「首脳会談のない正常化も一つの方法…韓日間の多様なチャネル必要」(1) (2) - (中央日報)

韓元長官は「韓国が先に政治的な勇気を発揮し、日本により高い次元の対応をする必要がある」とし「加害者である日本には嫌韓があるが、むしろ被害者である韓国には嫌日はない。我々の国民の寛容と大局的な立場を見せるべきだ」と述べた。

孔元長官も「韓国の日本に対する認識はまだ19世紀末から1945年までに止まっている。被害者である韓国が先に過去から抜け出せば、新たな50年間の韓日関係を主導できる」と述べた。
(引用ここまで)

 「嫌韓はあっても嫌日はない。国民の寛容と大局的な立場を見せるべき」とか、「次の50年を主導できる」とか。
 常に韓国が上という意識なのですよね。
 イコールパートナーですらない。
 根底に「日本よりも韓国のほうが道徳性が勝っている」という意識があるからなのです。
 でも、その「道徳性」という考えかた自体が儒教に基づいた考えかたなので、中国と韓国(と北朝鮮)にしか通用しない。
 世界の外交は道徳性を争っていたりはしませんから。

 で、さらに現実では日本よりもはるかに格下として扱われているという状況。
 格下なら格下でそれなりの戦い方というのはあるのですが、韓国はそれを望んでいないのですよね。
 あくまでも「大国として日本に対抗したい。というか、もう韓国は大国だし、日本は(これまでのように)韓国の言うことを聞き続けるべき」というのが本音。
 日本は道徳性で劣っている国なのですからね。

 もうひとつ、「嫌韓はあっても嫌日はない」って、本気で思っています。
 この気分を解説するのは非常に難しいです。
 「韓国人には日本を嫌う根本的な権利があるけれども、日本人には逆の権利はない」というような考えかたが根本にあります。
 道徳性の優劣、正統性による序列意識というようなものがありまして。
 日本よりも韓国のほうが序列が上と決まっているのですよね。彼らの中では。
 なので、「これは嫌日ではない、韓国人の持つ権利だ」くらいの勢いで感じられているのです。
 彼らの中で感じられていることなので、それを構造的に証明したり、説明するのは非常に難しいのですが。

 とりあえずそういう「気分」があるのです。その根源はともかく。
 そういった気分があることを知ってから見ると、たとえばパク・クネの1000年被害者宣言が出たことも「ああ、なるほど」となるわけですね。
 韓国人の持つ気分によってこの序列は決まっていて、覆されるものではないのだということを前提として知っていれば、あの宣言が出ることは理解できるのですよ。
 宣言そのものが理解できないものであっても。

 そういう態度の韓国人が嫌いなのだということを、そろそろ理解していただきたいものですが(笑)。