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続・今でもしぶとく聴いてます

2011年05月

31 5月

Virgo Serena・聖母マリア ヴォーカル・アンサンブル カペラ

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清けきおとめ-Virgo Serena

花井哲郎 音楽監督

ヴォーカル・アンサンブル カペラ

スペリウス:鈴木美登里、花井尚美、本保尚子

カウンターテナー:青木洋也、望月寛之

テノール:及川豊、根岸一郎

バス:小酒井貴朗、花井哲郎

(2007年8月27-30日 中礼内美術村 北の大地美術館 録音 Regulus)

収録曲~

「聖母七つの喜び」
①喜んでください、キリストの母であるおとめよ(ジョスカン・デ・プレ)
②アヴェ・マリア、清けきおとめ(ジョスカン・デ・プレ)
③喜んでください、キリストの母であるおとめよ(ピエール・ド・ラ・リュー)

「聖母被昇天の晩課より」
④あなたはなにもかも美しい、愛するかたよ(ハインリヒ・イザーク)
⑤アンティフォナ(いとも賢いおとめ)-グレゴリオ聖歌
⑥第1旋法のマニフィカト(ロワゼ・コンペール)
⑦いとも賢いおとめ(ジョスカン・デ・プレ)

「サルヴェの祈り」
⑧ゆりの花のよう(アントワーヌ・ブリュメル)
⑨御母は花咲き(ピエール・ムリュ)
⑩サルヴェ・レジーナ(ジョスカン・デ・プレ)

110531_2   これまで3度取り上げた日本人だけで構成される「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」のアルバムです。録音の場所はジョスカンのミサ曲全集と同じで、北海道の中礼内美術村 北の大地美術館を使っています。カペラは東京都内の教会堂で、ルネサンス期の教会音楽を、作品が演奏されることが想定された環境即ち聖務日課やミサといった典礼の中で演奏するという活動を続けています。今年は既にビクトリアのエレミアの哀歌をそうした形式で演奏(修道院での朝課)したようです。それなら録音も都内の教会堂等で行いそうですが、わざわざ北海道まで遠征するからにはよほどその会場の音響環境に惹かれてのことかと想像できます。また、集中して録音に打ち込める環境という面もあるかもしれません。北海道は厳律シトー会、カルメル会といった観想系の修道院があります。カトリック教会の京都教区の司祭団は毎年秋に、北海道のトラピストの修道院まで1週間程黙想に行っています。それにしても、左の写真のイラストは動物が楽譜の前に集まって来ている絵で、何ともほのぼのとしています。

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 このアルバムは、フランドル出身の作曲家による聖母マリアへの信心にまつわる聖歌を集めたものです。「聖母七つの喜び」、「聖母被昇天の晩課」、「サルヴェの祈り」という副題で3、4曲ずつが集められています。ジョスカン作曲の①、②はいろいろなアルバムでも演奏されているはずで、聴けばどこかで聴いたことがあると気が付くかもしれません。聖母月=5月の最終日にして、聖母の祝日でもある5月31日にこのCDをピックアップしたものの、日本では聖母信心云々は非常に陰が薄いものです。

 ところでレコード芸術4月号の新譜・古楽のコーナーで、ヴォーカル・アンサンブル カペラによるジョスカンのミサ曲全集第2集が取り上げられていました。二人の評者が「準推薦」という評価で、特に大御所格の皆川達夫氏は技術面で厳しい意見を述べていました。自身も合唱団を主宰されていたので、自然と厳格になるのだとは思いますが、企画といい個性的なスタイルといい、もっと脚光を浴びてもよい演奏団体だと思えるので残念でした。海外の団体と同列に、同じ基準で判断されてのことなのでそれはそれで喜ぶべきことなのでしょうが、ジョスカンのミサ曲全集が中座しないかとちょっと不安になってきます。

 古楽、特に教会音楽の解説の中でミサの説明もしばしば登場します。ある時、カラヤンがウィーンPOを指揮して前教皇司式のミサで戴冠式ミサを演奏した録音についての文章を目にして、聖体拝領のことを祝福のパンをもらってと表現されいてがっかりしたことがあります。全く逆の内容とは言えないにしても、土産物でももらって帰る様な表現は、ミサ、聖体拝領とは遠い説明です。そうした解説が見られる異文化圏の日本にあって、ヴォーカル・アンサンブル カペラのような活動は貴重だとあらためて思いました。

 このように、古楽のCDについて書いている一方で、過去のショスタコーヴィチの交響曲第13番の投稿の中で間違った内容を書いていたことが今頃分かりました。交響曲第13番「バビ・ヤール」は旧ソ連時代に一部歌詞改変されたのは本当です。しかしそれは初演時ではなく、初演と直後の再演が終わった後のようで、さらに作曲者は歌詞の変更を受け入れはしたものの、自筆譜は訂正しなかったということでした。テミルカーノフのCDの解説をよく読むとそうした内容が描いてありました。ということは、コンドラシンのショスタコーヴィチ交響曲全集の中に付録している、初演の2日後再演のバビ・ヤールは改変前の原典歌詞で演奏・録音されているはずです。これは今後記事でUPする予定です。

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30 5月

シューベルトのドイツ・ミサ曲 ブルーノ=ヴァイル

シューベルト ドイツ・ミサ曲 D.872

ブルーノ=ヴァイル 指揮

ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団

ウィーン少年合唱団(ペーター・マルシック合唱指揮)

コルス・ヴィエネンシス(グイド・マンクーシ合唱指揮)

オルガン~アルノ・ハルトマン

(1993年5月16-19日 ライトシューレ、グラフェネグ城 録音 SONY)

 これは先日のシューベルトのミサ曲第2番と同じ演奏者による録音で、シューベルトが作曲したミサ曲中で唯一ドイツ語歌詞に作曲された変則的な作品です。ラテン語歌詞のカトリック教会のミサ典礼文でも、その翻訳でもないので、正確にはミサ曲そのものではありません。したがって、ミサの中で使われることは無く、あくまで演奏会用の作品です。しかし音楽そのものはシューベルトの常である、こんこんと湧き出る歌の泉のような美しい曲です。

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1:入祭のために(へ長調)

2:グロリアのために(変ロ長調)

3:福音書朗読とクレドのために(ト長調)

4:奉献のために(ハ長調)

5:サンクトゥスのために(変ホ長調)

6:聖変化の後で(ト長調)

7:アニュス・デイのために(変ロ長調)

8:終祭の歌(ヘ長調)

 全体は以上の8曲から成り、混声四部合唱のみです。歌詞はドイツ語で典礼文の翻訳ではなく、新規に作られたものです。当時の皇帝ヨーゼフ2世が提唱していた啓蒙運動に傾倒していたヨハン・フィリップ・ノイマンが、典礼の簡素化や教会音楽の民衆への普及を意図して作った詩です。シューベルトに依頼してそれに曲が付けられたものです。昨日の外国から輸入された日本の讃美歌の話では、シューベルトの曲もあったはずで、どうもこの作品の「5:サンクトゥスのために」から取られているのではないかと考えられます。手元に讃美歌集が無いので分かりませんが、「聖なる」を三度繰り返すのは同じです。

 プロテスタント教会では通常はミサとは呼ばず、日本では「礼拝(れいはい)」という言葉でほぼ統一されています。中心は牧師ので説教で、最低でも30分は要し、教派や牧師の違いで1時間くらいに及びます。聖体拝領という教義とは異なり(教派によって差があるはず)、聖餐式と呼ばれるのが通常です。しかも礼拝に必ずあるとは限らず、一年に数回程度という教派もあるはずです。理屈はさて置き、形式的にはそういう違いがあります。カトリック教会はミサには聖体拝領は必須で、説教が無くても拝領が省かれることはありません。もとも、近年説教が長時間化する傾向があります。

 そういうミサ、典礼を背景として生まれたこれらの作品の中で、シューベルトの場合このドイツ・ミサ曲が旋律の美しさ、柔軟さ、又は親しみやすでは他の6曲よりも抜きん出ているのではないかと感じます。もっとも、このCDはミサ曲第5番とカップリングされていて、そちらがメインのような扱いになっています。

 小学校から高校まで、自分の教科書やノートは自宅に毎日持って帰るのが通常で、机に置きっぱなしにすると怒られたものです(稀に給食のパンを机に入れておく者も)。私が知っているプロテスタント教会の礼拝は、信者が自分の聖書やら讃美歌を持って来て持ち帰っていて、説教中に聖書に線を引いたりとか、中にはノートを取る人もいました。なにかの講習会のようで余計神経が疲れそうに見えました。この辺は、説教が10分を超ええれば長いと感じられ、各自が聖歌集を教会に置いているカトリック教会(全部がそうだとは限らない)と違うところです。所変わればという例です。

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29 5月

グレゴリオ聖歌 Temps Pascal サン・ピエール・ド・ソレム修道院

復活節第3~6主日の聖歌

ヨセフ・ガジャール 指揮 サン・ピエール・ド・ソレム修道院聖歌隊

(1960,1961年発売 ACCORD)

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 今年の典礼暦(カトリック教会、西方教会)では今日が復活節第6主日にあたります。来週が主の昇天、次の週が聖霊降臨と続きます。このCDは、復活祭・イースターの日曜日から3週目の日曜(復活節第3主日)から6週目の日曜日(復活節第6主日)まで、4日分の主日ミサで歌われる(歌われていた)固有文聖歌を集めています。このシリーズはかつてフランスのアコード社から出ていたLPレコードが元で、第二ヴァチカン公会議前後に収録されて、グレゴリオ聖歌のレパートリーを広く網羅するシリーズです。今月5月1日の” Easter Quasimodo Sunday ” に続く典礼暦の聖歌です。

 輸入盤・再発売のため詳しい解説はありませんが、このシリーズは鑑賞用という要素だけでなく記録・ドキュメンタリー的要素も考慮されていると思います。他では含まれないであろう曲も見られます。今回のCDの内容は各日曜日とも、入祭唱、アレルヤ、奉献唱、拝領唱が入っています。ただ第4主日だけ、” Salve dies dierum ”が収められています。復活節の期間は祭壇も聖歌も何となく柔和で、明るい雰囲気なので典礼暦中で一番心地よい期間です。

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 典礼暦と言いながら現代日本のカトリック教会は、ミサの中でグレゴリオ聖歌が使われることは稀で、一般信徒が集まるミサなら降誕、復活、聖霊降臨、聖母被昇天といった大祝日で時々歌われるくらいのはずです。代わりに日本語の歌詞の大半が高田三郎作曲の「典礼聖歌」が常用されています。最初から日本語の歌詞に曲を付けたものなので、聴いていても歌詞内容をききとることができます。この点は、一般に讃美歌として認知されている外国のものを翻訳した歌と比べても格段のききやすさだと思います。個人的には典礼聖歌も結構良い歌と感じていますが、古くからの信者や子供の頃待者をつとめた信者といった人々の中には日本語の典礼聖歌は全然ダメだという意見も聞かれます。なかなか難しいものだと思います。

 ミサ等の典礼は日本で生まれたものではないので、歌詞はラテン語等からの翻訳になりますが、そうした日本語に新しく曲を付けるというのはすごく難しいことだと思います。

110529b  通っていた幼稚園がプロテスタント(会衆派)教会付属だったので、クリスマスでなくても讃美歌を聴いたり歌ったりする機会はありました。「諸人こぞりて」というクリスマスの讃美歌に「主は、主は来ませり」という歌詞があって、歌詞を見ずに耳で聴くだけなら「シュワー シュワー」というサイダーかキリンレモンの泡の擬音ように思えました。アクセント、イントネーションの都合で聞くだけでは意味が分からないような歌は他にもありました。 日本で歌われてきた讃美歌(主にプロテスタント教会)の中には、シベリウスのフィンランディアやワーグナーのローエングリン(婚礼の合唱)、ベートベンの第九交響曲の第4楽章からとられたものもあり、どういう経緯で讃美歌されたのか知りたいようなものもあります。それらは外国語の歌詞を日本語に翻訳したものです。

 気が付けばもう5月が終わろうとしています。毎月1度墓地へ行き雑草を取るようにしているので、今日行くつもりが大雨になり機を逃してしまいました。6月12日は父の命日で、去年は三回忌をしたはずなのに、ほとんど記憶に残っていません。

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27 5月

シューベルトのミサ曲第2番 ヴァイル、ウィーン少年合唱団

シューベルト  ミサ曲 第2番 ト長調 D.167

ブルーノ=ヴァイル 指揮

ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団

ウィーン少年合唱団(ペーター・マルシック合唱指揮)

コルス・ヴィエネンシス(グイド・マンクーシ合唱指揮)

ソプラノ:トーマス・プッヒェガー、テノール:イェルク・フェリング

バス:ハリー・ヴァン・デル・カンプ

オルガン~アルノ・ハルトマン

(1995年9月20-27日 ウィーン、カジノ・ツォゲルニッツ 録音 SONY)

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 先日のシューベルトミサ曲第6番の回に、ブルックナーのミサ曲第1番をウィーンでの初演をした、当時の宮廷楽長ヘルベックが取り上げて演奏したと書いた、シューベルトの「ミサ曲第2番ト長調D.167」は、どんな曲だったかすぐには思い出せません。しかしそういう風にブルックナーつながりで書かれると非常に気になるので、引っ張り出して聴いてみました。冒頭のキリエが驚くほど清らかで、こんなに素晴らしいのに全然覚えていないとは、と2度驚いて聴き入りました。シューベルトのミサ曲は、サバリッシュ、リリングが全集を出していた他は6番、5番くらいが録音されているくらいで、初期のミサ曲はレコード、CDでは見かけませんでした。

 指揮のブルーノ=ヴァイルは、90年代にピリオド楽器によるシューベルト、ハイドンのミサ曲や交響曲の録音が見られました。このCDは、ウィーン少年合唱団とそのOBから成るコルス・ヴィエネンシスと、独唱者も男声だけで演奏しています。また管弦楽はピリオド楽器によるアンサンブルです。それだけに非常に清澄な響きで、短い曲なので反復して聴きたくなります。実はだいぶ前にこれを買って初めて聴いた時は、甘ったるい曲のように思えて2度くらい聴いてお蔵入り状態になっていました。今聴くと、ブルックナーのミサ曲と共通する要素が感じられ、とても魅力的だと感じます。

110527c  ミサ曲第2番は1815年、シューベルトが18歳の時の作曲で、3月2日から7日の間に一気に書かれたものです。作曲後間もなくリテタンタール教区教会で初演されています。キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス・ベネディクトゥス、アニュス・デイの6曲から成り、元々は弦楽とオルガンのみの編成の合唱ミサです。後にシューベルト自身による、ティンパニとトランペットを付加したパート譜や、さらに木管を付加したものまで見つかっています。このCDでは、ティンパニとトランペットを付加したバージョンで演奏しています。

 前作のミサ曲第1番(1814年作曲)の初演が大成功で、ウィーン会議のために集まっていた各国貴族らにも好評だったので、それが続く第2番の作曲につながったとされています。シューベルトの父は、第1番の大成功に感激してフランツにピアノフォルテを買い与えたそうです。

 なお、このミサ曲でも先日のジュリーニ指揮・ミサ曲第6番と同じように、「われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ “ Et unam, sanctam,catholicam et apostolicam Ecclesiam.”」というクレドの中の言葉が省かれています。CDに併録されているミサ曲第1番でもそのようです。また、同じ演奏者によるミサ曲第5番でもそうなっています。このCDの解説書によると、「作曲する時に見ていたミサ典礼書に誤植があったのに気が付かずに作曲したためで、信仰上で特に意味が無い。初演時に特に問題にならなかった」ということです。ちなみにミサ曲第6番もシューベルトの死後に教会で初演されています。

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 どうでも良いようなことながら、クレドは信仰宣言として歌唱ミサでない時でも皆で唱えているもので、プロテスタント諸派でも、一つのとか、使徒継承とかの言葉は除いて「聖なる公同の教会」という言葉で用いられています。誤植というのがイレギュラーな脱落だったとしても、また教区が発行する典礼書でなかったからその言葉が入っていない版になっていたという事情だとしても、通常気が付くはずです。初演時に問題にならなかったというのは、もしミサの中で用いるという意味の初演(演奏会としてではなく)だったら、解釈の仕方も複数あるでしょうが、これもおかしな話です。この辺の事情はかつて読んだような気がしますが詳細は覚えていません。

 また歌詞カードでは、クレドの中で、「聖霊は父と子より出で」の「子 “ Filioque ” 」の言葉が、” et Filio”に差し替わっています。解説にも意味はほぼ同じと書かれてあるものの、こういう所で語句が変わるといのも奇妙です。ミサ曲第1番でも、細かい違い指摘されています。何にしても、シューベルトのミサ曲第2番が素晴らしい音楽であることには違いはありません。

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25 5月

シューベルトのミサ曲第6番 ジュリーニ・バイエルン放送SO

シューベルト ミサ曲 第6番 変ホ長調 D.950

カルロ・マリア・ジュリーニ 指揮

バイエルン放送交響楽団,バイエルン放送合唱団

ソプラノ:ルート・ツィーザク、 メゾ・ソプラノ:ヤルト・ヴァン・ネス

テノール:ヘルベルト・リッペルト、 ヴォルフガング・ヒュンテン

バリトン:アンドレアス・シュミット

(1995年4月24-28日 録音 SONYCLASSICAL)

 今日の夕方に、京都市内の繁華街で英語を話す一群の後ろを歩いていたところ、東洋人らしき外見の女性も居て流暢に英語を話していました。しばらくするうちに、その女性の英語が止まって「え~っと・・・」と言いだしました。日本人だったのかと、あらためて感心しました。高校時代の英語教師で、英会話の時間は全部英語で言い、「え~っと」も“ Let me see ”とわざとらしく言っていた人がいました。でも意識してそう言っているだけで、例えば後ろから水をかけたり、風船を割って大きな音を出すと、多分日本語で驚くだろうと皆で言っていたのを思い出しました。震災後、中国人や韓国からの団体は激減していますが、欧米系の旅慣れた旅行者はまだ見られます。

 先週土曜日に井上道義とPAC管の定期公演を聴きに行き、プログラムのショスタコーヴィチの作品のリズムや響きが体内に浸透している感覚です。私は基本的にメロディー等を覚えにくく、すぐ忘れるタイプなのにこの余韻は例外的です。ショスタコーヴィチの音楽の中には、脳内で言語とかをつかさどる領域とは違う部分へ働きかける要素が強いのではないかと思えます。

110525_2    このCDは今から8年程前に購入した1枚1250円という半端な金額の廉価盤です。ジュリーニ没後のメモリアル・シリーズだったはずです。その前にCS放送でベームがこの曲を演奏するのを聴いていい曲だなあと関心を持ったのと、カトリックの雑誌か何かでシューベルトのミサ曲第6番について、啓蒙主義の影響を受けたもので歌詞が典礼文そのままではない部分があるため実際にミサでは使われていないだろうとか書かれてあり、にわかに関心が高まりました。CD付属の歌詞カードを見てみると、クレドの最後の方の「われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、」という部分がすっぽり抜けています。念入りに参照すれば他にもあるのかもしれません。ラテン語の歌詞は次の通りです。上記の指摘はこれのことを言っているのでしょうが、典礼文通りではない例はモーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスでも見られます。

Et unam, sanctam,catholicam
et apostolicam Ecclesiam.

 ただ、歌詞の内容から、やはり信仰宣言・クレドの中のこれを省いたものを教会のミサでは敢えて使わないだろうと(現代ではどうか分かりませんが)思えます。そうした理屈はさて置き、曲自体はなだらかで美しいものです。全体はキリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの6曲から構成されています。上記のような歌詞の特徴がある以外は通作ミサの形式です。キリエからベネディクトゥスは長調の楽曲なのが、最後のアニュス・デイだけがハ短調なので、アニュス・デイが目立ちます。同じ頃にジュリーニが録音したバッハのロ短調ミサ曲やヴェルディの聖歌四篇と同様に、感動的な演奏です。作品の性格もあってか、最晩年の録音の中では特に爽やかな印象を受けます。

 ブルックナーはシューベルトに傾倒していて、両名ともオーストリア人(ドイツ人ではなく)であり作曲環境も共通するところがあります。ブルックナーのミサ曲第1番を1867年にウィーンで取り上げた宮廷楽長ヘルベックは、前年にはベートーベンのハ長調のミサ曲を、その前年のクリスマスにはシューベルトのト長調ミサ(第2番)を取り上げています。意識して聴くと音楽にも共通の響きが感じられます。

 シューベルトのミサ曲は第1~6番とドイツ・ミサ曲があり、他にも宗教音楽作品を書いています。ヨハン・フィリップ・ノイマンによるドイツ語歌詞のドイツ・ミサ曲以外は一応ラテン語の典礼文によるミサ曲です。先日の「冬の旅・千原英喜 編曲  無伴奏混声合唱版」の回で、そのCD添付の解説文に冬の旅についての最近の理解、研究成果について触れられてあるのを確認しました。ミュラー原作の冬の旅というより、シューベルトの冬の旅には、社会や教会からの疎外感、それによる孤独、あるいは距離を置こうとするような意識も込められていると指摘されていました。ミサ曲第6番のクレドの「一・聖・公・使徒継承の教会」という語句を省略するのがシューベルトのこだわり、又は共感だとするなら、そうした冬の旅の研究と符合するものがあると考えられます。

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13 5月

ブルックナーのミサ曲第1番他によるミサ フリーベルガー

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ブルックナー ミサ曲 第1番 ニ短調を中心としたミサの音楽

ルペルト・ゴットフリート・フリーベルガー 指揮

アルス・アンティクァ・アウストリア

リンツ・ハルト合唱団

ソプラノ:ローゼマリー・ショーベスベルガー
アルト:クリスティーナ・ラッツェンベック
テノール:クリスティアン・ハーフェル
バス:アンドレアス・レベダ

(2008年 リンツ,国際ブルックナー音楽祭ライヴ録音 FABIAN RECORDS)

110513a  先月の「ヴィントハークのミサ他」と同じくフリーベルガー指揮、オルガンによるブルックナーの宗教音楽の録音です。これはブルックナーの作曲した音楽による歌唱ミサが行われたと想定して、朗読や説教等を除いた音楽の部分だけを演奏する形態と言えるコンサートのライブ録音です。収録曲は以下の通りで、ブルックナーのミサ曲第1番、モテット、オルガン曲とフリーベルガーによるブルックナー作品の主題を用いたオルガン曲が集められています。特別な形式のように見えますが、ブルックナーの生前にはこれに似たスタイルで演奏されることもありました。ここで先日のブラームスの「ドイツレクイエム」を思い起こすと、同時期のドイツ語圏の作曲家による宗教音楽でありながら、かなり違った響きなのにあらためて驚かされます。ブルックナーのミサ曲やモテットは日常的な人間の感情から隔てられたような不思議な世界です。

1.入祭(前奏曲ニ短調1843年~オルガン)

2.キリエ(ミサ曲第1番

3.グロリア(ミサ曲第1番

4.昇階唱(モテット この場所は神によって造られた

5.クレド(ミサ曲第1番

6.奉献唱(モテット アヴェ・マリア1861年

7-8.サンクトゥス,ベネディクトゥス(ミサ曲第1番

9.アニュス・デイ(ミサ曲第1番

10.間奏曲(前奏曲1884年~オルガン)

11.拝領唱(モテット キリストは従順であられた1884年

12.間奏曲(前奏曲ニ短調1846?年~オルガン)

13.タントゥムエルゴ(パンジェ・リングァ. フリギア調1869年

14.後奏曲(フリーベルガー:ブルックナーの主題による即興曲~オルガン)

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 今年の1月に取り上げたこの曲のCDは、ニコル・マット指揮のヨーロッパ室内合唱団他による演奏で、通常のスタイルでキリエからアニュス・デイまでを連続して演奏していました。それと比較すると今回の演奏は、曲の原風景に接したような印象です。ブルックナーと縁のリンツ近郊の、プレモント会シュレーグル修道院で音楽監督的な地位にあるフリーベルガーにとっては、身近なブルックナー作品を慣れ親しんだスタイルで演奏しているライブ録音です。先月の「ヴィントーハークのミサ曲」はごく初期の短い作品ながら、とても魅力的な作品で、演奏も素晴らしく個人的に生涯10傑なり20傑のCDを選ぶとすれば候補に入るくらいでした(日本にまで流通していなくても、ヴィントハークのミサ曲の録音は過去にあったとは思いますが)。ミサ曲第1番は1866年、ブルックナーが42歳の時の作品でリンツでの初演後にウィーンでも演奏され、ウィーンで活動するきっかけにもなった曲です。これを聴くと現代でもミサに使えそうです。

 そろそろ藤の花が散って、山吹の花が咲く頃です。今週は春でも梅雨でも無い、不可解な気候に突入しています。今晩、京滋バイパス・側道の宇治川を渡る橋上で、街灯にトビケラか蛾のような虫が多数照らされ、路上にも落下しているのが見えました。小さい虫なのに走行中の車内からはっきり分かる程の数で、ここ10年で初めてでした。昭和40年代から50年代半ばは、濃い黄土色に黒い縞が入った羽根のトビケラは宇治川の名物でしたが、宇治川につながる発電所の放水路の壁に付いた卵か幼虫を駆除するようになってから急に減っていました。今回はその当時とも種類が違う虫で、一体何の徴候だろうかと思いました。

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11 5月

ブラームス ドイツレ・クイエム レヴァイン CSO

110511 ブラームス  ドイツ・レクィエム Op.45

ジェームズ=レヴァイン 指揮

シカゴ交響楽団、シカゴ・シンフォニー・コーラス

ソプラノ:キャスリーン・バトル

バリトン:ホーカン・ハーゲゴール

(1983年 録音 Sony Classical)

 これは先日のレヴァイン、シカゴ交響楽団のブラームス・交響曲第1番と同じ廉価セットに含まれているものです。交響曲だけならCD2枚で収まるところを、ピアノ協奏曲第1番、歌曲集、ドイツ・レクイエムを加えてCD4枚にしています。このシリーズなら2枚だけなら1000円前後になっていたでしょう。実はこのドイツ・レクイエムは宗教曲の中でも今ひとつピンと来ないように思えて、クレンペラー(フィルハーモニア管、ウィーンPO)のCDしか手元にありません。そういうわけで、曲を思い出す時は必然的にクレンペラーの演奏が聴こえてきました。

 レヴァインによる宗教曲をわざわざ買って聴くのは(実際は交響曲の付録的なのですが)これが初めてでした。あらためて聴くと、クレンペラーの武骨な感触とは違って、とても滑らかで優しい響きに感心させられます。第1曲目も「涙とともに種をまいた」のははるか昔の出来事のような、慰めのただ中に置かれている気になります。70年代に録音されたシューマン、ブラームス、あるいはマーラーの延長にあることになりますが、ちょっと整い過ぎではないかとさえ思えてきます。しかし独特の魅力がありました。

 この作品はレクイエムと名付けられながら、カトリックの葬儀ミサ“ Missa pro Defunctis ”の式文は全く含んでいません。全7曲からなり、いずれもドイツ語訳の聖書から歌詞がとられています。出典は以下の通り(青字は旧約聖書)で、ブラームスが選んだそうです。全部で16個所を新・旧約聖書から選んでいて、旧約が7箇所、新約は福音書が2箇所、パウロ書簡が2箇所、それ以外の使徒書簡が3箇所、黙示録が2箇所という内訳になっています。まんべんなく選んでいるようで、旧約のモーセ5書(出エジプトや創世記)、歴史書からは全くありません。前者はハイドンの天地創造等、後者はメンデルスゾーンのエリヤという大作もあるところです。余談ながら旧約聖書の知恵の書(第3曲)、シラ書(第5曲)は、プロテスタントの教派によっては聖書には含めず「外伝」としたり、扱いが異なります。

 歌詞の日本語訳をざっとながめると、人生の旅路には苦難があるが耐え忍ぶことができれば慰めがあり、死で全てが終わるのではない、という人生観のようなものが浮かび上がります。特別に個性的、あるいは英雄的なものではなく、出金伝票だのタイムレコーダーを気にしながら生活する一般庶民の視界のように思えます。また、聖母マリアが全く登場しないのも特徴的です。

第1曲・合唱「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」マタイによる福音書 5詩篇 126

第2曲・合唱「肉はみな、草のごとく」~ ペトロの第一の手紙 1、ヤコブの手紙 5、ペトロの第一の手紙 1、イザヤ書 35

第3曲・バリトン,合唱「主よ、知らしめたまえ」詩篇 39、知恵の書 3

第4曲・合唱「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」詩篇 84

第5曲・ソプラノ,合唱「汝らも今は憂いあり」ヨハネによる福音書 16:22、シラ書 51:35、イザヤ書 66:13

第6曲・バリトン,合唱「われらここには、とこしえの地なくして」~ ヘブライ人への手紙 13、コリント人への第一の手紙 15、ヨハネの黙示録 4

第7曲・合唱「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」~ ヨハネ黙示録 14

 ブラームスは何か手引きになるようなものを使ってこの歌詞を抽出したのか分かりませんが、ブルックナーが同様のテーマで同じことをことを試みたら全く違う歌詞になったのではないかと想像できます。

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10 5月

ビクトリア レクイエム(6声) モンセラート修道院聖歌隊

110510 ビクトリア- 死者のための聖務日課集-

ミサ:プロ・デフンクティス(レクイエム)(6声,キリエの一部のみは4声)
モテット:「悲しみのうちに引き戻されて」(6声)
レスポンソリウム:「主よ、われを解き放て」(6声)
レクツィオⅡ:「わが魂はなえ」(4声)

イレネウ・セガーラ神父 指揮

モンセラート修道院聖歌隊及び児童合唱隊

(1977年3月 モンセラート修道院 録音)

 今年没後400年を迎えるトマス・ルイス・デ・ビクトリアの代表作品である「死者のための聖務日課集」は、昨年11月1日にもチェコのコレギウム619による最近の録音でも取り上げていました。今年来日(13回目)して、関西でも公演する予定の「ピーター=フィリップス指揮、タリス・スコラーズ」のプログラムにもビクトリアのメモリアル年に合わせてか、この曲集からレクイエムが入っています。京都、西宮ではそのプログラムになっています。

 震災以降来日予定の演奏家の公演がキャンセルになる例も出ていて、京都コンサートホールもモザイクカルテットが払い戻しになっていました。タリス・スコラーズは来てくれるのか、今のところ中止の話はありません。予定通りなら西宮の公演がちょうど震災から3ケ月目の6月11日、翌日が京都です。浜岡原発の停止決定になったので、夏の電力がさらに心もとなくなり、関西電力管内の原発も同様の措置があるのではないかと懸念されます。

110510b  1605年出版のビクトリアによる「 “ Officium Defunctorum ” (死者のための聖務曲集)」には、上記のように1曲の「 “ Missa pro Defunctis ” (死者のためのミサ=レクイエム)」と、モテット、レスポンソリウム、レクチオがそれぞれ1曲ずつ含まれています。

 “ Missa pro Defunctis ” ・  レクイエムは以下の曲が含まれます。

①入祭唱・イントロイトゥス、②キリエ、③昇階唱・グラドゥアーレ、④奉献唱・オッフェルトリウム、⑤サンクトゥス・ベネディクトゥス、⑥アニュス・デイ、⑦拝領唱・コムニオ

 このCDは国内盤なので詳しい解説書が付いています。ビクトリアのミサ曲と言えば通常これを指していて、別名「皇太后マリアをいたむレクイエム」とも表記されます。ビクトリアがローマからスペインの修道院に戻って仕えていた神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世妃だった皇太后マリアは、神聖ローマ皇帝カール5世(兼任スペイン王カルロス1世)の娘でフェリペ2世の妹にあたります。夫亡き後はスペインに帰国してマドリッドの修道院に入りました。ビクトリアはそこに奉職していたので、皇太后亡き後に「故人の霊に代わり、これを白鳥の歌として(本人の言葉)」作曲しました。

 レクイエム各曲の第二ソプラノ(オッフェルトリウムだけはアルト)が、最初にグレゴリオ聖歌の旋律を歌い、それに続くモチーフがのメロディから発展していくという構成です。この曲より古い4声部のレクイエムも類似の構成でしたが、一番高音の声部にグレゴリオ聖歌の旋律を歌わせていました。この6声部の方の新しいレクイエムは、グレゴリオ聖歌の旋律の上に、さらに高音のソプラノ声部を加えています。解説文によると、最高音部が自由に飛翔して、それによってより天国的な美感を醸し出しているということです。

レクイエム以外の3曲は以下の通りです。

モテット:“ Versa est in luctum ”(悲しみのうちに引き戻されて)

レスポンソリウム:“ libera me , Domine ”(主よ、われを解き放て)

レクツィオ2:“ Taedet anima meam ”(わが魂はなえ)

 このCDではミサの後に3曲を続けて収録しています。実際には葬儀ミサの前日や直後に、日本の仏式でも枕経やら通夜があるように、決まった聖務日課があるはずで、その折に歌われるものだと推測できます(具体的な説明は書いてありません)。他のCDではレクツィオを一番最初に入れているものもあります。

 このCDでは、昨年にパレストリーナのミサ曲で取り上げたスペインのモンセラート修道院の聖歌隊(児童合唱も含む)による演奏なので、全て男声です。例えばタリス・スコラーズや、ザ・シックスティーンなら女声が最高音部を担当するので、それだけでもかなり違います。こうした修道院聖歌隊や児童・少年合唱による演奏は、おそらく技術的な面でと思いますがクラシックレコードの批評界では点が辛い傾向があります。この録音も日本語解説付の国内盤をよくぞ出してくれたと思います。

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8 5月

グレゴリオ聖歌・復活の主日 マリア・アインジーデルン修道院

グレゴリオ聖歌 - その伝統の地を訪ねて -より

ローマン=ヴァンヴァルト神父 指揮

マリア・アインジーデルン修道院コーラル・スコラ

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~ 復活の主日ミサ 固有文聖歌

①入祭唱:われよみがえりぬ “ Resurrexi ”

②昇階唱:この日こそ “ Haec dies ”

アレルヤ “ Pascha nostrum ”

④続唱:過越しのいけにえに “ Victimae paschali ”

⑤奉献唱:地は震え “ Terra tremuit ”

⑥拝領唱:われらが過越しの小羊 “ Pascha nostrum ”

(1972年7月録音 ARCHIV)

 これはバロックやそれ以前の作品専門のレーベル、アルヒーフから国内盤でも出ていた「グレゴリオ聖歌 その伝統の地を訪ねて」というシリーズをCD3枚にまとめて再発売したものに含まれています。この企画はグレゴリオ聖歌だけでなく、中世に各地に併存したモザラベ聖歌(スペイン)、アンブロジオ聖歌(イタリア・ミラノ)も収録しています。またグレゴリオ聖歌も、典型的なソレーム唱法・定量リズムだけでなく違った伝統の歌い方の修道院聖歌隊の歌も集めています。今回のマリア・アインジーデルン修道院も、3月の「ミュンスターシュヴァルツァハ修道院聖歌隊」と同様に計量リズムで歌っています。マリア・アインジーデルン修道院はスイスのチューリヒ東南約40キロ、チューリヒ湖の南にあり、サン・ガル(ザンクト・ガレン)修道院等ともに古い伝統のある修道院です。

 この修道院による歌は、他に「降誕の祝日の第1ミサ」、「公現の祝日ミサ」、「主の昇天ミサ」の各固有文聖歌を収めています。最初はLP1枚にまとめられていましたが、CD化に際して上記のミュンスターシュヴァルツァハ修道院聖歌隊が枝の主日の聖歌を歌っているので、マリア・アインジーデルン修道院の歌の内、典礼暦上それに続く復活の主日の聖歌だけを切り離して再編集しています。

 ここで取り上げられている復活の主日ミサの聖歌は、先日のヨセフ・ガジャール 指揮 サン・ピエール・ド・ソレム修道院聖歌隊による「グレゴリオ聖歌 Easter Quasimodo Sunday 」の中にある復活の主日ミサのそれと同じ曲です。交互に聴くなりすると、定量リズムと計量リズム云々という理論はともかく、響きの違いを感じることができます。ちなみにマリア・アインジーデルン修道院の1枚はLPの時に購入してしばしば聴いていました。力強く、壮重と解説文には書かれてあり、ソレーム唱法より古めかしく、いかめしい印象を受けました。特に続唱「 過越しのいけにえに “ Victimae paschali ” 」は魅力的です。

 アルヒーフのグレゴリオ聖歌等の企画ものは他に「聖地のクリスマス音楽」、「アトス山の復活祭」というのがあって前者はCD1枚、後者はCD3枚で再発売されています。エルサレムにある各教派の音楽を集めた「聖地のクリスマス音楽」の方は、国内盤で出た時に購入できましたが、もともとその分量だったのか不詳です。また東方教会・ギリシャ正教の方も、どうやら「アトス山の復活祭」以外にもLPで出ていたようです。60年代や70年代のこうした企画ものの精力的な活動にはつくづく感心させられます。

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7 5月

モンテヴェルディ・聖母マリアの夕べの祈り ガーディナー旧盤

クラウディオ=モンテヴェルディ

” Vespro Della Beata Vergine  ” 聖母マリアの夕べの祈り

110507_2ジョン・エリオット・ガーディナー  指揮

モンテヴェルディ管弦楽団・合唱団
ソールスベリー大聖堂少年合唱団
フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブル
デイヴィット・マンロウ・リコーダーアンサンブル

ソプラノ:ジル・ゴメス、フェルシティ・パルマー
テノール:ロバート・ティアー、 フィリップ・ラングリッジ
バス:ジョン・シーリー・クウィーク、ミハエル・リッポン
カウンターテナー:ジェイムス・ボウマン

(1974年1月 ロンドン 録音DECCA)

110507a_2   ガーディナー指揮によるモンテヴェルディの聖母晩課は、再録音の方が名盤の誉れが高かったかもしれませんが、この貧弱な廉価仕様の旧盤も演奏者名を見ればかなり豪華です。2枚組のCDで、2枚目にはジョヴァンニ・ガブリエリのモテットが収録されているので、ブラス・アンサンブルはそちらだけの参加かと思いましたが、モンテヴェルディの方の演奏者にも名を連ねています。今回のガーディナー旧盤は1974年1月録音で、過去に10回この作品を取り上げた中で、コルボ旧盤(1966年頃録音)の次に古いもので、ハンス・マルティン・シュナイト盤(1974年7月,1975年5月録音)と同じ頃の演奏です。

 聴く前は何となく器楽が前面に出たドぎつい演奏を想像しがちです。しかし、実際に聴いてみるとそうではなく合唱の素晴らしさが特に目立ちます。むしろ新録音の方が言葉は悪いですが、少しけばいような印象を受けます。独唱、合唱とも今では何となく古めかしくきこえるものの、柔軟で美しい演奏です。全体的に「晩課・夕べの祈り」らしい雰囲気を湛えています。なお、モンテヴェルディの作曲した詩篇歌の前にグレゴリオ聖歌等のアンティフォナは付加していません。あくまでモンテヴェルディによるこの曲集だけを演奏しています。

 ガーディナーの録音と言えば、ヘンデルやバッハの声楽作品もあり、特にバッハは教会カンタータは教会暦に合わせて作曲された作品は全曲ライブ録音(カンタータ巡礼シリーズ)している程です。80年代にバッハの受難曲等が出た時は、いまひとつ好きになれず、教条的にピリオド楽器のアンサンブルで主要曲を塗りつぶしているような先入観を持っていました。このガーディナーの初期の演奏を聴くと、生命感があり単に形式を追求する演奏ではないと思えます。上記のようにグレゴリオ聖歌や他の作曲家のモテットをアンティフォナとして挿入していない点も形式優先ではないことをうかがわせます(単にレコード制作上の時間配分の都合かもしれませんが)。

 五月はカトリック教会で「聖母月」とされているので、それにちなんで昨年同様にこの曲を選びました。ただ、ブログ内の他の有名曲でもそうですが、だんだんネタもタネのCDも尽きてきました。ところで演奏者の少年合唱隊はソールズベリー大聖堂と英語表記されているようです。観光名所としてだけでなく実際にカトリックの教会堂として機能しているのでしょうか。演奏の中ではひときわ美しく非常に効果的なこの聖歌隊は普段から典礼で歌っていると推測され、ウェストミンスター大聖堂と同様に国教会だけでなくカトリック教会があるのかもしれません。

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