朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード(著) / 時岡敬子(訳)
講談社学術文庫


・日韓併合さえなければ、韓国は近代国家になれていた?

 楽韓Webのブックレビューとして、まず本書を取り上げる必要があるでしょう。
 120年ほど前の1894年――日本でいえば明治24年、日清戦争開戦の年です――、李朝末期の朝鮮半島に渡った筆者は、旅行家として朝鮮半島の様子を描写します。その描写は凄まじいの一言に尽きます。
 民衆風俗の多くは日本の奈良時代、もしくは古墳時代の様相を呈しているし、権力の腐敗は筆舌に尽くしがたい。

 正直な話、本書をはじめて読んだときには態度を保留していました。というのも、あまりにもその内容がひどいかったためです。
 いくらなんでもここまでじゃないだろう……というのが、最初の感想でした。
 彼女がイギリス人であるということもあって、その描写に人種差別的なものがあるのではないかと考えたのも一因です。
 しかし、朝鮮半島を訪れる20年ほど前に、彼女は明治初期の日本を描写しています。人当たりはともかく、描写そのものはこれといって差別的なものでもなく、むしろ東北の大地を「これこそ東洋のアルカディア(理想郷)である」と描写していることが気にかかりはしたのですが。
 最初の考えはあっさりと覆されました。当時の写真が残されていたためです。

・李朝末期の朝鮮半島はどのような世界だったのか
 2001年の末に、韓国で『1世紀前の民衆の生活垣間見れる写真展』という催し物があり、中央日報でその紹介がありました。
 そこからいくつもの李氏朝鮮末もの写真が発掘されて、まったくもって彼女の描写は正確でした。 

 『朝鮮紀行』からソウルの描写を引用してみましょう。


 北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。

 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。

 礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。

 路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。

 悪臭紛々のその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。

 路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。

 こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる。

 かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない。

 ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。

 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。


 この描写は、さまざまな写真によって裏付けられています。
南大門02 南大門01

 この1897年南大門の2枚だけでも、その描写が確認できるでしょう。
 その他、民家などの写真もあるのですが見ていると酔いを起こしそうなものばかりです。というのは壁や屋根が微妙にのたくり、ひどい歪みがあるため視覚が錯覚するためです。
 貴族階級であった両班の家ですら、直線がほとんど見られないところが酷いというか、すごいというか。

 さらに、イザベラ・バードによる橋と道路の描写を見ると――

 橋のかかっていない川も多く、橋の大半は通行部分が木の小枝と芝土だけで出来ており、7月始めの雨で流されてしまう。そして10月半ばまで修復されない。地方によっては川にさしかかったら浅瀬を渡るか、渡し船に乗るかしなければならず、これには必ず危険と遅れが伴う。

 首都に中心をおく6大道路ですら、橋は普通渡る前にまず馬や人間の重量に耐えられるかどうかを馬夫が確かめるほど、もろい状態であることが多い。


 このあたりの建築物に対する感受性が、のちの橋やデパートの崩壊につながっているような気がしてなりません。

・この国を近代化した日本の苦労がしのばれる
 イザベラ・バードが朝鮮半島を訪れてから、日本による保護国化がすすみ、さらに16年後に日韓併合が行われます。
 いわく「まともな交易が(平壌を除き)全土にわたってない」「商店と呼ぶべきレベルの店もない」「粗悪な貨幣しか存在しない」「第1級の幹線道路ですら 悪路」「多くの川には橋もなく、あってもすぐに流される」「山には緑がない」「自分に固有のハングル文字を軽蔑するおかしな国民」「なにもかにもが低く貧 しくお粗末なレベル」――このような状況の国を、近代国家にするために道路を整備し、橋を整備し、鉄道を敷設し、教育を施し、植林し、農業のために土地を改 良したわけです。
 その苦労たるや、どれほどのものであったか。そりゃ「いいこともした」と言いたくもなるでしょう。

 韓国人は「日帝の支配による搾取さえなければ、韓国は自力で近代国家になり、いまの分断もなかったのだ」というような話をします。
 しかし、イザベラ・バードをはじめとした李朝末期の描写から、そのような国力があったとはまったくもって思えません。

 なお、本書は講談社学術文庫版と、平凡社東洋文庫版があります。
 後者は在日韓国人によって翻訳されているのですが、このあとがきは必見です。イザベラ・バードへの繰言が山のように出てきて、苦笑なしには読めません。
 特に「韓国は日本に独立という名の使いかたも分からない道具を与えられてしまった」という描写に『差別主義者だ!』というようにして噛みついているんですが、その後の日韓併合に至る道筋を鑑みるにイザベラ・バードの分析は正しかったという他ありません。
 そういった韓国人の言い分が真実であるかどうか、確かめるために必携の書といえるでしょう。 

その当時の比較対象としてこちらの二冊もおすすめ
シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325)) イザベラ・バードの日本紀行 合本版 講談社学術文庫