どこへいずこ

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1975年に高校に入学して出会った私たちは50年後の先日、クラス会を行なった。
参加した25人は、みんなとても元気で生き生きとしていた。

テレビ塔の隣のビルでデザイン事務所をやっています、近くに来たら寄ってください、
一級建築士事務所をやっています、孫にアウトドアやスキーを教えるのが楽しい、
夫と共に映画配信の会社をやっています、娘はまだ独身、良い人がいたらご連絡ください、
夫と看板屋をやっていましたが最近需要がなくなり、仕事をたたみました、でもやはり何か描いているときが1番楽しい、
3年前に夫を亡くして、今は週3回テニスをしボランティアに登録したり充実しています、
離婚した夫が癌で亡くなり娘は東京でシンガーソングライターをしています、YouTubeみてくださいねー、
介護施設で働いています、みなさん介護施設に入らないような人生にしてください、入ったらもうつまらないよ、
営業の仕事で全国を飛び回っています、東北では美味しいお酒を飲んでるよ、

65歳のみんなは元気で働いていた。
私は最後に幹事代表あいさつで言った。
「みんながこんなに素敵な人生を送り、今こうして再会していることが、本当に奇跡のようだなあって。
50年前桜の木の下で、初めて会ったみんなとクラス写真を撮っていた私に教えてあげたい、
あなたとこのクラスメイトはさまざまな経験をしてとても面白い人生を送り、50年後にクラス会で再会しているよ、と。」

クラス会はお昼12時から14時まで。
そのあと故郷の街や高校をみんなで歩き、夕方4時から居酒屋で二次会。
話は尽きないけれど、9時になり女子が2人帰るというので、店の外まで送った。
そしてそのまま駅前のロッテリアで彼女たちとコーヒーを飲んでいたら、居酒屋にいる友から「いきなりいなくなってどこに行ったの?」と電話が来た。
「〇〇ちゃんと〇〇ちゃんを送りに外に出たらコーヒーを飲むことになって、いまロッテリアで飲んでるよ」
「私たちは三次会に行こうかって話してるよ、場所が決まったら連絡するね」

名古屋から名鉄電車で30分の田舎町。
50年前私たちは毎日その駅で降りてその駅で電車に乗った。
ロッテリアに1人の男子がやってきた。
「まだいたんだね、
〇〇たちは三次会に行ったけど、ぼくはもう帰ろうかなって思って。」
それから私たち4人は少し喋った。たわいもないことすぎて、何を喋ったのかぜんぜん覚えていない。
しばらくして私たちはロッテリアを出て、改札の前で別れた。
女子2人は名古屋方面、男子は反対方面、私は駅前のホテルに。
「バイバーイ!」
と大きな声で叫んだら、男子は背の高い後ろ姿で、手だけを振った。

50年前、毎日こうやって友と別れていた。
明日必ずまた会えると信じて。
いえそんなことさえ考えずに。

今度いつ会えるのかな、
もしかしたら、もう会えないってこともあるかもしれない。
50年前には考えもしなかったことが、心をよぎった。

2025年4月20日のその1日、私はずっと楽しかった。
でもハイライトは、改札の前でのバイバイだったかもしれない。
たわいもない短い時間をロッテリアで過ごした後、4人で別れたあの瞬間が、なんだか甘くて切なかった。

家田一家が住む家は、駅から歩いて10分ほどの丘の中腹にあった。
鬱蒼と木々が茂る小路を登っていくと、その家は見えてくる。
外枠は大工さん、内部は男の先生が友人たちと作ったという家は、装飾のあまりないシンプルで落ち着いた作りだった。
一番最初に私が訪れた時にはなかったギャラリーのような応接室も、その頃には出来上がっていた。
南の窓からは木曽川と山々を臨み、北側は山の岩肌をそのまま残した瀟洒な部屋で、床に様々な色の大理石が敷き詰められていたが
「このね、大理石の並べ方が気に入らないって男の先生が言うのよ」
と女の先生は半分笑いながら言った。
職人さんがやったというその床のどこがダメなのか、私にはわからなかった。
漆喰の壁には先生たちの絵が何点か掛かっていた。
中でも私が一番好きだったのは、サイゴンの街が描かれた男の先生の絵だ。
家田一家がいつからそこに住み始めたのか、どこからやって来たのか、私は何もしらなかったけれど、男の先生が第二次世界大戦中、軍属としてベトナムに行っていたという事は、時折語る思い出話で知っていた。

最初に家田夫妻を私に勧めてくれた友人Kは、その頃は東京に住んでいた。
彼女の父はKが高校の時東京に転勤になっていたので、Kも東京の大学を選び、入学と同時に家族で転居していた。
Kが大学の夏休みに帰省するとき、我が家や友人の家だけでなく、家田家にも滞在していた。
家田一家はそれくらいKを可愛がっていた。
わたなべひろみとKが小中学校の同級生、Kと私は高校の同級生だ。
同じく高校の同級生Hと、私は最初、集会場に通い出し、その後、Mという友人も参加した。
わたなべとKを子どもの頃から可愛がっていた男の先生は、HやMや私よりは、その二人を殊更愛しているように見えた。
わたなべには、よく「おまえは見た目がいいのだから感謝しなさい」と言っていた。
そして子どもの頃から賢かったKをとても評価していて、私がくだらないことを相談した時、「お前はKに比べて、知的レベルが数段下だ」と言われたこともあった。
激高すると、ついひどいことを言ってしまうようなところはあったけれど、ユーモアにあふれていて、面白おかしく様々な事を語っていた。
私はそんな家田一家を、わたなべやKとは違って、ちょっと距離を置いた感じで見ていた。
男の先生のことは、胡散臭くて適当な人だなあとも思っていたし、女の先生はそれとは逆に、小さいころから近くにいた伯母さんのように親しく思えていた。
大阪から何度そこへ通ったのか、もう思い出せないけれど、付かず離れず、私達と家田一家の交流は続いた。
その後、私達の人生にもそれぞれ変化が訪れた。
わたなべは結婚して男の子をもうけたけれど、その後シングルマザーとなり、漫画家としてさらに成功すべく、横浜に転居した。
それからすぐ私達一家も大阪から横浜に越した。夫が独立したのだ。
思い起こしてみたら、その時は家田にとても反対された。彼はちょっとコンサバティブなところもあったのかもしれない、いえ、東京という街に良い印象を持っていなかったのかもしれない。
いえ、今、やっとわかった。
寂しかったのかもしれない。
そうだ、寂しかったのかなあ。

家田和幸ウェブサイト



私の結婚式にて、右から家田和幸、K、わたなべひろみ、H、私
ひろみちゃん写真ぼかし-4


日曜の夜。
鰹の藁焼き、浜松餃子、茄子ときゅうりとトマトのサラダを、スロベニアのビールと共に楽しむべく、料理が出来上がる30分前に、私はビール3本を冷蔵庫から冷凍庫に移した。スコールの後に格別の青空が見えたその日の、ワクワクするような夜は、思い切り冷えたビールが飲みたいなあと。
スロベニアのビールは、近所の商店街のはずれにあるワイン屋さんで買ったものだ。
女性がひとりでやっていて、小さくて可愛くて東欧のどこかの街にあるようなワイン屋さんで、そんなお店で異国のビールを買い、思い切り冷やして、夫と息子と三人で鰹の藁焼きをおつまみに飲む!!
sounds good!
私たちは上機嫌でテーブルについた。
夫が嬉しそうに言う。
「いろんな種類のビールがあったんだけど、このFUN TIMEっていうタイトルが、ジョー•コッカーの曲と同じだったから、これにした!」
ワイン屋さんの可愛い女性が説明してくれたとき、夫はすぐこれがいいと言ったんだった。
息子がFUN TIMEの栓を抜き、三つのグラスに均等に注いでいく。
注ぎ終わったところで、息子は気を利かせて「韓国式に泡を立てよう」と私のグラスにお箸を入れた、そして振動させようとしたら、グラスの隣のFUN TIMEの瓶に手が当たりガチャンと倒れて、それを止めようとして出した手が今度は私のグラスを倒し、ホースから勢いよく水が出るように、赤いワンピースの私の胸にビールが噴射され、そのまま液体はお腹を流れて太ももの間に水たまりのように溜まって、やがて決壊し、ワンピースのスカートから足元に滴り落ちた。
一瞬何が起こったかよくわからなかった私は、同じく何が起こったかわからない息子が慌てふためきながら台拭きで私と私の周りを拭き始めるのを、呆然と見た。
ビールまみれになった私は、もはや笑うしかなくお風呂に駆け込みワンピースを床に叩きつけるように脱ぎシャワーを浴びた。
それから新しい服を着るためにバスタオルを巻いたまま二階に行き、暗い部屋で着替えている時、今まで味わったことのない感情が胸に溢れた。
「可笑しくて悲しくて、でも怒っている」
だってこれはまるでコメディのように笑えるけど、同時に悲しくもなるし、間抜けでおっちょこちょいな息子に怒りも湧く。
でも、そこでふと考えた。
何かが起こったとき、悲しむのか怒るのか笑うのか、それによって人生がどのようにでも変わっていくのでは?と。
私も大人になったものだ。
今日の晩御飯を台無しにするのも楽しくするのも私次第なんだ。
私は新しいワンピースを着て階下におりた。
息子は怯えながら私に謝る、夫は私の動向を見守る、
私は言った。
「動画に撮ればよかった!!」
だってあんなシーンは演出しようとしても出来ないよ。
息子と夫は安心したように笑って自分たちのグラスのビールを私のグラスに注いでくれた。
悲劇、いえ喜劇がホームドラマに変わった。
しかし、その後の夫と息子の会話、、、、どうやったらジッポーのライターのガスを揮発させないか、、、、は、全く退屈だった。
タバコを吸わない奴らは蚊取り線香をつけるためだけにジッポーのライターを持っているのだけど、あまり使わないから揮発してしまうらしい。どうしたら揮発を防げるかを散々調べて語った後、夫が
「結局100円ライターが一番いいんだよ」
息子は「いや、それではロマンが、、、」
「ロマンー?なにそれ」と笑いながら私が
「ガスコンロでつければいいんじゃない?」と言った後、そういえば、と、最近家を建てた娘たちのキッチンを思い出す。
彼らはコンロを電気にしようとしていたけど、私が
「電気なんかだと海苔をあぶれないじゃない」と言ったせいかどうか、結局はガスにしたのだ。
もし電気にしていたら、蚊取り線香に火はつけられなかったなあ、海苔だけじゃなく、とブツブツ言いながら私はソファに横たわる。
夫と息子は相変わらずテーブルで、今度はライターを使っていたら大火事になってしまったどこかの間抜けな人の動画を、驚きながら見ている。

ソファで寝落ちしそうになりながら、ああ、こんな小さな夜のひとつひとつが、後で思い起こせば、素晴らしい夜だったと気付くのかもねと、私はぼんやり考えた。
例えば私が年老いたとき、例えば死に行く時。

この素晴らしいFUN TIMEに。
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