朝鮮人強制連行追悼碑問題 「史実冷静に踏まえて」(東京新聞)

  高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の撤去問題で、歴史学者らによる学会「東京歴史科学研究会」の会員八人が二十三日、現地を 初めて視察した。会員たちからは「県内でも朝鮮人の強制連行があったという史実を、冷静に、学術的に踏まえた上でこの問題を考えるべきだ」などと、県の撤去方針を批判する意見が相次いだ。 (菅原洋)

 二十六ヘクタール前後という広大な敷地。追悼碑は、木々に囲まれた北東角にある。来園者はほとんど立ち寄らない場所だ。

 県は七月に追悼碑の設置更新を不許可にした際、過去に園内で一度だけ、碑の撤去を求めている組織が公園一帯で街頭活動したことも理由に挙げた。大沢正明 知事は「追悼碑の存在が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できず、憩いの場にふさわしくなくなった」と説明した。

 ところが、子どもたちの遊具、博物館や美術館など園内の大半の施設は、追悼碑の場所からは遠く離れている。

 「追悼碑はこんな公園の外れにあるのに、県の説明はおかしい。今回の件は(在日韓国大使館の総領事が県に懸念を伝えるなど)国際問題化しているが、このままでは群馬が世界で孤立してしまう」

 研究会の代表委員で、明治大情報コミュニケーション学部(東京都)の須田努教授(社会文化史)は危機感を募らせた。須田教授は高崎市出身で、県内の高校で教諭も務めた。

 一橋大(東京)の社会学研究科、加藤圭木(けいき)特任講師(朝鮮近代史)は「戦時中の国家総動員法に基づき、朝鮮人を群馬を含めて強制的に連行し、働 かせたことは文献や証言などで裏付けられている。撤去の方針はこの史実を否定することにつながり、国際的に恥ずかしい」と指摘した。 (中略)

 追悼碑は二〇〇四年、市民団体「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会(前橋市)の前身団体が建立。県は都市公園法などに基づき政治的な行事をしない条件で許可した。

 しかし、過去に碑の前で開かれた集会で政治的な発言があったと外部から県に指摘があり、県は一月末の設置期限後も許可の更新を保留。県は七月、集会での 「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などの発言が政治的と判断し、設置更新を不許可とした。

 守る会は十三日、県が碑の設置更新を不許可にしたのは表現の自由を侵害し違憲として、県に処分の取り消しなどを求める行政訴訟を前橋地裁に起こした。
(引用ここまで)

 あいかわらず本質を違えた話をしてますね。
 この「追悼碑」とやらの位置が公園にどこにあろうとも、その設立の精神がなんであろうとも。
 県と交わした「政治的な行事に使用しない」という約束を守ることができなかったから撤去される。
 それだけのことを、ここまで自分たちの都合のいい話にすり替えることができるのですから不思議なものです。

 どれだけ崇高なものであろうとも、純粋な気持ちであろうとも、手段が違法ならそれは違法。
 撤去されるべき。

 ま、法よりも情緒が上に来る韓国では違うのでしょうけども。
 こちらのエントリにも書きましたが韓国と通じている連中にとっても、それは同じことなのかもしれませんね。

 法を守れないことのほうが、一般的な人間にとってはよっぽど「恥ずかしいこと」だと思うのですが。
 それを「一般遊具から離れているから問題ない」とか「国際的に恥ずかしい」とか言い出して、問題のすり替えをしようとする。
 一般道徳を持った日本人の「恥ずかしい」という感覚と、彼らのそれは大きく異なっている、ということなのでしょう。