「ヒューマンドキュメンタリー」のアン・ヒョンス、勝負操作を拒否すると暴行されて…… 「ただただ試合自体が嫌だった」(朝鮮日報/朝鮮語)
「ヒューマンドキュメンタリー」のアン・ヒョンス、勝負操作を拒否すると暴行されて…… 「ただただ試合自体が嫌だった」

11日放送されたMBC「ヒューマンドキュメンタリー愛」に出演したアン・ヒョンスは、八百長拒否攻撃などがロシアを選ぶようになった最大の理由であることを告白した。

アン・ヒョンスは「(ある先輩が、別の先輩の)個人金メダルが必要だから『1位をくれてやろう』と話していた。しかし、私は肯定も否定もしないし、試合をした」とし「ただ試合自体が嫌だった」と当時の状況を説明した。

アン・ヒョンスが言及した試合は、2005年冬季ユニバーシアード大会であった。絶頂の戦力を誇示していた当時の韓国代表チームは、1500mの試合で1位から4位までを独占するなど、国内選手間の競争が激しく繰り広げられた。

アン・ヒョンスは「1等を取らなければならないという先輩が後ろから出てきて私に『おい、どけ』と言ってきた。そのせいで私は『これを阻まなければならないのか?』と悩んでいた」と打ち明けた。

明らかに八百長の試みがあったという事実がアン・ヒョンスの口から確認されたわけである。 10余年の歳月が流れ、再び議論が避けられないだろ。

特にアン・ヒョンスは「先輩が集合を命じてヘルメットをかぶってくるように指示を受けた。ヘルメットをかぶった状態で頭を殴ってきた」とし「恥ずかしかった。ショートトラック最強のチームであったのに外国人選手たちの目には、内輪もめしている戦う姿が映っていたから」と説明した。

結果的にアン・ヒョンスは、その後に怪我を負って代表メンバーから除外された。アン・ヒョンスの代表脱落についてさまざまな噂が流れたが、アン・ヒョンスの力になってくれる者は誰もいなかった。最終的にはロシアへと帰化して2014ソチ冬季オリンピック3冠王を占め復活した。

一方、アン・ヒョンスはこの日の放送でロシアへの帰化申請最中に、韓国からの圧力を受けたという事実も暴露した。

アン・ヒョンスは帰化のプロセスについて、「ロシアスケート連盟会長が(韓国スケート連盟の関係者から)が『その選手(訳注:ビクトル・アン)は韓国でも問題が多い選手だから絶対に受けてはいけない』という、電話を受けたよ」と明らかにし、議論が予想される。
(引用ここまで)

 かつてトリノ冬季オリンピックで3つの金メダルを獲得し、韓国で「氷上の皇帝」と呼ばれるほどにショートトラックで活躍したものの、怪我でなかば引退をささやかれてからロシアに帰化して代表になったビクトル・アン(アン・ヒョンス)がロシア帰化までのさまざまな軋轢を語っています。

 この記事はざっくりとした本筋だけを追っているのですが、実際の番組ではかなりいろいろなことを話しているようですね。派閥があって、そのためにリレーで金メダルをとっても他の選手とは抱き合わずにコーチとだけ喜んだとか。
 ロシアに向かったときは栄養管理ができずに痩せていって女子選手よりもタイムが悪かった状態にまでなったのだけど、いまの奥さんがきてくれて栄養管理ができるようになったとか。
 その奥さんも入籍してはおらず、事実婚状態とか。

 まあ、これまでも常に派閥争いはありまして。
 このビクトール・アンの父親と韓国スケート連盟の副会長が空港で殴り合いをしてまして、その理由が「自分の派閥の選手に勝たせようとして、ビクトル・アンの進路を妨害しただろ!」というものでした。
 この父親はずっと反主流派だったらしく、去年には連盟に対して「弟もロシアに帰化させるぞ!」って有望選手である14歳の弟も外国に出すというような脅しをしていました。

 で、「兵役免除したいから」とか「いい社会人チームに入りたいから」っていうような理由で八百長はいつものことです。
 主流派の選手と反主流派の選手がそれを妨害しあうなんてこともあるようですね。
 ウリとナムのウリの中にさらにナムがあって……という入れ子模様。

 まあ、このあたりのショートトラックにまつわる内紛はよく知られた事実だったのですが「皇帝」と呼ばれていた選手がロシアに帰化するほどにひどかった、さらにそれをテレビで大々的に報じたということでけっこう大きな話題になっています。
 なお、18日にも続編が予定されているそうです。また爆弾投下されるんでしょうかね。

銀行の内紛 (光文社文庫)
清水 一行
光文社
2002-11-12