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水俣病(みなまたびょう)とは、メチル水銀化合物(有機水銀)による中毒性中枢神経系疾患のうち、産業活動が発生源となり、同物質が環境に大量に排出され、食物連鎖によってヒトが経口摂取して集団発生した場合に使われる病名である。
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1956年(昭和31年)5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場附属病院長の細川一が水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に確認された。1958年(昭和33年)頃から「水俣病」の名称が使われ始め、その後、類似の公害病にも命名されている(第二水俣病)。

「公害の原点」ともいわれ、工業災害における犠牲者の多さでも知られる。

1997年(平成9年)7月29日、熊本県知事が水俣湾の安全宣言を行い、同年10月から漁が再開された。
1931年(昭和6年)、熊本県水俣町(現・水俣市)にある日本窒素肥料株式会社(チッソの前身)水俣工場の技術者の橋本彦七らは、カーバイトからアセチレンを作り、これを水銀触媒を使ってアセトアルデヒドに変える一連の合成方法を発明し、特許原簿に登録した。1932年(昭和7年)から同工場で操業開始。アセトアルデヒドを原料とするブタノール、酢酸、酢酸エチル、無水酢酸、酢酸繊維素、酢酸ビニールなどの製品化に成功した。
1938年(昭和13年)、橋本は水俣工場長に就任。1941年(昭和16年)、チッソは日本で初めてアセチレンから塩化ビニルへの合成に成功した。橋本は戦後、水俣市長を通算4期務めた。

チッソは、アセチレンの付加反応に金属水銀や昇汞(塩化水銀(II)の別名)を用いており目的の反応生成物を取り除いたあとの工業廃水を無処理で水俣湾に排出していた。そのため、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、これらの魚介類が汚染されていると知らずに摂取した不知火海沿岸の熊本県および鹿児島県の住民の一部に「メチル水銀中毒症」が見られ、これが水俣病と呼ばれることとなった。
環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の大規模有機水銀中毒でかつ世界中に知れ渡った公害病である。

有機水銀は自然界にごく普通に存在し、魚介類で有機水銀を含まないものはない。人間は日常的に魚類から有機水銀を摂取している。日常の食事などからの摂取が一定の範囲内であれば、適切に排出され問題はないが、大量に摂取した場合は排出しきれず蓄積され激しい中毒症状を引き起こす場合がある。妊婦などには、胎盤を通じて胎児に影響が出ないよう、マグロやカジキといった水銀含有量の多い魚の摂取について注意喚起が行われている。

後年わかるように、水俣病は昭和20年代後半から30年代前半に、触媒の変更によって、一時に爆発的大量の有機水銀が海中に放出され、それを摂取した魚類が適切に排出できずに高い濃度で蓄積し、さらにそれを食べた人間に激烈な中毒症状が発生したものである。水俣病はいわば量的問題でおこったものであり、自然界における摂取と排出のバランスの崩壊で発生したものであった。

当初は原因が分からず「奇病」と呼ばれていたが、地名を採って「水俣病」と呼ばれるようになった。原因が解明された後は、同様の公害病の呼称にも用いられた。水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つは、四大公害病と呼ばれる。

有機水銀であるメチル水銀への曝露によって中毒となった場合、主に中枢神経系が障害され、「メチル水銀中毒症」が病名となる。ただし、同物質による公害によって引き起こされた、すなわち公害病と認定された場合は特に「水俣病」(英語: Minamata disease)と呼ばれる。公害病では環境に排出されたメチル水銀が食物連鎖によって生物濃縮され、それを経口摂取することで発症するが、妊婦が摂取した場合、胎盤を経由して胎児にも影響し、(先天的に)同様な障害を持つ児が生まれることがある。この場合は「胎児性水俣病」と言う。

なお、職業病の場合は「水俣病」とは呼ばない。また、主に腎臓が障害される無機水銀中毒症、あるいは、企図振戦、歯肉炎・口内炎、精神症状が3大主徴の金属水銀中毒症も、病態が異なるため「水俣病」とは呼ばない。ただし、環境中に排出された無機水銀が環境中でメチル化され、生物濃縮をしている例が世界各地で確認されているため、水銀汚染の公害病の議論の中でこれらが水俣病と共に語られることがある。

原因物質の特定
原因物質は容易に確定されなかった。1958年7月時点では、熊本大学医学部研究班は原因物質としてマンガン、セレン、タリウム等を疑っていた。当時、水銀は疑われておらず、また前処理段階の加熱で蒸発しており検出は不可能であった。しかも有機水銀を正確に分析し物質中の含有量を測定する技術は存在していなかった。

しかし翌1959年7月22日、熊本大学水俣病研究班は、武内忠男や徳臣晴比古らの研究に基づいて、「水俣病の原因は有機水銀であることがほぼ確定的になった」という発表を行った。これは、排水口周辺の海底に堆積するヘドロや魚介類、患者の体内から水銀が検出されたことによる。

同年10月、水俣病発見者細川一院長は、院内猫実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告している(この時点ではメチル水銀の抽出までには至っていない)。しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた。

1962年8月、当時東京大学工学部大学院生であった宇井純が、写真家の桑原史成と共に新日窒附属病院を訪ねた際、猫の実験に関するノートを発見。後日、細川一医師(愛媛県三瓶町に帰郷していた)を訪ね確約のうえ、1963年3月と10月の『技術史研究』誌上にて、富田八郎(とんだやろう)の筆名で「水俣病(1),(2)」を発表した。

公式見解としてメチル水銀化合物 と断定したのは、1968年9月26日であった。これは水銀中毒であることは確かだが、当時、数ある有機水銀のうちのメチル水銀が原因であるという確証が得られなかったことに起因する。この物質がメチル水銀であったことはすぐに判明したものの、初期の曖昧な内容が東大医学部などの反論を招いた。そしてそれに対する再反論作成の必要に迫られるなどして、原因特定の遅れを招くことになったためである。

なお当時の文献や、それを引用した文献では、原因物質は単に「有機水銀」と表記されていることがある。

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出典検索?: "水俣病" – ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年11月)

水俣病はメチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、その主要な症状としては、四肢末梢神経の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等がある。患者には重症例から軽症例まで多様な形態が見られ、症状が重篤なときは、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。一方、比較的軽症の場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなども見られる。

メチル水銀で汚染されていた時期にその海域・流域で捕獲された魚介類をある程度の頻度で摂食していた場合は、上記症状があればメチル水銀の影響の可能性が考えられる。典型的な水俣病の重症例では、まず口のまわりや手足がしびれ、やがて言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などの症状が現れ、それが徐々に悪化して歩行困難などに至ることが多い。これらは、メチル水銀により脳・神経細胞が破壊された結果であるが、血管、臓器、その他組織等にも作用してその機能に影響を及ぼす可能性も指摘されている。また、胎盤を通じて胎児の段階でメチル水銀に侵された胎児性水俣病も存在する。

上記のうち、いくつかの症状が同時に現れるものもあるが、軽度の場合には、臨床症状だけでほかの病気と識別診断するのは一般に困難である。
このような様々な症状の程度は、一般にメチル水銀の曝露量に依存すると考えられるが、メチル水銀は既に体内に残留していないため、過去にさかのぼって曝露量を推定することは困難である。発症後急激に症状が悪化し、激しい痙攣や神経症状を呈した末に死亡する劇症型は、高濃度汚染時期に大量のメチル水銀を摂取し続けたものに見られる。この臨床症状は典型的なメチル水銀中毒であるハンター・ラッセル症候群(有機水銀を使用する労働者に見られた有機水銀中毒症)とよく一致し、これが水俣病原因物質究明の決め手となった。
劇症型には至らないレベルのメチル水銀に一定期間曝露した場合には、軽度の水俣病や、慢性型の水俣病を発症する可能性がある。

一方、長らくの間、ハンター・ラッセル症候群という水俣病患者中最も重篤な患者、いわば「頂点」に水俣病像を限定してしまい、その「中腹」「すそ野」である慢性型や軽症例を見逃す結果を招いてしまったとの批判がある。人体では、メチル水銀自体は比較的排泄されやすい化学物質の一つであるが、中枢神経系などに入り込みやすく、胎盤を通過しやすいという化学的な性質を有しており、その毒性作用は神経細胞に生じた障害によるものである。いったん生じた脳・神経細胞の障害の多くは不可逆的であり、完全な回復は今のところ望めないが、リハビリによりある程度症状が回復した例は多数存在する。一方で、若い頃に健康であった者が、加齢にともなう体力低下などにより水俣病が顕在化する場合も考えられる。

重症例はもちろん、軽症であっても、感覚障害のため日常生活に様々な支障が出てしまう。例えば、細かい作業が出来ず、あるいは作業のスピードが落ちる。怪我をしても気付かず、傷口が広がったり菌が侵入する原因となる。こうしたことから、「危なくて雇えない」などと言われ、職を失ったとする証言は判決文や出版物中に複数存在する。 水俣病公式発見前後、劇症型の激しい症状は、「奇病」「伝染病」などといった差別の対象となった。こうした差別のため、劇症型以外の患者が名乗り出にくい雰囲気が生まれ、熊本大学研究班に送られてくる症例は劇症患者ないしそれに近いものだけとなり、ますます水俣病像=ハンター・ラッセル症候群という固定観念が強くなってしまった。

水俣病の発見と裁判 原因究明への動き

水俣湾とチッソ水俣工場の位置関係。1932年から1958年まで、水俣工場から排水路を経由して百間港に廃水が流された。その後は、1968年5月に水俣工場でのアセトアルデヒド生産が停止されるまで、排出先が水俣川河口に変更された。

日本で水俣病とされる病気が集団発生した例は過去に2回ある。そのうちの一つは、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)から発生したとするメチル水銀である。アセトアルデヒドは、アセチレンを希硫酸溶液に吹き込み、触媒下で水と反応させることにより生産される。工場は触媒の反応過程で副生されたアルキル水銀化合物(主として塩化メチル水銀)を排水とし、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)にほぼ未処理のまま多量に廃棄した。そのため、魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が発生した。

1960年には新潟県阿賀野川流域でも同様の患者の発生が確認され、新潟水俣病と呼ばれる。これは、阿賀野川上流の昭和電工鹿瀬工場が廃棄したメチル水銀による。
メチル水銀中毒が世界ではじめて報告されたのは1940年のイギリスである。このときはアルキル水銀の農薬工場における、従業員の中毒例であった。ハンターとラッセルによって、運動失調、構音障害、求心性視野狭窄がメチル水銀中毒の3つの主要な臨床症状とされたため、これをハンター・ラッセル症候群と呼ぶ。

1959年7月に有機水銀説が熊本大学や厚生省食品衛生調査会から出されると、チッソは「工場で使用しているのは無機水銀であり有機水銀と工場は無関係」と主張し、さらに化学工業界を巻き込んで有機水銀説に異を唱えた。

これは当時、無機水銀から有機水銀の発生機序が理論的に説明されていなかったことによる。病気の発見から約11年が経過した1967年になり、ようやくチッソ工場の反応器の環境を再現することで、無機水銀がメチル水銀に変換されることが実験的に(いまだ“理論的”にではないことに注意)証明された。
しかし、排水と水俣病との因果関係が証明されない限り工場に責任はないとする考えかたは、被害の拡散を防ぐための有効な手段をほとんど打てずに経年していく、という重大な問題を抱えることになり、結果として大量の被害者を生みだし、地域社会はもとより補償の増大などで企業側にとっても重篤な損害を生むもとになった。

原因の特定が困難となった要因の1つとして、チッソ水俣工場と同じ製法でアセトアルデヒドを製造していた工場が当時国内に7か所、海外に20か所以上あり、水銀を未処理で排出していた場所も他に存在したにも関わらず、これほどの被害を引き起こしたのは水俣のみであり、かつ終戦後になってから、という事実がある。この事実が化学工業界の有機水銀起源説の反証として利用されて研究が進まず、発生メカニズムの特定をとことんまで遅らせることとなった。

チッソ水俣工場では、第二次世界大戦前からアセトアルデヒドの生産を行っていたにもかかわらず、なぜ1950年過ぎから有機水銀中毒が発生したのかは、長期にわたってその原因が不明とされてきた。

現在でも決定的な理論はまだ出現していない。だが、生産量の増大ならびにチッソが1951年に行った生産方法の一部(助触媒)変更による水銀触媒のアルキル生成物の上昇が患者の大量発生になんらかの形で関係したと考えられている。

この生産方法の変更を行った人物が、昭和26(1951)年から33(1958)年まで社長だった白石宗城である。白石は植民地だった朝鮮チッソの幹部を経て戦前以来長く役員を務める。在任中に初の水俣病公式認定患者が出る。

生産工程の変更は、アセトアルデヒド合成反応器内の硫酸水銀触媒の活性維持のために助触媒として使用していた二酸化マンガンを硫化第二鉄に変更(近年の研究で二酸化マンガンが有機水銀の中間体の生成を抑える事が明らかになりつつある)したために、塩化メチル水銀などのアルキル水銀を多く発生させることとなり、それが排水として流されたことが考えられている。
また、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド生産を開始したのは1932年からで、年間生産量は1954年までは209 - 9,159トンであったが、1950年代中頃から増産が続き、1956年には前年度の約1.5倍の15,919トンとなり、1960年には45,244トンで最高となった。

また、当時の生産設備は老朽化が進んでいたが、経費削減で更新を怠ったため、廃液の流出が年々加速度的に増えつつあったことが当時の薬剤購入量から示されている。このように、この時期の生産量の急激な増大や、老朽設備運転による廃液量の増加に代表される利益至上主義による化学プラントプロセス管理の無視、助触媒の変更等が組み合わさった結果、最終的には大量のメチル水銀の生成につながったと考えられている。

最近の研究によると、工場から海域へ廃棄されたメチル水銀の量は0.6 - 6トンに達したと推定されている。やはり化学工業界が反証として利用していた事実、すなわち、自然の海域には無機水銀をメチル水銀に変換する天然の細菌が存在するが、それらが生成するメチル水銀はごく微量であると熊本県は主張している(ただし実際には誰も研究しておらず、現在までに水俣湾の有機水銀濃度がこの細菌によって増えたというデータは存在しないだけであるが)。

このように、「水俣病発生当時、工場はメチル水銀を流していなかった」、「自然の海域で無機水銀から生成した有機水銀が水俣病の原因となった」などの主張に明確な根拠はない。そもそもの遠因として挙げられるのは、当時世界中で採用されていた アセチレン法アセトアルデヒド工法 である。これはあくまで「経験的」に効率よい水銀の安定回収ができる工法であり、理論的な生成機序の研究はされておらず、したがって有機水銀の中間体が出来ることは誰も気づかなかったのである。

発見に関わる経過
水俣病らしき症例が見られたとされるのは1942年頃からである。1952年頃には水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった。
このころは「猫踊り病」と呼ばれていた。

当初、患者の多くは漁師の家庭から出た。水俣近海産の魚介類の市場価値は失われ、水俣の漁民たちは貧困に陥るとともに、食糧を魚介類によらざるをえなかったため、被害が拡大されていくことになった。原因が分からなかったため、はじめは「奇病」などと呼ばれていた。水俣病患者と水俣出身者への差別も起こった。そのことが現在も差別や風評被害につながっている。

水俣市では新日本窒素肥料に勤務する労働者も多いことから、漁民たちへの誹謗中傷が行われたり、新日本窒素肥料への批判を行う者を差別することも多かった。水俣市はチッソによって発展した、いわゆる企業城下町である。当時も住民の約7割がチッソと何らかの関係を持っていたとされる。

水俣病患者で最古の症例とされるのは、1953年当時5歳11か月だった女児が発症した例である。この女児は1953年12月頃から、さまざまな症状(よだれ・嘔吐・歩行障害・言語障害・痙攣)を発するようになった。女児は1956年3月15日に死亡し、後に「水俣病公式認定患者第1号」に認定された。

患者発生が顕在化したのは1956年に入ってからである。新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、新奇な疾患が多発していることに気付き、1956年5月1日、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。この日が水俣病公式発見の日とされる。同年頃から水俣周辺では脳性麻痺の子どもの発生率が上昇した。

患者公式認定にいたる前から漁獲高の激減による漁民の度重なる訴えや小動物の相次ぐ異変も続出していたが、当時の社長(白石宗城)は長く不作為に終始した。

1958年9月、新日窒水俣工場は、アセトアルデヒド酢酸製造設備の排水経路を、水俣湾百間港から不知火海(八代海)に面した水俣川河口の八幡プールへ変更した。。しかし、1959年3月から水俣病患者は、水俣湾周辺に留まらず、水俣川河口付近及び隣接する津奈木町や海流の下流部にあたる鹿児島県出水市と不知火海沿岸全体に拡大していった。このことによってアセトアルデヒド酢酸設備排水が水俣病を引き起こすことは明らかになった(これを「壮大なる人体実験」と水俣病関係者は呼んでいる)。

1959年7月22日、熊本大学水俣病研究班は、武内忠男や徳臣晴比古らの研究に基づいて、「水俣病の原因は有機水銀であることがほぼ確定的になった」という発表を行った。水俣病の原因が新日本窒素肥料水俣工場から排出された水銀である疑いが濃くなった。

同年8月24日、東京工業大学教授の清浦雷作は水俣を訪れ、5日間現地を調査。8月29日、水俣市役所で記者会見し「水俣港防波堤の外側海水は、日本にある他の化学工場所在地の海水とほぼ同程度で正常だ」と述べ、水俣病は工場廃液とは関係がないと発表した。

同年10月、アセトアルデヒド酢酸設備排水が原因であることを知った通産省は、新日窒に対しアセトアルデヒド製造そのものの禁止はせずに、アセトアルデヒド製造工程排水の「水俣川河口への放出」のみを禁止した。新日窒は通産省の指示に従い、排水経路を水俣川河口から水俣湾百間港に戻し、その後「閉鎖循環方式」(有機水銀が排出されない方式)に転換した(アセドアルデヒドの製造停止は1968年)。

同年10月6日、新日窒附属病院の細川一院長は、院内ネコ実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告した(猫400号実験)。しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた。実験結果が公になったのは1970年7月の水俣病訴訟の細川博士の臨床尋問によってであった。

同年11月11日、清浦は「有機アミン説」を通産省に報告。

同年11月12日、厚生省食品衛生委員会常任委員会は、「水俣食中毒特別部会」の中間報告に基づいて、渡邊良夫厚生大臣に「水俣病の原因は有機水銀化合物である」と答申。翌13日、渡邊が閣議で紹介すると、池田勇人通産大臣は「チッソ社が原因だとするのは尚早だ」と反論し、結局、閣議了解事項とならず、通産省に押し切られた厚生省は同日、「水俣食中毒特別部会」を解散させるに至った。水俣病の有機水銀原因説に対して、新日本窒素肥料や日本化学工業協会などは強硬に反論している。

同年12月30日、新日本窒素肥料は水俣病患者・遺族らの団体と見舞金契約を結んで少額の見舞金を支払ったが、会社は汚染や被害についての責任は認めず、将来水俣病の原因が工場排水であることがわかっても新たな補償要求は行わないものとされた。同時に工場は、汚水処理装置「サイクレーター」を設置し、工場排水による汚染の問題はなくなったと宣伝したが、のちに「サイクレーター」は水の汚濁を低下させるだけで、排水に溶けているメチル水銀の除去にはまったく効果がないことが明らかにされた。
このほかこの年には、新日本窒素肥料は、排水停止を求めていた漁業組合とも漁業補償協定を締結した。これらの一連の動きは、少なくとも当時、社会的には問題の沈静化をもたらし、水俣病は終結したとの印象が生まれた。実際には、それまで水俣湾周辺に限られていた患者の発生も、1959年始めころから地理的な広がりを見せており、このあとも根本的な対策が取られないままに被害はさらに拡大していった。その一方、声を上げることのできない患者たちの困窮はさらに深まっていった。

1960年1月、政府は経済企画庁、通商産業省、厚生省、水産庁からなる「水俣病総合調査研究連絡協議会」を発足させて原因究明にあたらせた。協議会には学識経験者として、熊本大学研究班の内田槇男と喜田村正次、東京水産大学の宇田道隆、東京大学の松江吉行、東京工業大学の清浦雷作らが参加した。

同年4月12日、同協議会の第2回会合が開かれ、熊本大学の内田槇男から「有機水銀説」が報告されるが、これに対し清浦が反論。「水俣病の原因は水銀ではなく、アミン系の毒物である」と述べ、貝によるアミン中毒説を発表した。同協議会は清浦の発表のほか何の成果も出すことなく、翌年に消滅した。

1961年4月、東邦大学教授戸木田菊次は現地調査も実施せずに「腐敗アミン説」を発表[1]。非水銀説を唱える学者評論家も出現。清浦や戸木田は御用学者と呼ばれるとともに、マスコミや世論も混乱させられた。

同年、胎児性水俣病患者が初めて確認された。水俣ではその後、合わせて少なくとも16例の胎児性患者が確認されている。水俣病の原因物質であるメチル水銀は胎盤からも吸収されやすいため、母体から胎児に移行しやすい。さらに、発達途中にある胎児の神経系は、大人よりもメチル水銀の影響を受けやすいことが今日では明らかになっている。

政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは1968年である。1968年9月26日、厚生省は、熊本における水俣病は新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因であると発表した。同時に、科学技術庁は新潟有機水銀中毒について、昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀を含む工場廃液がその原因であると発表した。この2つを政府統一見解としたが、この発表の前の同年5月に新日窒水俣工場はアセトアルデヒドの製造を終了している。このとき熊本水俣病が最初に報告されてからすでに12年が経過していた。

厚生省の発表においては、熊本水俣病患者の発生は1960年で終わり、原因企業と被害者の間では1959年12月に和解が成立しているなどとして、水俣病問題はすでに終結したものとしていた。国は水俣病発生の責任を認めず、原告と国との裁判はその後も続いた。国は1990年に出された裁判所の和解勧告(9月に東京地方裁判所が、10月に熊本地方裁判所と福岡地方裁判所が相次いで同じ趣旨の勧告を出す)を拒否しており、和解に転じるのは1996年のことである。

また、原告で和解を拒否した水俣病関西訴訟の裁判は2004年10月まで続いた。2004年10月の水俣病関西訴訟における最高裁判所判決は、国や熊本県は1959年の終わりまでには水俣病の原因物質およびその発生源について認識できたとし、1960年以降の患者の発生について、国および熊本県に不作為違法責任があることを認定している。

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画像 昭和31年syowakara.com 

公害裁判
1967年、新潟水俣病の患者は昭和電工を相手取り、新潟地方裁判所に損害賠償を提訴した(新潟水俣病第一次訴訟)。四大公害裁判の始まりである。
政府統一見解後の1969年6月14日には、熊本水俣病患者・家族のうち112人がチッソを被告として、熊本地裁に損害賠償請求訴訟(熊本水俣病第一次訴訟)を提起した。

1969年:公害被害者全国大会開催。水俣病、イタイイタイ病、三池鉱山の一酸化炭素中毒、森永ヒ素ミルク中毒、カネミ油症などの被害者代表百数十人が集まる。

1970年:大阪厚生年金会館で行われたチッソ株主総会に、白装束の患者(一次訴訟原告家族)らが、交渉を拒みつづけたチッソの社長に直接会うために、一株株主として参加した。大阪・水俣病を告発する会発足。

1971年:9月29日、新潟水俣病第1次訴訟で新潟地裁は原告勝訴の判決を下した。新潟地裁は、昭和電工は有害なメチル水銀を阿賀野川に排出して、住民にメチル水銀中毒を発生させた過失責任があると述べた。公害による住民の健康被害の発生に対して、企業の過失責任を前提とする損害賠償を認めた画期的な判決となった。

1971年:水俣病患者が新たに16人認定される。患者総数150人、うち死者48人。
1973年3月20日には、熊本水俣病第一次訴訟に対しても原告勝訴の判決が下された。すでに熊本県で水俣病が発生したあとに起きた新潟水俣病の場合と異なり、熊本での水俣病の発生は世界でもはじめての出来事であった。そのため、熊本第一次訴訟で被告のチッソは「工場内でのメチル水銀の副生やその廃液による健康被害は予見不可能であり、したがって過失責任はない」と主張していた。判決はこれについても、化学工場が廃水を放流する際には、地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するとして、公害による健康被害の防止についての企業の責任を明確にした。

1973年:環境庁が水銀値25ppm以上の底質(海底や川底)はすべて除去することを決める。これに基づき水俣湾の汚泥除去と埋め立てが行われる。

1973年:水俣市の水俣病認定患者が自殺。

補償と救済
水俣病として認定された患者は原因企業であるチッソおよび昭和電工からの補償を受ける。患者の認定は1959年に開始された。ハンター・ラッセル症候群をベースに症状の組み合わせを求めるものであった。1971年(当時の環境庁長官は大石武一)の次官通知で「疫学条件(原因食品の摂取)といずれかの症状」による認定が開始された。補償内容は1973年に患者と原因企業間で締結された補償協定により、一時金一人1,600万 - 1,800万円、年金、医療費の支給などで、認定患者の数は約3,000人(死者含む)である。公害健康被害の補償等に関する法律(公健法)による水俣病の認定は、国(環境省)の認定基準にしたがって、国からの委託を受けた熊本県・鹿児島県および新潟市が行う。

1974年:5歳で水俣病に冒され、18年間危篤状態だった女性が死亡。水俣病患者100人目の死者。
1975年:チッソ幹部が水俣病の「殺人、傷害罪」で告訴される。昭和63年2月、チッソ吉岡元社長ら業務上過失致死罪で有罪判決。
1975年3月、水俣病関西患者の会が結成される。
1976年:熊本地方検察庁、水俣病でチッソ吉岡元社長と西田元工場長を7人の被害者に対する業務上過失致死傷害罪で起訴。4大公害事件で初の刑事訴追。昭和54年3月22日、熊本地裁で2人の被害者に対する業務上過失致死傷害罪を認定した上で有罪判決(福岡高等裁判所支持)。
現在の認定基準は1977年に「後天性水俣病の判断条件」として公表された判断条件(昭和52年判断条件とも言われる)で、汚染地区の魚介類の摂取などメチル水銀への曝露歴があって感覚障害が認められることに加え、運動障害・平衡機能障害・求心性視野狭窄・中枢性の眼科または耳鼻科の症状などの一部が組み合わさって出現することとされている。1971年の基準に対して1977年の基準を改悪とみなすべきかどうかについて論争が長年続いている(津田2004ほか)。

1979年:熊本地域水俣病に関わる刑事事件で、被告の元チッソ幹部2人に有罪判決。
一方、この水俣病認定基準が医学的ではなく政治的で不十分であるとの批判があり、この認定から外れた住民(未認定被害者)の救済が今日まで続く補償・救済の主要な問題となってきた。

1980年:水俣病認定申告者が国・県も被告に加え提訴。第3次訴訟。以後申請者の提訴が相次ぐ。平成5年、地裁が国・県の発生拡大責任を全面的に認める判決。
1982年:「チッソ水俣病関西訴訟原告団(団長岩本夏義)」結成、チッソ水俣病関西訴訟提訴。
1987年:水俣病第3次訴訟で、熊本地裁がチッソとともに初めて国と県の責任を認め、総額6億7,400万円の支払いを命じる。
1988年:3月1日に行われた水俣病の刑事裁判の上告審で、最高裁が7人の被害者に対する業務上過失致死傷害罪を認定した上でチッソ吉岡元社長と西田元工場長の上告を棄却し、禁固2年・執行猶予3年の有罪判決。刑事訴訟後から12年ぶりで、患者の公式確認以来では32年ぶりの決着である[38]。

1989年:週刊新潮2月16日号pp31–32に「水俣病「ニセ患者」も三十年」として胎児性患者・上村智子の母親の意見を掲載

私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、犲分もそげんとじゃ(そういう症状だ)瓩噺世人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、爐△修海硫箸鷲亘海笋ら、魚しか食うもんがなくて病気になった瓩箸、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、狄緞麌造筺⊃緞麌造筬畍世Δ董ΑΑΑΑ絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです

1990年12月5日、水俣病裁判の国側の責任者として、和解拒否の弁明を続けていた環境庁企画調整局長が自殺

是枝裕和『しかし…ある福祉高級官僚 死への軌跡』(1992年 あけび書房) ISBN 4900423661

山内豊徳『福祉の国のアリス』(1992年 八重岳書房) ISBN 4841211500
鎌田慧『家族が自殺に追い込まれるとき』(1999年 講談社) ISBN 4062097028
是枝裕和『官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で』(2001年 日経ビジネス人文庫) ISBN 9784532190682
1992年:水俣市の中学校の調査で、水俣病の偏見から文通を断られたり、修学旅行でからかわれるなどの差別に悩むケースが多いことがわかる。

国や原因企業などを相手に損害賠償請求訴訟を起こしていた未認定被害者らは、1995年、自民党・社会党・新党さきがけの連立与党三党による調停を受け入れ、これら訴訟の大半が取り下げられた。
このときの政治解決により、被害者には一時金260万円などが原因企業から支払われたほか、医療費の自己負担分などが国や県から支給されており、その対象者は約12,700人に上る。この政治解決を受け入れずに、訴訟を継続したのが水俣病関西訴訟である。

1995年:政府、水俣病の未確認患者問題につき最終解決策を決定。村山首相、原因の確認・企業への対応の遅れを首相として初めて陳謝。国の法的責任には触れず。
2001年:水俣病事件で国・熊本県の責任を認める初の高裁判決が下り、チッソに対する除斥期間経過も撤回した。関西水俣病訴訟団が国・熊本県に上告を断念するように申し入れたにも関わらず、国・熊本県が最高裁へ上告する。
2004年、最高裁は関西訴訟に対する判決で、水俣病の被害拡大について、排水規制など十分な防止策を怠ったとして、国および熊本県の責任を認めた。また認定基準については、昭和52年判断条件は補償協定に定めた補償内容を受るにたる要件として限定的に解釈すべきであるとし、その症状の一部しか有しないものについてもメチル水銀の健康影響を認め、チッソなどに600万円 - 850万円などの賠償の支払いを命じた。

2005年:未確定患者が熊本地裁に集団提訴。
この判決の後、それまで補償を求めてこなかった住民からも被害の訴えや救済を求める声が急増した。国は医療費の支給などが受けられる新保健手帳の受付を再開したが、この受給者は2006年11月末までに6,500名を超えている。このほかに公健法による患者認定のあらたな申請者も4,600人にのぼっている。さらに1,000人以上を原告として、国や原因企業などを相手取った新たな損害賠償請求訴訟も提起されるなど、救済と補償問題は未だに解決には至っていない。

2007年10月:「水俣病被害者互助会」が、胎児の時や幼少期にチッソ水俣工場が排出したメチル水銀の汚染被害を受けたとして、2億2800万円の損害賠償を求め熊本地裁に提訴。
2007年:水俣病関西訴訟の81歳女性が認定求め提訴。
2007年11月19日チッソの後藤舜吉会長は救済問題で、新救済策について、「(チッソの負担分は)株主や従業員、金融機関などへの説明がつかない」として受入拒否を意向を正式表明[注 7] したが、鴨下一郎環境大臣は、チッソに負担を求めていく考えを明らかにした。

2009年7月:水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(通称:水俣病救済特別措置法)が成立。
その前文において「国及び熊本県が長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて、政府としてその責任を認めおわびするとともに、公健法に基づく判断条件を満たさないものの救済を必要とする方々を水俣病被害者として受け止め、その救済を図る」ことが定められた。しかし同法は、具体的な救済の範囲が示されていないことや原因企業チッソの分社化を含むものであったため批判の動きも見られた。

2010年3月:未認定患者らでつくる「水俣病不知火患者会」(約2100人)が提訴した損害賠償請求について、熊本地裁は和解を勧告し、その和解協議において裁判所の所見が示された。
所見の内容は、水俣病と判定された原告に一時金210万円及び療養手当を被告の国・県・チッソが支給することとされており、原告被告双方が和解案を受け入れることを表明した。

2010年4月16日:水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法の救済措置の方針を閣議決定。
水俣病が生ずる原因となったメチル水銀を排出した事業者であるチッソ、昭和電工の責任と、いわゆる関西訴訟最高裁判決において公害防止政策が不十分であったと認められた国及び熊本県の責任とを踏まえて、水俣病被害者をあたう限りすべて、迅速に救済することとし、一定の感覚障害を有する方を対象に一時金210万円及び療養手当等を支給することが定められた。
しかし、この一時金について、厚生労働省は「収入である」と判断し、一時金支給を受けている被害者が生活保護の支給を受けられなくなっているケースが多発している。こうした世帯は、熊本・鹿児島両県で100世帯を超える数で存在しているという。かえって生活苦が増したとの被害者からの声が相次いでおり、有識者からは「実情に合わない制度である」として問題視する意見が多い。熊本県などは制度の見直しを要望しているものの、厚生労働省は「原則通りの運用であり、変更予定は無い」としている。これに関連して、一時金や和解金の支給開始直後から生活保護の支給を打ち切られた鹿児島県出水市在住の患者ら4人が、同市の処分を不服として、処分を取り消すよう鹿児島地裁に2011年9月9日に訴訟を起こした。

2021年9月14日、水俣病被害者団体「水俣病不知火患者会」などでつくる「ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議」は、ユージン・スミスを題材とする映画『MINAMATA-ミナマタ-』の日本公開(9月23日)に合わせ、すべての水俣病被害者の救済をめざしてインターネット署名に取り組むと発表した。署名はオンライン署名サイト「Change.org」で受け付ける。

※資料ウィキペディア


類似公害訴訟事件

土呂久砒素公害(とろくひそこうがい)とは、1920年(大正9年)から1941年(昭和16年)までと1955年(昭和30年)から1962年(昭和37年)までの計約30年間、宮崎県西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山で、亜砒酸を製造する「亜ヒ焼き」が行われ、重金属の粉塵、亜硫酸ガスの飛散、坑内水の川の汚染で起きた公害である。
皮膚の色素異常、角化、ボーエン病、皮膚癌、鼻中隔欠損、肺癌などをきたす。
鉱業権を買った住友金属鉱山に対して1975年(昭和50年)に裁判が始まり、15年後に和解した。

発生場所は宮崎県西臼杵郡高千穂町土呂久で、1920年に同部で亜ヒ酸を製造した直後から亜ヒ酸の粉じん、亜硫酸ガス、重金属が体内に取り込まれて起こった公害である。
同部はV字型の谷をなし、猛烈な煙が停滞した。亜ヒ酸製造は1920年から1941年に及び、中断を挟み1955年から1962年も製造した。

同地区において多くの被害者を出し、慢性砒素中毒症の認定患者は195名(2015年<平成27年>12月31日現在。そのうち生存者45名、死亡者150名)にのぼる。

一時は「村の恥」だとして被害が隠匿されたが、次第に住民の健康状態が悪化。1971年(昭和46 年)に西日本新聞が報道した後、1972年(昭和47年)1月に開催された日本教職員組合(日教組)の教研集会で出席者が被害状況を発表。これを同年1月17日に朝日新聞が報道し、全国に知られるようになった。

資料ウィキペディア











高い技術力を持つうえに勤勉、日本に英仏独が追いつけないワケ=中国
2021年9月17日 16時12分 サーチナ
 日本経済は1968年に国内総生産(GDP)で世界2位になって以降、2010年に中国に抜かれるまでその地位を維持し続けてきた。日本経済は低迷ばかりが強調されるものの、GDPで追い越されたのは中国だけだ。
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 英国、フランス、ドイツの3カ国はいずれも、長らくGDPで世界上位に入っているが、日本を超えられずにいる。近年浮上してきているインドのほうが、日本を超える可能性があると言われているほどだ。実力のある先進国なのに、英仏独が日本を超えられないのはなぜだろうか。中国メディアの快資訊は13日、「英仏独が日本に追いつけない理由」を分析した記事を掲載した。記事は2つの理由があると分析している。

 記事はまず、英仏独は紛れもなく世界の強国であると指摘する一方、日本はバブル崩壊以降に経済成長を失ったというのに「強国であるはずの英仏独は何年経っても、日本にGDPで追いつけずにいる」と指摘した。

 続けて、英仏独が日本に追いつけないのは2つの理由があるとし、1つ目は日本の「科学技術力の高さ」だと主張。日本は経済成長こそ停滞しているが、技術力の向上に投資を継続して行ってきたと強調、日本の科学技術は「世界でも指折りの存在」であり、中国のトウ小平が過去に指摘した「科学技術は第一の生産力」という言葉のように「高い科学技術力があるからこそ、衰退させずに経済規模を維持できているのだ」と論じた。

 さらに2つ目の理由として「労働力の質」を指摘し、日本が英仏独と違うのは、「豊かになっても勤勉に働き続けたこと」にあると強調。日本は1968年から英仏独のはるか先をずっと走ってきたが、今になっても勤勉に働き続けているとし、それゆえ英仏独が強国だったとしても、日本に追いつくのはそう簡単ではないのだと強調した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


リンクnote 無名人インタビュー
https://note.com/qbcqbc/n/n6e6a8efce2cd





親ガチャ大当たりのはずが…東大女子は教室で震えてた。東大卒たちに聞いた「親ガチャ」のリアル
キャリコネニュース2021年09月16日 06:02 (配信日時 09月16日 06:00)
「親ガチャ」というネットスラングがにわかにブームになっている。カプセルトイ(ガチャガチャ)になぞらえて、どういう親のもとに生まれるか、出生時点で人生の運不運が決まっている状況を示したワードである。

だいたいはネガティブな意識で自分の人生がうまくいかない原因を幼少期からの境遇に求めて「親ガチャにハズレた」といった使われ方をしている。ならば「親ガチャ」に当たって東大生になったような人は、ホントに幸せな人生を送っているのか? 東大卒の人たちに「親ガチャ」について聞いてみた。(文:昼間たかし)

学力と親の収入は比例する残酷な事実
さて、一般的に社会で成功するには、偏差値の高い大学を卒業することがもっとも大きな条件として挙げられる。子供向けの偉人の伝記本なんかを読んでいると、貧しい境遇に生まれて寝る間を惜しんで勉強した人物がよく取り上げられる。薪を切って運ぶ間も本を手放さなかった二宮金次郎なんかは、その代表格である。

でも、そんな偉人の逸話が伝わっているのは成功したレアケースだったからだ。実際、ビンボーな家庭に生まれたが、努力して偏差値の高い大学に入れるのはレアケースである。

おおむね、学力が親の収入と相関関係があることは、多くの調査研究で明らかになっている。例えば2018年にお茶の水女子大学が発表した「保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」では「世帯収入が高いほど子どもの学力が高い」「保護者の最終学歴も、学歴が高いほど子どもの学力が高い」ことが明らかになっている。

より残酷な実態を示すのは、東京大学が毎年実施している「学生生活実態調査」である。最新2018年度版の「家庭の状況」を見てみよう。この中の重要なデータは次の部分である。

・実家の所在地は東京都が35.2%。東京都以外の関東が34.5%
・父親は管理的職業が42.3%
・母親は無職が34.2%
・収入の最多は950万円以上1050万円未満の21.3%

ようは「受験は誰にとっても平等」というのは幻想。実際には東京あるいは首都圏に実家があって、父親が企業の管理職で1000万円プレイヤー、母親が専業主婦の家庭に生まれた子どもと、地方の一般的な家庭に生まれた子どもだと、最初からスタートラインが全然違うのだ。

生まれた時点で親が金持ちなら、勉強する環境が整っていて教養も得やすい。一方、親がビンボーならばそうはならない。この観点はフランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されたもので、彼の示した「文化資本」という言葉もネットでは見かける機会が多い。まあ、こんな学術用語を用いなくても、親が本を読まない家庭では子供も本を読まず、学校の成績も悪いというのは、体験的に誰もが知っている。

だからこそ「親ガチャ」という言葉は真実味を持つ。自分の不幸な境遇を嘆くときに過去を振り返り「親がこうしてくれれば」「あの時、あのことをできる環境だったら」と不幸な星の下に生まれたことを嘆くのだ。

実家は太いが人生はボロボロな人たち
でも、親が金持ちだったり、勉強や教養を身につける環境にあったりと「親ガチャ」に恵まれた人は幸せな人生を送っているだろうか。残念ながら、必ずしもそうとは限らない。

以前、筆者が東京大学で開かれた催しに参加した時のことである。近くの席に、ひどく目立つ女性が座っていた。独特のファッションをしたその女性は、なにかに怯えているかのように、しじゅう小刻みに震えていたのである。

あまりに気になったので、隣に座っていた顔見知りの東大生に「あの人は気分が悪いのかな」と囁いた。すると「あの人はいつも、ああなんですよ」というのだ。どういうことかと、あとで尋ねたら、こんなことを教えてくれた。

「彼女はオナクラ(同じクラスのこと)なんで聞いたことがあるんですが……子供の時からずっと母親に『勉強しなさい』と叱咤されて育ってきたそうなんです。それで、無事に東大に入ったら、お互いに勉強以外に共通の話題がなかったので親子の会話が消滅してしまったそうなんです。それで、心身を病んでしまったんですよ」

聞けば、ずっと勉強に専念できる恵まれた環境で育った結果、壊れる東大生というのは多いらしい。ほかの学生からは、こんな話も。

「実家が超大金持ちの同級生がいたんです。それで東大生だからフツーに考えたら人生の成功に向けてレールが敷かれているようにみえるじゃないですか。ところが、聞けば子供の時から父親にボコボコに殴られながら勉強だけしてきたっていうんです。結果、自分でなにかを考えて行動する思考ができなかったみたいで、履修の時期になって『どの授業を履修すればいいかわからない。シラバスがつくれない』と呆然としてましたよ」

これだけ聞くと悲惨な学生生活まっしぐらのように見えるが、その後「同じような境遇の女子」と恋愛して、そこそこうまくいっているという。こんなケースだと親ガチャに当たったのか、ハズレたのやらわからない部分もある。

それでも彼らは世間から見れば「親ガチャで大当たり」をしている人に分類されるだろう。親の経済力をうまく利用して立ち振る舞えば途端に人生は好転するのだから。彼らの嘆きには「じゃあ、代わってくれよ」というツッコミがあちこちから入りそうだ。

周りと比べていたらきりがない
さて、続いて話を聞いたのは東京大学を卒業後、某人気アニメの仕事に携わっている男性。変名でライトノベルも出版しているそうで、ちまたのワナビー(なにかになりたがるが、実質がともなわない人)からすれば、見事なまでの成功者である。そんな彼でも「親ガチャに外れたと悩んだことはある」という。

「地方出身で両親は公務員ですから、東京に来るまでは自分は恵まれていて成功していると思ってたんです。でも東京生まれ東京育ちの同世代と話すと観たことのある映画の数も、本も格段に違うんです。自分も東京で生まれていたら、もっと文化的素養のある親だったら……と思うと悲しくなりましたよ」

でも、そうした悶々とした気持ちも今は次第に薄れているという。

「結局、親は選べないじゃないですか。隣の芝生は青いという言葉はありますが、どうやっても過去を変えることはできないから、折り合いをつけていくしかないですよ」

 以下割愛


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画像早川書房

サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」
「努力すれば成功できる」という発想の問題点
倉沢 美左 : 東洋経済 記者  2021/04/15 9:00
『ハーバード白熱教室」で日本も人気がある哲学者、サンデル教授は能力主義が真面目に働いている労働者がエリートから見下されていると感じる状況を作ったと説いている(写真:編集部撮影)

「努力と才能で、人は誰でも成功できる」。ほとんどの人はこう聞いて、何の疑問も持たないだろう。実際、私たちの多くは「成功する人は努力をしている」という価値観の中で生きてきた。競争環境が平等であれば、成功するか否かは個々の努力や才能にゆだねられる、と。
しかし、NHK『ハーバード白熱教室』などで知られる、哲学者のマイケル・サンデル教授から見ると、この能力至上主義の考えの裏には、「成功をしていない、社会的に認められない人は、努力してこなかった責任を負っている」ということになる。そしてこれは、真面目に働いていても、グローバル化やデジタル化の影響を受けている人が、「努力をしなかったから」と尊厳を奪われ、エリートから見下されていると感じる状態を作ってしまった。
サンデル教授はこれがアメリカなどで見られるエリートと労働者の分断の本質だと説く。
経済成長に重きを置いた能力主義が招いた分断は解消できるものなのか。能力主義に変わるものはあるのか。そして、誰もが尊厳を保てる社会とはどういうものなのか。『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を上梓したサンデル教授に聞いた。

無意識に労働者を「見下している」
――この本では能力主義を強調したバラク・オバマ元大統領を含めるリベラルの姿勢を痛烈に批判しています。実際ここへ来て、トランプ現象やポピュリズムの台頭をめぐってリベラルの姿勢を批判する声が高まっています。

今回書くにあたっては、2016年のドナルド・トランプによる大統領選のサプライズ当選と、それを可能にした多くの人たち、特に労働者層の怒りや恨み、悲哀といったものを理解しようというところが始まりになりました。労働者の多くは、エリートが自分たちを「見下している」と感じていたのです。

この本では、リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています。
これが、民主党が目覚めるきっかけになると同時に、エリートに対して怒りや恨みを持っている労働者が働くうえで何を大切にしているかということを、リベラルが理解するきっかけになればと思っています。※一部抜粋


エリートたちよ 君の成功は努力の結果 それとも運?
NHK 2021/7/4(日) 


著者:マイケル・サンデル(Michael J. Sandel) 1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者として知られる。類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目“Justice(正義)"は延べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定。日本ではNHK教育テレビ(現Eテレ)で『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。著書『これからの「正義」の話をしよう』は世界各国で大ベストセラーとなり、日本でも累計100万部を突破した。他の著作に『それをお金で買いますか』『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』、編著に『サンデル教授、中国哲学に出会う』(以上早川書房刊)がある。2018年10月、スペインの皇太子が主宰するアストゥリアス皇太子賞の社会科学部門を受賞した。

訳者:鬼澤忍(おにざわ・しのぶ)1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。訳書にサンデル『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』、アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』(以上早川書房刊)、クリスタキス『ブループリント』(共訳)、シャイデル『暴力と不平等の人類史』(共訳)ほか多数。 早川書房


note

https://note.com/29530503/n/n9fccc86aceb4






誰にもわからない北朝鮮の核保有数 新型長距離巡航ミサイルに核搭載は可能!
辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長 記事2021/9/15(水) 13:40 
 北朝鮮が11日、12日に発射した新型長距離巡航ミサイルの性能について韓国の徐旭(ソ・ウク)国防部長官は昨日、国会の外交・安保分野委員会での答弁で「核弾頭搭載が可能とみている」と語っていた。

 北朝鮮が核弾頭を500kg程度に小型化、軽量化すれば、核ミサイルに転用できるようだ。金正恩総書記が1月の党大会で核爆弾を小型化、軽量化して戦術核兵器化するよう指示を出しているだけに「寧辺の原子炉と再処理施設が再稼働している」との兆候は大いに気になる。折しも13日から国際原子力機関(IAEA)の定例理事会がウイーンで始まっている。イランの核開発問題が中心だが、北朝鮮の核問題についても対応が協議されるものとみられる。

 IAEAは先月27日に発刊した年次報告書で寧辺にある5メガワット級原子炉が7月から、また「放射化学研究所」と称される使用済核燃料の再処理施設が「2月中旬から7月上旬まで稼働していた」と指摘していた。

 北朝鮮のこうした動きが米国に譲歩を引き出すための欺瞞戦術ではなく、真に核爆弾の増産にあるとすれば、韓国の国家情報院が6年前の2015年10月20日に国会情報委員会非公開の場で「北朝鮮はこのままでは2040年には世界第5位の核保有国となる」との報告も決して誇張したものと片付けるわけにはいかない。

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の年鑑によると、核兵器を最も多く保有している国は2021年1月基準でロシア(6255個)、米国(5550個)、中国(350個)、フランス(290個)、英国(225個)となっている。仮に韓国情報機関の予想が的中するならば、約20年後には北朝鮮は英国を上回る数の核兵器を保有することになる。

 では、北朝鮮は現状で核爆弾を何発保有しているのだろうか?実は、正確な数は北朝鮮以外、どの国も正確には把握できていないのが実情である。米韓の情報機関を含め国際原子力機関(IAEA)や国際研究機関や大学のシンクタンクなどで北朝鮮核関連の報告書を出しているが、北朝鮮の保有数についてはそれぞれ異なった推定をしている。

 例えば、米上院のダイアン・ファインスタイン情報委員会委員長は2016年2月に開かれた聴聞会で「北朝鮮は最大で20個のウラン型、プルトニウム型の核兵器を保有している」との情報を開示していた。

 それから約1年後の2017年3月20日、IAEAの天野之弥前事務総長(故人)はウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで北朝鮮の核爆弾の数を「40個程度」と推定していた。これに対してストックホルム国際平和研究所は2017年7月に発刊した世界の核軍備に関する最新報告書で「北朝鮮は2017年1月現在、10〜20発の核弾頭を保有している」とはじき出していた。同じく米シンクタンクの科学国際安全保障研究所(ISIS)も2017年4月に公表した報告書で「北朝鮮は13〜30個を保有している」と報告していた。

 総合すると、北朝鮮は最小で10個、最多で40個となるが、翌2018年になると、一気に65個に増えていた。米国防情報局(DIA)は2018年6月の報告書で北朝鮮が保有している核爆弾の数を「65個」と推定したのである。仮に2017年3月まで北朝鮮が天野之弥前事務総長の推定どおり40個保していたとするならば、北朝鮮は1年数か月で25個も増やしたことになる。

 米科学国際安保研究所(ISIS)のデイビッド・オルブライト所長とジョエル・ウイット・ジョンズホプキンス大国際関係大学院(SAIS)研究員は2015年3月19日に北朝鮮分析サイト「38ノース」への寄稿文で「5年後の2020年までに北朝鮮は最大で100発保有する」と分析していた。この分析とおりならば、北朝鮮は現在、すでに100発は保有していることになる。オルブライト所長の100発の根拠は北朝鮮が寧辺以外の秘密の場所でウランを濃縮しているとの米情報機関の情報に基づき「2020年に北朝鮮が保有する核兵器の60%がウラン型核爆弾(高濃縮ウラ=HEU)になる」との読みだ。

 それどころか、このまま放置すれば、北朝鮮は6年後の「2027年まで最大で242発を保有する」と、米国のランド研究所(RAND)は2021年4月13日に発刊した報告書「北朝鮮の脅威、どう対応すべきか」の中で展望している。「242発」となると、英国の「222発」を抜いてまさに世界5位に浮上する。

 「242発」は北朝鮮がすでに2017年までに30〜60個を保有しているとの前提に立ち、以後、毎年12〜18発追加した場合の推定である。この計算とおりならば、北朝鮮は2020年の時点ですでに最多で116発の核兵器を保有していることになる。

 しかし、「100発」の推算についてハノイネンIAEA前事務局次長は2015年当時「北朝鮮が5年内に核兵器を100発持つのは技術的に不可能であるとして、年間3〜4個程度しか製造できない」と反論していた。

 また、米国の北朝鮮核専門家で、2010年11月に北朝鮮の招請で寧辺のHEU施設内部を見たジークフリード・ヘッカー・スタンフォード大学名誉教授は今年4月30日、「38ノース」のインタビューで「原子炉からの使用済核燃料を再処理した5〜8kgのプルトニウムと150kgの高濃縮ウランを活用し、2018年に5〜7個製造可能な物質を生産した」と語っているが、それを加えても「45個程度」と推定していた。

東京新聞 北朝鮮の「怪物ICBM」、世界最大級の可能性 米首都やNYを同時攻撃可能か:東京新聞 TOKYO Web
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辺真一 ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(〜15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊 「辺真一のマル秘レポート」


聯合ニュース 北朝鮮 ミサイル部隊増やし特殊作戦軍強化=韓国国防白書 | 聯合ニュース
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電磁波爆弾は弾道ミサイル発射阻止には不向き
JSF軍事/生き物ライター 9/12(日) 5:54 
2021/9月10日、自民党総裁選に出馬表明した高市早苗・前総務相はテレビ朝日の番組で敵基地攻撃論に関連して「電磁波で敵基地を無力化する」と語りました。EMP(電磁パルス)攻撃に言及したものです。

 ただし最初に結論を言えば、喫緊の課題である北朝鮮の弾道ミサイルに対してはほとんど効果がありません。北朝鮮の弾道ミサイルは移動発射機であり、戦争直前には基地を出撃して行方を晦まします。基地を無力化しても意味はありません。そうなると移動発射機を見付けだして付近にEMP弾を撃ち込む必要がありますが、目標を見付けだすこと自体が困難を極めるという問題が立ち塞がります。

「敵基地攻撃能力」では弾道ミサイルを阻止できない根拠と実戦例
 通常炸薬を用いて磁束を圧縮し電磁パルスを発生させるEMP弾の効果範囲はそこまで広いものではありません。機密が多く正確なことは分かりませんが、仮に半径数十mから広くても数百m程度であった場合、目標の居場所をある程度は把握していないと攻撃しても無駄になります。

 もともとEMP弾は居場所が分かっている纏まった場所にいる敵目標を一網打尽にする目的の兵器です。すると基地から出撃したら散開し隠れながら逃げ回る弾道ミサイル移動発射機は、EMP弾で狙うにはかなり相性の悪い相手になります。

 そもそも発射前の弾道ミサイル移動発射機に対してEMP弾でどこまで効果があるのかよく分かりません。本来EMP弾の目標として考えられているのは起動中のレーダーや通信システムなどの電子回路なので、起動していない状態のミサイルには満足な効果が得られない可能性があります。

弾道ミサイルへの電波妨害は無意味で効果無し
 また電磁波攻撃とは少し違いますが、電波妨害も弾道ミサイルに対してはほぼ効果がありません。

 なお電磁波攻撃で弾道ミサイルに効果があるものは過去に一つだけ例がありました。冷戦時代のABM(弾道弾迎撃ミサイル)は核弾頭を持つ迎撃ミサイルで、突入して来る敵弾道ミサイルの至近で核爆発し強力な放射線(電磁波の一種)で目標の電子回路を破壊し無力化します。

 そしてこれは逆に言えば、弾道ミサイルを電磁波で無力化するには核爆発による放射線でさえ至近距離から行う必要があるということを意味します。

※ABM・・・アメリカの地対空ミサイル「ナイキ・ゼウス」「スプリント」、ソ連/ロシアの地対空ミサイル「51T6」「53T6」。

電磁波爆弾(EMP弾)
 実は日本防衛省では以前から通常炸薬を用いて磁束を圧縮する電磁波攻撃用EMP弾が研究されてきました。ただし部品調達の問題が生じて現行研究は続行が困難となり、一旦中止してから直後に再始動する予定となっています。

 本事業は、研究試作(その1)については主要構成部品の調達不能により事業の継続は困難であると判明したこと、研究試作(その2)については応札者がなく契約が成立しなかったことから装備取得委員会の審議を経て事業を中止したものである。なお、本事業において解明する計画であった技術課題については、重要性の観点から早急に技術獲得の目途をつけるため、事業中止直後から新たな計画での研究に着手した。

「EMP弾構成システムの研究」令和3年度事後の事業評価:防衛省

「EMP弾構成システムの研究」 令和3年度 事後の事業評価:日本防衛省より
 運用構想図では島嶼に上陸してきた敵部隊の付近に撃ち込む想定となっています。図で分かる通り、効果範囲は戦域全体に及ぼせるほど広いものではありません。それでも通常の爆弾やミサイルよりは広範囲に影響を及ぼせる兵器です。

 EMP弾の目的として「敵のセンサー・情報システムを無力化する」とある通り、レーダーや通信システムを無力化することを狙っています。敵の目と耳を潰す狙いですが、敵が修理したり代替機材を用意すれば復活してきます。敵を混乱させ一時的に時間を稼いだ隙に本命の直接攻撃を叩き込むという使い方になります。
 EMP弾はこれさえあれば敵を無力化できる万能兵器というわけではなく、むしろ妨害用のサポート役の装備ということになるでしょう。

JSF 軍事/生き物ライター
弾道ミサイル防衛、極超音速兵器、無人戦闘兵器、オスプレイなど、ニュースに良く出る最新の軍事的なテーマに付いて解説を行っています。





ホワイトハウスで大統領と不倫した女、20年たって億万長者に
SmartFLASH 2021年09月15日 12:01 (配信日時 09月14日 21:00)

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モニカ・ルインスキー(写真:AP/アフロ)


 いま、アメリカでひとりの女性に注目が集まっている。テレビシリーズ『アメリカン・クライム・ストーリー』のプロデューサー、モニカ・ルインスキー(48)だ。

 この名前に聞き覚えがある人も多いだろう。ルインスキーは、1995年11月から1997年3月まで、現職のクリントン大統領とホワイトハウス内で不倫したことで、政権に大打撃を与えたのだ。いわゆる「モニカ・ルインスキー事件」のヒロインである。

 当時、ルインスキーはホワイトハウス実習生として大統領の身近にいた。1998年に不倫が発覚すると、大統領は即座に否定したが、その後、衣服に付着した精液がDNA鑑定にかけられ、事実だと断定された。

 結局、大統領は「不適切な関係」を認め、一時は弾劾訴追されたが、無罪評決により事件自体は幕を閉じた。しかし、2人の性行為の詳細が報道されたことで、大統領の評価は著しく下落。2000年の大統領選の敗北につながった。

『アメリカン・クライム・ストーリー』最新シリーズでは、この不倫事件が実写化され、9月7日(現地時間)から放送がスタート。番組ではルインスキー本人が登場し、当時のできごとを赤裸々に解説している。

 ホワイトハウスでの性行為という、あまりに品性に欠けたできごとだけに、23年が経った今でも、アメリカではルインスキーの知名度は抜群だ。フォロワー数113万人のルインスキーのツイッターには、今回の放送を受け、

《モニカが語る言葉には重みがあるよ。今夜が待ちきれない》
《テレビを観ました。パワフルで貴重なメッセージをありがとう》

 などと数多くのメッセージが寄せられている。

 実は、クリントン大統領が評判を下げる一方、その後のルインスキーは、事件をきっかけに華々しいキャリアを送った。セレブ事情に詳しい米メディア『Celebrity Net Worth』によると、現在のルインスキーの資産は1億6000万円にのぼるという。

 1999年、ルインスキーはABCニュース『20/20』でインタビューに応じている。これはアメリカのテレビ史上、マイケル・ジャクソンに次いで2番目に多く試聴されたインタビューと言われ、およそ7000万人を釘付けにした。このときのギャラは1億円を超えている。

 同年、『モニカの物語』という本を出版し、契約金5000万円を手に入れる。こうしたギャラを使い、すぐに自らのブランドを立ち上げ、ハンドバッグのデザインなどを開始。

 2000年には、ダイエット企業の広報として、6カ月で18キロ減に挑戦し、最終的に3000万円ほどの報奨金を得た。さらに2003年には、恋愛リアリティ番組「ミスターパーソナリティ」の制作に参画している。

 本の執筆、テレビ出演、番組制作、オリジナルブランドの設立……などなど多方面に活躍するが、2006年には移住先のロンドンの大学院で、理学修士も取得している。

 一時、メディアから姿を消していたが、2014年から再び露出を始め、ついに今回、プロデューサーとして、自らの体験を連続ドラマ化することに成功した。

 ルインスキーはスキャンダル後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだというが、まさに「ケガの功名」と言える華麗な人生を歩んできたのだ。





問われるBPOの存在意義 フジテレビ「テラスハウス」に「人権侵害なし」決定
2021年9月15日 時事ドットコムニュース>連載>時評・opinion>
“肩透かし”の結論
 フジテレビなどで放送されたリアリティー番組「テラスハウス」に出演していた木村花さん=当時(22)=がSNS(交流サイト)上で多くの誹謗中傷を受け、自殺したとみられる問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、番組の制作過程で木村さんに対する人権侵害はなかったとの判断を示す決定を公表した。
 決定では、「放送倫理上の問題はあった」としたものの、その対象は「出演者の精神的な健康状態に対する配慮が欠けていた」という一点にとどまった。海外でも自殺者が相次ぐリアリティー番組の問題点とは何か。今回の決定の評価を含め、日本テレビなどでドキュメンタリー番組のディレクターを務め、現在、上智大学文学部新聞学科教授でジャーナリストの水島宏明さんに寄稿してもらった。

◇ ◇ ◇

 「テラスハウス」に出演していたプロレスラーの木村花さんが自殺したとみられる問題で、フジテレビ側による人権侵害があったかどうか審理したBPO放送人権委員会による結論は制作・放送側に「人権侵害はなかった」としながらも、他方では「放送倫理上、問題があった」とした。この裁判で言えば「判決」に相当する「委員会決定」について筆者なりに評価していきたい。

BPOに期待されたこと

 うそはないリアルとうたいながら番組スタッフが出演者に対して行っていた「演技指導」。SNSでの映像先出しという「燃料投下」で世間の関心をあおる。さらには視聴者の感情を駆り立てるようなタレント陣によるスタジオコメントや副音声による「過剰演出」。それらのせいで木村さんが視聴者から憎悪のSNS投稿を浴び、自殺に追い込まれたのではないか。しかし、遺族である母親の響子さんが番組制作過程についてそうした違和感を持って行った申し立てに出された結論は“肩透かし”とも言えるものだった。

 「人権侵害」ではない、「放送倫理上『重大』な問題あり」という表現ですらない。響子さんは結論を聞いて大きく失望したことだろう。ただ、補足意見や少数意見には放送倫理の現状を考える上で参考になる意見があったことは紹介しておく。

 木村さんの死で、主に「週刊文春」の報道で浮上したのが、番組制作の中で木村さんの心を傷つけるような行為があったのではないか、編集などで本人に精神的なダメージを与えたのではないか、そしてそれらを放置したのではないのか、という疑いだ。

 テラスハウスは「リアリティーショー」と呼ばれる比較的新しいジャンルだ。「台本や筋書き、演出などは一切ない」と言いながらも、完全なノンフィクションのドキュメンタリーとは違って、ある程度の「設定」や「お約束」が決められた中でリアルさを求めていくものだ。放送についてのお目付役とされるBPOが切り込む初めてのケースとあって、リアリティー番組の放送倫理のあり方について一定の基準が示されるのではと大きく期待された。筆者は少なくとも今後の「判例」や「指針」となるような結論が出てくることを期待していた。

 番組はフジテレビが地上波で「放送」する前に、Netflixやフジテレビの動画配信サービスFODで「配信」された。また一部の先出し動画などのコンテンツがSNS上にも「配信」されていた。放送局が従来の「放送」にとどまらず、どんどん「配信」に乗り出している今日、もはや番組づくりの上では「放送」と「配信」は不可分。木村さんに対する視聴者のネガティブなイメージを形成し、本人への精神的なダメージを与える原因となったものには「放送」だけでなく、「配信」されたコンテンツの中にもあったのではないか。

 そういう状況の中でBPOがどこまで「配信」問題にも踏み込めるのか、どうか踏み込んでほしいと祈る思いだった。

 木村さん自身がプロレスラーだったのは偶然だが、リアリティーショーはよくプロレスに例えられる。「ガチンコ対決」「台本も筋書きもない」と言いながら、おおよそストーリーの流れや役割分担、放送時間、カメラの位置、設定などが決まっている。“レスラー”はその「あらかじめ決められた制約」の中で「暗黙の了解事項」に従って「物語」を演じる。

 虚実が入り乱れ、どこまで本当にその人物の「素の姿」なのか、視聴者にも、時には本人にすら見分けがつかない中、出演する者は時に実生活を「演じ」、見る側は感情移入させながら視聴する。それだけに視聴者の好き嫌いなどの感情が出演者本人にダイレクトに向かいやすい。SNSでの批判が本人に殺到した時の対応、特に出演者をうつ状態や自殺願望などから守るためのケアはどうあればいいのか。世界的に問題になっているテーマだけにその基準も示してほしかった。
木村さんへのケアは十分だったか
22歳で亡くなった木村花さん(所属プロレス団体の動画より)【時事通信社】
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 大事な試合用コスチュームを誤って洗濯、乾燥し、縮ませて着用できなくさせてしまった男性出演者に木村さんが怒りを露わにして、男性がかぶっていた帽子を奪い投げ捨てた場面。これは「コスチューム事件」と名付けられ木村さんへの誹謗中傷を招いた。この「コスチューム事件」がNetflixで配信されたのが2020年3月31日。ツイッターへの書き込みが殺到し、直後に木村さんは自傷行為を行う。

 それでも同じ番組がFODで4月28日に配信、5月14日にはYouTube上で、他の女性出演者から落ち度を指摘されたことに対して木村さんが自身の正当性を主張するような姿を写したものが「未公開動画」として公開された。これからの地上波放送に向けて視聴者の関心を引きつけるためのもので、週刊誌は「燃料投下」と表現したが、これが再び中傷を招いた。そして5月19日の地上波での放送。木村さんはさらなる集中砲火を浴び、5月23日、死去した。

 時系列で事実を並べると、地上波での放送とそれに先立つ未公開動画の公開が木村さんを追い詰めたようにしか思えない。制作側が未公開動画の公開や地上波での番組放送を中止するなど、もっと配慮していれば悲劇は避けられたのではないか。ところが、この点についてBPOは「自傷行為後にフジテレビ側は一定のケア対応をしており、本件放送を行う前にも一定の慎重さをもって判断がなされた」と人権侵害を認めなかった。フジテレビ側が行った「一定のケア対応」とは何か。決定にはフジテレビ側の対応が以下のように記されている。

 「本件番組の制作スタッフが、3月31日の自傷行為を木村氏のSNS投稿によって知り、電話及びLINEで木村氏に連絡をしたところ、所属プロレス団体の同僚宅で落ち着いており大丈夫だという返信があったという。その後も、(番組制作会社の)イースト社の複数名がそれぞれの立場から、自宅訪問も2度行ったほか、主にLINEや電話を通じて対応に当たっていた」というものらしい。

 ところが、スタッフの一部がテラスハウスで共同生活を行うことの提案や、主要スタッフとのLINEグループの設定などに加え、「精神科医の紹介と受診の提案」もしたが、結局、新型コロナ感染拡大などの問題が重なり受診は実現しなかった。木村さんが自傷行為を繰り返すなど精神的な不安定さが周囲に明らかになっているのに、精神科医の受診を最後まで実現させないままだったということは、このまま地上波の放送日を迎えたら木村さんがより不安定になるかもしれないという危機感を制作サイドが持っていなかった証拠ではないだろうか。

 あらゆる手段を尽くし専門医の診断や治療に結び付けることを最優先にすべきケースだったのではないか。それをすることなく地上波で放送することは大きなリスクを伴うものだったということを関係者は予測すべきだった。BPOは、精神的なケアというものをやや軽視しているように思う。

BPOの決定発表を受けた記者会見を終えた木村響子さん=3月30日、東京都千代田区【時事通信社】

 決定では「木村氏の精神状態を適切に理解するために専門家に相談をするなどのより慎重な対応が求められたのではないか。このような対応がなされなかった背景として考えられるのは、フジテレビの制作責任者、あるいはその他、社内の然るべき立場にある者の間ではこのことが深刻に受け止められていなかったのではないか」として「放送倫理上、問題あり」との結論を導いた。

 それなのに、地上波で放送することについては「具体的な被害が予見可能であるのにあえてそうした被害をもたらす行為をしたとは言えない」との結論だった。実際に精神医療の専門家にヒアリングすることもなく、結果として本人の生命が奪われた事件の重大性を考えると、この結論で終わったことで果たして良かったのか疑問が残る。

強制力がない中での調査の限界

 決定は、放送局側の責任を全般的に過小に評価しているように感じる。特に「それ自体は違法性を含まない内容のリアリティ番組の放送に関し、インターネット上で出演者に対して誹謗中傷がなされること(さらに、それに起因する被害が生じること)について、放送局に人権侵害の責任を問うことは困難である」としている部分だ。

 今回の「放送人権委員会決定」を詳しく読むと、委員会側が事実関係を確認できていないところが多いことに気づく。例えば、木村さんに番組スタッフによる誘導や強制がなかったかという点では、「コスチューム事件の撮影前に、制作スタッフが『ビンタしちゃえば』等の発言を行ったか否かなど、詳細は不明である」などとしている。

 BPOの調査はあくまで関係者に任意の形で行われる。警察や検察のような強制力はない。このため、どうしても事実を詰めきれないことは理解できる。ただ、木村さんの死後にフジテレビの社内調査が独立した第三者を交えたものでなかった点を「判断を行わない」とするなど判断を避けているのは無責任ではないだろうか。

「燃料投下」「スタジオコメント」の軽視
決定内容について説明する放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会の奥武則委員長(左)ら=3月30日、東京都千代田区【時事通信社】

 今回の決定は、未公開動画の撮影や編集手法について「配慮に欠ける点があった」とした。過呼吸発作になるまで本人の撮影を続けた点などを「配慮に欠ける」と表現するのか、それとも「人権侵害」と表現するのか判断が分かれるところだが、筆者の感覚なら人権侵害だ。

 番組を見ていた学生数人から聞いたところでは、「テラスハウス」ではタレントによるスタジオコメントなどでの「あおり言葉」で、木村さんら出演者に悪感情を掻き立てられることが多かったという。しかし今回の決定では、この問題にあまり触れられていない。タレントの発言などで感情を揺さぶられた視聴者が誹謗中傷に走った可能性があるということを考えれば、不十分と言わざるを得ない。

 「筋書きは一切ない」「ガチンコ勝負」と言いながら、「暗黙の了解」でものごとが進むリアリティー番組。その演出や編集、あるいはネットを使った事前PRなどがどこまで許されるのか。残念ながら今回の「委員会決定」ではそうしたリアリティー番組をめぐる「判例」になるような基準はほとんど示されなかった。

 その背景には、BPOの中で、本来なら放送倫理の「判例」づくりを先導する放送倫理検証委員会が沈黙したままだということがある。17年のTOKYO MXの「ニュース女子」や、14年のNHK「クローズアップ現代」の「出家詐欺」の際の審議では「意見」表明するなど、放送文化にとって節目になるような時には放送倫理検証委員会が前面に出てきた歴史がある。今回も放送倫理検証委員会が審議すべき事案ではなかったのか。

リアリティーショーの制作基準

 今回の放送人権委員会決定では、リアリティー番組の放送倫理という非常に大事な問題はあっさり記しただけだ。「本件番組はリアリティ番組として、台本は一切ないことを視聴者に対して強調しているが、実際には一定の演出が不可避である。このことを視聴者に示さないことの是非はともかく、台本が一切ないことを視聴者に対して強調しているからと言って、出演者との関係で演出上の指示が許されないことにはならない」という部分だ。

 台本や演出はないと視聴者に約束しているのに、実は演出は許されるのだという。一方で、どこからなら「やらせ」と言えるのかという点は明確な判断を避けるどころか、「いわゆる『やらせ』の有無の点も同様であるが、『演出や指示』の有無についても、言葉の意味の捉え方次第であるため、それを議論してもあまり意味はない」とまで述べている。

 これらの見解は放送業界の「判例」にすべきものなのか。本来はこの点も放送倫理検証委員会からも何らかの意見表明があるべきテーマだ。BPOという第三者機関の現状における限界をあらわにしてしまったとも言えるかもしれない。

 ただ、今回の決定では、リアリティー番組のSNSなどとの連動の構造や出演者への精神的なダメージについての考察など参考にすべきものはあった。

 決定はリアリティー番組の特徴として「ドラマなどのフィクションとは違い、真意に基づく言動とは異なる姿に対するものも含め、視聴者の共感や反発は、役柄として作られた登場人物にではなく、生身の出演者自身に向かう」と指摘する。その上で「出演者の番組中の言動や容姿、性格等についてあれこれコメントを(SNSなどで)共有することがリアリティ番組の楽しみ方となっている」とし、「本件番組のようにスタジオトークや副音声でタレントがこうした談義に参加していることは、上記のような視聴方法を助長するが、そこに許容限度を超えた誹謗中傷が含まれうることも否定でき」ず、「出演者自身が精神的負担を負うリスクは、フィクションの場合よりも格段に高い」とまでしている。

 残念ながらこうした考察をしながらも、精神科医などの専門家に直接ヒアリングすることもなく結論を出してしまった。こうした点も踏まえ、放送倫理検証委員会は今からでもネット時代の放送倫理のあり方について検証して「判例」を示してほしい。
水島宏明【時事通信社】

水島 宏明(みずしま・ひろあき)1957年、札幌市出身。札幌テレビや日本テレビで報道記者を務めたほか、ドキュメンタリー番組の制作に従事。生活保護や派遣労働、准看護師、化学物質過敏症、原子力発電など幅広い問題を取り上げて来た。法政大学社会学部教授を経て2016年から現職。(2021年3月31日掲載)

◇ ◇ ◇

【悩みを抱えている方の相談窓口】
▽よりそいホットライン
 0120(279)338=24時間対応
▽いのちの電話
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▽厚生労働省 相談先一覧
▽いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)



「ネタ探しで会う大半の男に口説かれる」華やかなスクープの裏にある女性記者たちの苦悩 
PRESIDENT Online
2021年09月12日 10:25 (配信日時 09月11日 11:15)
読売新聞記者が競合他社に取材情報を漏洩したワケ
読売新聞男性記者(32)による情報漏洩問題が、8月27日付の読売新聞朝刊紙面で明らかになった。東京本社社会部の男性記者が司法記者クラブに所属していた昨年、読売新聞が得ていた検事総長秘書官セクハラ疑惑などの取材情報を、週刊誌女性記者やテレビ局女性記者などにメールや電話で漏洩していたのだ。

女子力と役割 ※写真はイメージです - iStock.com/3dts
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関係者などによると、男性記者は東京地検特捜部などを担当していたA氏。A氏は妻帯者で、妻は地方局アナウンサーだ。雑誌『ZAITEN』が読売新聞にこの問題について取材をかけたことで、慌てた読売新聞が社内不祥事として公表した形になったという。

この件は春先から記者間では話題になっていた。A氏から取材情報をまとめた記者メモがわたった週刊誌記者Bさんの雑誌に、検事総長秘書官の不祥事の記事が掲載された。しかし、この読売の記者メモには事実誤認があり、それと同じ内容がそのまま週刊誌記事になっていたため、「読売メモから流出していた」との疑惑が持ち上がったのだ。

読売記事は情報漏洩について、「『報道目的で得た情報は、読売新聞の報道およびそれに付随した活動以外に使ってはならない』と定めた読売新聞記者行動規範に違反している」と指摘している。

A氏とBさんは昨年7月に取材先で知り合い、その後に複数回飲食する関係になっていた。A氏は飲食の際に不適切な関係を迫っていたとされ、漏洩理由について「女性記者によく思われたかった」と話しているという。

週刊誌の女性記者が直面する「セクハラ」と「性差別」
問題を掘り下げて行く前に、まず週刊誌の取材手法について解説したい。週刊誌は新聞やテレビと違い記者クラブに属しておらず番記者制度もない。記者クラブであれば会見やブリーフィングといった機会に情報を得ることができ、番記者であれば政治家や官僚と親密になり情報を得ることができる。

だが週刊誌は黙っているだけでは情報が入ってこないので、知り合いに声をかけては会合や会食を通じて情報交換する、という形でネタ探しをする。筆者も週刊誌記者時代そうだったが、情報を持っていそうな人を探してはとりあえずお茶か会食に誘うことを日課としていた。

Bさんはまだ入社数年の若手記者だった。ZAITENによると情報交換の場だったはずの席で、A氏はBさんに対してさまざまなセクハラをしていた。記者メモはその口止め料的に提供されたものだったようだ。

週刊誌の女性記者にとっては「セクハラ」と「性差別」は切っても切れない関係にある。

筆者がそれを強く認識するようになったのは、ある取材でXさんという元週刊誌記者(現・ライター)にインタビューしてからだ。インタビューのテーマは「記者の仕事術」だったのだが、話を聞いていくと、敏腕記者として知られたXさんが「週刊誌記者をスタートした時からセクハラと性差別に悩んでいた」という苦悩を告白しはじめた。

「仕事相手の男性7〜8割に口説かれる」
週刊誌記者は個人主義の人間が多い。このため取材手法などを共有する機会は少ない。筆者が男性記者ということもあってか、これまで女性記者の隠れた苦悩を聞くという機会がまったくなく、だからこそXさんの告白はより衝撃的なものに感じた。

週刊誌の世界には「ネタを取ってきた人間がいちばん偉い」という文化がある。このため序列を決めるのは、経験年数ではなく、どれだけ情報を取っているかだ。例え若い記者であっても、ネタ次第ではトップ記事を張れる。年功序列に囚われない競争社会であることがスクープを生む原動力になっている。

一方で競争社会の弊害もあるのだ。Xさんはこう語る。

「1年目のときは自信もない、人脈もない、何もないわけです。周りを見ると海千山千の凄い記者ばかり。ネタを取るためにはどうすればいいんだと、悩む。それであらゆる会合に顔を出す、ということをやるようになる訳です。女性記者の場合、男性記者や取材相手から口説かれるというのは日常茶飯事です。ある女性記者は『7〜8割の男性は口説いてくるか、セクハラをしてくる』といっていました。でも仕事だから我慢をしなければいけない、と新人時代は考えてしまうのです」

成果をあげた女性記者にのしかかる重荷
ネタが欲しいという意識が強いと、それとなく上下関係ができてしまうものである。メディアの中には週刊誌を下に見てくる人間、若い女性を下に見る人間もいる。そうした幾重もの差別構造のなかからセクハラは生まれるのである。

結果を出しても女性記者には偏見に遭いやすい。ある敏腕女性記者は「複数の政治部記者と関係を持ってネタを取っている」という風説を流されていた。これはまったくのウソだった。その女性記者は複数の政治家にがっちりと食い込んでおり、さまざまな情報筋から直接情報を得ていた。

当人に聞くと「どうせ記者仲間の僻みだと思うけど、せめて裏を取ってから噂は流して欲しいね。ハハ」と笑い飛ばしていたが、仕事で結果を出す女性記者は、こうした妬みの対象にもなりやすい。

上司からも「女子力でネタ取って来てくれよ」
先のXさんも「身内であるはずのデスクからも『女子力でネタ取って来てくれよ』と言われたこともあるし、一方でちょっと頑張っただけで、『オンナを使って仕事をしている』、『寝て取った』と周囲には言われてしまう。昔は本当に気に病みました」と語り、こう続ける。

「男性と会うときはマニッシュな恰好を心がけるようになりました。スカートではなくパンツスーツを選び、首の詰まった服を着るようにしています。女性らしい恰好をしているだけで、『オンナを使っている』と言われてしまう。そういう偏見は依然としてあると感じます」

男性中心の世界では悩みは解決されない
今回の読売問題でも、Bさんがセクハラを受けていたのはA氏だけではなかった。別の出版社の編集者からも数々のセクハラを受けていたようだ。

「記者経験を持つこの編集者は、酒席にBさんを呼び出しては『ホテルに行こう』などのセクハラを行っていた。誘いを断られると態度が急変して『お前はだから記者として駄目なんだ』といったパワハラを繰り返していた。Bさんはネタや勉強の為にとさまざまな会合に精力的に顔を出していたようですが、一定の割合でこうしたセクハラ被害に遭っていたようです」(Bさんの友人)

問題は根深いのである。こうしたことが起こり得るのは記者の世界が今でも変わらず男性社会であることも影響しているだろう。週刊誌の記者の男女比率は8:2ほどであり、いまも変わらず男性中心の世界なのである。女性記者特有の悩みは、男性視点で笑い飛ばされたり、マイノリティの悩みとして見過ごされてしまいがちだ。

記者個人の問題で終わらせず、他山の石に
こうした問題に対応するにはどうすればいいのか。Xさんは「上司が真摯に女性記者の相談に乗るとか、セクハラ被害があれば相手メディアにクレームを入れるなど、組織としての丁寧な対応が必要だ」と語る。

ある現役の週刊誌女性記者は「またか、という思いで、ニュースを冷ややかに見ていた」という。

「今回のような騒動が起きたとき必ず一度は『オンナも悪い』という意見が流れるんですよね。なかには『セクハラされても、ネタ取れて記事になったからいいじゃん』などと語る人も珍しくない。この業界の常識はおかしい、と感じます」

この数年、週刊誌のスクープはネットにも展開され、これまで以上に大きな注目を集めるようになった。しかし、その取材現場は“男尊女卑”という歪んだ構造を抱え続けている。今回の問題は、決して読売記者個人だけの問題ではない。メディアで働くすべての人間が「他山の石」としなければならない問題なのである。

赤石 晋一郎 ジャーナリスト
1970年生まれ。南アフリカ・ヨハネスブルグで育つ。「FRIDAY」や「週刊文春」の記者を経て、2019年にジャーナリストとして独立。日韓関係、人物ルポ、政治・事件、スポーツなど幅広い分野で記事執筆を行う。著書に『韓国人、韓国を叱る 日韓歴史問題の新証言者たち』(小学館新書)、『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文藝春秋)など。

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https://note.com/29530503/n/n201b01216aee

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