世界は「テラスハウス」をこう観る──Netflix Japanが語る「日本オリジナル」の国際競争力
2017.01.13 FRI 18:00wired.jp
世界最大の動画配信サーヴィスNetflixとフジテレビのリアリティショー「テラスハウス」のコラボレーションは、2年目も続けて行われている。この日本発のリアリティショーは世界にどう受け止められ、Netflixのヴィジョンをどう叶えようとしているのか。「テラスハウス」から考える、日本のコンテンツの世界への届け方。

PHOTOGRAPHS BY MURAKEN
TEXT BY WIRED.jp_U
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「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」の初期メンバー。左から、エビアン・クー(26)、澁澤侑哉(18)、ローレン・サイ(18)、鮎澤悠介(18)、フランク奈緒美ロレイン(23)、エリック・デ・メンドンサ(27)。PHOTOGRAPH COURTESY OF FUJI TV / EAST ENTERTAINMENT
フジテレビが贈る、シェアハウスで暮らす男女6人の共同生活を記録するリアリティショー「テラスハウス」(制作:イースト・エンタテインメント)。

若者たちの間で高い人気を誇る番組だが、単なる恋愛バラエティと侮ってはいけない。「テラスハウス」は、いまや日本だけで視聴されているわけではない。2015年に日本上陸を果たした世界最大の動画配信サーヴィスNetflixが日本発のオリジナルコンテンツ第1弾として選んだのが「テラスハウス」であり、番組は現在世界190カ国に配信されている。

そして2016年11月、フジテレビとNetflixは「テラスハウス」の舞台をハワイに移して新シーズンをスタート。世界のオーディエンスは「テラスハウス」のどこにおもしろさを見出しているのか? そこに日本のコンテンツをグローバルに発信するためのヒントがある。

「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」の海外向けのトレイラー。番組はNetflixにて配信されているほか、地上波ではフジテレビにて毎週月曜日24:55~25:25放送中。制作:フジテレビ/イースト・エンタテインメント。

本題に行く前に、「テラスハウス」を簡単に説明しておこう。

「テラスハウス」が始まったのは2012年。「『テラスハウス』は見ず知らずの男女6人が共同生活する様子をただただ記録したものです。用意したのは素敵なお家と素敵なクルマだけ。台本はいっさいございません」。番組のはじめに、彼らの生活を見守るスタジオキャストのひとりであるタレントのYOUがそう語るのがお決まりになっている。要は、6人の男女の「リアルな」共同生活を視聴者が楽しむという建て付けのリアリティショーだ。

共同生活のなかで住人たちが笑ったり泣いたりする姿を、カメラは伝えていく。住人は自己申告でいつでもテラスハウスを「卒業」することができ、1人が去ると新たに1人が入居する。そうしてメンバーは常に男女3人ずつに保たれる。

2012年、湘南を舞台に始まった番組は、14年9月で地上波放送が終了。15年2月に映画版『テラスハウス クロージング・ドア』が公開されたのち、15年9月、舞台を東京に移して「TERRACE HOUSE BOYS & GIRLS IN THE CITY」(以下、BOYS & GIRLS IN THE CITY)と題された新シーズンが再開された。

この「BOYS & GIRLS IN THE CITY」が、日本上陸を果たした動画配信サーヴィスNetflixの日本版オリジナルコンテンツ第1弾として、フジテレビとの連携のもと世界に向けて配信されることになった。ハワイで始まった「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」(以下、ALOHA STATE)は、フジテレビとNetfixが組んで贈る「テラスハウス第2弾」というわけだ。

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新シーズンの舞台はハワイだ。なぜハワイか?

「前回の東京編では住人たちの日常に近い場所に家があったので、次は日常から離れたところがいいと思ったことがきっかけです」と「テラスハウス」のチーフプロデューサーを務めるイースト・エンタテインメントの松本彩夏は語る。「普段の生活を捨てなければ住めないという環境をつくることで、何かを犠牲にしてそこに住むことで生まれるメンバーの結束感に期待しています」。「テラスハウス」は湘南で生まれたからこそ「やはり海のイメージが似合う」、というのもハワイが選ばれた理由だ。

住人となる若者たちの出自は日本国内にとどまらず、対話のなかで自然に英語が出てくるのも番組がよりグローバルな設定になったことの表れといえるかもしれない。といっても、メンバーの大半は日本育ち。あくまで「いつものテラスハウス」が楽しめる内容になっている。

INFORMATION

WIRED TV──新しい映像、新しい物語。ストーリーテリングの新時代
2016年12月10日発売の、雑誌『WIRED』日本版VOL.26。VRやMRが普及しオンライン動画が増殖し続けるなか、映像はいま、何を語り、どんな体験をもたらしうるのか? VRニュースやVRテーマパーク、AmazonやNetflixといったSVODから、パブリック空間の新しいエンターテインメントやステージデザインをめぐる総力特集! 第2特集は、スイスのイノヴェイションの秘密をひも解く「SWISS MADE INNOVATION」。強化義体世界大会「サイバスロン」の参加チームに密着取材した。そのほか、まもなく任期終了となるバラク・オバマ大統領が「テクノロジーの希望と懸念」を語った対談も掲載!

ディテールに宿る固有性
そんな「テラスハウス」を、世界最大のSVOD(Subscription Video on Demand)プロヴァイダーはなぜ日本オリジナルコンテンツの第1弾として選んだのか?

「『テラスハウス』が広く愛されているプログラムであることには間違いありません」。『WIRED』が2015年に行ったイヴェントにて、Netflixの代表取締役社長グレッグ・ピーターズがそう答えているように、何よりも「テラスハウス」が日本で高い人気を誇る番組であることが最大の理由だ。

番組にはファンサイトがいくつもあり、新しい住人が入るたびに彼らのSNSアカウントには多くのフォロワーがつく。視聴者は「住人たちに感情移入をして恋愛模様・人間関係を見るのがおもしろい」という“共感派”と、「台本がないというのは本当か?」「リアリティショーにもかかわらずキレイな部分しか見せていない」という“ツッコミ派”に分かれるが、ドラマ評論家の木村隆志はこうした「賛否両論の図式」がいちばん盛り上がる、とその人気の理由を説明する。

例えば「BOYS & GIRLS IN THE CITY」のラストでは住人がカメラの前では演技をしていたことを認めて炎上したわけだが、ネット上には出演者を擁護する声もあれば、「騙された」「ショック」というコメントも溢れかえった。結局のところ、共感派もツッコミ派も、番組をハラハラしながら見ていたのだ。批判的な意見があがるのも、人気の高さの裏返しというわけだ。

新シーズン「ALOHA STATE」の製作を決めたのは、Netflixでの配信から1年を経て、「テラスハウス」が日本のみならず世界のオーディエンスに受け入れられたことがわかったからだとNetflixのコンテンツディレクター、ジュリアン・ライハンは言う。「『テラスハウス』はまさにモダンな日本の文化を表す番組であり、われわれの予想を超えて海外のファンを獲得することになりました」

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Netflixコンテンツディレクターのジュリアン・ライハン。ワーナー・ブラザースを経て、2015年、Netflix Japanを立ち上げるためにNetflixに加わる。取材はNetflix Japanオフィスの、「House of Cards」という名前の会議室にて行われた。

では、海外では「テラスハウス」はどう受け止められたのだろうか? いくつかのメディアのレヴューを見てみよう。

まずは、『WIRED』US版だ。筆者のデイヴィー・アルバは、番組のクオリティに関しては「Terrible」(ひどい)と手厳しい。「古くさいジェンダーのステレオタイプが満載」とも言う。けれども、だからこそ「つい見てしまう」のだと彼は語る。まるで体に悪いジャンクフードのようだと思いながらもついやめられなくなってしまうひとつの要因を、恋愛をめぐるやりとりに現れる、ちょっとした文化の差異だったりすると分析する。筆者は、Netflixをはじめとする「未来のテレビ」は、「世界が勝手に向こうからやってくる」と評している。つまりいながらにして、これまでのテレビには映し出されることのなかった、リアルな世界を垣間見ることができるのだ。

そうした魅力を、『The Verge』はさらに好意的に語っている。筆者のダミ・リーは、英国のリアリティクッキングショー「The Great British Baking Show」を引き合いに出しながら、こうした「日常性」の描出から得られる感興を「旅をしているようだ」と語る。

「『テラスハウス』は、『The Great British Baking Show』同様、アメリカのリアリティショーに見られるような足の引っ張り合いやなじり合いがない。(中略)これほど“リアリティ”の部分をとらえたリアリティショーは見たことがない。住人たちはパーティも行うけれど、その前には食料品を買いに出かける。パーティのあとには食器を洗ったりもする」

まるで旅先で地元の家庭に呼ばれたときのような面白さが、これらの番組の面白さ、ということなのだろう。

米国のメディアは、「テラスハウス」をその内容やクオリティよりも、米国のそれとは異なるリアリティショーとしての「文法」の違いや、そこを通して垣間見える「文化の違い」を魅力と感じている。わめき合いや罵り合いといった派手なシーンの代わりに描かれる、買い物や食器洗い、洗濯といった何気ない描写のなかに、彼らは「新しい世界」を見ているのである。

こうした海外の反応は、Netflix Japanにしてみれば狙い通りだったといえる。

「われわれがオリジナル作品でつくろうとしているのは、その国でなければ生み出せないよさをもつ作品、自らの文化のうえに築いているコンテンツです」と語るのは、フジテレビとともに「ALOHA STATE」の製作を担当するNetflixのコンテンツマネジャー坂本和隆だ。

「『テラスハウス』を通して日本の文化を感じられるところが、海外のオーディエンスには新鮮に映ったのでしょう。こうした日本だからこそつくれる作品、ドメスティックに掘り下げていくコンテンツのほうが、ときにグローバルに突き刺さることもあるのです」

オリジナリティは国境を超える
この2〜3年で配信国を世界190カ国にまで広げ、8,600万人の利用者を誇るNetflixがいま力を入れているのが、「ナルコス」(コロンビア)や「マルセイユ」(フランス)、「ザ・クラウン」(英国)、「クラブ・デ・クエルボス」(メキシコ)、「3%」(ブラジル)に代表される、米国外を舞台とした“非US作品”の製作だ。

世界に進出するこのSVODの巨人が、コンテンツメーカーとしての日本にかける期待はとりわけ大きい。その証拠に、「コンテンツチーム」とNetflixが呼ぶ彼らのコンテンツ製作部隊は、ロサンゼルスを除けば東京オフィスにしかいないという事実がある。

「ものづくりができる環境が充実している地域は、世界を探してもそんなに多くはありません」と坂本はその理由を説明する。「そのなかで日本は実写にもアニメにも強く、かつ漫画や小説にも豊富な原作がある。そして何より、トップレヴェルのクリエイターが集まっています」

しかし同時に、日本ならではの課題もある、と坂本は続ける。

「日本はもともと、海外とのコミュニケーションに関してはそれほど得意な国だとはいえないでしょう。言語に関しても、異文化への理解という意味でも、日本はときとして非常にドメスティックでもあります。Netflixというグローバル企業が日本のクリエイターの方々と一緒になることで、日本ならではの作品を、グローバルなヴィジョンをもってともにつくっていけるかどうかがわれわれの挑戦になります」

日本ならではの固有性を、グローバルで通用するストーリーのなかで表現すること。この一見相反する要素をひとつにまとめることが、日本のコンテンツを世界に発信するための鍵といえる。「テラスハウス」に学べることがあるとすれば、グローバルに展開するからといって作品を海外志向に変えることは、作品が本来もっていたよさを損ないうるということになるだろう。

配信後、Redditではさっそく多くの海外からの視聴者が「ALOHA STATE」についてコメントを寄せていた。あるユーザーは、恋愛経験の少ない男性メンバーがやっとの想いで気になる女性メンバーをデートに誘った回の感想に「ようやくテラスハウスらしくなってきた。なんてビタースイートなエピソードなんだ」と書いている。設定はグローバルになっても、日本の若者たちのリアルな日常を(とりわけ恋愛模様を)垣間見ることができるという番組のオリジナリティをテラスハウスが保ち続けていること、そして、それこそが海外のオーディエンスに求められているものであることがわかる。

「それがしっかりとした固有性をもつ作品であるならば、国境を超えて伝わっていくのです」とNetflixのライハンは言う。ほかの国やほかのクリエイターにはつくれない、自分たちだけの固有性とは何か。世界に通用するコンテンツをつくるためには、外に答えを求めるのではなく自身の内側に耳をすまさなくてはならないということを「テラスハウス」は教えてくれている。
(記事引用)

ウイキペディア~
『テラスハウス』は、2012年10月12日から2014年9月29日に、フジテレビ系列の「COOL TV」枠内で放送されていた日本のリアリティ番組である。

元々はトヨタ自動車がスポンサーに就いており、2014年3月までは同社による一社提供で放送されていたが、2014年4月からはトヨタを筆頭に複数社提供で放送されていた。一社提供時代は冒頭部分に「DRIVING YOU TO THE TERRACE HOUSE,TOYOTA」のロゴメッセージが表示されていた。

2015年には映画版が公開され、ネットフリックス配信の新シーズンも開始された[6]ほか、当番組のスタッフによって製作されたスピンオフのテレビドラマ『トランジットガールズ』が「土ドラ」(2015年11-12月)で放映された。(後述)

「台本がない」という台本のもと、一つ屋根の下で複数の男女がシェアハウスする様子を記録したリアリティ番組である。番組からは家と自動車(番組のスポンサーであるTOYOTA製)2台(後述)が用意されている。また共同生活でのルールは特に設けられておらず、共同生活終了時は自己申告後に退去する。

スタジオメンバーは当初オープニングのみの登場だったが、2013年3月からはVTRを見ながら随時コメントしていく形式となった。また副音声ではスタジオメンバーによるVTRの実況を聞くことができる。

2012年10月12日から2013年9月27日までは、毎週金曜の23:00 - 23:30(JST)に放送されていたが、2013年10月14日からは『クイズ・ソモサン・セッパ!』と放送枠を交換[7]する形式で、月曜23:00 - 23:30に移動。同時にメンバーが住んでいる家も引っ越した。

放送枠が月曜に移ってからは視聴率が上昇傾向にあり、2014年3月31日放送回では、番組最高視聴率9.1%、瞬間最高視聴率13.8%を記録し番組開始以来の最高視聴率を記録した。

2014年8月11日の番組エンディングにおいて、当番組は同年9月で終了することが発表され、同9月29日で終了したが、視聴者からの反響が大きく、続編を要望する声も多く上がったため、2015年2月14日公開で、映画版『テラスハウス クロージング・ドア』(東宝配給)が制作されることが決定した。

映画版には、テレビ版にも出演した菅谷哲也や島袋聖南の他に、2014年12月24日に会社員兼グラビアアイドルの松川佑依子が出演することが発表されたのを皮切りに、2015年1月になってからデザイナー志望の和泉真弥、Quick Japan編集者の小田部仁、バスケットボール選手志望の吉野圭佑も出演することが発表された。

2015年9月2日から、動画配信サイトネットフリックスで新シーズンが配信開始。タイトルは、「TERRACE HOUSE BOYS & GIRLS IN THE CITY」で、全18回配信。舞台は東京となり、スタジオキャストは登坂広臣以外が続投し、登坂の後任として望月歩が出演することになった。同年10月13日より、毎週火曜日0:55 - 1:25(月曜日深夜)にフジテレビほか一部系列局で同名番組の再編集版を放送開始。

2016年11月11日から、『TERRACE HOUSE ALOHA STATE』(テラスハウス アロハ ステート)がフジテレビ・オンデマンドとネットフリックスにて配信。11月29日(11月28日深夜)からフジテレビほかでも放送。このシリーズはハワイが舞台となり、シリーズ初の海外編となる。

2017年12月19日から、『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』(テラスハウス オープニング ニュー ドアーズ)がネットフリックスにて、2018年1月16日からフジテレビ・オンデマンドにてそれぞれ配信。2018年1月23日からはフジテレビ(ブレイクマンデー24前半枠(0:25-0:55))ほか一部地域でも放送。このシリーズは軽井沢が舞台となる。
(記事ウイキペディア参考)











ジミヘン『エレクトリック・レディランド』あなたが知らない10のこと
DAN EPSTEIN |2018/10/27 13:30 rollingstonejapan
今年でジミ・ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』が50周年を迎える。手作りのカズ―、酔っ払ったブライアン・ジョーンズなど、エクスペリエンスの最後のスタジオLPにまつわる10のトリビアを紹介する。
1968年2月、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしてサンフランシスコのフィルモア・ウェストでライブを終えたばかりのジミ・ヘンドリックスは「俺たちはここ最近曲の制作をしているんだけど本当に素晴らしい曲たちでずっと没頭してやっているよ。」とローリングストーン誌のインタビューで語った。「頭の中にその曲があって早くスタジオに戻ってやりかけていることをやりたくなる。それが心のギアを入れる方法だからね…。当然俺たちはフィルモアでライブをしたかったんだけど、でもその曲たちのことをずっと考えている。今俺たちがやっていることとは全く違うことなんだけど。」
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その時は誰も知る由もなかったがヘンドリックスが語るその新曲とは、ベーシストのノエル・レディング、ドラマーのミッチ・ミッチェルと共に前年の夏より断続的に作ってきた曲であり、2枚組のアルバムとして1968年10月16日にリリースされることとなる『エレクトリック・レディランド』の核となる曲であった。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしての最後のスタジオアルバムであり、彼らにとって唯一アメリカとイギリス両国でトップチャート入りしたアルバムであるこの『エレクトリック・レディランド』によって、ヘンドリックスは1967年に発表した前2作品『アー・ユー・エクスペリエンスト?』と『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』の遥か先を超えていったのである。

生き生きとした「クロスタウン・トラフィック」や感情を抑え込むようなサイケポップ「真夜中のランプ」は前出の2アルバムのどちらかに入っていたとしても特に浮くということはないだろうが『エレクトリック・レディランド』は大胆な新しいサウンドや味、チャレンジ精神に満ちあふれている。例えば速さが変化するドラムや歪んだヴォーカル、リバースシンバルを特徴とする“サウンドの絵”のような「恋の神々」、カーティス・メイフィールドの影響を受けた軽快な「エレクトリック・レディランド」、怒りの抗議である「焼け落ちた家」、スティーヴ・ウィンウッド、ジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディとの15分に及ぶ生のブルースジャム「ヴードゥー・チャイル」、セクシーなソウルジャズのグルーヴの「雨の日に夢去りぬ」、そして叙事詩的でサイケデリックな黙示録である「1983」などである。またこのアルバムにはヘンドリックスの伝説の中でこの先もずっと大きな存在であり続けるであろう2曲―極めてヘヴィな「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」とボブ・ディランの「ウォッチタワー」を過激にカヴァーしたものーも収録されている。

しかし『エレクトリック・レディランド』は今日のヘンドリックスファンの多くが彼の最高傑作だと評す一方、その誕生はけっして楽なものではなかった。主にロンドンのオリンピック・スタジオとニューヨークのレコード・プラント・スタジオで分けて行われたこのアルバムのレコーディングは定期的にツアーによって中断された。ヘンドリックスはレコーディングで頭の中にあるサウンドが再現できずたびたびフラストレーションを感じていたが彼の完璧主義への衝動、サウンドの実験に対する執着心が理由で最も信頼していた仲間の中には彼の元を離れていく者もいた。そして完成後の『エレクトリック・レディランド』でさえサウンド的に(視覚的にも?)ヘンドリックスが描いていたものには届かなかったのだ。

11月9日、ソニー・レガシーはこの奥が深く色鮮やかな作品のさらなる理解を促すべく、アウトテイク音源、デモ音源、『エレクトリック・レディランド』のエンジニアであるエディ・クレイマーによって新しくミックスされた5.1サラウンドサウンド、そして1987年のドキュメンタリー『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』を含む豪華50周年記念ボックスセットをリリースする。

ここでアルバム発売50周年を記念して『エレクトリック・レディランド』に関するあまり知られていない10のことを紹介しよう。

1.  ホイットニー・ヒューストンの母親が「真夜中のランプ」でバッキングボーカルをしていた
『エレクトリック・レディランド』の中で最初にレコーディングされた内省的な曲「真夜中のランプ」はエクスペリエンスとしてモンタレー・ポップ・フェスティバルで扇動的なパフォーマンスを見せた3週間後の1967年7月6日と7日にニューヨークのメイフェア・スタジオで録られた。『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』の制作中に作られていた曲ではあるがその時はレコーディングされずこのアルバムに入ることはなかった。

「真夜中のランプ」のレコーディングはヘンドリックスがエンジニアのゲイリー・ケルグレンと初めて行ったレコーディングである。2人の息はすぐにぴったりと合い、ケルグレンはそのまま『エレクトリック・レディランド』の制作において主要な役割を果たすこととなった。ヘンドリックスとプロデューサーのチャズ・チャンドラーはこの曲への女性バッキングボーカルの採用を決め、ケルグレンの妻のマルタが後にシンガーとして大成功を収めることとなる当時まだ3歳のホイットニー・ヒューストンの母親、シシー・ヒューストン率いる4人組人気ヴォーカルグループザ・スウィート・インスピレーションズに声をかけた。ヘンドリックスのサイケデリックな音楽は、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、ソロモン・バーク、ヴァン・モリソンのようなアーティストと仕事をしていたヒューストンたちにとっては慣れないものであったが彼女たちはそのチャレンジを喜んで受けたのだ。

「彼女たちは皆、違和感を抱いていたようだ。」と『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中でチャンドラーは回想している。「「真夜中のランプ」に少し戸惑っていたけど彼女たちは曲を気に入っていたし、本当にいい仕事をしてくれたよ。」

2.    ヘンドリックスは「クロスタウン・トラフィック」で手作りのカズ―を演奏していた
1968年のローリングストーン誌のインタビューで「ワウペダルの良い点は音程がないところなんだ」とヘンドリックスは当時出たばかりの彼のお気に入りの製品について興奮気味に語った。ヘンドリックスはギター関連の新製品のサウンドの可能性を試すことを好む一方、必要に応じて物を自作することもあった。「ウォッチタワー」ではたばこのライターをスライドバーとして使用したり、「クロスタウン・トラフィック」では求めるバズ効果を得るためにくしとセロハンで作ったカズ―を吹いてギターのラインに重ねたりしていたのだ。

「「クロスタウン・トラフィック」をレコーディングしていた時、彼は表現したいサウンドを出すことができなかったようだ。」と『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中でヘンドリックスの親友ヴェルヴァート・ターナーは語っている。「ジミが『くしをもってないかい?くしがほしい。あと誰かセロハンも持ってきてくれ。』と言ったんだ。くしの全体にセロハンを貼ってそれを吹けばカズ―のサウンドを得ることができる。「クロスタウン・トラフィック」のギターソロはカズ―のサウンドが重ねられていて、それはジミ本人がその‘くし’を使ってやっているんだ。そんなことをするなんてとても勇気があると思ったよ。ジミはそれが自分の求めるサウンドを生み出す可能性があれば身の回りのどんなものだって利用しようとしていたんだ。」

3. ブライアン・ジョーンズは「ウォッチタワー」で(結局実現しなかったが)ピアノを弾こうとしていた
ヘンドリックスはよく自分のレコーディングに様々なミュージシャンを呼んでいて、『エレクトリック・レディランド』にもアル・クーパー、バディ・マイルス、そしてトラフィックの3人のメンバー(デイヴ・メイスン、スティーヴ・ウィンウッド、クリス・ウッド)などを含むゲストミュージシャンが参加していた。しかしザ・ローリング・ストーンズのあるメンバーが「ウォッチタワー」のレコーディング中にオリンピック・スタジオに現れた時、彼がその曲にピアノを加えるという希望に満ちた試みは彼が酔っ払い過ぎていたせいですぐに失敗に終わった。

「スタジオに寄ってピアノを弾こうとしてくれたのはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズだけだったよ。彼は堂々とした態度で2,3テイク録っていたと思う。でもそれはボツになり、結局は彼なしの基本トラックで完成となったんだ。」とエディ・クレイマーは『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中で回想している。友人の気分を損ねたくなかったヘンドリックスは代わりにジョーンズにパーカッションを依頼した。イントロ中に何度かカチャカチャいっているのはジョーンズがヴィブラスラップを叩いている音である。

4. ボブ・ディランはヘンドリックス版「ウォッチタワー」は彼のオリジナルの改良版だと思っていた
1969年のローリングストーン誌のインタビューで「俺はディランが大好きなんだ。」とヘンドリックスは興奮気味に語った。「彼には3年ぐらい前にマクドゥーガル通りにあるケトル・オブ・フィッシュ(ニューヨークのフォークロック系バー)で1度だけ会ったことがある。俺がイギリスに行く前だ。その時は2人ともめちゃくちゃ酔っぱらっていたからたぶん彼は覚えていないと思うけどね。」

1970年に亡くなるまでにヘンドリックスは「ライク・ア・ローリング・ストーン」「窓からはいだせ」「漂流者の逃亡」などディランの曲を複数カヴァーしたが、見事に昇華させた「ウォッチタワー」は彼のシンガーソングライター、ボブ・ディランへ対する究極のトリビュートだったのである。ディラン自身もたびたび『エレクトリック・レディランド』バージョンを絶賛しており、自身のライブ演奏でヘンドリックスのアレンジを取り入れるほどであった。「圧倒されたよ、本当に。」1985年のフォート・ローダーデール・サン・センチネル紙のインタビューでヘンドリックスのこの曲の解釈の仕方について質問された時、彼はそう答えた。「彼はとんでもない才能を持っていて曲の中に秘められているものを見つけ出しそれをさらに生き生きと伸ばすことができる。他の人がそこに存在しているなんて思いもしないものを見つけ出すことができるんだ。彼は独自の世界感でこの曲をより良いものにしたんだろう。実は俺は彼のアレンジを取り入れて今日までこの曲をやってきている。」

5.  オールスタージャム「ヴードゥー・チャイル」はお気に入りのニューヨークシティのナイトクラブの空気を音源で再現したいというヘンドリックスの試みだった
「ナイトクラブのような小さな場所で閉店後にやるジャムセッションが好きなんだ。違った感覚が生まれる。そこにいるみんなとまた違った形で楽しむんだ。違った感覚が生まれ、そしてそれをまたさらに違う感覚と混ぜ合わる。重要なのはスポットライトがあたるようなことではなく“人”なんだ。」と1970年2月、ヘンドリックスはジャーナリストのジョン・バークスに語った。

『エレクトリック・レディランド』の制作当時ニューヨークシティのヘンドリックスのお気に入りの場所、閉店後にセッションができるザ・シーンというナイトクラブがあった。西46番通り沿いの地下にあって、ゲイリー・ケルグレンがヘンドリックスを念頭において建てた新しいレコーディングスタジオのレコード・プラント・スタジオから目と鼻の先であった。ザ・シーンはツアー中のミュージシャンたちが集まってくる場所で、ヘンドリックスがそこにいたミュージシャンたちと数時間ジャムセッションし、その後深夜のレコーディングのためにレコード・プラント・スタジオに戻ることも珍しいことではなかった。1968年5月2日の夜、彼はそれぞれのバンドがフィルモア・イーストでのライブのために来ていたスティーヴ・ウィンウッドとジャック・キャサディと出会い、そのまま2人をスタジオに連れて戻り、エディ・クレイマーにザ・シーンのジャムセッションのようにマイクをセットするように指示した。ドラムはミッチ・ミッチェルであった。

「俺たちはもうザ・シーンにいたがジミが『スタジオに戻ってこれをやってみよう』って言いだしたんだ。」とクレイマーは『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中で思い起こしている。「ライブのようなサウンドで録るという狙いだった。」3テイクでこのスローブルース「ヴードゥー・チャイル」は後世に残るべくテープに刻まれ、“クラブ感”を出すためにオーディエンスの声が後からオーバーダブで加えられた。

6.  「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はテレビドキュメンタリーの撮影中に即興的にレコーディングされた
「ヴードゥー・チャイル」がレコーディングされた翌日、ABCテレビのドキュメンタリー番組になる可能性がある撮影のためヘンドリックスはノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと共にスタジオに戻った。レコーディングしているふりするだけのはずだったがヘンドリックスはメンバーに新しい曲を教えるのにちょうどいいと思った。そしてテープを回して3テイク後、「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」が生まれた。

「俺たちはスタジオで曲を覚え、その曲を演奏している間カメラが回されていたんだ。」とレディングは著者のジョン・マクダーモットに語った。「それを3回ほどやった。彼らはスタジオにいる俺たちを撮りたがったからね。(横柄な声色で)『スタジオミュージシャンぽく見えるようにやってくれ』って指示しながら。あるシーンでは『OK、Eのキーでやってみよう。はいワン、ツー、スリー』で、俺たちが「ヴードゥー・チャイルド」に入る、みたいな」とヘンドリックスはジョン・バークスに語った。結局そのスタジオの映像はABCに使われることもないまま行方が分からなくなってしまったが「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はヘンドリックスの曲の中で最もヘヴィで最も力強い曲の1つとして残っている。

7.    ヘンドリックスのスタジオでの完璧主義が原因で彼のマネージャー兼プロデューサーがアルバムの制作中にやめてしまった
「ヴードゥー・チャイル」と「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はどちらも3テイクずつで完成したがそんなふうに自然と出来上がるような感じは『エレクトリック・レディランド』の制作においては珍しいことであり、ヘンドリックスのマネージャー兼プロデューサーのチャズ・チャンドラーにとってそれは非常に残念なことであった。“パッと録ってパッと終わる”レコーディングスタイルを好むチャンドラーは、ファンキーなフィールドホラー曲「ジプシー・アイズ」で50近いテイクがかかったことを始めとするヘンドリックスの完璧主義的傾向、そしてレコード・プラント・スタジオ内を多くの曲のレコーディング中に占めていたパーティ的空気に次第にフラストレーションを溜めていったのである。

「私がそこ(レコード・プラント・スタジオ)に先に入りジミを待つことがよくあった。そしたら彼は8、9人の腰巾着と一緒に現れる。そしてようやくレコーディングを始める気になったと思ったらレコーディングに集中せずゲストたちを喜ばせるためにプレイする…。何度も何度もやり直して『今の良かった。良いのが録れたぞ。』と私がトークバックマイクで言っても彼は『ダメだ、ダメだ』と言い、また何度も何度も録り直す。ついに私はあきらめてその場を去ったんだ。」とチャンドラーはジョン・マクダーモットに話した。

エクスペリエンスのベーシスト、ノエル・レディングも同じくレコーディングの環境に取り巻いていたお祭り騒ぎの空気、そしてヘンドリックスが頭の中で聞こえているものを完璧に再現することを追求するあまりアルバム中の多くの曲のベースを彼自身がプレイし、レディングがやることがほとんどなくなってしまっていたことに対して非常に不満を感じていた。「俺はそれをジミにぶちまけ、彼が周りに作っている環境に対して俺がどう思っていたのかを伝えたんだ。スタジオには大量の人がいて動くことさえままならなかった。あれはレコーディングではなくパーティだった。彼は『まあ、落ち着けよ。』と言うだけだった。俺は何か月も落ち着いていた。だから俺はもう彼に二度と合わないことになろうが気にせずこの場から離れることを選んだんだ」とレディングは自身の自伝『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に綴っている。結局レディングはレコーディングに戻ったが(アルバムに収録するほどヘンドリックスが気に入っていたという「リトル・ミス・ストレンジ」ではリードヴォーカルまで担っている。)チャンドラーは永遠に戻ることはなかった。

8.    ヘンドリックスのイギリスのレーベルはアルバムのカヴァー写真に裸の女性を使うことを彼に知らせなかった
音楽的に完璧主義者であっただけでなく、ヘンドリックスは『エレクトリック・レディランド』のヴィジュアル面においても明確なアイデアを持っていた。翌年ポール・マッカートニーと結婚することとなるフォトグラファー、リンダ・イーストマンにニューヨークのセントラルパークにあるホセ・デ・クリーフトによる不思議の国のアリスの彫刻の上でジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが子どもたちと遊んでいる写真を撮影してもらっており、ヘンドリックスはそれがアルバムのカヴァーに最適だろうと思っていた。「彫刻の上で俺たちと子どもたちが写っているカラー写真をフロントかバックか外側のカヴァーに使ってほしい。」と彼のアメリカのレーベル、リプライズ・レコードに依頼した。理由は不明だがリプライズはヘンドリックスの1967年のロンドンのサヴィル・シアターでのライブでカール・フェリスによって撮影された露光させた写真を使用した。そしてヘンドリックスのイギリスのレーベル、トラック・レコードはデイヴィッド・モンゴメリーによる19人のヌード女性の写真を使うというさらに挑発的で物議を醸すような方針をとったのだ。

1968年12月7日のローリングストーン誌のニュース記事によるとトラック・レコードによるアルバムのリリースは「イギリスのロンドンを除く地方の多数のレコード店で反発を受け検閲が行われた。」一方、ロンドンの卸売業者は茶色の包装紙でヌードを隠すことで販売を続けた。ヘンドリックスの言い分としてはトラック・レコードからアルバムのカヴァーに関する計画は聞かされていなかったということである。

「イギリス版のスリーヴに関しては何1つ知らなかったんだ。君も俺のことを知っているからわかると思うけど俺はそれでも気に入っているよ。ただ1つ残念なのはフォトグラファーがこの女性たちが醜く見えるようにしてしまったこと。この中には美しい女性もいるのにフォトグラファーが写真を魚眼レンズか何かで歪めてしまったんだ。ひどいことだ。そのせいでこの女性たちが不細工に見えてしまう。でもそれは俺のせいじゃない。」と1968年のメロディ・メイカー誌のインタビューで彼は答えた。

9.ヘンドリックスは完成したアルバムのサウンドに不満だった
ヘンドリックスは『エレクトリック・レディランド』をレコーディングするにあたって長時間をスタジオで過ごした。彼の24時間体制での作業にレコード・プラント・スタジオでは60,000ドル、オリンピック・スタジオでは10,000ドルもの費用がかさみ(2018年の価値換算で500,000ドル以上)残念なことに贅沢にファイナルミックスを行えるほどの予算は残されていなかった。リプライズ・レコードから作品を完成させるよう圧力をかけられ、彼はエクスペリエンスのツアー中にアルバムのミックスを行わざるを得なかった。

「両方に集中するのはとても難しいことだ。だから曇った感じに仕上がってしまった曲もある。曇っているわけではないけど低音が大きすぎる。自分たちでミックスし、プロデュースし全部やってきた。でもプレスする時になってごく自然にめちゃくちゃにされてしまった。彼らは俺たちが求めていたものをわかっていなかったからね。3Dサウンドが使われているところがあるんだけど全く意味がなくなってしまった。彼らが正しい扱い方を知らなかったから。彼らはそれが外れたフレーズだと思ったんだ。」とリリース直後のハラバルー・マガジンのインタビューで嘆いた。

10.  ローリングストーン誌はリリースに際しこのアルバムに良悪どちらも含んだレビューを出した
1968年の10月にリリースされた時には『エレクトリック・レディランド』のような音楽は他には一切存在していなかったので当時の多くの批評家たちの頭や耳がこの75分に及ぶ本物の素晴らしさを完全に理解できなかったとしてもそれはそれほど驚くべきことではない。1968年11月9日号のローリングストーン誌で『エレクトリック・レディランド』ついて書くこととなったトニー・グローヴァーはこのアルバムに対しての良悪の両面をはっきりと挙げた。すばらしい点としては(「ウォッチタワー」に加え)アルバムが持つ王道なブルースの雰囲気。しかし彼はヘヴィな部分に関してはあまり理解ができないようである。特に「1983」の“美しい海の中にいるようなムード”をヘンドリックスの泣き叫ぶようなギターがぶち壊していることを嘆いている。「私の最初のリアクションは、なぜ彼はこんなことをしなければならなかったのか、だった。しかしそれから私は思った。彼は美しいものを作り出したがそれに対する信念を失ってしまい、だから他の誰かに壊される前に自分でそれを壊したのだろうと。いろいろな意味で残念である。」とグローヴァ―は書いている。

しかし35年後、このアルバムはローリングストーン誌で正当な評価を受け、ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・アルバム500で55位を獲得したのである。

(記事引用)

















陰陽五行説
陰陽五行思想とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想。
陰陽五行説、陰陽五行論ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
ウィキペディア

中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
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陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水、(もく、か、ど、ごん、すい、金は「きん」でなく「ごん」と読ませる)の五行にそれぞれ陰陽二つずつ配する。

甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、は音読みでは、こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き、と読む。音読みでは陰陽と五行にどう対応しているか分かりにくいが、訓読みにすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となり、五行が明解になる(かのえ、かのと、は金)。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。語源は「え」は兄、「と」は弟である。「えと」の呼び名はここに由来する。「えと」は本来、十干ないし干支の呼称だった。きのえ、は「木の陽」という意味。

十二支にも五行が配されている。その前提として、季節に対応する五行(五時または五季)は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。土はどこへ来るかというと、四季それぞれの最後の約18日(土用)である。有名な「土用の丑の日」は夏の最後の時期(土用)の丑の日(丑は土の五行)ということである。各季節に十二支を配すると、

春は、一月寅、二月卯、三月辰(五行は木、木、土)
夏は、四月巳、五月午、六月未(五行は火、火、土)
秋は、七月申、八月酉、九月戌(五行は金、金、土)
冬は、十月亥、十一月子、十二月丑(五行は水、水、土)
となる(月は旧暦の暦月または節月)。

十二支の陰陽は、子から数えていき、奇数番目は陽、偶数番目は陰となる。十干と十二支が組み合わさるとき、陰と陽の組み合わせはなく、陽と陽、陰と陰の組み合わせのみとなる。そのため、10×12=120とはならず、半分の60通りになる。甲寅はあっても乙寅はない、乙卯はあっても甲卯はない。

陰陽五行説の暦、またそれをもとにした占いは、立春を一年の始まりとしている。また月の始まりも1日ではなく、二十四節気のうち月の前半に来る十二の節(年によって違うが概ね5〜8日)が月の始めとなる。このように節から次の節の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。また月の節入り(せついり)という。

立春(正月節)、新暦2月4日頃
啓蟄(二月節)、新暦3月6日頃
清明(三月節)、新暦4月5日頃
立夏(四月節)、新暦5月5日頃
芒種(五月節)、新暦6月6日頃
小暑(六月節)、新暦7月7日頃
立秋(七月節)、新暦8月7日頃
白露(八月節)、新暦9月8日頃
寒露(九月節)、新暦10月8日頃
立冬(十月節)、新暦11月7日頃
大雪(十一月節)、新暦12月7日頃
小寒(十二月節)、新暦1月5日頃
だから小寒(1月5日頃)から立春前日(2月3日頃)の「年の干支」は前年の干支となるし、「月の干支」は十二月の丑となる。

陰陽五行思想の論理
「陰陽五行思想」とは前述の通り「陰陽思想」と「五行思想」を組み合わせたものである。

「陰陽思想」は古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出したものであり、全ての事象は、それだけが単独で存在するのではなく、「陰」と「陽」という相反する形(例えば明暗、天地、男女、善悪、吉凶など)で存在し、それぞれが消長をくりかえすという思想である。

一方、「五行思想」は夏の創始者「禹」が発案したものであり、万物は「木火土金水」という五つの要素により成り立つとするものである。後に斉の陰陽家鄒衍により5つの惑星と、さらにその後様々な事象と結び付けられ、陰陽思想と五行説が統合されて観念的な陰陽五行思想として完成する。

五行相生・五行相剋
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五行思想の特徴は、「相生」と「相剋」という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方である。相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」、相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」という。注意しておきたいのは、「相生」は相手を強めるので常によい、「相剋」は相手を弱めるので常に悪い、という捉え方ではないことである。

五行相生
「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』という。
木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる、という具合に木→火→土→金→水→木の順に相手を強める影響をもたらすということが「五行相生」である。
五行相剋
「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」という関係を『五行相剋』という。
水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止める、という具合に、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に影響を与え、弱めるということが「五行相剋」である。
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田辺三菱製薬サイト 引用
「このシリーズ II は『生薬学校』でも、その真骨頂で、どこからクリックしてもそれなりに解かるように構成しているが、できたら、このトップバッター『陰陽五行説』から入ってもらいたかったのじゃ。伝統医学(漢方)の中核をなす、哲学ともいうべき概念なのじゃ。」
――陰陽五行説と一口にいうが、本来、発生的には別々のものがふたつ合わさってできたものと考えられる。
伝統医学(漢方)は、自然と人間とのかかわりを基本骨子として展開されていることが特徴的であり、たとえば月と太陽、水と火などの自然現象を、ふたつの対立関係としてとらえた「陰陽」という概念が生じ、また、五遊星(木星・土星など)の発見と、古代人の生活必須要素である木・火・土・金・水が一緒になり「五行説」が生まれた。これらふたつの概念が合体して「陰陽五行説」が成立し、天文歴、政治、道徳、その他すべての物事の基礎理論に応用された。
この「陰陽五行説」がさらに拡大されて、医学の分野にも採用され、人と自然との関係および人体内部の臓腑の相互関係を明らかにし、病理、診断、予防、治療など、伝統医学(漢方)の理論的基礎をつくった。これを記述したのが『黄帝内経』(世界最古の医学書)といわれる。

「陰陽原理というと、いかにも古めかしいが、陽気・陰気、陽極(+)・陰極(-)、山陰・山陽など、現代の日本語の中にも、結構とり入れられておるのじゃ。

○ 一般的な事物の分類
分類 天地 季節 時間 性別 気温 明るさ 運動 上下 内外
秋冬 静的
春夏 動的

○ 人体の分類
分類 表裏 上下 背腹 臓腑 気血 体温 性格 状態 体力
下半身 腹部 静的 抑制 衰退
上半身 背部 動的 興奮 亢進

○ 疾病の分類
分類 性質
裏証、虚証、寒証
表証、実証、熱証

そして、自然界の現象であろうと、人間の体であろうと、あまり陽に過ぎてもいけないし、陰に過ぎてもいけないのじゃ。
昔は今のような自然科学が発達していなかったから、病気を陰陽のバランスの崩れとして捉えたのじゃ。そして、病気を治すとは、この陰陽のバランスを回復することだと考えたのじゃ。だから、
陰に過ぎている場合は → 陽性の薬を 
陽に過ぎている場合は → 陰性の薬を
与えて、バランスを回復することが、漢方(伝統)医学の基本原理なのじゃ。」
「“五行説”とは、人体、自然界のすべての事物が、木・火・土・金・水の五つの要素の運行と変化によって成り立っているという考え方じゃ。」
―――古代の人達は、木・火・土・金・水、五種類の物質が生活のなかで、なくてはならないものと考えていた。例えば、水と火は飲食の調理のため、金と木は日常の労働のなかで必要とし、土は万物が資生するものであるというように。
当時の人達は、ある抽象的な意味(気・エネルギー)を加えて、すべての物質・諸事万端を割りふり、説明している。同時に、これらは互いに生じあい、互いに制約しあう関係であり、たえず変化しているととらえ、「五行」と称した。
“五行説”では“五行の相生” “五行の相剋”ということで互いの関係を説明している。
「相生関係とは、互いの資生と助長の事であり、木生火、火生土、土生金、金生水、水生木で事物の発生と発展がある。
また、この相生関係の中で、我を生じるものは母であり、我が生じるものは子であるという考え方があり、(例えば、火は木から生じ『母』、火から土が生じる『子』)、五行の相生関係を『母子関係』ということもあるのじゃ。
相剋関係とは、互いに相助け、相反する(制約する)関係で、木剋土、土剋水、水剋火、金剋木で運行を続けることが出来るという説なのじゃ。この“相生”“相剋”は、切ることが出来ない関係で、生がなければ発生と発展がなく、剋がなければ正常な協力関係を続けることは出来ないのである。
当然、医学の分野でも、長期にわたって蓄積された医学体験を五つの要素に分類することにより人体の臓腑、生理、病理、診断、治療、食物、環境状況の把握に応用してきたのである。
具体例をあげれば、腎・膀胱がしっかりしていて、肝・胆がよくなれば、心・小腸もよくなり(相生)、逆に、肺・大腸の影響があったりして肝・胆を害すれば、脾・胃も悪くなる(相剋)のじゃ。」
陰陽五行説は何千年もの歴史の中で経験した事実の積み重ねから作られた理論じゃ。実際に病人を見たとき当を得ているが、現代医学では説明ができないことが多い。ここに伝統医学の奥深さがあり、また難解の原因ともなっているのじゃ。

(記事引用)










土師流の伝統を継ぐ「里の神楽」
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東京自由ヶ丘 熊野神社 動画付き
山の神が、熊野神社の例祭を祝し、氏子崇敬者の繁栄を祈念する祝福舞。
2015.9.5 熊野神社例大祭 土師流里神楽 山神の舞 
検索 「桜乃一人静サイト








土師氏 (検索ウイキペディア)
土師氏(はじうじ、はじし)は、「土師」を氏の名とする氏族。
天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。

古代豪族だった土師氏は技術に長じ、出雲、吉備、河内、大和の4世紀末から6世紀前期までの約150年間の間に築かれた古墳時代の、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族である。
大阪府藤井寺市、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯は、「土師の里」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所で、その名がついた。道明寺天満宮の前身は土師神社であり、道明寺は土師氏氏寺である。

備前国邑久郡土師郷一帯は、飛鳥京跡出土の木簡では「大伯郡土師里」と呼ばれ、「土師寅」が米を送ったことが墨書されており、土師氏が本拠地としていた所でその名がついた。

土師氏は野見宿祢を祖先とする氏族で、野見宿祢については、『日本書紀』垂仁7年7月7日条にその伝承が見える。それによると、大和の当麻邑に力自慢の当麻蹶速という人物がおり、天皇は出雲国から野見宿祢を召し、当麻蹶速と相撲を取らせた。野見宿祢は当麻蹶速を殺して、その結果、天皇は当麻蹶速の土地を野見宿祢に与えた。そして、野見宿祢はそのままそこに留まって、天皇に仕えた、とある。野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられており、野見宿祢が石材とかかわっていたと言う推定がある。この伝承は、古墳の石室などに用いられた安山岩質の讃岐岩の石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆する。

野見宿祢に関する2つ目の伝承として『日本書紀』垂仁32年7月6日条があり、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命が亡くなった。それまで垂仁天皇は、古墳に生きた人を埋める殉死を禁止していた為、群臣にその葬儀をいかにするかを相談したところ、野見宿祢が土部100人を出雲から呼び寄せ、人や馬など、いろんな形をした埴輪を造らせ、それを生きた人のかわりに埋めることを天皇に奏上し天皇はこれを非常に喜び、その功績を称えて「土師」の姓を野見宿祢に与えたとある。 当時も技術的には出雲が先進であったことを示唆する。

後に、土師猪手が周防国佐波に来目皇子の殯宮の造営や、天皇の詔によって吉備姫王の葬儀執行を担当した。また、土師氏は、河内国に古墳墓を増産し、隆盛を誇った。

続日本紀によれば、桓武天皇の母方の祖母・土師真妹は山城国乙訓郡大枝郷(大江郷)の土師氏出身である。その娘の高野新笠も、この土師氏の里で幼少期の桓武天皇を養育したと見られている。やがて土師氏の一族は、桓武天皇にカバネを与えられ、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれていった。
(資料ウイキペディア)

土師流(伝)神楽 上総国一宮玉前神社 太々神楽
または、上総神楽
県指定無形民俗文化財 指定日 昭和33年4月23日
長生郡一宮町一宮の玉前神社に伝わる神楽で、俗に上総神楽ともいう。

神楽の奉納記録としては、天保9年(1838)の「社用録」に、宝永7年(1710)に神楽殿を造り神楽を奉納したとあるのが初見である。また、「伶人ハ江戸稲荷ノ祠官、小針和泉村木大和也。当社ヘ土師流ノ神楽伝授ス」ともあるように、もともと土師流の神楽を伝え受けたことがわかっている。
この神楽は、代々5軒の社家を中心に継承されることになっており、明治時代の記録では36演目からなっていたようだが、現在では「加茂明神」「天狐乱舞」「八咫宝鏡」「種蒔」「両神和合」「龍神舞楽」「悪魔降伏」「磐戸小開」「蛭子」「猿田彦舞」「剣玉」「神剣貢」「風神安鎮」「戸隠」「千能里」「大山祇神」の十六座を伝えている。(一宮町史)




鷲宮神社 土師流神楽
土師一流催馬楽神楽は、埼玉県鷲 宮町に鎮座する鷲宮神社に伝えられています。鷲宮の語源は土師部(土器などをつくる人)が移り住んだことから、土師の宮が鷲宮に転じたともいわれています。 鷲宮神社の神楽が文献に登場するのは鎌倉時代の「吾妻鏡」で、建長3(1251)年の記録が最初とされています。ただし、その神楽が今に伝わるものと同じであるかはわかっていません。現在の十二座から成る神楽が編成されたのは、宝永~享保年間の頃で、今から280年から300年前のことであったと考えられています。

江戸後期の随筆家山崎美成による「海録」の中に、十二座に編成された催馬楽神楽の起源や江戸里神楽の源流とみなす有力な根拠がしるされています。このため、土師一流催馬楽神楽は関東神楽の源流と呼ばれています。

昭和51(1976)年、国の重要無形民俗文化財第1回指定の中に選ばれています。

催馬楽神楽の特色
 最大の特徴は、平安時代に流行した催馬楽という歌が神楽の演目ごとに歌われることです。神楽は、出端(では)(序の舞)、中の舞掛り(まいがかり)(本舞)、引込み(ひっこみ)(終わりの舞)で構成され、催馬楽は出端と中の舞掛りの間で歌われます。また、舞の型に「四方固め」「三度」といった宗教味 の濃い所作が含まれ、格式ある典雅な舞となっています。
 演じる機会は、玉前神社の春季例大祭(4月)や秋季例大祭(9月)をはじめ、年7回ほどあるが、春季祭では「種蒔」が、秋季祭では「猿田彦舞」が必ず最初の演目と決まっており、毎回最後は、「大山祇神」で終えるようになっている。
(資料海録引用)









自分の居場所が、すべてネットで見えてる、という怖さと不安
今、パソコン、SNS、ネット世界でセキュリティーが不可欠で、これがないと正しく機能しないという時代だ。

その反面、個人情報がある場所に集中管理され、それが容易に閲覧、またハッキングなどによって、公開されてしまうという不備が多くなった。
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そこで問題は、知らぬ間に自分の1日のアクション範囲が、手に取るように判るナビが、自分の知らないところで管理されているというシステムは、はたして法律が許可しているのか、という問題を提起している。

現在のまま野放図に個人情報が特定の企業に占有されることは好ましくない。これは今の段階で阻止しないと、なしくずし的に、すべて企業のファイル化によって資産として保存されてしまう。その費用はアプリアクセスの対価として情報記録することで、ゼロ円でストックしている。ネット民は、そんなことも知らずにせっせと個人情報を企業に上納していることである。

これを阻止するには法律で決着するしかない。(提訴)

Androidの「アプリの権限」ってどういう意味? - いまさら聞けないAndroidのなぜ
海上忍2018/05/10 15:09:37マイナビニュース
多種多様な候補から自分好みの端末を選択でき高度なカスタマイズが可能、それがAndroidの魅力であり強みです。しかし、その自由度の反面わかりにくさを指摘されることも少なくありません。このコーナーでは、そんな「Androidのここがわからない」をわかりやすく解説します。今回は、『Androidの「アプリの権限」ってどういう意味?』という質問に答えます。
Android OSにおける「アプリの権限」とは、インストール済の各アプリが"端末のどの機能/情報にアクセスできるか"を意味します。権限は「カメラ」や「マイク」、「位置情報」など複数のジャンルに分けられており、Google Playからアプリをインストールするときなどに設定されます。アプリは権限を持つジャンル以外の処理は実行できないため、迷惑アプリ/マルウェアによる被害を未然に食い止める効果があります。
たとえば、写真/ビデオの撮影に関する機能を持つアプリは「カメラ」の権限を必要とします。同様に、録音や音声通話を行うアプリは「マイク」、マップ/ナビゲーション機能を備えるアプリは現在地を知るために「位置情報」が必要です。システムの安全性や個人情報保護を含むセキュリティの観点から、システム標準装備かサードパーティー製かを問わず、アプリは与えられた権限の範囲内でしか動作できないようAndroid OSでは設計されています。
しかし、アプリに多くの権限を与えるべきではありません。たとえば、「連絡先」の権限を持つアプリは連絡先アプリに登録した人物の住所氏名を自由に入手できるわけで、なにか問題が生じたときは個人情報漏えいの危険性が生じます。「連絡先」にかぎらず、なぜその権限が必要かを開発元がはっきり説明していないアプリについては、権限を与えるべきではありません。
アプリの権限は、「設定」→「アプリと通知」→「アプリの権限」の順に画面を開くと確認できます。ジャンルごとに「4/12個のアプリを許可」などと表示されていますが、この場合12のアプリがその権限に関連した機能を備え、そのうち4つのアプリに権限を与えていることを意味します。アプリに与えた権限が本当に必要かどうか、定期的にチェックしましょう。

(記事引用)

ネットに無料公開の写真やイラストを無断で使用したら損害賠償30万円!勝手に使っちゃ絶対にダメ
かさこ2018年10月31日 08:25
みなさん、勘違いしてませんか?
ネットに無料公開してある写真やイラストは、勝手にブログやSNSに使ってもいいと。無料公開しているから勝手に無料で使っていいわけではありません。無断で使用したら損害賠償もの。

たとえば、あるイラストレーターがSNSで公開したイラストを無断でまとめサイトに転載されて、裁判所に訴えたところ、無断で借用したサイト運営主に損害賠償として、30万円の支払いが命じられています。

いいですか?みなさん。
ネットで検索して出てきた画像やイラストを勝手に使ってはダメです。泥棒です。犯罪者です。

たとえば、私がブログに載せていた海外の写真を勝手に無断でサイトに使った企業を発見し、使用料として5万円を請求し、支払いさせたこともあります。

ネットで無料公開されているから無料で使っていいことにはなりません。考えてもみてください。あなたがネットに載せている自分の写真をエロサイトや新興宗教のサイトや、変な商品の紹介サイトに載せられたらイヤですよね?

ネットで無料で自分の顔写真を載せているからといって、無断で使ってもいいということになったら、何に使われるかわかったものではありません。

それと同じように、人物写真でなくてもどんな写真でも、ネットに載っているから無料で無断で使ってしまえということにはなりません。

これ、ほんとわかってない人多すぎますが、知らなかったでやってしまうと損害賠償請求されたり、社会的信用を落とすことになります。

何度もいいますけど、勝手に他人の写真やイラストをネットから拾ってきて使ってはダメです。窃盗犯、泥棒ですからね!
(記事引用)













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