どこへいずこ

映画「ドライブ・マイ・カー」をあまり好きになれなかった。
何故だったんだろう?
感覚的な事なので、言葉にするのは難しいのだけど、全編にうっすらと漂う「男性視点」のようなものを感じたからだ。
映画を観てからしばらく経って昨日書店で、たまたま原作を立ち読みした。
最初の3行くらいを読んで本を閉じた。
「女性ドライバーの運転は乱暴すぎるか慎重すぎるかの二種類、、、、」というような書き出しで、ちょっとうんざりしてしまった。きっと続きを読んでいくと、そうでない女性ドライバーに出会うっていう展開なんだろけど、それにしても、読む気になれなかった。
だって車を運転する人に、女性も男性もないでしょう。

私達はずっと昔からこういったステレオタイプに括られて、心の中で違和感を感じながら生きてきたんだと思う。
高校時代、チューリップというバンドの「虹とスニーカーの頃」という曲を初めて聞いたとき、びっくりした。
「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪~」という出だしだった。
私は「なんじゃこれ、意味わかんない」と素直に思ったけれど、当時その歌詞に対して何か言う人はいなかった。
大人になってから知った遠藤健司という人の「カレーライス」という曲にも「なんじゃこれ」と思った。
「君はとんとん じゃがいも・にんじん切って
 涙を浮かべて 玉ねぎ切って
 ばかだな ばかだな ついでに自分の手も切って
 僕は座って ギターを弾いてる
 よ~ん カレーライス」
人にご飯作ってもらっておいて「ばかだなばかだな」「ギター弾いてるよ~ん」ってなに?ギャグなの?
この曲が作られたのは1971年らしいので、私が小学生の頃だ。
もしその頃聞いていたとしたら、私はこの歌詞の変さを感じることが出来ただろうか。
実はその2年後のかぐや姫の「神田川」はよく覚えている。
なぜなら歌番組で、私の好きなフィンガー5が彼らによって1位を取れなかったという記憶があるから。
「ただあなたの優しさが、怖かった~」が当時は理解できなかった、なぜ、優しいのに怖いんだろう?
でも「いつも私が待たされた~」という歌詞には疑問を持たなかったと思う。
待つのは女の方と自然に刷り込まれていたのかもしれない。
「普通お風呂って女の方が長いよね」と娘と息子に言われた最近になって、はっと気づいたのである。
まあ、その男性が長風呂だったのかもしれないけど、笑笑、「神田川」が女性の一人称ではあるけれど、男性が書いた詞だということに、当時は気づかなかった。

これらは、堂々と歌われ話題にもなったさだまさしの「関白宣言」と違い、ごく自然な意識の外での言葉だからこそ、よけいに厄介なんだと思う。
気付かれにくいし、埋もれやすい。
最近フランス在住の日本人女性のブログで人種差別の記事を見かけた。
差別した(と思われる)側に意識的な悪意があったわけではなく、ただヨーロッパ人の底辺にある有色人種への認識がそうさせたのだ。それは無邪気なものだったので、よけいに厄介だった。
私の周りにも、同じアジア人である隣国の人たちを、はっきりと、または気づかずに差別している人たちがいる。
えらそうなことを言っている私だって、どうだろう?
日本人と比べて、あの国の人たちはこうだろうとか、根拠もないことを思っていたりする。
何処かのバーで、アフリカ系男性のカラオケがすごく下手だった時、ついつい「R&Bの人たちなのに、下手なの?」と思ったことがあるし、つまり、刷り込まれたステレオタイプで人を判断しているんだと思う。

私が「ドライブ・マイ・カー」に感動しなかったのは、登場人物である女性に共感、そして感情移入できなかったからだと思う。それどころか、違和感を覚えたのだ。
この監督は、女性の心をどう表現しようとしているのだろう?
何故ここで、彼女はこうするのだろう?なぜ、この夫婦はこうするのだろう?
もしかしたら、監督はこのような女性が好きなんだろうか?
女性に、危うさと破滅と悲しみを求めているのだろうか?
頭の中で私の妄想は広がる。
女性の描き方も、多様性の描き方も、イージーな気がするんだよなあ、、、
「多様性」は賞狙いかなあなどと、あざとくも考えてしまった。ごめんなさい。

それにしても男の監督は、いつだって女をわかっちゃいないなあ。
とここまで書いて、この「男の監督は」っていうのが、ステレオタイプな見方なんだろうな、と気付いたところ。苦笑。
修業しなおしますわ。






2019年、もう3年も前になるのだなあ、私達楽園companyは、横浜「象の鼻テラス」でのイベント「よこはま月見」でライブをやらせていただいた。
そのイベントは、友人のりこさんが企画立案したもの。
目の前が海、そして横浜港の風景を臨む象の鼻テラスのロケーションのすばらしさを、ふるさと高知の桂浜でのお月見に重ねて、横浜での「お月見」と(ありがたいことに)私たちのLIVEをコラボするという企画を立ててくださった。
のりこさんは、ネットで「星空の学校」にたどり着き、代表の鈴木さんと連絡を取るようになった。
「星空の学校」の参入で「よこはま月見」が一気に現実化していき、映像を使ってのトークショーや、望遠鏡を使っての天体観測など、さまざまなワクワクするようなアイディアが持ち寄られ、打ち合わせにメンバーが集まった際には、私はひそかに(LIVEいらないんじゃない?)と感じたりもしていた(笑)。
代表の鈴木さんは、言葉も文章も正確で簡潔。
打ち合わせの際も、丁寧かつ的確で、背の高い大きな男の人なのにとても繊細、それでいて圧がなく、その素晴らしいお人柄のおかげで、着々と打ち合わせも進んでいった。

さて、いよいよ当日!
ところが朝から台風で雨風がすごい。
お月見が出来るとは思えない空だったけれど、夕方には晴れると信じて、私たちは、雨の中、機材を搬入しリハーサルをし、本番に備えた。

一回目のLIVEとトークショーが終わり、天体観測の時間となった。
雨は上がったものの、空は雲で覆われている。
月だと思われる箇所が厚い雲の中で微かに灯っている。
みんながちょっとがっかりする中、それでも「星空の学校」のみなさんは、元気よく天体望遠鏡にお客様を誘導する。
と、なんと、その瞬間、厚い雲が流れてゆき、輝く美しい月が現れたのだ。
みんなが「わあ~」と歓声をあげた。
素晴らしい瞬間だった。
雲に覆われていたからこそ、現れた月は、格別に輝いていた。


それが2019年の6月の事。
その年は私にとっては、特別に思い出深い年で、7月8月にはドイツに留学する息子を訪ね、家族でヨーロッパを巡ったり、10月には娘の結婚式もあった。
そしてその年の終わりから、コロナ禍が始まり、2021年の2月に母が脳梗塞で倒れ、面会もままならず、その後なんとか面会が出来る施設に転院したけれど、母は11月に亡くなった。
私にとっては、悲しいことばかりのこの2年間だった。

母の死から2ヶ月が経った今年の1月、のりこさんから連絡があり「星空の学校」の鈴木さんが昨年の2月お亡くなりになっていたと知った。コロナだった。
あんなに立派なお体で、たばこも吸わない人だったのに。

2月26日鈴木さんの一周忌の日、
横浜山手のブラフ18番館で、写真家でもあった鈴木さんの作品展が行われた。
素晴らしい写真ばかりだった。
そして夕方からは、象の鼻パーク(象の鼻テラスの外のスペース)で観望会が行われた。
その日は、月は見えなかったけれど、三つの望遠鏡から、様々な星を覗いた。
オリオン座の中のひときわ黄色く赤い星の、いま私たちに見えている光は600年前のものだと、メンバーが教えてくれた。
私達は、笑いながら興奮して言葉を交わし、様々な星に焦点を当てた。
すばるが一つの星の名でなく、プレアデス星団という星の集まりだということも初めて知った。
「だから車のスバルのエンブレムも、星の集団でしょ?」と言われて、3年前の6月、鈴木さんが、買ったばかりのスバルの新車を、ここの駐車場で嬉しそうに見せてくれたのを思い出した。
象の鼻テラスの建物からは黄色い暖かそうな光が漏れていた。
中では、展示を行っている現代アートの集団が作品のメンテナンスをしていて、奇しくもそこに息子もいた。脚立に乗って壁の作品をいじっている息子の姿をちらっと見て、私はまた、空を見上げた。
この藍色の空間のどこかから、母が、私や息子を見ている気がした。
そして鈴木さんも、きっと、見ていらっしゃるんじゃないかな。
仲間のみなさんがこんな素敵な会を開催なさったことを、、、

冬から春に向かおうとしている冷たく緩やかな風を受け、自分がここにいる事の不思議さと幸せを感じていた。
あの光が600年前のものなら、いまはもうあの星はないのかもしれない。
宇宙のことも、私達が存在することも、時間が過去から未来に流れることも、実は私たちは何もわからない。
だから、母がどこかにいると信じて、鈴木さんや亡くなった友達や従弟や父とまた会えると信じて、生きて行こうと思う。
そう言い聞かせて、私はまた、日常へと歩き出した。

星空の学校の皆さんと、夢のような瞬間に、さよならを言って。



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