Rail・Artブログ

サイトRail・Artで扱っていた列車時刻の更新情報のブログです。 サイト閉鎖に伴い更新は終了。全てのリンクは無効となっておりますので御了承下さい。 また、時刻再掲及び時刻のリクエストには応じかねます。 尚、テーマの前に★が表記されている物はGIF形式で、 ☆が表記されている物はテキスト形式で時刻が確認出来ます。 但し2015年1月以前の記事は殆どの時刻の確認は出来ません。

1970年

★ 1970年12月 急行「名城」の時刻

 ysさん提供の1970~71年の年末年始に運転された急行「名城」の時刻です。
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名古屋(大垣)~広島を結ぶ臨時急行。
上下設定されており、グリーン車連結で下りは全車座席指定、上りは普通車の一部は自由席。
グリーン車1両、普通車9両の10両編成。
停車駅は他にもある可能性があるとの事・・・確かに省略されていそうな気配が・・・急行ですから、上りは福山・大津辺りに停まっていそうな感じがします。

【2023年10月16日追記】
上りの福山は通過になっている由。
昼間の急行で福山が通過になっている列車というのは、初めて見た気がします。
使っている列車番号は予定臨8602M・・・元々、通過扱いで組まれていたのでしょうか・・・一部の特急も停車しますから、利用客は居そうな気がしますが・・・。

 本日のブログはこれで終了。
次回は信越本線の急行の時刻を扱う予定です。
最後になりましたがコメントを下さった方々、有難うございました。

★ 1970年7月 急行「伊豆・おくいず」の時刻

 今日は1970年7月の急行「伊豆・おくいず」の時刻です。
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この時代、「伊豆」は定期・季節で上下共に6号まであります。
全車指定席ですが、普通車は上下共に指定券がないと乗車出来ないのは小田原まで。
季節運転ですが下り5号は東京→国府津で「ごてんば4号」を併結。唯一、国府津に停車する「伊豆」です。
併結相手に合わせて「ごてんば4号」も東京→国府津は全車座席指定・・・かなり敷居の高い「ごてんば」です。

★ 1970年7月 急行「錦江」の時刻

 今日は1970年7月の急行「錦江」の時刻です。
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1971年7月では指宿枕崎線内は定期の下り1号を除き快速扱いになりますが、70年7月では季節列車も「かいもん1号」と併結で急行扱いです。
但し、定期急行の「かいもん1号」に合わせる為に西鹿児島での停車時間は長めで、下りで26分、上りで35分に及びます。快速運転となっている71年7月では下り9分、上り2分ですので全体の所要時間に於ける西鹿児島でのロスは結構大きなものがあります。
全区間急行運転ではありますが、活かされているとは言い難いと言えるのではないでしょうか。

★ 1970年7月 急行「陸中」の時刻

 今日は1970年7月の急行「陸中」の時刻です。
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形態としては1969年9月と同じで定期1往復、臨時1往復。時刻も上りの秋田→大館を別にすれば大して変わりません。
前にも触れたかと思いますが、定期と臨時の共通点は山田線の盛岡~宮古を走るという点だけで、あとは関係性は全くありません。なぜ違う愛称を使わなかったのか解せない列車です。

尚、定期の併結列車は全て書くのが面倒なので列車番号の持ち主に限定しています。特に花巻~仙台は他の列車も加わりますので誤解なきよう。

★ 1970年7月 急行「まりも2号」の時刻

 今日は1970年7月の急行「まりも2号」の時刻です。
以前に急行「狩勝・摩周観光号」の時刻を扱った際に触れましたが、B寝台2両編成というのが急行「まりも2号」の実態です。
登別~釧路の運転で、基本的に岩見沢~釧路は急行「狩勝52号」と併結運転となっており、この区間の編成は少し長くなりますが、下りの8月24・25日、上りの7月25日と8月25日は「狩勝52号」の設定がないので、全区間単独運転・・・登別~釧路の全行程を寝台車2両だけで走ったという事になりましょうか。模型の世界の様な列車ですね。
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【 交通公社時刻表1970年7月号より 】
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尚、「まりも1号」は70年7月の時刻表には出てきません。設定は夜行の2号だけの様です。

★ 1970年7月 急行「いよ」の時刻

 今日は1970年7月の急行「いよ」の時刻です。
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定期5往復に臨時が下り2本、上り3本設定されています。
「いよ」に関しては毎度の事と言えますが、下りの臨時は気動車、上りは客車で設定されており、下りは深夜に高松に到着した宇高連絡船に接続し、松山(松山から定期普通列車となって宇和島)まで行くのに対し、上りは全て伊予西条発となっています。

★ 1970年7月 急行「かすが・平安」の時刻

 今日は1970年7月の急行「かすが・平安」の時刻です。
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1970年7月の時刻入力がまだだったので、作ってはみましたが、特に見所と言えるような点はありません。
急行「かすが」3往復、「平安」1往復で、時刻は69年9月や71年7月と大して変わらず。
「かすが」のグリーン車連結は下り3号と上り1号です。

★ 1970年7月 急行「かむい・そらち」の時刻

 今日は1970年7月の時刻表から急行「かむい」「そらち」の時刻です。
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急行「かむい」は8往復。「そらち」は下り2本、上り1本の設定。
71年7月では「かむい」の小樽~札幌は全て快速になっていますが、70年7月の時点では急行運転を行っています。
上下1本ずつ海水浴客への便宜を図ったと思われる銭函への臨時停車があるのが注目点。

★ 1970年7月 急行「狩勝・摩周観光号」の時刻

 今日も1970年7月の時刻表から。急行「狩勝・摩周観光号」の時刻です。
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急行「狩勝」定期が下り4本、上り3本。臨時の52号が1往復。
時刻は少し違いますが、71年夏と変わりません。
52号は岩見沢~釧路で急行「まりも2号」を併結する日がありますが、この「まりも2号」はB寝台2両だけで、団体で満席になる事があります・・・という注釈が入っています。

急行「摩周観光号」は単独運転なのは下りの釧路→川湯だけで、他は併結運転。
普通車のみの全車自由席。

★ 1970年7月 急行「くずりゅう」の時刻

 今日は1970年7月の時刻表から急行「くずりゅう」の時刻です。
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定期4往復、季節2往復の6往復体制。
季節1往復は名古屋発着となる日があります。
1970年10月改正前なので、後に加賀温泉となる作見は全列車通過。
10月改正後は1往復のみ停車の粟津・動橋も全列車が停車しています。

1970年2月 快速「糠平銀嶺号」の時刻

 今日はGV73Aさん提供の1970年2月の快速「糠平銀嶺号」の時刻です。
士幌線全列車が写っていますので、写真のままで。
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下りのみの設定で、帯広→糠平の運転。
途中停車駅は士幌と上士幌・・・士幌線内の停車駅は70年夏臨の急行「大平原」と同じです。
所要時間も帯広→糠平が、70年夏臨の急行「大平原」で1時間18分、快速「糠平銀嶺号」は1時間24分ですから、大きな差はありません。

 本日のブログはこれにて終了。
最後になりましたが、北極急行さん、昨日の質問の御回答ありがとうございました。
誤記の多い時刻表だと意識はしているのですが、事前に質問して良かったと胸をなでおろしています。

1970年春臨 急行「松前観光号」(札幌→松前)の時刻

 GV73Aさん提供、1970年春臨 急行「松前観光号」の時刻です。
以前に73年春の団体列車「松前チェリー号」を紹介した事がありましたが、70年春の急行「松前観光号」は、本文に記載がある事から、多客臨であった様です。
 【 1970年6月号より 】
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江差・松前線のページに記載がある急行「松前観光号」。夏臨の「奥尻観光号」の記載も確認出来ます。5月のゴールデンウィークに運転される春臨と7月になってから運転される夏臨の併記というのは、珍しいのではないでしょうか。
その急行「松前観光号」、札幌発5月2~4日運転で、普通車のみの全車自由席。
急行運転区間は木古内まで。木古内からは定期普通列車に併結です。
函館まで季節列車の6116D連結となっていますが、この6116Dは急行「ニセコ4号」のスジ。
尚、松前発の「松前観光号」に関しての記載は見当たりません。
【 函館本線 6116D ① 】
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【 函館本線 6116D ② 】
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「ニセコ4号」は7月21日~8月31日運転。一方で注釈にある「奥尻観光号」は7月10・17日と「ニセコ4号」の運転日以外が含まれているので、「奥尻観光号」単独で運転する日もあったという事になります。尚、「松前観光号」に関しては一切触れられていません。





★ 1970年7月 急行「こまがね51号」の時刻

 1970年7月の時刻表から急行「こまがね」の時刻です。
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71年7月の時刻と比較しますと、下り1号・上り2号の運転区間が新宿~飯田で、天竜峡発着となっている71年との目立った違いになっています。
また、一部列車は途中停車駅も違います。新宿~辰野の併結相手の「アルプス」の号数は71年と変わりませんが、71年では下り2本、上り1本が停車する韮崎は、70年7月では全列車が通過となります。
臨時の51号は、71年夏臨では上下共に新宿~駒ヶ根の全区間で急行ですが、70年夏臨では下りの辰野→駒ヶ根は普通列車扱い。飯田線内の停車駅が少し多くなっています。

★ 1970年7月 快速「はにわ」の時刻

 掲示版に”モリミクニ”さんより寄せられたサボの写真。
「べっぷ」と「屋久島」は本州~九州の急行で当ブログでも時刻を扱った事がありますが、左下の「はにわ」は日豊本線の臨時快速。名前は出した事があるものの、時刻の方は正式に扱った事が無かったのではないかと思います。

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1975年頃との事で、今回紹介する列車で使用された訳ではないかもしれませんが、どういう列車だったのかという参考にはなるかと思います。
【 交通公社時刻表1970年7月号より 】
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右下に快速「はにわ」の表記が確認出来ます。小倉→南宮崎の運転で普通車のみの全車座席指定。
設定は下りのみです。
時刻詳細は以下の様になります。
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門司港~西鹿児島の521(522)レはB寝台連結の夜行普通列車。後に急行「みやざき」⇒「日南」となる列車です。
西鹿児島→大分の540レは個人的な興味で入れています。特に興味深い点がある訳ではありませんので気にしないで下さい。

★ 1970年7月 急行「紀伊」の時刻

 今日は1970年7月の急行「紀伊」の時刻です。
時刻は69年9月と大して変わらないのですが、数分の差がある箇所は結構あります。
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目的地別に三分割されていた時代です。
時刻入力は面倒ですが、寝台車と座席車が入り混じった編成は非常に私好み。
前にも書いた気がしますが鳥羽編成は僅か2両。参宮線内も急行を維持し、普通車指定席もそのままです。

★ 1970年4月 釧網本線スキー臨「川湯銀嶺号」の時刻

 掲示板にGV73Aさんより投稿して頂いた「川湯銀嶺号」の時刻を紹介したいと思います。
60・70年代は実に様々なスキー臨が各地に設定されていますが、釧網本線の「川湯銀嶺号」もそのひとつ。
往路は急行に併結。復路は普通列車扱いで単独運転となっています。
いつもの様に当ブログの表記形式に改めても良かったのですが、時刻表にSL記号も入っていますので、時刻表をそのまま転載した方が良さそうなので、そうしました。
混合列車を偲ぶには良いのではないでしょうか。
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手持ちの72年4月号にも記載がありますが、釧路発の急行併結に関しては記載がありません。
川湯発は快速「川湯銀嶺号」(8627D)で時刻は70年4月似ていますが、磯分内は通過です。

72年4月 快速「川湯銀嶺号」(8627D)全停車駅
川湯16:50→弟子屈17:07着17:10発→標茶17:41着17:42発→東釧路18:38→釧路18:42

★ 1970年7月 快速「木曽路」の時刻

 ここのところJR時代が続いていましたので、今日は久し振りに国鉄時代から。
1970年の快速「木曽路」の時刻です。
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 70年代の時刻表では頻繁に見掛ける臨時列車で、多客期の常連と言っても良いかもしれません。
非電化時代は気動車、電化後は電車で設定されています。
手持ちの時刻表を見た限りでは、74年夏までは名古屋~木曽福島の運転ですが、75年夏では名古屋~松本の運転になっています。
もっとも80年8月の時刻表では再び名古屋~木曽福島の運転になっていますので、ずっと松本発着になったという事ではなさそうです。78年夏は名古屋~松本なのですが、いつ変わったのでしょう?
設定開始は60年代後半で、68年4月や69年4月のポケット版には2等指定席の表記も確認出来ます。
また80年8月では指定席の連結はありませんが、グリーン車自由席の表記が見られますので、時代によってはグリーン車も連結していた様です。

 本日のブログはこれにて終了。
さて、前回の2007年4月の特急「オホーツク」の時刻に誤りがありました。
既に訂正済みです。
kさん、御指摘ありがとうございました。

★ 70年7月 信越本線の海水浴臨「かもめ」の時刻

 本日は1970年7月の信越本線の海水浴臨「かもめ」の時刻です。
昨年、75年夏の「かもめビーチ」(小諸~能生)の時刻を紹介しましたが、その前身です。
運転区間は長野~能生で客車での設定。
小諸~能生の運転になるのは翌71年から。「かもめ」の愛称は変わりませんが、電車での設定になっています。
この系統の海水浴臨の歴史は結構古い様で60年代の時刻表にも出てきますが、65年の時刻表では、「かもめ」の愛称で列車番号3343レ、長野6:14→谷浜9:20で設定されていたという事と数駅の時刻が分かる程度・・・新井を通過していた事は判明していますが、詳細は謎です。
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往路は全区間が臨時列車のスジですが、復路の直江津→長野は定期の340レ(直江津→小諸)に併結という形態です。
普通車のみの全車自由席。

★ 1970年7月 相模線の海水浴臨「しらほ」の時刻

 本日は相模線の海水浴臨「しらほ」の時刻です。
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手持ちの時刻表では70年と71年の夏臨で確認出来ます。
茅ヶ崎~八王子を結んでいた列車で、上りは全区間臨時列車のスジですが、下りは茅ヶ崎→橋本で定期のスジを使用。上下列車共に横浜線内の途中停車駅はありませんが、相模線内で通過駅があるのは上りのみ。種別は通過駅のある普通列車になります。
神奈川県のホームページ「相模線の歴史」には小さい写真ながら「しらほ」が載っており、立派なヘッドマークを付けての運転だった事が分かります。

 【 交通公社時刻表1970年7月号より 】
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全線単線の相模線の臨時列車ですが、通過する駅がある事も手伝ってか、上りの所要時間は前後を走る定期列車よりも短めで、橋本→茅ヶ崎の所要時間は1時間04分。

★ 1970年7月 八戸線の海水浴臨「しらはま」の時刻

 本日は1970年7月の八戸線の海水浴臨「しらはま」の時刻です。
少なくとも70年代の前半、八戸線には「しらはま」の愛称の付いた海水浴臨が設定されていました。
75年7月の時刻表では確認出来るのですが、78年8月の時刻表では確認出来ませんので、その間に消えたのは間違いないのですが、いつまで設定されていたのかは謎。設定開始がいつなのかも不明です。
72年夏の設定からは気動車になってしまうのですが、71年までは客車で設定されていた模様。
71年夏は上下共に八戸線内のみの運転になっているのですが、70年夏は下りだけですが三戸発になっていますので、70年で紹介します。
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設定区間は下りが三戸→種市、上りが種市→尻内です。尚、71年夏は八戸~種市。
通過駅がありますが種別は普通列車。
「しらはま」とは無関係な列車の時刻も入っていますが、八戸線に設定されていた全客車列車の時刻です。
定期は下り2本、上り3本あり、どの列車も鮫発着。
「しらはま」は普段は客車の乗り入れのない区間まで入線していたという事になりますね。

本日の更新はこれにて終了。

★ 1970年夏 快速「山陰ビーチ」の時刻

 本日は1970年夏の快速「山陰ビーチ」(居組~岡山)の時刻です。
昨年は1974年夏の時刻を紹介しましたが、1970年は通過駅も多く、復路に当たる下りの時刻は大きく違います。
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 まず最初にお断りから・・・8237Dという列車番号で記載していますが、これは交通公社時刻表1970年7月号の因美・津山線のページに記載してある列車番号です。
山陰本線のページに注釈として書かれている列車番号は、鳥取から8649D。
上りは鳥取まで8644Dですから、山陰本線のページにある列車番号の方が正解らしく思えてしまうのですが、当ブログでは時刻が記載されているページの記載に倣うのが原則ですので8237Dとしてあります。
 70年夏は全車自由席で設定されていますが、翌71年は普通車指定席連結。姫新線の久世発着で運転される日もあります。「山陰ビーチ」という列車が最も華やぐのは多分71年でしょう。
海水浴臨は結構な数がありますが、指定席連結の快速・普通の海水浴臨となると多くはありません。
尚、71~73年は「山陰ビーチ」で記載されており、快速の表記はなし。

★ 1970年 北陸本線の海水浴臨「しおかぜ」の時刻

 今日は北陸本線の海水浴臨「しおかぜ」の時刻です。
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敦賀~福井に1往復設定されています。運転日と愛称からして海水浴臨なのでしょう。
客車での設定で普通列車扱い。南今庄と越前花堂は通過です。
いつから設定されたのかは謎。個人的には60年代の後半なのではないかと考えているのですが・・・
設定終了は73年夏なのではないでしょうか? 74年8月の時刻表には記載がありません。
尚、72・73年夏は快速「しおかぜ」で記載されています。71年夏も72年夏と同じく鯖江・武生・鯖波・今庄の4駅以外は通過になっているのですが快速の表記はありません。

参考として快速時代の73年夏の時刻
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★ 1970年 東北本線の海水浴臨「しおかぜ」の時刻

 本日は東北の海水浴臨「しおかぜ」の時刻を紹介します。
以前に磐越東線の海水浴臨「ちどり」の時刻を紹介した事がありますが、郡山からは東北本線経由の海水浴臨も設定されていた時期もあります。
本日扱う70年夏での愛称は「しおかぜ」。気動車使用で全車自由席。郡山と常磐線の相馬を結んでいます。
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1972年夏の運転では、もう少し通過駅があるのですが、70年夏では東白石を通過するだけで、他は全駅停車。
71年夏では列車番号が9000番台になるのですが、70年では予定臨の8000番台を使っています。
 尚、上りの岩沼が16:57着16:57発になっていますが、これは交通公社時刻表1970年7月号の記載通り。亘理→岩沼に25分も要しており、誤記の可能性が極めて高いのですが、資料はこれしか無いので、これ以上は何とも・・・。

【 2018年10月4日追記 】
上り岩沼の到着時刻が怪しい件。”いまは東京都民”さんから8月号記載の情報を頂戴しました。
やはり誤記だった様で、16:41着16:57発となるそうです。
正しくは以下の通り。
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★ 1970年7月 大糸線 海水浴臨「さざなみ」の時刻

 本日は大糸線の海水浴臨「さざなみ」の1970年夏の時刻です。
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運転形態は昨年紹介した71年と同じで、下りは「くろよん」に南小谷まで併結。上りは糸魚川→信濃大町は定期の普通列車に併結。
しかし、時刻は勿論、停車駅も71年夏とは異なり、大糸線内の停車駅は70年夏の方が多く、北陸本線内は筒石に停車する71年の方が多くなります。
列車番号も71年は9000番台ですが、70年は予定臨の8000番台。

★ 1970年7月 急行「瀬戸」の時刻

 本日は情報募集が目的なのですが、それだけ書くのも難なので、関連(らしき事)として1970年7月の急行「瀬戸」の時刻を紹介しておこうと思います。
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時刻は71年7月よりも69年9月に近いと言え、変わっているとしても数分の違いに過ぎません。
編成は1・2号共に変わらず。
臨時の51号は電車での運転で全車普通車指定席。

さて、上記の(下り)2号 (上り)1号の編成・・・69年4月辺りは既にこの編成(等級制の時代なので設備は1・2等表記)になっていた様なのですが、68年10月改正時は3号車は1等座席車、4・5号車は2等寝台、6号車が食堂車、7・8号車は2等寝台、9~13号車が2等座席車という編成だった事になっています。
いつ変わったのでしょう?
69年1・2月がポイントかと思われますが、ざっと調べた限りでは言及した資料が見当たりません。
そこで1969年1月か2月の編成表が記載された時刻表をお持ちの方、編成表の記載内容をコメント欄に書き込んで頂けませんでしょうか。御協力、宜しくお願い致します。
また68~69年の年末年始に運転された急行「瀬戸51号」の時刻も同時に募集したいと思います。

★ 1970年夏 両毛線の海水浴臨「しおかぜ」の時刻

 本日は両毛線、水戸線の海水浴臨「しおかぜ」「かもめ」の時刻。
水戸線には他に大宮~常陸多賀の「かわらご」が設定されていますが、この列車はずっと以前に扱っていますので割愛します。
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「しおかぜ」と「かもめ」は歴史のある海水浴臨で、手持ちの1965年夏の時刻表にも出てきます。
70年夏の「かもめ」は電車で小山~常陸多賀の運転ですが、65年夏は水戸線が非電化ですから気動車で、運転区間も真岡~常陸多賀でした。相当昔の話になりますが、真岡線にも海水浴臨があった訳です。
尚、「かもめ」の設定は1972年夏まで。

 「しおかぜ」の運転区間は65年夏も70年夏と変わらず、高崎~常陸多賀、宇都宮~阿字ヶ浦。
「しおかぜ」の宇都宮~阿字ヶ浦の編成は72年夏まで設定されており、小山~勝田で高崎~常陸多賀の編成に併結されていました。尚、宇都宮~阿字ヶ浦 編成は確認出来る限り全シーズンで全車自由席。
一方、高崎~常陸多賀の編成には72年夏から指定席を導入。普通列車扱いの海水浴臨としては、格の高い列車になっています。
高崎~常陸多賀の海水浴臨は後に電車で復活するのですが、客車での設定の最後は多分1974年夏になるのではないかと思います。
1975年7月や1978年8月の時刻表には出ていません。76・77・79年夏は未確認ですので断言は出来ませんが・・・。
尚、1974年夏は「両毛しおかぜ」(普通車一部指定席)として設定されています。電車で復活する87年夏も快速「両毛しおかぜ」・・・普通か快速かの違いはありますが愛称は一緒です。

 本日のブログはこれにて終了。
最後に情報募集を6件。
① 1968年10月改正以前の豊肥本線の「祖母」の時刻
② 1981年夏の寝台特急「あさかぜ51・52号」の時刻
③ 1981年夏 L特急「あさま51・54号」の軽井沢の到着時刻
④ 1981年夏 L特急「つばさ51・52号」及び特急「あけぼの51・52号」の山形・新庄・横手の到着時刻
⑤ 1981年夏 L特急「とき52~55号」の高崎・長岡の到着時刻
⑥ 1981年夏 特急「あさしお51・52号」の二条の時刻

③から⑥に関してはコメント欄に、①、②については掲示板でもコメント欄でも構いません。
9月5日以降に記事にする予定の時刻ですので急いではいません。お時間の取れます時に御協力頂けますと幸いです。

★ 1970年夏 陸羽東線の海水浴臨「はまかぜ」の時刻

 本日は陸羽東線の海水浴臨「はまかぜ」の時刻です。
海水浴臨の設定区間も色々で、快速「白い砂」「青い海」の様に運転区間の把握が比較的簡単な列車もあれば、運転区間を耳にしただけでは、どこを走るのか殆どの人が想像出来そうもない列車もあります。
「はまかぜ」は間違いなく後者でしょう。
羽前向町~渡波と耳にしただけで対象路線を言い当てられる人は多くないのではないでしょうか。
大体、羽前向町(うぜんむかいまち)からして現在の時刻表には載っていませんからハードルは厭でも上がります。現在の駅名は最上。
もっとも羽前向町が発着駅となる日は少なく(設定期間中2日のみ)、実質的には中山平発着と言った方が適当かもしれません。まぁ、こちらも駅名が変更になっており現在では中山平温泉になっていますが・・・。
一方の渡波(わたのは)は石巻線の駅。石巻から2つ先の駅です。
この両駅を結ぶ海水浴臨「はまかぜ」、1970年と1971年の時刻は以下の通り。
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定期の普通列車のスジと臨時列車のスジが組み合わされて設定されています。
臨時列車のスジになっている区間では一部通過駅も見られますが、定期列車のスジを使う区間は各駅停車。

この列車、ローカル線の沿線客相手の列車になりますので、利用客はそう多くはなかった様で消滅も早く、72年夏を以て設定は終了した様です。
陸羽東線と海水浴臨という組み合わせは、なかなかイメージし難いものがあると思いますが、海水浴臨「はまかぜ」が設定されていたのだという事を知って頂けると幸いです。

★ 1970年7月 特急「いなほ」の時刻

本日は1970年7月の特急「いなほ」の時刻です。
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「いなほ」の設定開始は1969年10月1日。
80系気動車7両編成で全車指定席。
受け持ちは秋田運転区に変わっていますが、編成は68年10月改正以降の尾久客車区受け持ちの特急「つばさ2号」と同じです。
「とき」を補完する役割もあったと言いますが、上野~新津の所要時間は下り4時間3分、上り4時間14分。
「とき」は下り1号で3時間47分ですので少し遅くはありますが、十分に検討していると言えると思います。
停車駅は気動車時代は上に記した駅と変わりありません。

 本日のブログはこれにて終了。
さて、昨日のブログで準急「白樺1号」の停車駅に関する質問を出しましたが、時刻表の記載通りで問題は無いそうです。
訂正の必要がなくて何よりでありました。
尚、掲示板に”GV73A”さんより1962年8月の新宿~松本の優等列車の時刻を送って頂いております。
いずれ入力するつもりですが、何せ連日の猛暑でバテておりまして、少し先の話になりそうです。
最後になりましたが”GV73A”さん、資料の提供 ありがとうございました。

★ 70年秋臨 急行「きのさきマリン」「週末ひるぜん」の時刻

”霜雪”さんより70年秋臨の急行「きのさきマリン」と「週末ひるぜん」の時刻を頂戴しましたので紹介します。
以前紹介した71年春臨を並べてみると以下の様になります。
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特に下りの時刻が大きく違いますね。
停車駅も一部違います。
71年春臨では上下共に大阪~姫路は他の列車との併結運転ですが、70年秋の下りは全区間単独運転になるそうです。
しかし、以前にも書きましたが「きのさきマリン」という愛称・・・どうにも海水浴臨に思えて仕方がありません。
「但馬」の臨時に編入されるよりは印象に残るのは確かですが・・・。

続いて「週末ひるぜん」
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こちらも時刻と一部停車駅が違っています。

★ 初の夜行臨時座席特急「やまびこ52号」の時刻

 本日は”北極急行”さん提供の1970年12月の特急「やまびこ」の時刻の紹介。
(比較出来るように並べてみたのですが、並べるにはサイズ的に難があった様です。時刻詳細は画像だけクリックして見てみて下さい)
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1970年12月の時刻表で確認できる「やまびこ」は定期1本、臨時2本。
70年夏臨は定期1本、臨時1本でしたから臨時1本の増加。
その増えた1本というのが、先日ブログで質問の際に書きました様に初の夜行座席特急として設定されたという52号です。
この52号、71年夏臨では大宮~仙台での途中駅の営業停車はありませんが、設定当初である70~71年の年末年始には宇都宮・黒磯・郡山・福島にも停車しています。

さて、掲示板には51・52号の時刻の他に定期の「やまびこ」の時刻も書き込んで頂いております。
51・52号の時刻の質問をするに当たり、定期の時刻も募集しようかと考えてはみたのですが、71年夏の時刻と変わりはあるまい・・・と考えて行いませんでした。
しかし、71年夏の時刻表で見る定期「やまびこ」の時刻は70年10月改正で変わった結果ではなく、71年になってから(4月26日改正?)変わったものの様です。
70年10月改正後の「やまびこ」の時刻は、70年夏に近いもので一部時刻が変わった程度のものだった事が判明。
・・・という事は71年夏の時刻では代用不可能な70年10月改正の特急の時刻が他にもある・・・という事になるのでしょうか。
71年夏の特急の時刻は全て紹介しており、東北特急はそれで問題あるまいと、安心して胡坐をかいていましたが、何やら怪しい雰囲気になってきました。
準急「やまびこ」の様な事態にはならないでしょうが、70年10月改正での特急の時刻には、まだ押さえておくべき列車があるのかもしれません。

参考までに70年夏の特急「やまびこ」の時刻。
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★ 1970年夏臨 急行「あまみ1・2号」の時刻

 本日は久し振りに九州夜行。70年夏の急行「阿蘇・あまみ」の時刻の紹介です。
定期急行である「阿蘇」の時刻は71年夏と殆ど違いが無いのですが、「あまみ」の時刻は大きく違っています。
急行「あまみ」の九州の単線区間は例によって耳慣れない駅が幾つか出てきますが、注目して頂きたいのは本州側・・・上り2本共、草津に停車しています。
臨時九州夜行の停車駅に草津が入っているのは、なかなか見ない気がします。珍しい事例と言えるのではないでしょうか。
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名古屋~長崎の急行「五島」の併結、下りが「あまみ1号」なのは71年夏と変わりませんが、上りは「あまみ2号」が担当。1号が担当する71年夏とは異なります。

【 交通公社時刻表1970年7月号より 】
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上り「あまみ1号」と「天草51号」の時刻は同じ。
8月11日~19日は西鹿児島→名古屋の急行「あまみ1号」(グリーン車全席指定・普通車一部指定)での運転。8月20日~9月7日は熊本→新大阪の急行「天草51号」(普通車全席指定)で設定されています。

リンク
nihonkai


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