raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:コンドラシン

17 2月

マーラー交響曲第6番 コンドラシン、レニングラード/1978年

240217bマーラー 交響曲 第6番 イ短調

キリル・コンドラシン 指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団


(1978年 レニングラード 録音 Melodya)

 
先日、大阪フィルの定期へ行った時、京阪中之島線の「渡辺橋」駅で降りるところが一駅手前の「大江橋」駅で電車から降りてしまいました(またか)。さすがに下車する途中でここじゃないと気が付きましたが、秘境駅でもなく開演まで50分程度あったのでジタバタせずにそのまま降りて次の電車を待ちました。去年の4月に都響のマーラー第7番へ行って以来ですが中之島線の乗降者数が少ない、のびないというのは本当だと実感しました。当初は本線からの直行の快速急行なんかがあったのに、いつのまにか無くなりちょっと不便ですが、夢洲に常設賭場が出来るならその付近まで延伸する計画があるそうです。それにフェスティバル・タワー地下の飲食店も混んでいなくて、Lッテリアなんか夕方早々にシャッターを閉めていました。基本的にオフィス街ということですがやはり景気はいまいちです。ついでに京橋駅の売店では棒付フランクフルトがいつのまにか名物になっていました。ごみ箱が撤去されて久しいなか、その棒だけは売場で回収していました。

コンドラシン・レニングラード/1978年
①16分22②11分45③12分39④24分41計65分27

クーベリック・バイエルン/1968年
①21分07②11分44③14分40④26分35計74分06
ショルティ・CSO/1970年
①21分06②12分33③15分30④27分40計76分49

240217a 今回はメロディア・レーベルのCD、コンドラシン(Kirill Petrovich Kondrashin 1914年3月6日 - 1981年3月7日)、レニングラードPOのマーラー第6番です。このマーラー第6番はまず冒頭から速いテンポに驚きます。全曲がCD一枚に収まる演奏は他にもありますが、全4楽章で65分台というのは異例です。第1楽章は行進曲調の曲ですがこれは駆け足か騎兵の調練なみのテンポです。第3楽章のアンダンテもかなり淡泊に進行しますがこちらの方は意外に違和感はなくて、引き締まった響きの演奏で美しく魅力的です。第2楽章は他の短い演奏時間の録音と差は少なくて目立ちませんが、この演奏の中でもバランスがよくて絶妙です。終楽章は30分程度はある演奏が多い中で25分を切るので目立ちます。それにハンマー打撃が控え目なのであまり破壊的な印象を受けません。しかし、収まりが良いというのか、全曲を通して聴くと終楽章が突出しない、全体の統一感が強いのが好感です。第6番の過去に定評のあったバーンスタイン、テンシュテットらと比べると終楽章がかなりあっさりしているのにかえって全曲の印象が強い気がしました。と言っても第6番のレコードとしてそれほど騒がれてなかったので、今頃聴いて新鮮に思ったという面が大きいのだろうと思います。

テンシュテット・LPO/1883年
①23分36②13分04③17分21④32分57計87分55
バーンスタイン・VPO/1988年
①23分17②14分16③16分19④33分10計87分02
バルビローリ・ニューPO/1967年
①21分14②13分53③15分51④32分43計83分41
マゼール・VPO/1982年
①23分35②12分47③16分05④29分54計81分21

 第6番については第2楽章と第3楽章の順序が問題になり、最近では第2楽章にアンダンテをもって来る方が増えているようです。今回のコンドラシンの録音を聴いていると(アンダンテは第3楽章にしている)、これなら第2楽章にアンダンテに変えた方がより魅力的、しっくり来るんじゃないかと思いました。コンドラシンはショスタコーヴィチの交響曲第4番、第13番を初演したことで知られ、モスクワ・フィルとのショスタコーヴィチ交響曲全集も有名でした。亡命後間もなく1981年3月7日にアムステルダムで急死しました。このマーラー第6番はモスクワ・フィルではなく、レニングラード・フィルを指揮しているのが注目です。この時期のレニングラード・フィルは完全主義、厳格なリハーサルで有名なムラヴィンスキー(Evgeny Aleksandrovich Mravinsky 1903年6月4日 - 1988年1月19日)がまだ健在だったので、オーケストラの水準も高かったはずです。ムラヴィンスキーがマーラーを指揮したことがあったのかどうか分かりませんがショスタコーヴィチ第4番と同様に西側系の作品はコンドラシンの分担だったということでしょうか。

 旧ソ連のレコードの復刻CDは少し前までメロディア・レーベルか、その後はヴェネチア・レーベルでしたが、いつの間にかそれも見かけなくなりました。いったいどういう素性のレーベルなのかと思います。それよりも旧ソ連の音源は独特の音質なので、西側の人間からするとついバイアスがかかってしまうこともあるので、会場で聴けばどんな風に響いていたのか大いに気になります。いまさらどうしようもありませんが、特にコンドラシンは気がかりです。
8 2月

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番 アシュケナージ、コンドラシン/1963年

220209bラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
 
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

(1963年9、10月 録音 DECCA)

220209a オミクロン株蔓延、人権、ウクライナ侵攻危機と色々ある中で冬季オリンピックが始まっています。フィギュア男子のSPの今日、ネットの中継を観ていたら羽生選手、冒頭のジャンプが一回転になってしまいました(一体何があったというのか、本覚坊に心当たりはないのか?)。四年前の男子ショートは車の中で中継を聴いていた記憶があります。さらにその四年前は女子の浅田選手の悪夢のショートと圧巻のフリーがありました。別に縁者でもないのにやけに緊張して、起きていながら中継を観ることができなかったのを覚えています。それで夜になってのみ屋でホステスさんに聴いたら感動もの、凄い内容だったと分かりました。ともあれ、順位はどうであれトラブル無しで終えてほしいところです。

 ソチ五輪以来ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を耳にすると浅田真央の演技が頭の中にチラつきますが、これはアシュケナージ二十六歳の頃の録音です。アシュケナージは、後にハイティンク、プレヴィンの指揮でもこの曲をレコーディングし、さらに指揮だけでも録音しています(ピアノはティヴォーデ)。この二曲の録音データが1963年、ロンドンでの録音となっていて、その年にアシュケナージはソ連を出てロンドンに移住、亡命していました。ピアノ協奏曲第3番がその年の3月、第2番が9、10月の録音となっていますが、彼はいつ亡命したのだろうかと思います。記載データ通りにモスクワ・フィルがロンドンでレコーディングしたのなら、当然アシュケナージが亡命するより前のはずです(コンドラシンの亡命は1978年)。他のCDで「亡命直前のライヴ」と銘打ったものが「1963年6月、モスクワ音楽院大ホール」の演奏となっているので、このラフマニノフの二曲のデータは逆、ロンドン交響楽団との第3番が9,10月じゃないかと思います。既に判明している事柄なら、また誤解なら共に失礼しました、げすの勘ぐりというやつで。

 それらの背景はともかく、この第2番は個人的に好きで、どぎつい香水で鼻がおかしくなるようなタイプと違い、明解で独特の心地よさにあふれています(ゲンなおしにもってこいか)。CD付属冊子の解説には「アシュケナージの演奏に、大量のアドレナリンや感傷的な響きを求めるならば、まちがいなく失望するだろう」、「彼の演奏はあくまで明晰で、それ自体完成されており、批評家に細かい箇所やエピソードをあげつらう隙を与えない」と書かれてあります。また、「派手な演奏効果を狙ったり、テンポや感情を極端に強調するやり方は、この頃から彼の本質とは無縁なものだった」とも評しています。

 一方でコンドラシン指揮のモスクワ・フィルのオーケストラはそういうアシュケナージのピアノとはちょっと違って、分厚く濃い響きに聴こえます。「名盤鑑定百科 協奏曲篇 (吉井亜彦/春秋社)」では、アシュケナージが弾いたこの曲の三種のうち、後年の二種が二重丸になっているのに対して今回の1963年盤は一重丸にとどまり、「独奏者の初々しい感性が無理なく示される(重厚な指揮を背景に)」というコメントが付いています。
23 4月

ステンカラージンの処刑 コンドラシン、モスクワPO/1965年

210423aショスタコーヴィチ ステンカ・ラージンの処刑 Op. 119

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
ソヴィエト放送合唱団

ヴィターリ・グロマツキー(Bs)

(1966年 モスクワ 録音 Melodiya/EMI)

210423b  「ばあさん その水飲んでみろ」、漫画「北斗の拳」のワンシーン、拳王の部下の大きなおっさんが婆さんに変装してケンシロウ一行を毒殺しようとするも、無精ひげで一目で見破られて冒頭のセリフとなるわけです。メルトダウン事故原発冷却水の海洋放出の件、自分の周辺で雑談の折にちょいちょいふれてみると関心が低く、仕方ない的な声が多いのは意外でした。五山の送り火の焚き木に岩手県で津波をかぶった松を使う際にあれほど過敏な反応だったのに、直接自身の身にふりかからなければ問題無しということなのか。しかし違うケースながらイギリスの核燃料再処理施設で起こった流出事故なんかは、日本では大きく報道されていなかったよう(自分も全然記憶になり)ですが、人体に影響は無いとされながらも今ネットで検索すると「海洋汚染」という言葉が冠されて出てきます。そっちはトリチウムだけではないので別の話ですが、流すつもりでない物質を流出させてしまったというのが恐ろしくて、どこででも起こり得ることでしょう。

 ショスタコーヴィチの「ステンカ・ラージンの処刑」(エフトゥシェンコの詩に基づくバス独唱と混声合唱のための「ステンカラージンの処刑」)は、1964年に作曲されて同年12月28日にモスクワで初演されました。コンドラシン指揮のモスクワ・フィル、バス独唱はグロマツキーでした。これは初演から二年に満たない間に録音されたレコードです。今回聴いたのは英国プレス(メロディアの音源、レコードをEMI系から販売していた時期があったらしい)。レニングラード交響曲とのカップリング、二枚組でステンカラージンの処刑は二枚目の最後、通算で四面目全部におさまっています。

 交響曲第13番「バビ・ヤール」の約2年後に初演されて編制も似ていて、作品の背後、根底には同じ志と情熱?が流れていいる作品でしょう。実際に聴いているとバビ・ヤールよりもさらに陰にこもって、先祖代々受け継がれた怨嗟がまだ燃えているような迫力です。火山の噴火で流れ出た溶岩流が時間の経過で冷えて固まったように見えて、よく見ると表面がひび割れて赤く熱い溶岩が見えたような、決して心地よい印象ではありません。マーラー作品の陰鬱さとも違い、物理的な攻撃を受けるような独特の印象です。ショスタコーヴィチのバビヤール、交響曲第4番、ステンカ・ラージンの処刑は聴いていると特に似た感覚になります。CDも何種か出ていてHMVのサイトにあるP.ヤルヴィのCDの紹介のところに作品解説が出ています。

 「ステンカ・ラージンの処刑」の歌詞はバビヤールと同じくエフゲニー・エフトゥシェンコの詩集からとられています。詩集の方は1964年に完成したブラーツク・ダム、発電所をテーマにした内容だそうで、その中でから政ロシアの17世紀後半に反乱を起こしたコサックの領袖が公開処刑される場面を描いた部分が使われています。今回はCDではなくLPで聴いたのでヴェネチア・レーベルから出ているコンドラシンとモスクワ・フィルのショスタコーヴィチ全集の音とは違い、もっと艶のある西側の録音に近い音質ですが演奏の迫力、妙は十分に伝わります。それと同時にヴェネチアのCDの音質はどうなんだろうということと、メロディアのCD、LPとはちょっと違うのかとも思いました。
17 9月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 コンドラシン、モスクワPO

130917a_2ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

(1973年9月7日 録音  Venezia)

 今回も昨日に続いてショスタコーヴィチの交響曲第11番です。コンドラシンとモスクワPOの全集は基本的に皆好きで、なんとなくショスタコーヴィチといえばコンドラシン、くらいに思っていました。それが今年の春ごろから車内(カーナビでSDカードに入れたファイルを再生)バルシャイの全集を繰り返して聴いているうちに、すっかりはまってしまいました(繰り返しても飽きない)。第10番から12番は特にバルシャイの方が気に入り、コンドラシンやヤルヴィの激しい演奏が物足りなく感じます。

コンドラシン・モスクワPO・1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52

ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

130917b_2 上はこのCDのトラックタイムで、昨日のヤルヴィ盤よりも合計時間で1分程短くなっています。旧ソ連の録音なのでおなじみの独特な音質です。特に打楽器の音が妙に軽い金属的な音です。第二楽章はヤルヴィよりも少しだけ遅いものの、猛烈で鋭い印象を受けます。しかし同時に軽快な響きに聴こえて、ここでもあまり不気味さや恐怖感のような感覚は薄いと思います。もっとも、演奏している現場で聴いていれば違った印象かもしれません。全体的にはヤルヴィ、エーデボリSOのようにあっさりしたものではなく、濃厚な情念が尾を引くようで、ちょっとロマン派的です。その点は非常に惹かれます。コンドラシンはこの録音から約5年後に西側へ亡命します。

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
インバル・VSO・1992年
①15分03②18分56③13分22④14分45 計62分06

 交響曲第11番の第二楽章は「1月9日」というタイトルが付き、皇帝へ請願するために冬宮へ向かう群衆に軍隊が発砲した「血の日曜事件」を現しているとされています。特に「銃撃のリズム」とか呼ばれる部分が露骨ですが、この辺りをテンポを落とすタイプと速目に演奏するタイプがあり、コンドラシンは速い部類です。バルシャイはゆっくり目ですが、ロストロポーヴィチやロジェスヴェンスキーは更にゆっくり演奏しています。部分的なことですが演奏効果はかなり違ってきます。

 ネット上に昨日の氾濫、冠水の画像がネット上にUPされていました。京都市や宇治市のよく知っている場所が沢山あり、普段からここは低い所だと言われた箇所はやっぱり水に浸かっていました。昭和28年の大水害(今でも語り草)の時はダムが整備されていなかったので、浸水した区域は今回の比較ではありませんでした。観月橋付近で堤防が決壊し、巨椋池(戦前に干拓された)が一時的に復活した格好でした。宇治川については天ケ瀬ダムの威力は絶大だったわけです。

19 7月

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 コンドラシン、モスクワPO

130719b_2  ショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

(1973年9月24日 録音 Venezia)

 今日は京都市交響楽団の定期公演がありました。スペイン出身のゴンザレスが指揮、ヴァイオリンはレーピンという顔合わせです。ショスタコーヴィチの作品は11月の定期でも祝典序曲とチェロ協奏曲第2番が予定されています。今季完売が続く京響定期ですが今回は当日券があったようです。演奏時間からショスタコーヴィチがメインと思っていましたが、一曲目のシベリウスのコンチェルトが素晴らしく、もう一回聴きたいくらいでした。

京都市交響楽団第570回定期演奏会
パブロ・ゴンザレス:指揮
ワディム・レーピン:ヴァイオリン

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47(第2稿)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調op.93

120719a  そういうわけで事前におさらいがてら、ショスタコーヴィチの交響曲第10番も聴いていました。旧ソ連時代のコンドラシンはやはり現代聴くと隔たりを感じます。今日聴いた京響定期では、弦が優美でロシア=ソ連の冬の時代の音楽というイメージはあまり湧きませんでした。コンサートのプログラムに書いてあった解説には、第二楽章がスターリンの肖像だとかそうした見方よりも、作曲者の個人的な要素を濃く反映した謎の多い作品と評していました。またプレトークで、ゴンザレスはショスタコーヴィチについて終生戦いながら作曲し続けたという意味のことを話していました(自分の表現したいことと、当局との意向がぶつかる戦い)。

コンドラシン・1973年
①21分22②04分05③12分05④11分23 計48分55

ヤルヴィ・SNO・1988年
①22分59②04分03③13分15④12分29 計52分46
バルシャイ・ケルンRSO・1996年
①23分14②04分31③12分08④12分19 計52分12

 コンドラシンの録音は上記のようにその後の録音より速目で、激しい印象を受けます。また、その半面少々軽いとも思えます(これは録音環境の影響か)。第一楽章の前半は例えばバルシャイ盤とは、二分程度の演奏時間の差以上の印象の違いを感じます。第四楽章のコーダは、義理で頼まれた応援演説で心そこに無く、演説テクニックだけで会場を高揚させるような作風だと思っていましたが、コンドラシン盤では何か二心が無いような白熱ぶりです。

 ショスタコーヴィチが仮にアメリカに亡命、移住していたらどうなっていたかというのは想像し難いものがあります。自由を妨げるものが減っても違った縛りが出て来るはずで、例えば三文オペラのクルト・ワイルは、アメリカでショウ・ビジネスの世界で活躍したけれど、創造的な観点からはダメになったとクレンペラーは惜しんでいました。想像の域を出ませんがショスタコーヴィチも移住していたら、アメリカのショウビジネスはスター偏重で、客に媚びているだけだと、ッと舌を鳴らすこと度々で失望も多かったかもしれません。

19 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第12番 コンドラシン、モスクワPO

130619aショスタコーヴィチ  交響曲 第12番 ニ短調 作品112「1917年」


キリル・コンドラシン 指揮

モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団


(1972年12月13日 録音 Venezia)


 頻繁に聴いている内にこれまでさ程思い入れが強くも無かったショスタコーヴィチの交響曲第10-12番の三曲に、よく分からないなりにのめり込みそうになってきます。昨日は電車で通勤したのでCDウォークマンで電車内の騒音を遮りがてら、終始聴いていました。スマートフォンや携帯プレーヤーに付いているイヤホンの中には外部に音が漏れるタイプのものが結構あり、あれにはうんざりさせられます。そう思いつつ、自分のウォークマンは大丈夫かと一応耳から外して確かめるようにしています。スターリンの肖像(第10番の第2楽章)とか1905年の銃撃のところになると、まわりが少々うるさくても気にはなりませんがさすがに朝は止めておきました。それにしても、電車内の騒音は三十年くらい前に比べて格段に大きく、多彩になりました。

130619  映画のサントラにも出来そうな交響曲第11番に対して、次の第12番はずっと凝縮して絶対音楽=交響曲らしくなっています。さらにCDの解説やウィキの解説に楽器編成が載っているのでそれを見比べると、第10番と11番で使用しているシロフォンも入っていなくて、第11番のハープ、チェレスタもありません。ショスタコーヴィチの交響曲にはピアノ、チェレスタが加わるものが多いので、第12番は珍しい例です。最後の交響曲、第15番でもチェレスタをはじめとしてグロッケンシュピール等色々と参加しています。変則的な交響曲第13、14番とかを演奏しなかったムラヴィンスキーがこの曲を支持したのはこの辺りの要素も理由だったかもしれません。ただ、第4楽章のコーダ部分は終わりそうでなかなか終わらず、マーラーの交響曲第1番のようです。

130619b  作曲者より8歳年下のコンドラシンはこの録音から約6年後、ショスタコーヴィチの没後に亡命します。こういう世代、キャリアの人間は、いろいろ言われる交響曲第12番をどんな風に演奏するのか興味深いものがあります。改めて聴いてみると、屈託なく虚心に演奏しているようで、少々あっけなくもありました。第3楽章から第4楽章に移るところも直線的に通り過ぎています。第13番「バービー・ヤール」の時のような熱のこもった演奏からすればかなり印象が違います。

 コンドラシンは日本公演(1967年)の後、1970年代に入って心臓の状態が良くなかったということなので、この曲ももっと古い録音だったらもう少し違った演奏になっていたかもしれません。また、よく言われるようにコンドラシンは亡命後急死してしまったのが惜しまれ、全集再録音は無理でもせめてショスタコーヴィチの交響曲第10-12番は、西側のオケで再録音を残してほしかったと思います。

3 10月

ショスタコーヴィチ交響曲第8番 コンドラシン 東京公演

ショスタコーヴィチ 交響曲 第8番 ハ短調 作品65


キリル・コンドラシン 指揮

モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団


(1967年4月20日 東京文化会館 ライヴ録音 Altus)

0121003 
 清涼飲料水に「スコール」という長寿商品があります。昭和40年代に自宅を建替える(風呂場部分だけを壊して、空地に新築)時銭湯に通ったことがあって、風呂上りにはフルーツ牛乳よりもスコールを飲んでいました。テレビCMには「愛のスコール」というコーラスが強烈に飛び込んできます。この夏、京都市役所近くにある銭湯の前にある自販機にもスコールがあったので時々のみ、缶にしっかり「愛のスコール」と印刷されていて懐かしくなりました。銭湯といえば、昭和50年代に東京の銭湯(何区だったか?)に入った人(学生時代)が、中でインターナショナルの歌をロシア語で歌っている老人が居たと言ってたことがあり、思いっきり隔世の感がします。


 このCDは今年の7月に投稿したコンドラシン指揮、モスクワPOの
ショスタコーヴィチ交響曲第6番と同様に1967年の同コンビの東京公演の一つです。第6番の二日後の演奏で、ムソルグスキーのオペラ「ホヴァンシチナ」前奏曲・モスクワ河の夜明けがカップリングされています。


 また、コンドラシンとモスクワPOによるショスタコーヴィチ交響曲全集の中にも
交響曲第8番の録音が当然あって、録音年月日は不確かですが、1961年や16967年4月11日と表記もあります。しかし、1967年の日本公演は3月31日の来日から始まっているので、本当に4月11日に録音したなら10日の宝塚大劇場と12日の名古屋市民公会堂の両公演の間に行ったことになり、その可能性は限りなくゼロに近いです。このCDの解説文では、全集のセッション録音の第8番は1962年の録音として話が進んでいます。


交響曲第8番 ハ短調 作品65

Adagio-Allegro non troppo-Allegro-Adagio
Allegretto
Allegro non troppo
Largo
Allegretto-Adagio-Allegretto


 
交響曲第8番も、いわゆるヴォルコフ編の「証言」が絡んできます。しかしその事はさて置くとして、「私の交響曲の大多数は墓標である~」という言葉に納得させられる作品の一つです。コンドラシンの演奏、録音の場合は特にそういう感情がわいてきます(よくもわるくも)。なお、このCDは音質の
方は今一つのようです。


コンドラシン、モスクワPOの交響曲第8番

1967年ライヴ録音
①21分48②5分32③5分36④6分31⑤12分41 計52分08


1962年セッション録音
①24分00②5分42③6分02④8分28⑤12分15 計56分27


 この東京公演の録音のトラックタイムは上記の青字の通りです。CDの解説にはコンドラシンはライヴ意外な即興性を発揮していたので、5分近い差があっても珍しくないと評しています。また、オーケストラが指揮者の要求するテンポの変化に戸惑っているようなところがあるが、決めるところはきめているとして、モスクワPOの首席に就任後間もない1962年のセッション録音時と比べて、荒削りであるがオーケストラの細部までコンドラシンの意図が行き届いているとも書いています。


 インターナショナルの歌は、ウィキによると1917年から1944年までソ連の国歌だったとありました。ショスタコーヴィチが交響曲第8番を作曲した頃やコンドラシンの若い頃は唱和したことがあるはずです。

20 7月

マーラー交響曲第9番 コンドラシン、モスクワPO 1964年

120720a_2マーラー 交響曲 第9番 ニ長調

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー

(1964年 録音 Melodiya)

 先日投稿したショスタコーヴィチの交響曲第6番のCDは、コンドラシンとモスクワPOの来日公演のライヴ音源でした。その昭和42年の来日時のプログラムにはマーラーの交響曲第9番も入っていました。それはマーラーの第9番の日本初演だったらしく、ライヴ音源がCD化もされています(聴いたことはない)。このCDはそれよりも約3年前にセッション録音されたもので、コンドラシンのマーラー選集に入っている一曲です。1枚のCDにマーラーの9番が収まっているので速い部類の演奏です。

 長らくソ連、ロシア系指揮者によるマーラーはCD購入にまでは至らず、ラジオで聴いたことがある程度でした。しかし昨年のゴレンシュタイン盤を、京都コンサートホールで京響の定期を聴いたことと、異様に遅いという前評判から購入して好印象だったので遅まきながら関心が増しました。

コンドラシン・モスクワPO(1964年)
①24分48②15分27③11分54④21分51 計74分00

 演奏時間の合計だけを比べても、やはりコンドラシン盤は短いのがよく分かります。素っ気ない、冷たい等の代表のように言われたギーレンより10分短く、過去にブログで扱ったCDの中で一番の短さです。これだけ演奏時間の違いが際立っている割に、第4楽章だけは差が小さく、機械的なとか何の情緒も漂わないといった演奏ではありません。

ショルティ・CSO(1967年頃)
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25
ギーレン・SWRSO(2003年)
①29分01②17分46③14分35④22分23 計83分45
ゴレンシュタイン・ロシアNSO(2010年)
①30分07②17分45③15分10④31分55 計94分57

120720b  全曲を通じて魅力的だったのがその第4楽章で、冒頭はかなり力強く始まって、この曲にたいする告別云々とは別世界かと思わせながら徐々に雰囲気が変わり、後半のクライマックス部分で第1楽章冒頭の動機が現れる辺りは第1楽章の激しさが思い出されて、見事に統一感が出ています。最後は “ ersterbend ( 死に絶えるように ) ” という表記にふさわしい終わり方です。

 テンポや音質の違いから個性的にきこえるものの、鉄のカーテン(この言葉も懐かしい)の向こう側のマーラーも根本的に異質ではないのが分かります(楽譜があるのだから当然だけれど)。振り返ってみると、コンドラシンらソ連で演奏していたショスタコーヴィチの方がむしろ西側で演奏しているものより異質だったのかという気もしてきます。

 ネット上の記事で読んだことが有る話ですが(どこで読んだか思い出せない)、昨夜のテミルカーノフの何度目かの来日公演の中に、ショスタコーヴィチの交響曲第7番が一曲だけの日があり素晴らしい演奏だったのに、会場は空席が目立っていたそうです。東京でもそういうことがあるのは驚きで、その調子なら1967年の東京でのマーラー第9番は、どの程度切符が売れたのだろうかと思いました。 

13 7月

ショスタコーヴィチ 交響曲第6番 コンドラシン・東京公演

ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー

 
(1967年4月18日 東京文化会館 録音 Altus)

120713  今日の午前中、今年初めて蝉が鳴くのを聞きました。去年のブログを見るとちょうど7月13日に蝉の声をはじめて聞いたとあり、例年通りながら今年は少し時間がずれて、朝の10時くらいにトイレに居る時にきこえてきました。しまってあった楽器の試し弾きをするように、ちょっとだけ鳴いてすぐ静かになりました。例年は朝の9時前に、地下駐車場から上がると街路樹の上の方でいっせいに鳴いているので、今年はくま蝉もまだ本調子じゃないようでした。一気に暑苦しさが加速しますが、いつになっても蝉が鳴かなければまた地震か何かの前兆か、とか不安になります。

 これは昭和42年3月31日に来日したコンドラシンとモスクワPO、オイストラフの公演を録音したシリーズの1枚です(カップリングはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番)。交響曲第6番はコンドラシンとモスクワPOの全集にも当然含まれていますが、NHKによるこの音源はだいぶ違う響きです。演奏会場も録音環境も違うので当然です(CDの解説に音質の説明がある)。コンドラシンの全集は1962年から1974年の間の録音で、時に高音が甲高く金属的で工場の大きな機械を連想させる無慈悲な?、暴力的な音という印象です。だから違う機会の録音はどんな感じか興味深いところです。

 上記のように音質は柔らかめであっても、ライヴ録音のこのCDは全集盤よりも激しく、例えば第2楽章後半のティンパニのソロ、第3楽章開始後しばらくの低弦が続く部分(解説に例示されている)が対照的です。それよりも、第1楽章冒頭から沈痛な雰囲気に被われた響きで、公的文書(ショスタコーヴィチは署名しているだけとされる)に残る、マヤコフスキーの叙事詩「レーニン」に基く声楽付交響曲の構想とは別物だと強く思わされます。

交響曲第6番 ロ短調
第1楽章:Largo
第2楽章:Allegro
第3楽章:Presto

  ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、第二次世界大戦開戦(ドイツのポーランド侵攻が9月)の年である1939年に作曲され、同年11月5日にムラヴィンスキー指揮レニングラードPOにより初演されました。第五番「革命」と第七番「レニングラード」に挟まれた、標題・ニックネームが無いこじんまりした交響曲です。伝統的な通常の交響曲の第1楽章にあたるソナタ形式の楽章がないので、この曲は「頭のない交響曲」とも呼ばれます(この曲に付き物の説明)。第五交響曲の後、大がかりなレーニン交響曲の創作に対する期待があったので、初演は肩すかし的でもあり、不評もかっています。初演者のムラヴィンスキーは後年この曲とバートーベンの田園をいっしょに演奏するのを好んだそうですが、どう考えても牧歌的な曲とは思えません。

 コンドラシンによるショスタコーヴィチの交響曲第6番の録音は、他に1968年1月のアムステルダム・コンセルトヘボウ管とのライヴ盤(旧フィリップス)もあったようです。

20 3月

マーラー 交響曲第1番 コンドラシン モスクワPO

マーラー 交響曲 第1番ニ長調「巨人」

キリル=コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

1969年 録音 Melodiya)

 今年は十数年ぶりに石油ストーブを使ったので、オイルヒーターやエアコンをほとんど使いませんでした。動くカニの大きな看板のカニ道楽チェーンですが、中京区の三条寺町交差点北西角の店の前を通るとカニが動いていないことに今頃気が付きました。節電のため止めているという注意書があり、原発再稼働の可否とも絡み今年もまた暑い夏になりそうです。

120320a_2   キリル・コンドラシン(1914-1981年、1978年亡命)と言えばモスクワPOとの交響曲全曲録音等、ショスタコーヴィチが有名ですが、マーラーも西側のオケとのライブが時々話題になっていました。67歳で心臓発作で急逝したコンドラシンがその直前に指揮したのがマーラーの交響曲第1番でした。このCDは亡命前の1962年から1978年の間に行われた一連のマーラー録音のひとつで、他に第3-7番、第9番があります。春分の日なので、草木の芽吹き、自然界が目覚めるような第1楽章冒頭の、マーラー交響曲第1番のCDを取り出しました。

 メロディアのショスタコーヴィチ録音を思えば暴力的なマーラーを想像してしまいますが、意外な程に優雅な演奏です。旧ソ連の古い音源なので、所々独特の甲高い響きが気になるものの、いわゆる「爆」演タイプではありません。バビ・ヤールでの叩きつけるようなff (フォルティッシモ、実際にそこにこの記号が付いているか知らないけれど)を思わせるところはありません。ただ、演奏時間は下記の通り50分を切っていてかなりエネルギッシュに速い演奏です。ちなみにテンシュテット、シカゴSOのライヴ盤は1時間を超え、ハイティンクとベルリンPOも56分半を超えるくらいのトラック・タイムです。

①12分18②07分49③09分41④17分37 計47分25

120320b_2  1969年と言えばショスタコーヴィチの交響曲第14番が完成、初演された年で、このコンドラシンのマーラー選集では1962年に第3番、1964年には第9番が録音されていることからも、1960年代のソ連でもマーラーをしっかり演奏していたことがうかがえます。フルシチョフ、ブレジネフが党書記長の時代で、雪解けとか言いながら冷戦の真っただ中でした。そうした過剰な思い入れを持って聴くと、このコンドラシンのマーラー第1番は鉄のカーテンを感じさせない演奏だと思いました。コンドラシンの録音としては、レニングラードPOを振った1970年代の録音である第6、第7番の方が充実しているかもしれません。そういえば、マーラーの影響が指摘されるショスタコーヴィチの交響曲第4番が初演されたのも1961年で、コンドラシン指揮のモスクワPOが演奏しました。

18 8月

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 コンドラシン モスクワPO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第8番 ハ短調 作品65


キリル=コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団


(1967年4月11日*1961年と表記されたものもあるようで詳細は不明  録音 Venezia )


交響曲第8番 ハ短調 作品65

①Adagio-Allegro non troppo-Allegro-Adagio
②Allegretto
③Allegro non troppo
④Largo
⑤Allegretto-Adagio-Allegretto

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 交響曲第8番は1943年7月から9月にかけて作曲され、同11月14日にムラヴィンスキー指揮で初演されました。この頃は独ソ戦・スターリングラードの戦でソ連が勝利(2月にドイツ軍壊滅)してこれから反転攻勢に出る勢いでした。したがって前作の第7番や第5番のような、景気の良い(と思われる)作品が期待されていたので、この第8交響曲に対する評価は分かれて論争を呼びました。作曲者の明朗、楽観的な言葉とは裏腹に、この曲自体は消えるように終わる第5楽章が象徴するように、単純に祖国の戦勝を言祝ぐ音楽とは言い難い作品です。戦後のジダーノフ批判により演奏禁止になっていた時期もありました。


 このCDはキリル・コンドラシンとモスクワPOによる全集の中の1枚です。録音年月日は複数の情報が混じっていてよく分かりません(戦中でもないのに珍しい)。


①24分0,②5分42,③6分2,④8分28,⑤12分15 計56分27


 この録音の演奏時間は上記の通りです。第1楽章冒頭からして激しさを秘めていて、第2,3楽章は暴力的という言葉も出て来るほどです。コンドラシンの全集からは、過去に
第4番第13番新第13番旧第14番を記事投稿しています。演奏もさることながら、録音環境・音質が独特で緊迫感というか、作品をとりまく空気まで閉じ込めたように感じられます。素晴らしいと思って、愛聴していますが客席に座っていればこういう風に聴こえるのかどうか、疑問も残ります。今回の第8番はそれの最たるもので、「癒し」の対極にあって神経を攻撃され、かき乱されるような演奏です。


ムラヴィンスキー(1982年録音)
①24分33,②6分07,③6分17,④9分37,⑤12分58 計59分32
N.ヤルヴィ(1989年録音)
①26分27,②6分35,③5分56,④9分52,⑤14分28 計63分18


 一方、上記の2種の内ネーメ=ヤルヴィ、スコティッシュ・ナショナル管による録音はもっと自然に良好な音質で聴ける録音です。このCDは8月16日投稿の《
読後充実度 84ppm のお話 ・新・「お盆にショスタコ」 》で取り上げられています。このブログ、ショスタコーヴィチのCDの記事も多く、サイト内検索でピックアップできます。そのヤルヴィの第8番もかなり好きなCDでした。個人的にヤルヴィがシャンドスに録音したショスタコーヴィチのCDが好きで、時々思い出したように記事投稿するつもりです。


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 ムラヴィンスキーの1982年録音のCDは近年タワーレコードから再発売されたもので、かなり有名なものです。これら3つの録音を並べると、録音時間だけでも特徴が見られます。今回のコンドラシン盤はかなり快速に進んでいるのが分かります。


 ロールシャッハ・テストというものがあり、見ようによっては何にも見えず、個人差で色んなものに見える図形を何枚も見せられて答えさせられるもので、臨床心理学のテストだったはずです。初めてこの曲の第2楽章を聴いた時、何かに追いかけられているように感じられて、それが第3楽章くらいになると逆転して追いかけているような気分になりました。今回意識して聴いていると、特に追われていると感じることはなく、歳のせいで厚顔になったのかと思いました。

 
1990年代半ば、ドイツ映画で「スターリングラード」というタイトルの作品がありました。狙撃兵を扱った映画ではなく、独ソ戦の悲惨さが前面に出た方の作品です。列車(貨車)で戦地へ運ばれるドイツ兵の一人が、クリスマスの歌・もみの木を「 オー タンネンバーウム オー タンネバーウム 」と歌い出しそれが伝染して車内の兵士が憑かれたように唱和して、殺伐とした車内に歌声が響くという場面が印象に残ります。フィナーレではソ連軍戦車がドイツ兵を蹴散らし、轢いて行く場面で終わります。その他、一時帰国した兵士の冷え切った夫婦の様子等、戦争によって荒廃した風景が散りばめられていました。この交響曲第8番は具体的な場面を描写してはいません(多分)が、その映画に見られるような悲劇に痛めつけられた人間をえぐり出しているように思えます。

4 6月

バビ・ヤール コンドラシン・モスクワPO 1962年12月20日

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調作品113 「バービー・ヤール」

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
アカデミー・ロシア共和国合唱団(アレクサンドル・ユーロフ合唱指揮)

バス:ヴィターリ・グロマツキー

(1962年12月20日 ライヴ録音)

110604  先日予告のように、昨年投稿したこの曲の第1回目(インバル、VSO盤)の中で、初演の時は当局の圧力で歌詞を変更して演奏したと書いていましたが、それは間違いでした。初演とその二日後の再演(今回のCDの演奏)は、作曲当初の原詩のままで演奏され、その直後に歌詞の一部がソ連の反ユダヤ主義が曖昧になるように改変されました。バビ・ヤール渓谷で虐殺されたのはユダヤ人だけでなく、ロシア人、ウクライナ人も含まれていることが分かるように変えなければ、この曲は2度と演奏させないという警告が発せられたと言われます。それで、作詞者のエフトゥシェンコは新たに40行も挿入しました。しかし交響曲第13番でもそれをそのまま採用すれば曲そのものも変更しなければならず、ショスタコーヴィチは反対しました。しかし、この交響曲を演奏禁止から守るためにコンドラシンの説得もあって、新たに付加された40行を加えるのではなく、問題のある歌詞8行分を変更することにして、曲自体は変更しなくてもよいという形で妥結しました。

 ショスタコーヴィチは歌詞の変更は受け入れたものの、自筆譜はそのままにして歌詞の変更をしませんでした。この話は、テミルカーノフによるこの曲のCD(国内盤)の解説(一柳富美子)を最初から読んでいて気が付きました。その解説によると、歌詞の変更について、政府が直接に指示したわけではなく、エフトゥシェンコが自発的に変更することを決めたと書かれていました。その他細かい部分について違った説明もありますが、初演と2日後の再演は元の歌詞で演奏されたのは事実です。また、問題になったのは直接的には歌詞で、ショスタコーヴィチの曲については攻撃の対象にはならなかったようです。

110604a_2   パルケ・エスパーニャ、というより志摩スペイン村の方が分かり易く、近鉄系のテーマパークがあります。それのTVCMに女優の岩下志麻が出演して映画「極道の妻たち」の姐のような和服姿そのままで、「あんたらー、うちのシマをどないするつもりやー!(あなた達、私の縄張のエリアをどうするつもりなのですか?)」と連呼するものでした。地名の志摩と芸名の志麻をひっかけて、さらに映画・極妻の世界の言葉「シマ=縄張」ともひっかけたコマーシャルなので意気込みが感じられました。ところがしばらくして岩下志麻のセリフが「あんたらー、スペイン人かー?」に置換されていました。映像自体は、和服姿の岩下志麻がスペイン人らしき若い男性の方に担がれて連れていかれるというもので変更はありませんでした。おそらく家族連れの客を念頭に置いたテーマパークのCMなのに、極道業界の隠語を公然とTVで流すわけにはいかないというクレームか、自己検閲があったのでしょう。

 キリル=コンドラシン指揮のショスタコーヴィチ・交響曲第13番の録音は何種類か出てます。モスクワPOとの演奏は次の3種のようです(②の録音が出た時は1965年11月20日と表記があったそうで、正確にいつの演奏家は不詳)。②の録音は聴いたことがありませんが、最初に出回った音源で、あるいはそうとは知らずにFMで耳にしていたかもしれません。

1962年12月20日(バス:グロマツキー)・今回のCD

②1963年(バス:グロマツキー)

1967年(バス:エイゼン、合唱は①と同じ)

 コンドラシンが西側へ亡命後に録音したもの(タワーレコード・オリジナル)も出ています。

④1980年12月18-19日・バイエルン放送SO(バス:シャーリー・カーク)

110604b   歌詞については、①と④が最初の原詩で演奏されています。今となっては改変された歌詞で歌っている録音②、③も貴重です。また③以外はライブ録音です。また①と③の男声合唱団はCD付属の解説書と紙製ジャケットで表記が違っていて、同じ団体なのかどうか、正式名称等はよく分かりません( ロシア語の解説で、内容は読めない )。個人的には、コンドラシンとモスクワPOのショスタコーヴィチ交響曲全集の一環で録音された③がすごく好きで、これもカーナビのHDに入れて聴いています。ただ、古い録音なので実際に演奏会場で聴いたならこんな風には響かないだろうと思えます。それでも、物凄い集中力、没頭する様子、訴えようとするはけ口の無い情熱が渦巻いているように思え、惹きつけられます。

 今回のCDは、コンドラシンによる全集にいっしょに収められているもので、録音はさらに古いですが、予想以上に明瞭です。鋭くて攻撃的な上記の1967年盤とは違う魅力を感じます。それよりもっと野太い音で、地響きするような低音とバスの歌唱、声質から、底が見えない深い大地の裂け目を覗き込んで見えた闇を連想させられ、その印象が圧倒的です。終演後の熱烈な拍手も入っています。改めて考えれば初演は命がけだったと思います。ショスタコーヴィチと親交があったS.ミホエルズというユダヤ人俳優が、交響曲第8番(1943年初演)の時にショスタコーヴィチを公然と擁護したことがあり、その後1948年に彼は遺体で発見されるという事態になりました。

 先日の不信任案採決はネットの実況を見たいと思いましたが、開会後の演説を聞いていてあほらしくなって来てすぐに止めました。極妻とか修羅がゆく等の極道もの映画では「○×のような筋の通らねえやつを頂点に据えるなんてことは断じてあってはならねえ」、とか「今なら無駄な血を流さずに手打ちにできる」というセリフが常套句です。一般人はメディアを介してしか知るすべが無いので、不信任案騒動一連の真意ははかりかねます。ただ、可決されれば解散する方針だと報じられた時は、何を見に視察へ行ってきたのかと落胆しました。

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17 4月

ショスタコーヴィチ交響曲「死者の歌」 コンドラシン・モスクワPO

110417 ショスタコーヴィチ 交響曲 第14番 作品135「死者の歌」

キリル=コンドラシン 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

ソプラノ:エフゲーニャ・ツォロヴァルニク

バス:エフゲニー・ネステレンコ

(1974年11月24日 録音Venezia )

 これはキリル=コンドラシンとモスクワPOによるショスタコーヴィチ交響曲全集からの1枚です。昨年はその全集から第13番「バビ・ヤール」第4番作品43を取り上げていました。コンドラシンの全集は1962年~1975年の期間に録音されていて、時には東西冷戦下のモスクワの空気も運んできそうな音源です。ショスタコーヴィチの交響曲について、全部が主要な旋律が頭に入っている程の習熟度ではありませんが、4、7、13番とこの14番は非常に気になる作品です。4番の直後の5番との間には音楽的にかなり隔たりがあるように、13番と14番の間にもかなり大きく深い溝があるように思えます。第14番は何度聴いても霧に包まれたような印象で、よく分からない曲でしたが、先日のクルレンツィス指揮アンサンブル・ムジカエテルナの録音でちょっと視界が開けたように思えました。

110417a  コンドラシンはショスタコーヴィチの交響曲第4番、第13番の初演をしている指揮者としても有名です。当時のソ連にあって両曲の初演には政治的な圧力が懸念され(実際に妨害が加えられもした)る中、毅然と指揮を引き受けて作曲者の信頼を得ました。交響曲第14番は第13番バビ・ヤールの初演された1962年(12月18日)から約7年後、1969年(10月6日)にルドルフ・バルシャイ指揮により初演されています。声楽を伴う交響曲という点では似ている両曲ですが、激しく告発、抗議するかのようなエネルギーを持ったバビ・ヤールから7年を経た、この「死者の歌」はかなり印象が異なります。ベートーベンの弦楽四重奏曲の後期作品を連想させるような内省的な面も感じます。

110417b  交響曲第14番「死者の歌」は、弦楽のみのオーケストラと何種かの打楽器、ソプラノとバスの独唱者で演奏される曲です。スペイン、フランス、ドイツ等の詩人の作品から歌詞が取られていて、12音技法も取り入れた難解な曲です。上記のクレンツィス盤の解説には、ブリテンの戦争レクイエムに対する無神論的立場からの返歌という仮説によってこの曲を説明されていました。作品の中で木製の打楽器(多分ウッドブロック)が叩かれますが、その響きを聴いていると、聖金曜日の典礼を思い出します。この日の日没後の典礼はミサではなく独特のもので、視覚的にも装飾的要素が廃されて(聖像に覆いがかけられたり)、ミサの中で行われる御体、御血の聖変化はなく、その時鳴らされるベルの音もありません。その代わりに木製の拍子木が叩かれます。その音がウッドブロックの音と重なり、死者の歌の中で奇しくも聖金曜日の音響の記憶が呼び起こされます。余談ながらパルシファルを聴いても全然聖金曜日を思い出しません(作品は素晴らしいと思うのに)。

 コンドラシンのショスタコーヴィチは、前のめりの激しい推進力と、鋭く時に刃のきらめきを思わせる演奏で、第13番や第4番ではそれが魅力に感じられました。第14番では作品自体が内へ沈み込むようなエネルギーなので、あまり目立ちません。この演奏をはじめて聴いたならコンドラシンだと分からないかもしれません。なお、このショスタコーヴィチの交響曲第14番が、井上道義 指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団により来年2012年の3月9,10,11日の第50回定期で演奏されます。東京周辺ならともかく、それ以外で生で聴くことができる機会は少ないので要チェックです(来年のことを言えば鬼が笑うとはいうものの)。 ちなみに兵庫芸術文化センター管と井上道義は、今年5月の定期でもショスタコーヴィチ(交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲第1番)を取り上げる予定です。

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6 8月

歌詞がどうであれ バビ・ヤール/コンドラシン・モスクワPO

ドミートリイ=ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」

キリル=コンドラシン 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

アカデミー・ロシア共和国合唱団(合唱指揮:アレクサンドル・ユーロフ

バス:アルトゥール・エイゼン

(1967年8月23日 録音 Venezia) 

 日本語はデリケートなもので、昨日のバッハのカンタータの標題「深き淵より 我汝に呼ばわる」の中で、「我」は人間で、「汝」は神(=主)ですが、目上的立場から目下の者を指して「なんじ・汝」と書くのが通常だったはずです。詩篇等でも神が人間へ呼びかける時に「汝」と訳されています。このカンタータの標題は音楽界の慣例なのでしょうか、LPの頃から結構見ました。口語訳の場合は「あなた」と訳されているのをよく見ます。

  戦前にパリ画壇で活躍し、戦後フランスに帰化したレオナルド・藤田、藤田嗣治という洋画家がいました。数年前に京都の国立近代美術館にも作品展が回ってきたので観に行き、「アッツ島玉砕」、「サイパン島同胞臣節を完うす」等の所謂戦争画が目にとまりました。特にアリューシャン列島のアッツ島守備隊が全滅した戦闘を描いた1943年の作品である「アッツ島玉砕」に圧倒されました。兵士の叫びや、戦場の騒音や臭い、苦痛が画面に響き渡るような絵です。戦時中に公開された時は絵の前に賽銭を投げる人が現れた程の反響だったようですがそれも頷ける凄い絵でした。ショスタコーヴィチとは全然関係ありませんが、今回のコンドラシン盤・「バビ・ヤール」の第1楽章を聴いているとその絵の光景と重なってきます。「バビ・ヤールには記念碑(墓碑)が無い 切り立つ崖は荒れた墓碑のようだ」というバスのソロで始まるショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」。交響曲=絶対音楽という考え方を徹底すれば、そんな絵だの詩は二の次、三の次ということになります。

 インバル・VSO盤に続きショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」の2回目です。この録音は前回の交響曲第4番と同じく、旧ソ連のメロディアから出ていた史上初のショスタコーヴィチ交響曲全曲録音の中の演奏です。交響曲第4番と第13番「バビ・ヤール」はコンドラシンとモスクワPOにより初演されています。初演の時には政治的圧力により歌詞を一部変更して演奏しました。このCDも元の原詩ではなく、その変更させられた歌詞で演奏しています。直接的には第二次大戦中のウクライナのキエフ郊外でナチスドイツによるユダヤ人、ウクライナ人、ポーランド人、ロシア人を含む多数の人間が虐殺された場所「バビ・ヤール」を歌っていますが、5つの楽章の歌詞が言及しているのはそれだけではありません。

 旧ソ連時代にソ連で録音されたもので「バビ・ヤール」を原詩で演奏した録音は、ロジェストヴェンスキー指揮、ソヴィエト国立文化省交響楽団による(1985年録音)以降と言われています。その時まで一切原詩では演奏されていなかったのかどうかは分かりませんが、一部とは言え20年以上も歌詞が封印されていたことは驚きです。

                                                                 10s4

 コンドラシンのショスタコーヴィチ全集は録音されてから30年以上経過したもので、今更どうこう言うことも無いかもしれませんが、鋭くて力強く、重厚で激しいのに抑制された独特の演奏、音響で、今世紀(昭和の時代は前世紀になるのは小さな驚きです)に録音された例えばキタエンコ等とはかなり異なり隔世の感があります。録音技術、環境の違いから来るものも大きいとは思いますが、コンドラシン盤はその時代の空間を切り取って保管したような魅力が感じられます。また、バスのエイゼンの歌唱も迫真で素晴らしいものです。なお、Veneziaから復刻された全集には、同じコンドラシンとモスクワPO(バスはヴィターリ・グロマツキー)の演奏で、この交響曲第13番の1962年12月20日の放送用音源(モノラル)も収録されています。これは初演の二日後の演奏です。

 日露戦争の旅順攻略戦を舞台にした邦画「二百三高地」は、生還した二等兵(博徒)が戦場の様子を紙芝居か講談のように披瀝している前で、位牌を抱いた老婦人が聞き入る場面で終わります。現代のような動画の記録もないので、位牌になってしまった人の生涯が終わった場所の様子等は是非知りたいところだと思います。それを考えれば、「戦争画」であるアッツ島玉砕の前で賽銭を投げる人の心情は、純粋で個人的なものではないかと思えてきます。絵の題名を違ったものにして「玉砕」の二字を使っていなければ、違った評価になっていたかもしれないと思えます。交響曲=絶対音楽だから、こんな各楽章に声楽付いた作品は交響曲と呼べないと考えるなら、それは「形式主義」と判断されるのか否かはともかくとして、バビヤールの詩から生まれた(詩に音楽が従属するということではない)この作品を、「交響曲」第13番とした作曲者ショスタコーヴィチは柔軟で実質的な芸術家だった言えるでしょう。

0806_2   8月6日は広島の原爆投下の記念日です。鴻毛より軽い、地球より重い、命の重みについていろいろな言われ方がされましたが、一撃で人口の4割もが失われるという事実は未だに衝撃的です。フォーレのレクイエムに、歌詞が付かないピアノ独奏に編曲した版がありました。編曲者ともども結構有名だったようです。レクイエムの無言歌版といったところです。

フォーレ 「レクイエム」~(ピアノ独奏版・エミールナウモフ編)
ピアノ独奏:エミール・ナウモフ (1999年3月 パリ・タンプル教会 録音 SAPHIR)

5 8月

作曲から25年後初演 コンドラシン/ショスタコーヴィチ第4番

0s4b  義務教育の学校は夏休みに入り、朝の通勤途中に出くわす集団登校の列も消えて、幾分楽な道中です。NHKFMで全国各地の生活の音を収録した「音の風景」という短い番組がありました。魚の行商に一番列車で出かける人、駅、漁港等、リアリティの極みで、聞いているだけで旅情もわいてくる番組でした。それと世界の民族音楽という番組もよく聴きました。この二つで旅行に行ったような気分になれて、実に安上がりでした。8月は6日、9日の原爆投下や15日の終戦、14日のアウシュヴィッツで身代りに刑死したコルベ神父等さきの大戦時までの出来事を嫌でも思い出させる時季です。そういう発想でショスタッコーヴィチの交響曲の何種かを注目するのは短絡的で正しくない発想かもしれませんが、第13番やその直前に初演された4番、7番等はつい関心が行ってしまいます。そういえば小学校の修学旅行は伊勢だったのが中学では広島になり、8月の6日か9日が全校登校日になっていました。

ドミートリイ=ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43

キリル=コンドラシン 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

(1962年 録音 Venezia)

 ショスタコーヴィチが1935年から翌年にかけて約8ケ月を費やして作曲し、自分の創作活動の「信条」を具現することになるだろうと自信を持って語っていた大作ででしたが、初演を取りやめて、1961年12月30日まで初演されなかった(結果的に)という異例の作品です。当初はムラヴィンスキーに指揮を依頼したものの辞退されたので、コンドラシンとムスクワPOにより初演されました。三楽章からなり、演奏時間は1時間強です。ショスタコーヴィチの交響曲の中では最も大編成で演奏され、マーラーの影響や魔笛、カルメン、マイスタージンガー等からの引用も指摘されますが、特に第一楽章のプレストは、オーケストラの限界に挑戦するようなフーガで、圧倒的です。なお、この曲は当初の構想では現在とは違った形でもっとマーラーの影響が強かったと言われ、その一部が初稿・交響的断章として残っています。それはオレグ・カエターニ(ミラノ・ジュゼッペ・ベルディ交響楽団)が第4交響曲といっしょに録音しています。

第一楽章 ~ Allegretto poco Moderato - Presto

 ソナタ形式で、展開部の後半が猛烈な勢いのフーガが印象深い。その後、終わり近くでマーラーの交響曲第1番のかっこうの動機らしきものがきこえてハッとさせられる。演奏時間は30分弱程度。このCDでは25分44.  

第二楽章 ~ Moderato con moto スケルツォ

 両端楽章とは対照的に短く明快な楽章で、後の交響曲15番やチェロ協奏曲第2番で引用される打楽器群による伴奏フレーズがある。演奏時間は10分弱程度。このCDでは8分18

第三楽章 ~ Largo - Allegro

 緩、急、緩の三部から構成され、交響曲の中にもう一曲交響曲が入っているような構成である。演奏時間は25分強。このCDでは25分56.

 ある音楽について、それが何か特定の内容、例えば怒り、絶望等の感情や、平和、平等といった思想や観念を表現するものなのか、どこまでも幾何学的な美しさを追求するものなのかそれは容易には判り難いものです。現実にはその両方の要素が含まれていることの方が多いだろうと思います。冷戦時代も終わり、鉄のカーテンも消え(違った意味では敵意という中垣は依然として存在する)てしまった現代では、そういう問題はあまり気にならなくなりましたが、ショスタコーヴィチの作品を考える際には、ついこの曲に込められているのはどういうものなのか知りたくなります。そして、この第4交響曲の初演に尽力したコンドラシンの指揮で聴く場合には、演奏、作品から深刻な事柄があふれ出てくるように感じられます。単にそんな気がするだけだとしても、とにかく強力な吸引力のようなものに引き付けられます。

0s4c  この曲の冒頭部は脳天に目に見えない鋭利なもので一撃を加えられるような独特の音でまず驚かされます。これから始まる第4交響曲の内容を告知するかのような印象深い始まりです。そもそも何故この曲は初演までに25年間も空白の時間が出来たのかについて、1936年始めに共産党機関紙「プラウダ」で、ショスタコーヴィチが発表した人気作品、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』、バレエ『明るい小川』について批判されたので、複雑でマーラー等西欧の作曲家の影響を受けたこの第4交響曲をこのまま初演発表しては致命的に立場が悪くなると考えたからだと言われています。党機関紙の批判とは、国体にそぐわない、即ち社会主義リアリズムに則った作品ではないという内容で、高ずればシベリア流刑が待っているという時代でした。現代日本の共産党機関紙「赤旗」(日曜版しか知りませんが)では、宇野功芳も新譜紹介の短い記事を書いたり、1Q84の特集を載せたり、多角化路線ですが、一昔前は本当にモノトーンで文化、精神的には何となく荒涼とした紙面に思えました。

 音楽における社会主義的リアリズムは具体的には、写実的(何が現実なのかは問題であるが)、民族的、肯定的で、労働者階級が分かりやすく、社会主義社会を肯定する内容でなければならないということでしょうか、なかなか縛りが多そうで、現在ショスタコーヴィチの音楽そのものから受ける印象とは遠い気がします。特に交響曲第4番はそういう規準にかなり抵触しそうだと素人でも感じられます。この曲のスコアは大戦中に紛失したのか、戦後初演をしようとした時にはパート譜、ピアノ編曲版しか残っていない状態で、そこから総譜を復元して初演にこぎつけたということでした。

0s4a  この録音は史上初のショスタコーヴィチ交響曲全曲録音で、旧ソ連のメロディアから出ていたもので、その後CD時代になって何度か再発売を繰り返しています。手元にあるのはロシアVeneziaレーベルで、リマスター処理をしていません。それ以外は、Melodiya classics、韓国のAULOS、VICTOR等からも出ていました。音質の点では韓国のAULOS盤(聴いたことはありませんがリマスターが素晴らしいという話)が最良らしいですが、手元にあるVenezia盤でも問題なく鑑賞できると思います。この全集はコンドラシンの代表録音であると同時に、ショスタコーヴィチの交響曲の代表的録音でもあります。

  この全集は1962~1974年にかけてモスクワPOと録音され、第4交響曲は最初期の古い録音になりますが、同じ指揮者とオケの組み合わせによる初演直後の演奏で、この曲を考えるに当って避けられない演奏とよく言われます。コンドラシンのこの曲の演奏は、古い録音のためかやや荒いと感じられますが、そんな些細な事はどうでもよく、異様とも言える緊迫感の中で曲が鋭く進められて行きます。特にシンバルの響きが印象的です。昭和初期の小学校(国民学校か尋常小学校か)の一年生の国語教科書に「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」という文が登場します。句読点が無く、一字分空けていなければ「ススメスススメヘイタイススメ」という表記であり、その状態で朗読しようとするなら、内容の理解がなければいくらかくぜつが良く明瞭な発音でも、「ススメス ススメヘ イタイス スメ」という区切りにでもなりかねません。コンドラシン盤ではこの例なら「進め 進め 兵隊進め」という意味とともに相応しい抑揚、調子に基づく迫真の朗読のような表現だろうと思えます。異文化圏で後世の生まれの私筆者がそう言うのは矛盾していますが、とにかく圧倒される演奏です。この第4番は今回のコンドラシンのショスタコーヴィチ交響曲全集の中でも13番、7番、8番と並んで特に素晴らしいと思いました。

0s4d  もし、ムラヴィンスキーが初演を断らなかったならレニングラードPOを指揮して演奏して、何度かの再演も予測されるので録音も残ったと思われ、どんな演奏になったか興味深いものがあります。マーラーの第九交響曲は今ではすっかり人気曲として浸透しています。私が10代の頃カラヤン・ベルリンPOのマーラー第九交響曲(LPで出された音源か、別の機会の演奏かは記憶が定かではありませんがコンサートのライブ)をFM放送で聴いていた時、音量が小さかったこともあり途中で居眠りしてしまい半分以上聴き逃したことがありました。その時の演奏の印象は、上記の「ススメ ススメ~」を意味不明に区切って読んでまるで電話帳でも朗読しているような退屈さでした(今ではそうは思いませんが)。ショスタコーヴィチの交響曲の場合はマーラー以上に演奏する方も、聴くほうも難しく、何となく聴くとか何かをしながら聴くというのには向かないものだと思います。このところ朝の通勤時にショスタコーヴィチの4番、13番を聴いていますがちょっと朝には不向きだと思えてきます。全集を録音している指揮者意外の第4交響曲の他のCDでは、チョン・ミュンフン、フィラデルフィア管弦楽団(1994年 DG)が注目盤です。

 最後に、第4交響曲が完成した時期にソ連に来ていたクレンペラーが、作曲者がピアノで演奏するこの交響曲を聴いて感銘を受け、来年早速南米でこの曲を演奏するといったという話も読んだことがあります。スターリニズムが吹き荒れる前にクレンペラーは演奏旅行でレニングラード等を訪れ、好感を抱いたと「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編(白水社)」語っています。今回はクレンペラーの日の回ですが、この逸話だけで終わりです。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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