韓国はなぜ「法治」を目指さないのか(日経ビジネスオンライン)

 いつもの鈴置氏のコラム。近代アジア史に詳しいかたとの対談です。
 お題は韓国(と中国)はなぜ法治ができないのか。
岡本:ひとことで言えば、韓国人のモノの考え方のベースに儒教があるからでしょう。中国人もそうでして、韓国人と発想が似ています。 (中略)

(鈴置) 韓国では、裁判の判決もおカネやコネに左右されると考えられています。大財閥のオーナーは犯罪を犯しても、必ず執行猶予がついて収監されないのが普通でした。最近は、少し変わりましたが。

 韓国の指導層の一部はさすがに「これはおかしい」と考え「法治」を唱えるのです。でも、感情が激すると――例えば、多くの高校生が亡くなったセウォル号沈没事件が起こると――「法治」などはどこかにすっ飛んでしまうのです。 (中略)

(岡本) 最たるものが例えば、史上に存在した「法治」ならざる「徳治」です。徳治――徳によって国を治める、というのは、儒教の理念から来た統治形態です。

 これに長らく馴染んだ人々には、法律によって国を治める――法治主義は、とても窮屈に感じられるのでしょう。法は柔軟性がなく、人々を細かく縛るからです。

 これに対し徳の作用は、不完全な人間をそれによって教えさとして、ちゃんとした人間を作ることにあります。この結果、まともな人間で構成する、まともな社会ができて国がちゃんと治まる、という考え方です。

 ちゃんとした人の間では、守るべきマナーがあります。これを「礼」と言いまして、ある種の強制力があります。ただ、建前としては自ら律するものであって、「法」のように外からがんじがらめに縛りあげるものではありません。 (中略)

 例えば、法律で国を治めようという「法家」は、人間は教えさとして自発性に任せれば、ちゃんとした存在になるのに、その可能性を無視している。これは人間性の否定だ、と見なされるのです。
(引用ここまで)

 なるほど、道徳性が高い人間が多い(という建前だ)から、法治が行き渡らない。
 で、感情がほとばしるままに人を罰してもOK。感情が沸き立っていても韓国人は道徳性が高いから、という感じですかね。
 なかなか次回以降が楽しみな対談です。

 考えてみれば、韓国人は日本人に対して「マニュアル主義すぎる」と言いますが、あれも徳治の考えかたであるとすれば納得がいきます。
 マニュアルをかたくなに運用しようとする。もうちょっと人間味を出せばいいのにと。もっと物事は柔軟に考えてしかるべきだと。
 ちょっと頭がアレな聯合ニュース日本支社長はおろか、あのソンウ・ジョンですら特派員赴任当初はブツブツと不満を述べていましたからね。

 手元にあるマニュアルすら守れない人間が、法を守れるわけがないのです。
 目から鱗というか、膝を叩く感じです。
 で、その「物事を柔軟に考えてマニュアルを守らない国」でどんな社会が生まれたかというと中韓ともにアレ。

 ま、「マニュアル主義」である日本と、どっちが住みやすいかなんて言うまでもないと思いますけどね。