raimund

続・今でもしぶとく聴いてます

1 5月

ハイドンの天地創造 ポップ、テンシュテット、LPO/1984年

20z0501bハイドン オラトリオ「天地創造」 Hob.XXI:2

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニー合唱団

ガブリエル、エヴァ:ルチア・ポップ(S)
ウリエル:アントニー・ロルフ・ジョンソン(T)
ラファエル、アダム:ベンジャミン・ラクソン(B)

(1984年10月 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール BBC収録 Lpo)

20z0501a 今日から五月です。メーデーの行事も無く、只今復活節の最中なのに妙な静けさ、沈黙に覆われている気がします。ところでロザリオの祈りとか、何か文語体の祈りの中でミサの前後に会衆で唱えるものもあり、かつて長崎へ旅行した際の日曜にミサにあずかった時、これで終わりかと思ったら突然一切に聞き覚えのない祈祷文の唱和が始まって面食らったことがありました。そんな風に大勢で、そこそこの人数で行うことが多いとしても一人静かにロザリオの祈りをすることもあるかと思います。自分の場合それをやろうとして試みて、一応回数だけは数えられても頭の中は雑音だらけで、全然沈黙、黙想にならないことが大半です。108を108乗する程の煩悩でいっぱいなので、「この一連をささげて」というのが何とも危ういものです。それにしても新型コロナ禍中の静かさは、何かが抜け落ちたようでもあり、薄気味悪い気がします。 

  こういうえも言われぬ日々の中、ハイドンのオラトリオ「天地創造」の冒頭部分、「光あれ」で一気に混沌から抜け出すところがまぶしいような気がします。これはロンドン・フィル自主製作のレーベルから出ていてテンシュテットのフアンにはそこそこ有名だったようです。自分としてはソプラノのルチア・ポップが出演しているから、しかもソプラノ・パートは一人で全部歌っています(天地創造にはほかに何ども出演した録音がある)。ほとんどポップが出ているというだけで注目したものです。否、テンシュテットも結構好きなので「だけで」というのは言い過ぎでした。

 この演奏の録音された時期なら既に古楽器演奏、作曲者が存命の頃の楽器、奏法等を追求するスタイルが普及していましたが、テンシュテット指揮のロンドン・フィルとなるとそうした演奏とは対極です。こういう演奏の方が冒頭の混沌、光あれ、その他コーラス部分は断然魅力的だと思います。しかし、1984年の録音の割りに音質は今一歩で、こもったような、輪郭がぼやけたように聴こえます。特にルチア・ポップの高音が鮮明で無いのが全く残念です。どうせならじっくり時間をかけたセッション録音の方がと言いたいところながら、テンシュテットの場合は特に客席に誰もいないようなスタジ録音では良い演奏にならないと言われています。無観客、ネット配信ばかりの現在、そういう話は色々考えさせられます。

 
天地創造はハイドンの声楽作品ということに重きを置くのと、旧約の創世記を題材にした非日常の世界、目に見えている世界の始まりだとかそういうことに窓を開けてくれる作品ということに重きを置くのとで感じ方も少々違うかもしれません。何度となく聴いていると前者、ハイドン的な世界の方もかなり魅力的だと思えてきて、その面ではドラティとロイヤルPOのセッション録音に最近特に親しみを覚えます。今回のテンシュテットは後者の方、壮大なものを感じさせますが、この演奏を会場で聴いていたらもう少し繊細なところが感じられたかなとも思いました。この録音から約9年後にポップは帰天しているので人間の運命は分からないものです。

 先日プロテスタントの会衆派教会の前を通ると、掲示板に三週間の礼拝は無会衆で奏楽者と牧師だけで行うと書いてあり、会衆派なのに無会衆とかそんな語呂ではなくて、説教に多くの時間が割かれる礼拝で、その場で聞く人間が居ないというのは想像し難いと思いました。それとは裏腹に、礼拝、典礼というのは何なのか、どこを向いて何を行っているのかと色々思わされます。会衆派と言えば自分が通っていた幼稚園はまさしく会衆派の教会の附属でしたが、近年言われるような自由過ぎる解釈の神学というようなものの影響はあまり無かったような気がします。もっとも五歳やそこらの幼児には分からないことですが、マリア様の御像とか聖画とかそういうものは極端に少なかったのは確かです。
11 4月

ペルコレージのスターバト・マーテル ル・タラン・リリーク

20z0411ペルゴレージ スターバト・マーテル

クリストフ・ルセ 指揮
ル・タラン・リリーク

サンドリーヌ・ピオー(S)
クリストファー・ロウリー(Ct)

(2018年7月 オヴェール=シュル=ウワーズ聖母被昇天教会 録音 Alpha)

 通常なら復活徹夜祭が行われるところですが、新型コロナ禍の只中にあって参集もままならない異例の復活祭になります。十年以上前に四ツ谷に泊まっていたので上智大学のイグナチオ教会の復活徹夜祭に行ったことがありました。鐘楼の鐘を盛大に鳴らしていたのが思い出されますが、今年はどうなっているのだろうと思います。

 これは先日取り上げた1999年録音から19年以上経って同じくル・タラン・リリークらと再録音したペルコレージのスターバト・マーテルです。独唱者は交替して、より古楽演奏らしい、アクセントが強い演奏になっています。それに器楽アンサンブルは下記のようなメンバーなので少し多めで、厚みのある響きです。ソプラノのピオー(Sandrine Piau 1965年6月5日 – )はウィリアム・クリスティーら、ミンコフスキやヘレヴェッヘと共演したり、バロックのレパートリーからドビュッシーあたりまで幅広いレパートリーで活動しています。過去に扱ったCDにも出ていたはずですが咄嗟に出てきません。彼女の歌唱が際立っていましたが、アメリカ出身のカウンター・テナーのロウリーも立派でした。

ヴァイオリン1…
ジローヌ・ゴベール
ヨセフ・ジャーク
ジョゼファ・ジェガール
カリーヌ・クロクノワ
クリストフ・ロベール
ヴァイオリン2…
シャルロット・グラッタール
小池ユキ
ジャン=マルク・アダド
ベランジェール・マイヤール
ロルダン・ベルナベ=カリオン
ヴィオラ…
ステーファノ・マルコッキ
デルフィーヌ・グランベール
チェロ…
エマニュエル・ジャック
ジェローム・ユイユ
マルジョレーヌ・カンボン 
コントラバス…
ゴーティエ・ブロンデル
チェンバロ&オルガン…
ステファーヌ・フュジェ

 旧録音の方が幾分濃厚でオペラ的な歌唱だったのに比べると声楽がかなり引き締まった印象です。その結果歌詞の内容をこえてもっと広がりのある作品のように感じられます。旧録音は併せてペルゴレージのサルヴェ・レジーナ(元后あわれみの母
)を複数収録していましたが、今回はニコラ・ポルポラ(Nicola (Antonio) Porpora 1686年8月17日 - 1768年3月3日)のサルヴェ・レジーナを併録しています。サルヴェ・レジーナの日本語版、「元后あわれみの母」の歌詞は下記の通りです。

元后、あわれみの母、
われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
なげきながら、
泣きながらも
涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなすかた、
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを、
旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、
喜びのおとめマリア。

 若くして世を去ったペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710年1月4日 - 1736年3月17日)が亡くなる直前に残したスターバト・マーテルは、すぐに有名になったようでバッハも楽譜を手に入れて、ドイツ語の別歌詞を付けて楽譜を残しています(BWV1083)。ペルコレージがこの作品を作曲した時には既にヨハネ、マタイ受難曲を完成、演奏した後で、マルコ受難曲を初演する前くらいでした。そのバッハこの曲に関心を持ったのは当然のようでもあり、作風が違うので興味深いところです。
10 4月

ヨハン・ダイレのマタイ受難曲 コルデス、ブレーメンヴェザー=ルネサンス/2019年

20z0409ヨハン・タイレ (1646-1724)  キリストの受難-マタイ受難曲

マンフレート・コルデス 指揮
ブレーメン・ヴェーザー=ルネサンス

(2019年1月28-30日 ニーダーザクセン州バッスム,Stifts教会 録音 CPO)

20z0410 先日京都市でも緊急事態宣言に準ずるという宣告がありましたが、帰宅時にあるラーメン店の前を車で通り過ぎる時、店外に10人以上の行列が出来ていて驚きました(思い切ったことするのう)。ミサが休止になったままの環境で聖週間に突入し、聖なる過ぎ越しの三日間も復活の主日も会衆参加の典礼無しです。ひとはパン(食料)無しには生きられないとしても、「パンだけで生きるのではない(神の口から出るすべての言葉によっていきる)」とマタイ福音書に、イエズスが旧約聖書を引用するかたちで登場する言葉は有名なのでチョイチョイ転用、借用されたりします。餓死、栄養失調というのがあるのだから、「神の口から出る言葉」に飢え渇いて苦しむ、ということも当然あるはずですが我々はそれについての自覚症状というのはあるのだろうかと思います。自覚症状はあまり無かったとして、当人と接した人間の方が何らかの欠如とか変化を気付き易いかもしれませんが、普段と全然違わないということもあるでしょう。

 とか自虐を込めて振り返りながら、あまり受難曲らしくないこの作品のCDを今年に入って何度か聴きました。この作品は受難曲と銘打たれながらシュッツの受難曲のような声楽だけの編成ではなく、終始器楽が加わり、この演奏では弦楽だけでなくリュート(のような音色がする)が盛大に鳴っています。それに福音書の記述を朗唱する部分とそれ以外のところがあまり鮮明に聴き分けられない作風が意外です。バッハ作品やらで何となく聞き覚えて聞き取れる単語のために、ああ最後の晩餐のところ等と分かる程度で、終始流れるような歌謡に乗って進行しています。J.Sバッハの受難曲ともだいぶ違っています。

 ヨハン・タイレという作曲家はこのCDで初めて名前をききました。若い頃から、いくつもの任地に赴きながら、音楽教師、歌劇作曲家として活躍してきた作曲家らしく、1685年からニーダーザクセン州のヴォルフェンビュッテル宮廷に仕えて教会音楽等の作品を残しています。このマタイ福音書による受難曲は1673年の作品で、ブクステフーデが絶賛したとCDの解説には載っています。ハインリヒ・シュッツが帰天した翌年の作品ということになり、シュッツのドイツ語による受難曲より新しい様式なのでしょう。

 マンフレート・コルデスは1990年代から同じレーベルからシュッツの作品を多数録音していて、中古品でCDを入手していくつかは聴いていました。何故か日本語によるプロフィール等の解説が全然見かけないのでよく分かりません。シュッツ作品の方は小編成で精緻に演奏しているような印象で、エーマンやマウエルスベルガー、フレーミヒらによる古い録音に慣れていると大いに戸惑います。このCDでは過去に聴いたシュッツ作品とは違い、もっと華やかで艶のあるものだと思いました。
7 4月

シュッツのヨハネ受難曲 メッソーリ、カペッラ・アウグスターナ

2004z06シュッツ ヨハネ受難曲 SWV.481

マッテオ・メッソーリ 指揮
カペッラ・アウグスターナ

福音史家:ゲルト・テュルク(T)
キリスト:バス・ラムセラー(Bs)

(2005年8月 録音 Brilliant Classics

 このコロナ禍、ミサ休止のただ中に
受難の主日を迎え、今年も聖週間がやって来ました。それにしてもこの状況は銃後の区別が無くなる無差別爆撃のようで、リーマンショック以上に我々下々には効き、後々まで大変です。蹴上の浄水場や伏見のインクライン辺りを通ったら桜が満開になっていて、自然界はウィルスとか緊急事態宣言云々とは関係無しだと実感しつつ、福島の原発事故による避難区域の映像が一瞬ちらつきました。聖木曜以降の典礼は司祭だけで行い、ネットで配信するようですが禁教時代の昔にそういう手段が使えたらどうなっていたことかと思います(通信も幕府で管理できるので無理か)。

 聖週間といば受難曲、ハインリヒ・シュッツ作曲のドイツ語による三つの受難曲が特にしっくりきます。シュッツの受難曲は福音書のドイツ語訳以外の歌詞は限りなく少なくて、バッハの受難曲のような自由詩のよるアリアやコラール挿入はありません。グレゴリオ聖歌の受難の記事を朗唱する Passio と同様に読経のように単調と言われかねませんが、妙に真に迫ってくる音楽です。

 このCDは
Brilliant Classics から何集かに分けて出ていたシュッツ作品集の一つで、受難曲と復活祭のオラトリオ等を収めています。主な独唱者では福音史家がドイツ語話者のテュルクというのは色々な団体の録音と同じですが、このアンサンブルはイタリアを拠点にしているのかどうも印象が違います。混声の中で女声が前面に出て妙に華やかな響きが特徴です。シュッツは1609年から1613年と1628年からとヴェネチアを訪れ、特にドレスデンの宮廷に招かれる前にはジョヴァンニ・ガブリエリに師事していたので、イタリアの音楽と接点はかなりありました。何週か前のFM「古楽の楽しみ」の中で、シュッツの作品をイタリアの奏者による演奏で紹介していた時、このメッソーリのシュッツ作品のことを思い出しました。

Das Leiden unsers Herren Jesu Christi,
wie uns das beschreibet der heilige Evangeliste Johannes.

  これは冒頭の合唱曲の歌詞ですが、各声部の歌い出しの間隔が少し長いようにきこえて、輪唱(かえるの歌が~)的に響くのも独特で、元々こんな感じだったか?と思いました。ラーデマンとドレスデン室内合唱団らによるシュッツ作品の演奏はこれと対照的で、もっと緊密で透明感のある合唱なので逆に物足らないとさえ思うくらいです。メッソーリ、カペラ・アウグスターナについて日本語で書かれた解説は見かけないので、どういう演奏を志向して他にどんなレパートリーがあるのかよく分かりません。
1 4月

ペルゴレージのスターバト・マーテル ショル、ボニー、ル・タラン・リリーク

20z0401bペルコレージ スターバト・マーテル

クリストフ・ルセ 指揮
ル・タラン・リリーク

アンドレアス・ショル(CT)
バーバラ・ボニー(S)

(1999年2月24-26日 パリ,Notre-Dame-du-Liban 録音 DECCA)

 NHK・FM放送で1980年代に「バロック音楽の楽しみ」か「バロックの森」という番組がありました。その解説をやっていた音楽学者に皆川 達夫と言う方がおられ、現在放送している「古楽の楽しみ」(前者の後継的番組)よりも1時間早く放送する「音楽の泉」も昭和63年から担当されていましたが、今年度をもって引退すると先日の放送の最後に告げられました。自分がクラシックのレコードを買うようになった当初から活躍されていた人が今まで活動を続け(当然縮小していたけれど)ていたのも驚きで、それが途絶えるとなると92歳という年齢を思えば当然のことながら、何かの大きな歯車が回って切り替わったような不思議な心地がします。

20z0401a 中学生の頃、皆川氏の解説も含めて「バロック音楽の楽しみ」を何度か録音したことがあり、その中でスペインのマリア賛歌・カンティガというギターで演奏する音楽が取り上げられた回がありました。バロックという番組名なのに更に古い時代の作品がよく放送されたものでしたが、そのギターによる賛歌も古い年代のものだったようで、「いいですねえ、きかせますねえ」としみじみと解説されたのが思い出されます。今でも覚えているくらいなのでよっぽど感情がこもった語りだったのでしょう。そのスペインのカンティガも聖母に係る楽曲であるようにヨーロッパの教会音楽の中には聖母に係るものが多くあり、プロテスタントでもカルヴァン派系以外の教派なら概ねそういう傾向じゃないかと思われます。一方で日本で宗教曲といえばバッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサ、モーツァルトやフォーレのレクイエムあたりがメジャーな作品かと思いますが、聖母に係る作品となるとやや後退して、むしろ古楽フアンの方に人気があるかもしません。

STABAT MATER  ~ Sequentia ( セクエンツィア:聖母マリアの7つの悲しみの祝日の続誦)
第1曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の1節
第1節~悲しみに沈める聖母は涙にむせびて 御子の懸り給える 十字架のもとにたたずみ給えり
第2曲:ソプラノ独唱~詩の2節
第2節~嘆き憂い悲しめるその御魂は 鋭き刃もて 貫かれ給えり
第3曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の3節
第3節~天主の御独り子の 尊き御母は いかばかりか憂い悲しみ給いしぞ
第4曲:アルト独唱~詩の4節
第4節~尊き御子の苦しみを見給える 悲しみ深き御母は 悲しみに沈み給えり
第5曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の5-7節
第5節~キリストの御母の かく悩み給えるを見て たれが涙を注がざる者あらん
第6節~キリストの御母の 御子と共にかく苦しみ給うを見て たれか悲しまざる者あらん
第7節~聖母は イエズスが人々の罪のため 責められ むち打たるるを見給えり
第6曲:ソプラノ独唱~詩の8節
第8節~聖母はまた最愛の御子が 御死苦のうちに棄てられ 息絶え給うを眺め給えり
第7曲:アルト独唱~詩の9節
第9節~慈しみの泉なる御母よ 我をして御悲しみの程を感ぜしめ 共に涙を流さしめ給え
第8曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の10節
第10節~わが心をして 天主たるキリストを愛する火に燃えしめ 一にその御心に適わしめ給え
第9曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の11-15節
第11節~ああ聖母よ 十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を わが心に深く印し給え
第12節~わがためにかく傷つけられ 苦しみ給いたる御子の苦痛を われに分かち給え
第13節~命のあらん限り 御身と共に熱き涙を流し はりつけられられ給いしイエズスと苦しみを共にするを得しめ給え
第14節~われ十字架の側に 御身と立ちて 相共に嘆かんことを望む
第15節~童貞のうちいとも勝れたる童貞 願わくはわれを排け給わずして 共に嘆くを得しめ給え
第10曲:アルト独唱~詩の16-17節
第16節~われにキリストの死を負わしめ その御苦難を共にせしめ その御傷を深くしのばし給え
第17節~御子の御傷をもってわれを傷つけ その十字架と御血をもって 我を酔わしめ給え
第11曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の18-19節 *19節目の歌詞が元詩とは異なる
第18節~聖なる童貞女よ われの地獄の火に焼かれざらんため 審判の日にわれを守り給え
第19節~ああキリストよ われこの世を去らんとき 御母によりて勝利の報いを得しめ給え
第12曲:二重唱(ソプラノ、アルト)~詩の20節
第20節~肉身は死して朽つるとも 霊魂には 天国の栄福をこうむらしめ給え アーメン

 といったところで四旬節期間中にふさわしい聖母に係る作品、ペルコレージのスターバト・マーテルの二十年以上前の録音を聴きました。チェンバロ奏者として活動を始めたルセ(Christophe Rousset 1961年 - )が1991年に設立した器楽・声楽アンサンブル、レ・タラン・リリク(Les Talens Lyriques)と、カウンターテナーのアンドレアス・ショル(Andreas Scholl 1967年11月10日 - 
) とソプラノのバーバラ・ボニー(Barbara Bonney 1956年4月14日 - )の共演です。フランス、ドイツ、アメリカと出身地はそれぞれ違い、ボニーは古楽中心という活動でないのが面白い組合せです。アンドレアス・ショルはバッハの受難曲等の録音に参加しているので何となく見慣れた名前です。聴いていると二重唱の楽曲も素晴らしくて、レコーディングに際して集まっただけという違和感のようなものは感じられません。しかし、特にCTのショルの歌唱がひと際刺さるように迫ってきます。
twitter
最新コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。
プロフィール

raimund

アクセスカウンター

    QRコード
    QRコード
    記事検索
    カテゴリ別アーカイブ
    アーカイブ
    • ライブドアブログ