①地は震え
②主に向かって喜びの叫びをあげよ
③おお主よ、私はひれ伏します
④-⑨5声のミサ
④-⑨5声のミサ
⑩アレルヤ、アヴェ・マリア-エサイの若芽は
⑪若き男を起こすには
⑫おお主よ、わが神
⑬天にて喜びあれ(第1)
⑭天にて喜びあれ(第2)
⑮われを憐れみたまえ
⑯主よ、あなたの作る道を知っている
⑰主よ怒りたもうことなく
ウィーン・ヴォーカル・コンソート(2010年 ウイーン,マリア・アム・ゲスターデ Klanglogo)
とうとう次の日曜は聖霊降臨の大祝日を迎えます。まだコロナ禍の中にあって会堂に参集してというわけにはいきませんが、聖霊の続唱の言葉が身にしみて何らかの渇きのようなものを覚えます。続唱は16世紀のトリエント公会議で削減されたということですが、その際に存続した四つの中に “ Veni, Sancte Spiritus(聖霊よ来たりたまえ) ” があり、歌詞を見ると日本語の典礼聖歌「聖霊の続唱」にあたるのかなと分かります(細かい部分では違いがあるのかもしれませんが)。マーラーの交響曲第8番の第一部に使われるあれ、「来たれ、創造主なる聖霊 (Veni, creator spiritus)」と紛らわしいですがそっちは続唱じゃなくて賛歌でした。
おおっぴらに集まってミサを行えないという状況には過去にも色々なケースがあったと思いますが、イングランド国教会が制定される頃のウィリアム・バード(William Byrd, 1543年? – 1623年7月4日)もそれを経験していました。代表作の三曲のミサ(3声部、4声部、5声部)は有名で、「水晶のような」と評されたのを読んだことがあり、個人的には声部が少ない方がより魅力的かなと思いました。今回はその中から5声部のミサ曲です。ただ、「D. フレイザーによる合唱編」という注記があり、そもそも合唱で歌う想定じゃなかったのか?、出版された時はどうなっていたのかと思いました。
とうとう次の日曜は聖霊降臨の大祝日を迎えます。まだコロナ禍の中にあって会堂に参集してというわけにはいきませんが、聖霊の続唱の言葉が身にしみて何らかの渇きのようなものを覚えます。続唱は16世紀のトリエント公会議で削減されたということですが、その際に存続した四つの中に “ Veni, Sancte Spiritus(聖霊よ来たりたまえ) ” があり、歌詞を見ると日本語の典礼聖歌「聖霊の続唱」にあたるのかなと分かります(細かい部分では違いがあるのかもしれませんが)。マーラーの交響曲第8番の第一部に使われるあれ、「来たれ、創造主なる聖霊 (Veni, creator spiritus)」と紛らわしいですがそっちは続唱じゃなくて賛歌でした。
おおっぴらに集まってミサを行えないという状況には過去にも色々なケースがあったと思いますが、イングランド国教会が制定される頃のウィリアム・バード(William Byrd, 1543年? – 1623年7月4日)もそれを経験していました。代表作の三曲のミサ(3声部、4声部、5声部)は有名で、「水晶のような」と評されたのを読んだことがあり、個人的には声部が少ない方がより魅力的かなと思いました。今回はその中から5声部のミサ曲です。ただ、「D. フレイザーによる合唱編」という注記があり、そもそも合唱で歌う想定じゃなかったのか?、出版された時はどうなっていたのかと思いました。
混声声楽アンサンブルのウィーン・ヴォーカル・コンソートはヨーロッパでは注目されているアンサンブルらしく、次のアルバムの発表が待たれるという批評があったようでした。これまでマショー、ドイツ語による受難曲というCDを聴いてそういう評判ももっともなことだと思っていました。このアルバムはイングランドの作曲家バードの代表作として、5声部のミサとラテン語、英語歌詞のモテット等を10曲程度収録しています。モテット等の方は英語歌詞だけ、ラテン語歌詞だけを集めて演奏、録音することが多い(厳密に統計があるわけじゃないけれど)ので、三曲あるミサ曲の内5声部だけを選んだことと合わせて意外な選曲です。
実際に聴いてみるとミサ曲だけは過去に聴いた同じ5声のミサとはちょっと違う印象で、澄み切って水晶のような響きというのとは違うもののように感じます。これは編曲の効果なのか、演奏者が狙った効果なのか分かりませんが、こっそり集まってミサという趣とは遠く、広がりを感じさせます。