raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

28 3月

ワーグナー「ジークフリート」 カイルベルト、バイロイト1953年

170328aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン 
ブリュンヒルデ:マルタ・メードル 
さすらい人:ハンス・ホッター 
ミーメ:パウル・キューン
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル
エルダ:マリア・フォン・イロスファイ
森の小鳥:リタ・シュトライヒ

(1953年7月28日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 Andromeda)

 年度末のドタバタもおさまってきて、今週はお昼に京響の五月定期のチケットを申し込んできました。ブルックナーの第5番なので二日続けて聴こうかと思いつつその頃にどんな状況かわからないのでいつも通り一日だけにしました。まだ二カ月くらい先なのにけっこう席は埋まっているので今後も要注意です(三月定期のマーラー第8番は発売後1時間くらいで二日とも完売だったので )。それにしても運動不足が警報レベル(健康診断の結果 ウッ)なので北山から烏丸御池まで歩いて帰ればちょうどいいんだと思いながらも早々に地下鉄のホームに急ぎました。

170328b さて1953年のバイロイト・カイルベルトの指環はジークフリートが残っていました。メードルと若々しいヴィントガッセンはやっぱり素晴らしくて、1964年までの指環でこの年が一二を争う充実度じゃないかと思いました。それではメードルは若くないのかとなりそうで、二人の年齢は2歳しか違わず共にこの年アラフォーでした(ちなみにヴァルナイはメードルより6歳若いらしい)。しかしヴィントガッセンは聴いていると奔放でジークフリートそのものに思えてきます。第三幕のブリュンヒルデとの二重唱も疲れ知らずな歌いっぷりで、終演後は盛大な拍手と歓声が起こっていました。

170328 三作目、ジークフリートのフィナーレからは指環があんな結末で幕を閉じるとは想像し難いものがあります。少なくとも次作でハーゲンの声を聴くまで、夜明けとラインの旅あたりまではそんな感じです。メードルとヴィントガッセンの陽性?な声からは特にそんな印象を受けます。一方でカイルベルトのテンポは所々でかなりはやいと実感するところがあり、第一幕のフィナーレ、「ジークフリート  wohin」と連呼するあたりはたたみかけるような勢いです。そのわりに第三幕の終わりは比較的おとなしめです。

 あらためて1953年のカイルベルト・指環を聴くと圧倒的な魅力なので、これまでは1956年のクナ・指環が一番じゃないかと思っていたのが揺らいでそれに並びます(1955年は高価なので聴いていない)。カイルベルトのジークフリートを聴いていると、四半世紀以上後のヤノフスキとシュターツカペレ・ドレスデンのセッション録音とどことなく似ているようにも思えて、その分歌手、歌唱がかなり変遷したのを痛感します。 あと、ミーメやアルベリヒ、さすらい人らも立派ですが、役について独自の思い入れがあれば違うキャストの方がいいとか色々あるはずです。

 さて、かなりネタ切れになっていることもあり、今月はあと一回だけ更新して4月と5月のクレンペラー降誕日くらいまではこっちのブログは休館することにします。 
24 3月

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」プラハ版 ペシェク

170312bモーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(プラハ版)

リボル・ペシェク 指揮 
プラハ室内管弦楽団 
プラハ国立劇場合唱団

ドン・ジョヴァンニ:ヴァーツラフ・ジーテク(Br)
レポレッロ:カレル・ベルマン(Bs)
ドンナ・アンナ:エヴァ・ディエポルトヴァー(S)
騎士長:エドゥアルト・ハケン(Bs)
ドンナ・エルヴィラ:マグダレーナ・ハヨーショヴァー(Ms)
ドン・オッターヴィオ:イテヒ・コチアーン(T)
ツェルリーナ:ヤナ・ヨナーショヴァー(S)
マゼット:ダリボル・イエドリチカ(Bs)

(1981年3月7-23日 プラハ,芸術家の家 録音 SUPRAPHON)

170313a 「はは ついこの間までホメとったんちゃうんかい~ じじいはいささか疲れたわ。」高校バスケ部を舞台にしたマンガ「スラム・ダンク」の後半に出て来る大阪の強豪校、豊玉高校の監督を解任された北野さんのセリフです。国有地の横流し的売却から火が付いてお騒がせの学校法人の理事長を取り巻く環境を見ていると北野さんのセリフを思い出します。何とか会議に名を連ねている有名人は招かれて講演した人も居るのに誰も擁護してくれない状況です。無論国有地については擁護する筋じゃないとしても、教育内容は共感していたはずなので(国政について園児に覚えて唱えさせるまではそうじゃないかもしれないが)、それとこれとは別だと毅然として主張する人が一人くらい出そうなものですが、現実は小説より奇なりか、ままならないものです。

 これはモーツァルトのメモリアル年に企画された「ドン・ジョヴァンニ」のプラハ初演版による初録音でした。自分の記憶ではマッケラスの指揮となっていたのにそういうものは出てこず、どうも記憶がとんでいたようです。キャストの名前からしてチェコ出身の歌手でかため、オーケストラも小編成のプラハ室内管弦楽団になっているのが注目です。フィガロにしろドン・ジョヴァンニにしろ最初に真価を認めて受容したのはプラハだったという自負がうかがえる企画です。

 小説「騎士団長殺し」 の中で免色さんという登場人物が共産党政権が崩壊直後頃にプラハの小さな劇場で「ドン・ジョヴァンニ」観た経験を語っていて、「大劇場で上演する時のように声を張り上げる必要が無いから、とても親密に感情表現を行うことができる」とほめています。そして、モーツァルトのオペラのような作品は室内楽的な親密さが必要だとしていますが、これは村上春樹自身の好み、見解なのでしょう。この録音は小説の中よりも10年くらい古いわけですが編成の点ではかなり近いはずです(小説ではプラハ版とも明示していないが)。

 今となっては古楽器系の演奏もあるのでこの録音がそんなに特異とは思えませんが、1950~60年代の往年の演奏やカラヤンのセッション録音とは響きの厚みからして違っています。その分、免色さんが言うような効果は確かにありそうで、付属の解説にもありましたがレチタティーヴォ部分が皆達者で活き活きとしてきこえます。そうなってくると各人物の位置付け、性格も改めて重要になってくるはずです。ドン・ジョヴァンニとドンナ・アンナの間に何があったのか、なかったのかで、フェルゼンシュタインの主張するようにドンナ・アンナを誘惑しようとしたが拒絶され、常勝将軍たるドン・ジョヴァンニは失敗したと解釈した方がより作品の魅力が活きてくるように思えます。
 

 そうなると、というかドン・ジョヴァンニが地獄に落ちた後のドンナ・アンナの反応なんかも考えればドン・オッターヴィオの立場は複雑になってきます。プラハ版では例えば、ウィーン版でオッターヴィオが歌う第10曲 a のアリア “ Dalla sua pace(私の心の安らぎはあのひとにかかっていて~) ” を歌わないで退場したりと分量が少なくなっています。オペラの元ネタの一つ、「ドン・ジョヴァンニまたは石の客」等ではオッターヴィオはかげが薄かったように初演のプラハ版ではあまり重要でなかったとされていて、それがウィーンの再演時にはアリアも増えて複雑さを帯びてきます。「親密な感情表現」ならば、オッターヴィオの出番が増えたウィーン版の方がより必要となってきそうですが、とにかくこの録音も魅力的です。
23 3月

ワーグナー「神々の黄昏」 カイルベルト、バイロイト1953年

170323aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「神々の黄昏」

ヨゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 
バイロイト祝祭合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)

ブリュンヒルデ:マルタ・メードル(S)
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
ハーゲン:ヨーゼフ・グラインドル(Bs)
グンター:ヘルマン・ウーデ(Br)
グートルーネ:ナタリー・ヒンシュ・グレンダール(S)
アルベリヒ:グスタフ・ナイトリンガー(Br)
ヴァルトラウテ:イラ・マラニウク(Ms)
ヴォークリンデ:エリカ・ツィンマーマン(S)
ウェルグンテ:ヘティ・プリマッヒャ(Ms)
フロースヒルデ:ギゼラ・リッツ(A)
第1のノルン:マリア・フォン・イロスファイ(A) 
第2のノルン:イラ・マラニウク(Ms) 
第3のノルン:レジーナ・レズニック(S)

(1953年7月29日 バイロイト祝祭劇場 録音 Andromeda)

170323b 三月も残り少なくなってきました。今月は屋内で長時間座っている日が続き、そのためBGM的に音量をしぼってCDを流す機会が増えました(「騎士団長殺し」の副作用でオペラばかりを) 。そのうちにやっぱり気になるのがワーグナー作品、途中でとまっていた1953年のバイロイト音楽祭の指環をまた聴きました。クレメンス・クラウス指揮の方が正式音源で発売されましたが、このカイルベルトの方も同じキャストなのでクナ時代(1951-1964年)のバイロイトで屈指の豪華さです。ヴィントガッセンが「ジークフリート」、「神々の黄昏」の両方でジークフリートを歌い、ブリュンヒルデがメードルなのが注目です(どこかの記事で1953年はブリュンヒルデがヴァルナイと書いてあった記憶があり、それが正しければクラウスの方か??)。

 歌手の方は既に言い尽くされているので(今回に限ったことじゃないけど)付け加えることはありません。何となく気になったのは客席の拍手がいやに冷静というか、これだけの内容なのにもっと盛大に、演奏が終わるのをまちかねて沸き起こるくらいになってもおかしくないと思えるので、指揮についてはまだ不評だったのかということです。カイルベルトの指揮は速過ぎるテンポだと批判されたそうで、この年はクナッパーツブッシュも不参加なので常連のなかに不満が渦まいていたのかとも思いました。しかし、当時の客席の反応とは裏腹に個人的にはすごき気に入り、聴き終わった後は新しい録音ではなかなか実感し難い完結感におそわれます。

 それにメードルで聴く「神々の黄昏」のブリュンヒルデは、ジークフリートが死んだ後のフィナーレのところがしみじみと感動的です。ストーリーだけをみればハーゲンなんかに弱点を教えて殺させるという、裏をかくようなやり方といい(やるなら自らせい)、そもそも偽計を見抜けないのかというもどかしさといい、すっきりしない展開のところを、そうしたものを拭い去るような歌の魅力があると思いました(聴いたタイミングでそう思うという面もある)。クレメンス・クラウスは翌年に急逝したためクナッパーツブッシュには頼み込んでまたバイロイトに出てもらったわけですが、そうならなかったら音楽祭の指揮の顔ぶれはどうなっていたかと思います。展開によっては十年続いたクナのパルジファルも無かった可能性もあるわけです。

 いずれにしても、ワルハラ城も燃えて希望の英雄ジークフリートもブリュンヒルデも死に、してやったはずのハーゲンもライン河の水に飲み込まれ、虚無的に幕となるはずなのに、音楽の方ではこれから若葉が芽吹いてくるような期待を漂わせて終わり、このあたりで「ラインの黄金」のラストの場面が思い出されます。ローゲ一人が入城しないで不敵な言葉を口にしていて、実際その通りに近い結末になったようでもあり、冒頭のライン河の場面もよみがえってきます。 
19 3月

魔笛 ゼーフリート、リップ、クンツ、カラヤン、VPO/1950年

170319モーツァルト 歌劇「魔笛」

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団

タミーノ:アントン・デルモータ(T)
パミーナ:イルムガルト・ゼーフリート(S)
パパゲーノ:エーリヒ・クンツ(Br)
パパゲーナ:エミー・ローゼ(S)
夜の女王:ヴィルマ・リップ(S)
ザラストロ:ルートヴィヒ・ウェーバー(B)
弁者:ジョージ・ロンドン(B)
モノスタトス:ペーター・クライン(T)
 ~ 三人の侍女 ~
セ-ナ・ユリナッチ(S)
フリーデル・リーグラー(M)
エルゼ・シュールホフ(M)
 ~ 三人の童子 ~
ヘルミネ・ステインマーセル(S)
エレオノーレ・ドルピンガンス(M)
アンネリーゼ・ストゥックル(A)
僧侶Ⅰ:エーリヒ・マイクート(T)
僧侶Ⅱ:ハラルト・プレグルホフ(Br)
兵士:リュボミール・パンチェフ(B)

(1950年11月 ウィーン,ムジークフェライン・ブラームスザール 録音 EMI)

 三月もとっくに半分が過ぎて春分の日がやってきます。昨日は出勤途中に墓地へ寄って掃除から献花と一通りしてきました。前日の17日がお彼岸の入りにあったったけれど平日なのでまだ花やらがそなえられた区画はほとんどなくて殺風景でした。そのかわり、ネコか犬の糞も全然転がってなくて掃除というほどの手間はかかりませんでした(ネコはえさ場を変えたようだ)。ところで、とっくに連載が終わった「のだめカンタービレ」の番外編か何かで若手中心のメンバが「魔笛」を上演するという話がありました。その後番外編のような作品が連発されたかノーチェックですが、魔笛編はオーディションやリハーサルの場面が続いて面白かった覚えがあります(白薔薇歌劇団とか名乗ってた)。 

 この魔笛の古い録音は先日のベームよりもさらに前、1950年にセッション録音されたものです。ウィーンで活躍した歌手を中心に、当時のザルツブルク音楽祭のキャストとほぼ同じなのでこれも豪華キャストです。パパゲーノのエーリッヒ・クンツが役柄を超えるくらいの品の良さ、優雅さでさすがウィーンの音楽界と改めて感心します。それにザラストロと弁者も、翌年から再開されることになるバイロイトではグルネマンツやアンフォルタスを歌うウェーバーやロンドンなので重厚で圧倒的です。

 「夜の女王」の ヴィルマ・リップは五年後のベーム盤の時よりも声がよく出ていて高音のところもしっかりしていました。同じようにウィーンPOとウィーンの歌手で演奏していながら今回の方が硬派というのか、やや鋭利な印象を受けます。キャストの影響とまだ若かったカラヤンの指揮の影響だと思いますが、最晩年のドン・ジョヴァンニの音楽とは対照的な印象です。どうせならこの時期にドン・ジョヴァンニも録音していれば良かったのにと思います。後年のカラヤンのモーツァルト演奏よりもアクセントが控え目(先入観かもしれないが強弱をけっこう強調するイメージがあった)で、軽快にして端正でバランスがとれた美しさだと思いました。それだけに神秘的な空気とかそっちの方はかなり後退した印象です。クレンペラーのEMI盤はこれに比べればいかにもゴツゴツとした感触で、わざとデッサンのバランスを歪ませたような独特な響きです。

 この録音もベーム旧盤と同様にドイツ語の台詞だけの部分はカットしています。同じ年にウィーンで録音した「フィガロの結婚」でもレチタティーヴォ部分をカットしていて、そっちの方は批判がありますが、魔笛の場合は通奏低音も無い対話だけなので原語の話者らにとっても抵抗は少ないはずです。オペラを原語で上演することにこだわったカラヤンがフィガロとかでわざわざセッコをカットして録音したのは興味深い姿勢です。
 
17 3月

ラ・ボエーム カルテッリ、タリアヴィーニ、サンティーニ/1952年

170317プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」

ガブリエーレ・サンティーニ 指揮
トリノ・イタリア放送交響楽団
トリノ・イタリア放送合唱団(合唱指揮ジュリオ・モリオッティ)

ミミ:ロザンナ・カルテリ(S)
ロドルフォ:フェルッチョ・タリアヴィーニ(T)
ムゼッタ:エルヴィラ・ラメッラ(S)
マルチェッロ:ジュゼッペ・タッデイ(Br)
ショナール:ピエル・ルイジ・ラティヌッチ(Br)
コッリーネ:チェーザレ・シエピ(Bs)
ベノア:マリオ・ゾルグニオッティ(Br)
パルピニョール:アマンド・ベンツィ(T)

(1952年7月12日 録音 Preiser)

 書店の目立つ場所に沢山積んであった「騎士団長殺し」の数がだいぶ少なくなっているのでやっぱり売れているんだと感心しつつ、ノーベル賞よりもうかるんだろと思いました。それにしても作品に出てくる「免色さん」は結局なにが目当てだったのか、けっこう普通の魂胆だったようにも見えて、そうだとしたらちょっとがっかりな気分でした。枝葉のはなしついでに雨田画伯のレコードの中にプッチーニのオペラ、「ラ・ボエーム」と「トゥーランドット」がありました。具体的な歌手やら歌劇場の名前は出ていないものの、「ばらの騎士」 には1950年代の全曲盤が挙がっていたのでそれと同じくらいの古さのラ・ボエームとしては今回のものも候補になるでしょう(いや、たまたまあっただけ)。

 イタリア・オペラの全曲盤で名前をみかけるサンティーニ指揮のこの録音は当初はチェトラから出ていたようで、それがオーストリアのプライザーから廉価復刻されました。声楽はかなり聴きやすい音ながらオーケストラの方はちょっと貧弱な音質(演奏もか)です。 ミミを歌っているカルテリはこの役が最大の当たり役だったそうで、結婚を機に引退したから録音はあまり残っていないのが残念です。先月のモントゥー指揮の椿姫や過去記事のプレートルのプーランクでも聴いていました。特別に高音がきれいとかそっちの方向よりも、境遇というのかミミという役にいのちを吹き込むような独特な風情の魅力です。

 それに男声陣、来日公演で評判になったタリアヴィーニが歌うロドルフォ、先日にドン・ジョヴァンニが素晴らしかったシエピのコッリーネ、タッディのマルチェッロら個性的で素晴らしい歌手が並んでいます。公演のライヴじゃなくてレコードのためか放送用のセッション録音なのに、聴きだすと作品の世界の中に入り込んだような臨場感があり、現実の世界と並行した別の世界が存在しているような錯覚に落ちかねない気になります(古い録音だからよけいにそう思う)。プッチーニの「ラ・ボエーム」は自分にとってはツボにはまると特にそんな気分になる作品だと思っていました。

 カルテリ(Rosanna Carteri 1930年12月14日,ヴェローナ生 - ) の名前で検索すると他にドニゼッティの「愛の妙薬(セラフィン、スカラ座)」の全曲盤が挙がって来る他、モノクイロの写真が出てきます。なかなかの美人で、それにこの録音の時でまだ22歳というとこになり(プロフィールが正しければ)、その点でも驚きです。レナータ・スコットより4歳上なだけなので、引退してなければ1970年代も十分活躍できはずで改めて惜しい気がしました。
14 3月

魔笛 ギューデン、リップ、ベーム、ウィーンPO/1955年

170315モーツァルト 歌劇「魔笛」K.620

カール・ベーム 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

タミーノ:レオポルド・シモノー(T)
パミーナ:ヒルデ・ギューデン(S)
パパゲーノ:ヴァルター・ベリー(Br)
パパゲーナ:エミー・ローゼ(S)
夜の女王:ヴィルマ・リップ(S)
ザラストロ:クルト・ベーメ(Bs)
弁者:パウル・シェフラー(Bs)
モノスタトス:アウグスト・ヤレシュ(T)
~ 3人の侍女 ~
ジュディス・ヘルヴィヒ(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
ヒルデ・レッスル=マイダン(A)
~ 3人の童子 ~
ドロテア・ジーベルト(S)
ルースヒルデ・ボエシュ(Ms)
エヴァ・ボエルナー(Ms)

(1955年5月 ウィーン,レドゥーテンザール 録音 DECCA)

 今年はマイナンバーカードを取得して e-TAX で確定申告したところ、最初の準備がちょっと面倒だった他は案外簡単に出来ました。本当にこれで完了したのか不安になるくらいのあっけなさで、きちっとデータが送れているのかちょっと気になりました。国税と言えば現国税庁長官が例の国有地横流し(もう売却とは呼べん)の件で、学校法人との交渉時に財務省理財局長だった人だということで、まったく感心しています(まるで論功行賞、よく言うことをきいてやった褒美のよう)。それにしても税務署まで行かずに、郵送もせずに済むのは便利でよくて、添付を省ける書類もあってけっこうなことです。

 村上春樹の小説「騎士団長殺し」につられてドン・ジョヴァンニを反復して聴いているうちにそれ以外のモーツァルトのオペラも気になり出しました。この魔笛はウィーン・フィルとウィーンで活躍している歌手でDECCAが1950年代半ばに録音したシリーズの一つです(フィガロはE.クライバー、ドン・ジョヴァンニはクリップス)。結果的にベームが指揮したコジと魔笛が今ひとつ印象が薄くなりましたがそれは、ベームが後にこれらを再録音してそっちの方が有名になったのでそのかげに隠れるかこうになったからでしょう。魔笛はDGへ録音したものがこの作品の代表的なレコードになっています。今回の旧録音もキャストを見れば往年の名歌手が並んでいて見劣りしません。 

 実際に聴いているとDECCAの同じ頃の録音と比べても音質が今一つのようで、それに演対的にメルヘンのBGMのようにのんびりとして、音楽が古い時代(作曲当時の)の風俗 に埋もれてしまいかねない感じで、とかく特別の傑作と評される魔笛らしくないような、作品を特別視していないような軽快さが目立っています。クレンペラーは魔笛について「生み出されたものであって、こしらえたものではない」、「モーツアルトの本性から創造された」偉大な作品と表現していて、職人技や作曲の工夫よりも文字通り「創造」の産物として特別視していました。

 この録音はドイツ語の台詞だけの部分は省略して(クレンペラーのEMI盤と同じ)いるのにオラトリオ的ではなく、イタリア語歌詞のフィガロとかコジと同じような空気なのは不思議です。歌手の歌い方の影響もあるはずで、独特な上品さと軽快さです。「夜の女王」のリップは威圧的でなくてきれいな声ながら高音のところはいっぱいいっぱいといった感じで、アクロバット的な歌唱とまではいかない印象です。1950年代の魔笛はこういう感じが普通だったのかと改めて思いました。 
12 3月

トリスタンとイゾルデ ティーレマン/2015年バイロイト

170312aワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

クリスティアン・ティーレマン 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団

トリスタン:スティーヴン・グールド(T)
マルケ王:ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)
イゾルデ:エヴェリン・ヘルリツィウス(S)
クルヴェナール:イアン・パターソン(Mr)
メロート:ライムント・ノルテ(T)
ブランゲーネ:クリスタ・マイヤー(Ms)
牧人,水夫:タンゼル・アクゼイベック(T)
舵手:カイ・シュティーファーマン(Br)

演出:カタリーナ・ワーグナー

(2015年7,8月 バイロイト祝祭劇場 ライヴ収録 DG)

170312 3月4、5日と滋賀県大津市の県立芸術劇場びわ湖ホールで指環四部作の「ラインの黄金」が上演されました。初日だけ観ることが出来て、印象深くて何日も余韻が残った気がしました。分かりやすい舞台演出でもあり、フィナーレ部分で第三夜の「神々の黄昏」の結末も不意に思い出されて説得力がありました。毎年一作品上演されるので何とか「神々の黄昏」まで続けてみたいと思います。ただ、映像投影を多用する演出は珍しくないとしても、逆にシンプルな装置を象徴的に置くだけの演出も面白いかなとも思いました。能楽の舞台のようにはいかないとしても、出演者の歌と演技でカバーすれば十分内容、話の筋も表現できるのではと思えました。当日はオペラグラスを貸し出していたのでそれを利用すれば良かったと後から思いました(2階席だった)。 

170312b このトリスタンとイゾルデは2015年のバイロイト音楽祭で収録されたもので、ヴォルフガング・ワーグナーの娘、カタリーナ(再婚した妻、グドルンとの間に生まれた娘)の演出です。彼女の演出した演目の中ではブーイングを浴びたものもありましたが、今回のトリスタンはそんなことはなくて終演後の反応も良好です(収録を観る限りは) 。ただ、全体の印象としては映像ソフトなのにティーレマン指揮のオーケストラをはじめ、音楽が魅力的なのでブルーレイ・オーディオでも良かったくらいです。キャストではイゾルデのヘルリツィウスとメロートのライムント・ノルテが、声、歌がちょっと微妙なくらいで後は好印象でした。特に後者はちょっと軽薄な印象で、元々こういう感じでいいのかもしれませんが他のキャストと並ぶとなんとなく浮いてきこえました。

 第三幕の最後、イゾルデが “ Liebestod ” を歌い終わった後、放心して座り込んだところをマルケ王が彼女の腕をつかんで引っ張るように退場、イゾルデは終始トリスタンの遺骸の方を向いたまま引きずられるように去り、舞台にはプランゲーネとトリスタン、メロートやクルヴェナールの 遺体が並んで残るという場面で幕が下ります。これはどうも後味が良くなくて、イゾルデがこの世に居場所が無いのに引っ張って行かれるようで死ぬよりも陰惨さが残る気がします。せめて遺体の残るところでマルケ王も残って幕になった方がいくらか救いがある気がしました。

 歌手の視覚面、容姿は仕方ないとしてもイゾルデとプランゲーネはどっちが格上かと迷いそうな瞬間もありました。第二幕の密会のところ、トリスタンとイゾルデが熱狂的に抱き合おうとする間にプランゲーネが割って入る場面は、この際プランゲーネにしとけば?と思うくらいでした。写真で見ればそこそこ年齢差もありそうなのに、この舞台では拮抗して見えるのは何故だろうかと思いました。 それはともかくバイロイトの演出なのでそれなりに真意、意図があると思いながら第1幕のセットとかも含めて、メッセージというかどういう世界なのか分かりにくいと思いました(演奏は立派なだけに)。
twitter
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
アクセスカウンター

    livedoor プロフィール
    QRコード
    QRコード
    記事検索
    livedoor 天気
    カテゴリ別アーカイブ
    アクセスカウンター
    • 今日:
    • 昨日:
    • 累計:

    • ライブドアブログ