【噴水台】リピートの中のノーベル賞剥奪感=韓国(中央日報)
昨年の今ごろ、後輩記者が「これが記事になるのですか」と尋ねてきた。ノーベル賞関連の取材をしていて偶然、金大中(キム・デジュン)元大統領(2000年にノーベル平和賞受賞)だけでなく韓国生まれのノーベル賞受賞者がもう1人いるという事実が分かったという話だった。主人公は1987年にノーベル化学賞を受賞したノルウェー系米国人チャールズ・ピーターソン(1904〜89)だった。彼は父親が旧韓末(朝鮮時代末期から大韓帝国時代)に韓半島(朝鮮半島)に仕事をしに来たため釜山(プサン)で生まれて8歳までこの地で暮らしていたことが確認された。その後輩は、読者らが「だから何なの?」という反応を見せないかと心配した。韓国との縁はそれが全てだったからだ。色々な論議の末に結局記事は掲載されたが、結構な話題になった。韓国人のノーベル賞に対する関心と期待はそれだけ大きい。

ここ数年ノーベル賞発表が近づくたびに注目される人物がいる。遺伝体(ゲノム)研究の世界的権威者であるチャールズ・リー米国ジャクソン研究所長(46)だ。今年も国内のさまざまなメディアが「受賞可能性がある韓国人」という説明をつけて有力候補として紹介した。ところで彼は韓国人ではない。両親が韓国人でソウル生まれだが、1歳の時に家族と共にカナダに移住した。当然、国籍はカナダだ。彼が韓国語を話す時に慶尚道(キョンサンド)の方言を使うということまで伝えて「血統」を強調する記事もある。 (中略)

ノーベル賞受賞者の発表は、応援するプロ野球チームのポストシーズン脱落や冷たくなった空気が一年の終わりを予告するのと共に、秋の喪失感を刺激する定例行事となった。「国家的・国民的な自尊心が関わることではないか」。このような決心をしてみるが、食べられないブドウを新ブドウだと話す不正の自己保護のようでやはり苦々しい。不幸なのか幸いなのか判別が難しいが、この国民的な剥奪感は、何日か後には基礎科学の育成に対する「瞬間的な関心」と共に消えていくのは明らかだ。毎年そうだったように。
(引用ここまで)

 ありましたね。
 去年、「韓国出身のノーベル賞受賞者は2人いる。ひとりは金大中。もうひとりは朝鮮半島生まれのチャールズ・ピーターソンだ」っていうものでした。

金大中元大統領のほかにもう1人…「韓国生まれの受賞者」2人記録(中央日報)

 あまりにも哀れでピックアップしなかった記事でした。
 中身自体はそこそこまっとうな科学コラムだったのですけども。
 その前提にあるなんというか、スピリットとでも呼ぶべきものがひどすぎました。
 いまにして思うと、韓国のノーベル賞コンプレックスのひどさを理解できる例として挙げておいてもよかったですかね。
 でも、あまりにもなんというか可哀想で見てらんなかったのですよ。

 ちゃかす気にすらなれないというか。
 さらに今年はそれに輪をかける状態になっちゃってます。
 このコラムの最後なんかもう、完全に諦観しちゃってますもんね……。
 今年の2人を加えて日本国籍の自然科学部門だけで21人。21世紀に入ってからはアメリカに次いで国別で2番目の受賞者数。
 さらにこれまで同様に自然科学部門で受賞者ゼロだった中国からも医学・生理学賞の受賞者が生まれてしまったわけで。

 さすがに化学賞での受賞まではありませんでしたが、韓国にとってはまた今年も10月が残酷な月になったわけです。
 今年はあと1回か2回、ノーベル賞関連の記事を追いかけてみる予定です。



「食べられないブドウが新ブドウ」っていうのは誤訳なのか直訳なのかがちょっとだけ気になります。ホントにちょっとですが(笑)。