車を付け替えて運転されていた事になります。
手間の掛かる運転ですが、こういう運転もやった背景には、伊豆方面への需要の高さがあったものと思われます。
伊東線は1938年12月15日に伊東までの全線が開通する事になりますが、36年3月のこの時点では1935年3月30日に開通した網代までの運転。
週末に下り2本、上り1本が東京からの直通で運転されていた様です。

 さて、伊豆方面の話が出たついでに質問も兼ねて70年代の臨時列車の時刻をひとつ紹介しておきたいと思います。
このブログを始めた初期の話ですが、車内泊が出来る東京→伊豆急下田の列車を紹介した事がありました。
 【 交通公社時刻表1974年7月号より 】
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74年8月で言えば快速「南伊豆」。

 【 交通公社時刻表1978年8月号より 】
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78年夏は7月22日から8月12日までは定期の733Mが伊豆急下田まで延長運転され、「下田号」という愛称が付く旨の注釈が見られます。
80年夏にも同様の記述が見られますから、80年夏まで続いた様なのですが、問題は74年から78年の間で、75年7月の時刻表を見ても、快速「南伊豆」も733Mの延長運転も、それらしい記載は見られません。
75年夏は休みで、その後に733Mの延長運転という形態が現れるのではないかと思うのですが、76・77年の夏に設定はあるのでしょうか?
該当の時刻表をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けますと幸いです。

伊豆方面への車中泊が可能な列車の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 本日のブログはこれにて終了です。
最後になりましたが、コメントを下さいました方々、有難うございました。

★ 設定当初の80系準急「あまぎ」「はつしま」の時刻

 先日、1950年8月の伊豆方面への準急「いでゆ」「いこい」の時刻を紹介しましたが、”北極急行”さんが1951年1月の伊豆方面への準急の時刻も送って下さいましたので、紹介しておきたいと思います。
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1950年10月に準急「あまぎ」、11月に「はつしま」(10月運転分は「第2あまぎ」)が80系電車で設定されたという話は書いたように思いますが、その設定初期の時刻だと言う事が出来ます。
1952年5月と下りの東京発の時刻は同じですが、52年5月が「はつしま」→「あまぎ」→「いこい」→「いでゆ」の順に出発するのに対し、51年1月では「あまぎ」→「はつしま」→「いでゆ」→「いこい」の順に出発していきます。
順番が全く違うという事がお分かり頂けると思います。
また、51年1月では伊東線内で準急運転を行うのは「あまぎ」のみ。一方、52年5月では「はつしま」と「いでゆ」が準急運転で、「あまぎ」は外れています。
1951年4月1日に「いでゆ」「はつしま」が毎日運転となりますが、その際にでも変えられたのでしょうか。

 伊豆方面への人気は高く、「いでゆ」1本だけの運転だった1949年10月27日には既に切符の発売制限が実施されていた様ですが、その後も週末の需要はうなぎ上りで、52年10月30日には1人2枚までの発売制限までかけられる様になった模様。
80系が使用される様になってスピードアップされた事で、人気も加速したのでしょう。何しろ東京→熱海の所要時間は特急と互角、時にはそれ以上という驚異の準急です。無理もありません。

 1950年1月時点での80系使用列車は「あまぎ」と「はつしま」ですが、「あまぎ」は修善寺編成4両、伊東編成10両の合計14両。「はつしま」は10両での運転だった様です。

 さて、前回のブログでも書きましたが、伊豆方面への準急の歴史は謎だらけです。
書物であれ、ネットであれ、記述されている事の何が正しく、何が誤っているのかを判断するのは容易な話ではありません。
伊豆方面への準急に格段の思い入れがある訳ではない事もあり、乏しい資料とネット調査で何とか記事にしようと悪戦苦闘したりしているのですが、見れば見るほど混乱してくるような気がします。
丁度の機会なので、幾つか分からない点を書いておこうと思います。
伊豆方面への準急及び80系電車にお詳しい方、情報がございましたら御教示頂けますと幸いです。

まずはウィキペディアの特急「踊り子」の項より
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① 1950年11月に「はつしま」が設定されたというのは問題ないのですが、設定当初は客車であり、51年4月に「いでゆ」と一緒に80系化されたという事になっています。
しかし、”北極急行”さんから頂戴した1951年1月の「はつしま」は電車・・・客車準急云々とは何のことなのでしょう?

② 1952年3月に「いでゆ」の基本編成に連結されている2等車は3両になるとあります。問題は3両になったのは「いでゆ」だけなのか・・・という点。「あまぎ」や「はつしま」はどういう編成なのでしょう。
1952年9月から修善寺編成に2等車が連結されて15両になるという記述を見るのですが、修善寺編成に2等車が入るのは「あまぎ」だけなのでしょうか?
1953年3月で確認したいところなのですが、伊豆箱根鉄道に乗り入れる編成に2等車があるのかどうかは、時刻表の記載で見分ける事は不可能な状態です。

③ 1953年3月に「あまぎ」は「伊豆」に改称されるとあります。一方、鉄道ファン84年10月号では1953年10月1日から下り「はつしま」、上り「あまぎ」を「伊豆」にした・・・という記述が見られます。「伊豆」の始まりは一体いつなのでしょう?
当サイトで「伊豆」が出て来るのは56年11月ですが、時刻を見比べた限りでは鉄道ファンの記載と一致するところが認められるのですが・・・。
因みに1953年3月15日改正後の時刻が対象の交通公社時刻表53年3月号でも文中の記載は「あまぎ」で「伊豆」は出てきません。
 【 交通公社時刻表1953年3月号より 】
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記載されている「あまぎ」の下りは土曜日運転で、後の時代になると荷物列車とか修学旅行専用列車が記載されるようになる辺りに、わざわざ分けて記載されています。
臨時ながら毎日運転されるという記載とは合致しない気がするのですが、ウィキペディアのみならず「伊豆」は53年3月からの設定だとする記述が幾つか見られるのは確かです。
「伊豆」は非常に有名な列車だと思うのですが、設定の時期については実に曖昧なところがあると言えるでしょう。
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こちらは上りですが、上りは臨時と書いてありますが時刻表では定期列車と一緒の扱いで記載されています。
下りは土曜日運転でしたが、上りは土曜日運休・・・と言うことは土曜日を除く毎日運転されていたという事になります。(多分、これは日曜運転の誤りではないかと思いますが・・・いくら何でも土曜だけ運休などという変な運転はやらないでしょう)

 多分、ウィキペディアを編集された方も何かの書籍を参照されたのでしょう。書いてあった通りに記載されたのだろうと想像します。
繰り返しますが、とにかく伊豆方面の準急に関して56年11月改正以前の事は、印刷されて出回っている本であっても実に色々な記述があります。
史実は勿論、一つしかないのですが、ぐちゃぐちゃと言っても良い程・・・一体どうしてこんな混乱の坩堝に陥ってしまったのやら・・・。

★ 1950年8月 準急「いでゆ」「いこい」の時刻

 本日は”北極急行”さん提供の1950年8月の準急「いでゆ」「いこい」の時刻です。
1950年10月以前の優等列車の事に関しては、記述内容が定まらないところがあり、調べていると混乱してくる事も多いのですが、伊豆方面への準急もそんなところが多々あります。
興味を持つ人も少ないようで、なかなか決定版と言えそうなものが出来ないという事もあるのかもしれません。

時刻の点で言えば時刻表の復刻版が出ている1949年9月号、1950年10月号への記載はありません。
改正号でなければある様なのですが、なにしろ復刻版以外は残存する冊数という問題がありますので、調べようにも事は困難を極めます。
そんな中で届いたのが、今回の1950年8月の時刻・・・貴重な情報だと言えます。
さて、ざっとですがここで湘南準急初期の変遷について見ておきましょう。
この時期に関しては色々な記述があるのですが、個人的な見解で、ありそうに思える流れを書くと以下の様になります。(あくまで調べていて個人的にありそうな話だと思ったに過ぎず、確認はとれていませんので悪しからず)

【 1948年(昭和23年) 】
11月6日、毎週土曜日運転の三島・伊東行き臨時列車の設定開始。この時点では普通列車扱い。

【 1949年(昭和24年) 】
2月12日、上記の列車を準急化。
4月、修善寺への乗り入れ開始(正確な日付は不明)
10月9日、「いでゆ」と命名。愛称付き準急となる。運転区間は東京~修善寺・伊東
11月19日、準急「第2いでゆ」運転開始。同月26日運転分からは「いこい」と改称。(12月26日から運転開始(改称した)という記述もありますが、1949年12月26日は月曜日です。週末運転の列車が月曜日に運転されるものなのでしょうか? 個人的には年末の多客期とは言っても疑わしい気がします)

【 1950年(昭和25年) 】
10月7日、80系を使用した電車準急「あまぎ」運転開始
10月21日、準急「第2あまぎ」運転開始。11月2日より「はつしま」と改称(注:1950年11月2日は木曜日。4日の誤記である可能性あり。それとも改称が2日付、運転は4日という事なのか・・・)。
11月、「いこい」の修善寺乗り入れ開始(正確な日付は不明ですが週末運転の列車なので4・11・18・25日のいずれか)

【 1951年(昭和26年) 】
4月1日、準急「いでゆ」「はつしま」は毎日運転。「いこい」「あまぎ」は毎土曜日の運転になる。

・・・と、こんな感じになるのではないかと思います。
本日頂いた1950年8月の時刻で「いこい」は三島・伊東行きですが、修善寺乗り入れが11月からですので、こういう運転区間になるのですね。
編成の詳細は不明ですが2・3等で組成されていたとの事。

1950年8月の準急「いでゆ」「いこい」の時刻
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この時代の伊豆方面への準急に関しては、もう少し時刻資料を集めたいところですが、ちょっと難しいかな・・・という気もします。なにしろ図書館に行っても資料がありませんので調べようがありません。
1951年4月以前の時刻が、もう1~2点あると、もう少し分かり易くなると思うのですが・・・資料をお持ちの方がいらっしゃいましたらご協力をお願い致します。

 本日のブログはこれにて終了です。
最後になりましたが”ゆめもげら”さん、早速の御回答、有難うございました。
記載は無いとの事ですが、多分、定期化されてから下りの長岡から先の自由席扱いが始まったのだろうと思います。時刻は変りませんので、この点を相違点としておこうと考えております。

★ 特急より速い準急の話

 本日は”信三鉄道”さん提供の1952年5月の伊豆方面への準急の時刻です。
伊豆方面の準急は時刻の変遷という点では扱い難い対象です。
伊豆方面への準急の復活は早く、1949年4月20日には客車を使用して週末に「いでゆ」「いこい」の2本が運転を開始しています。下りが土曜日、上りが日曜日の運転で、下りは東京を「いでゆ」が13:30頃、「いこい」が14:30頃に出ていた様です。
ただ、週末運転の臨時列車の為か時刻表への記載がなく、停車駅や詳しい時刻は分りません。この時刻表に載っていないというのは1950年10月になっても同様で、調査上の大きな障害になっています。
1950年10月17日からは80系電車が準急に進出を開始・・・「あまぎ」「はつしま」が新設されて、それに投入されています。
1951年3月31日からは「いでゆ」も80系化され、毎日運転になった様です。
時刻表にいつから載る様になったのか、正確なところは不明ですが毎日運転ともなれば載せない訳にもいかないのではないかと思われます。26年4月以降は載っているのではないかと想像するのですが、どうなのでしょうか?

1952年5月の伊豆方面の準急の時刻
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下り4本、上り3本を収録しています。ファイルに収録した他に東京13:08→熱海14:58の臨時準急があるそうなのですが、途中停車駅も列車番号も不明との事。

 【 交通公社時刻表1952年5月号より 】
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さて、本日のテーマにも書きましたが、この初期の電車準急・・・特急よりも俊足だという驚くべき一面を持っています。
特急「はと」の東京→熱海の所要時刻が途中1駅停車で1時間30分なのに対し、準急「あまぎ」(3819T)は途中2駅停車で1時間29分・・・その差1分とは言え特急以下の所要時間で結んでいます。
特急が停車駅も多い準急相手に負けるのですから、やはり電車化の威力とは相当なもの・・・まだ電車の優等列車は黎明期と言えますが、既に成長性を十分に誇示しているエピソードと言えましょう。

 尚、一言断っておきますと愛称は設定当初から付いている筈なのですが、この頃はまだ時刻表に愛称の記載は無く、名無しの準急で記載されています。
伊豆方面への準急は、この時代から座席指定(定員制)だった様で、愛称を付けておいた方が切符を買う際に分り易いでしょうし、時刻表側でも記載出来るスペースもありそうに思えますが、なぜなのでしょうか? 理由が少し気になります。

 本日のブログはこれにて終了。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。

★ 1959年4月 準急「ちよだ」の時刻

 ここ最近、更新が非常に遅くなっており、すみません。本日も日付が変わりそうですので簡易更新とさせて頂きます。
しかし、テーマの方は大物でありまして、”クハ481105”さん提供の1959年4月の準急「ちよだ」の時刻です。
ご存知、20系(後の151系)で運転された国鉄の歴史上、最も豪華だったと思われる準急で、4月10日と12日に東京~伊東に1往復設定されました。
この準急「ちよだ」、列車は”超”が付くほど有名ですが、どこに停車していたのかという資料は、私は寡聞にして見た事がありません。
大体、この列車の時刻は交通公社の時刻表の本文への記載は無い由で、あるとすれば臨時列車用付録に記載があるのではないかという、何とも調査のハードルの高い列車でありまして、色々な情報が出回らないのも頷ける側面はあります。
10日と12日の運転分とでは時刻も停車駅も違ったとの事で、両方の時刻を頂戴しました。
10日は東京を朝に出て昼頃、戻るというダイヤで、12日は夕方出て夜戻るというものだった様です。
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編成は当時、「こだま」に使用していた編成そのままの筈ですので,これで間違いないだろうと思います。
全車座席指定だったのは当たり前と言うべきでしょう。
何でも指定券は結婚したカップルにしか売らなかったとか・・・かなり異例な処置です。
3・6号車のビュッフェですが、これが営業されていたのかどうかは不明です。
華やかさを演出するため営業していても不思議ではありませんが、約2時間程度の道中ですので、非営業だったのでは・・・と、個人的には考えています。しかし、資料の裏付けはありません。何かご存知の方がいらっしゃいましたら御教示頂けますと幸いです。

★ 東京オリンピック臨時列車① 急行「オリンピア」の時刻

 本日は”クハ481105”さん提供の64年10月の急行「オリンピア」の時刻を紹介します。
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 急行「オリンピア」・・・言わずと知れた東京オリンピック関係の臨時列車です。
64年10月の東海道新幹線開業で、それまで東海道本線の花形として活躍していた151系は西に下り、田町電車区の配属車両も殆ど転属しましたが、全部が転属した訳ではなく、田町に留まった車両もありました。
その田町電車区に残った151系を使って運転されたのが、この急行「オリンピア」。
151系は言うまでもなく特急車両ですから、基本的に特急運用以外は無いのですが、臨時に目を転じてみると準急「ちよだ」や急行「オリンピア」といった特急以外の運用も存在します。
内、準急「ちよだ」は少なくとも交通公社の時刻表には時刻の記載は無いそうで、151系を使った特急以外の列車で時刻が知れるのは「オリンピア」だけなのではないかと思われます。
その「オリンピア」にしても交通公社の時刻表には「オリンピア」の表記は無いそうで、名無しの急行という、パーラーカー連結という破格の豪華版急行にしては、いささか拍子抜けする扱いになっている様です。
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編成は東海道特急時代と同じ12両で全車指定席。
食堂車とビュッフェは時刻表に表記が無い由ですから非営業だったものと思われます。
6号車の電話は通じたのかどうか不明・・・9月迄は使っていた訳ですから、設備を撤去しない限りは使えたのではないかと思いますが、運転距離は短いですし、需要は殆ど見込めそうにはない気もします。
停車駅は上下で違い、下りの途中駅は横浜と小田原のみ。東京→熱海の所要時間は1時間34分。上りは品川と大船が加わって所要時間は1時間55分となっています。
因みに64年5月の下り特急「第1こだま」は停車駅は東京→熱海の所要時間は1時間17分ですから、「こだま」ほどの俊足ではなかったという事ですね。



 【おまけ】 丹那トンネル開通前 1934年5月の東京→熱海の準急(快速?)

 【 東京旅行社 汽車汽船ポケット旅行案内1934年5月号より 】
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写真の下の方に東京8:15発の熱海行き221レというのがあります。
この列車は、なかなかの俊足列車で東京→熱海の所要時間は1時間45分・・・停車駅は上り急行「オリンピア」より多いのですが、所要時間は下り「オリンピア」には適いませんが、上りと比較すると、こちらの方が短い事が分りますね。
線路が過密状態にない・・・というのもありますが、戦前の列車も速度では侮れない列車が沢山あります。

南シナ81系座席 急行「お座敷レジャー号」の時刻

 本日は82年夏臨、急行「お座敷レジャー号」の時刻を紹介します。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)
現在でこそ多客期臨にお座敷列車が入る事は珍しくもなくなりましたが、80年代初頭では稀な事で、この急行「お座敷レジャー号」が運転された際も、かなり話題になったと記憶しています。
運転区間は少し意外な事に東京~修善寺・・・お座敷客車という特殊な形態の上に、伊豆箱根鉄道の乗り入れまで果たしています。断言は出来ませんが、伊豆箱根鉄道に急行として客車が乗り入れるのは「いでゆ」以来ではないでしょうか?
車両は品川客車区のスロフ81・スロ81が使用され、当然の様に全車グリーン車指定席です。
 【 交通公社時刻表1982年7月号より 】
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全車グリーン車指定席という当時としては滅多に見かけない豪華版でしたが、意外と朝は早く東京発は7:10です。乗車には早起きが必要な列車ですね。
川崎とか平塚にも停車しますが、なぜか観光地である湯河原は通過・・・伊豆箱根鉄道に乗り入れるだけあって西伊豆方面の客を対象にしているという事でしょうか。
一応、急行とは名乗ってはいますが、後続の急行「東海1号・ごてんば1号」には品川で抜かれ、品川を7:16に出た国府津行き普通列車735Mは大船で抜くものの、東京を僅か7分前に出た沼津行きの普通列車733Mは遂に抜けずに三島に至る模様です。東京→三島の距離は120.7Km・・・急行ならば抜いて欲しいところですが、客車の臨時急行となると何かと制約も多いのでしょう・・・しかし、これならば快速でも良い様な気も・・・急行なのは収入の問題といったところかと思われます。
 さて、この急行「お座敷レジャー号」は大好評だった様で、翌年も同種の列車が企画されています。
しかし、今度は特急で行き先も伊豆急下田に変更。愛称は「お座敷踊り子号」となっています。
 【 弘済出版社小型全国版の総合時刻表1983年7月号より 】
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特急になった83年は東海道本線内の停車駅は一挙に少なくなり、東京・横浜・湯河原・熱海だけです。
下りの東京→熱海の所要時間を見ると82年夏の急行「お座敷レジャー号」が1時間56分、対して83年夏の特急「お座敷踊り子号」が1時間28分・・・と所要時間は短くなっています。取り敢えず”特急”と名乗っている差は見られると言えるでしょう。
尚、「お座敷踊り子号」として設定されたのはこの83年だけで旧型客車系統の使用は終了。翌84年夏は14系の特急「サロンエクスプレス踊り子号」へとグレードアップします。
 【 弘済出版社小型全国版の総合時刻表1984年7月号より 】
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「サロンエクスプレス踊り子号」になると東京の出発時刻は11時台と、かなり遅くなります。
また、「お座敷踊り子号」は通過していた大船にも停車するなど、行き先は伊豆急下田で一緒ですが停車駅にも違いがあります。
品川客車区の花形車両という事もあり、この「サロンエクスプレス踊り子号」は定着し、その後数年に渡って多客臨では頻繁に設定されたという事は御記憶の方も多い事でしょう。

 本日のブログはこれにて終了。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。

★ 1958年11月 伊豆方面の準急の時刻

 ”信三鉄道”さんから頂いた58年11月の伊豆方面への優等列車の時刻を紹介したいと思います。
もっとも・・・土曜運転とか日曜運転とか、本数はそれなりに設定されていますが、基本的にブログに書くような事はありません。
既に紹介した時代との違いを特徴付ける点が無い為です。
好き嫌いという事も多分に影響するのでしょうが、湘南準急は入力する苦労の割には、本当に書く事が無いというのが個人的な見解で、58年辺りもしっかりとそれを踏襲しているといった感じです。
伊豆箱根鉄道駿豆線は、この段階では、まだ昇圧されておらず、以前、紹介した様な面倒な手順を踏んで、乗り入れていますが、もう一度、乗り入れ手順を説明する様な事もないでしょう。
時刻は56年12月と大して変わりませんが、交通公社時刻表56年12月号では、記載の無い伊豆箱根鉄道駿豆線内の時刻が58年11月では分るようになっています。
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・・・列車の編成表でも入れようかと思ったのですが、こちらは完全に資料不足。「あまぎ」など載せておきたいところなのですが、全く不明で手出しが出来ません。
58年は時刻表の手持ちも無いので写真を掲載して、何となく記事らしくするという、いつもの手も使えません。
 しかし、さすがにこのままブログを終わらせるのも難ですので、湘南準急とは何の関係もありませんが、少し珍しい時刻としまして、61年冬臨の準急「出羽」の時刻を用意致しました。

61年1月の準急「出羽」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

手持ちの61年夏臨掲載の7月号では確認出来ないのですが、冬臨には横手まで延長される日と、山形までに短縮される日があった様です。
また、上野駅の混雑緩和の為、12月28~31日は品川始発に変更されており、山手貨物線経由で運転された様で、上野は通らない表記になっています。
 【 交通公社時刻表1961年1月号より 】
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奥羽本線の臨時列車の項ですが、色々と注釈が書いてあります。
通常、準急「出羽」は上野~新庄ですが、横手まで延長運転する件と、1月16日~2月28日までは上野~山形で運転する旨の注釈があるのが分ります。
 尚、61年夏臨の設定では上野~郡山に於いて準急「出羽」と「いわしろ」は常にペアでしたが、本文の運転日を見る限り、1月16日~2月28日は準急「出羽」の単独運転だった様です。

☆ 1958年11月 準急「湯の町」の時刻

 掲示板をご覧になった方はご存知の事と思いますが、”信三鉄道”さんから準急「湯の町」なる不定期準急の時刻の投稿がありました。
以前、56年11月の準急「湯の旅」の時刻を扱った事がありましたが、それとは全く関係なく、名古屋~伊東・修善寺を結ぶ列車だそうです。
大垣~修善寺にはヨンサントオ改正前後に「中伊豆」とか「しゅぜんじ」といった臨時急行が設定されていた事がありましたが、1958年の時点で既に中京~伊豆の直通優等列車が設定されていたという事は驚きです。
1958年11月の準急「湯の町」の時刻
3504レ~3307レ 伊東1240-網代1256-来宮1311-熱海1315-28-三島1347-54-沼津1405-富士1433-清水1454-静岡1506-09-浜松1636-豊橋1713-蒲郡1727-岡崎1742-安城1750-刈谷1758-熱田1817-名古屋1825

904レ
修善寺1305-大仁1312-伊豆長岡1320-大場1330-三島田町1336-三島1340-(伊東からの列車に連結)

3308レ-3503レ
 名古屋850-熱田857-刈谷916-安城924-岡崎931-蒲郡945-豊橋1011-浜松1045-静岡1149-55-清水1206-富士1233-沼津1257-三島1304-07-熱海1328-40-来宮1346-網代1402-伊東1415

905 レ(伊東編成から分割)
三島1314-三島田町1319-大場1325-伊豆長岡1335-大仁1343-修善寺1349編成
伊東行きは2,3等、修善寺行きは3等のみ運転日伊東・修善寺行き 土曜運転名古屋行き 日曜運転

 さて、次は64年5月の準急「ゆのさと」の時刻です。
準急「湯の町」の次は「ゆのさと」・・・別に混乱させようという訳ではありませんが、何だかややこしいですね。
今度は上越線です。
大体は65年夏の時刻で紹介済みですが、この時代も「ゆのさと」が定期で「ゆけむり」は臨時列車の愛称として使われていました。
毎日運転なのは上野~石打の準急「苗場」と上野~水上の準急「ゆのさと」。あとは主に土・休日に設定されている不定期・臨時列車となります。
 【 弘済出版社 コンパス全国時間表64年5月号 】
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 愛称のある列車と無い列車が入り混じって設定されています。
準急「ゆけむり」は客車準急ですが全車指定席という格式の高い列車として設定されているのが分りますね。
この時代、日中運転の客車準急で全車指定席という列車は珍しい存在です。
 他には65年夏臨では上下共に準急で設定されている「谷川」ですが、64年5月では上りは大宮止まりなのは変わりませんが、普通列車(快速)として設定されている点にも注目です。

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64年10月改正後は八高線を走る準急の愛称となる「みくに」ですが、この時代は電車準急の愛称です。
基本的には土曜日運転ですが、6月30日までは毎日運転。
上野~高崎は準急「軽井沢2号」に併結されますが、この併結列車の関係で、下りの上野~高崎はノンストップ運転となっています。

1964年5月の準急「ゆのさと・苗場」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 今日のブログはこれにて終了です。本日もお付き合い頂きまして有難うございました。
今日はブログを手掛けたのは比較的、早かったのですが、色々とドジを踏みまして、更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

☆ 1500V⇔600Vの伊豆箱根鉄道乗り入れ準急について

 本日は1956年の伊豆方面への準急の時刻です。
1956年と言えば、153系は存在しませんので、電車で準急と言えば80系・・・それだけでも、なかなか心くすぐるものがありますが、やはりこの時代の最大の見所は、80系で1500V⇔600Vを跨いで運転された伊豆箱根鉄道駿豆線の乗り入れ編成の存在でしょう。
鉄道ファン1984年10月号にこの乗り入れに関する説明が書いてありますので、それを基に図にしてみますと次の様になります。
尚、編成は56年12月の「伊豆」を想定しています。準急「いでゆ」の場合は12号車は2等車のサロが入りますので悪しからず。
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三島駅に到着した修善寺編成は客扱いを行います。
この時の架線電圧は当然ながら1500V。
伊豆箱根鉄道乗り入れの80系には電動発電機に30Ω、空気圧縮機に5Ωの抵抗などを回路に加えた車両が限定で使用されており、これから先、いよいよその出番が来る事になります。
まずは客扱いを終えた編成は静岡方にある引き上げ線へと入ります。
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引き上げ線で停止し、14号車のパンタグラフを降ろし、600V回路に切り替えます。
作業終了後、進行方向を変え、13号車1両の動力でデッドセクションの所定の位置まで動かします。
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所定位置に停車させると、無電区間を挟み14号車上の架線には600V、13号車上の架線には1500Vが流れているという状態になっています。
ここで1500V側の13号車のパンタグラフを降ろして、既に600V回路に切り替えていた14号車のパンタグラフを上げます。
パンタグラフを降ろした13号車の回路を600Vに切り替え、14号車1両の動力でデッドセクションを抜けます。
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どちらのM車上の架線も600Vになりました。
ここで13号車のパンタグラフも上げ、進行方向を変えて、晴れて伊豆箱根鉄道駿豆線への乗り入れとなります。
尚、伊豆箱根鉄道線内も国鉄の乗務員がそのまま乗務したとの事。少し前に紹介した準急「あさぎり」も小田急の乗務員がそのまま御殿場線内も運転していましたが、この時代は会社が変わったからと言って、必ずしも乗務員交代が行われた訳ではなかった様です。現在では考えられない話でありますが、これも時代の違いと言ったところでしょうか。
尚、上り列車は上記の手順を逆に行い、図1の(A)のポイントで上り線へと入ります。

 ところで・・・駿豆線に乗り入れるのは、何も電車ばかりではなく、客車も存在します。
準急「いこい」は客車ですが、一体、どうやって運転されていたのでしょう? 幾つか本を当たってみたのですが、この時代に関する記述は見当たりませんでした。
ご存知の方がいらっしゃいましたら御教示頂けますと幸いです。

 それにしてもこんな複雑な運転形態が1950年10月から1959年9月の昇圧まで続いたというのですから驚きです。修善寺への直通客需要が強かったのが背景にある様ですが、仮にこれが現在なら。ここまでするか・・・という程、面倒な話の様に思えるのは私だけでしょうか?
59年9月8日からは駿豆線が1500V化され、新しい渡り線の使用も開始された事から、この運転形態は消滅しますが、個人的には一度、この目で見てみたかった光景の1つです。ここまで複雑な乗り入れ儀式を行ったケースは空前絶後なのではないでしょうか。

 さて、1500V⇔600Vの乗り入れの説明はこれ位にして、56年11月の時刻を見てみる事にしましょう。
・・・とは言え、運転形態ほど時刻には注目点と言えるものがない・・・というのが実情です。

準急「伊豆」
801M 東京1255-新橋1258-横浜1319-20-小田原1403-04-湯河原1420-熱海1426-31-三島1445-三島田町1454-大場1500-伊豆長岡1511-大仁1520-修善寺1526
701M -熱海1428-来宮1432-網代1443-伊東1453706M 伊東1555-宇佐美1601-網代1611-来宮1625-熱海1627-
806M 修善寺1532-大仁1538-伊豆長岡1546-大場1558-三島田町1604-三島1614-熱海1629-33-湯河原1640-小田原1654-56-横浜1746-47-品川1804-新橋1809-東京1813

準急「いでゆ」
807M 東京1500-新橋1503-横浜1523-24-小田原1605-06-湯河原1621-熱海1627-33-三島1647-三島田町1657-大場1704-伊豆長岡1715-大仁1724-修善寺1730
707M -熱海1630-来宮1636-網代1646-伊東1656702M 伊東830-網代840-来宮850-熱海852-
802M 修善寺800-大仁806-伊豆長岡814-大場826-三島田町832-三島842-熱海855-900-湯河原906-小田原919-20-横浜1003-04-品川1021-新橋1026-東京1030

不定期準急「はつしま」 毎週土曜日運転
3703M 東京1330-小田原1441-42-湯河原1457-熱海1503-08-来宮1511-伊豆多賀1518-網代1523-宇佐美1529-伊東1535

準急「いこい」 下り毎週土曜日、上り毎週日曜日運転準急伊豆
3805レ 東京1400-横浜1430-32-小田原1524-26-湯河原1544-熱海1552-54-三島1611-大場1634-伊豆長岡1644-大仁1652-修善寺1658
3705レ -熱海1600-来宮1606-伊豆多賀1617-網代1625-伊東1638
3704レ 伊東1438-宇佐美1449-網代1456-来宮1512-熱海1515-
3804レ 修善寺1402-大仁1409-伊豆長岡1417-大場1427-三島1450-熱海1507-27-湯河原1535-小田原1553-54-大船1634-横浜1652-54-品川1714-新橋1721-東京1726

不定期準急「あまぎ」 運転日はいこいに同様3809レ 
新宿1330-小田原1453-54-湯河原1511-熱海1518
3810レ 熱海1400-湯河原1407-小田原1423-24-新宿1550

不定期準急 3605レ 運転日は毎週土曜日
東京1310-横浜1337-38-小田原1423-30-湯河原1448-熱海1456

電車準急は定期2本(「伊豆」「いでゆ」)に下りのみの不定期1本(「はつしま」)が設定されており、客車は不定期列車のみ下り3本、上り2本が設定されています。
際立って変わった列車というのは無い気がします。貨物線経由で新宿~熱海を結ぶ準急「あまぎ」が設定されているのが目を引く程度と言ったところでしょうか。
この客車による不定期準急「あまぎ」の設定は54年10月かららしいのですが、何でも使用車両は「せと」の間合いなのだとか・・・車両の有効利用という事の様ですが、意外な列車が出てくるものです。
尚、この時代の伊豆方面への準急は、客車の「いこい」なども含めて指定券が必要となっており、2等140円、3等60円が準急料金の他に別途必要でした。

1956年12月の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)
 電車による不定期準急として「たちばな」の設定が開始されたのが注目ポイント。修善寺編成もあるので、あの面倒な乗り入れ儀式をする列車が1本増えたと言えます。

 【 交通公社時刻表56年12月号より 】
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新設された準急「たちばな」・・・下りは土曜日、上りは日曜日の運転です。
何も56年に限った話ではありませんが、東海道新幹線開業前の伊豆方面への準急は、まとまって運転される傾向にあります。
長距離の優等列車の間をぬっての設定を余儀なくされるので、どうしてもこの様な形態になってしまうのでしょう。
写真では切れてしまっていますが「霧島」の左隣は準急「伊豆」・・・下りは1ページに全ての列車が入ってしまいます。

 今日のブログはこれにて終了です。本日もお付き合い頂きまして有難うございました。

coment
"クハ481105"さん
「アルプス」の情報、有難うございました。
最初は臨時夜行で登場したというのは初めて知りました。主要路線故、当然と言えば当然の話なのかもしれませんが、戦後、かなり早期に設定されていたのですね。

★ 1969年以前の急行「常磐伊豆」の時刻など

 本日の時刻の紹介は東海道・山陽本線の急行荷物列車の時刻なのですが、これは後で改めて書くと致しまして、お願いを含めまして、番外編をアップする事にしました。
尚、本日の本編の更新は23時頃を予定しております。

① 急行「常磐伊豆」に関する時刻の追加
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”金太郎”さんより頂戴した急行「常磐伊豆」の1966年10月の時刻です。
1969年9月では下りの伊豆急下田到着は14時台となっていますが、設定初期は、殆ど19時と言って構わない時刻に到着していた事が分ります。
また、途中駅の横浜が通過駅になっていたりと停車駅も違っている事が分ります

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こちらは”ゆめもげら”さんから頂いた67年4月の運転時刻。
常磐線の友部、東海道本線の横浜に上下列車が停車するようになっており、上りは品川への停車も確認出来ます。・・・という事は「常磐伊豆」が横浜を通過していたのは極く短期間だったと言えるでしょう。
尚、66年10月も67年4月も1等車の連結があった様です。
コメント・掲示板をご覧になった方はお目に止まったと思いますが、湯河原から伊東にかけては「湘南日光」とスジを共用している由。しかし、「湘南日光」は毎日運転。時刻変更をしない限り運転出来ない事になりますが、「湘南日光」に時刻変更の注釈はないそうです。複線の東海道本線はともかく、単線の伊東線は結構、変更しないと列車交換などの都合がつかない気が致しますが・・・、まあ、この時代の時刻表での臨時列車の扱いなど、そんなものだと言えば、そんなもので、細かい記載は余り期待出来ません。

尚、68年春になると特に下りの運転時間は大幅に変更されており、修善寺編成も連結。
一方で1等車の連結はなくなっています。
 【 交通公社の国鉄監修全国時刻表1968年4月号より 】
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67年4月は伊豆急下田18:56着でしたが、68年4月では13:23着となっており、到着が約5時間半、早くなっています。見ての通り2等指定席の設定はありますが、1等車の設定はなしです。

② 1950年10月の日豊本線の準急507(508)レの時刻
 日豊本線の準急507(508)レの時刻を追加しました。
まあ書く様な事はないのですが、1950年10月時点での九州内だけを走る準急は門司港~熊本の107(108)レと門司港~大分を結ぶ、この列車だけです。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

これを以って1950年10月の定期の急行・準急の時刻は全て網羅出来たと思います。
 

1970年の急行「常磐伊豆」の時刻

 本日は久し振りに70年夏の時刻に戻りまして、急行「常磐伊豆」の時刻を紹介したいと思います。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

平~伊豆急下田・修善寺という、なかなか興味深い急行である急行「常磐伊豆」。伊豆に交直流色をまとった車両が出入りしていた考えるだけでも楽しくなってきます。
当サイトで触れているのは69年9月からですが、この列車の設定は66年10月と言いますから、まだまだ遡れる訳です。(交通公社の国鉄監修全国時刻表68年4月号にも掲載があるのですが、簡易版故、省略が多いので今のところサイトへの掲載は見送っています。)
但し、詳しくは分りませんが多客期なら必ず運転されたという列車ではないらしく、運転されたシーズンには偏りがある様です。
 また、当初は平~伊豆急下田だけで修善寺行きはなかったとの事。68年4月号掲載分は既に修善寺編成に関する記述がありますので、66・67年辺りの話なのでしょう。
平~伊豆急下田だけの運転時刻についてご存知の方は御教示頂けますと幸いです。
 さて、70年7月に掲載されている「常磐伊豆」ですが、運転日は全て9月になっており、時刻も69年9月と大きくは違いません。
尚、サイトでは伊豆急下田行きの熱海から先を普通列車としてありますが、時刻表にそういった表記がある訳ではありません。こちらの独断でそう記載してあります。
 【 交通公社時刻表70年7月号より 】
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ピントが甘かったので見難いですが(事情により撮り直しが出来ないので、そのまま掲載です。すみません)、伊東線での表記です。
上部には確かに急行「常磐伊豆」と記されていますが、熱海以遠は時刻の文字が若干薄くなっており、伊東まで急行運転を行っている事が明らかな「伊豆1号」と比較すると差があります。
普通、強調されていない数字で表記されている列車は普通列車ですので、その原則に倣って判断しましたが、或いは表記通りの急行なのかもしれません。

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こちらは常磐線の表記。上野→水戸の時刻は臨時の「ときわ55号」(8415D)と同一である事が分ります。
尚、見ての通りグリーン車の連結はありません。指定席は往路は平→小田原、復路は伊豆急下田→水戸となっています。

本日のブログはここまでです。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。

coment
”信三鉄道”さん
こういうサイトを開設している事もありまして、時刻表は所有より使用を重視しており、個人的には復刻版の方が使い易い様に感じております。
61年7月は当時の物でやっておりますが、それはもう使い難いと言うよりありません。紙は変質していますし、場合によってはシミで読むのに難儀する所もあります。ペンでの書き込みがあったりもしますし、読むのに邪魔という事も少なくありません。
時刻表をコレクションするなら当時の物でやるよりありませんが、調査には復刻版の方が断然良いというのが、これまでやってきた感想です。
さて、56年12月の上野~青森の急行の時刻でございますが、一応、用意出来ておりますので、何とかなると思います(まだ入力はやっておりませんので、作業段階で不足な点など出てきましたら、その時は宜しくお願い致します。なにしろ杜撰なメモですので、結構、取り落としが多かったりするものですから・・・)

”クハ481105”さん
急行「げんかい」及び急行101(102)レの記事での食堂車に対する訂正、有難うございました。
以前も書きましたが、この時代の資料は、殆ど手持ちが無いという状態ですので非常に助かりました。
数少ない資料に誤記が含まれると総崩れというのは、何とも心細いもので、こうして正しい内容に訂正出来ると大変、心強いものがあります。

”e”さん
はじめまして。2等車の使用車両に関する御教示、有難うございました。
特にこの時代の編成の資料は、ほぼ持ち合わせていないので、こういう情報は非常に助かります。
早速、編成図の所に追加させて頂こうと思います。
それにしましても特別2等車が既に入っているのには驚きでした。何等からの事情でこの日だけ連結されたのか恒久的なものだったのか、興味深いものがあります。

★ 1970年7月 特急「あまぎ」の時刻

今日は細々と3回更新。最初は1970年7月の特急「あまぎ」の時刻
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69年10月改正では運転本数は4本で変わらず、運転時刻もほぼ変らないものの、予定臨のスジで走る1往復が3号から4号に変更され、3号は定期列車となりました。これに伴い3号と4号とで編成の変更が行われ、3号が9両に4号が7両での運転になっています。
停車駅に目を向けると、それまで下りの全ての列車が通過していた横浜に全列車が停車する様に変更が加えられ、更に2往復が熱海に、予定臨で運転される1往復(4号)は湯河原にも停車する様になりました。
 【 参考 交通公社時刻表69年9月号より 】
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以前、このブログでも紹介した事ですが、69年10月改正まで「あまぎ」は全列車、横浜・熱海を通過していました。
 【 交通公社時刻表70年7月号より 】
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69年10月改正では全列車が横浜に停車するように改まりました。写真の「あまぎ1号」は熱海は依然として通過していますが2往復は熱海も停車になっています。

coment
"カボチャ"さん
はじめまして。情報有難うございました。1960年頃の鹿児島駅とは、なかなか興味をそそられます。
機会がありましたら観てみたいところであります。

"翔"さん
今の時刻表と比較すると、およそ同じ路線とは思えませんね。
上越線と同じように今や見る影もなくなってしまった線区が他にも結構あるのが悲しいところです。

1961年10月 伊豆方面への準急の時刻

 本日は61年10月改正での東京発の伊豆方面への準急の時刻です。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

時刻を打ち込んではみたのですが、はっきり言って話題になりそうな点はありません。
伊豆急行がまだ開業していないので伊東線に入る列車は全て伊東止まりだという点くらいのものでしょうか。
 【 交通公社時刻表61年10月号より 】
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修善寺編成に関しては伊豆箱根鉄道駿豆線内の時刻がサイトに全く記載されていませんが、これは私が手を抜いた訳ではなく、なぜか空白の為・・・原稿が間に合わなかったのでしょうか?
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・・・見ての通りです。定期の設定もあるのですが、一切記載されていません。

 殆ど本文ががりませんが、本日のブログはこれで終了です。
昨日も書きましたが、現在、私は模型制作に追われています。来週の土曜日までに仕上げる必要があるのですが、久し振りの工作なので、只ですら手際が悪いのに一段と手際が悪くなっており、自分で考えている半分も作業が進んでいません・・・楽観的に見ても相当にまずい状態で、現実的に見ると殆ど完成は諦めた方が良さそうな状態です。
明日・明後日で何とかメドをつけておかないと完成は望めそうにないので、明日、明後日も簡易更新になるものと思います。予めご了承下さい。
尚、明日は余りに見るべき点のなかった今日のお詫び(?)の意味もこめまして、70年夏の特急「とうほく」の時刻を紹介する予定です。


”フネハナ120”さん、コメント有難うございました。
急行「さんべ」ですが、84年辺りで話をすると快速運転の区間では指定席の設定はない様です。グリ-ン車も自由席扱いで急行運転区間のみ指定席になっています。
 【 弘済出版社 携帯全国時刻表84年10月号より 】
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85年3月以降では多分、指定席の設定そのものがなくなる筈です(現在、直ぐに調べられる時刻表は86年6月号しかありませんが、指定席の設定はありません。編成は同じ筈ですから、おそらく編成内容も変わらないだろうと思います)

東京発 熱海行きの気動車準急?

 本日の更新は64年5月の東京・品川発の伊豆方面への準急の時刻です。
65年夏の時刻では急行「伊豆」が存在しますが、64年5月の段階では「伊豆」を含めて全列車が準急です
 【 弘済出版社コンパス全国時間表64年5月号より 】
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この頃の伊豆方面への準急の出発時刻は午後に偏っていて、定期運転で最も早く東京駅を出発する準急「おくいず」でも12:10です。
伊豆急下田に毎日行く列車も2本のみですから、後年の状態とはかなり違いますね。
尚、サイトで準急「あまぎ」の伊豆急線内の時刻が抜けていますが、この「あまぎ」は毎日運転ではない為か、省略されており調べがつきませんでした。
 さて、テーマにも書きましたが64年5月の時刻表掲載の臨時列車のページには、思わず目を疑う様な列車が出ています。
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準急「臨時はつしま」は3809Dとなっており、下に気動車運転を示す”気”の文字も記されています。
時刻表通りだとすると東海道本線の東京→熱海に気動車準急が走ったという事になります。
1等車連結で全車指定席・・・一体、どこの受け持ちで、どんな編成だったのでしょう?

5月2日と9日に設定されており、調べてみますと、どちらも土曜日です。週末は1泊旅行の客で伊豆方面の列車は混み合うでしょうから運転日に奇妙な点は見当たりません。
この謎の気動車準急の設定は下りのみだったらしく、上り列車は見当たりません。復路は回送だったのでしょうか・・・だとしたら随分と贅沢な運用だと言えそうですね。

 しかし、まさか臨時とは言え、東京→熱海に気動車準急が設定されていたとは・・・臨時列車の奥の深さを再認識した次第です。

最後に64年の伊豆方面への準急の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

今日のブログはこれで終了です。本日もお付き合い頂き有難うございました。

最後にコメントのお返事など・・・
”金太郎”さん、コメント有難うございました。66年10月の時刻表とは非常に魅力的な物をお持ちですね。
66・67年は時刻表の手持ちがない私には謎の時代でありまして、定期の急行「海星」をはじめとして見てみたい時刻が沢山あります。個人的には今度、図書館に行ったら必ず目を通したい年代の1つです。
紀勢本線の「いそつり」が急行だった時があるとは驚きです・・・古い列車に関する情報なら些細な事であっても大歓迎ですので、お時間のあります時に書いて頂ければ幸いです。

”湘南電車”さん、コメント有難うございました。
なるほど構内配線の問題が出てきましたか。これでますます変な話になってきた様な気がします。
先行している「夏井(清海)」が分岐ポイントより先に行かない限り、「ひたち」は進入出来ませんが、「夏井」自体も上野駅を目の前にして徐行、若しくは停止をしない限り、「ひたち」と同時到着という事にはなりません。
ホームが空くのを待つという事はありますが、そんなにうまく条件が合う事は有得たのか・・・疑問は更に深まりますね。

急行「常磐伊豆」72年4月の時刻

 本日の更新は72年4月の急行「常磐伊豆」の時刻です。
その名の通り、常磐線から伊豆半島を目指すという急行です。以前、69年9月の時刻を紹介しましたが72年4月号にも設定が見られますので紹介しておこうと思います。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

運転区間は平~伊豆急下田・修善寺で変更はなく、伊豆急下田発着は下りは熱海から、上りは伊東まで普通列車扱い。修善寺編成は伊豆箱根鉄道駿豆線内のみ普通列車扱いです。
運転日は平発が5月20日までの土曜日、伊豆急下田・修善寺発が5月21日までの日曜日となっています。この往路は土曜日、復路は日曜日という設定はこの列車の特徴の様なものらしいです。
 【 交通公社時刻表72年4月号より 】
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東京~伊豆急下田の予定臨、下り8707M・上り8706Mは急行「おくいず」の臨時(下り59号・上り52号)と共用しています。
尚、東京駅の在来線第7ホームの廃止は73年4月1日の事。それまでは14・15番線があって、主に東海道本線出発ホームとして使用されていました。「常磐伊豆」は上下列車共に14番線を使用します。
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同じく72年4月の時刻表から、下り常磐線です。当時は常磐線の中距離電車も東京駅に乗り入れていました。
上野17:30発、高萩行き479Mも東京駅発ですね。
 ところで、今日の話題とも関係なく、優等列車でもありませんが、沼田発 平行きの「常磐尾瀬」という臨時列車の設定が確認出来ます。この列車の列車番号は9449M・・・電車なんですね。水戸線・両毛線を経由して沼田まで交直流の車両が乗り入れていた事を証明するものです。使用形式は不明ですが勝田電車区辺りの車両でしょう。90年代に、いわき(旧:平)~沼田に上野経由で急行「尾瀬」が設定されていた事がありましたが、それよりずっと前に違う経路で電車によって常磐と上越が結ばれていた訳です。ちょっと意外でした。
 本日のブログはこれで終了です。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。
それにしても今日はまた一段と暑かったですね。明日には暑さは一段落するとの予報が出ていますが、そう願いたいものです。
予想通り週末の最高気温が30℃以下なのであれば、土曜日辺りに準急「東海」の定期7往復時代の時刻が紹介出来るものと思うのですが、どうなります事やら・・・。

65年夏の伊豆方面の急行・準急の時刻

 遅くなりましてすみません。本日の更新は65年夏の東京から伊豆方面への急行・準急の時刻です。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 取り敢えず急行1種類・準急6種類の計7種類の愛称を掲載してあります。後で触れますが、これで全てではなく、例によって付録のページに時刻が掲載されている臨時列車が存在します。

 急行「伊豆」は伊豆方面へは唯一の急行で2往復が設定されています。64年10月改正で特急「ひびき」の運用を解かれた157系が進出しており、いち早く急行に昇格しました。この時代の153系は非冷房ですから、全車冷房の157系で運転される「伊豆」が急行化されたのは、差別化という意味でも自然な事でしょう。
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1~7号車が伊豆急下田、8~13号車が修善寺編成となります。

 他の列車は全て準急です。特筆する様な事は殆どないのですが、下りのみ設定されている土曜日だけ運転される準急「はつしま」は、横浜を通過し、東京の次の停車駅は小田原となります。
 【 交通公社時刻表65年8月号より 】
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この「はつしま」は東海道新幹線開業前、特急「こだま」や「つばめ」が走っていた頃の64年5月の時刻表で見ても、唯一、横浜を通過する列車となっています。
設定当初の特急「あまぎ」も横浜を通過していましたが、既に準急時代の「はつしま」が、その前例を作っていたと言えるでしょう。使用車両は153系で1等車もサロ153と、準急そのものの列車ですが、停車駅だけは急行顔負けの列車だったと言えます。
 下りは土曜日に運転される準急「いこい」も伊豆方面の列車を語る上では忘れられません。何しろ設定は1949年4月。「いでゆ」と並んで戦後の伊豆方面の優等列車の出発点となった列車です。
伊豆方面への列車としては異例の全車自由席の客車急行で、下りは土曜日、上りは日曜日の運転でした。
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1~7号車が東京~伊東、8~12号車が東京~修善寺です。65年10月改正で急行「いでゆ」に編入されてしまい愛称は消滅してしまいますが、行楽準急の草分けとして覚えておきたい列車であります。

 最後に巻頭の付録のページに掲載されている臨時列車を見ておきましょう。
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下りの準急「たちばな」と「臨時はつしま」はサイトにも掲載しましたが、準急「南伊豆」と「臨時あまぎ」は不明な点が多過ぎるので割愛しました。
「はつしま」の臨時である「臨時はつしま」は横浜に停車していますね。不定期列車の「はつしま」は電車準急ですが、この「臨時はつしま」は1等車も連結した全車座席指定の客車準急。客車好きの私としては、興味を引かれるところです。編成が分れば楽しいのですが・・・臨時ですから望み薄です。

 今日のブログはこれで終了です。伊豆方面の急行(準急)の時刻入力は手は掛かるのですが、記事に書ける様な点は殆どなく、やたら時間が掛かった割には今日の様にスカスカな記事になってしまいます。1959年9月8日以前なら書く事があるのですが・・・どうも伊豆方面は苦手です。
 本日もお付き合い頂きまして有難うございました。
 最後になりましたが”フネハナ120”さん「富士」の時刻入力お疲れ様でした。今後、何処で下り「富士」とすれ違うのか興味津々です。

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