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続・今でもしぶとく聴いてます

3 11月

モーツァルトのレクイエム アーノンクール、CMW/2003年

1811z03aモーツァルト 死者のためのミサ曲 ニ短調 K.626 (ジュスマイヤー補筆/)

ニコラウス・アーノンクール 指揮
コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン
アルノルト・シェーンベルク合唱団(合唱指揮エルヴィン・オルトナー)

クリスティーネ・シェーファー(S)
ベルナルダ・フィンク(A)
クルト・シュトライト(T)
ジェラルド・フィンレイ(Bs)

(2003年11月27日-12月1日 ウィーン,ムジークフェラインザール ライヴ録音 RCA)

 昨日の11月2日はキリスト教世界では「死者の日」、万霊節でしたが日本に住んでいると先祖代々一族あげての信者でもない限りなんとなく盆、盂蘭盆の存在感には勝てないところです。死者の日の由来をきくと盂蘭盆とちょっと似ていると思いつつ、「煉獄」ということはカトリック教会であまり言わなくなり、「死者の日」の位置付けはどうなっているのだろうと思いまがらカレンダーを見ています。それはともかく1981年頃だったか、平日の夜のFM放送でモーツァルトのレクイエムのレコードがかけられたことがあり、それが11月2日、「死者の日」でした。その刷り込みによって11月の夜の肌寒さとモーツァルトのレクイエムの冒頭あたりが結びついて記憶され、今時分になると何となく聴きたくなります。

1811z03b このCDは2003年11月コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン(
CMW)創立50周年記念演奏会の際に録音されたもので、アーノンクールとCMWとしてはモーツァルトノレクイエムの再録音ということになりました。公演の方は前半で「聖墓の音楽 」K.42、後半でレクイエムという内容だったらしく、アーノンクール本人は「これまでの自分の録音の中で最高の出来」と評していました。実際にこれを聴いていると、その言葉は大げさではなく、本当に素晴らしいレクイエムだと実感します。

 ちょうど直前に同じく古楽器系の演奏の
クルレンツィス指揮の同曲を聴いていたので、余計にアーノンクールの特徴が際立つことになり、かなり対照的な印象の演奏だと思いました。レクイエムだとかミサ曲のようなジャンルの音楽が好きな層からすれば、このアーノンクール再録音はかなり好感が持てるだろうと思われ、とにかく心地良さをおぼえると思いました。逆に宗教曲独特の何かが鼻につく、くらいの感覚あまり好きで無い層からすればこの録音、演奏はかなり「匂う(臭う)」タイプの演奏になるのではと思いました。

 古い話(世代によっては全然古くないかもしれない)、そのFM放送を聴いた頃にモーツァルトのレクイエムで代表的なレコードと言えばカール・ベーム指揮、ウィーン・フィルの1971年録音のDG盤が筆頭くらいだったと思います。自分もあまりに有名だったのでLPを買って聴きましたがあまり感銘を受けず、過去記事でも扱っていないようにCDで買い直していません。今にして思えば通常のオーケストラと古楽器オケの違いはあっても、アーノン・クールとコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンはそのベーム、ウィーン・フィルと同じ系統に入りそうで、この感じ方の差は何だろうかと、聴いた年代、年齢の違い以上に何かあるのかどうか気になります。
29 10月

モーツァルトのレクイエム クルレンツィス、アンサンブル・ムジカエテルナ他

1810z29bモーツァルト 死者のためのミサ曲 ニ短調 K.626 (ジュスマイヤー補筆/T.クルレンツィス校訂)

テオドール・クルレンツィス指揮
アンサンブル・ムジカエテルナ
ニュー・シベリアン・シンガーズ

ジモーネ・ケルメス (S)
シュテファニー・ホウツェール(A)
マルクス・ブルッチャー(T)
アルノー・リシャール(B)

(2010年2月 ノヴォシビルスク歌劇場 録音 Alpha)

1810z29a 11月に入る今頃になるとモーツァルトのレクイエムを思い出します。中学生の頃にはFM放送でLPで一曲全部をかけるということがまだありました。それで、ある年の11月2日、万霊節、死者の日の夜に志鳥栄八郎(1926年1月24日 - 2001年9月5日)氏が案内するリスナーのリクエストを募集するという曜日にモーツァルトのレクイエムがかかることになりました。読まれた葉書はカラヤンとベルリン・フィル(何年の録音記憶が定かでない)を指定していたのに
志鳥氏はワルター、ニューヨーク・フィルのモノラル録音を選びました。その放送を聴いたのが同曲を最初から最後まで通して聴いた最初の機会となり、モノラル録音ながらワルターの演奏に衝撃的に心うたれ、以後何種もモーツァルトのレクイエムのレコード、CDを聴いても全く色あせない感銘度でした。

 そのワルターのレコードのことはこれくらいにして、今回のクルレンツィスによる古楽器アンサンブルを中心にしたモーツァルトのレクイエムは通常のオーケストラ、歌唱法による演奏とは違って壮麗な、神秘的なというところが可能な限り取り払われたような演奏が特徴です。同じアンサンブルで演奏、録音したショスタコーヴィチの交響曲第14番では同様のスタイルだったのにかえって独特の神秘的とも言える空気に包まれていたのにそれとは対照的な結果です。強弱のアクセントが強調される演奏は古楽器オケでは普通ですが、全然きれいではないこのモーツァルトは何となく違和感を覚えます。同じモーツァルトの作品でもフィガロでは魅力的だったのにレクイエムやドン・ジョヴァンニでは別の作品になったような感じさえしました(まったく個人的な感想ではあるが、この差は何が理由なのかと)。

 レクイエムと言えば人間の生死にかかわる内容なので人間の力の限界と、永遠の領域が垣間見られて、宗旨の違いはあってもつい、天を見上げるような心地がする音楽ではないかと思います。特にモーツァルトのレクイエムはそういう瞬間がしばしばあると思っていました。ところがこのレクイエムは地を這うような風情で、極端な比喩によれば死後何日も経って発見された遺体があった部屋を片付けているような苦役の感情さえ漂いそうです。

 きれいではない、というのは使っている楽器の音色と古楽の歌手の唱法によるところが大きく、意図的に華美にならないようにしているのだろうと思われ、それに第7曲目の終わり(8曲目だっやか??)に鈴が打ち鳴らされるのも特徴的で、ローマ典礼ではああいう鳴り物は使われないはずで、むしろギリシャ正教の一部で使われる打楽器類に似た音でした。これがあるおかげで葬儀か何かの音楽という感じがしました。ミサの聖変化の際にベル、鈴のようなものを振り鳴らしますが、その道具の中にはああいう音もあるかもしれませんが、その聖変化の箇所ではない楽曲の所ではないのでやはり独特な試みです。

 「それは言わば諦めと精力の交錯であり、静寂を受け入れながらも自ら沈黙することは拒否する、残り火が燃えさかっても消えてしまうのは我慢できない・・・・・・そんな作品なのである」。CDに付属した解説の邦訳にはそんなマリー=オード・ルーの言葉が引用されて作品解説を結んでいました。冒頭のワルターのレクイエムはまさにその言葉を地で行くような内容で、消えてしまうのは我慢できないという思いが燃え盛るような風情でした。今回の録音はそれと少しだけ似ているようにも思えました。
13 9月

モンテヴェルディ 六声部のミサ オデカトン

1809z12aモンテヴェルディ 6声部のミサ「その時イエズスは(Missa in illo tempore)」

パオロ・ダ・コル
アンサンブル・オデカトン

(2011年9月 マントヴァ,サンタ・バルバラ元宮廷聖堂 録音 Ricercar

1809z12b 
イタリアの古楽・声楽アンサンブルのアンサンブル・オデカトン、探してみるとパレストリーナ、モンテヴェルディ、A.スカルラッティといった作曲家の作品を録音していました。スカルラッティの場合にはそれ程重要視されていなかった作品を取り上げていましたが、それ以外では代表作、著名作品を選んでいます。今回のモンテヴェルディの6声部のミサ、「イン・イッロ・テンポレ(その時イエズスは)」は、1610年に「聖母マリアの夕べの祈り(聖母晩課)と同じ作品集にまとめられて出版されています。モンテヴェルディがマントヴァの宮廷から転職をはかった際、自身の作品の集大成的な意味で出版したという位置付けで、現存するモンテヴェルディのミサ曲の中では一番古いものになるはずです。他の二曲の4声部のミサはベネチアのサン・マルコ聖堂の楽長時代の作品とされています。

 このCDではミサ通常文(キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)の間に3声部のモテット “ Salve Regina(元后、あわれみの母
) ” をはさみ、アニュス・デイの後に “ Regina caeli(天の元后 よろこびたまえ) ” と “ Cantate Domino canticum novum(主に向かって新しい歌をうたえ)” を収録しています。それから末尾にはニコラ・ゴンベルーの作品、このミサ曲の元になった同名のモテットを加えています。全部聖母に関わる作品で統一しているのは念がいっています。ただ、特に聖母の祝日のミサを構成しているわけではなく、昇階唱や奉献唱等は入っていません。

 先月に聴いた「4声部の無伴奏ミサ」の時にこのアンサンブルを強烈に印象付けられて、作品自体にも大いに注目することになりました。今回も同様で、同じ作品集に入っている聖母晩課に隠れがちな6声部のミサがこれほど立派なミサ曲だと意識したのは初めてです。それに一緒に収録された聖母のモテットが、器楽伴奏にリュートが加わっているのでオルガンと通奏低音だけのミサの楽曲が引き立って聴こえます。

 
この曲が出版された時は日本では大坂夏の陣の少し前になり、その後に禁教がどんどん本格化、組織化していくことになります。当時の日本人でモンテヴェルディのミサ曲を使ったミサにあずかった人はいるのか、実際にどんな風に歌われていたか大いに気になります。
15 8月

モンテヴェルディの聖母晩課 ヘレヴェッヘ再録音/2017年

1808z15aモンテヴェルディ 「聖母マリアの夕べの祈り」

フィリップ・ヘレヴェッヘ 指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(合唱、アンサンブル) 

ドロテー・ミールズ(S)
バルボラ・カバートコヴァー(S)
ベネディクト・ハイマス(T)
ウィリアム・ナイト(T)
レイナウト・ファン・メヘレン(T)
サムエル・ボーデン(T)
ペーター・コーイ(Bs)
ヴォルフ・マティアス・フリードリヒ(Bs)

(2017年8月12-14日 アシャーノ,聖フランシスコ教会 録音 Phi Cl)

 今日8月15日の朝、少し早めに伏見区内の外環状線からJR山科駅南で三条通(府道四ノ宮四塚線)に入るルートで通勤していると元旦なみにガラガラでした。やっぱりお盆の8月15日は
ほとんど休祝日並みに定着しています。お盆にはご先祖の霊が自宅(生前の実家か)へ帰ると言われながらこの期間に墓参しています。それからご先祖のおかげ、という風に前向きに感謝の念を口にしながら、逆に不遇にあっても「こんな境遇なのは先祖が下手うったから」という類の恨み言はほとんど表に出てこないのは一種の美徳かもしれません。さらに、近親者が亡くなった際には「天国の誰それ」と宗旨に関わりなく「天国」と口にしがちです。わざわざ煉獄とか黄泉、ましてや地獄とは言い難いというだけでなく、なんとなく共通の精神風土のようなものを感じます。

1808z15b 「聖母の被昇天」の8月15日は過去記事でモンテヴェルディ「聖母晩課」をはじめ、聖母に関わりのある作品を取り上げていました。このモンテヴェルディ「聖母晩課」は、ヘレヴェッヘが30年以上経てから再録音したもので、今回は声楽はほぼコレギウム・ヴォカーレ・ヘントのみで演奏しています。前回の1986年録音時には同じくヘレヴェッヘのアンサンブルであるシャペル・ロワイヤルとサックバットのアンサンブル、「トゥールーズ・サックブーティエ
」を加えていました。

 この作品を録音する場合のチェック・ポイントを確認すると、モンテヴェルディが1610年に出版した作品集に入った楽曲だけでなく、グレゴリオ聖歌のアンティフォナを挿入して演奏しています。マニフィカトは一種類だけで6声部のミサは当然省いています(そもそも聖務日課・晩課とは違うから)。それから声楽は混声、器楽は金管等み加えているので修道院の聖堂で少人数で演奏する形態ではなく、どちらかと言えば貴族の城館等を想定した規模のようです。

 旧録音から30年以上経って旧録音から根本的にとまではいかなくても、大幅に変わったかどうか分かりません。聴いていて時々思ったのは、より後年に作曲された作品を演奏する時のスタイルのようなものを感じられ、古楽独自の演奏スタイルをより前面に出すという風ではない印象です。逆にというのか、歌詞、晩課の音楽という点を強調しているようでおおらかな祈りの音楽を感じさせます。
9 8月

A.スカルラッティ「死者のためのミサ」 オデカトン

1808z09aA.スカルラッティ 「死者のためのミサ曲」~四声と通奏低音のための

パオロ・ダ・コル 指揮
アンサンブル・オデカトン

ヴァイオリン:アイナス・チェン
       ヘートヴィヒ・ラファイナー
バッソ・ディ・ヴィオリーノ:マルク・ファンスヘーヴヴェイク
アーチリュート:ジャンジャコモ・ビナルディ
室内オルガン:リウヴェ・ダミハン

(2015年12月5-8日 ルッカ,オラトリオ・デリ・アンジェリ・クストーディ教会 録音 Arcana)

 今朝、通勤時に車内のラジオをつけたところ、いつものクラシック・カフェ(月曜は「きらクラ」)ではなくて、長崎原爆の日の特別番組「祈りの音色」が始まるところでした。長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が先月に世界文化遺産に登録されたことを受けてか、過去の禁教、原爆投下だけでなく一番崩れから四番崩れについても言及した珍しい内容でした。8月9日当日は聖母被昇天をひかえていたので午前中に教会へ「ゆるしの秘跡」を受けるために集まり、行列が出来ていたという話もあり、大いに驚きました。国家総動員体制の末期、いよいよおかしくなっている時期に昼間も教会が開いて出入りできたこと、食料の配給じゃなくて「ゆるしの秘跡」のために行列ができるとは。

 前回に続いてアンサンブル・オデカトンによるイタリアの教会音楽です。作品以前にこの声楽アンサンブルの歌唱は素晴らしくて、特にモンテヴェルディの四声部のミサ曲は格別でした。今回のスカルラッティも歌唱だけでなく、会場、音質(残響の具合)ともに目のさめるような鮮烈さです。パレストリーナの時代から50年以上後の作品だけあって大分動的になってきています。作曲者の解説の中にはA.スカルラッティの教会音楽は重要ではないと書いてあるものもありましたが、このCDで聴く限りは十二分に魅力的な音楽だと思いました。過去記事(パレストリーナ「教皇マルチェリスのミサ」)にはアンサンブル・オデカトンについて男声アンサンブルと書いていたのに今頃気が付き、付属冊子の写真を見たらソプラノという表記だけでなく女声歌手らしき人物も写っています。

1808z09b A.スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660年5月2日 - 1725年10月24日)の「死者のためのミサ曲」は、いつ頃、どこで作曲されたか確定されていない作品となっています。作曲者自体は鍵盤楽器の作品で有名な息子のドメニコ・スカルラッティの方が有名になり、忘れられたバロック期の作曲家になっていました。それでもオペラや交響曲を多数作曲し、オペラのナポリ派の開祖、始祖的な位置付けになっています。当時の聴衆にとっては19世紀人がヴェルディのレクイエムを聴いた時の衝撃に相当するのかと想像しましたが、続唱の「怒りの日」でもそこまで劇的でもありません。

 A.スカルラッティはシチリア島のパレルモに生まれ、そこで作曲としてスタートを切りました。当時のシチリアは「シチリアの晩鐘事件(ヴェルディのオペラにもある)」直後、スペイン領になっていました。その後1702年にスペイン継承戦争が起こり、スカルラッティはナポリを離れます。複雑な民族、王朝の変遷と戦乱を経たイタリア南部とシチリア島からこういう音楽生まれたのかと思うと感慨深いものがあります。
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