160329プッチーニ 歌劇 「マノン・レスコー」

ブルーノ・バルトレッティ 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
アンブロジアン・オペラ合唱団(ジョン・マッカーシー指揮)

マノン・レスコー:モンセラート・カバリエ(S)
騎士デ・グリュー:プラシド・ドミンゴ(T)
ジェロント:ノエル・マンジャン(Bs)
レスコー(マノン兄):ビセンテ・サルディネロ(Br)
エドモンド:ロバート・ティアー(T)
宿屋の主人:リチャード・ヴァン・アラン(Br)
舞踊教師:バーナード・ディッカーソン(T)
歌手:デリア・ウォリス(Ms)
軍曹:ロバート・ロイド(Bs)
点灯夫:イアン・パートリッジ(T)
海軍大尉:グウィン・ハウエル(Bs)

(1971年7,12月 ロンドン,ブレント・タウン・ホール 録音 EMI)

 先週の水曜日に京都市も桜の開花が確認されたので鴨川沿い(左岸)を通ったらまだチラホラと咲出した程度でした。予報通り今週末から日曜あたりで一気に見頃になりそうですが、既に市内は遠方のナンバーを付けた車が急に増えました。夕方は御池通から五条通まで南下するのにチャイコフスキーの悲愴を余裕でまる一曲聴くことができるくらいの時間がかかりました(歩いたほうがは速かった) 。ここ数年、このシーズンに烏丸通だけでなく南北の通がこんなに混んだことはあったかどうか、単に事故か何かの影響だったのかもしれませんがそこそこ賑わっているようです。

 このCDはソプラノのモンセラート・カバリエとドミンゴらを起用した「マノン・レスコー」のセッション録音です。クレンペラーがまだ存命の頃でフィルハーモニア管弦楽団がニュー・フィルハーモニアと名乗っていました。健康がすぐれずキャンセルが増えたクレンペラーの穴を埋めるべくクルト・ザンデルリンクが客演する頃でした(1972年に首席客演指揮者に就任する)。特に1970年代のこのオーケストラは独墺ものに加えロシア、フランス系にイタリア・オペラと何でもレコード録音しているのには感心します。

 この録音はカバリエが歌うマノンとその相手役ドミンゴが目当てですが、聴いているとカバリエはこの役の教本的な美しさながらそれよりもドミンゴの方が華々しくて目立って聴こえます。また、バルトレッティ指揮のオーケストラもなかなかです(アラン・ロンバール指揮のトゥーランドットよりはかなり良い)。イタリア・オペラのレコードで有名なプリマが参加しているものはオケを伴奏と呼ぶのを時々見かけました。ジュリーニとアバドの間の世代にあたるバルトレッティ(Bruno Bartoletti 1926年6月10日 - 2013年6月9日)もレコード界ではオペラ職人的な扱いですが、単なる伴奏とは言えない魅力があると思います。このCD以外では「セビリアの理髪師」等がCD化されていました。

 プッチーニの出世作となったオペラ「マノン・レスコー」は、1893年2月1日にトリノ王立劇場で初演されて注目されました。原作はアベ・プレヴォーの「ある貴族の回想録(全7巻)」に含まれる同名小説で、プッチーニ以前にマスネもオペラ化しています。 プッチーニのオペラ台本は次々に入れ替わって五人がかかわることになりました。18世紀末のフランスとその植民地のアメリカを舞台にして、修道院に入れられる直前のマノンに一目ぼれしたデ・グリューが彼女をさらって駆け落ちし、最後はアメリカの荒野で死ぬという破滅的なお話です。だからストーリだけをとれば全然好きではない(しっかりせい、デ・クリュー)のにプッチーニのメロディの魔力、マジックのためにひきつけられてつい全曲盤まで聴いてしまう作品です。このCDでもストーリーは度外視してドミンゴが第三幕で歌うデ・クリューのアリア “ Pazzo son, guardate (狂気のこのわたしを見てください) 、マノン役のカバリエが歌う第四幕のアリア “ Sola,perduta,abbandonata (ひとり寂しく捨てられて) は特に素晴らしいと思いました。