【記者手帳】朴裕河氏起訴に抗議する「良心的」日本人(朝鮮日報)
 26日午後3時、日本の知識人54人が「歴史をどのように解釈するかは学問の自由」だとして抗議声明を出した。「(本に書かれた内容について)韓国だけでなく日本国内からも異論があるのは事実です。しかし(中略)特定の個人を誹謗(ひぼう)したり、暴力を扇動したりするようなものは別として、言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでない」と主張した。

 若宮啓文・元朝日新聞主筆、上野千鶴子・東京大学名誉教授、小森陽一・東京大学教授らが名を連ねた。アンドルー・ゴードン・ハーバード大学教授のような海外の大学者や、村山富市・元首相、河野洋平・元官房長官も賛同した。「合理的な日本」「良心的な日本」を代表するA級の学者・論客・政治家を網羅していると見ていい。問題は、この人々の指摘に、韓国人がどこまで共鳴するかという点だ。 (中略)

 しかしこの日、日本の知識人らが挙げたのは、朴教授の本が正しいか、間違っているかという問題ではなかった。この人々は、思想信条の自由があるべきだと主張した。「韓国社会にその自由があるのか」と問い掛けた。そんな話をしているのが日本の右翼ではなく、善良な人たちであることに戸惑う記者会見だった。
(引用ここまで)

 おやおや、だいぶ戸惑っているようですね。
 「良心的日本人」、つまり韓国人の考えるところの「正しい日本人」は韓国人のいうことやることすべてを受容するのではないかと思っているのですよ。
 その彼らが韓国人のやることに反旗を翻した。
 そりゃまあ、戸惑いもするでしょう。序列的に下になった人々はもはや逆らわないというのが、韓国の中での認識ですから。

 つまり、日本人には普遍的な価値観があるのですよ。「出版・言論の自由は最大限保証されるべきだ」という意識が。河野洋平氏であろうと村山富一氏であろうと、若宮啓文氏であろうと。
 日本人の中にはこれがなくなったら終わりだという意識があるのですよね。
 それが韓国にはないのです。

 まさにそれこそが「基本的価値観を共有しない」こと、そのものであるのですが。
 根本のところにないのでしょうね。
 自分たちには関係ない、くらいの気分なんだろうなぁ。