Rail・Artブログ

サイトRail・Artで扱っていた列車時刻の更新情報のブログです。 サイト閉鎖に伴い更新は終了。全てのリンクは無効となっておりますので御了承下さい。 また、時刻再掲及び時刻のリクエストには応じかねます。 尚、テーマの前に★が表記されている物はGIF形式で、 ☆が表記されている物はテキスト形式で時刻が確認出来ます。 但し2015年1月以前の記事は殆どの時刻の確認は出来ません。

関西~信州

★ 2000年1月 特急「シュプール白馬アルプス」の時刻

 2000年1月の時刻表から特急「シュプール白馬アルプス」の時刻です。
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2000年シーズンの「シュプール」で上りのみ設定されている特急です。
181系気動車使用。グリーン車連結で全車座席指定。
下りは姫路→白馬の「シュプール白馬・栂池3号」として設定されており、使用車両は「シュプール白馬・栂池4号」(白馬→姫路)又は特急「シュプール白馬アルプス」で戻されます。
夏臨にも特急「白馬アルプス」の設定がありますが、運転区間は信濃大町→西明石。停車駅及び時刻も違います。

★ 1972年1月 急行「ちくま・くろよん・戸狩」の時刻

 今日は1972年1月の時刻表から急行「ちくま・くろよん・戸狩」の時刻です。
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急行「ちくま」定期1往復、季節1往復、臨時1往復。それに臨時急行の「くろよん」が下り1本、スキー臨の「戸狩」が1往復。
71年夏臨では「ちくま」の臨時が2往復(51・52号)ありましたが、9817レ(52号)・9816レ(51号)に関しては、冬臨では循環運転の急行「アルペン」として設定されている為、「ちくま」を名乗っていません。
「ちくま51号」は全車座席指定。大阪発1月13日以降はB寝台連結。


★ 1966年12月 急行「彩雲」の時刻

 ysさん提供の1966~67年 年末年始に運転された急行「彩雲」の時刻です。
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このブログで「彩雲」を扱うのは初めてではありませんが、編成に関する情報を目にしたのは初めて。
通常。「彩雲」は7両編成ですが、年末の2日のみは13両の長い編成での運転。
受け持ちは姫路客貨車区というのも意外でした。
1等車を含めて全車自由席。
「彩雲2号」は7両で、宮原客車区持ち。
「彩雲」「彩雲2号」共に下り列車は塩尻まで1号車が最後尾。塩尻で進行方向が変わります。

 本日のブログはこれで終了ですが、昨日の記事で「第2天草観光号」の熊本→三角はどうやって運転するのか・・・という様な事を書きました。
「第2天草観光号」は小倉→三角の運転である・・・という認識だったのですが、これは誤りで、熊本乗り換えと考えるべきだった様です。
申し訳ありませんでした。
詳細は昨日の記事に追記してあります。

★ 1997年3月 急行「ちくま・くろよん」の時刻

 1997年3月の時刻表から急行「ちくま・くろよん」の時刻です。
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JR西日本の大阪~米原は3月8日改正、それ以外は3月22日改正となります。
改正で定期の「ちくま」は上下共に始発駅の出発時刻は変わりませんが、終点の到着時刻がどちらも1分ずつ早くなりました。
客車時代ですので、使用車両はJR西日本の宮原運転所持ち。牽引は大阪~名古屋はJR東日本の田端運転所のEF65、名古屋~長野はJR貨物の愛知機関区のEF64が受け持ちます。

★ 1988年3月 急行「ちくま・くろよん」の時刻

 今日は1988年3月の時刻表から急行「ちくま・くろよん」の時刻です。
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急行「ちくま」の定期1往復に臨時3往復という設定は、88年夏臨と同じ。
臨時3往復の列車番号も8000番台の予定臨で、変化が望めそうにはありません。
実際、殆ど変わらないのですが、86号は夏は殆どが妙高高原始発での運転(長野までは快速)になっており、春臨との目立つ違いとなっています。

★ 1973年1月 急行「ちくま・くろよん・戸狩」の時刻

 1973年1月の時刻表から急行「ちくま・くろよん・戸狩」の時刻です。
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「ちくま51号」は年末年始の設定では直江津まで設定されています。また、スキー客輸送としては関山まで。
73年夏臨でも直江津までの運転ですが、夏臨では上りは全区間急行ですが、下りは長野から快速列車扱い。一方、冬臨はどちらも全区間急行です。もっとも直江津の到着時刻は同じ。
普通車のみの設定で、下りは長野まで全車指定。上りは一部指定席です。

スキー臨の「戸狩」はグリーン車連結。下りは松本まで全車指定席。上りは一部指定席。
下りは長野から定期の普通列車に併結(グリーン車及び指定席の表記なし)。上りは戸狩→大阪の全区間が急行で、戸狩→長野にもグリーン車と普通車一部指定席の表記があります。

★ 1964年8月 急行「ちくま」準急「彩雲」の時刻

 GV73Aさん提供の1964年8月の急行「ちくま」準急「彩雲」の時刻です。
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訂正:(誤)土岐市→(正)土岐津

最初にお断りしておきますと、急行「ちくま」の大阪~長野の時刻は1964年4月の時刻を転用しています。
主要駅の時刻は変わらないと思いますが、藪原や麻績の臨時停車が入っている可能性があります。
(2022年2月14日追記)
8月31日まで下り「ちくま」(807D)藪原4:53、麻績6:23に停車。

また、臨時の信濃森上行きの運転日ですが、個人的な解釈に過ぎません。
原文は以下の通り。尚、調べたところ8月12日は水曜です
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「ちくま」の信濃森上行きは、64年春臨では信濃大町から普通列車でしたが、夏臨では全区間急行になる模様。しかし、信濃森上到着は普通列車時代の方が早い(8:04着)という事になっています。
準急「彩雲」の大阪~長野は列車番号から準急「信越・日光観光団体列車」のスジを使っているものと考えられます。
参考に準急「信越・日光観光団体列車」の時刻を掲載出来れば良かったのですが、手持ちの時刻表には「観光団体列車」関連の時刻は掲載されておらず調べられませんでした。すみません。
「彩雲」に信濃四ツ谷発着の日があったというのは、初めて知りました。こういう設定もあったのですね。

★ 2005年3月 急行「ちくま」の時刻

 今日は2005年3月の時刻表から急行「ちくま」の時刻です。
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2005年春臨からは下りのみの設定。
2004年夏臨と列車番号は同じ。時刻も殆ど変わりませんが、多治見の時刻が04年夏臨では0:39着0:40発だったのが、0:42着0:43発に変わっています。
381系使用。パノラマグリーン車連結。普通車一部指定席での運転。

★ 1994年12月 急行「ちくま」の時刻

 今日は1994年12月の時刻表から急行「ちくま」「くろよん」の時刻です。
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 12月3日ダイヤ改正では定期「ちくま」の大阪・長野の発着時刻は変わりません。時刻は途中駅が一部変わる程度。
車両面では寝台が従来の3段式の14系寝台から、2段式の14系15形になりましたが、2段化されるのは下り12月5日の大阪発から、上り翌6日の長野発からで、それまでは3段式で運転されています。
編成は1~3号車がB寝台(1号車は禁煙)、4・5号車が普通車指定席(5号車は禁煙)、6~8号車は普通車自由席(8号車は禁煙となっており、5・6号車は連結されない日があるとされています。
 94~95年の年末年始を中心とした臨時は、「ちくま」臨時2往復、「くろよん」1往復。どれも普通車のみの一部指定席での設定です。

★ 1998年10月 急行「ちくま」「くろよん」の時刻

 今日は1998年10月の急行「ちくま」「くろよん」の時刻です。
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JR西日本管内では10月3日に改正がありますが、該当する米原~大阪で「ちくま」の時刻に変化はみられません。
注目点は夏臨では設定の無かった「くろよん」の設定があるという事。
夏臨は糸魚川方面から急行「白馬アルプス」(姫路→信濃大町)の設定がありましたので、「くろよん」の設定は見送られたのかもしれませんが、秋臨では「白馬アルプス」がありませんので、2日だけですが設定されています。
普通車のみの一部指定席。「白馬アルプス」は全車座席指定で往路は急行ですが、復路に至っては特急になってしまいますので、利用し易くはなっています。

時刻は翌99年の夏臨と似ていますが、上りの大糸線内の時刻は99年夏と異なる箇所があります。

★ 1998年3月 急行「ちくま」の時刻

 今日は1998年3月の急行「ちくま」の時刻です。
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以前に97年12月の時刻を紹介した事がありますが、3月14日改正を経た98年春臨も時刻の違いは全く無いか、殆ど無いと言ったところ。
きちんと確認はしていないので、確かな事は言えませんが、ざっと見た限りでは変わらない様に見えます。
もっとも98年春臨では「くろよん」の設定が無く、「ちくま81・82号」は単独運転というのは目立つポイントです。


★ 1969年2月 湊町発着の急行「志賀銀嶺」の時刻

 今日はGV73Aさん提供の1969年2月の急行「志賀銀嶺」の時刻です。
69年シーズンに運転されたスキー臨の中でも特に興味を引くのが、この急行「志賀銀嶺」。
一部の運転日のみですが関西本線 湊町発着の編成を連結するという何とも魅力的な列車です。
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大阪発着の編成は2等寝台と2等座席車での組成。湊町発着は2等座席車のみ。
どちらも全車指定席です。
「志賀銀嶺」と名乗っている程ですから、対象は志賀高原のスキー場という事になるのでしょうが、線路の空きの問題なのか、他に理由があるのか、下りは松本→長野に2時間13分も掛かっており、長野着は9:03。
宿泊前提であると思われますが、長野で降りれば、目の前はスキー場・・・という訳にはいきませんので、ちょっとのんびりし過ぎなのでは・・・という感じも無きにしもあらず。
急行を名乗ってはいますが、松本6:08→長野8:00の各駅停車523レより所要時間が掛かっていますから、ちっとも急いでいないと言えます。
因みに下り「志賀銀嶺」は松本までは69年9月に出てくる急行「ちくま51号」に近い時刻で走っています。「ちくま51号」は大阪22:25発→松本6:42着。大きく違うのは松本から先で松本6:47発は「志賀銀嶺」と大して変わりませんが、長野着は8:14となります。途中停車駅は篠ノ井のみ。この位の所要時間なら納得なのですが・・・。

最後になかなか見られないであろう関西本線のスキー臨が掲載されている写真を転載して本日のブログの締めとします。
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僅かな差で亀山での上り「紀伊」との顔合わせはならず。

★ 1973年7月 急行「ちくま・くろよん」の時刻

 今日は1973年7月10日改正以降の急行「ちくま・くろよん」の時刻です。
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中央本線全線電化の1973年7月10日改正では、名古屋発着の「きそ」や「つがいけ」には電車が入るようになりましたが、「ちくま」は従来通りで、定期は気動車。季節と臨時が客車という内訳です。
客車牽引がDLからELに変更されているものと思われますが、時刻表で窺い知れる様な事ではありません。
改正前と時刻が比較的大きく違っているのが、上り1号です。
改正前は妙高高原9:41発でしたが、改正後は9:02発へと39分早くなりました。
名古屋到着時刻の差は1分ですので、ほぼそっくり差の分だけ遅くなったという事が出来ます。
さすがに40分近く差があると遅くなったというのが実感出来るのではないでしょうか。
電化開業の改正はプラスにばかりは働いていないという事ですね。
B寝台を2両連結しているのは季節運転の下り3号、上り2号。10両編成で下りの普通車は全車指定。上りは3~7号車が普通車指定席、8~10号車は自由席です。

★ 大阪~妙高高原 寝台急行「なにわ銀嶺号」の時刻

 本日は1986年3月の時刻表から寝台急行「なにわ銀嶺号」の時刻を紹介したいと思います。
1985年シーズンは座席車のみの全車指定席で下り大阪→妙高高原(松本から快速)、上り長野→大阪に設定されていた「なにわ銀嶺号」ですが、86年シーズンは全車B寝台の寝台急行となり、大阪~妙高高原に設定されています。
時刻は85年シーズンは「ちくま53・54号」と同じでしたが、86年シーズンは独自の時刻となっています。
86年3月号は3月3日改正後の時刻になりますのでシーズンを通しての時刻という訳にはいきませんが、大阪発着の中央本線系統の急行は臨時を含めて改正前後で殆ど時刻は変わりませんので、細かい点を気にしなければ、時刻を把握するには問題ない様に思います。
「なにわ銀嶺号」も上りの塩尻・木曽福島の時刻が違う程度です。
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寝台急行「なにわ銀嶺号」は大ミハの20系で電源車を入れて7両編成。
全車寝台の「~銀嶺」は70年代は見掛けますが、80年代は「なにわ銀嶺号」しか見た事がありません。まぁ、冬臨記載の時刻表の手持ちそのものが少ないので、齧った程度のものでしかないのですが・・・。
時刻で見ると下りは「ちくま1号」より33分早く大阪を、上りは「ちくま51号」より24分早く長野を出ますが、長野へは「ちくま1号」が5分早く、大阪には「ちくま51号」が12分早く到着します。
上りは運転日が異なりますので、途中で抜かれるという事はありませんが、下りは定期が相手ですので、篠ノ井で先行を許すという事になる訳です。
尚、妙高高原到着後は直江津に回送。回送の直江津着は8:40、直江津発は16:59発で妙高高原へと送られた模様。

★ 2001年12月 急行「ちくま・くろよん」の時刻

 今日は2001年12月の時刻表から急行「ちくま・くろよん」の時刻です。
確認はとれていないのですが、「くろよん」は最後の設定の時刻という事になるのではないでしょうか。
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JR西日本・JR東海管内である大阪~塩尻は10月1日の改正で時刻が変わっていますが、JR東日本管内は12月1日改正で時刻が変わっています。
「ちくま」の上りが明科に停車する様になったのは、多分この時でしょう。
臨時列車である「くろよん」も秋臨とは時刻が違います。
「ちくま」は383系使用でグリーン車連結。普通車は一部指定席。
「くろよん」は381系使用で普通車のみの一部指定席です。

★ 1961年1月 準急「ちくま」の時刻

 先日の記事で61年1月の準急「ちくま」の時刻に触れましたが、きちんと紹介していませんでしたので、しておこうと思います。
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準急「ちくま」の誕生はウィキペディアによると1959年12月13日との事。
元々、名古屋~長野は定期準急で、それに臨時延長で大阪~名古屋を加えたのが「ちくま」だった様に思います。
61年1月でも大阪~名古屋は依然として臨時扱いを意味する3000番台の列車番号。これは61年10月に急行に昇格するまで、そのままです。
以前に61年7月の時刻を紹介した事がありますが、それと九分九厘時刻は同じ。但し大阪発の3809レの京都・大津の時刻は1月とは違っています。
先日の記事で60年秋臨の準急「くろゆり」の準急「ちくま」との併結区間で時刻に差異があると書きましたが、あれは「くろゆり」運転の際は「ちくま」の時刻が変更されたからの様です。
GV73Aさんが60年10月の「ちくま」の名古屋→大阪の記載ページを投稿して下さいましたが、時刻は61年1月と同じ。(61年1月も60年10月1日改正と記載されていますので、当然と言えば当然ですが・・・)
本文掲載の「ちくま」の岐阜の停車時間は1分・・・電車や気動車ならともかく、機関車牽引の列車を連結するには時間が足りないのは明らかです。
「くろゆり」の岐阜発は16:11と記載されていますが、「くろゆり」運転の日の「ちくま」は岐阜で8分停車し連結作業を行ったものと思われます。

★ 1997年12月 急行「ちくま81~84号」の時刻

 今日は1997年12月の時刻表から急行「ちくま」「くろよん」の時刻です。
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 定期の「ちくま」は97年9月30日発から383系に使用車両が変更されており、中央本線でEF64+客車という姿を日常的に見る事は出来なくなりましたが、97年の年末には83・84号として客車での設定があります。12系で運転された模様で83・84号共に一部指定席。
98年春臨でも83・84号の設定はあるのですが、ちくま81・82号の設定はあっても、「くろよん」の設定はないので、紹介するのなら97~98年の年末年始だろうと考え、こちらにしました。
98年3月14日にダイヤ改正がありますが、名古屋~長野の時刻に関しては98年3月号に記載の81~84号の時刻は97年12月と変わらない様です。

 本日の更新はこれにて終了。
次回の更新は、また土曜日くらいになるものと思います。

★ 95年春臨 急行「リゾート白馬」の時刻

 本日は寝台車連結で運転された95年春臨の急行「リゾート白馬」の時刻です。
急行「リゾート白馬」に寝台車が連結されるようになったのは94年夏臨かららしいのですが、94年夏臨掲載の時刻表は持ち合わせていないので、95年春臨の時刻でご容赦を。
尚、94年夏臨は写真を見るとハネの帯が白の様で、3段寝台だったのでは・・・と考えられるのですが、95年春臨は3段との表記はありませんので2段ハネ。14系15形が使われた様です。
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【 JTB時刻表 1995年4月号より 】
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通常、神戸発着で設定される「リゾート白馬」ですが、阪神大震災の影響で95年春臨は大阪発着での設定。復旧が済んでいるいる夏臨では神戸発着になっています。
座席車は下りは全車指定、上りは一部指定で、これは95年夏臨も同じ。
寝台車に関しては夏臨になると女性専用の寝台の設定があります。
肝心の時刻ですが、春臨と夏臨では異なり、夏臨では下り神戸20:30→大阪21:07発→信濃大町7:14。上り信濃大町19:10→大阪524着→神戸6:03で運転。
神戸~富山で急行「リゾート奥飛彈」(神戸~高山)を併結する日もあります。

★ 1967年10月の急行「ちくま」「彩雲」の時刻

 本日は”GV73A”さん提供の1967年10月の急行「ちくま」「彩雲」の時刻の紹介です。
急行「彩雲」については2011年1月12日のブログで68年春臨について触れており、掲示板にその補足資料用に頂戴したのですが、現在、当該記事の時刻は参照出来なくなっている上に、元より資料がポケット版を利用したもので省略箇所もあった事から、この度、67年10月版として新規に時刻を入力しました。
「第2ちくま」に併結される臨時急行「くろよん」は資料の都合で省略してありますが、「彩雲2号」も全停車駅が記載出来るようになりましたので、かつて参照資料に供していた68年4月版より資料としての質はずっと良くなったと思います。
※2016年10月6日追記。”GV73A”さんより大糸線内の時刻も教えて頂きましたので急行「くろよん」を追加しました。
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列車番号の上の”c”は「ちくま」、”s”は「彩雲」、”k”は「くろよん」を示します。
68年春臨では確認出来ませんが、67年春臨では上り「彩雲」に名古屋行きという日があります。
必ずしも大阪~長野の運転という訳ではなかったのですね。

【 2016年10月6日追記 急行「くろよん」の運転日についての謎 】
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急行「くろよん」の運転日、中央西線のページでは大阪発10月7日~29日の土・休日となっていますが、大糸線のページでは・・・
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大阪発10月6日~28日の金・土曜及び10月8・9日となっています。
書いてある事が一致していません。
どちらが正しいのかは謎ですが、当ブログ掲載の時刻では大糸線の注釈に倣いました。


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資料用に掲示板に大量の写真をアップして頂いたのですが、個人的にかなり興味深い列車も写っていましたので本日のテーマとは関係ないのですが少し紹介しておきます。
まずは名古屋行きの急行「くろゆり」・・・大阪発着でよく見掛ける急行「くろゆり」ですが、名古屋着で設定されていた時代がある・・・という話は耳にしていました。
ただ、具体的にいつなのかは知りませんでしたが67年秋辺りが該当するのですね。。
また本日扱った急行「彩雲」の左隣の急行「あきよし観光」・・・これもなかなか興味深い列車。未だにブログでは扱った事のない列車ですが、いずれは情報募集でもしたいところ。
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後の時代にも出てくる列車ですが、西線と東線を跨いで運転される急行「白樺高原」も確認出来ますね。
寄せられた写真は実に17枚・・・その投稿された写真で名古屋発着の中央本線の優等列車の時刻も殆どの時刻の調べがつきましたので、急行「しなの・あずみ・きそ」の時刻は近日中に発表する予定。

 本日のブログはこれにて終了。
最後になりましたが”GV73A”さん、大量の資料の投稿、誠に有難うございました。
また、”北極急行”さん、「きのさきマリン」に関するコメント有難うございます。この愛称の列車、実は秋臨がメインだったとは意外でした。

★ 1993年8月 583系使用 寝台急行「シャレー軽井沢」の時刻

 本日は93年夏の寝台急行「シャレー軽井沢」の時刻です。
向日町運転所の583系を使用し、神戸~軽井沢を直江津経由で結んでいた寝台急行として御記憶の方も多いのではないかと思います。
92年夏と停車駅は変わらず。時刻も変らないと言って構わない程度の違いなのですが、編成が短縮されているというのが注目点になります。

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下りは途中で寝台特急「つるぎ」を抜く事でも知られていますが、「つるぎ」は京都を出た後は、糸魚川まで客扱いはありません。「シャレー軽井沢」は糸魚川は通過扱い。時刻表を見ても通過記号が並ぶのみで、この駅で抜くという事が判る訳ではありません。
一応、参考までに寝台特急「つるぎ」の時刻も記載しておきます。
「つるぎ」の大阪発は21:50。対して後発となる「シャレー軽井沢」は22:05発でその差は15分・・・それが直江津到着時刻で比較すると「つるぎ」が4:39着、「シャレー軽井沢」が4:29着と先着して10分の逆転がみられるという事なんですね。

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【 JTB時刻表93年8月号より 】
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JTB時刻表93年8月号にみる「シャレー軽井沢」。
B寝台の表記しか見られません。これが93年の特徴。
93年夏は89年夏の設定当初から設定のあったA寝台は連結されていません。

【 JTB時刻表92年7月号より 】
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参考までに92年7月の時刻表から。
この年まではA寝台連結の8両編成での運転。

583系は当ブログでは結構人気が高い様なのでオマケとして参考資料を1点。
92年から向日町運転所にはオリジナル塗装と新塗装の編成が混在します。その内訳・・・93年夏より少し前の話ではありますが参考にして下さい。
(レイルマガジン93年4月号の向日町運転所583系編成表より作図)
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B3・5・6編成の3本が新塗装でB寝台の2段使用が可能なのはB3編成に組み込まれている6両と、オリジナル塗装のクハ581(28・35)とモハ582/583(74・78)の2ユニットの6両という事になっています。
塗装はともかく、91年夏からの急行「シャレー軽井沢」のB寝台は2段ですから、この2段使用可能な車両が充てられていたという事ですね。
尚、B5編成の1号車(大阪方)とB6編成の10号車(富山方)のクハネは583。
向日町運転所のクハネ583は2両しかありませんが、雑誌掲載の時点で既にオリジナル塗装車はなくなっていた模様。


 本日のブログはこれで終了。
次の日曜日の更新は、何の変哲もない客車列車(50系)の時刻になるのではないかと思います。
興味のある人は殆ど居ないと思いますので、その前に70年代の急行の時刻を割り込ませたいのですが、時刻の入力作業は遅々として進んでおらず保証の限りではありません。
最後になりましたが”北極急行”さん、早速の御回答有難うございました。

★ 1993年8月 急行「リゾート白馬」の時刻

 本日は93年夏の急行「リゾート白馬」の時刻です。
この時代の夏臨では常連と言える列車です。神戸~信濃大町を糸魚川経由で結ぶ客車急行で全車指定というリゾート列車らしい形態でした。
92年夏と93年夏では下りに関しては余り変わりません。しかし、上りは大きく変わります。
急行「リゾート88白馬」として設定された88年夏と90~92年の夏の上りは信濃大町を出た当日に神戸到着という時刻で組まれていましたが、93年夏は89年夏と同様、上りも夜行で運転されています。
神戸到着は89年夏が6:10、93年夏が6:03で大して変わりませんが、信濃大町は89年夏が19:59発であったのに対し、93年夏は17:56発と2時間以上早くなっています。時刻表の記載では分かりませんが、かなり長い運転停車が隠れているのでしょう。
この急行「リゾート白馬」、後に寝台車も連結されるようになりますが、93年夏は座席車のみです。
確か94年夏は寝台車連結で運転されていた様に記憶するのですが、何しろ私の記憶ですので、あまりアテになりません。95年夏は間違いなく連結されているのですが・・・。

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参考までに上りが当日着だった92年夏の時刻も載せておきます。
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97年シーズンの特急「シュプール雷鳥信越」の時刻

 東京都心では桜が満開になった様ですが、当ブログの今日のテーマは、スキー臨・・・97年の「シュプール雷鳥信越」の時刻です。
昨シーズンは、結構、スキー臨をブログで扱った様な気がするのですが、今シーズンは余り扱わなかった様に思います。
収納場所から時刻表を出すのを億劫がったというのも一因としてはありますが、やはり最大の要因は2月の約半月の間、雪に覆われている風景を見続け、雪に辟易していたというのが理由です。
雪関連の話は気が滅入るので避けていたのですが、次回の冬までは、ブログが続きそうもないので、出しておくべき情報は出しておこうという、駆け込み企画です。

97年シーズンの「シュプール雷鳥信越」「シュプール妙高・志賀」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

見所は、やはりシュプールに特急扱いの列車が加わっているところでしょう。
「シュプール雷鳥信越」として上りだけですが、特急扱いの列車が1本入るようになっています。
 【 JTB時刻表97年2月号より 】
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日によってはパノラマグリーン車が連結されるなど、「スーパー雷鳥信越」を彷彿とさせる様な列車です。
この冬は「フードピア雷鳥」とか「冬こそ北陸雷鳥号(サンダーバード)」の設定もあるのですが、自由席設定のあるこれらの列車と比べ、全車指定席の「シュプール雷鳥」は、やや格上の観があります。
この列車の設定に伴い”シュプール雷鳥きっぷ”も発売されるようになっており、特急利用という選択肢が加わっています。

 さて、話題は変りまして、昨日にアップしたブログの最後に70~71年の年末年始に運転されたという話がある、「金星51号」の質問を載せておいたのですが、早速、”クハ481105”さんより御回答を頂戴しました。
1970年12月号に記載は無いとの事。
 この列車、私も以前に質問を受けて知った次第なのですが、運転区間は名古屋~熊本。運転日は下りが12月26日~1月6日で、上りはそれぞれ1日を足した日になっています。
列車番号は8033(8034)レになっていますので、客車での運転。
寝台という事は、まず考えられず、運転されたのならば12系でしょう。特急料金は100円引きであった筈です。
気になって、資料になりそうなものを幾つか当たってはみたのですが、そもそも12系使用の特急の記述からして多くはなく、「金星51号」の表記は見付かりませんでした。
 時刻表にも出ていないとなれば、運転はされなかったのか・・・しかし、運転はされたものの時刻表には載っていないという臨時特急は、現実に幾つも例があり、事は単純ではありません。
一般客向けに複数日にわたり運転されたものの、時刻表に記載されなかった優等列車というのは結構な例があるようです。
有名なところでは70年夏臨の特急「はつかり51号」・「はと51号」は時刻表非掲載として知られています。
運転が急遽決まって時刻表の記載が間に合わなかった為ですが、そういった例から考えると「金星51号」も、同種の列車だったと考えられなくもありません。
当時は切符の発売も、現在の様に1ヶ月前なんていう事はありませんから、運転する1週間前に決まっても、余り問題は無いとも言えます。

 名鉄の気動車を借りて臨時列車を走らせたり、「くろしお」の間合い使用としか思えない82系気動車使用の臨時急行を走らせたり、名古屋発着には一風変った列車が設定されていたという前例があります。
名古屋鉄道局管内に12系が配置され、それを臨時特急に使おうと考えたとしても、不思議ではないような気がします。局の裁量で長距離の臨時特急に使えそうな車両といったら、それしかないでしょう。
もっとも問題は実際に、それをやったかどうかですが・・・。
 時刻は無理ですが、実際に運転されたかを調べるには”鉄道ファン”などの雑誌類を当たってみるのが効果的なのかもしれません。
運転されたのであれば、初の客車による座席夜行特急という事になりますので、記事になっている可能性は高そうに思えます。
果たして70~71年の年末年始の「金星51号」は実在したのでしょうか?

 本日のブログはこれにて終了です。本日もお付き合い頂き、有難うございました。
今週ですが、何かと用事が立て込んでおりまして、満足に更新出来そうもありません。更新されているかどうかの確認は週末辺りに一度やる程度で十分なのではないかと思います。
最後になりましたが、”クハ481105”さん、御回答有難うございました。掲載されていないという結果が分かった今となっては、落札出来なかったのも、まあ良かったか・・・と思えます。
お目当てが載っていないのでは意味がありません。70~71年の年末年始は見限って、他の対象を探した方が建設的な様ですね。

485系+583系の「シュプール妙高・志賀3(4)号」の時刻

 本日の更新ですが、94年シーズンの「シュプール妙高・志賀」の時刻です。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)
このシーズンの話題をさらったのが、この「シュプール妙高・志賀」。
3(4)号は458系+583系の併結運転となり、営業列車でクハ581の貫通扉が使用されるという前代未聞の事態になりました。
設定当初は485系6両+583系8両の14両で、ロザ無しのハネ・ハザ編成だった様なのですが、2月からは双方にグリーン車が入る一方、583系からMM’の1ユニットが抜かれて485系7両+583系7両という編成になった様です(鉄道ファン94年4月号P123より)
本日の時刻は3月の時刻表を資料に使っているのですが、下り2月28日迄、上り3月1日迄でグリーン車の連結は終了との記述が見られますので、3月は設定当初の編成に戻ったのだろうと思われます。
 【 JTB時刻表94年3月号より 】
IMG_1164

 本日のブログはこれにて終了です。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。
最後になりましたが”信三鉄道”さんコメント有難うございました。1962年10月改正からですか・・・中期的な目標にするよりありませんが、時刻を追加しなくてはいけないな・・・と考えております。

 続いてはサイトの修正についてです。
2週間程前のブログにサイトに散らばるミスを修正する作業をやっていると書きました。
自分で書くのも難ですが、本当にミスが多いサイトでありまして、修正箇所をいちいち書いてはいられないのですが、1箇所、非常に重大なミスを見付けましたので。お知らせしておこうと思います。
2012年5月に特急「オリンピア」の時刻を扱いましたが、下り「オリンピア1号」のサイト内の編成表が間違っていました。
(誤)
hakutsuru73
(正?)
olympia
グリーン車以外は全車寝台ではなくて、1・3~6号車のハネの寝台はセットされておらず、座席扱いです。
これは寝台をセットする時間が不足気味だったので、そうなったのだとか・・・。
(正?)と疑問符を付けているのは、食堂車の営業はどうだったのか確認がとれていない為です。
「オリンピア1号」が記載されている時刻表をお持ちの方、下りの食堂車が営業されているかについてコメントを頂けますと幸いです。

85年シーズンの急行「なにわ銀嶺号」の時刻

 本日は85年1月の急行「なにわ銀嶺号」の時刻です。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

急行「なにわ銀嶺号」は85年シーズンと86年シーズンに設定がみられる大阪~妙高高原(85年シーズンは上り長野→大阪)のスキー臨ですが、早い話が臨時の「ちくま」の愛称を変えたものです。
シュプール時代になると、大阪から妙高高原への列車は北陸本線経由で運転されますが、この頃は中央本線経由で設定されていました。
もっとも設定回数は”シュプール”時代のそれより遥かに少なく、85年シーズンの「なにわ銀嶺号」の設定日は1・2月を合わせても6日に過ぎません。
下の写真を見て頂ければ一目瞭然ですが、85年シーズンは14系座席車で全車指定(下りは松本まで、上りは全区間)として設定されています。
これが86年シーズンになりますと20系になり全車寝台の寝台急行になるのですが、86年シーズンの時刻までは手が回らなかったので、また今度という事で・・・。
 【 弘済出版社 小型全国版の総合時刻表85年1月号より 】
IMG_1102
85年1月の時刻表に見る急行「なにわ銀嶺号」・・・全車座席指定で設定されています。
愛称は目新しいのですが、時刻は「ちくま」の臨時そのもので新鮮味はありません。
下りは松本から快速扱いになって妙高高原を目指しますが、妙高高原9:41というのは、これからスキーを楽しもうという人にはどうなのでしょう? 少し遅い気がしなくもないのですが・・・。

 本日のブログはこれにて終了です。今日もお付き合い頂き有難うございました。
尚、明日の更新は都合により、お休みとさせて頂きます。また明後日も場合によっては更新出来ないかもしれませんので、予めご了承下さい。

coment
”エトワール・デュ・ノール”さん
コメント有難うございました。
全車指定の、「くりこま」は急行の追い抜きをする事で有名ですね。抜く相手は定期では気動車急行ですが、臨時の客車急行が先行していれば、それも抜き去るという2本抜きもやっていました。
確かに”お得な”列車だったと思います。

71年夏臨 急行「黒姫」の時刻

 本日は71年夏の急行「黒姫」の時刻です。
関西から北陸本線経由で長野に至るというルートはJR化後の臨時列車では大して珍しいものではなく、「シュプール」などは、当たり前のように使っていますが、国鉄時代の臨時列車となりますと、一転して少数派になるだろうと思います。
急行「黒姫」はその少数派で、北陸本線経由で大阪~長野を結んだ臨時急行・・・以前に69年9月の時刻を紹介した事がありますので、御記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
69年は9月に設定があった「黒姫」ですが、70年は少なくとも7月号には記載は見られません、しかし、70年は設定が無かったという訳ではなく、なんでも秋臨に下りだけ設定されていた模様です。
 69年・70年は1日だけの設定しか見られなかった「黒姫」ですが、71年夏臨は一週間超の設定があり、一番運転されたシーズンだった様です。
 【 交通公社時刻表71年7月号より 】
IMG_0789
下り急行「黒姫」の大阪→直江津の時刻は以前紹介しました「きたぐに51号」と全く同じ。
上の写真では「黒姫」の列車番号は8509レになっていますが訂正の記事が出ており、正しくは8503レで「きたぐに51号」と同じです。
長浜→敦賀に客扱いを行う停車駅はありませんが、後続の「くずりゅう5号」にこの区間で抜かれているところを見ると、どこかで運転停車をしているのでしょう。
長浜なのか、その先なのかは定かではありませんが寝台特急「日本海」にも抜かれていますね。
客車の臨時急行という事もあってか、速度の点では全く冴えません。
多分に時間調整の意味合いが強いのでしょうが、上りの糸魚川→福井の時刻では新潟発 米原行きの528レが糸魚川21:28発→福井2:13着であるのに対し、「黒姫」は糸魚川21:42発→福井2:21着と普通列車と殆ど所要時間は変わりません。
急行「黒姫」の使用車両は不明ですが、グリーン車の連結があるところをみると、12系の可能性は低そうです。
・・・となると、設備面でも普通列車と差は無さそうで、ますます急行料金の妥当性が問われそうな感じです。

IMG_0790
こちらは下りの信越本線内の記載。
69年9月の設定では、全区間で急行運転でしたが、71年夏の設定では上下列車共、直江津~長野は普通列車扱いとなっています。しかし、時刻表を見る限り全車指定席扱いは解除されていませんので事実上、区間乗車は出来そうにありません。

71年夏の急行「黒姫」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

coment
”愛称別トレインマーク事典”管理人様
コメント有難うございました。
リンクの件はこちらがお礼申し上げたい立場であります。お陰様でサイトのトップページが約1年振りに少し変わった上に、賑やかさを加える事が出来ました。
どうも地味過ぎると、かねがね思っておりましたので、正に願ってもない事であります。
調子に乗って来月分も作りましたので、来月は絵柄を変えてリンクを貼らせて頂く予定です。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

1972年夏臨 循環急行「アルペン」の時刻

 本日は循環急行時代である72年夏の急行「アルペン」の時刻です。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

既に71~72年の年末年始の時刻と、72年春の時刻は紹介済みで、72年夏は基本的には72年春の時刻と大体一緒なのですが、一部の時刻と停車駅には違いが見られます。
 【 交通公社時刻表72年7月号より 】
IMG_0774
夏という事で海のレジャー客の輸送を考慮しているのでしょう。谷浜・能生といった駅に期間限定で停車しているのが確認出来ます(1号は谷浜のみ停車)
中央本線経由の循環列車なので山岳への行楽客が対象に入るのは当然ですが、海水浴・温泉観光と様々な任務を持っていた事が分りますね。循環運転という事もあって守備範囲の広い列車です。
「アルペン1号」は全区間一部指定席、「アルペン2号」は松本まで全車指定席で松本から一部指定席という設定でした。

 短いですが本日の更新はこれにて終了です。
もう猛暑がらみのニュースは聞き飽きた話かと思いますが、暑いですね・・・日中は体温以上の猛暑、夜は30℃近い熱帯夜で高湿度。何とも過酷な環境です。お盆明けまでこの暑さは続くという事ですから、それまでこのブログも今日と同じような短い更新が続くだろうと思います。
さすがにこう暑いのでは、時刻表を開いてみる気にもなりません。
とにかく稀にみる猛暑ですので皆々様も暑さには十分にお気を付け下さい。

設定当初の急行「リゾート88白馬」の時刻

 本日は88年夏臨から急行「リゾート88白馬」の時刻。
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

関西から湖西線・北陸本線・大糸線を経由して信州を結ぶ臨時急行として80年代末から90年代にかけては御馴染みだった列車です。
デビューは88年の夏なのですが、デビュー時は「リゾート88白馬」と”88”という西暦が愛称に入っています。
89年の春臨も年が入って「リゾート89白馬」だった様なのですが、夏臨では「リゾート白馬」に短縮されています。
デビュー時の88年夏の運転と他の年の運転で違う点は、愛称ばかりではありません。上りの運転時間帯がまるで違い、89年夏からは往復夜行ですが、88年夏は下りは夜行ですが、上りは日中運転で設定されています。
大糸線内の種別も89年夏から大阪行きは急行扱いになりますが、88年夏は上下共に快速列車扱い。神戸~糸魚川が急行運転区間となっていました。
 【 交通公社時刻表88年8月号より 】
IMG_0574
まずは急行運転区間の写真から。なかなか写真に収めるに適当なページが無いので、深夜帯ですが北陸本線の富山→糸魚川です。
お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、88年の「リゾート88白馬」は他の年の夏に運転された「リゾート白馬」と違い、1両だけではありますが自由席の設定があります。
よって全車指定の表記にはなっていません。
hakuba88
巻頭に載っている編成表を図にしてみるとこんな感じになります。
14系座席車4両の専用編成で、シートの交換と、自動販売機の設置が行われています。
2編成が用意されており、ゆくゆくは200番台となりますが、88年夏シーズンの車番は元のままです。
◇ オハフ15-12+オハ14-184+オハ14-183+スハフ14-21
◇ オハフ15-13+オハ14-182+オハ14-181+スハフ14-24
車両の所属は広島運転所らしいのですが、宮原区が借り受けて使用していた由。

IMG_0573
神戸行きが大糸線内で快速扱いなのは夏臨では88年夏のみです。
また、信濃大町を13:39などという時刻に出て行くのも、この年のみ・・・翌年は、19:59発となり、夜行運転となります。
最後に参考までに89年夏の大糸線のページを見てみましょう。
 【 弘済出版社JR時刻表1989年8月号より 】
IMG_0575
信濃大町を出発する時点で急行になり、全車座席指定となっています。
因みに、89年夏より展望室付きのオハフ15-201~の連結が始まり、更にリゾート列車らしくなりました。

 本日のブログはこれで終了です。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。

2003年シーズン 「シュプール号」の時刻

 本日は2003年シーズンの「シュプール号」の時刻を見てみようと思います。
特に90年代は冬の時刻表を賑わしていた「シュプール号」ですが、2000年代に入るとすっかり影を潜めてしまいます。
2003年シーズンはJR西日本が設定した関西~信越の「シュプール号」が3往復あるのみ。
客車や気動車の設定は既に無く、電車だけになっています。
 【 JTB時刻表2002年12月号より 】
IMG_0269
表記だけ見ると結構、設定がある様な錯覚を受けますが、「シュプール5号」が出発駅と車両設備の違いで4通りあり、それが別々に表記されている為に賑やかに見えるだけで、実際は3本あるだけです。
関東地方だけの設定で普通列車扱いだった設定初年度を除けば基本的に「シュプール号」は急行扱いでしたが、このブログでも何回か紹介しました様に89年辺りまでは急行の表記があったものの、それ以降は暫く急行の表記は見られませんでした。
しかし、設定晩年の頃になってくると、特急扱いの「シュプール号」などが出てくる為か、時刻表に急行の表記が復活しています。
2003年シーズンは寝台急行「シュプール1・4~6号」と急行「シュプール3・5・6号」。そして「シュープール雷鳥信越2号」という構成になっています。
尚、寝台急行「シュプール」が全車寝台扱いなのは言うまでもありませんが、急行「シュプール」も寝台車連結ですが、指定席もあるという点が異なります。
IMG_0270
唯一の特急である上りのみ設定の「シュプール雷鳥信越2号」は全車指定で黒姫→大阪の運転。
また、この列車だけ湖西線経由で残りは全て米原経由となっています。
 時刻表の列車番号の表記は、下りも上りも始発駅出発時点のもので、列車番号の変更に関する記述は無いのですが、”信三鉄道”さんが調査して下さいましたので、姫路~大阪、大阪~直江津、直江津~黒姫に関して列車番号を記載する事が可能になりました。
この場を借りまして深く感謝する次第であります。

 本日のブログはここまで。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。
さて、明日と明後日のブログですが、現時点では更新出来るとも出来ないとも言えない微妙なところと言った感じです。場合によっては予告なしに休みとさせて頂きますので、予めご了承下さいますよう、お願い致します。

関西に遠征した「シュプール栂池・八方」の時刻

 本日は96年2月の関西発着の大糸線方面への「シュプール」の時刻を紹介したいと思います。
前回、既に触れました様に、大糸線は水害による不通区間発生の為、96年シーズンは、糸魚川から大糸線に入る列車が設定出来ず、糸魚川からバス接続という形態で2往復の「シュプール白馬・栂池」が運転されるだけという事態になっています。
例年の運転では結構な本数が運転されている白馬方面だけに、さすがに糸魚川までの2往復では心細いという判断が働いたのか、中央本線経由で運転される列車が2往復設定されました。
 1往復は新設の「シュプール白馬アルプス」。出雲区又は日根野区の381系のモノクラス編成で、姫路~南小谷に設定されました。
因みに96年夏臨にも同区間を急行「リゾート白馬アルプス」として似た様な時刻で運転されています。
 もう1往復は驚く事にJR東海の「シュプール号」が関西に遠征してきました。
通常は中京地区発着の「シュプール栂池・八方」が、神戸発着となって、設定本数が減った「シュプール白馬・栂池」の穴を埋めています。
使用車両はJR東海、神領電車区の381系6両・・・こちらはグリーン車付きです。
元々、JR東海の「シュプール号」ですので、自社のエリアの集客も担っていて、神戸から多治見まで、かなり長い区間にわたる客扱いが見られます。
 【 JTB時刻表96年2月号より 】
IMG_0052
JR東海の「シュプール栂池・八方」の関西延伸は、96年シーズンの話題の一つでした。
「シュプール白馬アルプス」はJR西日本の列車ですので客扱いは米原までですが、「シュプール栂池・八方」は、本来の守備範囲であるJR東海管内の停車駅にも、こまめに停車しています。

96年2月の「シュプール栂池・八方」「シュプール白馬アルプス」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

coment
”フネハナ120”さん
78年の配置表、色々出ていそうですね・・・対象は、なんでも良いという事だと受け取りましたが・・・何にしましょうか・・・実のところ、78年に何がどの辺に配置されているのかは特急車両でもない限り皆目見当がつきません。
ただ前から謎だった事の一つに12系客車の配置状況というのがあります。
北海道と四国以外の全国に散らばっていそうですから、かなり大変な作業になるかと思いますが、目についた範囲、且つ出来る範囲で結構ですので、それを調べて頂けないでしょうか。
宜しくお願い致します。

1993年2月 「シュプール妙高・志賀」の時刻

 このブログ、滅多に90年代の列車を扱う事はありませんが、普段は押入れの奥深くにしまわれている93年2月号を少々訳がありまして久し振りに出しておりますので、出したついでに本日は93年2月の「シュプール妙高・志賀」の時刻でも紹介しておこうと思います。

93年2月の「シュプール妙高・志賀」、「シュプール信越号」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 【 JTB時刻表1993年2月号より 】
IMG_0009
 「シュプール号」も過去のものになって久しいですが、この頃は、JR東日本・東海・西日本・九州に「シュプール号」の設定があり、なかなか賑やかでした。
種別は一応、急行という事になっていますが、時刻表の表記では急行の表記は見られません。
93年2月の時点では、関西から長野・黒姫・直江津方面には5往復が設定されており、「シュプール妙高・志賀」が4往復、「シュプール信越号」が1往復です。
使用車種は時刻表の表記を見れば、お分りになるかと思いますが、583系と485系が2本ずつ、14系が1本です。、
「シュプール妙高・志賀7(4)号」は所定は14系座席車(一般車)ですが、日によって寝台車が連結されるという形態になっています。
 尚、下りの運用は各列車に、固有の仕様車両が割り振られていますので単純ですが、上りは少々複雑で、4号は客車で運転される日と電車で運転される日がありますし、8号は485系の日と、583系使用の日がありますので注意が必要です。

 本日のブログはこれで終了。今日もお付き合い頂きまして有難うございました。

1961年7月 準急「ちくま」の時刻

 本日は61年7月の準急「ちくま」の時刻です。
御馴染みの「ちくま」ですが、準急時代となると、なかなか馴染みがないのではないでしょうか。
誕生は59年12月13日と言いますから、準急時代は2年に満たなかった事になります。
61年10月改正で気動車化の上で急行化されましたが、準急時代は客車で運転されていました。
【 交通公社時刻表61年7月号より 】
IMG_2948
準急時代の「ちくま」は大阪~名古屋と名古屋~長野で列車番号が変わります。元はと言えば名古屋発着の準急を大阪まで臨時に延長して誕生した列車だそうですから、その名残りの様なものなのでしょう。

61年7月の準急「ちくま」の時刻
(※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません)

 申し訳ありませんが所用で時間が割けないので、今日のブログはこれにて終了です。
私事ですが最近、ちょっとした懸案事項を抱えておりまして、はっきり申しまして心ここにあらずの状態でブログを書いている事が多くなっております。
色々と出鱈目を書いている様でご指摘も頂いております。誠に失礼致しました。
このブログも完全に蛇足の域に入ってきた様だと感じる昨今であります。

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”なっちゃん”さん
コメント有難うございました。色々とミスが多くご迷惑をお掛けしております。
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