raimund

続・今でもしぶとく聴いてます

2013年02月

27 2月

シュッツ「音楽による葬送」 ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京

シュッツ “ Musikalische Exequien(音楽による葬送) ” SWV279-281

淡野弓子 指揮
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京

ソプラノ:今村ゆかり、柴田圭子、淡野桃子
アルト:依田卓
テノール:ツェーガー・ファンダステーネ、淡野太郎、鳥海寮
バリトン:淡野太郎
バス:小原浄二、石井賢

ヴィオラ・ダ・ガンバ:神戸愉樹美
ヴィオローネ:西澤誠治
ポジティーフ・オルガン:菅哲也

(2004年4月13日,9月2日:三鷹市芸術文化センター、2004年9月15日:東京カテドラル聖マリア大聖堂 録音 コジマ録音)

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 月刊「聖母の騎士」という戦前にポーランドから来日したコルベ神父が開いた修道院が発行している雑誌があります。それに連載されている「アクセス・サクセス・ネクサス(森内俊雄)」というコーナーがあり、最新号のそこに目がとまりました。学生時代に友人の下宿に行ったところ、その人が使っているロシア語の辞書があまりも使い込んだためブロッコリーのように花咲いて膨れ上がっていたのに気が付いたと書いてありました。自分自身、受験期間の英語辞書でさえそんなになったことはなく、紙質の良し悪しはあったとしても驚くべき練達ぶりです。外国語をものにするためにはそこまでの努力が必要かと思い、今更ながら半端な我が来し方を思いました。

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 このCDは先日の「十字架上の七つの言葉」SWV478の回と同一のCDで、一枚に二曲が収録されています。淡野弓子氏が代表をつとめる「ムシカ・ポエティカ」のHPによると、この合唱団はユビキタス・バッハという器楽アンサンブルと共に日本キリスト教団 本郷教会 において、Soli Deo Gloria <讃美と祈りの夕べ>というバッハの教会カンタータの演奏会シリーズを続けています。その教会は日本基督教団というプロテスタント合同教団にあって、改革・長老派(カルヴァン派直系)の教会らしく、そういえばBCJの鈴木雅明日氏も改革派教会のオルガニストでした。シュッツ、バッハというドイツのルター派を代表する音楽家の、日本における権威者がいずれも対照的なカルヴァン派の教会に生きる人だったというのは偶然かどうか分かりませんが興味深い現象です。

 この録音では「音楽による葬送」SWV.279-281を19個のトラックに区切って収録していますが、その内でトラック18だけを聖マリア大聖堂で録音しています。他の大半は三鷹市芸術文化センターを使っています。そのトラック18は、全曲の第二部・二重合唱モテットで時間は約3分です。二重合唱の短い楽曲だけを、このシリーズで通常使っているマリア大聖堂で演奏したわけで、細心であると同時に残響が気になるとも思われる大聖堂の会場は、これまでも敢えて選択していたことをうかがわせます。

 それなら他の部分にはそんな残響は控えたことになり、音楽による葬送という作品であることを思えば、引き締まった、幾分冷たい響きの演奏を予想しますが、実際にはむしろ逆のように聴こえました。ロウソクを何本も立てた燭台の明かりを連想させます。それに独唱、重唱は言葉を念入りに噛みしめるように、丁寧に歌い綴っているようで、スラスラと聴きながらドイツ語の言葉が分かって入るくらいならもっと魅力を堪能できるだろうと思いました。

 なお演奏の編成は以下の通りです。合唱が40名(ソプラノ1:9人、ソプラノ2:7人、アルト:13人、テノール:4人、バス:7人)、独唱者は合唱の中から6人と独唱だけ参加が2人です。器楽は3名と指揮の淡野弓子(今回は指揮だけである)で、総勢46名というかなり多人数です。先日の古いフリッツ・ヴェルナー盤の合唱が何名だったか未確認ですが、あまり大規模ではないと思われ、この淡野弓子=ハインリッヒ・シュッツ・東京合唱団の録音は個性的だと思われます。

 作曲者がこれを作った頃、数年間は母や親族をはじめ、友人のヨハン・ヘルマン・シャインら親しい人を亡くしていました。ちょうどその時にロイス公から、こういう葬送の音楽の作曲依頼を受けたわけです。だから、依頼者だけでなくシュッツの死生観も反映されていると考えられます。第三部の「シメオン」の頌歌は、ルカ福音書2章のイエズスの奉献に出てくる老人シメオンが、生まれたばかりのイエズスを抱きながら賛美する歌です。「主よ、今こそ、あなたはおことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます」で始まる言葉です。全曲の最初では無く、最後にこれが出てくるところが象徴的です。

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23 2月

ショルティのロ短調ミサ シカゴ交響楽団・交響合唱団

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J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 BWV 232

ゲオルグ・ショルティ 指揮
シカゴ交響楽団
シカゴ交響合唱団
(合唱指揮:マーガレット・ヒリス)

フェリシティ・ロット(1st・S)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(2st・S/A)
ハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ(T)
ウィリアム・シメル(Br)
グウィン・ハウエル(B)

(1990年1月 シカゴ,オーケストラ・ホール ライヴ録音 DECCA・タワーレコード)

 このCDは、タワー・レコードの企画で復刻されたもので、二枚組・1500円という廉価盤でした。その後輸入盤でも復刻されていたはずです。ショルティの録音レパートリーは大変広く、マーラーやショスタコーヴィチを考えればカラヤンをも超えています。そのショルティは宗教音楽の分野では、ミサ・ソレムニスや天地創造だけでなく、メサイア、マタイ受難曲にロ短調ミサ曲まで録音していました。カラヤンもマタイとロ短調は録音していましたが、メサイアの全曲盤は無かったはずなので、このジャンルでもショルティが抜け出たことになります。磯山雅教授の単行本「マタイ受難曲」の巻末に、マタイの録音(少し古いがかなり網羅的である)への寸評が付されてあり、ショルティのマタイがかなり好意的に書かれてありました。ショルティがメサイアを録音する時には、クリストファー・ホグウッドへ助言を求めてバロック的な演奏にも留意したそうなので、バッハでもそうした姿勢だったのだろうと推測できます。

 このロ短調ミサ曲はショルティの晩年、78歳の年にライヴ録音したもので、1969年から1991年まで音楽監督をつとめたシカゴ交響楽団との演奏です。この頃ならアーノンクールやリフキンはもちろん、ヘレヴェッヘやパロット、レオンハルトにブリュッヘンといった古楽器団体を指揮した録音が、がこの曲をはじめ、バッハの作品でも増えていました。それを考えるとシカゴ交響楽団とシカゴ交響合唱団が演奏したロ短調ミサは、全く対照的で例えばジュリーニ盤(1994年・バイエルンRSO・Rcho)のようなタイプを思い浮かべます。

130223b  しかし、ショルティの世代が指揮するであろうモダン・オケによる普通の演奏とも違うようです。通常のオーケストラの金管楽器の音がよく響いているものの、オーケストラの人数を絞ったということで極端に壮大なタイプにはなっていません。また、合唱曲も第一曲目キリエの冒頭こそ痛切な響きですが、グロリアや特にクレド以降では歯切れよく軽快になっているのが特に印象的です。引きずるように重いといったタイプとは全然違います。独唱陣は最年長のハウエルが52歳で、後は四十代前半、三十代と中堅、若手(最年少はオッターの35歳)を起用しています。なお、アルトのオッターは先日亡くなったエリクソンと同じくスウェーデン人であり、彼から指導を受けていました。ショルティのレパートリーの広さも、何でも網羅的に録音を残そうという考えによるのではないだろうと実感します。

 全体的な印象として、何故か昨夜のエリクソン盤よりも深刻なロ短調ミサに聴こえます。ロ短調ミサ曲の作曲動機や成立について諸説があり、実際にミサ聖祭で使う曲でもありませんが、そうしたことを超えた広がり、現代の価値観を読み込めるような大きさ、深さを印象付けられます。それと同時に恥ずかしくて顔を上げられないような、人目を避けてこっそり隠れていたいような、個人の悩みにも寄り添いそうな狭さ、優しさのようなものを感じさせます。これは不思議な魅力です。

 食生活でカルシウムが不足するとイライラするとか(本当かどうか知らないが、魔夜 峰央の「パタリロ」に出てきた)、ビタミンが不足して口角炎になり、そんな症状が出る頃にはその不足した栄養素を含んだ食べ物が自然と欲しくなる傾向があると聞きます。本当にそうなら、酒飲みが無性に呑みたくなるのと少々違い、体が発するサインのようなものだと思います。それを念頭に置いて、かつて一ケ月くらいの入院期間中にわざわざ買い出しに行ったのが同じバッハの作品でも、この曲ではなくて受難曲だったからには、両作品相互に取り換えがきかないものがあるのかもしれません。  

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22 2月

バッハのロ短調ミサ曲 エリック・エリクソン室内合唱団・1992年

J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 BWV 232

エリック・エリクソン 指揮
エリック・エリクソン室内合唱団
ドロットニンホルム・バロック・アンサンブル

バーバラ・ボニー (S)
モニカ・グループ (A)
クラース・ヘドルンド (T)
グンナー・ルンドベリ (Br)

(1992年11月7-8日 ストックホルム,ベルワルド・ホールライヴ録音proprius)


今日の昼過ぎ、宇治市から京都市に戻る際に醍醐から勧修寺を経由して藤森へ抜ける道を通りました。朝と同じ国道24号を走る気がしなかったので遠回りをしました。明日はその醍醐寺で、巨大な鏡餅を持ちあげる力比べで有名な「五大力尊仁王会」が行われ、また一歩春が近付いた気がします(と書いているくせにここ二十年以上、近くなのに一度も行ったことがない)。法界寺、醍醐寺、勧修寺、一言寺、隨心院らがある山科区の日野から醍醐、小野の一帯も古い家並みが残っていながら、嵯峨嵐山の方が観光地度が高い気がしていました(若い、比較的若い女性の観光客は、圧倒的に嵯峨嵐山方面が多い)。それでもたまに通ると良く見えるものです。 


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 この記事を書こうとしていると、エリック・エリクソン氏が先日2月16日に95歳で帰天されたという訃報がネット上で見つかりました。地上の役務を解かれた上は永遠の安息に憩われることをお祈りします。エリクソンは「合唱の神さま」というコピーが付けられていましたが、たいていは他の指揮者の録音に合唱指揮として参加していて、よく見なければ名前が見つかりませんでした。それが1990年代にバッハの四大宗教作品を続けてライヴ録音して注目されました。これらは75歳前後の頃の録音でした。ロ短調ミサ曲はその最初の録音でしたが、発売は昨年一月に取り上げたヨハネ受難曲の方が早かったかもしれません。このシリーズは、オーケストラはピリオド楽器のオケ、コーラスはその枠にとらわれず現代的な表現といった演奏だと思っていました。また、独唱者も必ずしも古楽がメインの歌手に限っていませんでした。しかしこのロ短調ミサ曲は、合唱部分も抑制が効き、ピリオド系の演奏に傾斜しているようです。先日レコード芸術誌の最新号を立ち読みしていると、音楽史部門でハインリヒ・シュッツ合唱団・東京の新譜、シュッツの「ガイストリッヒェ・コーア・ムジーク(宗教的合唱曲集)」が特選では無く「準特選」になっていました。二人の担当者が準に留めていて、発声、ドイツ語の発音等技術的な面で注文が付されていました。音楽史部門は従来から日本人の演奏家、特に声楽に厳しい印象がありました。身贔屓で何でも推薦・特選にするわけにはいかず仕方無いということでしょう(しかし、もっと演奏の内容、どういう演奏なのか記載してほしいきがしました)。

 そのことはさて置き、発声等の面では合唱の神様であるエリクソンが率いるこのCDの合唱団なら問題無いのだろうと思います。たしかに冒頭のキリエからして滑らかで、柔らかく隙のない整った歌声が際立っています。オケの方も見事な美しさです。それでも、少々粗くても緩くても聴いていて魅力的な(我々素人からすれば)演奏はあるのではないかとも思えます。また、ドイツ語に限らずその作品の歌詞である言語のネイティヴではない演奏者が参加している場合は少なからずあるので、このCDの場合でもドイツ語圏の人が聴けばどう感じるのだろうと思います。 


 エリクソンのバッハは平成10年頃、入院中に抜け出して京都市内のJEUJIYA三条店でマタイかヨハネ受難曲を買って病室で聴いていました。ということは、当時はまだ店頭に並んでいたということです。それなら評判は悪くなかったということですが、十五年近く経て聴いていると、究極的に何を目指しているのか曖昧な気がしてきます。これだけは伝えたいとか、切迫したようなものが薄いようです。蒸し返すようですが、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京の録音はその点が強烈で、それが魅力ではないかと思えます。


19 2月

シュッツ「音楽による葬送」 ヴェルナー、ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団他

シュッツ “ Musikalische Exequien(音楽による葬送) ” SWV.279-281
~ 独唱、重唱、合唱と通奏低音のための 

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フリッツ・ヴェルナー 指揮

ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団

アデーレ・シュトルテ(S)
グンドゥラ・ベルナルト=クライン(S)
クラウディア・ヘルマン(A)
ゲオルク・イェルデン(T)
ナイジェル・ロジャース(T)
バリー・マクダニエル(B)
ヤーコプ・シュテンプフリ(B)
ジェルジェ・テレベシ:ヴァイオリン
ヴェルナー・ハフレ:ヴァイオリン
ヤコバ・ムッケル:チェロ
エヴァ・ヘルダーリン:オルガン

(録音年月日の記載無・未確認 ERATO)

 フリッツ・ヴェルナーと言えばバッハのカンタータ集や受難曲等の録音がまとめて復刻されて、このブログでも何度か取り上げました。しかし手兵である合唱団にハインリヒ・シュッツの名を冠して(ドイツ国内にはアマチュアも含めてシュッツの名をいただく団体が結構あるそうだ)いるのに、そのシュッツの録音をCDで見かけないのが残念でした。このCDは中古ショップで未開封のまま売られていたもので、エラートがワーナーに移籍する以前に復刻された国内盤です。録音年月日の記載が無く、ネット上でも見つかりませんが、1960年代だと思われます。LPも国内盤として出たかもしれませんが全然知りませんでした。CDは「バロック宗教音楽名盤選2」というシリーズで、シュッツのアルバムは他にカイヤール合唱団によるモテット、詩篇というのが含まれています。

 この作品は、古楽のガイドブックにもダヴィデ詩篇と併せて載っていた程なので、シュッツ作品の中でもかなり知名度が高い方だと思います。複数の編者が執筆したそのガイドブックには、ヘレヴェッヘ盤を推奨してありそれが無ければヘレヴェッヘによるシュッツの他の作品を聴いた方が良いとまで書かれてありました(多分そうだったはず)。合唱の扱いが抜群というコメントであったので、ヘレヴェッヘの演奏を思い浮かべるとまんざら誇張でもないと思えます。そうした見方からすれば、フリッツ・ヴェルナーのこの録音は完全に過去のもの、鈍い切れ味の刃物といったところかもしれません。

 この録音は、同じヴェルナーのバッハ演奏よりも気のせいか、さらに芯が強い、力強さが感じられます。初めてこの「音楽による葬送」を聴いたのは、ウィルヘルム・エーマンの録音でしたが、それに似ていながら、より線が太い、男性的な演奏に聴こえます。器楽の編成はヴェルナーの方が簡素になっています。また、エーマン盤に参加していたテノールのイェルデンとソプラノのシュトルテが今回のヴェルナー盤にも出演しています。だから冒頭のテノールのところは同じ声が聴こえてきて、余計に似た空気に思えます。

 どこかで読んだ言葉で「シュッツの録音に決定盤は無い(誰が言ったのか知らないが)」というのがあり、それが通説のようになっているのかどうか分かりませんが、今回のようなタイプの演奏も捨て難い魅力があります。

 シュッツの「音楽による葬送」、通称ドイツ・レクイエムは、昨夜の「宗教的合唱曲集」出版から十年以上さかのぼる1636年に出版されました。同じ年に「クライネ・ガイストリッヒェ・コンチェルト・1部(小宗教的協奏曲集第1部)」も刊行されています。「音楽による葬送」という題名の通り、葬儀のための作品であり、ハインリヒ・ポストゥームス・フォン・ロイス公の依頼により作られました。ロイス公は生前に自分の棺を作らせ、蓋、両側、頭部と足のところに自分の好きな聖句やコラールの詩を刻んでいました。公自身が自分の葬儀の準備として、生前に音楽も用意しようとして、それら棺に刻まれた聖書の言葉などを基にして、シュッツに作曲を頼んだわけで、当時のルター派の葬儀の形式に則った作品となっています。

 全体が三部に分けられ、第一部が「ドイツ語葬送ミサの形式によるコンチェルト」SWV.279、第二部が二重合唱モテット「主よ、あなたさえこの世にあれば」SWV.280、第三部が「シメオンの頌歌」SWV.281です。

 第一部は、旧約のヨブ記の言葉「わたしは裸で母の胎を出た」の独唱で始まる序唱に続き、キリエとグロリアに相当するドイツ語の歌詞と、それに関係のある聖書の言葉が連なります。キリエ・エレイソンは最初の方が、“ Herr Gott Vater im Himmel er barm dich über unns (天におられる主、神、御父よ、われらをあわれんでください) ”であり、最後の方が“ Herr Gott heiliger Geist erbarm dich über uns  (主なる神、聖霊よ、われらをあわれんでください) ”となっています。間のクリステ・エレイソンは“ Jesu Christe,Gottes Sohn, erbarm dich über uns (イエス・キリスト、神の御子よ、わたしたちをあわれんでください)というドイツ語です。この三つの言葉が合唱で歌われ、これらの前に重唱が挿入されるという凝った構成です。グロリアに相当する部分は、聖句の引用構成がもっと複雑でコラールも加わります。

 第一部が葬送でない礼拝でも歌われた(常にかどうかは未確認) キリエとグロリア、ドイツ・ミサに相当する部分であり、第二部の二重合唱モテットは礼拝の説教に相当する部分とされています。詩篇73編25-26の歌詞が充てられた短い楽曲です。だから説教は別にあって、その前か後にこれが演奏されるという形態だと考えられます。日本のプロテスタント教会なら主日礼拝の説教は少なくとも30分程度あるようです。

 第三部は、カトリックの死者ミサにある棺を聖堂から墓地へ運ぶ行列に相当する部分で、ルカ福音書をはじめ黙示録、旧約の「知恵の書」から歌詞が取られています。これも5分程度の短い楽曲です。

 歌詞について、聖書の引用が精緻というか入念で感心させられます。ロイス公という人物はただものではない人だと思えます。ドイツ語圏の人がこの作品の、はっきり言葉が聞き取れる演奏、歌詞の内容を伝えられる演奏に接したなら、大いに心震わされるだろうと想像できます。日本の小さく狭いキリスト教世界においても、日本語でこういう作品を持つことができればいいのにと、ちょっと羨ましく感じられます。

 ところで、今日の午前三時前、京都府南部で震度1強の地震があったそうで、昼間会う人に気が付いたかどうかと尋ねられました。地震の記憶はありませんが、そういえば珍しく三時過ぎにトイレに行ったので、振動で目がさめたのかもしれません。ごく小さな地震ですが、これが何らかの前ぶれでないことを祈ります。 

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18 2月

シュッツの宗教的合唱曲集 ドレスデン聖十字架合唱団

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シュッツ 宗教的合唱曲集 Geistlische Chor-music 1648年 SWV 369-397 

ルドルフ・マウエルスベルガー 指揮 
ドレスデン聖十字架合唱団

オルガン:ハンス・オットー

(1962年11月,1963年1月 ドレスデン,ルカ教会 録音 BERlIN Classics)

 今日は二十四節気の雨水で、ちょうど朝から雨でした。しかもこの時期には珍しいどしゃ降りでした。この水量が雪で降っていれば普段雪が少ないこの辺りでは大騒ぎになるところです。確定申告の受付は金曜から始まっていると思っていたら、今日から受付開始でした。午前中に出すつもりで最終確認をしたところ、一部に前年のデータ・数字を使っていたこに気が付き、間際で訂正することになりました。それ自体は簡単に出来ることですが、何故前年の数字が混入したのかが気になり(他にもあるのか?)ました。開始日の誤解といい、早くも次年度に暗雲が立ち込めているような嫌な展開ですが、これが終わると一年のサイクルが終わったのを実感できます。

130218a_2   ハインリヒ・シュッツの「ガイストリッヒェ・コーア・ムジーク(宗教合唱曲集)」は、1648年、作曲者が63歳の年に出版されました。全部で29曲(第1曲目と第2曲目、第4曲目と第5曲目がそれぞれペアになっているので27曲と数えることもできる)から成り、第1-12曲目が五声部、第13-24曲目が六声部、第25-29曲目は七声部の作品です。なお、第24曲目と第26-29曲目には歌詞が付いていないパートがあり、そこは器楽を充てて演奏するようになっていますが楽器の指定はありません。このCDでは、オルガンの他はドレスデンPOのメンバーが参加して、弦だけでなくトロンボーンらしい金管が目立っています。

 先月のエーマン盤では、上記の五曲以外でも器楽を加えて演奏しています。上記の五曲の中では金管が前面に出ているのは最終の第29曲目だけで、他の四曲はむしろ木管が目立っています。これだけでも雰囲気が違ってきます。新しい録音では、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京の録音でも金管を加えていましたが、バッハ・コレギウム・ジャパンの録音は弦楽とオルガンだけでした。

130218b  下記は宗教的合唱曲集のドイツ語タイトルとその出典を番号順に並べたものです。三十曲近い数のこの曲集は、元々は一回で最初から最後までを演奏する性質では無かったはずですが、全曲盤のレコードでは曲番号順に収録する場合が多いようです。出典はルター訳の聖書だけでなく、ドイツ語のコラールも含まれています。歌詞、出典を詳細に見れば何曲かで、降誕に係るものなど内容が共通しているもので分類できます。しかし、厳密に教会暦に従って作られたとまでは言えないとされています。ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京が2011年9月、この作品を全曲演奏した際には、「亡き方々を悼んで」、「平和を願って」、「救い主を待ち望み、降誕を祝う」、「イエスは語る」という標題の下にグループ化して曲順を変えていました。

Geistlische Chor-music SWV 369-397
SWV 369:創世記49章10-11
Es wird das Szepter von Juda nicht entwendet werden
SWV 370:創世記49章11-12
Er wird sein Kleid in Wein waschen
SWV 371:テトス2章11-14
Es ist erschienen die heilsame Gnade Gottes
SWV 372:ルターのコラール1529年
Verleih uns Frieden genadiglich 
SWV 373:ヨハン・ワルターのコラール
Gib unsern Fursten und aller Obrigkeit Fried und gut Regiment
SWV 374:ローマ14章7-8
Unser keiner lebet ihm selber 
SWV 375:マタイ8章11-12
Viel werden kommen von Morgen und von Abend
SWV 376:マタイ12章30
Sammlet zuvor das Unkraut
SWV 377:詩篇31編2-3
Herr, auf dich traue ich 
SWV 378:詩篇126編5-6
Die mit Tranen saen
SWV 379:ニコラウス・ヘルマンのコラール
So fahr ich hin zu Jesu Christ 
SWV 380:ヨハネ3章16
Also hat Gott die Welt geliebt 
SWV 381:ルター以前の祈祷歌16世紀に独訳
O lieber Herre Gott, wecke uns auf
SWV 382:イザヤ40章1-5
Trostet, trostet mein Volk
SWV 383:ヨハネ1章23,26-27
Ich bin eine rufende Stimme
SWV 384:イザヤ9章6-7
Ein Kind ist uns geboren
SWV 385:ヨハネ1章14
Das Wort ward Fleisch
SWV 386:詩篇19編2-7
Die Himmel erzahlen die Ehre Gottes
SWV 387:マルチン=シャリングのアリア1569年
Herzlich lieb hab ich dich, o Herr 
SWV 388:第一テモテ1章15-17
Das ist je gewisslich wahr und ein teuer wertes Wort 
SWV 389:ヨハネ15章1-5
Ich bin ein rechter Weinstock
SWV 390:フィリピ3章20-21
Unser Wandel ist im Himmel 
SWV 391:黙示録14章13
Selig sind die Toten, die in dem Herren sterben
SWV 392:アルブレヒト・フォン・プロイセンのコラール1554年
Was mein Gott will, das g'scheh allzeit
SWV 393:ヨブ19章25-26
Ich weiss, dass main Erloser lebt
SWV 394:ルカ21章29-31,33
Sehet an den Geigenbaum und alle Baume
SWV 395:ルカ2章8-11,イザヤ9章6
Der Engel sprach zu den Hirten
SWV 396:マタイ2章18
Auf dem Gebirge hat ein Geschrei gehort
SWV 397:マタイ18章32-33
Du Schalksknecht, alle diese Schuld habe ich dir erlassen

 マウエルスベルガー指揮のドレスデン聖十字架合唱団の古い録音は、曲順を変えずにSWV番号順に収録しています。男声のみによる歌唱なので、高音は変声期前の少年が受け持ちますが、この録音はやや甲高い響きが気になります。しかし降誕に係る歌詞なので元来そんな感じということでしょう。ただ、今回のマウエルスベルガーより少し新しいエーマン盤では、歌っている人数が少ないこともあり、高音部も柔らかい響きです。

 宗教的合唱曲集の初版譜には、シュッツ本人の長い「前書」が添えられていました。これには作曲技法上の解説、この作品集の立場、方針等が書かれています。その内容は、パレストリーナに見られるようなポリフォニー・第一作法と、第二作法・「通奏低音上に協奏される作曲様式(レチタトーヴォ様式)」について、後者を用いる場合でも前者の厳格な技法を身につけていなければならないとしています。そして、この「宗教的合唱曲集」において、ポリフォニーの第一作法に立ち返ることを表明しています。そして、作曲の教育に役立てられることを希望しています。そのため、ライプチヒ聖トーマス教会の寄宿学校へ献呈しています。

 不思議なことにこの作品の声楽に合わせる楽器の編成の違いによって、後の作曲家の音楽を感じさせます。金管とオルガンが目立つマウエルスベルガー盤はブルックナーの初期のミサ曲を連想させ、弦楽と木管が目立つエーマン盤はバッハのカンタータ131番「深き淵より」を思わせます。

17 2月

バッハのヨハネ受難曲 ミュンヒンガー 1974年・DECCA

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J.S.バッハ ヨハネ受難曲 BWV.245

カール・ミュンヒンガー 指揮
シュトゥットガルト室内管弦楽団
シュトゥットガルト少年聖歌隊

福音書記者:ディーター・エレンベック(T)
キリスト:ヴァルター・ベリー(Br)

ペトロ:マンフレート・アッカーマン(B)
ピラト:アラン・アーランス(B)
女中:マリアンヌ・コーエンライン=ゲーベル(S)
僕:ヴォルフガング・イセンハルト(T)
エリー・アメリンク(S)
ユリア・ハマリ(A)
ヴェルナー・ホルヴェーク(T)
ヘルマン・プライ(Br)

 
(1974年10月 ルートヴィヒスブルク 録音 DECCA)

 カール・ミュンヒンガー指揮のシュツットガルト室内管弦楽団らのバッハ四大宗教曲は、1964年(マタイ)から1974年(ヨハネ)にかけて録音されました(ロ短調ミサが1970年、クリスマス・オラトリオは1966年)。二つの受難曲には少年聖歌隊を起用している他、ソプラノのエリー・アメリングが四曲に参加しているのが目立つ特徴です。バッハの受難曲だけでなくミュンヒンガーの録音は、ここ二十年くらいでめっきり影が薄くなりました。国内盤ではかつて紙箱仕様でバッハ四大宗教作品がCD化されて以降、姿を消しています。

 昨年九月に取り上げたマタイ受難曲でも感じられましたが、全体的に遅いテンポで進められ、かつてのロマンティックなバロック音楽のスタイルで、もし少年合唱を起用していなければ現代の演奏から見れば厚化粧的に聴こえるかもしれません。それでも室内管以外に、ヴィオラ・ダモーレ、ガンバや木管の他リュートも加え(奏者の名前も記載されている)、福音書の記事に登場する人物の独唱者をアリアの独唱者と別に揃える等、丁寧な録音であったことが分かります。また、通奏低音はチェンバロは使わずオルガンと弦だけです。福音書記者・テノールのディーター・エレンベックは、この録音以外では見たことのない名前です。

 今回ミュンヒンガーのヨハネ受難曲を聴いていて、プロの演奏家や専門筋の見解はいろいろあると思いますが、一般人がバッハの受難曲を漠然と思い浮かべる時、こういう演奏がまず頭の中に流れるのではないかと、改めて思いました。言い換えれば、実際に臨時的にでもアマチュアも含めて幅のある年齢層でヨハネ受難曲を演奏しようとした場合、公約数的に、目指す演奏はこういったところに落ち着くかもしれないと思えます。

 ヨハネ受難曲は、マタイと異なり福音書の記事上は捕縛の場面から始まります。香油を注ぐベタニアの女、オリーブ山(裏切り、否認の予告)最後の晩餐、ゲッセマネの苦しみ等、マタイでは描かれた場面がありません。また、福音書の記述内容の違いから「七言」の言葉も違います。ヨハネ受難曲には、「婦人よ、これがあなたの子だ」:ヨハネ19.26、「私は渇く」:ヨハネ19.28、「すべては成し遂げられた」:ヨハネ19.30の三つが含まれ、歌われます。冒頭の合唱が悲痛な響きであるのと対照的に、十字架上の言葉は十字架以後の未来にも向けられていて象徴的です。

 バッハがルカ受難曲を完成させていたか定かではないようですが、もしそれが見つかったなら、バッハが「七言・十字架上の七つの言葉」にどんな曲を付けたかが明らかになります。マタイ受難曲の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」:マタイ27.46 、を聴く限りはハインリヒ・シュッツの「十字架上の七つの言葉」と同じように、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」を中心にした見解ではないかと推測されます。   

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13 2月

シュッツの「七言」SWV478 淡野弓子・ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京ほか

シュッツ 「イエス・キリストの十字架上の7つの言葉 」SWV478

淡野弓子 指揮
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京

神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団
ヴィオラ・ダ・ガンバ:神戸愉樹美
ヴィオローネ:西澤誠治
ポジティーフ・オルガン:菅哲也、椎名雄一郎

イエス・キリスト:淡野太郎(T)
福音書記者:柴田圭子(S)
福音書記者:淡野弓子(A)
(左の強盗)
福音書記者:鳥海寮(T)
福音書記者:石井賢(B)
(右の強盗)

(2007年9月20日 東京マリア大聖堂 録音 コジマ録音)

 今日は毎年移動するイースターから逆算して「灰の水曜日」に当り、四旬節が始まります。リオのカーニバルのド派手さを見ると(ニュースでチラっと見ただけだが)切り替えはできるのだろうかと思えてきます。気分がハイの水曜日、ではなく、キリスト教の教派によっては「灰の式」、「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」という式文とともに、灰で額に十字の印を付けられる式が行われる日です。旧約聖書にはイスラエルの神に対して背き、罪を犯した者が荒布をまとい、灰を被って悔い改めるという姿が度々出てきます。

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 このCDは先日の「カンツィオネス・サクレ」に続き、淡野弓子、ハインリヒ・シュッツ合唱団らによるシュッツ作品全曲録音の第二弾です。「音楽による埋葬」SWV.279-281「十字架上の七つの言葉」SWV.478がカップリングされています。過去のブログ記事では、アルス・ノヴァ・コペンハーゲンのメンバーが参加したポール・ヒリアー盤を取り上げていました。それに比べ今回のCDは、合唱の人数がかなり多い編成です( 合計34名-ソプラノ:13人、アルト:10人、テノール1・2:5人、バス:6人、独唱者も合唱に参加する )。こうした編成は録音会場と共にこのシリーズの特徴のようです。

 ところで日本の伝統芸能「能楽」のシテ方・金剛流のみに伝わる「雪」という演目があります。上演を観たことはなく、あら筋を読んだだけで、雪の精が登場して舞い、去っていくというシンプルなものでした。およそドラマらしいものは無い不思議な作品ですが、これを演じる側は逆に大変な苦労だろうと想像できます。ハインリヒ・シュッツの「十字架上の七つの言葉」も、そこまで切り詰められて単純でなくても、イエス・キリストが十字架に架けられてから息を引き取るまでの時間を扱った作品なので、最早ドラマらしいものはありません。また、小編成で、演奏に名人を必要としないとされ、簡素なだけにかえって演奏するのは難しいだろうと思います。

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 この作品がいつ作曲されたのか確かではありませんが、1645年頃とされ、「音楽による埋葬」の約10年後の作品です。1648年に終結する三十年戦争によりドイツが荒廃した時期を反映して、宮廷で大掛かりな演奏が可能だった頃とは違い、小編成での演奏を前提にしています。新約聖書の四福音書の八箇所に記された、キリストが十字架に付けられてから話した七つの言葉と、それを説明する福音書記者の独唱が歌うと言う内容です。最初と最後の楽曲が合唱曲、二曲目と終わりから二曲目が器楽五声と通奏低音のシンフォニアが置かれ、まるで大切なものを安置する厨子の扉のような格好になっています。

 七つの言葉、「七言」は、以下のように記され、詩篇22編の言葉だけマタイとマルコの二箇所に載っています。表面的には七つを集めてもストーリー性が出るとまではならず、かろうじて最後の「成し遂げられた」が象徴的です。このCDの独唱者はいずれも素晴らしく迫真だと思いました。

④「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」:マタイ27.46
  「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」:マルコ15.34
①「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているか知らないからです。」:ルカ23.34
③「まことに私は言う。今日あなたは私とともに天国にいるであろう」:ルカ23.43
⑦「父よ、私の霊を御手にゆだねます」:ルカ23.46
②「婦人よ、これがあなたの子だ」:ヨハネ19.26
⑤「私は渇く」:ヨハネ19.28
⑥「すべては成し遂げられた」:ヨハネ19.30

 シュッツはこの作品の中で、七言を上記の順番には並べず変更しています。左端丸付数字の順に作曲して配置しました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」が中央に来るこの順序は、ルター派発足以前から広く歌われていた、七言を順次歌っていくコラール「イエス十字架に架けられしおり(タイトルというより、歌い出しの歌詞)」について、1617年頃からライプチヒの聖トーマス教会の牧師だったヴィンチェンティウス・シュムックが独自に考えて出版したコラールの版と同じ順番です。

 福音書記者を四人の独唱者が受け持ちますが、必ずしも四つの福音書に対応しているわけではありません。福音書記者のパートは独唱に通奏低音が付くだけなのに対して、キリストの言葉の独唱は二声のオブリガートが付いて光背のように装飾しています。これはバッハの受難曲と同じです。

 「十字架上の七つの言葉」はポール・ヒリヤー盤くらいの少人数で演奏した方がふさわしいかと当初は思いましたが、作品の背景や成り立ちを考えると、ダヴィデ詩篇やカンツィオネス・サクラといった作品よりも教会の会衆とより近い距離にあると言えるこの曲は、このCDのようなスタイルも素晴らしいと思いました(残響が気になるものの)。

Lebstu der Weltt,so bistu todt,
Und kränckst Christum mit schmerzen,
Stirbst aber in seinen Wunden roth,
so leber in deim Herzen.

 なお、上記はこの作品の譜面に作曲者が書きこんだ四行詩で、この曲の銘とも言えるものだと解説で紹介されています。日本語訳も出ていましたが、字ずらだけ追っても理解し難いもので、なるほどこの作品を象徴しているように思えます。私も心底理解出来たとは思えません。掲載された文語訳を少しだけ平易にすれば次のようになります。

 「この世に生きるお前、それは死んだお前だ、そしてキリストを悩み苦しめる者だ しかし、キリストの赤い傷口を前にして息絶えたなら、キリストはお前の心に生きるであろう」

 元の邦訳は「彼の赤き傷口に息絶えなば」となっていて、ここが一番の難解なフレーズだと思います。これは新約の使徒書簡に「キリストと共に葬られ」とか「もはや我生くるにあらず」と表現されているのと近い内容かもしれません。この四行詩はシュッツの自作なのか、当時のドイツではお馴染みだったのか未確認ですが、こういう詩がさっと出てくるとは相当追い詰められた世相だったことが想像できます。

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11 2月

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」 ブランディング盤

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モンテヴェルディ 
聖母マリアの夕べの祈り “ Vespro della Beata Vergine, "composti sopra canti fermi ”

イェルク・ブランディング 指揮
ハノーヴァー少年合唱団
ヴォクス・ヴェルデンシス
ヒムリッシェ・カントライ

ムジカ・アルタ・リパ
コンチェルト・パラティーノ

2010年5月24日 ヒルデスハイム 聖ミカエル教会 録音 Rondeau)

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   2月11日は「ルルドの聖母」記念日にして「世界病者の日」です。後者の歴史はまだ浅く、前教皇ヨハネ・パウロ二世により1993年から始まりました。このブログではここ二年、2月11日にモンテヴェルディの聖母晩課を取り上げているので、今年もそれに従い近年の録音を持ってきました(そろそろタネが尽きてきた)。「野ばらの匂う ルルドの岩や」で始まる聖歌にあるように、ルルドは聖母の御出現の地が公式に巡礼地となったもので、不要になった松葉杖や杖等をまとめて置いてある写真を見たことがあり、強く印象に残っています。松葉杖やら眼鏡だけが大量に集められてある写真と言えば、絶滅収容所の写真の中にもその光景を見たことがあり、そちらも強烈に印象に残っています。

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 このCDは三つの声楽団体と二つの器楽アンサンブルの合同で演奏したアルバムです。声楽の方はいずれも戦後設立されたドイツの団体です。器楽の方はムジカ・アルタ・リパが1984年にハノーバーで結成されたドイツのアンサンブルです。アメリカ人の古楽コルネッット奏者ブルース・ディッキーが主催する、コンチェルト・パラティーノからはそのディッキーをはじめバロックトロンボーンの大家シャルル・トゥートら6名が参加しています。そしてブランディングがそれらの総指揮をとっています。

130211b  こうした演奏者の構成、顔ぶれからしてどういう演奏なのかおぼろげながら想像が付けられます。 まず楽曲については、モンテヴェルディが作曲した「聖母マリアの夕べの祈り」に含まれる詩篇歌の前にグレゴリオ聖歌のアンティフォナを付け加えて演奏しています。マニフィカトは一種類だけ、最後に演奏しています。アンティフォナの付加以外には曲順の変更等はありません。また1610年に同じ曲集として出版されたミサ曲も収録していません。

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 この録音は複数の団体の共演が適所を受け持っているだけあって、多様な性格を持つこの作品を広くカヴァーした演奏になっています。ハノーバー少年合唱団だけでなく、混声アンサンブルのヒムリッシェ・カントライが難度の高い曲を受け持ち、グレゴリオ聖歌のアンティフォナは男声アンサンブルが担当しています。これによって、少年合唱による典礼的な雰囲気を前面に出しながら、響きが単調にならず華やかさも出ています。

130211cantorey_2   モンテヴェルディの聖母晩課の録音の中で、少年合唱を起用したものとしてはレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊他によるシュナイト盤がタワーレコードのコラボ企画で復刻されたりで注目されました。しかし、少年合唱・男声だけという演奏はそれだけではなく、ドレスデン聖十字架合唱団フレーミヒ盤モンセラート修道院聖歌隊とプ男声アンサンブルのロ・カンティオーネ・アンティクヮが共演したもの等何種かありました。今回のCDは混声アンサンブルと共演しているので、それらとは異なるものの、似た情緒は感じられます。これは日本語の帯が付けられた仕様がその後出たのか分かりませんが、この曲が好きな人なら要注目な録音だと思いました。

130211palatino  「聖母マリアの夕べの祈り」は、モンテヴェルディがヴェネチアのサン・マルコへ赴任する前に作った曲ですが、金管楽器の響きが目立つ部分があります。少年合唱に関心が行きがちな雰囲気主導の我々一般愛好者は、器楽アンサンブルの方は鈍感な場合が多いかもしれません。それでもこの録音では、何度か来日している古楽器・金管の名手が参加しているだけあって、甲高無く心地よい音色が印象的です。前回取り上げたキングス・コンソート盤の方はややギラついた金属音だったのと対照的です。

130211musicaalta  「聖母マリアの祈り」という作品の、モンテヴェルディが存命時代の具体的な演奏機会等がはっきり分からないので、現代で演奏する場合には特定の祝日を想定するとか方針があった方が面白いとも言えます。その点では今回の録音は地味でもありました。ドイツ語の解説にはその辺の演奏方針等が書いてあるのかもしれません。

 このところ何度か耳鼻科に行ったので、亡父が真珠腫性の中耳炎で苦しんだことが思い出されます。私が生まれた年に一回目の手術をして、その時に片方の聴力を失い、残りの耳に補聴器を付けるという状態になりましたが、同時に顔面神経の切断も伴い、片方の口端が吊りあがったような外見が残りました。我々は大して気にしていませんでしたが、当人は過敏な程気に病んでいました。

  晩年、人工内耳の手術をする際、その前に真珠腫等の隔清手術をすることになりました。ところがその時、口の端の外見を治す手術もしたいと言い張り、合計三度も手術を反復することになりました。人一倍注射や病院が嫌いなくせに、余程口が吊りあがって見えることが気になっていたことを再確認しました。そのことを思い出しながら、今日は寒かったので墓参は止めて、土曜日に回すことにして寝て曜日にしました。

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7 2月

ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京  「カンツィオネス・サクレ」その2

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シュッツ
 「カンツィオネス・サクレ(作品4 フライベルク)」SWV.53-93
~ハインリヒ・シュッツの音楽 Vol. 1 から二回目

淡野弓子 指揮
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
菅哲也:ポジティーフ・オルガン

(2003年9月24,26日・11月26日、2004年6月30日・9月15日、2005年4月21日・9月5,7日・11月18日 東京マリア聖堂 録音 コジマ録音)

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   引き続きハインリヒ・シュッツ合唱団・東京らによるシュッツの「カンツィオネス・サクレ SWV.53-93」の二回目です。シュッツの全作品録音の一作目を飾るこのCDは、四十曲の収録にまる二年をかけています。既に全曲演奏を完結しているので、BCJのように公演に伴って録音する方法もあったと推測できるので、かなり入念な録音だと思います。この作品集の全曲録音はたまたま最近マウエルスベルガーとドレスデン聖十字架合唱団で聴いていましたが、少年を含む男声合唱団であるためか、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京の録音を聴いた時はかなり違った印象を受けました。前者・ドレスデンの方を聴いていると、パレストリーナらのモテットか何かのうように(似た雰囲気)きこえるのに対して、後者・ハインリヒシュッツ合唱団はビクトリアのような幾分ほの暗さと情熱を帯びたような印象を受けます。

 CD:2の曲目は以下の通りです。CD:1と同様番号順に演奏しています。この曲集の場合は連作になっているものが多いので、曲順を変えない方が良いとされています(マウエルスベルガー、ドレスデン十字架合唱団は連作は切り離していませんが、曲順は動かしていました)。

①Aspice Pater piissimum Filium (Prima pars) SWV73
第一部 ご覧ください、御父よ、敬虔の極みにおられる御子を
② Nonne hic est, mi Domine (Secund pars) SWV74
第二部 わが主よ、その方は罪もなく苦しみを受けられたのですね
③ Reduc Domine Deus meus (Tertia et ultima pars) SWV75
第三部(終章) 向けてください、わが主なる神よ
④ Supereminet omnem scientiam (Prima pars) SWV76
第一部 全ての叡智を超えて
⑤ Pro hoc magno mysterio pietatis (Secunda pars) SWV77
第二部 この御恵みの偉大なる奥義に対し
⑥ Domine non est exaltatum cor meum (Prima pars) SWV78
第一部 主よ、わたしの心は驕っていません
⑦ Si non humiliter sentiebam (Secunda pars) SWV79
第二部 もし謙遜な気持ちを忘れ
⑧ Speret Israel in Domino (Tertia et ultima pars) SWV80
第三部(終章) イスラエルよ、主を待ち望め
Cantate Domino canticum novum SWV81
新しい歌を主に向かって歌え 
⑩ Inter brachia Salvatoris mei SWV82
わたしの救い主の腕の中で
⑪ Veni, rogo, in cor meum SWV83
来たれ王よ、わが心に
⑫ Ecce advocatus meus apud te Deum Patrem SWV84
ご覧ください、主よ、父よ
⑬ Domine, ne in furore tuo arguas me (Prima pars) SWV85
第一部 主よ、怒ってわたしを責めないでください
⑭ Quoniam non est in morte qui memor sit tui (Secunda pars a3) SWV86
第二部 お聴きください、死者はあなたを思い出さず(3声)
⑮ Discedite a me omnes qui operamini iniquitatem (Tertia et ultima pars) SWV87
第三部(終章) 皆わたしを離れよ、悪を行う者よ
⑯ Oculi omnium in te sperant Domine (Prima pars) SWV88
第一部 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
⑰ Pater noster, qui es in coelis (Secunda pars) SWV89
第二部 天にましますわれらの父よ
⑱ Domine Deus, Pater coelestis (Tertia et ultima pars) SWV90
第三部(終章) 主なる神よ、天なる父よ
⑲ Confitemini Domino, quoniam ipse bonus (Prima pars) SWV91
第一部 恵み深い主に感謝せよ
Pater noster, qui es in coelis (Secunda pars) SWV92
第二部 天にましますわれらの父よ(SWV89の繰り返し)
⑳ Gratias agimus tibi, Domine Deus Pater (Tertia et ultima pars) SWV93
第三部(終章) あなたに感謝いたします。主なる神よ、天なる父よ

 「カンツィオネス・サクレ」は1625年1月1日に、作品4としてフライベルクで刊行されてシュッツの友人であったエゲンベルク侯ハンス・ウルリヒ(カトリック教徒らしい)に捧げられました。歌詞については前回に記した通り、ラテン語であるだけでなく、カトリックの聖歌や古い教父の著作を編纂したものまで含んでいます。そして作曲技法の面では、次の5つのスタイルに分類され、それが並存しています(CDの解説書による)。

 ① ジョスカン、パレストリーナに代表される古様式のポリフォニー、 そうした古様式の原則から既に離れているもの、 古様式と華やかで協奏的な語り口が混合しているもの、④ モンテヴェルディ、カヴァッリらの新様式や、通奏低音とともに歌われるソリスティックなフレーズに近いもの、完全な新様式。モノディ(通奏低音を伴う独白的な朗唱)、ソロ・アンサンブルによるコンチェルト

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何度か聴いただけではこんなに多様性を持った作品集だとは気がつきませんでした。そうした作曲上の特性、後の曲集ではラテン語(カトリック)とドイツ語(ルター訳の聖書に代表される)が混じっていること等からも分かるように、シュッツはバロックとルネサンスの間を、イタリアとドイツの間を、カトリックとプロテスタントを行来した音楽家生活を送ることを余儀なくされました。カンツィオネス・サクレの場合は、振り子が少しイタリア側、カトリック側に揺れた時期を反映しているのでしょう。それでも、このCDの演奏は晩年の受難曲の世界に通じるようなものが感じられます。

 ところで、CD:2の⑨ “Cantate Domino canticum novum SWV81” は、「新しい歌を主に向かって歌え」というタイトルで、同じ歌詞のドイツ語は " Singet dem Herrn ein neues Lied " となり、バッハのモテットBWV 225 がまさにそれです。曲の長さ、規模も違って全曲が同じ歌詞ではありませんが、溌剌とした曲調は通じるものがあります。シュッツとバッハの百年の年の差、ラテン語とドイツ語の違いを思うと興味深いものがあります(それを今日本人が演奏しているとは)。

 この作品集から23年後の1648年に刊行された Geistliche Chormusik (宗教的合唱曲)SWV 369-397 は、ドイツ語の歌詞であり教会堂(あるいは戦禍で会堂は見る影も無い場合もあったか)の中で歌うことが多かったのに対して、カンツィオネス・サクレは貴族の私的な集まり等で演奏されることを念頭に置いたことが解説冊子の中でも指摘されています。そうだとすれば、四十人という編成での演奏は、作品の性格上どうなのだろうとも考えられます。あるいは、有力な貴族ならなおさら多人数を動員できたのかもしれませんが。シュッツの作品は当然本家ドイツ等でも継続的に録音されていますが、最近の録音の中でもこのCDは個性的なものではないかと思われます。 

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6 2月

シュッツの「カンツィオネス・サクレ」 淡野弓子、ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京

シュッツ 「カンツィオネス・サクレ(作品4 フライベルク)」SWV.53-93
~ハインリヒ・シュッツの音楽 Vol. 1 から一回目

淡野弓子 指揮
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京

菅哲也:ポジティーフ・オルガン

(2003年9月24,26日・11月26日、2004年6月30日・9月15日、2005年4月21日・9月5,7日・11月18日 東京マリア聖堂 録音 コジマ録音)

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ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京は、1968年4月に淡野弓子(旧姓・大橋)らのルネサンス期の作品をレパートリーとしていた「レーベンス・コール」を中心に、ハインリヒ・シュッツの作品を研究、演奏するために設立されました。詳しい情報は、ムシカ・ポエティカ」の公式webサイトに紹介されています。要するに、筋金入りのシュッツ演奏家集団ということで、日本中がバブルに浮かれた1989年10年から12年かけて、2001年10月1日にシュッツの全作品の連続演奏を完結させました。この偉業に続き、今度は「全曲録音」に挑戦しています。このアルバムがその第一作目で、先日最新の第四作目「ガイストリッヒェ・コーアムジーク(宗教合唱曲集)」をリリースしました。

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 今回のシリーズ以前にもシュッツのマタイ受難曲等はLPでも出ていました。またCD化されたものを1990年前後に見たことがありましたが、高価だったので見送っていました。今にして思えば残念なことです。と言うのは、今回の録音が非常に素晴らしいからで、シュッツの作品、その霊性について新たな視界が開けたような気がします。音楽学者の皆川達夫氏がかつて、スペインのルネサンス期の作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリアについて「ビクトリアが『受難』や『死』を歌うとき、狂気にも近い感情の高揚をみせる」と紹介していました。このCDの演奏を聴いているとこの文章が思い出され、「ビクトリア」を「ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京」に、「受難や死」を「シュッツの作品」に置き換えればいい位に感じられます。もっとも、「狂気に近い高揚」というのは少し意味合いが違うようで、「一心不乱に潜心」といった感じです。実際、予備知識無くラテン語の歌詞であるこの曲集の演奏を聴いたら、我々一般のフアンならビクトリアと錯覚するかもしれません。

130206b_2   このCDを聴いてそんな印象を受けるのは、録音している会場が東京マリア大聖堂であることも影響しているかもしれません。朝比奈隆のブルックナーや、濱田芳通とアントネッロらによるモンテヴェルディの録音等も使われた残響の多い会場です。ムシカ・ポエティカのHPによると、淡野氏ら設立前からのメンバーは、1963年7月6日に新宿・厚生年金会館で行われたヴィルヘルム・エーマン指揮、ヴェストフェーリシェ・カントライの公演で初めてシュッツの作品を生で聴き、感銘を受けたのがシュッツに取り組む契機になったと解説されています。その後ドイツに留学して直にエーマン教授から教えを受けています。ただ、最初のシュッツの作品との出会いから四十年がが経過したこの録音は、エーマンとヴェストフェーリシェ・カントライの演奏よりも濃厚なものに聴こえます。

 「カンツィオネス・サクレ」は全40曲から成る作品集なので、CD二枚に渡って収録されています。それでブログの方でも二度に分けて紹介します。下記は一枚目の曲目です。カンツィオネス・サクレの歌詞は、全てラテン語で1.旧約聖書の詩篇と雅歌2.アンドレアス・ムスクルスが編纂して1553年に出版した「個人的、私的瞑想のために」という祈祷書(アウグスティヌス系の教父らの著作)3.新約聖書よりの聖句二節(主の祈りを含む)4.ローマカトリックの典礼で使われる応唱 から取られています。

 例えば①SWV53と②SWV54にそれぞれ一部、二部と表記されているように、二つの楽曲が連作になっています。

CD1
O bone, o dulcis, o benigne Jesu (Prima pars) SWV53
第一部 おお、善き、優しき、慈しみに溢れたイエスよ
Et ne despicias (Secunda pars) SWV54
第二部 そして軽蔑なさらないで下さい
Deus misereatur nostri SWV55
神がわたしたちを憐れみ
Quid commisisti, o dulcissime puer (Prima pars) SWV56
第一部 何をしたというのだ、おお最愛の少年よ
Ego sum tui plaga doloris (Secunda pars) SWV57
第二部 私があなたを苦しめた一撃
Ego enim inique egi, tu poena mulctaris (Tertia pars) SWV58
第三部 私は不正を行い、あなたは償われた
Quo nate Dei, quo tua descendit humilitas (Quarta pars) SWV59
第四部 どれほど深く、神の子よ、どれほど深くあなたの謙遜は下って行くのか
Calicem salutaris accipiam, et nomen Domini invocabo (Quinta et ultima pars) SWV60
第五部(終章) 救いの杯を上げて主の御名を呼ぼう
Verba mea auribus percipe Domine (Prima pars) SWV61
第一部 主よ、わたしの言葉に耳を傾け
Quoniam ad te clamabo, Domine (Secunda pars) SWV62
第二部 主よ、あなたに向かって叫びます 
Ego dormio, et cor meum vigilat (Prima pars) SWV63
第一部 眠っていても わたしの心は目覚めていました
Vulnerasti cor meum, filia carissima (Secunda pars) SWV64
第二部 あなたはわたしの心をときめかす、最愛の娘よ 
Heu mihi, Domine SWV65
ああ、かなしきかな、主よ
In te, Domine speravi SWV66
主よ、あなたに望みをおきます
Dulcissime et benignissime Christe SWV67
優しさの極み、慈しみの極みなるキリストよ
Sicut Moses serpentem in deserto exaltavit SWV68
モーセが荒れ野で蛇を上げたように
Spes mea, Christe Deus SWV69
わたしの望み、主なるキリスト
Turbabor, sed non perturbabor SWV70
わたしは心を揺さぶられたが砕けはしなかった
Ad Dominum cum tribularer clamavi (Prima pars) SWV71
第一部 苦難の中から主を呼ぶと
Quid detur tibi, aut quid apponatur tibi (Secunda pars) SWV72
第二部 主はお前に何を与え何を加えられるであろうか?

 なお、合唱の編成は、ソプラノ:10人、メゾ・ソプラノ:9人、アルト:9人、テナー:4人、バス:7人の計39人で、指揮の淡野弓子がソロ・アンサンブルのソプラノを受け持ちます。他の四人のソロ・アンサンブルは上記の合唱と兼ねて(ソリストも合唱に参加している)いて、それはヴェストフェーリシェ・カントライと同じ方法です。ちなみに、シュッツが40歳になる年に出版されたこの曲集は、楽曲数が40であり、モーセに率いられてシナイの荒れ野をさまよった( 詩篇第136篇の聖歌には「民を率いて荒野を導かれ」という歌詞があり、放置されたわけではない )40年、キリストが荒野で断食をした40日を意識したことが推測され、それを四十人で歌っていることから並々ならぬ意気が察せられます(もっともオルガンを含めれば41人になる)。

 最近はこの手のジャンルも国内盤仕様が無いものが多いので、このCDのように日本語の解説がしっかり載っているのは貴重で、楽しみです。一般人が簡単に手に入れられる出版物には、ハインリッヒ・シュッツについての情報は限られているため、このシリーズは是非完結するまで続いてほしいと思います。

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