【取材日記】ノーベル賞シーズンになると憂鬱なソウル大(中央日報)
> 先週、ソウル大の教授の間で最大の話題になったのはノーベル賞だった。教授に会えば、尋ねもしないノーベル賞の話に向かう。教授は専攻分野に関係なく、一方では恥ずかしさを、もう一方では危機意識を感じていた。特に日本科学者3人のノーベル物理学賞受賞に衝撃を受けていた。

「韓国もある程度成長したと思っていた。ところがノーベル物理学賞のニュースに接すると、両国の科学研究レベルに顕著な差があることを改めて実感する」。 (中略)

B教授は新入生と面談した時のことを語った。幼い頃から科学者を夢見て英才教育の学校を卒業した後、ソウル大に進学した学生だった。この学生は「私は科学に飽きました。科学ではなく他の進路を選びたい」と話したという。 (中略)

人文学部のC教授は「韓国の政策は、ノーベル賞受賞者を出すといって可能性がある学者に巨額を集める」とし「さらにノーベル賞を受賞できそうな学者を韓国に迎えようという雰囲気もある」と述べた。ノーベル賞という花を咲かせることができる基本の土壌を作るより、苗木を移して植えるということだ。ノーベル賞はその国の科学が世界的なレベルに発展したという証拠にすぎず、目標にはならない。一つの分野に没頭する研究者が増え、その研究者の熱意を後押しするシステムを構築するのがもっと重要だ。「科学に飽きた」という学生の心がまた科学に向かう時、私たちはノーベル賞を話すことができる。
(引用ここまで)

 そりゃま、学生はなによりも医学部を目指しますし
 TOIECで990点を取った文系の学生が一芸入試で入学するのが、なぜか医学部だったりもします。
 科学に飽きたとかじゃないのでしょうね。韓国の現実じゃ、科学を選べないのですよ。
 やりたくてもやれないし、周囲もそれを許容しない。

 最後の段落で「ノーベル賞は結果であって、目標ではない」という韓国人教授のセリフがありますが、韓国では往々にして目標というか目的なのですよね。
 ファン・ウソクの発表に韓国人全体が興奮した時なんかも朝鮮日報のマンガ時評に、ノーベル審査委員会が緊急会合を開いて「(ファン・ウソクが新しい発表をする)あの日、ノーベル賞をあげちゃいましょう!」って語っているっていうものがありました。

 ノーベル賞が目的というか、権威づけが必要なのですよ。
 韓国社会には。
 だから、ノーベル経済学賞を受賞した学者を韓国に連れてきてしまうのですよね。学生がその授業についてこられるかどうかとか関係なく。 

 あと日本が取っていて韓国が取ることができないのはおかしいという思いが根本的にありますね。
 心の底で「韓国人のほうが日本人よりも優秀であることは明白なのに、その韓国人が取れないのは理に適っていない」という思いがあるのですよ。
 でも、ノーベル賞週間は現実はどうであるかを見せつけられるからこそ、憂鬱なのですね。