2006年04月07日

チベットを越える【其の壱】

056a6a4f.gif【チベット超えのメンバー】

このblogを始めたきっかけが、旅行記を書き留めておく事だったんだけど、日常での「煩悩との戦いの日々」がすっかりメインになってしまって、一番書きたかったチベットの話を書いていなかったので、ここらで書かせて下さい(笑)

●チベットの話は、先日書いた「一休歌姫恋物語」で、俺が一休さんに頼まれて歌姫に会いに行った街、中国雲南省「麗江」から始まります。

当時、中国からネパールに入る際にチベットを越えて行く場合は、

【1】個人でヒッチハイクをしながら、最短距離で外国人進入禁止地域をガンガン進んでラサを目指す方法。

【2】4〜5人が割り勘で、宿をシェアしながら移動し、国が認めているルートを通りバスやジープでラサを目指す方法。

の、大きく二つに別れていて、俺は迷いもなく後者を選んだ。

ヒッチハイクでチベットを越えてきた旅人と何人か会ったけど、げっそりした顔をしてるし、「とにかく辛かった」とか「行くならバスの方がいい」という話ばかりで、とても俺の体力では無理そうだなぁと思ったし、麗江で滞在中に、これからチベット超えをすると言う旅人たちが集まっていたので、一番大変な「割り勘の為の人数集め」も、する必要なかったからだ。

ぽたらこの時、俺と一緒にチベットを超える4人とは、のちにTHE JETLAG BAND!!!という楽団でネパール・インドでライブをするくらいの関係になるわけなんだけど、まだこの時点では皆それほど親密ではなかった。チベット超えを一緒に経験しながら徐々に仲良くなっていったのだ。

チベット超えメンバーの紹介。

Nさん(当時29歳)
元・教師。スキンヘッドで旅に出て、旅の間、髪と髭を伸ばし続けて、最後は仙人のようになって帰ってきた世界一周を成し遂げた旅人。俺とは最初ベトナムのハノイで出会う。現在は和歌山の山奥で木こりをしているらしい。不二山命響堂主人として、アルバム「jetlag songs」のライナーノーツも書いてくれた。当時はまだ髪の毛も5CMくらいだった。俺の旅にとってはなくてはならない存在。侍。

しー君(当時19歳)
のちにrainmanのブルースハープ担当になった男。俺とはラオスのウドムサイへ向かう移動中のトラックの荷台で出会う。Nさんとは元々ラオスで会っていたらしく、俺の事はすでに知っていた。現在は単独のブルースハーププレイヤーとして、高円寺のブルースバーなどで演奏中。弟みたいな感じ。

KAZU君(当時25歳)
大理という街で、俺の友人から「あるもの」を預かり、会ったこともない俺のために、わざわざ麗江中のゲストハウスを回って、俺にそれを届けに来てくれた律儀な旅人。生粋のアウトドアマン。絵描きであり、登山家。現在はネパールにいるらしい。おとといメールがあって、山から降りてきたと言っていた。日本にいる時は北海道でラフティングのガイドをしている。

TAKA(当時18歳)
カンボジア、プノンペンで出会った青年。一緒にチベット超えよう!と、俺がメールで声をかけて、麗江で合流。THE JETLAG BAND!!!ではしー君と共にブルースハープ担当。「TAKAC→ズ」というユニットを組んで大人気だった。ずっとドレッドだったけど、この前の船上ライブで見たときは切っていた。現在は家具のデザイナーをしてる。

そして、俺。

らさこの5人で、チベット超えを目指すことになる。
まずはラサまでの公式バスが出ると言われる北の町「ゴルムド」を目指すことになる。麗江からは、ずーっとずーーっと北にある街だ。
俺らはまずゴルムドまでの中間地点「成都」までの電車のチケットを取った。長い旅の始まりだ。

この時はまだ、これから起きる、摩訶不思議な変装屋との出会いや、頭が割れそうになる高山病との戦いなど知るわけもなく、皆にこやかに出発したわです。

続く

※写真は、ラサ!!神の住む街の景色です。

rainman_daisuke at 20:23│Comments(2)TrackBack(0)旅で貰ったもの。 

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この記事へのコメント

1. Posted by YUMIKO   2006年04月07日 23:03
いつか私も、世界のいろんな景色を自分の目玉で見たいなぁ。。旅の話は楽しいぞ。
2. Posted by rainman_daisuke   2006年04月08日 20:10
YUMIKOさん。

そだね。自分の目で見るのが一番だね。
続き、頑張って書きましたよーん。どうぞ。

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