[社説] 韓国民主主義の死、憲法裁判所の死(ハンギョレ)
19日、憲法裁判所が統合進歩党の解散を決めた。 所属議員の国会議員職も剥奪した。その決定にはまともな証明も確実な根拠もない。多数に逆らったからと少数政党に闇雲に死刑宣告を下した格好だ。 寛容と多元性を核心価値とする民主主義は、これで根こそぎ否認された。 今ここに解散と解体の危険に直面したのは、数十年間かけてようやく作ってきた韓国の民主主義だ。

 憲法裁判所の決定は司法史に残る大きな汚点だ。 法の刃を借りた政治弾圧は数十年前からあった。 1974年の朴正煕政権の人民革命党人士死刑がそうであったし、1959年李承晩政権が進歩党の大統領候補であった曹奉岩(チョ・ボンアム)を国家保安法違反で死刑に処したこともある。 当時進歩党は政府部署の登録取消により解散したが、1958年最高裁は「進歩党の政治綱領・政策は違憲でない」と判示した。 少なくとも今回のように政党の主要人物と政党自体を無理に同一視するようなことはなかった。 1960年憲法に政党解散制度が導入されたのも「民主主義の敵に対する防御」よりは、行政府による登録取消などから政党の存続を保障し「政党の自由を保障するためのもの」だった。 その精神は現在の憲法にもそのまま受け継がれている。

 そうした点で統合進歩党などが代議制民主体制の構成員として存在すること自体が韓国民主主義の成就と言える。 自分とは考えと主張が違うという理由だけで、少数者を排斥しないことこそが全体主義と権威主義から解放された民主主義の兆候だ。 進歩少数勢力に対する追放宣言である今回の決定は、そのような歴史の時計を逆に戻したわけだ。
(引用ここまで)

 この事件(あえて事件といいます)、パク・クネ政権というかパク・クネ個人の強情さ、原理原則でしか行動できない頑固さをよく示していると思います。
 憲法裁判所としたら、この政党が俎上に乗せられたら解党命令を出すしかないのですよね。
 でも、これまでの政権はそれをやらなかった。
 結社の自由というものは民主主義国家を構成するにあたって、大きな幹のひとつであることを理解していたのでしょうね。

 でも、パク・クネはそれをあっさりと踏みにじることができる人物であることを天下に遍く示してくれたのです。
 まさに「独裁者の娘は独裁者」ということを、産経新聞の加藤前ソウル支局長起訴に続いて証明してくれたわけです。

 まあ、統合進歩党自体は、米韓FTAに反対するために催涙弾投げたりするのを見ても分かるようにメチャクチャな政党ではあるのですけどね。

 日本ではあまり騒がれていませんが、このことはパク・クネ政権の大きなターニングポイントとなるでしょう。
 パク・クネ個人の頑固さを

 さて、例のリストを更新してみましょうか。

パク・クネ政権が最初海洋警察を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
  私は海洋警察ではなかったから。

パク・クネ政権が次に産経新聞を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
  我が社は極右新聞ではなかったから。

パク・クネ政権が風刺作家を逮捕したときにも、私は声をあげなかった。
  私は風刺作家でなかったから。

〜パク・クネ政権が統合進歩党を解体したときにも、私は声をあげなかった。
  私は親北政党ではなかったから。