raimund

続・今でもしぶとく聴いてます

ビクトリア・聖週間の聖務日課

3 4月

ビクトリア 聖週間のためのレスポンソリウム

1504bビクトリア 聖週間の聖務日課集(1585)から18のテネブレ・レスポンソリウム


ラウル・マリャビバレナ 指揮
ムジカ・フィクタ
マリア・エウジェニア・ボシュ(S)
アグニェシュカ・グジヴァチ(S)
ガブリエル・ディアス(A)
ルイス・バドサ(A)
ホセ・ピサロ(T)
ディエゴ・ブラスケス(T)
ルイス・ビセンテ(Bs)
バルト・ファンデウェーヘ(Bs)
 
(2009年3月 マラガ県ロンダ,デスカルソス・ビエホス修道院 )

1504c 今年も聖週間に入り、昨日が聖木曜日でした。それでビクトリアの代表作品である「聖週間のための聖務日課集」からレスポンソリウム集を集めたCDです。スペインの混声アンサンブル、ラウル・マリャビバレナが率いるムジカ・フィクタによるこのアルバムは、同じ曲集から「エレミア哀歌」を集めた彼らのCDから十年以上経って録音されたものです。だから指揮のマリャビバレナ以外のメンバーは入れ替わっています。そのせいもあってか、エレミア哀歌の録音とはちょと印象が違って淡白にきこえます。各声部二名の八名で歌い、女声はソプラノの二名(アルトは男声)だけ、オルガンや金管楽器も無しです。六声部のレクイエムの録音と比べてずっと簡素な編成になっています。

1504 収録されているのは各曜日ごと6曲で全18の楽曲です。だからパッケージに大きく18という数字が表記されています。録音会場はスペインの修道院にある聖堂らしく、パッケージに付いている写真では木製の酒樽が積んであり、フレスコ画が剥げた壁面が見えています。高い天井の割にはあまり残響が強調されていない音質で、この点も他のムジカ・フィクタのCDとはちょっと違っています。でもゴシックの大聖堂の中にはもっと広い空間のところもあるので、こういう感じが普通なのかもしれません。日本のヴォーカル・アンサンブル カペラも朝課を、13本のロウソクを順に消して行って終わるという習慣もそのまま再現して演奏しているらしくて、彼らが歌うビクトリアを聴いてみたい気がします。ジョスカンのミサ曲のCDは独特の音質が大変魅力的でした。

~聖木曜日
私の友は
商人ユダは
弟子の一人が
私は子羊のように
ひとときも
民の長老たちは
~聖金曜日
まるで強盗に立ち向かうように
暗くなり
私の魂を
彼らは私を引き渡した
不敬な者はイエスを引き渡した
私の眼はかすんだ
~聖土曜日
羊飼いたちは去り
おお、あなたがた
すべての者よ見よ、その最期を
王たちは立ちあがった
私は見なされた
主が葬られた後


1504a 聖週間は復活祭、復活の主日の終わりまでの約一週間であり、キリスト教の年間行事の中で一番重大、大掛かりなものです。それに聖木曜、金曜、土曜日は典礼の特徴としても特異な形態になっています。聖木曜には最後の晩餐にまつわる「主の晩餐のゆうべのミサ」が行われ、四旬節期間中はミサの中でグロリア(栄光の賛歌)が歌われなかったのがこの時だけは歌われて、鐘楼の鐘が鳴らされます(鐘楼があればだけど、それに日本なら近所迷惑の点もあるか)。上智大学のイグナチオ教会で鐘楼の鐘が鳴らされるのを初めてきいた時は、火事の半鐘かと思うくらいでびっくりしました(その時は復活徹夜祭)。そしてミサの最後に、閉祭の代わりに聖変化した御聖体を別に安置する場所へ移動させて静かに終わります。その御聖体を翌日、聖金曜日の典礼で拝領することになります。だから、主の晩餐のゆうべのミサから復活徹夜祭までの間はミサが行われず、聖変化も行われません。聖堂内の聖櫃のランプが消され、聖金曜日、聖土曜日の朝課は、そういう異例の状態で行われる聖務日課です。

 まさしく暗闇、特に聖土曜日の朝課は暗闇の底と言える時期です。ということを思い浮かべながら、特に聖土曜日の六曲に注意を集中して聴いてもそんな特別な作品という印象は受けません。俗人としてはそんなところかと思いました。

13 2月

ビクトリア・エレミアの哀歌 タリス・スコラーズ

ビクトリア  聖週間の聖務日課集からエレミアの哀歌
ファン・グティエレス・デ・パディーリャ(c.1590-1664)
「聖木曜日のための哀歌」


ピーター・フィリップス 指揮
タリス・スコラーズ

(2010年? オックスフォード大学マートンカレッジ・チャペル録音 Gimell)

150213za 胡美芳という日本生まれの中国人歌手が途中から福音歌手(ゴスペルシンガーというには歌のジャンルが少し違う)に転向して、主に日本語の讃美歌や新作の聖歌のような歌を歌っていました。そのアルバムのカセット・テープを母が昔持っていて、先日それのケースだけが出て来て中身は無くなっていました。その筋というか、一定の教派の層の琴線に触れそうなナンバー(「キリストにお会いしてから」etc)が並んでいましたが最近は動向を聞かないと思い、ちょっとググってみたら既に帰天されていました。これを機会に過去のアルバムはCD化されていないか探そうと思いました。そんな昨今、カレンダーを見ると来週が灰の水曜であり、もう四旬節がやってきます。

 正直言えば四旬節期間中でも特に生活が改まるわけではなく、大斎を守ったりはなかなかできません。それ以上に告解、ゆるしの秘跡が未だに苦手でどうにも抵抗を感じます。生まれたばかりの幼子のような心とは程遠いのでいかんともしがたいものです。だからせめて耳から入る音だけでも四旬節らしいものを毎年思って、今時分からシュッツやビクトリアなどの作品をよく聴いています。

 このCDはタリス・スコラーズがビクトリアのメモリアル年に合わせて録音したエレミアの哀歌集で、録音年月日の記載が無く、製造、発売年から2010年かその直前に録音されたものと推定しています。同じくビクトリアの「聖週間のための聖務日課集」からレスポンソリウム集、死者のための聖務日課集の三枚を紙箱にまとめたセットに入っています。同世代のスペインの作曲家らしいファン・グティエレス・デ・パディーリャの作品を一曲、末尾に収録しています。

 タリス・スコラーズはこのCDではソプラノ、アルト、テノール、バスの各4名ずつで、各楽曲の声部によって演奏人数を変えているようです。その点は前回この作品のCDで取り上げたスペインのアンサンブル、ムジカ・フィクタと同じですが彼らと違ってオルガンは加えていません。そのせいもあって、さんざん評されているように完璧に緊密で整ったアンサンブルで磨き抜かれた鏡のような響きです。漠然とした感想ですが、ビクトリアの場合はあまりに整い過ぎているというか、他の作曲家の作品を演奏する場合と同じで面白くないような気がします。この作品の場合は、これが聖週間のための作品だとか知らずに聴いたすればそうした背景には気が付ない場合もあるだろうと思います。

150213zb聖なる過越しの三日間の朝課
第一詩編
第二詩編
第三詩編
主の祈り、沈黙
第一読書
エレミアの哀歌と応唱
第二読書
エレミアの哀歌と応唱
第三読書
エレミアの哀歌と応唱

~聖木曜日
①Incipit Lamentatio Jeremiae Prophetae.ALEOH.Quomodo sedet sola civitas.(4声)
 預言者エレミアは哀歌を歌いはじめる:なにゆえ、この都は独りですわっているのか(1章1-5)
②VAU.Et egressus est a filia Sion omnis decor eius(4声)
 栄光はことごとくおとめシオンを去り(1章6-9)
③JOD. Manum suam misit hostis ad omnia desiderabilia eius.(5声)
 宝物のすべてに敵は手を伸ばした(1章10-14)
~聖金曜日
①De Lamentatio Jeremiae Prophetae.HETH.Cogitavit Dominus dissipare murum filiae Sion.(4声)
 預言者エレミアの哀歌:主はおとめシオンの城壁を滅ぼそうと定め(2章8-11)
②LAMED.Matribus suis dixerunt.(4声)
 幼子は母に言う(2章12-15)
③ALEPH.Ego vir videns paupertatem meam in viriga indignationis eius.(5声)
 わたしは主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者(3章1-9)
~聖土曜日
①De Lamentatio Jeremiae Prophetae.HETH.Misericordiae Domini quia non sumus consumpti.(4声)
 預言者エレミアの哀歌:主の慈しみは決して絶えない(3章22-30)
②ALEPH.Quomodo obscuratum est aurum,mutatus est color optimus?4声)
 なにゆえ、黄金は光を失い、純金はさげすまれているのか(4章1-6)
③Incipit Oratio Jeremiae Prophetae.Recordare,Dimine,quid acciderit nobis.(6声)
 主よ、わたしたちにふりかかったことに心を留め(5章1-11 )


 タリス・スコラーズのCDについて、どの作曲家を取り上げていても、日本語で書かれたものは大抵は褒められていて批判的な文章を読んだ記憶はありません。我々一般人の目にふれるものがそんな調子なだけで、専門家、演奏家の間ではそうでもないのかもしれませんがCD付属冊子にもニューヨーク・タイムズ紙に賞賛の記事が載ったと紹介されているようでした。しかし、なんだかんだと言ってもやっぱり凄い美しさだと思います。

5 2月

ビクトリア・エレミア哀歌、ルイモンテの深き淵より ムジカ・フィクタ

150205zaビクトリア  聖週間の聖務日課集からエレミアの哀歌
ぺドロ・ルイモンテ(1565-1627) 深き淵より


ラウル・マリャビバレーナ 指揮
ムジカ・フィクタ

ヨランダ・ラザロ(S)
アレイシャ・ジュンカル(S) 
アリシア・ラモネト(A)
ジョルディ・アベロ(CT) 
リュイス・ビラマジョ(T)
ミゲル・メディアノ(T)
エンリク・マルティネス(B)
トマス・マシェ(B) 
イグナジ・ジュルダ(Org)


(1996年聖週間 マドリッド,コンデ・ドゥケ邸,円天井の間 録音 cantus)


 立春も過ぎた2月5日の今日からブログ六年目に入りました。ちょうど「日本26聖人殉教者の祝日」に当たります。豊臣秀吉の時代の1597年に26人の司祭、修道者や信徒が京都から長崎まで、途中大坂と堺で市中を引き回され、歩いて連行されて磔にされて処刑されました。その道をたどって巡礼するという人もあったようですが、たとえ時間の自由がきいてもとても歩いてそれけの行程をたどるのは無理だと思えてきます。といったところでビクトリアの代表作の一つ、聖週間、あるいは受難週の聖務日課のための作品のCDです。
 
150205z スペインの混声声楽アンサンブル、ムジカ・フィクタは過去に(と言ってもここ1年くらい)ビクトリアモラレスの録音を取り上げていました。それらスペインの作曲家の作品を地元スペインの演奏家が録音したものは少なかったところ、本格的な録音が出てきたとして以前から注目されていたようでした。この録音はムジカ・フィクタのデビュー作品にあたるものの再発売盤で、スペインのアンサンブルによる同曲初の全曲録音と銘打たれていました。全曲といっても「聖週間のための聖務日課集」の内、「エレミア哀歌」の全曲という意味です。あと、末尾に収録されているビクトリアと同年代の作曲家、ペドロ・ルイモンテのモテット「深き淵より」が珍しくて、滅多に演奏されないこの曲の初録音のようです。

150205zb アンサンブルが8人と指揮、オルガンと言う編成で演奏していて、声楽はタリス・スコラーズの半分の人数です(全ての楽曲が同じ人数なのか未確認、CD冊子の表記による)。タリス・スコラーズは女声アルト2名とカウンター・テナーが2名で、ムジカ・フィクタと比率は同じながら女声の数が増えています。それにどこをどうしているのか、ムジカ・フィクタの方が受難とか死者ミサの情感が濃厚で、大げさに言えば炎が揺らいだり灯心が燻るような不思議な魅力があります。きれいに円よりも楕円形回転するといったイメージです。

 ムジカ・フィクタ(musica ficta)とはルネサンス期頃までの教会旋法の時代に、楽譜上に表記されていない半音階的変化(シャープやフラットの付く音)を表し、正式に存在しない音という意味で「正しい音(ムジカ・レクタ)」に対する言葉でした。そんな専門的な語句を眺めていると何となくこのアンサンブルの志向する歌唱がイメージできるようで、とりあえずビクトリアの作品は特別に相性が良いのではないかと思います。先日のウィリアム・バードの作品は逆にタリス・スコラーズのようなタイプが魅力的だと思いました。

 このCDは音質も良くて演奏、収録している会場が作品と演奏の規模にぴったりという感じがします。最初に発売された時からこうだったのか、とにかくなかなか聴けない音だと思いました。ムジカ・フィクタによるビクトリアやモラエス、ゲレーロといったスペインの作曲家のCDがあれば手に入れるよう気を付けて置こうと思いました。ビクトリア作品では、あと同じく聖週間の聖務日課集から「レスポンソリウム集」が何年か前に出ていました。

29 3月

ビクトリア~聖金曜日の音楽、プジョルのヨハネ受難曲 ラ・コロンビーナ

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トマス・ルイス・デ・ビクトリア
~聖金曜日の音楽

LA COLOMBINA(ラ・コロンビーナ)
マリア・クリスティーナ・キール(ソプラノ)
ラウディオ・カヴィーナ(アルト)
ジョゼップ・ベネー(テノール)
ジョゼップ・カブレ(バリトン)

①作曲者不詳:王たちは起ちあがり/彼らは私の衣服を互いに分け合い
②ビクトリア:幼子はその母に言いぬ
③カルドーソ:神殿の幕は二つに裂け
④作曲者不詳:主は悪しき者を笑われる/わたしに逆らって立ち上がり
⑤ビクトリア:汝らは強盗に向かうが如く
⑥ビクトリア:われ我が愛する生命を
⑦作曲者不詳:わたしのために報復してくださる神よ/偽りの舌をもってわたしに語り
⑧ビクトリア:彼らは我を悪人の手に引き渡し
⑨ビクトリア:我が目は涙にくれぬ

⑩ジョアン・パウ・プジョル:ヨハネ受難曲
⑪ビクトリア:おお、道ゆくすべての者よ
⑫ビクトリア:わが民よ

(1997年4月 フランス,ウス、サン・ビセンス 録音  Glossa Cabinet)

 このCDは、スペインの古楽ヴォーカル・アンサンブル「ラ・コロンビーナ」の結成時のメンバーによる録音です。スペインの、と書きましたがソプラノのマリア・クリスティーナ・キールはアルゼンチン出身です。古楽の演奏団体ならイギリス、オランダ、ベルギー出身が目立ち、スペインの大作曲家であるトマス・ルイス・デ・ビクトリアも、録音の面ではイギリスの団体によるものが多数あります。過去記事ではラ・コロンビーナの参加したCDは二種取り上げていましたが、いずれもビクトリアの作品です。今回のCDと共通メンバーはホセ=カブレだけです。

2008年2月録音:晩課(未出版ローマ手稿譜より)
2004年4月録音:聖週間のための聖務日課集・完全版

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 「トマス・ルイス・デ・ビクトリア 聖金曜日の音楽」というタイトルが付いたこのアルバムは、ビクトリアの「聖週間のための聖務日課集(1585年)」から聖金曜日用の楽曲を選び、同時代にスペインで歌われていた曲を付け加えています。日本語帯には「聖金曜日の典礼を再現」と書かれてありますが、実際の典礼の姿そのものではなく、そこで使われたであろうとうする音楽を再構成して演奏しています。だから、咎めの交唱、十字架賛歌等、グレゴリオ聖歌の挿入等はありません。それに、聖金曜日の夜の典礼のための曲だけでなく朝課で使う曲も選んでいます。

 それでもパッシオ・受難曲(ヨハネ受難曲、この部分が一番演奏時間が長い)も演奏されているので、聖金曜日らしい雰囲気は感じられます。ライプチヒでの聖金曜日を再現したヨハネ受難曲のジョン・バット盤を思い出すと、カトリックとルター派、スペインとドイツという違いがあっても「ヨハネ受難曲の朗読-朗唱-受難曲」をした構成は同じであることが分かります。ただ、ビクトリアの聖務日課集にも受難曲が含まれているのに、何故プジョル作曲の受難曲にしたのか等我々には分かりません。

 ところでこのCDではラ・コロンビーナは四名で演奏しています。日本語帯には「ヴォーカル・カルテット」と紹介してあるので、元々はこの人数で発足したようですが、その後の録音では人数が増えてホセ=カブレが指揮も受け持っていました。こういうジャンルでも少ない人数での演奏で、聴く前は貧弱な響きではないかと想像しますが、聖金曜日の音楽にはむしろふさわしいと思えます。聖金曜日の典礼(この日だけは例外的にミサではない)は、入祭唱もなく司祭らは十字架と共に粛々と入堂し、モノクロ的な雰囲気です。

 先日、仮出所してきた旧ライブドアの元社長、ホリエモンこと堀江貴文の会見の映像を見て、健康的に痩せた姿に感心しました。私はこれまで一年間で十数キロ体重が増えたことがあるので、切実に感じました。生活習慣病の人間は合宿形式で奉仕活動に従事すれば大分解決出来て、国保の窮状も改善されて両得だと思いました。聖金曜日は本来大斎を守る日で、カトリック教会では「1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満60歳に達するまでのすべての成人が守る」とされています。

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29 4月

ビクトリア・エレミア哀歌 エル・エスコリアル修道院聖歌隊 

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トマス・ルイス・デ・ビクトリア   「 聖週間の聖務日課 (全曲) 」 から
「エレミア哀歌」

ハビエル・マルティネス・カルメナ 指揮
エル・エスコリアル修道院聖歌隊
レアル・カピリャ・エスクリアレンセ

(2008,2010年、エル・エスコリアル修道院 録音 Dies)

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   聖週間に「パッシオ・受難曲」に絞って取り上げた4枚組CDです。「聖週間のためのレスポンソリウム集」と「エレミア哀歌集」が抜粋してそれぞれ単独のアルバムとして制作されることが多い中で、オリジナルの曲集通りに枝の主日、聖木、金、土曜の各日毎に並べて演奏している珍しいアルバムです。このCDのツボはビクトリアが生まれて没したスペインの修道院聖歌隊を中心にした演奏ということで、少年を含む男声のみの編成です。ルネサンス期のポリフォニー作品のCDは、その時期の作品を主要レパートリーとするアンサンブルのものが多く、少年合唱を含む演奏は技術的に不安があると評されてCD売場でも目立たない扱いのような気がします。一方、グレゴリオ聖歌のアルバムならどこそこの修道院聖歌隊の方が専門家であるような扱いです。

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 技術的にどうかの真偽はともかくとして、宗教音楽・声楽作品は少年合唱はすごく魅力的です(ビジュアルではなく、あくまで歌、声について魅力的だと言っている)。このCDは録音が新しいこともあって、特に美しく整ったアンサンブルだと思います。この聖歌隊は日本で演奏したことがあるようで、あるいは古楽フアンの間では有名だったのかもしれません。とにかく少年合唱に好感を持つ人なら嬉しいCDです。でも、劇的な振幅がある演奏とか、個性が際立っているとまでは言えないので、例えばレコ芸・月評担当の皆川翁なら厳しいコメントになるのかもしれません。

 ビクトリアのメモリアル年(生誕400年)があったおかげで最近はビクトリアの新録音が多数出て、演奏者の方も幅が出てきたのは喜ばしいことです。このCDも、複数回投稿しているからにはかなり気に入っています。

120407d  「聖母の騎士」というカトリック教会の雑誌があり、アウシュビッツの収容所で身代りになって刑死したコルベ神父が日本滞在時代に始めた雑誌としても有名です。その雑誌の2012年・4月号に、ある「最後の晩餐」のフレスコ画について書かれてありました。フィレンツェのサン・マルコ修道院の食堂に掲げてある等身大以上の大きなフレスコ画で、構図もちょっと変わっています。コの字型、あるいはC字型に絵を見る者の正面に向かって開いたテーブルに、イエズス・キリストと11人が、正面から見て顔が分かるかたちで座っています。一人だけ、絵を見る人々に背を向けて、イエズスの方を斜め向いて座る人物が描かれています。これがユダです。その男以外の12人の頭上には光輪(いわゆる天使の輪っか)が描かれてあるのに、逆向きにイエズスら12人と対面する向きで座る彼の頭上にはそれが見当たりません。

 その絵がどうだということになりますが、その大きな絵を見ようとして前に立った人物はことごとく「ユダと同じ側」に立っていることになるのです。「キリストを売った」とか死に追いやった側の人間という見方が、ユダヤ人差別の要素の一つとしてあったのかどうか詳しくは分かりませんが、ドメニコ・ギルランダイヨ作の「最後の晩餐」の絵の前では、誰もがユダと同じ側の人間として絵に取り込まれてしまいます。ビクトリアの「聖週間のための聖務日課集」にも当然受難曲が含まれ(マタイとヨハネ)ています。また、レスポンソリウムの2曲目に「恥知らずの商人ユダは」という歌が入っています。演奏者、聴く側が「わしらもユダと同じだ」という意識があれば、作品も違ったものになるかもしれないと思います。

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7 4月

ビクトリア Passio・受難曲 エル・エスコリアル修道院聖歌隊

120406 トマス・ルイス・デ・ビクトリア  聖週間の聖務日課(全曲)

ハビエル・マルティネス・カルメナ 指揮
エル・エスコリアル修道院聖歌隊
レアル・カピリャ・エスクリアレンセ

(2008,2010年、エル・エスコリアル修道院 録音 Dies)

 このCD(4枚組)はスペインのエル・エスコリアル修道院聖歌隊の自主レーベルが出しているアルバムです。この修道院の建物は、マドリードの北西50キロメートル、グァダラマ山南腹にフェリペ2世(1527-1598)が建設した宮殿兼修道院と紹介されています。修道院聖歌隊なので男声のみで少年を含む編成です。詳しくは分かりませんが、むしろ少年中心で年長者はレアル・カピリャ・エスクリアレンセの方に入っているのかもしれません。

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   ビクトリアの代表作である「聖週間のための聖務日課集(1585年)」は、LP、CDでは全曲が収録されている例は多くなく、「エレミアの哀歌」と「レスポンソリウム」だけが取り上げられています。その二つは聖週間中の木、金、土曜日に使われた楽曲ですが、聖務日課集の中には「枝の主日」のための曲も含まれています。去年に取り上げていたスペインの声楽アンサンブル、ラ・コロンビーナ(ホセ=カブレ 指揮)他による同曲のCDも正真正銘の全曲盤でした。エレミア哀歌とレスポンソリウム以外の曲で注目すべきなのは2つの受難曲・パッシオです。日曜日・枝の主日のミサでは「マタイによる福音書の受難記事」、その5日後の聖金曜日の典礼では「ヨハネによる福音書の受難記事」が朗読、朗唱されますが、この曲集ではビクトリアの作曲です。

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   受難曲と言っても新約聖書の福音書(ラテン語)を歌っているだけの簡素な曲なので、単独で取り上げられて録音される機会はあまりありません。それだけに、典礼での受難記事朗読の空気、占める位置がうかがえます。聖金曜日のヨハネ福音書朗読の場合、キリスト自身の言葉は司祭か司教が担当し、その他の人物を司祭、助祭等が担当しています。現代では信徒の典礼奉仕者等も参加します。参集している信徒は群衆のセリフ、例えば「十字架につけよ」、を受け持ちます。バッハの受難曲なら、福音書記者の独唱者やアリアの歌手が注目されますが、元来の受難記事朗読ではイエス・キリスト自身の言葉が特別に重視されています。そういう意識も込めてバッハの受難曲を聴くと、キリストのパートに名手が配されている演奏は魅力的です。

 聖金曜日の典礼で多くの信徒が担当する群衆の言葉は「その人ではなくバラバを」とか「十字架につけろ」といった類ばかりで、群衆心理だとしても人の罪深さの一端を実感できます。

 バロックやそれ以前の作品を少年合唱を起用して男声のみで演奏するスタイルは、技術的な面で不安定等と評されることが多いですが、ビクトリアの聖週間の聖務日課を全曲録音したこのアルバムは貴重です。今のところこの作品の全曲盤はブログで取り上げた2種しか確認できていませんが、過去には何種かあったようです。日本では特に地味なジャンルなので知らない間に発売され、消えていることがあります。

 夜に認知症を扱ったTV番組をたまたま見かけ、相談に来ていた男性(患者と言うべきなのか)が、毎日自分の行動を記したノートを持っていました。ブログを始める時に、日記的要素も重視しようかと思っていましたが、詳細に書くと仕事絡みで書いている本人が特定されそうなので最小限にとどめて来ました(カミングアウトしていない)。先日、自分で食べようと思って持ってきたバナナを何故か椅子の上に置いていて、手洗い・洗面所に行き、戻った時にそのバナナを敷いて座り続け、朝食が終わって立ちあがってようやく気が付くという、ショッキングなことがありました。わずかの間にバナナを忘れて座り、潰してしまうとは、先が思いやられそうです。

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6 4月

ビクトリア 聖週間のレスポンソリウム集 ザ・シックスティーン

ビクトリア 聖週間のレスポンソリウム集
 
ハリー・クリストファーズ 指揮
ザ・シックスティーン

(1990年5月 ロンドン、セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会 録音 Emi Virgin)

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 今日は聖木曜日で今年もイースターシーズンの「聖なる過越しの三日間」がやってきました。ヨーロッパや南米の国の中には祝・休日になるところもありますが、日本では特に変化も無くクリスマスのような商習慣にもなっていません。聖木曜は洗足木曜日とも呼ばれ、夜には「最後の晩餐」を記念する「主の晩餐の夕べのミサ」、午前中は司教座聖堂なら「聖香油ミサ」が行われます。キリストの御受難・十字架刑の金曜日とは対照的に、四旬節中にもかかわらずどこか明るく祝賀的な雰囲気なのが聖木曜日です。夜のTVニュースの中で、東京ディズニー・ランドが春のパレードとして「イースター」を取り入ている映像が流れていました。

 昨年が生誕400年のメモリアル年だったスペインの作曲家、トーマス・ルイス・デ・ビクトリアの「聖週間のレスポンソリウム集」は、「聖週間のための聖務日課集」から木、金、土曜の三日間分のレスポンソリウムだけを抜粋したものです。同様にレクチオ・読書課を抜粋した「エレミヤの哀歌集」と併せて、聖務日課集の音楽的な枢要部を構成しています。曲目は下記の通り6曲ずつ3日分で18曲から構成されます。

(聖木曜日のための)

第2夜課
わが友は口づけの印を
恥知らずの商人ユダは
わが弟子のうちのひとり

第3夜課
われは汚れなき子羊のごとく
ひとときも警戒なしでいられようか
人びとの長老

(聖金曜日のための)

第2夜課
汝ら盗賊を捕えるごとく
あまねく暗くなりて
わが愛する魂をば
第3夜課
われは不正な者の手にわたされ
不正の者はイエスを裏切り
わが眼は涙にくもりて

(聖土曜日のための)

第2夜課
われらが羊飼は隠れたまいぬ
おお、この道を行ったすべての人よ
見よ、正しき者の最後を

第3夜課
地上の王たちは同盟を結び
われは墓に降りる人びととともに敬う
主は埋葬された

 この作品は過去にブルーノ・ターナー指揮、プロ・カンティオーネ・アンティクワ(1978年録音 DHM)のCDを記事投稿していました。今回のハリー・クリストファーズ指揮、ザ・シックスティーンは1977年設立の同じくイギリスの声楽アンサンブルです。前者が男声アンサンブルであるのに対してこちらは混声です。また、レパートリーはより新しいバロック期の作品等も手がけています。

 1990年録音のこのCDは、当初から定評があった(元々録音が多いジャンルとは言えないが)ようで、確か古楽CDのガイド本のような単行本でも、「情熱的な歌唱、表現」と特記されて取り上げられていました。その評はちょっと大げさとも思いますが、感情がこもって振幅のある歌声です。ザ・シックスティーンは他にもビクトリアの作品を継続的に録音していて、特にレクイエムが印象的です。ビクトリアの作風の解説に付いて回る情熱的、感情の高揚という言葉を実感できる演奏です。ビクトリアの演奏については、タリス・スコラーズよりも我々一般人にとっては分かり易いのではないかと思えます。

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3 8月

ビクトリア エレミアの哀歌 アンサンブル・ブルス・ウルトラ

ビクトリア エレミヤの哀歌(聖週間のための聖務日課集)

マイケル・ヌーン 指揮 アンサンブル・プルス・ウルトラ

(2008年1月16-18日 ケンブリッジ、チェスタートン、聖ジョージ教会  録音 Universal Spain )

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 これはマイケル・ヌーン率いるアンサンブル・ブルス・ウルトラによるビクトリアの作品集(全集か?)の第2巻です。今回は「聖週間のための聖務日課集」の中から、旧約聖書・「哀歌(エレミアの哀歌)」に基づく9曲のレクツィオを中心に、モテット、レスポンソリウムを演奏しています。HMVのサイトに掲載されている解説によれば、このCDはヴァチカン所蔵のビクトリア自身の監修による写本・譜面を使用した世界初の録音です。 昨日のパレストリーナの聖土曜日の音楽にも哀歌が含まれていたように、聖なる過越しの三日間(木、金、土曜日)の聖務日課には、哀歌が朗読・朗唱されてきました。現代では、聖土曜日の夜の宵の口から復活徹夜祭を行う場合が多いので、土曜日≒復活祭というイメージがあります。それでこのブログも、昨日のような聖土曜日の音楽をピックアップし損ねがちなので、戦禍荒廃を思い起こさせる8月に哀歌のCDを引っ張ってきました。

 ビクトリアはローマに滞在していた時期があって、それはパレストリーナの活動した期間に重なるためビクトリアはほぼ間違いなくパレストリーナに何らかの教えを受けているだろうとされています。一方でパレストリーナの作品より感情の起伏に富んでいて情熱的と評されます。そう意識して昨日の録音と比べて聴くと、おぼろがながらビクトリアらしさを実感できます。

①まことに私たちの弱さを
Vere languores nostros](モテット;4声)
②ヘブライの子らは
Pueri Hebraeorum](アンティフォナ;4声)
③エレミアの哀歌が始まる
Incipit lamentatio](聖木曜日の第1レクツィオ;4声)
④乙女シオンより去り
Vau. Et egressus est](聖木曜日の第2レクツィオ;4声)
⑤敵は手を伸ばし
Jod. Manum suam](聖木曜日の第3レクツィオ;5声)
⑥おお、主イエズス・キリストよ
O Domine Jesu Christe](モテット;6声)
⑦主は滅ぼそうと定め
Heth. Cogitavit Dominus](聖金曜日の第1レクツィオ;4声)
⑧幼子は母に言う
Lamed. Matribus suis](聖金曜日の第2レクツィオ;4声)
⑨私は知る者
Aleph. Ego vir](聖金曜日の第3レクツィオ;5声)
⑩おお、あなたがた道行くすべての者よ
O vos omnes](レスポンソリウム;4声)
⑪主の慈しみは尽きず
Heth. Misericordiae](聖土曜日の第1レクツィオ;4声)
⑫なにゆえ黄金は光を失い
Aleph. Quomodo obscuratum](聖土曜日の第2レクツィオ;4声)
⑬エレミヤの祈祷が始まる
Incipit oratio Jeremiae](聖土曜日の第3レクツィオ;6声)

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 イギリスの混声アンサンンブルであるアンサンブル・ブルス・ウルトラは今回は各パート3名で歌っていて、最高声部・ソプラノだけが女声です。“ Plus Ultra ”とはラテン語で「もっと向こうへ」、「さらなる前進」という意味だそうです。このシリーズは、マドリード貯蓄銀行文化財団をスポンサーとする「黄金時代シリーズ(Los SIGLOS de ORO)」プロジェクトの一環だそうで、ビクトリアの没後400年を迎える今年、7月に完結しています。地元スペインの演奏家を起用しないで、ドーバーを挟んでかつては戦って負けたイギリスのアンサンブルで全巻録音製作するとは、余程実力が評価されてのことでしょうか。

 このシリーズのCDで記事投稿するのは今回で5回目(1~5巻)です。基本的にとっつきやすく、整っていて美しい歌唱ですが、ビクトリアの作風を説明する文章に書かれた特徴からすれば、もっと激しい演奏があっても面白いのではないかと思います。

ENSEMBLE  PLUS  ULTRA
sopranos:グレース・デヴィッドソン、ユリア・ドイル、カティ・トレセウェイ
altos:クレア・ウィエウキンソン、マーク・チャンバース、デェイヴィッド・マーティン
tenores:アシェリー・トゥーネル、トマス・ホッブス、ワーレン・トレヴェリヤン-ジョ-ンズ
bajos:サイモン・ギャリアー、ジミー・ホリデイ、スチュアート・ヤング

  通称「キリスト看板」という、黒い板に白か黄色の文字で「死後裁きにあう」とか短いフレーズを書いた看板が貼られているのを見かけます。あれは「聖書配布協力会」という団体の活動らしく、他に街宣車を使ってスピーカーでメッセージを流す行動も見かけます。先週の朝、京都市役所の南側、御池通でその「キリスト看板」の大きい物を持って立つ男性を見かけ、ちょっと驚きました。中の人というか正体を初めて見ましたが、日本人か少なくとも東洋人に見えました。

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 冗談で、「看板を持ってるからといって盃交わした舎弟とは限らん、バイトかもしれん」とか言っていると、今度は職場事務所の郵便受けに件の配布協会のパンフレットは投函されていました。まさか目をつけられたのではないでしょうが、これは新しいパターンの活動でした。この活動や団体、詳しいことは知らないものの、どこか気味悪く、教会に出入りする人間の間でも評判は良くありませんでした(中には見習え、と賞賛する団体もあるのかも)。パンフレットをざっと読んで一つ気が付いたことは、「聖書配布協力協会」が扱う日本語訳聖書は「新改訳」と呼ばれるものだということでした。新改訳聖書は、プロテスタントの主にアメリカ合衆国経由の保守的な(根本主義的な、とも言えるか)教派が推奨するもので、日本聖書刊行会が翻訳しています。この点からもどういう団体か推測できます。ちなみに日本語訳聖書で一番普及しているのはおそらく日本聖書協会が刊行する、新共同訳、口語訳だろうと考えられます。

 Tomas Luis de Victoria (トマス・ルイス・デ・ビクトリア 1548-1611年 )が生きた時代、教会の中で信じられ、浸透していた事柄というのは例えば、根本主義とか原理主義と呼ばれるものとさして変わらなかったのか、ちょっと気になります。ブルックナーの声楽作品を解説した文章に、ブルックナーの信仰心を、音楽学者のアルフレート・アインシュタインが「父なる神の愛を受けている子供のひとりであるという信念」と称したものと同様と評して、中世の神秘主義者、現代の哲学者の盲目的、超俗的な信仰心であると結んでいます。またフランスで言われる「炭焼き職人の信仰」とも言うべき純朴な信念と言い変えています。そんな純朴なものがこの世の中にあるのか?と思えてきますが、とりあえず現代見かける件の看板やらは、純朴というには何かが違うように思えてきます。

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23 4月

ビクトリア エレミア哀歌(聖週間聖務日課) ラ・コロンビーナ他

トマス・ルイス・デ・ビクトリア 聖週間のための聖務日課集・完全版~

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   ホセ=カブレ 指揮 ラ・コロンビーナ

ソプラノ:ラケール・アンドゥーザ、モニカ・マウフ

アルト:オウドリー・ブルゲナー

コントラル・テノール:ホセプ・ヘルナンデス・パストル

テノール:ホセプ・ベネット、フランチェスク・ピツァロー

バリトン:ホセ・カブレ、バス:ダニエル・カツノヴィッチ

 フアン・カルロス・アセンシオ 指揮 スコラ・アンティクア

(2004年4月 クエンカ宗教音楽祭・スペイン 録音 GLOSSA)

 今回も水曜日に続いてラ・コロンビーナ他によるビクトリアの「聖週間のための聖務日課集」完全版です。エレミアの哀歌は、「聖週間のための聖務日課集」の中に収められている曲で、下記のように聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日の朝課のために3曲ずつ全9曲あります。エレミアの哀歌は、ビクトリア以外の作曲家も作曲しているはずです。CDでビクトリアの「エレミアの哀歌」というアルバムがあれば、通常は下記の9曲が収められるか、モテットを何曲か付加しているという構成です。旧約聖書の中の一巻、「哀歌」に曲を付けたもので1~5章から抜粋しています。

110422 CD1

<聖木曜日の朝課>
第1レクツィオ 1・1-5:“ エレミアの哀歌が始まる ”
第2レクツィオ 1・6-9:“ 乙女シオンより去り ”
第3レクツィオ 1・10-14:“ 敵は手を伸ばし ”

CD2

<聖金曜日の朝課>
第1レクツィオ 2・8-11:“ 主は滅ぼそうと定め ”
第2レクツィオ 2・12-15:“ 幼子は母に言う ”
第3レクツィオ 3・1-9:“ 私は知る者 ”

CD3

<聖土曜日の朝課>
第1レクツィオ 3・22-30:“ 主の慈しみは尽きず ” 
第2レクツィオ 4・1-6:“ なにゆえ黄金は光を失い ”
第3レクツィオ 5・1-11:“ エレミヤの祈祷が始まる ”

 朝課とは一日の聖務日課の内最初、日の出前に行われるものでした。この聖週間の3日間の朝課は「テネブレ(暗闇の朝課)」とも呼ばれ、典礼の最後にロウソクを1本ずつ消していき、最後は全部消えて真っ暗になり、福音書の記事にある天変地異を象徴する大きな音で閉じられるという独特のものだそうです。各曜日毎の朝課は、エレミアの哀歌の前に詩篇歌等があり、その後にレスポンソリウムが歌われます。

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   ビクトリアによる「エレミアの哀歌」は近年、ピーター=フィリップスとタリス・スコラーズ(2010年)、ハリー=クリストファーズとザ・シックスティーン(1998年)、マイケル=ヌーンとアンサンブル・プルス・ウルトラ(2008年)等の録音があり、いずれもイギリスのアンサンブルでした。それらと比べてこの録音は、スペインの古楽団体による演奏であること、本来の朝課により近い形態で演奏しているのが特徴です。ラ・コロンビーナは他にもビクトリアやゲレーロ等スペインルネサンス期の作品を録音しているようですが、このCDしか聴いたことがありません。スコラ・アンティクアは、グレゴリオ聖歌の研究演奏を目的とした団体で、他にフランシスコ・ザビエル(ザベリオ)生誕500年の2006年来日時ライブ録音があります。それは演奏会というよりも、大分でのミサを収録した記録と、グレゴリオ聖歌の録音による2枚組でした。教会付属の書店で購入していたそのCDの演奏団体と今回のビクトリアのCDの演奏者が同じだったとこれを書く時にはじめて気が付きました。

110423c  このCDはそうした本家のスペインの団体による演奏という点だけでなく、演奏自体がとても感動的でした。演奏しているのは2つの団体合同なので、上の写真(24人)のような大編成の部類になります。上記紹介のイギリスのアンサンブルよりは5割増しくらいのはずで、最近の古楽演奏のスタイルからすれば古いと言えるのかもしれません。しかし、情緒的に訴えかけるものがあり、ビクトリアの作品について評される特徴を現しながら、非常に清らかで美しいものです。ビクトリアの特徴の例として、皆川達夫氏の著作「中世ルネサンスの音楽(講談社学術文庫)」に次のような記述があります。「とくにレクイエムや聖週間聖務曲集でビクトリアが『受難』や『死』を歌うとき、狂気にも近い感情の高揚をみせる。」この演奏からその言葉の一端がうかがえます。ただやっぱり、マイケル=ヌーンとブルス・ウルトラによる「ミサ・アルマ・レンプドリス」の時も思いましたが、「狂気」という表現はどういうところから来るのかはちょっとよく分かりません。

 この「聖週間のための聖務日課集・完全版」はかなり感動的で、他にはレスポンソリウム集として何種も録音が出ている18曲(6曲ずつ3日間分)とラテン語による受難曲・パッシオもあります。特に後者は他に録音が見当たらず、それに反比例してひときわ感動的です。簡単に言えば先日のグレゴリオ聖歌・聖なる過越しの三日間のパッシオの、福音書記事の登場人物の歌をポリフォニー化したものです。こうしたラテン語の受難曲・パッシオを聴くと、ハインリヒ・シュッツのドイツ語の受難曲と近いものを感じます。ただシュッツの3つの受難曲が水墨画のように感じられるのに対して、ビクトリアの方はろうそくの燈明か活けられた花を感じさせられます(よくもわるくも)。聖週間は今日で終わりなのでまたの機会に取り上げたいと思います。

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20 4月

ビクトリア・聖週間のための聖務日課 全曲 ラ・コロンビーナ他

トマス・ルイス・デ・ビクトリア 聖週間のための聖務日課集・完全版

110420b CD1
1-5:Dominica in Ramis Palmarum(枝の主日)
6-21:Feria quinta. In Coena Domini(洗足の木曜)

CD2
1-19:Feria sexta. In Passione Domini(聖金曜)

CD3
1-17:Sabbato Sancto(聖土曜)

  ホセ=カブレ 指揮 ラ・コロンビーナ

ソプラノ:ラケール・アンドゥーザ、モニカ・マウフ

アルト:オウドリー・ブルゲナー

コントラル・テノール:ホセプ・ヘルナンデス・パストル

テノール:ホセプ・ベネット、フランチェスク・ピツァロー

バリトン:ホセ・カブレ、バス:ダニエル・カツノヴィッチ

 フアン・カルロス・アセンシオ 指揮 スコラ・アンティクア

(2004年4月 クエンカ宗教音楽祭・スペイン 録音 GLOSSA)

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 今年はスペイン・ルネサンス期最大の作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548-1611)の没後400年にあたります。「聖週間のための聖務日課集」は、1585年の作品であり、ビクトリアの最高傑作とされています。この作品は枝の主日(イースター・復活の主日の1週間前の日曜)、聖木曜日聖金曜日聖土曜日の聖務日課(一部夕べのミサ、典礼ための音楽も含む)で、少々複雑な内容になっています。また、ビクトリアは聖務日課のための音楽を全てカバーして作曲いるのでもなく、実際に使う場合はグレゴリオ聖歌と組み合わせることになります。この点はモンテヴェルディの聖母マリアの夕べの祈り(聖母晩課)と似ています。もっとも、現代のカトリック教会では第二ヴァチカン公会議により、司祭、修道者のための「聖務日課」というものも改められて「教会の祈り」という祈祷集になっています。

 ビクトリアの代表作として何種も出ている録音は、この「聖週間のための聖務日課集」の中から、「エレミヤの哀歌集」、「レスポンソリウム集」だけという形が大半でした。後者は昨年に、ブルーノ・ターナー指揮・プロカンティオーネ・アンティクワによるCDを取り上げていました。このCDは全37曲を演奏録音している珍しいものです。エレミアの哀歌は、旧約聖書に含まれる文書の一つです。エルサレムの破壊とバビロン捕囚を悲しむ歌とされていて、聖木、金、土曜に朗読されてきました。

 このCD3枚組の「 聖週間のための聖務日課集 」は完全版と銘打っているので、2曲の受難曲等も含んでいます。完全版・全37曲の数え方が分かりませんが、CDのトラック分けは各21,19,16となっているので、曲集に含まれない楽曲も演奏されているのかもしれません。詳細は以下の通りで、「アンティフォナ・序詞」はトラックが2曲に分けらていますが、モンテヴェルディの解説から推定で1つに数えています(それでもまだ多い)。

<枝の主日の聖務日課>
王の御旗は翻る
アンティフォナ:ダヴィデの子にホザンナ
アンティフォナ:ヘブライの子らは
マタイ福音書による受難曲
おお主イエズス・キリスト

<聖木曜日>
 -朝課-
アンティフォナ・序詞
 ~哀歌
第1レクツィオ(4声):“ エレミアの哀歌が始まる ”
第2レクツィオ(4声):“ 乙女シオンより去り ”
第3レクツィオ(5声):“ 敵は手を伸ばし ”

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
わが友は
悪の商人ユダは
わが弟子の一人が

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
われは罪なき羊のごとく
一時間われとともに
人々の長老らは

- ミサ -
タントゥム・エルゴ

<聖金曜日>
 -朝課-
アンティフォナ・序詞
 ~哀歌
第1レクツィオ(4声):“ 主は滅ぼそうと定め ”
第2レクツィオ(4声):“ 幼子は母に言う ”
第3レクツィオ(5声):“ 私は知る者 ”

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
汝らは強盗に向かうがごとく
暗闇となりぬ
われ、わが愛する生命を

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
彼らはわれを悪人の手に引き渡し
不信心なる者、イエスを引き渡しぬ
わが目は涙にくれぬ

- 賛課 -
アンティフォナ

-主の受難-
ヨハネ福音書による受難曲
 ~十字架の礼拝
本当にわれわれの弱さを
見よ十字架の木

<聖土曜日の聖務日課>
アンティフォナ・序詞
 ~哀歌
第1レクツィオ(4声):“ 主の慈しみは尽きず ” 
第2レクツィオ(4声):“ なにゆえ黄金は光を失い ”
第3レクツィオ(6声):“ エレミヤの祈祷が始まる ”

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
われらが牧者は去りたまいぬ
おお、道ゆくすべての者よ
見よ、いかに正しき者死すとも

アンティフォナ・序詞
 ~レスポンソリウム
地上の王らは立ち上がり
われは墓穴に下りし者のうちに
主が葬られたまいし後

- 賛課 -
アンティフォナ
アンティフォナ

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 日本語解説文やビクトリアの単行本というのが無いので、曲目等はCDの解説文に散在する用語を集めて推測した程度です。このCDではパッシオ・受難曲が含まれているのが珍しく、ハインリヒ・シュッツの受難曲が好きなら興味が持てると思いますが、簡素で西洋のお経ともとれるものです。単に曲数が多くて珍しい企画というだけでなく、ラ・コロンビーナの歌唱は素晴らしく既存の団体によるビクトリアと比べても抜きん出ているのではないかと思えます。とても1回の投稿で扱えるものではないので、今回はこれくらいにします。

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