会社で、社会の一面で、偉そうな人の態度が気になる。

上司だと頭でわかっていても・・・・許せない。何かひっかかる。

後味が悪い。

など、など。

では、偉そうとは具体的にはいったいどのような態度なのだろうか。

むろん、状況や立場、シュチエーションにより随分と異なる。

国会中継をはじめ、エラそうな態度を挙げるときりがないので対照的なものを引き合いにする。

尊敬する、重要だと思う人に接する態度はどうだろう。

自分自身の存在を確かなものにし、日々に生きる価値を与え、困難を超えていける勇気を与えてくれる存在に接したとき、あなたはどのような態度をとるのだろう。

その人の動作、態度のひとつひとつが何か自分自身にとって大きな示唆と気づきを与えてくれる。

そんな体験ないかもしれないけれど、あるとしたら。

実際に会う前から普段のあなたと同じだろうか。

待ちわびたアーチストコンサートの20倍くらいパーソナルながら、今自分が生きている実感を強化する。

いい意味で期待を裏切られる、予想どおりと異なる体験。

話を戻すと偉そうな態度に共通するのは「決めつけ」「思い込み」。

都会のタクシーの運転手は政治のことについても詳しく、きっぱり断定する方が多いと聞く。

それは本当に政治に詳しいわけではなく、流れてくるラジオのパーソナリティーの言葉そのままに言ってるだけ。つまり受け売り、思い込みは根拠なく強い。

タクシーの運転手さんはエラそうじゃないけど、この二つに共通する何かを感じる。

「見なくてもわかる」で、確実な成長は止まる。

「誰かが何かを始めようとするとき、なぜ粗探しをするような見方しかできないのだろう。しかも自分の目で確かめようともせずに」

「プロだから見なくてもわかる」と言う人は、自分が経験した野球で時間が止まっている。

落合博光氏の著作に会った内容だ。

プロにも実にさまざまな階層がある。