疑い深い韓国人、「他人を信頼する」は3割にとどまる(1) - (中央日報)

> 梨花(イファ)女子大学公共外交センターが韓国リサーチに依頼し全国の満19歳以上の成人男女1207人を対象に実施した「韓国人の社会認識調査」の結果 によるもの。調査は7月2日から8月13日の6週間にわたり対面面接方式で行われた。信頼水準95%で最大許容誤差は±2.8%。

◇社会に対する認識=「大部分の人は他人を信頼している」という意見に同意した回答者は28.9%にすぎなかった。20.3%は「違う」と答えた。このよ うな不信の風潮のためか、「世の中をうまく渡っていくためには他人の悪い面に注意する必要がある」という考えに対し61.1%が同意した。「この社会では 気を付けなければ他人に利用される」という意見に対しても3分の2に近い64.1%が共感を示した。
(引用ここまで)

 刺激的な記事タイトルに比べるとどうということのない世論調査なのですが。
 ま、韓国社会というものは相互不信の上に成り立っているというのは間違いありません。

 だからこそウリとナムが成立するのですよ。
 ウリというものは「おまえは俺にとってウリだ、俺もおまえにとってウリだ。だから、いろいろなものを融通しよう」という認識の上に成り立っています。

 一度、ウリになった相手には遠慮をすることがかえって失礼にあたるので、それが海外での問題行動につながったりしますが。そしてそれを「文化的差異の問題」と言ったりもしますが。
 融通するものは物質だけでなく、情報とか無形であるものも含まれます。

 ウリというものは李氏朝鮮(というより、民衆のすぐ上にいた両班)が朝令暮改だったので、自己防衛のために情報組織を組み入れる必要があったと想像しています。
 それに宗族意識といったものも加わっていますかね。

 なもので、ウリ以外はすべて敵。
 信頼するに値しない人間ばかりなのです。
 だから、社会的に密告制度通報報奨金制度がしっくりときてしまう。しっくりとくるどころか、商売のひとつになってしまうくらいのフィットぶり。
 「この社会では気をつけなければ他人に利用される」というのはまさに韓国社会ですよ。
 常に疑心暗鬼であるべき社会、なのですね。

乙女の密告(新潮文庫)
赤染 晶子
新潮社
2014-09-05