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新・今でもしぶとく聴いてます

20 9月

ブルックナー交響曲第6番 ティーレマン、SKD/2015年

170920aブルックナー 交響曲 第6番イ長調(1881年ノヴァーク版)

クリスティアン・ティーレマン 指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

(2015年9月13,14日 ドレスデン,ザクセン州立歌劇場 収録 C Major)

170920b 今朝なのか、日付が変わった深夜だったのか、まだ真っ暗な時間帯に飛行機のエンジン音か何かで目がさめました。起きてから何人かに聞いてみたら皆知らないと言ってたので、あるいは夢だったのか、とにかくヘリコプターではなく、不気味な音でした。だから一瞬自衛隊機が出動しているのかと本当に思ったくらいです。「挑発にのるな福田!! そいつは口ばっかり達者な男だ!!」、これは高校バスケットを舞台にした漫画「スラムダンク」の登場人物である田岡茂一、陵南高校監督の試合中のセリフでした。わざわざ載せたのは、米国大統領の国連総会での演説よりもこれ以上核実験とか弾道ミサイルの試射は止めてね、という気持ちを込めてのことで、むしろ口だけであった方が良いと。それからスラダンのキャラ中で茂一は好きな人物なので。

 それとは関係なくブルックナーの交響曲第6番の映像ソフト、ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンの地元での公演を収録したものです(過去記事の第9番はバーデン・バーデンでの公演だった)。収録が二日にわたっているのは二回公演だったからか、リハーサルを含んでのことなのか、もし前者だったら第6番がメインで二回公演が出来るとはさすが本場といったところです。そう言いながらここ十年くらいでブルックナーの交響曲を収録した映像モノが徐々に増えて、第6番でさえ下記の三種が出ています。

ティーレマン・SKD/2015年
①16分00②17分58③08分27④14分32 計56分57
バレンボイム・SKB/2010年
①14分53②15分13③08分41④13分31 計52分18
ヴァントNDRSO/1996年(シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭)
①17分08②16分07③09分08④14分28 計56分51

 今回の第6番はかなり素晴らしくて、第7番以降と同じ枠組みといった堂々とした内容になっています。先日のバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのものよりも更に精緻で、それだけでなくいわゆるブルックナーらしいタイプだと思いました。トラック・タイムを見るとヴァントの1996年収録と合計時間が同じくらいになっています。ただ、アダージョ楽章をティーレマンがより時間をかけて演奏していて、第1楽章と第2楽章の長さが逆転しています。好みとしては緩徐楽章は速目に、という方なのですが、この第6番はそれでも魅力的です。

 視聴して印象深かったのは第4楽章が終わり、音が消えてしばらくはティーレマンがなかなか手を下さない姿で、その間は客席も静まりかえっていてフライングで拍手したり叫ぶ人が無かったのは見事でした(編集したのか??、と思うくらい)。第6番の第4楽章は神秘的に終わるというよりは直後に歓声があがるタイプに近いので、この反応はなおさら印象的です。交響曲第6番は長らくクレンペラーのEMI盤が強烈に刻まれていて、その後1990年代にアイヒホルンとリンツ・ブルックナーOを聴いてようやく違うタイプにも惹かれるようになりました。あと、ライトナーとバーゼル交響楽団というのもありましたがCDを大量処分した時に手放してしまい、それ以来全く見かけません(どいうい演奏だったか今一つ覚えていないけれど)。
19 9月

ブルックナー交響曲第9番 ハイティンク、ACO

170919ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調(ノヴァーク版)

ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1981年11月12日 録音 ユニヴァーサル/Philips)

170919a もう九月も半分どころか2/3が過ぎようとしています。そろそろフィギュア・スケートにノーベル賞に流行語大賞のシーズンですが(今年は衆院選挙も)、ロシアのリプニツカヤ選手が先月引退を表明しました。ソチ五輪のシーズンに脚光を浴びた際に解説者が、これから成長期になるから大変と言っていたように、ロシアの選手層の厚さも重なって五輪後は表彰台から遠ざかっていました。リプニツカヤのニュースもネット経由でしたが、最近トィッターでチェリビダッケの言葉、「ブルックナーを演奏する条件はエゴの放棄である、ブルックナーの場合、曲を弄りまわさず、素直にやらねばならない」というのを見つけました。それの前半はカラヤンのついてでしたが、チェリビダッケの演奏も必ずしも「弄りまわさず、素直に」と言えるのかどうかと思っていました。

 それはともかく、その言葉を目にしてまず思い当たったのが交響曲第9番で、何となく聴いてみたくなりました。これはハイティンクが1960年代から開始して完成させたブルックナーの交響曲全曲録音の中の第9番です。過去記事で扱ったように、全集完結後に第7、8、9番を同じアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と再録音しています。その際の第9番が予想外にというか、ブルヲタがあまり言及しなかったわりに仮に素晴らしい演奏でした。それを聴いてしまっているので旧録音は分が悪くなりますが、こちらもなかなかの感銘度です。チェリビダッケが言う「弄りまわさず、素直に」ということが良い方に作用しているのではと思える美しさです。

ハイティンク・ACO/1965年
①23分16②11分15③24分53 計59分24
ハイティンク・ACO/1981年
①25分04②10分44③26分24 計62分12

 素直にとは具体的にどうすることなのか、急にテンポを変えて加速するようなタイプの演奏はその逆なんだろうと思いますが、そもそも楽譜はどうなっているのか見て聴いているわけでもなく、相対的なことかもしれません。一度作曲者本人の前で、百年後にはあなたの作品がこんなに聴かれてまっせと告げのを兼ねて色々なCDを聴かせたいもので、案外無機的とか貶されているものをブルックナーが好んだりするかもしれません。

 第9番の中で「~素直に」ということと関係して個人的に気になるのが第3楽章で、LPレコードでよくクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音がまるで野放しのような、泰然とした演奏で印象に残っています。といっても細部は忘れているのでまた聴き直したいところです。それと正反対なタイプがサヴァリッシュとバイエルン国立歌劇場Oのもので、かなりとげとげしいのでサヴァリッシュが指揮した他の作曲家の作品からも想像し難いので初めて聴いた時は驚きました。とにかく、ハイティンクの場合はチェリビダッケ流のブルックナー演奏には少なくとも門前払いにならないくらい、ある程度親和性がありそうです(チェリビダッケはハイティンクを何と言ってけなしていたか未確認)。
18 9月

ショスタコーヴィチのヴィオラソナタ バシュメット、リヒテル

170918aショスタコーヴィチ   ヴィオラソナタ 作品147

ユーリ・バシュメット:ヴィオラ

スヴャトスラフ・リヒテル:ピアノ

(1982年9月26日 録音 Venezia)

 1982年、このショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが録音された日から約ひと月半後に当時のソビエト共産党書記長のブレジネフ(Leonid Il'ich Brezhnev 1907年1月1日 - 1982年11月10日)が亡くなり、日本のテレビでも騒いでいたのを覚えています。最初はモスクワでラジオやテレビの放送が普段と違うとかの話が先行して、なかなか確定的な訃報・報道にならなくて本当に鉄のカーテンの向こうだと感心していました。その年は3月から6月までフォークランド紛争もあったので、日本もいつまでも平和でいられないかもとか中学生の間にでも怯え、不安が広がっていました(その一方でエグゾセ・ミサイルの真似とか不謹慎なことも流行った)。今度の解散について、実は北朝鮮絡みで既に軍事行動が決まってるんじゃないかとか色々邪推もしてしまいます。

170918b 昨夜のバシュメットとムンチャンのショスターコーヴィチは過去記事で一度扱っていましたがすっかり忘れていました。それから同じジャンル、「ショスタコーヴィチの室内楽」で扱ったピアノ・トリオが入った二枚組のCDにバシュメットとリヒテルによるヴィオラソナタも入っていました。昨夜の記事の際に何故バシュメットのヴィオラ作品集を購入していたのか、我ながらちょっと不思議でしたが段々経緯を思い出してきました。多分今回の旧録音を聴いて今一つだと思ったから、新しい録音が国内盤でも出ていると知り購入したのでしょう。改めて両方を聴いてみるとやっぱり昨夜の新録音の方が遺作らしい含みというか、勝手な思い込みだとしても聴く側の想像をかきたてる、独特な寂しさで終わっていると思いました。

 なお、バシュメットとリヒテルの共演したこの曲の録音は他に1985年録音というのもあるようで、バシュメットだけでも5回録音しているということなので初回がどれか分かりません。今回のものは旧ソビエトの録音なので1980年代に入っているのに独特の金属的、どぎつい音質に聴こえるので、音量を上げて聴くと時々頭が痛くなりそうです。

 そういう録音時の環境等からくる音質のことを差し引いても、昨夜のCDの解説に「無の心境に達した崇高さ」とあったようなことは感じにくい演奏だと思えました。さすがに第3楽章はヴィオラだけの部分もあるので、「無駄なものを一切排除した」という性格を実感できますが、第1、2楽章はかなりの騒々しさです。しかし、「最初は複雑で、溶け続けて最後には最もシンプルなハ長調という調性に到達」という初演のピアニスト、ムンチャンが評している作品の性格からすれば、この録音のような演奏がちょうど良いくらいなのかと思って反復して聴きました。
17 9月

ショスタココーヴィチのヴィオラソナタ バシュメット、ムンチャン

170917aショスタコーヴィチ  ヴィオラソナタ 作品147

ユーリ・バシュメット:ヴィオラ

ミハイル・ムンチャン:ピアノ

(1991年9月18-20日 ロンドン,ヘンリー・ウッド・ホール・録音 RCA)

170917b 発生してしばらくの台風18号を見て日本から遠ざかるのかと思ったら、ブーメランかアイスラッガーのように急カーブして直撃コースをとって縦断中です。それで夕方に飛ばされそうな物を片付けて、物置に仕舞おうとしたら何故か戸が開いていました。ガラクタしか入っていない(家の中もそうだけれど)から気にせず中を見たら、物置の棚の上段に猫が座っていて目がバチバチと合いました。驚いて一箇所しかない戸のところに突進するでもなく、ひたすらこちらをにらんでいる腹の座った猫でした(「ミネバ・ザビである、逃げ隠れするつもりはない、道をあけよ」的)。こっちが物置を離れるのを見て戸口から出て行ったので、台風の避難場所を急襲した格好になり気の毒でした。

 物置には置いてないけれど、ついでにプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタのCDが一つくらいあったような記憶がよみがえってきて探したところやっぱり無くて、バシュメットのヴィオラ作品集が目にとまりました。これは未聴じゃないけど同じ場所にマルティノンのプロコフィエフ交響曲もあり、そっちは開封していないでの完全に未聴盤です。このCDはグリンカとニコライ・ロスラヴェッツ(ロシア・アヴァンギャルドの代表らしい)とショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが収録されています。ショスタコーヴィチしか覚えていないので前二者は未聴だったのでしょう。バシュメットはリヒテルとの共演でヴィオラ・ソナタを録音(1985年)していたので今回のは二回目に当たります。

ヴィオラソナタ 作品147
第1楽章 Moderato
第2楽章 Allegretto
第3楽章 Adagio

 
ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは作曲者の最後の作品になり、亡くなる約一カ月前に完成したものでした。弟子が作曲したヴィオラ・ソナタに刺激を受け、1974年末に構想を練り、翌年1975年の春から作曲を始めて7月1日に最終稿が完成しました。その間にドルジーニンに初演の依頼をしたのが6月1日でした。初演は1975年10月1日にレニングラードのグリンカホールで、ドルジーニンのヴィオラと今回のCDと同じくムンチャンのピアノによって行われました。付属冊子の解説によると「初期・中期のショスタコーヴィチ作品と比較すると極端に音符が少なく、無駄なものを一切排除した音楽」からは「無の心境に達した崇高ささえ感じる」とありました。

 「無の心境」かどうかはともかくとして、交響曲第15番と似て外に向かって何かを訴えるよりも、ひたすら内側に沈潜するような怖いくらい静かな作品です。第2、3楽章には他の作品からの引用があるのも興味深いところです(第2楽章は自作の未完オペラ「賭博師」、第3楽章がベートーヴェンの月光)。これくらいの年代ならもう形式主義がどうの西欧的でいかんという批判の心配は無かったのか、交響曲第5番あたりを思い浮かべると何の接点も無さそうですが、実は最初からこのヴィオラソナタの世界が心中にあったとしたら凄まじい精神力だと思います。
16 9月

プロコフィエフ Vnソナタ第1番 クレーメル、アルゲリッチ

170916プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.80

ギドン・クレーメル:ヴァイオリン

マルタ・アルゲリッチ:ピアノ

(1991年3,4月 ブリュッセル 録音 DG)

 沖縄県読谷村の洞窟「チビチリガマ」が荒らされた事件、器物損壊の疑いで逮捕されたのは未成年の四人で、肝試しが動機だったという報道がありました。荒らされた現場を発見した一人にはイスラエル人ジャーナリストも含まれていたとか。容疑者逮捕までの間、こういう事件、犯行に対してネット上で「反日」という言葉が出てくるのかどうか、それとなく気になっていましたが、どうも目立ってそんな言葉は飛び交わなかったようでした。以前から少なくとも日本人同士の間で日本人に対して「反日」と言うのは非常に違和感、場違いに思われて、一体誰が思い付いていつからやり出したのかと思っていました(2ちゃんねる初期には既にあったか)。ただ、使われなかったらなかったで今度は妙な邪推もしてしまいます。民族と統治する権力、旧ソ連やユーゴでなくても複雑でデリケートな事柄だと思います。

 先日から突如気に入って、無人島か独房へでも持参したい作品になったプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番。この作品の代表的な、一番有名な録音は何かと探して見たら、「名曲名盤500・最新版」でも第1位になっていたクレーメルとアルゲリッチのアルバムでした。クレーメルはこれ以前にプロコフィエフ作品を録音そたのは作品115の無伴奏ヴァイオリンソナタだけでした(協奏曲も録音していない)。それが1991年になって一気にヴァイオリンソナタ二曲を含むプロコフィエフ作品集に取り組んだのは、ラトヴィア出身で1980年に亡命したクレーメルにとって、ソヴィエトの体制が崩壊したことが影響しているのではないかと付属冊子の解説には載っていました。

 ソナタ第1番だけを聴いてみるとそうした背景とは無縁のような冷え冷えとして、特別に鋭利な響きに驚かされて、先日夢中で聴いたオイストラフの1955年録音とは全く対照的なものに思われました。後者が甲冑の武者が帯びる太刀だとすれば、クレーメルの方は衣冠か束帯姿に合わせた細身の刀といった印象です。もし最初にクレーメルのCDの方を聴いていたら作品に対する印象も変わっていたかもしれないと思いました。今日は交互に何度か聴いて、同じ作品を演奏しているのにこういう風に違ってくるのが改めて不思議に思いました。

 プロコフィエフはコーカサスのリゾート地、テベルダ地方でヘンデルの作品を聴いた時にこの曲を思い付き、完成前年の1945年には持病の心臓発作で倒れていました。それから完成した時にはプロコフィエフはオイストラフに電話をして自宅に呼び、そこで自身でピアノを弾き、オイストラフとミヤスコフスキーに聴かせました。初演者のオイストラフは完成直後に作品を教えられ、作曲者の葬儀には第1、3楽章を弾いているので、この曲との結び付きは特別なものだと言えます。そうなるとむしろオイストラフの方が特別な立場であり、クレーメルの方が他の多くのより古いクラシック音楽作品と演奏者の関係といったところです。
15 9月

クレンペラー、ケルンRSOのベートーヴェン第4番/1966年

170915bベートーヴェン 交響曲 第4番 変ロ長調 Op.60

オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団

(1966年3月17日 ケルン.クラウス・フォン・ビスマルクザール ライヴ録音 Weitblick)

170915a 今日のお昼頃、西独逸の初代首相のアデナウアー(Konrad Hermann Joseph Adenauer、1876年1月5日 - 1967年4月19日)の新書本広告をネットで見て、この人物がケルン市長だった頃にはクレンペラーとの接点があったことを思い出しました。クレンペラーがケルン歌劇場で仕事を始めたのが1917年のフィデリオ上演からだったので、ちょうどアデナウアーが市長に就任した年と同じでした。三年目か二年目の頃、新しいチェロ奏者のオーディションをしたところ、ギュルツェニヒ・ホールで行うことになったコンサートの指揮者のアーベントロートと意見が合わず揉めて、それで市長に仲裁を頼んだというちょっとした事件でした。クレンペラー自身が言うように、アデナウアーにはチェロ奏者の契約のことで頭を悩ますよりも他にやるべきことがあったわけで、結局は辞職をチラつかせたアデナウアーの意見を採用して終わりました。その他、ベルリンからポストの打診があった時にクレンペラーはそれをだしにして条件をつり上げようとして失敗したとか色々あったようです。

 ともかく第一次大戦後のケルン歌劇場時代にクレンペラーは Generalmusikdirektor(音楽総監督)の称号を得ることが出来ました。そのキャリアから大戦後もケルン放送交響楽団に時々客演していてその音源がいくつかCD化されていました。その多くは1950年代のものでしたが、今年になって突然1960年代後半、クレンペラーの晩年末期の演奏が発売されました。これはレオノーレ序曲第3番、交響曲第4、5番のプログラムによる1966年3月17日の公演の録音です。既に何種も出ている1960年代後半のベートーベン第4番ですが、今回のものはひと際清々しく端正な演奏になっています。

~ クレンペラーのベートーヴェン第4番 ~
ケルンRSO/1966年
①12分23②10分23③6分06④7分51 計36分43
ベルリンPO/1965年
①12分21②10分41③6分03④8分06 計37分11
バイエルンRSO/1969年
①13分51②11分31③6分58④8分44 計41分04
ウィーンPO/1968年
①13分28②10分59③6分27④8分30 計39分24
フィルハーモニアO/1957年ライヴ
①11分52②09分49③5分25④7分21 計34分27
フィルハーモニアO/1957年EMI
①12分25②10分00③5分50④7分31 計35分46

 今週ネット上でちょくちょく見かけた「こち亀」のネタに仕立てると、これが1968年ウィーンフィル、これは1965年のベルリンフィル、そしてこっちが1966年のケルン放送交響楽団(両さんと本田)、全部いっしょじゃないですか(中川)、といったところですがトラックタイムを比べるとバイエルンやウィーン程の長さではないので結構違って聴こえます。それに、1968、69年くらのように発酵したような(マーラーの第7番とか)タイプにはまだなっていない段階です。

 今回のものは拍手等がトラックにも入っておらず騒音も目立たないのでかなり念入りに処理をしたことがうかがえます。だから音質は聴きやすいようで不自然にも思えますが、同じ日の一曲目、レオノーレ序曲第3番に比べると冒頭から穏やかで聴いていて一瞬戸惑いました。この録音でもヴァイオリン両翼配置をとっているということで、クレンペラーはそこは徹底しています。解説には「快活なテンポ」と評していましたがそれはどうかなと思いました。
13 9月

プロコフィエフのVnソナタ第1番 オイストラフ/1955年

170913bプロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品80

ダヴィッド・オイストラフ:Vn

ウラディミール・ヤンボルスキー:P

(1955年12月9日 ボストン,シンフォニー・ホール録音 RCA)

 プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番と作品名を聞いてもどんな曲だったか頭に浮かばないのに、このブログ過去記事では手薄な作曲家の室内楽を急に持ち出したのは、月刊カトリック生活連載記事の最新号にまさにこれが取り上げられていたからです。今年で司祭叙階50年の金祝を迎えられた国本神父の連載コーナーで、ここ十ねんくらい読んでいます。これを読んでいたら何故か今すぐこの曲を聴かなければならないような気になり(今でしょう)、幸いにも店頭にCDがあったので購入しました。ヴァイオリニストのオイストラフか作曲者のどちらかの絡みで聴いたことはあったはずですが、CDを再生して冒頭の少しだけで衝撃的に惹かれました。

ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ短調 作品80
第1楽章 Andante assai
第2楽章 Allegro brusco
第3楽章 Andante
第4楽章 Allegrissimo - Andante assai, come prima

170913a プロコフィエフ作品の中でもというよりあらゆる音楽作品の中でも屈指に感銘度で、現在の自分の心情にぴったり寄り添うような親近感です。シベリウスの交響曲第4番やシューベルトのピアノ三重奏曲第1番とどこか通じるようにも思え、個人的に落ち着く寝床(eテレの「おれ猫」の歌詞)のような感触です。そうしたことは個人的な感情で、ヴァイオリン・ソナタ第1番はプロコフィエフにとっても重要で特別な作品だったようです。この曲は第二次大戦前の1938年から戦後の1946年、八年もかけて完成させたもので、この期間にフルート・ソナタからの改作であったヴァイオリン・ソナタ第2番が完成していました。初演は1946年10月23日にモスクワ音楽院小ホールで、作品の献呈を受けたダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン、レフ・オボーリンのピアノによって行われました。

 八年という作曲期間は単に大戦の期間と重なるだけでなく、ちょうどプロコフィエフが祖国に立ち寄ってから、本格的に帰国して適応しようとした頃にあたり、スターリンの体制下だったことを考えれば大変な緊張、苦心或いは恐怖を覚えながら過ごしていたことと推測できます。その時代にあって、四楽章の緩急緩急となる形式(上記の連載記事、音楽サロンではバロック期の教会ソナタに似た形式と指摘されている)で作曲されているのは興味深く、それとは裏腹に内容はあまり人目を気にせず個室、独房で独り言をつぶやき、時には叫んでいるような音楽になっています。第1楽章と第4楽章の末尾付近に現れるヴァイオリンの細かな音形についてプロコフィエフは、初演者のオイストラフに「墓場を抜ける風のように弾いてほしい」と伝えたとされています。創作時期が近い彼のオペラ作品からは想像し難い内容に思えて作曲者に対する関心も増しました。

 このCDは1955年11月にオイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh 1908年9月30日 - 1974年10月24日)がカーネギー・ホールでアメリカ・デビューのリサイタルを開いた後、ボストンでRCAレーベルに急きょ行ったセッション録音です。オイストラフの全盛期に、その当時彼のトレードマーク的作品だったこのソナタをセッション録音した貴重なものです。この曲は他にレコード、CDを買って聴いたことがありませんが、国本神父の連載記事、音楽サロンの中ではシゲティの演奏がラジオから流れて来るのを中学一年の時に聴き感涙したと書いてあり、ちょっと調べるとシゲティは初演直後くらいと1959年にこの曲を録音していました。
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