どこへいずこ


あけましておめでとうございます。
今年は元日からインフルエンザA型にかかってしまいました。
でもやっと復活!!
今日の青空のような、素晴らしい一年となりますように。

さて、昨年のクリスマスイヴの日に、FBとインスタグラムにUPした文章を載せさせていただきます。

今日はイヴ、横浜中央郵便局で並んでいるとき、窓口で局員に対してひどい罵声を浴びせる人がいた。何があったのかわからないけど、郵便局の対応に対して酷い言葉で罵っている。
建物内は、響き渡るその言葉ですっかり冷え切り、並ぶ人々の心までギスギスしてくる。荷物を送りたい人、手紙を送りたい人、収入印紙を買いたい人、私のように書き損じたハガキを交換したい人、様々な人達が並んでいる、30人くらいはいるだろうか、みんな訝しそうに窓口を覗いたり、静かに目を伏せたりしている。何があったらあそこまで罵れるのか?とにかく、酷い罵声が飛ぶ。窓口の女性を「クソババア」と呼び、ずっと文句を言っている。私が松山千春だったら大声で歌を歌っていたかもしれない、でも、松山千春ではないし。若い女の子が2人「やばい人じゃん」と話している。私は思う。イヴなんだ、イヴなのに、郵便局の人たちは祝日なのに働き、あんな酷い言葉を浴びせられてる。30分くらいも罵声は続いている。今日はイヴなのに。

と、収束したみたいで、罵声が止まった。いつのまにか局内は静かになった。私の並んでる列もだんだん流れていく。私はなんとか郵便局の人を励ます言葉を放ちたかった。そして、罵声を聞かされた建物内の人達が、微笑むようなことをしたかった。でも、そんな勇気がない。
窓口に近づくと、4人の男性と1人の女性が、笑顔で対応をしている。その笑顔が健気すぎて、私は切なくなる。
「くそばばあ」と言われていたのはあの女性かしら?でも違うかもしれない、罵られた人はチェンジしたかもしれない、でも私は、あの女性のところでハガキを交換したかった。誰になるかわからないけど、あの女性になりますように。祈った。
女性が「お次の方!」と笑顔で私を呼んだ。私はハガキを差し出し「プリンターの調子が悪くて、こんなにたくさんなんですけど、交換いいですか?」女性はにこやかに速やかに新しいハガキを出してくれる。本当は言いたい、大阪のおばちゃんみたいに「大変でしたなあ、でも、あんなん相手にしたらあきまへん、元気だしや、応援してまっせ」でも私は大阪のおばちゃんじゃないから、言えない。
ハガキを受け取り手数料を払いレシートをもらう、私は伝えたかった、がんばれ!と。でも言えない、「ありがとうございました」笑顔で女性が言った。私は「ありがとうございます」のあとに彼女の目を見て、おずおずと言った。勇気を出して。
「メリークリスマス」
彼女は「は?」と聞いた、もう一度「メリークリスマス!」と少し大きい声で言った。次の瞬間、彼女は満面の笑みを浮かべ「メリークリスマス!」と頭をゆっくりさげた。
帰り道、私は街を行く人々とすれ違いながら、すべての人々に幸せが訪れますように、と願った。罵った人にさえも。

今年もゆっくりと、かつ、慌ただしく、過ぎていく。
メリークリスマス🎄みなさま❤️
らぶゆー❤️

家田和幸という日本語の名前よりも、WAKO IEDAというアルファベットが似合う。
でもその名前さえ、きっと本当の名前ではない。
謎が多い。本当は何歳だったのかさえ、私は当時知らなかった。
彼を知る人がどんどん少なくなっているので、ああ、もっともっと聞いておけばよかった、図々しく質問攻めにすればよかった、と今になって後悔してる。
無名の画家だ。
私は彼からデッサンとクロッキーの中間のようなものを習っていた。
でも、絵を習っていたというよりは、もっと別の何かを教わっていた気がする。大切な何か。
2002年に彼は亡くなり、2014年に妻の非左子が亡くなり、2016年一人娘の聖子が亡くなった。
アトリエ件住居だった(うちの子どもたちに言わせれば)まるでジブリ映画に出てくるようなその家は、国に没収される事となった。せめて彼の作品を残したいと懸命に奔走して、家田家と昔から繋がっていたある人物にたどり着いた。
和幸亡き後、妻の非左子から画集の編纂を頼まれた人物(つまり私の兄弟子にあたる)が絵を託されていた。
かくて、家田和幸のウェブサイトを作ることができた。
いつかは作品展をしたい。
それが私たちの願いだ。
改めて写真を見ると、かっこよすぎる和幸。
WAKO IEDA、永遠に。

家田和幸ウェブサイトはこちら



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