raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2015年02月

28 2月

ブルックナー交響曲第7番 ヨッフム、ドレスデンSK

150228ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)


オイゲン・ヨッフム 指揮
ドレスデン・シュターツカペレ管弦楽団


(1976年12月11-14日 ドレスデン,ルカ教会 録音 EMI)


 昨年末に今回と同じくヨッフムとドレスデン・シュターツカペレのブルックナー第4番のCDを取り上げた時、マイナーな雑誌に載っていた連載記事の話題に触れていました。森内俊雄氏がブルックナーを愛好していて、原典から翻訳した英語の聖書(エルサレム訳)を読んでいると行間からブルックナーが響いてくるという内容でしたが、なかなか追体験さえできるものではなく、驚くのみでした。ここ10日間程連続してブルックナーのCDをネタにしていて実際に聴いてもいるわけですが、そうしている間に本来自分が一番好きなはずだった声楽・宗教曲よりも、歌詞の無い器楽のみのブルックナー作品の方により親しみを覚えてきました。ちょうど四旬節に入っていることもあり、何の根拠も無いとしてもブルックナーの方がその情緒に相応しいような気がしてきました。ここへ来てその雑誌の記事の間隔がおぼろげながら身近に見えてきたようです。

 オイゲン・ヨッフム二度目のブルックナー全集はLPレコードの時代に分厚い箱セットが店頭に鎮座していたのを覚えています。全集は1975年から1980年にかけて録音されたので、第7番は初期の演奏です。その当時からすればブルックナーの交響曲の全曲録音も増えました(全曲でなくても第3番か4番以降からというのも含めればさらに多種になる)。それらの内をピックアップしながら色々聴いているとやっぱりヨッフムのブルックナーは独特な魅力があると思います。

交響曲 第7番 ホ長調
第1楽章 Allegro moderato    
第2楽章 Adagio.Sehr feierlich und sehr langsam    
第3楽章 Scherzo.Sehr schnell
第4楽章 Finale.Bewegt,doch nicht schnell


150228a 第7番の場合は特に録音が多いのでヨッフムのセッション録音が特別に人気があったわけでもなかったと思いますが、改めて聴いてみると特にフィナーレは得も言われない高揚感があり、ブルックナーでなければ得られない感覚はこれだろうと思います。CDの演奏時間だけを見れば下記のように特に軽快なテンポでもなさそうなのに、不思議に躍動するような流動感が聴いた記憶として残ります。ヘルベルト・ブロムシュテットが同じくドレスデン・シュターツカペレと第7番を録音した時は、ちょうどヨッフムの全集が完結した年だったことになり興味深いものがあります。そのブロムシュテットのトラック・タイムを見ると、両端楽章の時間がヨッフムとほとんど同じです。

ヨッフム・ドレスデン(1976年)
①21分05②25分54③10分02④12分25 計69分26
ブロムシュテット・ドレスデン(1980年)
①21分05②24分31③09分37④12分24 計67分37
シノーポリ・ドレスデン(1991年)
①19分46②22分51③09分35④12分45 計64分57
ヨッフム・BPO(1964年・DG)
①20分37②25分00③09分44④12分36 計67分57

 2000年に入った直後、クラシック音楽から遠ざかっていた頃にヨッフムの旧全集がCD化されていているのを見つけて購入してCDウォークマンに入れてよく聴いていました。新旧どちらの方が良いかは簡単には分からず、ぶれますがこれまで聴いたところヨッフムらしい特徴(具体的に何かは言葉にし難い)は何となく新録音の方が顕著じゃないかと思いました。それと同時に第7番もやっぱりいい曲だなあと(当たり前だけど)しみじみ思いました。

27 2月

ブルックナー交響曲第3番第2稿 バレンボイム、BPO

150212bブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調 「ワーグナー」(1877年第2稿・エーザー版)


ダニエル=バレンボイム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


(1995年12月 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ録音 ワーナー)


 二月も終わりに近づいた今日のお昼、まだ今月は散髪に行っていなかったのを思い出して職場近くの理髪店へ行きました。帰る途中、駐車違反を取り締まる係員に逆切れしている人を見かけました。なぜ自分だけと怒鳴っているのが分かり、内心小学生かと思って通り過ぎましたが自分がその立場だったらキレないまでも同じことを思ったことでしょう。係の人は警察官でなくて、リタイアした人らを集めたスタッフかもしれずかなりの年齢に見えました。同じような年齢のスタッフで路上禁煙を注意する係もあり、それも逆切れされる恐れ大です(大阪は確か罰金があった)。

150212a さて、夜にバレンボイムのブルックナー第3番を聴いているうちに寝入ってしまい、11時過ぎに目覚めました。第3番は自分の中ではかげが薄い作品でしたが、このところのブルックナー漬けの影響もあって今回はかなり好印象でした(その割に寝てしまって)。このCDはバレンボイムによる二度目のブルックナー全集の録音でした。1990年から1997年にかけて録音されたこの全集は第1-3番、第5、6、8、9番と七曲がライヴ録音されています。下記はバレンボイムと他の第2稿エーザー版のCDのトラックタイムです。バレンボイムらしいのか三者の中では一番演奏時間が長くなっています。

バレンボイム・BPO(1995年)
①20分50②16分14③06分51④15分20 計59分15
ドホナーニ・CLO(1993年)
①20分33②15分11③06分57④14分36 計57分17
クーベリック・BavRSO(1980年)
①21分15②14分40③07分15④14分44 計57分54

 第3番は全集中の他の曲以上に意外なほど自然な流れで、演奏者名を伏せて聴けばバレンボイムだと分かるかどうかと思いました。スカラ座での指輪の映像ソフトではバレンボイムの指揮姿も映っていました。演奏開始部分や曲が終わるところでは全然力まずに振っているのが印象的でした。ムーティがヴェルディのオテロを指揮した時はもの凄い力の入れ様だったので全く対照的でした(阪神の村山のよう)。このブルックナーから15年以上後の映像なので1995年当時はもっと激しい指揮ぶりだったかもしれませんが、第3番を聴いていると何となく演奏とその指揮姿がつながります。

 同曲異稿、異版が複雑な第3番ですがバレンボイムは第2稿のエーザー版を使っています。これが多数派とも言えないまでも割と多くの録音で使われています。バレンボイムはシカゴSOとの初回全集でもこれを使っていて、他には朝比奈隆の初回全集やハイティンクの初回全集でも使用されていたようです。第3番は初演が大失敗に終わり、嘲笑さえ受けたらしくそれだけに以後の改訂が複雑になりました。対照的にウィーンで歓迎されたのがブラームスの交響曲第2番でした。

26 2月

ブルックナー交響曲第6番 ボッシュ、アーヘン交響楽団

150226aブルックナー 交響曲第6番イ長調 WAB106


マルクス・R・ボッシュ 指揮
アーヘン交響楽団


(2009年5月30日,6月1日 アーヘン,聖ニコラウス教会 ライヴ録音 Coviello)

 先日の夜にテレ東のWBSにチャンネルを合わせたところ、マイナンバー制度が来年から導入されるという特集をやっていました。大江キャスターの結婚発表、そのディープ・インパクト後はしばらく番組を観てなくて久しぶりでしたが別段変わっていませんでした。それよりも要するに国民総背番号制度のようなものなので不気味なことこの上ないものです。データベースなのでいか様にもリンクできる(極秘にも)ので、情報漏えいとか情報の密売なんかもあり得る話です。色々言ってみても、それでも便利になるので来年から e-TAX にしようと思い、今年までは書面で申告です。番組では予算をかけて導入した住基ネットがあまり、ほとんど活用されていないとも言っていました。予算と言っても篤志家が寄付したわけじゃなし、早まって導入したものだと思いました。そういえば運転免許もIC化され、そっちは警察の管轄なのでマイナンバーとマッチングはしないでしょうが不気味です。

ボッシュ・アーヘンSO(2009年)
①13分33②15分22③9分29④13分49 計52分13

ヤング・ハンブルクPO(2013年)
①15分26②16分08③8分36④14分24 計54分34
K.ナガノ・ベルリンDSO(2010年)
①16分47②17分08③8分26④14分15 計56分36
ブロムシュテット・ライプチヒ(2008年)
①17分06②17分16③8分51④14分33 計57分46

150226b 続けてブルックナーのCDを取り上げているといい加減書くことが尽きてきます。それでも脳内にブルックナー作品の断片がしばしばこだまして一向に嫌にならないのでとりあえず今回もブルックナーです。マルクス・ボッシュのブルックナーも今回の第6番で取り上げるのも最後になります。上記は平成20年以降に録音されたブルックナー第6番のCDのトラックタイムです。ボッシュは他の作品同様ひと際速目、短めの演奏時間になっています。第1楽章は冒頭から急き立てるようなテンポで少々違和感を覚えました。転じて第2楽章のアダージョは演奏時間の上では同様に短いはずなのに、聴いていると第1楽章のような印象は無くて、自然なテンポに感じられます。

交響曲 第6番 イ長調 WAB106
第1楽章:Majestoso
第2楽章:Adagio: Sehr feierlich
第3楽章:Scherzo: Nicht schnell-Trio. Langsam
第4楽章:Finale: Bewegt, doch nicht zu schnell

 ボッシュのブルックナーは各曲の演奏を振り返ってみると総じてアダージョ楽章が魅力的だったと思います。最近聴いたせいか特に第8番の第3楽章は特別だと思いました。第6番の演奏時間を見ると第3楽章のスケルツォが他の楽章に比べて長めなのが分かり、「緩徐楽章はあっさりと速目に、スケルツォ楽章は遅目」というクレンペラーのバランスを思い出させます。ただ、演奏を聴いているとクレンペラーは全然連想させられず、妙ないびつさもありません。そもそも、第1楽章の冒頭からして違います。ボッシュのように速目なブルックナー演奏を聴いているとシューベルトのグレイトとのつながりを実感します(ベンジャミン・ザンダーの指摘のように)。

25 2月

ブルックナー交響曲第4番 ブロムシュテット、ライプチヒ

150225aブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB.104 「ロマンティック」(1878-1880年第2稿ノヴァーク版)


ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮
ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


(2010年10月 ライプツィヒ,ゲヴァントハウス ライヴ録音 Querstand)

 コンサートなりレコード、CDを聴くフアンと実際にオーケストラの一員として演奏する団員とでは好きな作品、作曲家は違うのだろうと思います。というか聴いて楽しいものと演奏して嬉しいものは全く同じではないと想像できます。関西のオーケストラでは大阪のオケは朝比奈亡き後もブルックナーの初期作品がプログラムに入っていたりしますが、それ以外は第4番、第8番くらいがあればいいところです。もっとも、定期会員らの好みから興行成績の予想をしていることもあるはずです。それとブルックナーの交響曲は演奏していて団員はどんな感じなのだろうかと思います(特に金管奏者の場合は面白くないかもしれないとか時々想像します)。

150225b ブロムシュテットとライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナーは今回で全曲を取り上げたことになり、それ以前にブロムシュテットの年齢を考えれば全曲録音が完結できてよかったと思います。第4番はこれ以前にも二度録音していて、特にドレスデン・シュターツカペレとの録音は第7番共々ロング・セラーの定番になっています。今回はその時から30年近く経てのライヴ録音になり、演奏が終わり残響も消えた頃に歓声と拍手が起こる様子も収録されています。熱狂的といった風ではなくて、音が消えても余韻というよりまだ作品の世界に浸っているところを少数の歓声によって我に返り、思い出したように拍手をし出すといったところかもしれません。終楽章のコーダ部分は壮大に盛り上がりながらも清澄で、陶酔とは遠い世界が印象的です。これがブロムシュテットのブルックナーの特徴だろうと思います。

 この曲を前回取り上げた際はヨッフムとドレスデン・シュターツカペレの全集盤でした。ヨッフムのブルックナーと比べるとブロムシュテットはほとんど色が付いていない、炉から取り出された直後の金属のようだと思います。この印象は新しい録音程鮮明な気がして、ブロムシュテットのブルックナーは老いても枯れた趣はあまり無いようです。これは音質の変化も影響していると思います(1981年もデジタル録音だったが)。

2010年・ライプチヒ(ノヴァーク版)
①18分59②15分04③11分11④21分03 計66分17
1993年・サンフランシスコ
①18分56②15分58③10分32④21分43 計67分09
1981年・ドレスデン
①18分23②16分30③10分51④21分06 計66分50

 ブロムシュテットによる三種の第4番のトラックタイムは上の通りで、合計演奏時間はあまり変わっていません。特に初回と三度目はかなり似ています。また過去二回はハース版、今回のみがノヴァーク版ということですがスコアを見ながら聴いて確認したわけではなく、CDの表記に従っただけです(abruckner.com の分類も同様になっている)。どうも2010年前後くらいからブロムシュテットは第4番ではノヴァーク版を使っているようで、それ以前の演奏はハース版を使っています。

24 2月

ブルックナー交響曲第2番 朝比奈隆、東京都SO・1986年

150224aブルックナー 交響曲 第2番ハ短調 WAB.102 (1877年稿・ハース版)


朝比奈隆 指揮
東京都交響楽団


(1986年9月11日 東京文化会館 ライヴ録音 Victor)

 ブルックナーのCDを連続して聴いていると1990年代の頃を自然と思い出します。当時もそんなに頻繁にコンサートに行けませんでしたが、それでも旧フェスティバル・ホールやシンフォニー・ホールで行われた朝比奈-大阪POの演奏会は何度か行きました。曲の開始時の指揮姿は力みがなくて、定時に施設のカギを開けに来た管理人が漫然といつもの業務を行うような感じでしたが、その姿ときこえる演奏のギャップが鮮烈でした。

交響曲第2番・1877年稿ハース版
1楽章:Ziemlich schnell
2楽章:Adagio;Feirlich,etwas bewegt
3楽章:Scherzo;Schnell
4楽章:Finale;Mehr schnel

150224b 実はコンサートを会場で聴いた時はブルックナーよりもベートーベンの方が感動的でした。それでも日本でブルックナーと言えば朝比奈隆は外せない(身贔屓と言われようが)指揮者です。ただ、近年自分が親近を覚える交響曲第2、5、6、9番については、個人的には朝比奈のCDはちょっと印象が薄いというか他の曲程でないように思っていました。交響曲第2番は1970年代の全集(ジアン・ジアン)、1990年代の全集(キャニオン)の他にビクターへも録音を残していました。これは一人の指揮者の録音としては多い方で、ヴァントはケルン放送SOの全集の際に演奏したきりで、そもそも公演では一度も演奏したことが無いと聞きました。さすがというところですが、その朝比奈隆も最晩年には演奏しなくなったので、この東京都交響楽団との録音も貴重です。

 下記は朝比奈をはじめ、1第2番の877年稿・ハース版による録音の演奏時間です。最短と最長で15分も差があり、省略している箇所の加減もあるはずなので一概には言えませんが朝比奈は割とゆったりと演奏しているのが分かります。ただ、三種の中では今回の録音はだいぶ短いくなています。数字の上では短くなったとしても聴いていると特に第2楽章は悠然としていて、後記作品の息吹が既に感じられます。続く楽章も堂々としていて豪快なスケルツォで、第4楽章も第2番にしてはどこか重厚です。この曲はなんとなく流動感にあふれた軽快な作品というイメージを持っていましたが、それは最近の演奏傾向やノヴァーク版の影響が強かったのだろうと今回思いました。

朝比奈・東京都SO(1986年)
①19分19②16分04③09分11④20分22 計64分56

朝比奈・大阪PO(1994年)
①20分02②17分44③12分27④21分13 計72分26
朝比奈隆・大阪PO(1976年)
①19分12②18分30③10分25④21分45 計69分52
エッシンバッハ・ヒューストンSO(1996年)
①20分27②20分02③10分48④19分30 計70分47
ヴァント(ケルン 1982年)
①19分07②15分42③07分53④16分05 計58分47
シュタイン・VPO(1973年)
①17分59②16分25③06分13④16分39 計57分27

 ブルックナーの晩年の肖像画やその他の絵(天国に迎えられる図、腰を折って挨拶する図etc)はどこか滑稽さが混じり、野暮ったさが現れています。このCDの第2番はそうした野暮ったさもチラつき、その辺が個人的好みとちょっとずれる気がしていた所以だったと改めて気が付きました。第2番はヘ短調ミサ曲のキリエからの引用があるように、その筋の色が濃く、そこに魅力を感じていました。しかしそれでも、この録音も独特の味わいだと思いました。

 ブルックナーの交響曲第2番は過去記事で整理していたように、作曲者が最初に完成させた稿「1872年稿」と直後に初演してもらうために自ら改訂した「1873年稿」があり、これらが初期稿と呼ばれるものです。録音の方は前者、1872年稿がここ15年くらいで増えていて、後者はアイヒホルンが録音したくらいしか出ていません。次に第2稿、1877年稿はノヴァーク版(1965年)とハース版(1938年)が出版され、後者のハース版は第1稿と第2稿の折衷的だという批判がありました(朝比奈隆は第2番についてはハース版を一貫して使っているらしい)。

23 2月

ブルックナー交響曲第8番 ボッシュ、アーヘンSO

150223aブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調(1890年ハース版


マルクス・R・ボッシュ 指揮
アーヘン交響楽団


(2003年6月9日 アーヘン,聖ニコラウス教会 ライヴ録音 Coviello)

 今日は朝から暖かくて、ストーブはいらないくらいでした。一時的だとしても着実に季節は動いています。しかしそれとは逆に原発事故の汚染水のニュースが流れていました。3.11以降なんとなくテレビ番組が右へ倣えで自我礼賛的なものに染まってきている気がします。せめてニュースだけは(以下略)。ところで、京都市上京区智恵光院丸太町下ル主税町にあったNHK京都放送局が先日中心部、烏丸御池に移転しました。商売?繁盛なのか思い切った移転で感心します。移転してきた場所は一時はホテルができるとか言われていたところです。

 このCDがマルクス・ボッシュのブルックナー第一弾で、アーヘン交響楽団150周年記念の演奏会のライヴ録音だったようです。このシリーズは途中からSACD仕様になりましたが最初は普通のCDとDVD-audioの二枚組になっていました。DVDオーディオのソフトは今では見かけませんがブルーレイ・プレーヤーでは再生可能な機器が多いようです(SACDプレーヤーは対応していないものが多い)。表記ではマルクス・R・ボッシュとなっているのにそれ以上詳しい名前がどこにも出てきません。ブラジル系ドイツ人だとどこかで紹介されていた覚えがあります。1969年生まれなので自分より年下になり、もうそういう演奏家が中堅として出てきています。ボッシュのブルックナーは先日の第0番を含めて順次過去記事で取り上げてきましたが、その第0番と第8番が抜きんでて感動的だと思いました(単に聴いたタイミングが良かっただけかもしれないが)。

ボッシュ・アーヘンSO(2003年)
①14分40②15分02③23分28④22分45 計75分55

ブロムシュテット・ライプチヒ(2005年)
①15分54②14分50③29分39④22分32 計82分55
バレンボイム・BPO(1994年)
①14分39②14分16③25分44④22分22 計77分01
ジュリーニ・VPO(1984年)
①17分07②16分25③29分24④24分36 計87分32
カラヤン・VPO(1988年)
①16分56②16分25③25分13④23分59 計82分33


150223b ネット上や口コミやら何やらで評判になった好演でしたが、今あらためて聴いても特に第3楽章が素晴らしくて、山の頂から周りの峰々を見渡したような感慨です。アーヘン大聖堂で演奏しているのとは裏腹に、そうした人間的な要素から離れた未踏の自然界を連想させられます。上記のように有名オケによる第8番のCDとトラックタイムを比べると速目の演奏なのが分かります。第1、2楽章は他のボッシュのブルックナーと同様だと思いましたが、第3楽章は聴いた印象ではそれらとは違い、ゆったり目の演奏にきこえていました。しかし実際はそうではなく、やはり演奏時間はひと際短いものでした。それに、重厚、濃厚な響きとは違い、編成を少なくしているかのように明晰さが際立つようなものでした。

 第9番の直後に第8番を聴くと特に第3楽章の個性の違いが印象付けられます。第9番が未完に終わった最後の作品ということもあり、特別神聖なものと評されるのをしばしば目にします。第3楽章を聴くとそれもまんざらではないと思えてきて、逆に第8番の方は大らかで明朗な内容に改めて魅了されます。ここ一年ほど、ブルックナーなら第2、5、6、9番に愛着を覚えて、第8番となると少々胸につかえる、胸やけしそうで敬遠していました。このCDを聴いていると第8番が人気なのがやっぱり当然だと思います。

22 2月

ブルックナー交響曲第9番 パーヴォ・ヤルヴィ、フランクフルトRSO

150222aブルックナー 交響曲 第9番ニ短調(B=G.コールス校訂ブルックナー協会版クリティカル・エディション2000年)


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
フランクフルト放送交響楽団
  
(2008年2月27-29日 フランクフルト,アルテオーパー ライヴ録音 RCA)

 NHK・FMの「きらクラ!」が次年度も同じ担当者で継続することになり、BGM選手権とか勝手に名付け親のコーナーは引き続き聴くことができるようです。先週くらいの勝手に名付け親のコーナーで「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」に対して、「三日目のカレーのエレジー」という名前が採用されました。喜ばれるメニューのカレーも三日目ともなると飽きられるという点に着目したもので面白いと思いましたが、三日とはまだあまいなとも思いました(継ぎ足してカレーうどん、とかその鍋でチャーハン的なものを作って四日目、五日目に持ち込む手もある)。四旬節に入ってから、こちらのブログでは連続してブルックナーを取り上げています。これがどこまで続けられるか、嫌にならずに聴けるかちょっと試すつもりです。

150222  パーヴォ・ヤルヴィはブルックナーの他にマーラー(フランクフルトRSO)、ショスタコーヴィチ(シンシナティSO、第10番一曲だけだったかもしれない)の企画が同時進行していたはずですが、とりあえずブルックナーの方は着実に録音を重ねているようです。彼はG.ヴァントが2000年に来日した際のブルックナー第9番の演奏を聴いて感銘を受けたと伝えられるので、一連のブルックナー録音は注目していました(気が付けば既に五曲も発売済らしい)。パーヴォ・ヤルヴィのCDは日本で先行発売されるものもあり、このブルックナー第9番がどうだったか忘れましたが購入していたのは国内盤だったので、ヤルヴィ自身の解説文の日本語訳も付いています。

 ヴァントのブルックナーに影響を受けたのなら第9番の「愛する神に捧げられた」云々の話には距離を置くというか、作品とは直接的に関係が無いという主張なのかと思ったところ、そうでもないようで、「まるでブルックナーが天に向かって拳を突き上げているようではないか」という感慨まで述べていました(天に拳を突き上げるって??、北斗の拳のあれか?一点の悔いなし)。当人の見解はともかくとして、演奏自体は先日のズヴェーデンのブルックナー第7番の演奏をもう少しリラックスさせて自然体にしたような感じで、ブルックナーが「天国の門を叩いているようなもの」と言った言葉を心底真に受けたくなるような明るい美しさです。

P.ヤルヴィ・2008年
①27分41②10分50③27分06 計65分37

ズヴェーデン・2006年
①25分10②10分47③26分09 計62分06
ヤノフスキ・スイス/2007年
①24分57②10分53③25分51 計61分41
ブロムシュテット・LGO/2011年
①24分37②10分24③23分30 計59分31
インバル・2013年
①23分19②11分19③23分16 計57分54
ヴェンツァーゴ・ベルンSO/2012年
①21分33②09分19③20分44 計51分36

 2000年以降のブルックナー第9番のCDの演奏時間を並べると上記のようになり、ヤルヴィはかなりゆったりと演奏していて、特に両端楽章が長いのが分かります。また、下記のヴァントの録音と比べてもヤルヴィの演奏時間の方が上回ります。件の日本公演とベルリンPOとの録音はブログでまだ取り上げていなかったので省いています。単に演奏時間の数字だけでなく、ヤルヴィの演奏は急にテンポを上げて変化を付けるという場面が目立たず、全体的になだらかな印象を受け、それでも緩んでだれるようなことはありません。両端楽章だけでなく、スケルツォ楽章も魅力的でした。

~G.ヴァントのブルックナー第9番
NDRSO(1993年3月)
①26分55②10分43③26分52 計64分30
NDRSO(1988年6月)
①26分02②10分24③26分08 計62分34
SWRSO(1979年6月)
①23分55②10分23③23分46 計58分04
ケルンRSO(1978年6月)
①24分01②10分26③23分40 計58分

 第9番の場合は第2楽章で異質なものが移植されたように感じる場合があると思っていましたが、この録音は違和感なく、三つの楽章の流れが良くて統一感が強いと思います。ちなみにこのCDは2009年4月に発売されましたがレコ芸の月評は特選には漏れています。ブルックナーは2010年までに国内盤で出たものはどれも特選になっていませんでした。パーヴォ・ヤルヴィの新譜はマーラーの第2番、ベートーベンの第4と第7、プロコフィエフの第5番の三点が特選になっていました(2010年まで)。担当者によって傾向も変わると思われるので今では違う傾向かもしれません。

21 2月

ブルックナー交響曲第0番 ボッシュ、アーヘン交響楽団

150221aブルックナー 交響曲 第0番 ニ短調 WAB100 (1869稿ノヴァーク版)


マルクス・ボッシュ 指揮
アーヘン交響楽団


(2012年5月28日 アーヘン,聖ミヒャエル教会 録音  Coviello)

 二月もあと一週間になり、日中はちょっと寒さがゆるんできました。そうなったらなったで寂しいというか、名残惜しくなり毎度のことながら勝手な感慨だとつくづく思います。明後日は醍醐寺の「五大力さん」があり、しめ縄がとれてから2月23日までの期間が個人的に好きな季節ですが、今年は特別に体調が悪くてそんなことを感じる余裕もありませんでした。昨日の朝、信号待ちをしている時に植え込みの茂みの上に何か動いているのが目に入りました。よく見るとキジ鳩が枝の間に潜り込んだりしていました。近くに居て網でも持っていたら捕まえられそうなくらいで、キジ鳩にしていは無防備な姿なのでケガでもしていたのかもしれません。

交響曲 第0番 ニ短調
第1楽章 Allegro
第2楽章 Andante
第3楽章 Scherzo. Presto - Trio
第4楽章 Finale. Moderato - Allegro vivace

150221b ブルックナーの交響曲ニ短調、通称0番はブルックナーの交響曲全集でも含まれない場合もよくありました。BOX化されるというヤノフスキの全集も何年か前の広告では第0番も含んでと書いてありましたが、現段階ではまだ出ていなくてミサ曲の第3番を入れています。ボッシュとアーヘン交響楽団のブルックナーは過去に、第00番第1番第2番第3番第4番第5番第7番第9番を取り上げていました。このコンビは第8番が話題になって、それ以降もアーヘンの大聖堂でライヴ収録していることも影響してか、全9曲プラス2曲の録音を完結できました。会場は第00番から第0番までの三曲が聖ミヒャエル教会と表示されていて、小粒な作品だけは別の会場を使ったのかもしれません。

ボッシュ・アーヘンSO(2012年)
①14分06②11分45③6分25④09分07 計41分23
ヤング・ハンブルクPO(2012年)
①16分58②13分39③7分43④11分18 計48分38
D.R.デイヴィス・リンツブルックナーO(2008年)
①16分30②12分37③6分57④10分38 計46分42
スクロヴァチェフスキ・SaRSO(1999年)
①13分53②13分21③6分44④10分56 計44分54
ティントナー・アイルランドNO(1996年)
①14分32②14分29③7分14④11分10 計47分25
インバル・フランクフルトRSO(1990年)
①15分06②12分47③6分13④10分00 計43分06

 ボッシュのブルックナーはこの曲以外でも残響の長い会場で速目のテンポで演奏していましたが、第0番でもその傾向が出ています。版の差や省略等の問題があるとしてもやっぱり速目の演奏です。今回の第0番はこれまでの中でも一番しっくり来るもので、特に第1、2楽章は新鮮で内心驚きながら聴きました。これまで第0番を聴いてきてこのCDが一番感動的でした。後期の作品、昨日の第7番のような曲の後にこれを聴くとその感覚が鮮明になります。祝宴やら忘年会の後に、狭い草庵で茶をいただくくらいに対照的です。茶どころか枯葉を集めて炉を燃やして、さ湯を飲むくらいでも感銘深いことがあるかもしれず(そんな経験は無いけど、無いのにいい加減なことを)、特に第二楽章のアンダンテはそんな趣でした。

 今回の第0番を聴いていてボッシュの他の曲も聴きなおしたくなってきました。ただ、聖ミヒャエル教会と表記されたCDの音、残響具合がちょうど良く、他のはちょっとどうかとやぱっぱり思いました(同じ会場を呼び方を変えているだけだったらお笑いだが)。そういう音質の点では昨日のズヴェーデンのセッション録音が特に今の好みに合っている気がしています。

20 2月

ブルックナー交響曲第7番 ズヴェーデン、オランダ放送PO

ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調  WAB107 (1885年ノヴァーク版)


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン 指揮
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団


(2006年6月7-9日 ヒルヴェルサム,MCOスタジオ 録音 EXTON)

 京都市の伏見区に今でも師団街道と呼びならわす道路があり、当時の第十六師団司令部が近くにったからのようで、旧国立京都病院は京都衛戍病院のあった場所だったり至る所に軍隊の痕跡が残っています。「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」と言われたのは大阪の連隊でしたが京都はどうだったのだろうと思います。仮に徴兵制がまだあったら我々は第十六師団のどこかの連隊に所属したことでしょう。現在の師団街道は藤森あたりで飲食店が多くなり、駐停車する車が多くてしょっちゅう渋滞します。京都市内も南へ行くにしたがって車の運転、マナーが雑になり自分の住む宇治あたりになるとさらに酷くなる気がします。今朝渋滞にさしかかっていると、その藤森あたりで横断歩道に車がさしかかったまま信号で停止してしまったらその車を蹴って回るおっさんが居たことを思い出しました。幸い今日も出没しませんでしたが、思い出すと不愉快な朝でした。

150220a これはズヴェーデンとオランダ放送フィルのブルックナー・シリーズの第二弾でしたが、2006年の4月と6月に第4番、第9番と第7番の三曲が集中的に録音されました。録音の順番では第7番がわずかの違いで三番目でした。翌年には第2番と第5番が録音されてからレーベルが変わることになります。短期に集中して五曲も録音したのに日本のOctavia Extonを離れてChallenge Classicsに変わったのはなぜだろうと思います。とりあえず今回の第7番は新譜で出た時はレコ芸・月評で特選に漏れていました(第2番と第5番が特選)。CD自体が売れなくなった昨今、指揮者、オケ共々知名度が高くなく、特にブルックナーにゆかりのある団体、人物でも無さそうだったので、注目度はいまいちだったかもしれません。かく言う自分も全くのノーマークでした。

ズヴェーデン・オランダ放送PO(2006年)
①23分08②25分54③09分45④12分44 計71分31
K.ナガノ・バイエルン国立O(2010年)
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
ゲルト・シャラー(2008年)
①20分05②21分53③09分33④13分01 計64分32
ブロムシュテット・ライプチヒ(2006年)
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44

150220b 新しいブルックナー第7番のCDのトラックタイムをながめてみると、ズヴェーデンがひと際ゆっくりとした演奏なのが分かります。実際に聴いていても第1、2楽章はかなり遅くて、慎重にコントロールして進めています。絶叫、咆哮的になるのを注意深く避けさせているようで、そのおかげで金管が特に美しくきこえます。第3楽章はかなり軽快になり、第4楽章も前半楽章程ではないものの隅々まで抑制が行き届いています。この録音を聴くと第7番に対する既存のイメージが変わり、ずっと身近に(今さら身近にというのもなんだが)感じられました。そういえばアイヒホルンとリンツ・ブルックナー管弦楽団の第7番と少し似ている気もしました(オーケストラの威力は違う)。

 ブルックナーの第7番はワーグナー的、濃厚な後期ロマン派的な作品という強い刷り込みが自分にはあったので、漠然とブルックナーの作品を聴いてみようと思う時は第7番は筆頭のグループではなく、オーケストラの公演で第7番がプログラムに入っていても違う曲だったらと思っていました(第8、4番も同様)。このCDを聴いてそうしたイメージがかなり覆りました。そういえばヤノフスキとベルリン放送SOが来月に西宮でブルックナーの第8番を演奏します。

19 2月

ブルックナー交響曲第9番 ヤノフスキ、スイス・ロマンド管

ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.109 (1894年ノヴァーク版)


マレク・ヤノフスキ 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団


(2007年5月 ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール 録音  Pentatone Classics)

150219 今日の正午過ぎにJR京都駅東側の跨線橋を歩いているとトワイライト・エクスプレスが入って来るのが見えました。ホームでは撮り鉄のマニアらしき何人かがカメラをかまえていました。この豪華寝台特急も廃止になるのでとうとう乗る機会は無かったと、もともとあても無かったのに残念に思っているとJR西日本が新たな列車を計画しているニュースがネット上に出ていました。この際そんなに豪華でなくても、のんびりと乗って寝ることができる寝台列車を復活させてほしいものです。ブルトレ末期の天井の低い個室空間がありましたが、あれはさすがに窮屈で病院の検査機器に入っているような感じでした。それとは別に、京都駅前の伊勢丹で岩合光昭の写真展「ネコライオン」が開催中でした。複数のカレンダー・シリーズもある岩合氏のネコ写真は、こってこてのネコくさい写真が沢山あるので開催中に見ておきたいと思っていたのに、うっかりバス停を手前で降りて八条口の東端に来てしまいました。
  
 このところブルックナーの第9番を夜にしばしば聴いていました。それでも何時にもまして特にコメントするようなこともなく、投稿せず終いでした。先日ヤノフスキのブルックナーがBOX化される知らせが載っていて、ミサ曲第3番と合わせて10枚組となっていました。毎度のことながら、どうせそうするなら前もって告知してくれと。今のところ中途半端な枚数を持っているのでどっちつかずです。ヤノフスキのワーグナーは1980年代の指輪の頃から気に入っていますが、スイス・ロマンドとのブルックナーは何とも言えない、微妙な感じです。

ヤノフスキ・スイス/2007年
①24分57②10分53③25分51 計61分41
バレンボイム・ベルリンPO/1990年
①23分23②10分29③27分17 計61分09
ブロムシュテット・LGO/2011年
①24分37②10分24③23分30 計59分31
ヴェンツァーゴ・ベルンSO/2012年
①21分33②09分19③20分44 計51分36

 この第9番は第3楽章がかなり感銘深いと思いながらも、これはワーグナー作品を聴いたときの感銘じゃないかと思えてやっぱり微妙な感慨でした。第1、2楽章を聴いているとバレンボイムが振るブルックナーはこんな感じだろうと想像しがちなタイプで、純朴で泰然としたスタイルとは違いました。ヤノフスキは1990年代にフランス国立新放送POとブルックナーを録音し出して中座というか、第4番だけしか聴いたことはありませんが、その時の印象がよみがえります。何故かフランス語圏のオケとブルックナーを演奏、録音するという点は変わっていません。

 各楽章のトラックタイムを見てみてどれも突出していないようで、ブロムシュテットの方が速目の演奏でした。それにもかかわらずブロムシュテットの方が単純に「ブルックナーらしい」という感慨が得られた気がして、この差はどこからくるのだろうかと思います。それでもヤノフスキのこの録音も魅力的だと思えるパーツがそこここに散らばっているので、聴いて慣れると感じ方も変わるだろうと思います。

17 2月

ショスタコーヴィチ交響曲第5番 インバル、フランクフルトRSO

150217ショスタコーヴィチ 交響曲 第5番 ニ短調 op.47


エリアフ・インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団
  
(1988年11月23-24日 フランクフルト、アルテオーパー 録音 DENON)

 今朝の通勤途中、NHK・AMを聴いていて「すっぴん!」が始まってしばらくで地震と津波の注意報に切り替わりました。結果的に大きな津波は来ませんでしが、運転再開する見込みの原発を思えば全然安心できません。そもそもあの原発事故は、全電源を喪失したのが原因だったわけで、地震や津波以外でも同様の事態になる可能性がある、というのは禁句のような昨今です。 

 来年度の京響定期の一回目のプログラムにもこの曲が入っているように、第5番はショスタコーヴィチの交響曲の中では特に演奏頻度が高い曲です。このCDはインバルがウィーン交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲を全曲録音する前に単独で録音していたものです。そうとは知らずこれが全集の中の第5番だと思い込んでいたところ、ブログをはじめてしばらくして気が付きました。最近東京都交響楽団と録音したので今回のは三度の内最初の録音にあたります。

インバル/1989年
①15分54②5分33③14分18④10分47 計46分32

ロストロポーヴィチ/1982年
①15分25②5分33③12分48④11分48 計45分34
ビシュコフ・BPO・1986
①14分47②5分56③15分29④12分10 計48分32
バルシャイ・ケルンRSO:1995年
①15分29②5分33③13分19④11分14 計45分35
ウィッグルスワース:1996年
①19分29②5分22③15分32④11分08 計51分31

 作曲者による速度指定が問題になるこの作品、各CDのトラックタイムは上記の通りでインバルはロストロポーヴィチ、バルシャイより少し長いくらいで、第4楽章だけは速めになっています。あと、第2楽章は三者が同じ時間というのも面白い一致です。都響の新譜案内でインバルが第4楽章を真の喜びを表現していると言っていると書いてありました(CDは聴いたことがないけれど)。その割に今回の初回録音はそんな風でもないようで、むしろ第3楽章の方から強い共感のようなものが感じられます。その楽章の冷え冷えとした空気が全曲の印象を代表しているような演奏だと思いました。

 このCDが国内新譜で出た際レコード芸術誌(1990年1月号)では特選を獲得していました。選者は小石忠男、諸井誠の両氏で、前者はインバルの演奏を「楽天的どころか孤高の悲哀にみちあふれている」とした上で「透明度が高い」と評しています。ちなみに後の全集からは第13番だけが特選になっていたので、このフランクフルトRSOとの第5番はかなり特別だったようです。同時にこのCDを聴いていると、第4楽章を「真の喜びを表現している」と考える最近のインバルの演奏も気になってきます(1989年頃から考えが変わったのかどうか)。

15 2月

ニュルンベルクのマイスタージンガー バレンボイム、バイロイト

150215ワーグナー 楽劇 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」


ダニエル・バレンボイム 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団


ザックス:ローベルト・ホル(Bs)
ポーグナー:マティアス・ヘレ(Bs)
ベックメッサー:アンドレアス・シュミット(Br)
ヴァルター:ペーター・ザイフェルト(T)
エヴァ:エミリー・マギー(S)
マグダレーネ:ビルギッタ・スヴェンセン(S)
ダーヴィット:エンドリク・ヴォトリヒ(T)
フォーゲルゲザング:ベルンハルト・シュナイダー(T)
ナハティガル:ロマーン・トレーケル(Bs)
コートナー:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
ツォルン:トルステン・ケルル
アイスリンガー:ペーター・マウス
モーザー:ヘルムート・パンプフ
オルテル:シャーンドル・ショーヨム・ナジ
シュワルツ:アルフレッド・ライター
フォルツ:ユルキ・コルホネン
夜警:ユン・クワァンチョル、他
  
演出・監督,舞台美術:ヴォルフガング・ワーグナー

衣装:ヨルゲ・ヤラ

(1999年6月21~30日 バイロイト祝祭劇場 収録 Euroarts)

 今日は京都市内で京都マラソン2015が行われたので、地下鉄の北山駅前の北山通は大混雑でした。横断できないから地下を通るようにアナウンスされていました。資料館へ寄ったついでに昼食にするつもりが、沿道はとてもできそうにない程の人だかりでした。資料館の庭から東を見ると大きな白銀色の十字架が見えました。たぶんノートルダム小学校や女子大の建物の一部だろうと思います。図書館や資料館の学習室は受験生らで満席で、その他にも郷土史家か独自に生涯学習をしている人なのか熱心な来館者がいました。

150215b  何年も前、週刊新潮とかサンデー毎日のような週刊誌の中にジークフリート・フォーゲルがザックスを歌ったマイスタージンガーを扱った記事がありました。第三幕五場の舞台中央に大きな木があり、最後にザックスが月桂樹の冠を貰ってもそれを地面に置いて身を引くという演出を称賛した熱い記事だったので、放送用音源でもいいからフォーゲルのザックスを聴くか、その演出を観たいと思っていました。結局フォーゲルの歌うザックスは聴けませんでしたが、その大きな木の舞台はホルスト・シュタイン指揮のバイロイトの映像がそれと似ているので具体的にイメージできるようになりました。フォーゲルのザックスは別の記事でも読んだ覚えがあり、フェルゼンシュタインの演出だとか書いてありました。

150215a これは1999年のバイロイト音楽祭の本番直前に収録されたものらしく、CDとして出たものと同じ音源のようです。だから客席に客がいない状態で演奏しているはずですが第三幕の前奏曲が始まる前には咳払いのような雑音がきこえていました。そうした細かいことはさて置き、パッケージに使われているがらんとした殺風景な部屋にザックスが座っている写真は見覚えがあり、戦後のバイロイトの一つの様式を象徴しているようです。キャストは歌、外見ともになかなか魅力的ですが、ヴァルター(ペーター・ザイフェルト)はとりあえず髭を剃れと。あと、通常は前奏曲の間はピットの様子を映して、指揮者が指揮棒を振り下ろす瞬間も撮っているものですが、このソフトはそうではなくて、ピットは映さずに図柄の背景を映していました。だからバレンボイムが前奏曲の入りでどんな力の入れ具合かはわかりません(オテロの指揮でムーティーがかなり力みかえって最初の一振りを振り下ろしていた)。

150215c このマイスター・ジンガーは古い時代のドイツを再現しているように見えて衣装や髪型は現代的で、たとえば1943年のバイロイト音楽祭のでのマイスタージンガーの写真と比べるとぐっと身近に感じられます。それに歌、オーケストラも同様で、全般的にシャープにきこえます。第一幕でマイスターらが入場してからポーグナーが自分の娘、エヴァを優勝者に与えますと言った後あたりは沸き立つようにテンポを上げる演奏もありましたが、ここでは全然そうではなくて悠然と流していました。だから意外なほど聴きやすくて、扇動的なワーグナーでなくて自然な演奏にきこえます。バレンボイムはパルジファルを反ユダヤ的な作品であり、それを演奏するレヴァインの気がしれないと言っていたそうですが、その後自分もパルジファルを何度も振っています。何らかの折り合いを付けたのかもしれません。

14 2月

ベートーベン交響曲第5番 ジュリーニ、スカラ座PO

ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 作品67


カルロ・マリア・ジュリーニ 指揮
ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団


(1993年10月17-20日 ミラノ,スカラ座 録音 SONY)

 早くも2月も半分が過ぎました。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015のプログラムが発表になり、コルボがバッハのヨハネ受難曲を指揮する公演が5月3日にありました。ということはやはり関西ではコルボの公演はなさそうです。

150213 先日の日曜か祝日に何気なくテレビをつけたところ、「名曲アルバム選」の最後の曲が流れていました。ベートーベンの交響曲第5番でしたが画面には「運命」と当然のように大きく表示されていました。第1楽章のみから編曲されていたので続きが聴きたくなりました。その時はわざわざCDを取り出したりせず、やっぱり日本では「運命」なんだなと思いながら、野球漫画「ドカベン」の高校1年夏の甲子園で「必走 運命」というのもあったので筋金入りで、向こう百年くらいはこんな調子だろうかと思いました。ちなみに、「秘走 運命」は「秘打」ではなく「秘走」なので、殿馬がホーム・スチールをしてサヨナラ勝ちという話でした。

 さて、ベートーベンの交響曲第5番ですが、個人的好みとしてこの曲の第3楽章が大好きで、それと反対に第4楽章があまり好きではありませんでした。くどいというか、野球の試合で8回裏に12対0でリードしているのにダブルスチールを敢行するような感じです。苦悩を苦悩を乗り越えた末の勝利、喜びだとしても、もう
それくらいで良いだろう、といったところです。ジュリーニが晩年にミラノ・スカラ座のオーケストラと録音したベートーベン(第9番は未発売、録音したとか未だだったとか)は、ジュリーニの晩年の演奏らしく遅めのテンポで通していたので、そんな派手な第4楽章ではなかったはずだと思い出して聴いてみました。

ジュリーニ・スカラ座PO/1993年
①08分19②10分10③05分46④10分17 計34分32

ベーム・ウィーンPO/1970年
①08分33②10分53③06分17④09分20 計35分03
ティーレマン・PO/1996年
①08分01②11分50③05分57④09分17 計35分05
アントニーニ・バーゼルCO/2008年
①06分46②08分21③04分26④10分42 計30分15

 このCDは国内盤なので日本語解説が付いています。「なんと音楽的で格調高い」ベートーベンであろう」、「ケレン味は一切なく、力んだ跡も見られない」等と評されているのはなるほどと実感できました。過去に取り上げたCDとあわせてトラックタイムを並べると、ジュリーニが特別に遅い、長いわけでもなかったわけですが、聴いた印象とちょっと違います。ただ、特に格調高さが実感できた第4楽章はジュリーニがベームやティーレマンより遅く演奏しています(合計時間ではジュリーニが1分程短いのに)。

12 2月

ブルックナー 交響曲第9番 バレンボイム、ベルリンPO

150212aブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調(1894年ノヴァーク版)


ダニエル=バレンボイム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


(1990年10月 ベルリン,フィルハーモニー 録音 ワーナー)

150212b 昨日のラインの黄金を聴いてバレンボイムの指揮も良いものだと感心して、他にも聴いてみたくなり、そうだ、ベルリンPOとのブルックナーがあったじゃないかと思い出して最近親しんでいる第9番を取り出しました。バレンボイム二度目のブルックナー全集となるベルリン・フィルとの録音は1990年から1996年にかけて行われましたが、日本で新譜として出た時はレコード芸術誌の月評ではどれも、全集としても特選に選ばれていませんでした。ちなみに同じ時期にシカゴSOと録音したブラームス交響曲全集(パッケージの写真がブルックナーと同じ)は特選になっていました。1990年代の日本は独特なブルックナー・ブームのような流行だったので、バレンボイムとベルリン・フィルと言えどもその趣向から外れてしまったようです。

 この全集からは過去に第8番を取り上げていましたがシシリーズ第1弾だった今回の第9番もなかなか魅力的です。第3楽章で急にギアチェンジするように速さが変わるフレーズがあるものの、徹底的にワーグナー風に染まった風でも突飛なスタイルでもなく、普通にブッルックナーらしい演奏だと思いました。ジャケット、紙箱パッケージに使われた写真はどこかの財務大臣兼副総理のようであまり素朴さは感じられませんが、実際に聴くと特に金管の音色が柔らくてブルクナーにぴったりだと思いました。

 下記はバレンボイムとベルリンPOのCDと録音年代が近いもののトラックタイムを列記したものです。ジュリーニとウィーンPOが特に長い演奏時間なのが目立ちます。それに比べるとバレンボイムはかなり速目、短目になっています。ちなみに下記の6種類はどれもレコ芸の月評で特選になっていませんでした。ヴァントのブルックナー第9番ならベルリンPO、ミュンヘンPO、NDRSOの日本公演の三種が特選になっています。ブルックナーの交響曲の中でも第9番は特別視されているのかなかなか点が厳しかったようです。

バレンボイム・ベルリンPO/1990年
①23分23②10分29③27分17 計61分09
シノーポリ・LGO/1997年
①25分42②10分15③26分16 計62分13
ブロムシュテット・LGO/1995年
①24分43②10分07③25分28 計60分13
アルブレヒト・チェコPO/1994年
①25分50②09分50③24分44 計60分24
ヴァント・NDRSO/1993年3月
①26分55②10分43③26分52 計64分30
ジュリーニ・VPO/1988年
①28分02②10分39③29分30 計68分30
 
 そういえばバレンボイムはシュターツカペレ・ベルリンと三度目のブルックナー全集にかかっていましたがそっちはどうなっているのでしょう、確かCDは第4番と7番がリリースされていました。ともかくバレンボイムは1970年代から1982年にかけてのシカゴ交響楽団との全集や、それ以前に録音したミサ曲等指揮をやり始めた頃からブルックナーを演奏しているわけで、正真正銘のブルックナー指揮者と言えます。旧、新約聖書に「(この人たちが黙れば)石が叫ぶであろう」と訳された表現があり、「~言えよう」というのはまさにこの場合にピッタリした言い回しでしょう。

11 2月

ワーグナー「ラインの黄金」 バレンボイム、スカラ座

150211aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪 「ラインの黄金」


ダニエル・バレンボイム 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団


ヴォータン:ルネ・パーペ(Br)
フリッカ:ドリス・ゾッフェル(Ms)
ドンナー:ヤン・ブッフヴァルト(Br)
フロー:マルコ・イェンチュ(T)
ローゲ:シュテファン・リューガマー(T)
フライア:アンナ・サムイル(S)
アルベリヒ:ヨハネス・マルティン・クレンツレ(Br)
ミーメ:ヴォルフガング・アプリンガー・シュペルハッケ(T)
ファゾルト:ヨン・クワンチュル(Bs)
ファフナー:ティモ・リーホネン(Bs)
エルダ:アンナ・ラーション(A)
ヴォークリンデ:アガ・ミコライ(S)
ヴェルクンデ:マリア・ゴルチェフスカヤ(S)
フロスヒルデ:マリナ・プルデンスカヤ(A)


演出:ギー・カシアス
バレエ:イーストマン・バレエ・カンパニー
振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ


(2010年5月26日 ミラノ,スカラ座 ライヴ収録  Arthaus Musik)

 「雲にそびゆる高千穂の」で始まる紀元節の歌というのは戦前生まれの人ならなじみ深い歌だそうですが、戦後世代なら少なくとも公立学校の義務教育の授業や行事で歌うということはまず無かったはずです。高千穂じゃなくてワルハラの神々の物語、ニーベルングの指輪の演出は多様化してもう神話の世界の趣を留めない舞台も珍しくありません。バレンボイムが2010年、2012年、2013年にスカラ座で指揮、上演した指輪も異世界と現代が混じったような空間を思わせる舞台でした。ただ、バレエを多用した演出の前にスカラ座管弦楽団らと歌手の演奏、音楽自体は大変素晴らしくて、これが映像ソフトではなくCDだったとしても十分満足いくものだと思いました(ワーグナーの音はどうあるべきとかうるさいことを言わなければ)。先日、朝の通勤時間帯に大阪へ向かうべく京阪特急に乗っている時、CDウオークマンでスワロフスキー指揮のジークフリートを聴いていると直前にバレンボイムとスカラ座の音を聴いていたので何とも素っ気無くきこえました。

150211b バレンボイム・スカラ座の指輪はBSプレミアムでも放映されて話題になっていたようですが(当時は関心がわかなかった)、終始舞台上にバレエが展開されるのが特徴です。ライン河底の第1場と第2場の間でダンサーは撤退するのかと思ったら、ヴォータンとフリッカが登場してもバレエの舞踏は続きました。単に舞台のスペースを埋めるだけではなく、物語の進行、人物のセリフの表現も兼ねています。文楽の黒子でもなくエキストラでもないようで、観客が見えていることを前提としているのでしばらく違和感をおぼえます。歌手もまとわりつかれたり、動き回られたりで集中しにくいかもと思います。しかし、段々慣れるにつれ新鮮で面白く感じられました。最近は映像を投影する手法が取り入れられ、今回のように舞台上が簡素化する演出もあるので、バレエがアクセントになり、単調にならないと思いました。もっともまだラインの黄金しか観ていませんが。

 衣装はヴォータンが極道の会長のようなダブルのスーツ、フリッカとフライアは派手なドレスだった他は神話世界か何か分からない出で立ちです。ヴォータンとフリッカが登場した時は元総理とDビ夫人が揃って現れたような錯覚を覚えましたが、歌の方は二人とも立派でした。ドリス・ゾッフェルがこんな風貌になっていたとは、インバルのマーラーかバッハのカンタータくらいしか思い出せない名前だったので妙に感心しました。他の歌手ではヨン・クワンチュル(ファゾルト)とシュテファン・リューガマー(ローゲ)が特に目立ちました。それ以外の歌手も皆好印象でした。声の性格がはっきりしているので映像無しでも聴き分けやすく(決定的にそれが良いのか分からないけれど)、明快に感じられました。

 終演後の拍手は盛大でしたが、最初に現れたバレエ・ダンサーには不満の色もうかがえました。バレンボイムと歌手には不満がないようで、ヨン・クワンチュルへの拍手、歓声がひときわ大きいようでした。フィナーレ部分ではワルハラ城や虹の架け橋を思わせる構造物、映像は見られず、うす暗い中に床面に第1場と同じく水を張った部分があり、神々は混沌の闇の中へ消えて行くようで、ちょっと異色でした。繰り返しますが音楽の方は素晴らしく、また音質というか残響、バランスも良いので、最初観終わってから再度観たくなり短期間に二度観ました。

10 2月

クレンペラー・フィルハーモニアOのブラームス交響曲第2番

ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1956年10月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

150210 神武節の頃は寒かったと聞かされた通りここ二日の冷えこみはきつく、昼間外を歩いても手や顔が冷たくて今季一番だと思いました。午後の二時過ぎにネット経由でFMを聴いたところブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が流れていました。やけに明るくポップな曲にきこえて、こんな曲だったか?と思うくらいでした。番組表で確かめたらバーンスタインとウィーンPOの録音で、昔聴いた時はあまり感心しなかったものだったので我ながらちょっと驚きました。ともかくその放送を聴いた後は何となく暖まったような気になりました。それで思い付いたのがクレンペラーのブラームスで、四つの交響曲は全部取り上げたつもりでしたが、第2番が過去記事の中に見つからなかったので今回取り上げました(だぶっているかもしれない)。

 クレンペラーのブラームスは1枚1800円のLPを購入して聴いていて、特に第4番が圧倒的に気に入っていました。当時は第2、3番は印象が薄くてCD化されるまであまり聴きませんでした(曲自体があまり好きでもなかったので)。過去記事でこのCDに言及した部分で「激しく堅固な演奏」とコメントしていました。今回改めて聴いているとそれだけでなく、古い録音らしい音質ながら伸びやかで潤いがるように思えました。特に第2楽章が素晴らしくて堅固なだけではない魅力(いい加減なことを言って)です。

クレンペラー・PO(1956年)
①15分03②9分17③5分28④9分04 計38分52

モントゥー・VPO(1959年)
①20分28②9分20③5分06④9分00 計43分54
トスカニーニ・PO(1952年)
①14分38②8分20③5分16④8分50 計37分04

 1950年代のCDのトラックタイムを列記すると上記のようになり、リピートの有無の差もあるはずです。第2楽章以降を見るとクレンペラーはモントゥーとあまり変わらず、より後年の演奏程は遅くなく、VOX社への録音のような快速とまではいかない微妙な感覚です。今回第2番を聴いていると長らく愛聴していた第4番が息苦しいような気がしてきました。第1番も第4番と似た印象だったので、そもそも第2番こそクレンペラーのブラームスの中で屈指の名演かもしれません。そんなわけでブラームスらしいのか、とことんクレンペラーらしいかどうかよく分からないながら、この第2番は小春日和のように魅力的でした。

 ところで神武節、戦前は尋常小学校、国民学校へ登校して奉安殿に安置してある天皇皇后両陛下の肖像写真へ向かって拝礼したと聞かされました。皆が頭を下げている時、そっと少し顔を上げてみると写真があるのが見えたと母は言っていいました。それに紅白の饅頭が配られたので皆喜んでいたそうでした。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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