「米国の上着」と「中国の下着」をまとう韓国人(日経ビジネスオンライン)
>鈴置:1997年、韓国は「民主化」しました。大統領はそれまでと比べればはるかに公正な選挙で選ばれるようになりました。言論の自由も一応、保障されたことになっています。ただ、民主主義の基盤たる「法治」が、民主化して四半世紀たっても根付かないのです。

――世の中に「完全な法治国家」は存在しないでしょう。

鈴置:もちろんです。しかし法治国家には「法律に則って国を運営すべきだ」という合意なり建前が最低限、必要です。しかし韓国人には「法治が必須」との意識はないのです。(中略)

鈴置:儒教に詳しい京都府立大学の岡本隆司准教授は「儒教国家では法治よりも徳治が重視される」と説明しています。中国なら皇帝、韓国なら王の徳ある判断による政治が、法による統治よりも正しいのです。

 ご存じのように現実には法治とは程遠い状況です。しかし、あの厳しい人権状況の中、普通の中国人から「法治を目指せ」という声が高まっているわけでもありません。

――人治が法治よりも優れていると中国人や韓国人は考えるのでしょうか。

鈴置:初めての統一国家、秦が法治主義を採用して失敗してからというもの、中国人にとって法治は尊敬すべきものではなくなったのだそうです。

 「民主化」したはずの韓国人も法治を口にしながら、いざとなると法治を顧みなくなります。「セウォル号」事件でも「法治は大事だけど、大事件だったのだから今回だけは棚上げしよう」と語る人が結構いると韓国紙は報じています。こうした意見こそが法治の否定そのものなのですが。
(引用ここまで)

 膝を打つというのはこういうことですわ。久々に韓国関連の解説で目から鱗が落ちる感覚がありました。
 いやまったくその通り。
 韓国はすでに徳治が為されているので、近代的な意味における法治を受け入れる余地がないのです。

 考えてみれば、大統領が替わる度に(出身政党が同じであってすら!)、易姓革命のような前政権の否定を行うのも「徳治」という視点から見てみればまさに正しい行動です。
 遡及法をホイホイと作れるのも、徳治という観点があればこそ。
 原則をあっさりと超えて「これは特別だから」ということができるのは、前近代の行動そのものなのですよ。古田教授が「韓国は近代のさなかにいる」と書いていたのはこういうことなのですね。

 今回のセウォル号の事故原因探求について「捜査権を被害者側に引き渡せ」というのも同様。
 報道の自由を簡単に踏みにじることができるのも、 まったく構造としては同じ。報道というものが権力と同じ位置にないと困るということが理解できていないのですよ、心理の奥底で。

 近代的な法治主義を持ち得てない、という単純な視点が必要だったのですね。
 いや、これまでも「法治主義ではない」という考えは充分にあったのですが、それが(21世紀の今に至っても)「徳治であるから」 という視点はちょっと新鮮でした。

韓国人による沈韓論 (扶桑社新書)
シンシアリー
扶桑社
2014-08-31