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続・今でもしぶとく聴いてます

4 5月

ベートーベンのミサ・ソレムニス カラヤン、BPO/1966年

170121ベートーヴェン ミサ・ソレムニス ニ長調 op.123 

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン、フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団(合唱指揮ライホルト・シュミット)

ミハエル・シュヴァルベ(ヴァイオリン・ソロ)
ヨセフ・ネボイス(オルガン)

グンドラ・ヤノヴィッツ(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(A)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
ワルター・ベリー(Bs)

(1966年2月25-29日 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

170504 先日4月29日の午後、関西フィルの定期公演のプログラムがベートーベンの「ミサ・ソレムニス」だったので、翌月定期(ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番)を予約した際に合わせて申し込みました。関西フィルは例年この時期に声楽付の大作を演奏していましたが、ミサ・ソレムニスはまだ生で聴いたことがなく、座席の残っていたのでちょうどよい機会でした。 飯守泰次郎指揮でコーラスが100名くらいの大編成だったので、ソリスト共々感動的でした。それにオルガンの音がよく聴こえるのに少々感心しながら、やっぱり会場で聴くのはしょぼい装置で聴く場合とは違うものだあらためて思いました。

 さて、このカラヤン指揮の録音はカラヤンによる四度(PO/1958年EMI、BPO/1966年DG、BPO/1974年EMI、BPO/1985年DG)の同曲セッション録音のうちで二回目にあたります。録音年とオーケストラからして交響曲の全曲録音に合わせてミサ・ソレムニスも録音しているようで、カラヤンがこの曲も欠かせないものだとして大切にしているのがうかがえます。今回の録音の独唱者も豪華で、ソプラノ以外はクレンペラーのレコード録音の常連です。ただ、前年にクレンペラーがセッション録音したものとは独唱者が全くかぶりません。 

 ミサ・ソレムニスはクレンペラーのレコードだけで十分、というくらいにその1種類だけを繰り返して聴いていたので、その演奏からくる印象がそのまま作品観になるくらいに刷り込まれていました。だから戦渦の廃墟、壁が無かったり屋根が崩れたような所に集まったミサという光景を思い浮かべ、洗練されずいびつな響きとして記憶に刻まれています。ここ何年かで何種かのミサ・ソレムニスのCDを聴いているうちにそんなイメージがどんどん修正されてきて、このカラヤンの録音も同様で壮麗、磨き抜かれた美しさが目立ちます。 それにテノールのヴンダーリヒの声も際立ちます(この人がやがて事故死するとは)。

 ミサ・ソレムニスのうち、キリエ、クレドとアニュス・デイの三つが「三つの賛歌」として、1824年の5月7日に第九と同じ機会に初演されました。何となく交響曲と同じような扱いのようで、同時に第九の方もミサ曲との垣根が低くなっている気がします。ミサそのものについて考えるとアニュス・デイが終わってから 拝領唱、聖体拝領が続くので、アニュス・デイで完結するわけではありません。「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」に対して「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちのかて、あなたをおいて、だれのところに行きましょう」という応答は何となく禁教時代の密儀めいたものが感じられます。それに対してベートーベンのミサ・ソレムニスは正反対なものに感じられます。
10 4月

テレマンのオラトリオ「最後の審判の日」 アーノンクール

1704z10aテレマン オラトリオ「最後の審判の日」

ニコラウス・アーノンクール 指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
ハンブルク・モンテヴェルディ合唱団 ( 合唱指揮ユルゲン・ユルゲンス)

クルト・エクヴィルツ(T)
マックス・ヴァン・エグモント(Bs)、他

(1966年3月 ウィーン,バイリッシャー・ホフ 録音 ワーナー)

 今年は桜が満開なのにまだ四旬節という妙な典礼暦と気候の巡りあわせになっています。今週はようやく聖週間というわけですが街中はそうしたこととは無縁のように見えるのは毎年のことです。昨年の三月に急逝したアーノンクールの一周忌あたりをめどに彼の録音を復刻する企画があり、中には長らく入手困難だったものも復活しました。先月のモンテヴェルディ同様にテレマンのオラトリオ「最後の審判の日」もこの三月に再発売されました。これは1980年頃に店頭でLPの廉価盤を見たことがあり、その時は初めて自分の小遣いでクラシックのLPを買おうとした機会なので記憶に残っています。ハイドンのオラトリオ「天地創造」とテレマンとどちらにするか迷った末、結局有名で賛美歌にもなっている曲も含まれる天地創造の方にしました。

 テレマンの「最後の審判の日」は牧師のクリスティアン・ヴィルヘルム・ アーレルスの作詞により、ヘンデルのメサイアのようなほとんど聖書の言葉だけで歌詞が構成されているのと対照的です。第1~4部から成り、第3部が審判、裁きを描き、第4部が審判後の天上の世界を描いています。しかしそんなに過酷で劇的な内容になっていなくて、割に穏やかな音楽になっています。「最後の審判」と言えば例えばヴェルディのレクイエム、怒りの日なんかを連想、期待しますがバロック期の作品にそんな作風は無理です。といっても初演されたのが1762年3月17日(ハンブルク,アオフ・デム・カンペ)だったのでバッハの受難曲やヘンデルのメサイアより新しい作品ということになります。

 歌詞は「信仰」とか「理性」、「不信仰」等の抽象的な事柄を代表する独唱と「信者の群れ」等の合唱 の他、聖ヨハネや天使等の独唱が配置されています。何となくバッハの対話型(ダイアローグ)カンタータをもう少し平明にして、ヘンデル的にしたような作風です。だから得体の知れない「最後の審判」をテーマとしながら神秘的な音楽という印象はあまり強くありません(逆にメサイアの凄さが却って鮮明になる)。

 CD付属冊子の表紙はミケランジェロのフレスコ画「最後の審判」が使われています。他に何を使えるというくらい鉄板な選択です。そこに描かれる再臨のキリストはよく見ると、磔刑の像と全く違う勇壮な姿をしています。ゲッセマネ(逃げた弟子とか)とゴルゴダ(わけも分からず十字架につけろと叫んだ連中、見物していた連中とか)の落とし前もここで付けると言いかねないくらいの別な容貌が恐ろしくもあります。この絵に似つかわしい音楽はなかなか見当たらないと思われ、ベートーベンの第九の終楽章はイメージが合いそうだと個人的には思います。
25 3月

モンテヴェルディ「聖母晩課」 ユルゲンス、アーノンクール

1703z25aモンテヴェルディ 「聖母マリアの夕べの祈り」

ユルゲン・ユルゲンス 総指揮
ハンブルク・モンテヴェルディ合唱団(合唱指揮ユルゲン・ユルゲンス)
ミュンヘン・カペラ・アンティクァ(合唱指揮コンラート・ルーラント)
ニコラウス・アーノンクール 管弦楽指揮(楽器選定,用法)
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
ウィーン少年合唱団ソロイスツ

ロートラウト・ハンスマン(S)
イルムガルト・ヤコバイト(S)
ベルト・ヴァン・トホフ(T)
ナイジェル・ロジャース(T)
マックス・ヴァン・エグモント(Br)
ジャック・ヴィリセシュ(Bs)

(1966-1967年 ウィーン,カジノ・ツォゲルニッツ 録音 TELDEC)

1703z25 昨年の三月に亡くなったアーノンクールの没後1年前後に彼の録音が多数復刻されています。その中には長らく廃盤状態だったものも含まれ、このモンテヴェルディの聖母晩課もその一つです。といってもこれは総指揮はアーノンクールではなく、ユルゲン・ユルゲンスが行い、アーノンクールは器楽の方を楽器の選定から受け持ったものです。だから海外の方のジャケット表記はユルゲンスが指揮となっていてアーノンクールの名は出ていません(現代ではアーノンクールの知名度が圧倒的に高まっているので、彼の旧録音という位置付けになっているようです)。

1703z25b 細かいことはさて置き、この古くも本格的な古楽録音は今聴いても感動的で、特に典礼音楽に相応しい 息吹を感じさせます。この作品を演奏、録音する際のスタイル上の分類としては、モンテヴェルディが曲集(1610年に4声部のミサと合わせて出版した)に入れた楽曲だけでなく、詩篇歌の前後にグレゴリオ聖歌のアンティフナを加え、マニフィカトは7声部の方1曲だけを採用しています。声楽の方は少年合唱を起用していますが、ソロの名前と写真から判断して男声だけでなく女声も加っています。また、コーラス等はかなりの人数で歌っているので晩課らしいのと同時に壮麗で、1970年代までの録音の中では屈指の感銘度だと思います。レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊らによるハンス・マルティン・シュナイトの録音の場合は金管楽器が騒々しいくらいで、今回のもののような静謐にして霊妙な感じのものはなかなか無いので貴重です。そうなると器楽の方を担当したアーノンクールの功績も大きいのだと再認識させられ、ややくすんだような色々な楽器の音色は絶妙です。

 ~ CD1
01.主よ、われを助けに来たり給え 
02.アンティフォナ:彼の左手はわが頭の下にあり 
03.詩篇109:主は言われた
04.アンティフォナ:彼の左手はわが頭の下にあり
05.コンチェルト:われは黒し
06.アンティフォナ:すでに冬は去り
07.詩篇112:しもべらよ、主を讃めたたえよ
08.アンティフォナ:すでに冬は去り
09.コンチェルト:麗わしきかな
10.アンティフォナ:わが愛する人は
11.詩篇121:われ、よろこびに満てり
12.アンティフォナ:わが愛する人は
13.コンチェルト:二人のセラピムが
14.アンティフォナ:こよなく美しき婦人よ
15.詩篇126:主が建て給わずば
16.アンティフォナ:こよなく美しき婦人よ
17.コンチェルト:天よ、ききいれ給え
 ~ CD2
01.アンティフォナ:王が食卓に居ますかぎり
02.詩篇147:エルサレムよ、讃めたたえよ
03.アンティフォナ:王が食卓に居ますかぎり
04.カピトゥルム:太初より
05.賛歌:めでたし、海の星
06.ヴェルシクルム:聖処女よ、御身を讃むるに値せしめ給え
07.「聖マリアよ、われらのために祈り給え」によるソナタ
08.アンティフォナ:聖マリアよ、われら貧しき者を助けに来たり給え
09.マニフィカト (7声部)
10.アンティフォナ:聖マリアよ、われら貧しき者を助けに来たり給え
11.聖母マリアの夕べの祈り われらに主を讃えさせ給え 

 上記のようなトラック分けでCD二枚で構成され、青字が「聖母晩課」の楽曲で紫色字がグレゴリオ聖歌です。特定の聖母の祝日(被昇天とか)を想定したわけでなく、聖母に共通するアンティフォナや朗読を持ってきているようです。最後がグレゴリオ聖歌で静かに終わるというのは印象深くて、この録音以外には例がないかもしれません。また、「めでたし海の星」の順番を変えたり独自の凝った構成です。

 この作品が出来た頃の聖務日課がどういう具合だったか分かりませんが、復活の主日や生聖霊降臨の日の夜、晩課を行ったならさぞ喜ばしいものだっただろうと想像できて、この録音はそうした想像をかきたてる魅力に満ちています。 
26 2月

シュッツ 音楽による葬送 SWV.279~281 ヴォクス・ルミニス

170226シュッツ 音楽による葬送 SWV.279~281

リオネル・ムニエ 指揮(音楽監督)
ヴォクス・ルミニス(古楽アンサンブル) 
サラ・イェッギ(S)
ズュジ・トート(S)~ソプラノ1
ヘレン・カッサーノ(S)
ケルレイネ・ファン・ネーフェル(S)~ソプラノ2
バルナバーシュ・ヘギ(A)
ヤン・クルマン(A)~アルト=カウンターテナー
フィリップ・フレーリガー(T)
水越 啓(T)~テノール1
ロバート・バックランド(T)
オリヴィエ・ベルタン(T)~テノール2
ベルトラン・デルヴォー(Bs)
リオネル・ムニエ(Bs)~バス
リカルド・ロドリゲス・ミランダ:ヴィオラ・ダ・ガンバ
鈴木優人:ポジティヴ・オルガン

170226a*併録
①主よ、今こそあなたは(シメオンの賛歌)SWV.432
②わたしは甦った者、わたしは命 SWV.464
③主よ、今こそあなたは(シメオンの賛歌/別作品)SWV.433
④これぞまことの言葉 SWV.277
ザムエル・シャイト(1587~1654)
⑤オルガン独奏のためのコラール「わたしたちはみな、神を讃えます」
  *ベルナール・フォクルールの独奏(録音:1999年)
マルティン・ルター(1483~1546)
⑥コラール「安らぎと喜びのうちに、わたしは旅立ちます」

(2010年10月 ベルギー,ボファイー 福音書記者聖ヨハネ教会 録音 Ricercar)

 最近小学校用地で騒ぎになっている学校法人、そこの運営する幼稚園は以前から有名な個性的なプログラムで教育していました。自分はプロテスタント教会付属の幼稚園だったので日曜日の午前は成人の主日礼拝が始まる前に「日曜学校」に園児全員が参加し、その代わりに月曜が休園日でした(多分そうだった) 。これも世間の基準からすればずれているわけで、そうやって幼いうちから教会生活を定着する下地を作るという意図もあったはずですが、現実には小学校に通うようになれば友達と遊んだり、少年サッカーやら野球に参加するために日曜学校とは疎遠になりました。ミッション系の小、中、高等学校でもおおむねそんな様子で、現代ではそもそも布教を主眼ともしていない場合が多いはずです。

170226c しかし卒業後、なんらかの契機で受洗に至ったりそこから叙階へ向かう人もあるわけなので、種をまくというのも重要かもしれず、その面ではあの法人が必死に小学校をつくろうとするのも一理ありそうです。ところで今週の水曜が「灰の水曜」になり、今年も四旬節が始まります。普段は俗悪な生活に染まり切っていても四旬節、その最後の週あたりは一応神妙な心情に少しはなり、そのせいかハインリヒ・シュッツやトマス・ルイス・デ・ビクトリアの作品を聴きたくなります。 

170226b 「 音楽による葬送 SWV.279~281」は、ロイス=ゲーラ伯ハインリヒ2世が生前に自身の葬儀の準備としてシュッツに作曲を依頼したもので、同じく準備された立派な棺と共に知られています。「高価な墓石を立てるより 安くても生きている方がすばらしい」という歌詞のヒット曲がありましたが、誰にも死は訪れるもので戦乱の時代なら死がそこら中に氾濫していて無視できないはずです。その棺には念入りに聖書の言葉を選んで刻ませていたということなので、現代の日本からすれば異様な環境にも思われます。

 この録音はベルギーで結成され、各国の古楽の実力者を集めたアンサンブル、ヴォクス・ルミニスによるもので、「音楽による葬送」以外にシュッツが葬儀のために準備して実際に使われたモテットとシャイトのオルガン曲、ルターのコラールを併せて録音したものです。このアンサンブルはシュッツだでなく、シャインやシャイト、バッハの作品も演奏、録音して注目されています。 この録音では声楽は12人が独唱の他に二群のコーラス(コーラス1、2)に分かれて演奏し、器楽はオルガンとガンバだけという簡素な編成で演奏しています。それでも演奏会場の音響のためかヴォリュームを感じる響きで、独特の力強さを感じさせます。それに全体的に四旬節や聖週間のための作品(エレミヤの哀歌とか)と似た印象で、作品が本来こういう感じだったのかと改めて思いました(後年のレクイエムとはちょっと違うような)。
5 2月

ブルックナーのミサ曲第3番 コルネリウス・マイスター、ORFSO

17z0205ブルックナー ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB.28

コルネリウス・マイスター 指揮
ウィーン放送交響楽団
ウィーン・ジンクアカデミー

ルート・ツィーザク:S
ヤニナ・ベヒレ:A
ベンジャミン・ブルンス:T
ギュンター・グロイスベック:Bs

(2015年6月23日 ウィーン,コンツェルトハウス ライヴ録音 Capriccio)

 17z0205a 2月5日は日本26聖人殉教者の祝日でした。しかしこの祝日の日にちは複雑で、月刊「聖母の騎士」2017年・2月号によると日本以外、例えばローマにある「日本の聖殉教者教会」では2月6日が祝日になっていたり、この26聖人にささげるミサは2月の第1主日に行われたりしています。もともと2月5日がキリスト教が国教化される前のローマ帝国時代の聖人、「聖アガタおとめ殉教者」の祝日だったので、それと重ならないようにずらせたということのようです。日本では逆で、殉教の当日、2月5日を26聖人の祝日として、聖アガタを翌日にずらせています。そもそも26人という多人数なので、20人の日本人(中国、韓国系を含む)の他、スペイン人4人、ポルトガル人とメキシコ人が1人ずつという構成の上、フランシスコ会とイエズス会の会員が含まれていました。そんな修道会の関係の機微はよく分かりませんが、これらが後に列福、列聖に至るまで色々影響していたようです。

17z0205b ブルックナーの宗教曲の中で早くから知られた名作、ミサ曲第3番は初期交響曲の第1、2番と同じくらいの頻度で録音されてきました。 これはコルネリスウ・マイスターとオーストリア放送交響楽団らによる最新の録音で、何故か交響曲第9番と一緒に2枚組で発売されました(未完成に終わった交響曲第9番の終楽章の代わりとしてテ・デウムを併録すならまだしも、初期のミサ曲第3番とはどういう都合か?)。実際に聴いていると、ブルックナーの宗教曲だけでなくというより交響曲の方をメインに指揮しているにしてはミサ曲らしい演奏だと思いました。ゴツゴツした感触ではなくて、穏やかな柔和な演奏で、特に最後のアニュス・デイが一番感動的でした。

 ブルックナーのミサ曲第3番も実際に典礼で使用するより演奏会用という規模ながら、各楽曲を連続演奏しても独特の日常世界から隔絶されてどこかへ連れていかれるような不思議な魅力があります。そんな作風、曲調なので同時に血の通ったというか、温もりのある風に再現、演奏するのはなかなか難しいのではと思われます。

 コルネリスウ・マイスターは1980年にドイツのハノーファーに生まれて地元とザルツブルクで指揮とピアノを学び、2005年に25歳の若さでハイデルベルクの音楽総監督に就任しました。その2010年にはウィーン放送交響楽団の首席に就任しています。まだ30代なので今後ドイツ、オーストリアから世界中でさらに有名になるのかどうか楽しみです。ウィーン放送交響楽団は1969年に設立されたオーストリア放送協会所属の「オーストリア放送交響楽団が1996年に名称を変更した団体です。過去の首席にはレイフ・セーゲルスタム(1975年 - 1982年),ローター・ツァグロセク(1982年 - 1986年),ピンカス・スタインバーグ(1989年 - 1996年) の名前があり、そういえばNHK・FMで聴いた覚えがあります。
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