戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず(WallStreetJournal)

 日本はきっぱりと全面謝罪すべきだとの議論がある。東アジアの緊張緩和のためだというのだ。そして東アジア地域の政治家、学者、そして戦争犠牲者のグループの間では、安倍晋三首相が日本の降伏70周年の8月に何を言うかに既に期待が高まっている。

 そんな簡単な話ならどんなに良いことか。 (中略)

 歴史論議は、この地域では競合するナショナリスト的なアジェンダ(目標)をあおる。それらは領土紛争をかき立て、実際的な外交上の解決を排除してしまう。

 中国では、反日感情がレジーム(体制)を支える不可欠なつえと化した。日本を悔い改めない悪漢として描くことは、中国の軍事的増強を正当化する一助になっている。

 同じように、日本では多くの人々が中国の経済的な興隆を日本の存立を脅かす脅威としてみるようになった。有権者にとっての安倍氏の魅力は、少なくとも部 分的には、同氏が日本の強力な隣国である中国に対峙(たいじ)してくれるだろうという期待があるためだ。安倍氏をひざまずかせれば、北京とソウルでは万事 うまく行くだろうが、東京では恐ろしいことになるだろう。

 世界のどこでも真の和解にこぎつけるのは極めて難しい。このため、政治家は追い込まれなければ和解しようとしないのが常だ。そこでは共通の脅威の存在が役に立つ。欧州ではそうだった。つまり、冷戦への対応という至上命題が欧州(西欧)の和解を促したのだ。

 しかし、残念ながら、東アジアにおける政治的な力は、おおむね正反対の方向に作用している。一層の敵意という方向だ。

 そこで、安倍氏は8月15日の終戦70年にあたり何を言うべきだろうか。安倍氏は「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地 域や世界にどのような貢献を果たしていくのか」を新たな談話に書き込むことを約束した。同氏はまた、これまで(歴代政権)の公式謝罪から後退させるつもり はないことを強調した。

 これらはすべて、世界的なステーツマン(政治家)としての安倍氏の立ち位置を改善するのに不可欠だ。しかし、安倍氏が何を言おうと、日本の近隣2国(中 国と韓国)をなだめられる公算は小さい。リンド氏は「魔法の言葉」というものはないと述べ、「それでも、中国は不満だろう」と語った。

 たとえ日本がドイツをモデルとし、アジアにおける第2次世界大戦の傷を癒やそうとした場合でも、問題は、中国と韓国がその後、「赦(ゆる)しのモデル」であるフランスのように行動するかどうかなのだ。
(引用ここまで)

 中国も韓国も「日本はドイツのように振る舞え!」と言い続けるのですが、それでは中韓がフランスのように振る舞うことができるのか。
 それは絶対にない。

 フランスが赦したように見えたのも、冷戦のおまけのようなものですしね。
 いまだにヨーロッパ全土にドイツへの不信感はありますし、ユーロ安で一人勝ちな状況も嫌われている。
 かといって「それじゃあ、困窮している国を経済的に援助します」と言い出すと、今度は「経済的に侵略するつもりか!」ってなるっていう。
 まあ、そう言いつつ受け取るんですが(笑)。

 そりゃ、中韓が「ドイツを見習え」って言っているのを聞いたドイツ自身が渋い顔しますわ
 間接的にですがナチスの暴虐さをいまだにあげつらっているわけですから。

 この記事には言及はありませんが、儒教的には謝罪をするという行為が「悪であることを認めた」とイコールとなって序列が確定して二度と頭が上げられなくなるという文化的側面もありますね。
 中韓で小泉政権や安倍政権が嫌われているのは、そうやって確定したはずの序列を覆そうとしたところに原因のひとつがあるのです。
 別にこちらからは「序列を覆そう」なんていう考えかたはしていないのですが、向こうの受け取り方として。

 謝罪をして序列が決定した相手にはどんなことをしてもいいというのが、儒教的考えですから。
 フランスとドイツであればヨーロッパとしてそれこそ「価値観を共有する」ことができているでしょう。先進国ですし、法理が行き届いている。
 でも、こっちの事情はそうじゃないんですよね。
 なので、彼らの考えかたにつきあうこと自体が無意味なのです。

 去年の李克強の訪英をはじめとして、最近になってようやく中国の理不尽さが欧米にも認識されてきているということでしょうね。
 この記事が出てきた背景は。

 ま、悪くない話ではありますが。
 それでもたとえばイギリスがその理不尽さにつきあうのは年に1度とかの頻度ですかね。
 それに比べたら日本や東南アジア各国は延々とそれにつきあわされているわけで。そのことを考慮に入れてほしいところですわ。